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  [No.2515] 【ポケライフ】少女イクノと観察日記 投稿者:夏夜   投稿日:2012/07/13(Fri) 00:01:57   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]


 ※ この作品には【何してもいいのよ】というタグが付きます。




   1 オープニング

「火は草に強いです。水は火に強いです。草は水に強いです……」

 ホウエン地方、カイナシティ。
 サイクリングロード近くの道路とも、水道とも繋がった、大きな港町。屋外での商業も盛んなこの街は、晴天という天候の為か今日も忙しない。
 灰色の石で舗装された広い町の道を、木の実の入った大きな籠を抱えた商人や、買い物かごを小脇に抱えた主婦、虫取り網を持って、虫かごの中にケムッソやカラサリスを入れた少年たちが忙しなく移動している。上空には、ホウエンの港町特有の水鳥ポケモン、キャモメやペリッパーなどの群れが海の方へ飛び立ったり、旗の上で羽を休めていたりする。
 そんな喧騒の中で、小さな声で、ポケモンのタイプ相性について書かれた本の冒頭文を小さな声で反復しながら1人の少女が歩いていた。
 齢は10歳前後であろうか。小柄な体は、健康的に日に焼けて、鼻の上に散らばったそばかすが可愛らしい。黒いキャミソールの上から丈の短い薄手でノースリーブの水色のワンピースを着ている。桃色の小さな爪がついた足は、向日葵の花がついたビーチサンダルを履いていた。
 手に提げた鞄にはノートや筆記用具などの勉強道具一式が入っており、両手で分厚い本を開き、歩きながら小さな声で音読していた。
 呪文のように唱えながら、自宅のある住宅街の方へ帰っていく。
 カイナの住宅街は、港町だからか、緑が少し少ない。灰色の石で塗装された道と、薄い色が基調のレンガできた家々が続いている。
 しかし、まったくないとも言えない。
 住宅街の中でも、陸地に近いほう、ちょっとした林にも繋がる、そこには子供たちやトレーナー、ポケモン達に向けて作られた、大きな公園がある。
 少女は家には帰らずに、その公園へ入った。

