第72話 キミはキミのままで…… -If you leave alone...?- ハルカは大慌てでポケモンセンターへ向かうと、ロビーでワカシャモとカエデの回復を待っているアカツキの元へ小走りに駆けてきた。 彼女がやってきたことなど知らぬ存ぜぬと言わんばかりに、アカツキは長椅子に腰掛けたまま、虚空の一点に目を留めていた。 もちろん、ハルカがすぐ傍に来たということは知っている。 ただ、一言では言いつくせない複雑な気持ちなのだ。 なんて言えばいいのか分からない。 「あの、アカツキ……?」 「……?」 恐る恐る声をかけると、弾かれたようにアカツキは顔を上げた。 寂しそうな目をして、どこか落ち込んでいるようにも見える表情を向けている。 その原因を作ったのはあたしなんだ……ハルカはそう分かっていたから、なおさら複雑な心境だった。 「ごめんなさい!!」 ハルカは、何はとりあえず謝った。 地面にぶつけるのではないかと思えるような勢いで頭を下げる。 「ワカシャモに、あんなことしちゃって……あたし、それを止められなくて……」 精一杯の謝意を伝え、顔を上げる。 心なしか、アカツキの表情が緩んだように思えた。 「ぼくは…… バトルの中でのことだったって、割り切りたいって、そう思ってる。 でも……そんなにすぐにはできないよ」 「ごめんなさい……あたしには、そうとしか言えない」 「わかってるよ」 優しい口調で言うと、アカツキはハルカの肩に手を乗せた。 思いのほか暖かなその手に何を感じ取ったのか、彼女は息を詰まらせた。 「ハルカも……あの時は止めようとしたんだよね。 でも、アーミットは止まってくれなかった」 ポツリと言うと、アカツキはカウンターに顔を向けた。 釣られるようにして、ハルカも目を向ける。 ジョーイが急がしそうに働いている。 カルテにペンを走らせたり、ラッキーを呼んであれこれ指示を出していたり…… 彼女の背後には、ぴこぴこと電子音を発しながら作動している機械があった。 モンスターボールに入ったポケモンを回復させるための装置。 そこには今、ふたつのモンスターボールがセットされていた。 ひとつには『☆』のマークがあった。誰のものであるのか、考えるまでもない。 「ハルカのせいじゃないって分かってる。だけど……」 アカツキは鷲づかみにするように、服をつかんだ。 見た目では分からないが、力を込めているのだろう、服は引っ張られて悲鳴を上げている。 「ダメなんだ。アーミットのこと、どうしても今すぐには許してあげられない」 「アカツキ……」 本音をぶつけられ、ハルカは押し黙った。 そんな……と思う反面、仕方がないと思える部分も確かにある。 それだけのことを、ハルカのアーミットはやってしまったのだ。 冷静さを取りもどしてはいるが、始末が悪いのは彼が自分のしでかしてしまったことを覚えているという点だった。 オダマキ博士の研究所では仲良しな友達だっただけに、今回の出来事がきっかけでその友情にヒビが入ってしまうのではないだろうか。 漠然とした不安は、しかし現実味を一番帯びているように思えた。 「だけど、悪いのはキミだけじゃないよ」 「え?」 意外な一言を、それも意外なタイミングで口にされ、ハルカは驚いてしまった。 アカツキの口元が微かに上向いている。 どんな気持ちで言葉を発しているのか、嫌でも分かってしまう。 「ぼくも……ワカシャモをモンスターボールに戻さなかったんだ。 あんなになるまで……ワカシャモを苦しめた。 悪いのはぼくも同じだよ。 キミだけが何も悪いわけじゃないんだ。 だから、そんなに深刻にならないで」 「でも……」 ハルカは口ごもった。 確かにそうかもしれない。 ハルカはアーミットを止めようと声を張り上げたが、結果としてアーミットは石を後頭部にぶつけられるまで冷静さを失っていたのだ。 