「あっ、イクノ」
 公園にいた少年が少女の姿を見て声をあげた。
 短パンを穿いて、ポチエナを連れたイクノと同い年くらいの少年だ。
「トシヤ」
 イクノは下がってきた眼鏡を片手で上げながら、少年の名前を呼ぶ。
「もう塾は終わったのか?」
「うん」
 トシヤの言葉にイクノは頷く。
 イクノは毎日、昼から夕方にかけて、塾に通う。そこでトレーナーとはなんたるか、ポケモンとはどういう存在なのかを、机の上で学び、授業が終わると、この公園へやってきて、『学びの木』と呼ばれている木の下で、公園の広場でバトルに勤しむトシヤ達、近所の子供たちを眺めるのが、日課だった。
「今日は誰と誰がバトルをするの?」
「いや、今日はな……」
 トシヤは言葉を濁らせた。
「どうしたの?」
 イクノが訊くと、トシヤは『学びの木』の方を見やって、
「変な奴がいるんだ」
 そう言って、「皆はもう帰っちまった」と面白くなさそうに口を尖らせる。
「変な人? 不審者?」
「いや、そういうんじゃなくてさ」
「?」
「見たことのないポケモンつれた、変な格好の男だよ」
「……ふーん」
 イクノはしどろもどろに答える、トシヤを眺めながら、「皆人見知りして帰っちゃったのか」とつぶやくように言う。
「俺は違うからな!! 断じて人見知りなんかしてないからな!! な? ポチエナ」
 トシヤは顔を赤くしてそう言い、傍らにいるポチエナに同意を求めるが、ポチエナは主人の言葉に困ったような、微妙な表情をした。
「ポッチーが困ってるじゃないの」
「困ってねえよ! ……って誰がポッチーだ!! 人のポケモンに勝手にあだ名つけんな!!」
「……まあいいや」
 イクノは持っていた本を鞄にしまうと、トシヤの脇をすり抜けて、『学びの木』に向かってゆく。
「イクノ!」
「僕は人見知りじゃないし、見たことのないポケモンなら是非見てみたいね」
 「じゃあね、ポッチー」とイクノが手を振ると、ポチエナが答えるように小さく吠えた。
 早足で『学びの木』へ向かう。トシヤが何かを叫んでいるが、イクノはいつものように無視をした。
 聞いた事のない鳴き声がした。
「!?」
 そこにいる誰かの存在を認知するとともに、イクノはその誰かがだらりと伸ばしていた足につまづいて盛大に転んだ。
「きゃあ!」
 柄にもなく、可愛らしい悲鳴を上げてしまい、頬に血が集まっていくのを感じつつ、自分がスカートを穿いている事を思い出して、慌てて体を起こす。
 不機嫌そうに眉間に皺を寄せて、誰かが座っているはずのところへ、振り返った。
 ふわり、とキンモクセイの花の匂いがする。
 そこにいたのは、1人の男と、大勢のポケモン達だった。
 白いシャツの上から袴と羽織を着るという、社会の教科書なんかによく載っている、文明開化後の学生が着ているような服を着た、若い男だ。
 茶色い髪の毛を、襟足のみ長く伸ばしたその男は、八重歯の特徴的な口をポカンとまぬけにもあけて、よだれをたらして眠っていた。
 そのまわりに控えているのが、大勢のポケモン達。
 ホウエンにも生息している、キャモメや、ジグザグマ、それからユレイドル。キャモメは男の肩にとまって羽を休め、ジグザクマは驚いたような顔で、こちらを見つめ、ユレイドルは学びの木の横に生えて、男の顔に日差しが当たらないように、日陰を作っていた。他にも、後ろでは3匹のゴニョニョがなにやらこそこそと話しをしているし、男の懐にはロゼリアがいた。
 それから、両脇に控える、この地方にはいないはずの、見たことのないポケモン。
 白い顔と赤い目の、緑の服を着たような赤い髪飾りをつけた、優雅なポケモンと、褐色の肌に赤い目の、もこもこしたメリープのような毛を持つポケモン。
 イクノは『イッシュ地方のポケモン』という本を読んだことがあって、この2匹のポケモンが、ドレディアとエルフーンだという事を知っていた。無論、見るのは初めてだったが。
「あの……」
「んー?」
 イクノが話しかけると、男は眠たそうに目をこすった。
 薄く目を見開いて、イクノの姿を見やる。
「だれ?」
「貴方こそ誰?」
「ぼく? ぼくはツバキ、ツバキ ユエ。好きによんでよ」
 ユエは大きく欠伸を漏らした。
「そこ、私の席なの」
「ここ?」
 ユエは自分の座っているところを指さし、イクノは頷いた。
 ユエは寝ぼけているのか、口元のよだれを拭くのさえ忘れて、「えへへ〜、でも今はぼくの席だから〜」と、(おそらく)自分の齢の半分にも満たない少女に、あまりにも子供っぽい事をいう。
「いきなり、現れて……。貴方のせいで僕の予定が狂っちゃったじゃない」
「そんな事いわれてもなあ」
 ユエは困ったように首をかしげ、それから何かを思いついたように「そうだ」と言い、イクノに手招きした。
「暇なら君もここで一緒にお昼寝をすればいいんじゃないかな?」
「え?」
「……」
「………」
「………ぐう」
「寝てる……」
 話の途中で寝てしまった男を見て、イクノは蹴り飛ばしてやろうかとも思ったが、ドレディアが口元(?)に手を添えて、「しーっ」と言うかのようにイクノを諭す。
 見れば、またポケモンが増えており、灰色の毛並のふさふさの尻尾を持つポケモン(本ではチラーミイと書かれていた)が、その綺麗な尻尾で、ユエの口から垂れるよだれを拭いてやっていた。ドレディアが近くにあるオレンの木から、白い花をとってきて、ユエのこめかみに花飾りのようにそっとつける。
 オレンの花からは、甘い、いいにおいがした。
 鼻腔を麻痺させるような匂いに、頭がぼうっとしてくると、エルフーンが、イクノの服をひっぱった。
 イクノはエルフーンに促されるまま、ユエの隣にすわって、『学びの木』を見上げた。
 タネボーが枝にぶらさがって楽しそうに揺れている。
 コノハナが枝に挟まってしまったハネッコをどうにかはずしてやろうと、頭を悩ませている。1番太い枝の上には、ダーテングが腰を落ち着かせ、風に白いたてがみを揺らしながら、ふっと目を閉じている。
(そういえば、この木の下で、上を見ることなんてなかったなあ)
 目の前で繰り広げられるバトルや、本に書かれている事は、それはそれは魅力的だったけれども。
 イクノは今更ながらに、自分が目の前のものにか目を向けていなかったことを思った。
 ロゼリアがくさぶえを吹いている。
 ドレディアがおどる。あまいかおりをする。
 ユレイドルがゆれている。夕暮れ時の赤い木漏れ日がキラキラする。
 エルフーンが膝に乗ってきた。あったかい。
 イクノは自分の周りをとりまく環境が、あまりに心地よくて、目を瞑った。
 すとん、と意識が暗闇に落ちていった。




 ふ、と目を覚ますと、そこは見覚えのある、自室の天井だった。
 身をよじればそこは自分のベッドの上で、白いシーツの上にお気に入りのルリリドールが置いてある。どこをどう見ても『学びの木』の下などではない。枕元に置いた、ピカチュウのイラストがプリントされた、赤い目覚まし時計は朝の7時をさしている。
「……ゆめ」
 少しがっかりしたように、イクノは体を起こした。
 服を着替えて、朝ごはんを食べるために1階へ降りる。
「あら、イクノ」
「おはよう、おかあさん」
「はい、おはよう」
 白いエプロンを付けた母親が、ちょうど出来たらしい朝食をテーブルに並べていた。足元ではマッスグマが朝ごはんをおねだりしている。
 テーブルではいつも以上に仏頂面な父が、新聞を読みながら、毎朝ペリッパー便ジョウトより届く、モーモーミルクを飲んでおり、昨日も母に衣類と間違えられて洗濯されてしまったのか、洗濯ばさみを3つほどつけたカゲボウズが、父の頭上をふゆうしていた。
 テーブルの上には、目玉焼きと、モモンの実のジャムクリームが挟まれたサンドウィッチが4食分、並んでいる。
「……4食?」
 イクノは首を捻る。
「さあ早く。外にいる方を呼んできてくださいな」
「え?」
「……」
 母は顔をほころばせながら言い、父は母の言葉に眉間の皺を深くした。
 イクノは怪訝そうな顔をしながら、外に出る。
 ふわり、と嗅いだ事のあるキンモクセイの香りがした。

   2 観察対象

「なにしてるの?」
 朝早くから人の家の庭に寝転がった、ほとんど初対面の男に、イクノはそう投げかけた。
 男、ツバキ ユエは、「んー?」と庭の芝生に寝転びながら、眠たそうな声を出す。格好は昨日と同じ、ドレディアも傍らに控えてはいるが、昨日はそばにいたほかのポケモン達はそばにはいなかった。
 ユエは懐から細長いキセルを取り出してくわえる。
 すると家の影からバシャーモが音もなく現れ、ユエのキセルに火をつけるだけをして、またどこかへ去っていった。
 ぷかりぷかりと白い煙が輪になって浮かぶ。
 甘い煙の匂いに、イクノが顔をしかめるのをみて、ユエはいたずらっこのように微笑んだ。片手で煙をあげるキセルを持ち、反対の手で頬杖をついて、イクノの顔を見上げる。
「あの後君が眠っておきないからさ、町の人とかに聞いて、ここまで運んできたんだよ?」
「……」
 イクノはユエの言葉に顔をより険しくする。
 町の人間にきいたという事は、昨日自分がこの見知らぬ男と一緒にいたという事を知られてしまったということで、何かあらぬ誤解を招くかもしれないし、外で居眠りをしてしまう人間だと思われたかもしれない。
「最初、誘拐犯に間違えられて、大変だったよ」
「そう、それは残念だ」
「う〜ん……それはどっちの意味なのかな?」
 笑顔のままそう言うユエを一瞥して、イクノは自宅のドアを指差し、「お母さんが呼んで来いって」と小さな声で言う。
「わかったー」
 子供のような雰囲気でそう言って、立ち上がると、ドレディアにキセルを預けて、ポンポンと服に付いた芝生の草を払う。その後ろでドレディアがキセルの灰を片付けた。そしてドレディアにキセルを預けたまま、家の中へと入ってしまう。
「ちょ、ちょっと! あの子はいいの?」
「んー?」
 ドアを開けながら、ユエはゆっくり振り返る。
「そのこはぼくのポケモンじゃあないからね。人の家にお邪魔するときは外に待っててもらってるんだ」
「え?」
 イクノは振り返ってドレディアを見る。
 ドレディアは気分を害したような様子も泣く、甘い香りを漂わせながら、かわらずに左右に揺れていた。
「さっきのバシャーモも?」
「うん」
 ユエの言葉は率直でためらいがない。
「リリーラもエルフーンもロゼリアも?」
「うん」
 ユエの返事は変わらない。
(どういうことだろうか)
 イクノは首を捻る。ポケモンとかかわる人間はすべて、ブリーダーであれ、研究者であれ、医者であれ、コーディネーターであれ、皆、トレーナーから始まり、そのトレーナーはモンスターボールでポケモンをつかまれるところからはじまる。
 この男は、イクノが今まで見た、どんなトレーナー、どんな大人よりも、たくさんのポケモンと一緒にいる。その関係はきわめて良好で、ポケモン達の様子はとても彼の事を信頼しているようだった。
 しかし、それらは皆、彼のポケモンではないのだという。
 それは、どういうことなんだろうか。
 モンスターボールなどなくとも人とポケモンはつながれるという事を体現した、トレーナーの上を行く存在なのか。
 イクノはユエを訝しげに見る。
「どーかした?」
(……とてもそうは思えない)
 イクノはふにゃりと笑うユエに首を振って見せた。