だが、そうなるまでワカシャモをモンスターボールに戻さなかったアカツキにも責任はある。 戻そうと思えばいつでも戻せたのだ。 それを、勝敗云々といった理由でしなかったのは……いや、そうではない。 アカツキはワカシャモのことを信じていたからこそ、戻せなかったのだ。 まだ戦う意志を残していると知っていたから、戻せなかった。 しかし、それは言い訳にしか過ぎないだろう。 もし、回復装置での回復を終えて戻ってきたワカシャモが何かしらの異常を訴えかけてきたとしたら…… そう思うと、不安でたまらない。 何を言ったところで、いくら謝ったところで、許してもらえるわけがないではないか。 「やっぱり、悪いのはあたしだよ。 アーミットに言葉じゃ届かないって、どこかで分かってたはずなのに…… モンスターボールに戻すっていう手段もあったのに、勝ち負けにこだわって、それを実行できなかったんだから」 「でも……」 「だったら、ふたり一緒に謝ればいいだろ?」 現時点でもっとも効果的な案を提示したのは、ユウキだった。 「え!?」 アカツキもハルカも驚きながら振り返る。 口元に笑みを浮かべたユウキが、自動ドアをくぐって中に入ってきたのだ。 ただ、入り口で足を止めて、会話に耳を傾けていたのだが、どうにもこのままでは解決しなさそうだと判断し、案を出したに過ぎない。 「ユウキ、どうしてここにいるの?」 「そりゃオレのセリフでもあるよな。ま、久しぶりだよな、ハルカ」 「うん……」 もしかしたらすべて聞かれていたかもしれない。 そう思うと、とても情けなくなってきた。 ふたり揃って目を伏せていると―― 「悪いけど話は聞かせてもらったぜ。 おまえらの気持ちは、まあ分からないでもないさ。バトルの中のことだったって、それで割り切れればトレーナー失格だしな。 それに……ハルカだって、一生懸命アーミットとかに呼びかけてたんだろ。 だったら、それはおあいこだって、オレは思うけどな。 でも、最後に決めるのはおまえたちだぜ。 オレはあくまでもアドバイスくらいしかあげられねえよ」 「分かってる」 アカツキは小さく頷いた。 最後の最後で決断するのは自分。 それくらい、知ってる。 だからこそ、割り切れない自分の優柔不断さに腹が立つのだ。 「オレはたまたまこいつと再会して、ここまで一緒に来ただけさ。 しかし、ここでおまえと会うとは思ってなかったな。 三人揃うのって、旅に出てから初めてだったっけ?」 「うん……」 落ち込んだような表情をまったく変えないアカツキとハルカを見て、ユウキはため息を漏らした。 何があったかは分からないが、ここまで落ち込むこともないだろう。 話を聞いている分には、ポケモンも命には別状なさそうだし。 なのに、どうしてここまで落ち込んでいるのやら。 目の前にいるふたりは、強いようで意外と打たれ弱いのかもしれない。 ならば…… 「だーっ、そういったショボくれた顔してるやつ見てると、なんだかこっちまで参ってきちまうよ。 見てられないな。 庭でポケモンでも遊ばせてくっか」 ユウキはウンザリしたような顔をして、お手上げのポーズを取って見せると、踵を返してポケモンセンターを出て行ってしまった。 「ユウキ……」 自動ドアが閉まり、その姿が見えなくなる。 アカツキは消えたその背に向かってポツリつぶやいた。 もちろん、その声が届くことはない。 「回復が終わりましたよ」 ジョーイの声が聞こえ、アカツキは慌てて振り返った。 モンスターボールをふたつ、水を掬うような手つきで持っている彼女は微笑んでいた。 アカツキはモンスターボールを受け取ると、訊ねた。 「あの、ぼくのワカシャモ、なんともなかったですか?」 「大丈夫です。よほど丈夫に鍛えられていたようなので、後遺症は残らないでしょう。 ただ、数日はバトルを控えてください。 