「ユエさんは職業、何なされているんですか?」
「自由な職業ですよー。各地を渡り歩いてるんですー」
「あらー、素敵ですねー」
(ニートだろ)
 いつもならこれほどまでに騒がしくない食卓。
 今日は母に合わせて突如現れた客人もしゃべるから、1人分音が多い。
 父とイクノはいつもどおり、寡黙にも黙り込んで食をすすめ、イクノは呑気にゆったりゆったりと食事をしながら会話を弾ませている自分の母とユエの話を訊きながら、口の中でつぶやいた。
「ユエって昨日、ウチにとまったの?」
「んーん」
 イクノが訊けば、ユエはゆるゆると首を振る。
「ぼくはね、あんまり天井と壁のあるところ好きじゃないのよ」
「そうなの?」
「好きじゃないというか、落ち着かない」
「ふーん、どうして?」
「ん? えらく食い下がるね? まあ、いいけど。……う〜ん、いままでも、いまもなんだけど、あの子達と一緒にいるからね、野宿になれちゃったというか……だから昨日も外で寝たよ。ウィンディとバシャーモとヒノアラシとドレディアと一緒に、庭先をお借りしました」
「ふうん」
 イクノは頷く。
「ああ、そういえば」
 母がいきなり話題を変えた。
「塾の宿題、たしか自由研究があったわね。もうやったの?」
「……まだ」
 答えながら、イクノはうんざりする。
 母は話好きでマイペースだからか、話の内容のシフトチェンジが早い。しかも、唐突にはじまる。こんな話、客人の前でする話でもないだろうに。
「……じゆーけんきゅー?」
 きょとんとした顔で訊いてくる。
(やっぱり、気にするほどの人物でもない気がする)
「……塾の宿題。1週間使って、ポケモンやトレーナーに関する好きな議題について観察したり、調べたりするの」
「イクノはまだ議題が決まってないのか」
 今まで黙っていた父が口を開いた。
 厳格な父の視線がイクノを突き刺すように見る。
「……」
 イクノは、この父の目があまり好きではない。
 昔はイッシュやジョウトなどで活躍した、科学者だか技術者だった父は、自身の功績故か、ひどく厳格だ。
 バトルやコンテストよりも、研究に執心で、子供であるイクノにもそうであってほしいと思っている節がある。そこまでポケモンの研究が好きだというのに、そう年老いているわけでもないこの男が現役を退いた事に、違和感を感じると言えば、感じるが、本人に尋ねるわけにはいけない上に、母に尋ねれば、「家族一緒で嬉しいじゃない」とあまり参考にはならない返答が返ってくる。
 かといって、家族と過ごしていても楽しそうではない、仕事もせずに、家のカゲボウズを頭上で揺らしながら46時中本を読んでばかりいる父を尊敬する気にはなれない。
「ううん」
 イクノは父の言葉に首を振った。
「観察対象、今決めた」
 まっすぐ、目の前に座った、1人の男を見据えてそういった。
「ええ?」
 んぐっとユエがサンドウィッチを飲み込む。
 甘いクリームと、香ばしい小麦のパンが混ざり合って胃の中に吸い込まれていく。それをミルタンクのモーモーミルクで流してから言った。
「ぼくを観察してどうするの?」
「僕が観察したいから観察する、それだけさ」
 ユエの困惑したような言葉に、イクノはしれっとした様子で答える。
 その様子と、再び黙り込んだ彼女の父、「あらあら仲良しさんね」と朗らかに笑う彼女の母を見て、諦めたようにため息をついた。
「トレーナーであるどころか、ポケモンを1匹捕まえた事のないぼくを観察したって、なんの勉強にもならないと思うけど……まあ、いいよ。うん、それで? ぼくは何か君に教えた方がいいのかな? 生年月日とか、出身地とか」
「いや」
 イクノは首を振る。
「そんなうわべの情報には興味ないよ」
 言ってからイクノは「君は普通にしてくれればいい」と続けて、くすりと笑った。