ベストコンディションを考えるのであれば、かわいそうでもそうしてあげた方がいいでしょう」 「そうですか……」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 ハルカも同じように、安堵で表情を満たした。 アーミットが思い切り踏みつけたのに、異常が見当たらなかったのだ。 それはそれですごいことかもしれないと思った。 「ジョーイさん、ありがとうございました」 アカツキは深々と頭を下げると、ポケモンセンターを飛び出した。 「あ、待って!!」 ハルカは彼の後を追った。 何をするつもりなのか、すぐに分かったから。 そのためには、自分も一緒でなければならないから。 ポケモンセンターの建屋を囲い込むような塀の内側に沿うようにして、センターの庭に出る。 小川が流れ、ささやかながらも池もある。 水ポケモンも少しくらいなら不自由せずに済むようになっている。 一際大きな木に背中を預けて、ユウキはふたりがやってくるのを笑み混じりに見つめていた。 「やれやれ……手の焼けるやつらだな。まあ、それくらいがちょうどいいかもしれないけど」 そんなことを胸中でつぶやいているとは露知らず、アカツキは庭の中央あたりでモンスターボールをひとつ投げた。 「ワカシャモ、出てきて!!」 宙に浮いたボールは口を開き、ワカシャモを外に出した。 「シャモ……?」 ワカシャモは自分に向けられたふたりの顔を見て、首をかしげた。 なんでそんな顔してるの? そう言いたそうな表情だ。 というのも、アカツキもハルカも申し訳なさを前面に押し出したような顔をしていたのだ。 あれだけやられたのだから、出てくるのを嫌がるかもしれないと思ったのだが、どうやらそれはなかったらしい。 アカツキとしては、それだけが唯一の救いだと思えた。 「あのさ、ワカシャモ……」 アカツキはちゃんとワカシャモの目を見据えて言った。 「さっきはごめん。 あんなになるまで、キミをモンスターボールに戻さなかった…… だから、あんなに痛い目に遭っちゃって……本当にごめん!!」 語尾を大きくすると、頭を下げて謝った。 ワカシャモがどう思っているかは分からないが、そうせずにいられなかったのだ。 「あたしも……ごめんなさい。 アーミットを戻せば良かったのに……それができなくて……」 ハルカもひとしきり謝った後で、アーミットをモンスターボールから出した。 彼女の横に立ったアーミットは、申し訳なさそうな顔をしていた。 自分がしてしまったことを、覚えているのだ。それも、親密な相手だっただけに、なおさら。 「アーミット、あんたも謝るの」 「ラグ……ラージ……」 妙に人間らしい仕草で、アーミットもハルカと同様に頭を下げた。 目の前で三人が頭を下げている。 それも、口々にごめんなさいと言いながら。 言葉のすべてを理解できたわけではなかったが、雰囲気からだいたいのことは読み取れた。 生憎と、ワカシャモはそんなにバカではないのだ。 「やれやれ……」 ユウキは横目でその光景を見やった。 ここから先は当事者たちの問題だ。 自分が関与するべきものではない。とりあえずはお手並み拝見と行こうか…… 沈黙が重く圧し掛かる。 だが、その沈黙を破ったのは当のワカシャモだった。 「シャモっ」 弾んだような声を上げると、アーミット、ハルカ、そして最後にアカツキの肩に順々に手を置いた。 流れ込む温もりに、アカツキは顔を上げた。 「ワカシャモ……」 信じられなかった。 ワカシャモの表情は明るいものだった。 あれだけのことをされて、しかもその相手が目の前にいるのに。 嫌な顔ひとつせず、いつもどおりの明るい表情。 「許してくれるの……?」 「シャモっ」 今にも途切れそうなハルカの声に、ワカシャモは頷いた。 「シャモ、シャモっ」 「ラージ……」 やられたことなど気にするでもなく陽気にはしゃぐワカシャモの姿に、アーミットは言葉を失った。 どうしてそんな風にしていられるのか、理解できなかったのかもしれない。 「ねえ、ハルカ」 「?」 「ワカシャモは……気にしていないみたい。 バトルの中のことだって、割り切ってるのかもしれないよ。ぼくたちと違って……」 「そうなの?」 確かめるように問いかけると、ワカシャモは首を縦に振った。 張り詰めていた糸がぷつりと切れる。 「ワカシャモは強いよね」 アカツキは膝を折り、ワカシャモの身体を抱きしめた。 炎タイプらしく、ぽかぽかして暖かかった。 「ぼくは……まだ割り切れてない。 いくらバトルでも、ワカシャモがあそこまで痛い目に遭っていいなんて理由にはならないって……そう思うから」 耳元でつぶやき、手を離した。 見つめ合う目と目に、確かな信頼関係が見て取れた。 笑みを向け合うふたりの姿に、ユウキは杞憂だったと思った。 「心配するほどのことでもなかったかな……ったく、オレもずいぶんと乙になっちゃったな……」 ふっと息を吐く。 「だったら……ジュカイン。少し遊んで来いよ」 軽くモンスターボールを放り投げると、彼の傍にジュカインが現れた。 ジュカインはトレーナーの顔を見つめた。 ――本当に大丈夫なのか? そう言いたげな表情を見て、ユウキは口元を吊り上げて頷いた。 「大丈夫だって。今なら大丈夫」 その言葉を背に受けて、ジュカインはシッポのような葉っぱを左右に揺らしながら、取り込み中の現場へ歩いていった。 「ジュカイン?」 アカツキは、わざと足音を立てながら歩いてくるジュカインを見つめた。 「そうだ……」 アカツキは閃いた。 ワカシャモとアーミットを交互に見つめて、口を開く。 「ジュカインと遊んでおいで。 旅に出てからは遊べなかったでしょ。 それに……姿形が変わっても、友達だってことに変わりはないんだから。アーミットも一緒にね」 「シャモっ!!」 ワカシャモは大きく頷くと、アーミットの前脚を引っ張った。 一緒に遊ぼうと、声をかけたのだ。 「ラージ……」 アーミットは――しかし、躊躇いがちに顔を逸らした。 そんな彼の前脚を、ワカシャモは引っ張り続けた。 「シャモ、シャモっ!!」 なぜそこまで陽気にしていられるのだろう。 痛みを忘れられるわけがないのに。 アーミットは信じられないものが目の前にいるみたいに、戸惑いしか感じられなかった。 「……!?」 肩に触れた何かに振り向くと、そこにはジュカインが立っていた。 ジュカインとしては初体面。 でも、アーミットは分かっていた。 目の前にいるのは、オダマキ博士の研究所で一緒に仲良く遊んだキモリだ。 それが自分と同じように進化して…… ジュカインもワカシャモと同じように陽気な顔を見せていた。 ジュカインが首を横に振る。 「ジューっ……」 唸るような声。 ――過去の遺恨にこだわっていても仕方ないだろ? 今は久しぶりに再会できたことを祝おうじゃないか。 「ハルカ、ぼくたちは離れてようか」 「そうね」 アカツキとハルカはユウキのいる木の下へと場所を移した。 三体が揃ったのは、オダマキ博士の研究所から旅立って以来、久方ぶりのことだ。 だから、友達同士、水入らずで遊ばせてやりたい。 「もういいのか?」 ゆっくり歩いてきたふたりに、ユウキは声をかけた。 「うん。ごめんね、わざわざジュカインまで出してもらって……」 「気にすんなよ。もともとこうするつもりだったしな」 ユウキは頭を振った。 別に感謝してもらいたくて、そんなことをしたわけではない。 トレーナーはトレーナー同士、ポケモンはポケモン同士で、久しぶりの再会を楽しく過ごすことはいいことだ。 だから、感謝なんてしなくていい。 とはいえ…… 「そんなこと言ったってこいつはやめないんだろうな。 だったら、素直にもらっとくか。もらったって損なんてしないし」 なんていろいろなことを考える。 