   3 観察日記

 ○月×日晴れ。
 今日からツバキ ユエという男を観察する。
 別に、父の言葉に頷くのが嫌で、その場しのぎに彼の名前を出したわけではない。むしろ、トレーナーでもない、研究者でもない、1匹もポケモンを捕まえた事のない男が、あれだけのポケモンを従えているという事に興味を持つなという方が無理な話だ。
 今日も彼は朝から快調だ。
 僕の観察対象として、カイナシティでの滞在時間を少し延ばしてくれたり、なかなか話のわかる男だけれど、どうにも、この男に常識は通用しない。
 まず、基本的にこの男は動かない。
 いつも通りに過ごしてくれと言えば、いつもそんなに動いていないから、と外へ出て人の家の芝生の上にうつ伏せで横たわる。
 あとは動かない。
 じっと、じぃっと。
 光合成をしているラフレシアのように、キノウエのナマケモノのように、「ねをはる」を使ったユレイドルのように、太陽光の下で微動だにしない。
 2時間に1回、キセルを吸うのだが、そのキセルを吸う時でさえも、まずドレディアが彼の口元にキセルを持っていって咥えさせ、どこからともなくバシャーモが現れて指先で火をつけて去っていく。
 本当に、この男と彼はどういう関係なのだろうか。
「そのキセルって、何すってるの?」
「んー、体に悪いものよん」
 妙な口調でそう言って、ユエはぷかりぷかりと口から白い煙を吐く。
「体に悪いものをなんでわざわざ吸うの?」
「そりゃあ、体に悪いからよ」
 やはり、この男はよくわからない。

 ○月△日晴れ。
 今日は近所の公園にバトルを見に行った。
 ユエにバトルをしたことはあるかと聞けば、「うわべの情報には興味ないんでしょ?」と返され何もいえなくなってしまった。
 怒っている風でもなかったから、単に答えたくなかっただけだとは思うが、正直ぎくりとしてしまった。見かけどおり、この男は性格が悪い。
 しかし、そんな事も知らない、公園の無邪気な子供たちは、めずらしいポケモン、というか、めずらしくもたくさんのポケモンを引き連れたこの男が、僕と一緒に現れた事ですっかり警戒を解き、数分のうちに、ユエは子供達に囲まれてしまった。
 トシヤだけは何故だか微妙な表情をしており、ポッチーはその足元で困ったような顔をしていたのだが。
 少しユエの連れてきたポケモン達、もとい、ユエについてきたポケモン達と遊んだ後、いつも通りに、彼らはポケモンバトルを始めた。
 今回のバトルは、トシヤのポッチー(ポチエナ)対ユウトのジグザクマ。
 先攻はユウトで始まった。
 しかし、ユエは興味を示さない。
 僕とであったあの木陰で、くうくうと静かな寝息を立てている。その傍ではピジョットが羽を休めて丸くなっているし、膝の上にはロズレイドとキルリアが、ドレディアは彼の近くの花畑で、なにかを作っているようであった。
 トシヤとユウトのバトルがトシヤの勝利で終わる頃、ドレディアはそれを完成させ、そっとユエの髪の毛につける。
 それは、ユエの頭の半分ほどの大きさのあるブーケで、決して頭につけるような大きさじゃあなかったが、色とりどりの花が均整の取れた形にまとめられたそれを見て、ドレディアはとても満足そうだった。
 このドレディアは、本当にユエの事が好きらしい。
 僕がユエの方ばかり見ていると、何故だかトシヤは不機嫌そうな顔をして、ポッチーは困ったようにうろうろした。

 ○月☆日天気晴れ。
 今日もユエと愉快(?)な仲間達は、1日をごろごろして過ごした。
 朝芝生で見かけたユエとユレイドルが、夕方塾から帰ってきた私が見た時、まったく位置が変わっていなかったのだが、あれは、1日中そこで光合成していたと捕らえるべきなのだろうか。