「隣、座るよ?」 「ああ」 アカツキとハルカはユウキの傍に腰を下ろした。 ユウキとハルカがアカツキを左右から挟んでいるような格好だ。 「久しぶりだよな、ハルカ」 「うん……」 改めて久しぶりと言われ、彼女は顔を赤らめた。 どうやら、恥ずかしいようだ。 何を恥ずかしがっているのか、疑問には思ったが、アカツキにその答えは出せなかった。 「あいつらはあいつらなりに楽しくやってるみたいだしな。 オレたちはオレたちでのんびり話でもしようや」 「そうだね」 頷き、ポケモンたちの方を見やる。 「あ……」 釣られるようにしてハルカも視線を向けると、驚きで言葉を失ってしまった。 いつの間にか、楽しく騒いでいるではないか。 元々乗り気だったワカシャモとジュカインはもちろんだが、躊躇いがちだったアーミットまで、笑顔で楽しそうに遊んでいる。 そこには、姿形が変わってしまったことに対する感情や思い込みは存在していなかった。 見た目が変わってしまっても友達は友達。 ちゃんと分かっているのだ。 とても楽しそうに、追いかけっこをしていたり…… 恥ずかしい話だが、アカツキもハルカも、その光景を見てやっと踏ん切りがついた。 このことについてはもう触れない、と。 笑顔で繕っていても、きっと心のどこかでワカシャモも気にしているに違いない。 「ハルカは今までどんな旅してきたんだ? 確か、ホウエンリーグに出るんだったよな?」 「うん……あたしはバッジを集めてたの。 ホウエンリーグに出るにはバッジが八つ要るんだけど、今は七つゲットしてるのよ」 「七つ!? あとひとつじゃない?」 「えへへ」 アカツキが驚いていると、ハルカは照れくさそうに後頭部をさすった。 赤らんでいる顔がさらに赤くなったように思えた。 「ハルカはもう七つ集めてるんだ……ぼくも負けちゃいられないよな……」 自分は六つ。 だが、ホウエンリーグという同じ場所に辿り着くということに違いはないはずだ。 その時までに、彼女に負けないだけの実力を身につけなければ。 猛烈な対抗心が心の中で湧きあがるのを感じて、思わず笑みがこぼれた。 いつからこんな風に、他人に対して負けたくないと思えるようになったのだろう? 自分でも不思議に思えた。 身近に――友達に同じ目標を抱いている者がいると、余計に負けたくないと思える。 それは変でも何でもない。自然な気持ちだ。 「最後はどこのジムなんだ?」 「あたしのお父さんがいるジム……トウカジム。 あそこは最後にしようって、はじめから決めてたわ」 ハルカは青空を見上げながら言った。 アカツキがこれから行く予定のトクサネジム、ルネジムはすでに制覇しているらしい。 残りはトウカジム。 最後のジムで、父親とバトルするのだ。最後のバッジを賭けて。 ホウエンリーグへの最後の関門として、相応しい。 最初からそうしようと思っていたのだから、意気込みは誰にも負けないほど強いのだろう。 そんなことを思いながら、アカツキが口を開いた。 「センリさんとは、ぼくも戦ったよ」 「……!? そういえば、アカツキはジムを回ってるんだよね。 『黒いリザードン』をゲットできるだけの実力が欲しいから……」 「うん……でも、今はもうひとつあるんだ」 「もうひとつ?」 「ぼくもホウエンリーグに出るんだ」 「そうなんだ……って、えええええええっ!?」 軽く頷きかけ――はたと気づいて素っ頓狂な声を上げる。 楽しく遊んでいた三体のポケモンたちが思わず振り向くが、別に何でもないと分かると、すぐに興味を失った。 「アカツキもホウエンリーグ出るの!?」 「そうだけど……」 なぜか驚いているハルカ。 一体何があったのやら…… 「おいおい、こいつだってトレーナーだぜ。 ホウエンリーグに出るっていったって、別におかしくもねえだろ」 「まあ、そうだけど……でも、『黒いリザードン』はいいの? 両立は難しいと思うんだけど」 「その時はその時だよ」 アカツキはにこりと笑った。 そんなこと、他人から言われなくても知っている。 時間との戦いであるということも。 多く見積もって、ホウエンリーグが始まる一ヶ月ほど前までに『黒いリザードン』をゲットできなければ…… その時はホウエンリーグに全精力を傾けよう。 リーグが終わったら、その時改めて探しに行けばいい。 「ぼくに兄ちゃんがいるってのは知ってるでしょ?」 「うん」 「兄ちゃんに言われてさ……兄ちゃん、ホウエンリーグでぼくと戦いたいって。 だから……ぼくも同じこと考えてたから、出ることにしたんだ」 「そうなんだ……」 ハルカは合点が行ったように、笑みを浮かべながら頷いた。 そういえば、彼に兄がいると耳に挟んだ覚えがある。 いつのことかは忘れたが、確かに聞いた覚えだけはある。 ホウエンリーグでの兄弟対決。 実現すれば、それくらい興味深いことはないだろう。 だが、今気になるのは…… 「ねえアカツキ。お父さんは強かった?」 「うん。とても強かった。もう少しで本当に負けちゃうところだったよ。 まあ、どこのジムでも同じような感じだったけどね」 アカツキの言葉は嘘ではなかった。 今まで訪れたジムはすべて首の皮一枚の勝利だったのだ。 負ける寸前のところで何とか盛り返して勝利を収めてきた。 だから、その分勝利の重みというのをひしひしと感じられる。 「ぼくは六つ集めたんだ。あとはトクサネジムとルネジムなんだ」 「そう……だからここに来たのね」 「うん。ハルカはどうしてここに? カイナシティの方が近いんじゃないの?」 「いろいろな道路を通って、ポケモンをたくさんゲットして……そうしてからじゃないと、お父さんに勝てないような気がして。 だから、ここからトウカシティまで頑張って歩いていこうと思っているの」 「いいことだと思うぜ、オレとしては」 ユウキは笑みを浮かべた。 変に取り繕った理由より、立派なものだ。 空を飛べるポケモンを持っていれば、ホウエン地方など三日もあれば一周できる。 それをせず自分の足で歩いていくというのは、意外と大切なこと。 ポケモンたちと触れ合って、一緒の時間を過ごして……そうして結ばれた絆はバトルで驚異的な力を発揮するのだ。 「ユウキはどうなの? 確か、おばさんやおじさんのような立派な研究者になるのが夢なんでしょ?」 「まあな。そのためには……おまえらと同じ理由で、歩き回ってるんだ。 目指すものは違ってるけど、やってることは同じだよな。 一歩一歩、地道に歩いてる」 「うん」 アカツキは空を見上げた。 白い雲のない青空は、心が吸い込まれてしまうほど美しかった。 今なら、空だって飛んでしまえそうな……そんな気までした。 「アカツキ」 「なに?」 「ホウエンリーグで会ったら……その時は全力で戦おうね。 あたしも強くなっておくから、キミも……ね?」 「もちろんだよ」 笑みを深め、視線をハルカに向ける。 彼女も同じように笑みを向けてきた。 「ぼくは兄ちゃんに勝ちたいって思ってるんだ。 簡単なことじゃないけど、やる前からあきらめたりはしない。だから、ハルカにも勝つよ」 「うん!!」 どちらともなく差し出された手を握り返す。 微笑ましい光景を横目で見つめながら、ユウキは思った。 「ホウエンリーグか…… あんまり興味はないけど、見に行くくらいならいいか。 こいつらがマジでバトルするところを見るって言うのも、研究材料になりそうだし。 それに、何よりも楽しそうだからな」 当然のことながら、ユウキがそんなことを思っていることなど、がっちり握手を交わしているふたりには知る由もなかった。 その晩、三人はポケモンセンターに泊まることになった。 アカツキは一泊していくつもりだったし、ユウキもミナモシティにはいろいろなものがあるということで、しばらく滞在するつもりらしい。 