 今日は、夜、彼らがどうやって過ごしているのかを知るために、一緒に寝ようと思う。
 両親の反対もあったが、自宅の庭での夜営ということで、ユエが妥協案をだすと、2人共納得した。
 まず、普通は凍えないように火を起こすらしいのだが、街中でやると、火消しの方々にとても怒られるらしいので、今回は火をつけないとの事。
 それでは大丈夫なのか。
 私が訪ねれば、「夏だし、今日はあったかいから問題ないよー」とゆるい返事がして、やはり家の影や木の上や、道の端の方から、ポケモン達が出てくる。
 今日はバシャーモと、ウィンディとヒノアラシ、そしてドレディア。
 ……冬だろうと火なんていらないんじゃないだろうか。
 ユエがたくさんポケモンをつれているといっても、やはり限りはあるようで、また、すごくなついていて、ほとんどずっと一緒にいる子と、逆に気が向いたら遊びにくるような子と、2つに別れていた。
 だからか、見知った顔の子と、そうでない子と、2極に別れる。
 ドレディアやバシャーモは、いつもユエのそばにいて、何かとユエの世話を焼くが、逆にヒノアラシやウィンディは話には聞いていたけれど、初めて見る顔だ。
 ユエはウィンディの毛皮に埋もれるようにして背中を預け、僕も同じように彼(彼女?)の毛皮を借りた。僕の隣にバシャーモが、ユエの隣にドレディアが来て、ヒノアラシはユエの膝の上に乗った。
 ぽかぽか、ぬくぬく。
 炎タイプが火を体に蓄えているために、他のポケモンよりも体温が高いのは知っているが、これは、すごい。
 あたたかさに瞼が落ちそうになる。
「イクノ、星が綺麗よ」
 呑気な声でユエが言う。
 頭上には星空、視力が悪いのに、寝る前だからと眼鏡を外してきた僕が、裸眼で空を見上げたからと言って、ユエに見えている通りの星空が見えるわけもないのだが、ユエの声につられて、僕は上を見る。
 うん、やはり、空はとおいな。光があるのも分からないくらいにぼやけている。
「あれは何ていう星かな。ぼくは勉強もできないからわからないや」
 眠い、すぐにでも意識を手放してしまいそうだ。
「イクノちゃんはわかる?」
 そうだ、1つユエに訊いておかなければならない事がある。
 何故僕がこんな事を気にするのか、そんな事を説明する気にはなれないが、気になってしまったものを、訊かずにいられるほど、僕はつつましくはない。
「イクノちゃん?」
 「ねむい?」と首を傾げてくるユエに、「また、ユエは『うわべの情報には興味ないんじゃないの? 』って言うかもしれないけど……」とゆっくり告げる。
「どうしたの?」
 半分寝ぼけたような僕の声に、星座談義を諦めたユエが訊きかえす。
「あのね、ユエは昔は何をしてた?」
「……?」
「子供のころは、何をしてた?」
「子供……」
 ユエの目から笑みが消える。
 怒っている風ではなく、ただ、虚を突かれたように目を見開いて、それから少し泣きそうな顔で「子供の頃か」と、考え込んだ。
 ユエの奥で、ドレディアが少しおろおろと体をゆらしている。
「ユエ?」
「んん?」
「大丈夫?」
「んー」
 寝ぼけた僕の言葉に、ユエはいつも通りの腑抜けた顔に戻る。
「子供の頃かあ、あんまり覚えてないけど、1日中お日様の下にいたよ。ドレディアもバシャーモもその頃からずっと傍にいてくれてねえ。キセルをふかして、木陰で寝て、他人の家でご飯食べて……」
「今と変わらないじゃない」
「そうだねえ」
 ユエはケタケタと笑う。
「今も昔も、僕はポケモンがすきだったよ」
 そう言ってユエは「人はそう簡単には変われないものなんだよう」と、口を尖らせていい、それから優雅に微笑んで見せた。
 キンモクセイの香りがふわんと浮かぶ。
 僕は更にウィンディのおなかに沈み、「ユエはそれでもいいと思うよ」と小さくつぶやけば、ユエはその表情をまた少し寂しそうなものにゆがめる。
「じゃあ、ぼくはまた流れるだけだね」
 そう言って、ドレディアを抱きよせて、眠り始めるユエに、ぼくは何も言い返すことは出来なかった。
 瞼の重くなっていくまま、静かに眠りに落ちた。

 ○月□日曇り。
「そういえば、ユエって僕に会うまでは何処にいたの?」
「んー?」
 僕の家の庭の芝生。いつもどおりユエはキセルを咥えて寝転んでいる。
 最近ではもはや名物にもなりつつある、この一風変わった男の存在は、子供達の間では大人気だ。いや、正確にはユエが人気なのではなく、ユエに着いてくるポケモンが人気なのだが。
「初めて会った公園があるでしょ? あそこの奥にある林の中にテントを張ってたのよ」
「それ、大丈夫なの?」
 『うわべの情報には興味ないんじゃなかったの?』とは言わなかったユエの、(おそらく)張りっぱなしになっているであろうテントと、(おそらく)そのままになっているであろう彼の荷物の行方を案じて言えば、
「あの子達がいてくれるから大丈夫よーう」
 と笑いながら言う。
 なるほど、この場にいないポケモンの大半はそちらで荷物番をしているわけか。
 そちらも少し、気になるが、僕が聞きたかったのはそういうことじゃない。
「この町に来る前は?」
「色々」
「いろいろ?」
「そう、色々」
 またしても『うわべの情報には興味ないんじゃなかったの?』とは言わなかった。しかし、答えた内容は、ひどく抽象的で、具体性がない。
「色々なのよ」
 もう1度ユエは言ってキセルを咥えた。
 すかさずバシャーモが火をつける。
 ぷかりと、いつもどおり白い輪が空に浮かんだ。

 ○月※日晴れ。
 今日はユエと買い物に出かける。
 どうして僕が、塾のない貴重な休日に、ユエと買い物に行くのか、どうして1日中光合成(?)をしているような男が、最近知り合った少女と買い物へ出かけるのか、それにはシロガネ山よりも高く、海底トンネルよりも深い理由があるのだが、ここでは語らない事とする。
 断じてユエとドレディアとバシャーモとバレーボールをして遊んでいたら、大人気なく本気になった2匹が本気でバトルをはじめたために、母の大切にしていた花瓶を割ってしまったからというわけでは、決してない。
 今現在、僕とユエはカイナシティの浜辺付近で行われるフリーマーケットに向かっているわけだけれども、断じて、そういうわけではない。