ハルカはすぐにでもトウカシティへ向かって旅立つ予定だったのだが、急遽変更。 せっかく会えたということで、アーミットやフィールの療養も兼ねて、一泊していくことになったのだ。 夕飯ではさらに話に花が咲いて、面白いネタまで飛び出したが、本気で大爆笑だった。 今まで見てきたもの、感じたもの、ゲットしたポケモン、出会い、別れ…… それらを包み隠さずさらけ出したことで、さらなる発見もあった。 楽しい時はあっという間に過ぎ去り、アカツキは自室へと戻った。 ユウキは先に風呂に行っている。 ベッドに腰掛けながら、手に握りしめたモンスターボールをじっと見つめる。 ライトもつけず、ただ月明かりだけが差し込むような部屋の中で、モンスターボールは青白く輝いているように見えた。 「ワカシャモ、出てきて」 悪い気はしながらも、遊び疲れているワカシャモをモンスターボールから出した。 飛び出した先は、同じベッドの上。 アカツキと同じように、脚をベッドの外に投げ出して座るワカシャモ。 「昼間は楽しかった?」 「シャモっ!!」 昼間の感想を訊くと、ワカシャモは元気に頷いた。 ユウキのジュカインと、ハルカのアーミット。三人揃って元気に遊んでいた。 訊くだけ無駄な質問だったかもしれないと思う。 あの笑顔に、嘘や偽りが入り込む余地などあるはずもないではないか。 それなのに…… 「それなのに、どうしてワカシャモの顔がこんなに悲しく見えるんだろう……?」 ワカシャモはどこか翳りのある笑みを浮かべていた。 掛け値なしに楽しかった昼間。 でも、そこに何かしらの感情があるのだろう。 「ねえ、ワカシャモ。 やっぱり、さっきのバトルのこと、忘れられないの?」 「シャモ」 ワカシャモは首を横に振った。 昼間と同じように、バトルのことは引きずっていないという答えを返してきた。 竹を割ったような性格らしい、バトルの最中だったから、それで済ませてしまっている。 それはそれでいいと思う。 ワカシャモにはワカシャモの考えがあるから、そこに土足で踏み込んでいいというわけではないのだ。 ただ…… 「もしかして……」 アカツキはとある想像をめぐらせた。 確かめたくて、口に出した。 「もしかして、寂しいの?」 ワカシャモはその言葉に俯いてしまった。 否定しないけど、肯定もしない。 だが、アカツキには分かった。沈黙は時にイエスと同等の意味を持つ。 「シャモ……」 先ほどの元気のよさが嘘のように、萎んだ風船のような声を出すワカシャモ。 普段の威勢は、どこか遠い場所へ置き去りにしてきたようだ。 「ワカシャモ……」 なんとなく分かった。 ワカシャモは寂しがっている。 ……何を? 答えはひとつしかなかった。 ユウキのジュカインと、ハルカのアーミット。そしてアカツキのワカシャモ。 同じ場所で同じ時間を過ごしてきた親友同士だからこそ、寂しさを感じたのだ。 同じものを見て、一緒に遊んできたからこそ……募る寂しさ。 「アーミットも、ジュカインも……進化しちゃったから……そうなんでしょ?」 何も返さないワカシャモ。 オダマキ博士の研究所にいた頃は、三人とも進化前だった。 アチャモ、キモリ、ミズゴロウ。 それが別々のトレーナーと共に旅をして、いざこの街で再会したら、姿形が違ってしまっていた。 そこに恐らく違和感を覚えたのだろう。 特に多感なワカシャモにとっては、少しの変化でも大きく捉えてしまう。 「でも、こればかりはぼくでもどうしようもない……」 言われるまでもなく分かっていることだ。 ポケモンの進化については、トレーナーが関知できるところではない。 およそそのポケモン次第なので、進化の石を与えるケースを除けば、タイミングを計って進化することはできないのだ。 進化したいのならすればいいじゃないか。 そんなことをいくら言ったって、実現しない可能性の方が圧倒的に高いのだ。 もちろん、俯いているワカシャモも。 バシャーモに進化できるだけの実力はあるのかもしれない。 しかし、進化というのは実力だけではない。コンディションも要素の中には含まれている。 要するに言葉にできるほど簡単な条件ばかりではないということである。 だから、ワカシャモはこうも落ち込んでいるのだ。 「進化させるなんて、ぼくが決められることじゃないんだ。 でも、ワカシャモを元気付けることならできる」 いま自分にできることは何か。 アカツキは必死でそれを探った。 ただ事ではないと思わせるような落ち込みようを見せつけられた。 いつものワカシャモとは天と地ほどの差はあろう。 「だから……」 ワカシャモを励ましてやれるのは自分しかいない。 すでに進化を果たしているジュカインやアーミットは論外だ。説得力に欠ける。 だから、自分しかいない。 「ねえ、ワカシャモ」 優しく声をかけ、頭上の、三つ又の形をしたトサカを撫でる。 その手の暖かさに、ワカシャモは不安げな表情でアカツキの顔を見上げてきた。 自分ではどうしようもないことに対して、救いを求めるような瞳を向けてくる。 「進化……したい?」 「シャモ……?」 ワカシャモは投げかけられた言葉を頭の中で反芻した。 進化したいかどうか。 「シャモ……」 だが、ワカシャモの答えは意外なものだった。 首を横に振ったのを見て、アカツキは驚きを隠しきれなかった。 「したくない……?」 「シャモ」 確かめるように問いかけると、ワカシャモは躊躇いながらも、今度は首を縦に振った。 何を思っているのか。 アカツキにはワカシャモの気持ちまでは気付けなかった。 それでも、なんとなく分かる。 したいけど、したくない。 矛盾した不思議な気持ち。 「変わりたくないんだね、キミはキミのままでいたいんだよね」 「シャモ」 やっと分かった。ワカシャモは、進化をしたくないのだ。 強くなるためだけに、姿形を変えてまで進化をしたいのか。 ワカシャモにとって答えは否だったのである。 ポケモンにも思考というものはあるから、考えは人間と同じように千差万別。 進化を望むポケモンもいれば、望まないポケモンもいる。 一緒に遊んできた友達が進化を果たし――しかし、ワカシャモだけはまだバシャーモに進化できていない。 だから、取り残されたように思えたのかもしれない。 自分だけ小さくて、実力も劣っていて…… 楽しい中にも疎外感を抱えてしまっていた。 友達だから負けたくない。 肩を並べるくらい成長したい。 でも、進化だけはまだしたくない。 自分が『変わってしまうこと』に耐えられない。 そんなに細かいところまでは分からなかったが、なんとなく……ワカシャモの気持ちは分かった。 自分と同じで負けず嫌いで……だからこそ感じる孤独。 「ぼくは……正直に言うよ。できれば進化して欲しいって思ってる」 ワカシャモはアカツキの言葉に黙って耳を傾けた。 「でも、進化したくないのなら、無理にしなくてもいいよ。 キミはキミなんだから、無理なんてしなくていい。 今のままでも十分に強いんだから……ね」 「シャモーっ!!」 ワカシャモはアカツキの胸に飛び込むと、大声で泣いた。 間近で大声を上げられても、アカツキは驚いたり、嫌な顔を見せたりはしなかった。 黙って、ワカシャモの背中を撫でた。 これで少しは慰めになればいいけど…… 今できるのは、優しく包み込んでやることだけだった。 「キミはキミのままでいていいんだよ……だから、明日からまた頑張ろうね」 ユウキが戻ってきても、ワカシャモは泣くのをやめなかった。 元気いっぱいの格闘ポケモンが泣くなど、尋常ではない。 彼が驚いていたのは言うまでもないことだったが、込み入った事情があるのだろう、何も言わなかった。 第73話へと続く……