 カイナの浜辺は、人で賑わっていた。
 大道芸人、商人から、他の町のトレーナーまで多くの人が、行き交い、物の売り買いをしている。
「ふぇりーまーけっと……はじめてみた」
「フリーマーケットね。フェリー専門って、参加人種特殊すぎるよ」
 僕とユエの後ろからは、ドレディアがひょこひょことつま先でステップを踏むようにして歩いて付いてくる。
 行く人来る人、ホウエンにはいない彼女の容貌と、ユエの特徴的な外見に、振り向かないものはいない。それだけではなく、(子供達の間では)すっかり有名人のユエは、子供と遭遇するたびに、飛びつかれたり、肩車を要求されたり、他のポケモンの行方を聞かれたりしている。
 足を止められるので、僕としてはあまり面白くない。
 右の通路では鉢に植えられた花が売られており、その横に陶器を並べている店があった。花屋にはキレイハナがいて、(オスなのか)ドレディアを見てもじもじしていた。ドレディアは花屋の店頭に並べられた、多種多様の花々に夢中で、ユエはドレディアに「ほしいのー?」と訊ねている。
 僕はというと、ベレー帽を被ったおじいさんと、2匹のドーブルが店番をしている、陶器の並べられたブースの前で、母に頼まれた花瓶の形状と近しいものを探していた。
 よく見ると、この陶器の模様はドーブル達が描いたものらしく、ブースの奥には、まだ模様の描かれていない白い陶器がいくつも置かれていた。
「好きな柄、かいてあげるよ」
 ベレー帽を被ったおじいさんがゆったりとした口調で言う。
「じゃあ、赤い花の描かれた大きめの花瓶……」
 家にあった花瓶を思い出しながら、僕は老人に注文し、母から預かったお金で足りるかどうか確認した後、各陶器の値段と、自分のおこづかいの残金を確かめてから、続けて言う。
「ドレディアと……」
「どれでぃあ?」
 老人が復唱した。
「ああ、ええと、隣の男の近くにいる、あの、そう、そのポケモンです」
 ドレディアはユエに白い花のブーケを買ってもらっていた。これも、前彼女が作っていたのと同じような、ユエの顔の半分を覆ってしまうほどの、大きなブーケ。
 買ってもらったばかりのブーケをユエの襟足に結ばれた髪の毛の上につけようとしている。彼女は好きなものを好きな人につけていてほしいのかもしれない。
「それから、白い花の、ブーケ」
 ポツリと言ってから、ハッとなる。
「い、今のはなし! 赤い花の大きな花瓶と、適当に2つ、小さい花瓶をお願いします」
「あいよ」
 老人と、ドーブルが手をあげて答える。
 僕は隣でその辺のおばちゃんやおじちゃんがにこやかに見守る中、ドレディアときゃっきゃうふふしているユエを引っぱって、海岸に出る。
 海岸にはトシヤとポチエナがいた。
「あ」
「おや、ポッチー」
「……」
「こんにちはー」
 トシヤは僕らをみつけると、声を上げたが、僕がポチエナの名前しか呼ばないと、少し不機嫌そうに口を尖らせる。しかし、ユエはそんな事には気がつかずに朗らかな挨拶をするし、ドレディアもそれにあわせてお辞儀をする。
 浜に近い場所で、ホエルオーが潮を吹いた。
「おっ」
 ユエはものめずらしいのか、それとも知っているポケモンなのか、そのホエルオーへと近づいていく。
「お前、あの人とどういう関係なの?」
「む?」
「親戚?」
「いや」
 僕は首を振る。
「観察者と観察対象」
「どんな関係だよ!?」
「……だった」
「だった?」
 トシヤが首をかしげた。
「今は……少し違う気がする」
「……ふうん」
 海風がするりと足元を抜けていった。

 ×月○日曇り。
 別れは唐突に来るものだと思う。
 この観察日誌は、まだ6日目なのだが、この観察日誌は完成の日の目をみることはないかもしれない。
 ユエがいなくなった。
 ユエどころか、彼がこの町にいる間は、町に溢れるようにしていたポケモン達もいない。
 ポケモン密度の減少した町は、いつもどおりながら、すこし物足りなくて寂しい。
 僕は庭先から、屋根の上、公園、『学びの木』、その奥にある林、彼の行きそうなところのすべてを探し回った。
 どこにもいない。
 彼がいなくなったからといって、具体的に何が変わるというわけでもなかった。研究日誌だって、提出までにはだいぶ日がある。また別の議題をみつけて、書き直せばいい。
 けれど、僕はそれがいやだった。
 ユエじゃなきゃいやだった。
 いや、少し違うような気がする。課題とか、研究日誌とかじゃあなくて、ユエがこの町からいなくなるのが嫌だった。彼のつれているポケモン達が、ユエと一緒にこの町から消えてしまう事を寂しいと思った。
「イクノ」
「トシヤ」
 久方ぶりに、幼なじみの名前を呼ぶ。
「どうした?」
「ユエを、しらない?」
「……しってる」
 少し迷ってからトシヤは答えた。
「どこ?」
「埠頭、灯台の前にいたけど」
「わかった」
 僕はお礼を言うのも忘れて、埠頭へといそいだ。
 無我夢中で走ると、結構あっという間の距離で、すぐに、あの男の姿を確認することが出来た。
 文明開化後の学生のような格好。襟足だけを伸ばして縛った、変わった髪形に、昨日買った大きなブーケをつけて、薄く微笑んだ口に咥えた細いキセル。隣には優雅なドレディア、反対隣に1人の男、後ろに大群を為すかのような、ポケモン達を従えて、その男は立っていた。
 手に持ったのはモンスターボール、ドレディア以外のポケモン達を、海に浮かぶホエルオーを残してすべてボールにしまい、傍らの、7:3分けの男にそれらを渡す。
「ユエ!」
 びくり、と、ユエの肩が上下する。
「イクノちゃん」
「うそつき」
 僕は叫んだ。
「トレーナーじゃないって言った」
「うん」
「『僕のポケモンじゃない』って言った」
「…うん」
「1週間、一緒にいるって言ったっ」
「……うん」
 僕は泣きながら叫んだ。
 傍らにいた男と、ドレディアが困ったようにこちらを見ているが、知った事か。
 連れて行くな、連れて行くな。
 心の中で復唱する。
 ユエも
 ドレディアも
 バシャーモも
 みんなみんな
 連れて行くな、連れて行くな。
 どこにも行くな、どこにも行くな。
 ふわり、とキンモクセイの香りがした。
「ごめんよう」
 ユエが言う。
「向こうで話をつけたら、絶対に戻ってくるよ。なあに、大丈夫。寄り道なんてしないから」
 ふにゃりとユエは笑う。
「ぼく、あそこ以外にいれるところ、此処しかないんだあ」
 そう言って、ユエは先にホエルオーに乗った男に促されて、ホエルオーの背中に乗り込んだ。
 ドレディアがユエの頭についていたブーケを半分にわけて、僕の頭につけた。
「花瓶、ありがとう」
「……うん」
「……さよなら、ぼくの友達」
 ユエの笑みが、少し悲しそうなものになる。
 僕は埠頭の先まで走っていって、叫んだ。
「またねぇっ」



 後で訊いた話だが、ユエはイッシュ地方では有名な俳優らしい。それも、2歳の頃から多種多様な役を務める、超技量派俳優。どうやら、俳優のやめるやめないで、もめて、ろくな書置きも連絡もせずに、故郷イッシュを飛び出してきてしまったらしい。今思えば、あの妙な格好は舞台衣装か何かで、ドレディア達は、舞台で共演していたポケモン達だったのかもしれない。だとしたら、あの男は、ユエを迎えに来たマネージャーか何かだろう。
 机の上には、あの日買った花瓶が置いてある。
 いけるのは、もらった白いブーケ。
 そこに描かれている、2つの見知った影に、僕はきっと、毎日なつかしさと寂しさの入り混じった複雑な思いをはせる。
 それは少しつらいことかもしれないけれど、僕はかまわずにその小さな表面に描かれた絵をみつめる。
 生き物を写しと多様に描かれたようなそれからは、なつかしいあの香りがただよってくるような気がするのだ。



   4 エンディング

 『学びの木』の下。
 1組の男女が、その幹の元に腰掛けていた。
 少女の方は、黒いキャミソールの上から、丈の長い水色のワンピースを着て、肩にはアゲハントが止まっていた。肩のあたりまで髪を伸ばし、こめかみのあたりに白い花のコサージュをつけている。歳は14歳ほど。
 男のほうは、文明開化後の学生のような、時代にそぐわない上に、季節にもそぐわない格好をして、片手には細長いキセルを持ち、襟足だけ伸ばした髪の毛を結ぶ髪留めには、白いオレンの花が刺さっており、傍らではドレディアがせっせと花冠をつくっていた。
 少女の手には「観察日記」と題にふられた、古びた1冊の大学ノート。
 少女は黒いペンを持ち、最後のページに書き込んだ。






 ○月×日本日快晴。







 -END-