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  [No.2997] 虚像の果て 投稿者:逆行   投稿日:2013/07/23(Tue) 22:55:03   77clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 寝ようとして布団に潜る。それから意識が消滅するまで、人により長短の差はあれど、必ず空白の光陰が存在するだろう。その時間は特に何もする事が無く、酷く退屈で煩わしい物である筈だ。かと言って起きて読書でもすれば、目が冴えてしまって眠れなくなる。中々難しいところである。
 しかしながらこの少年は、その時間を欠片も持て余す事は無かった。彼はポケモンの事をずっと考えて、空白の光陰を埋め尽くしていた。特に良く妄想の中で、ポケモン同士を戦わせていた。所謂ポケモンバトルをさせていた。そうする事は彼にとって、大層楽しい物であったと言う。
 ある時はポケモンが、途轍も無く強い力を持っていると妄想した。戦闘は恐ろしい程迫力満載で、技同士の衝突で爆発が起こり、周囲に向かって衝撃破が走り渡り、地面にひびが割れ天井に穴が開く。強力な攻撃を真面に受けたポケモンは、凄まじい勢いで建物の壁を突き破り、そのまま場外まで吹き飛ばされ、植えてある数本の木を圧し折って、そこで漸く勢いが止まる。バトルは極めて大規模な物である。時にはそれは災害をも引き起こす。このように考えた。そして、戦闘が終わった後の建物の修理代はどうやって払うのか、と言ういらぬ心配をした。
 ある時はポケモンが、然程力を持って無いと妄想した。ポケモンは所詮生き物である。生き物の力の大きさは自然の器の大きさに従うであろう。冷静に考えて、そんなに凄いものである筈が無い。ましてや威力四十以下の技なんて、じゃれ合いに近い物である。このように考えた。しかしこの考えに矛盾あり。何故戦えなくなったポケモンを”瀕死”と呼ぶのであろうか。じゃれ合いで瀕死になれる訳が無かろう。彼はこの矛盾に対し、瀕死というのは少ない字数で表せる便利な言葉だから用いているのであって、本当の意味で瀕死という訳では決して無いと反論した。反論する事で胸の中で妙にこびり付いた引っ掛かりが無くなり、スッキリしたつもりになれるそうだ。
 このように彼の中でのポケモンの強さは、両極端に揺れに揺れた。何しろポケモンを見た事が無いのだから、仕方が無いと言えるだろう。彼が住んでいる×××××地方には、ポケモンが一匹も生息しておらず、トレーナーも一人もいない。そんな地方が本当にあるのかと、疑問を抱く人もいるかもしれないが、取り敢えずある物だと信じて欲しい。そう言う訳で彼はポケモンを図鑑でしか見た事が無かった。薄っぺらい紙でできたポケモン達とその横に記された長ったらしい記述は、彼の妄想を揺るぎ無い物にするための材料には成り得なかった。



 やがて少年は十才まで成長し、独りで関東地方まで行く事を決意した。ポケモンをこの目に焼き付けたいという強い意志が、まだ目の位置も対して上がっておらず、声変わりすらしていないという若さで旅立つ勇気の原動力となった。両親は最初嫌な顔をし、彼に対して矢鱈と冷たくなったが、そろそろ自立させたいという思いがあったのか、後ろ向きながらも初めて許可を下した。母親が、お前は何時まで経っても子供だねえ、と嫌らしく呟いた。母はポケモンを育てたり戦わせたりする事を、幼稚過ぎるといって批判していた。本人らが楽しいだけだ。そんな事をしている暇があったら、もっと人類の発展と生活に役に立つ事をやれ屑ども。そうやって彼女は自分が見ている世界意外を、鬼気迫る程辛辣に批判していた。
 彼は船に乗り電車に乗り、一度駅を間違えながらも、何とか関東地方のとある町に辿り着いた。少年は暫くの間目を見開き、茫然と立ち竦んでいた。その公園にはポケモンと人が共存している光景があった。小さい子がコラッタと追い駆けっこをして遊び、若い女性がナゾノクサとケーシィに餌を与えていた。これが夢では無いと今一度理解し、彼は思わず目を輝かせた。しかしながらこの町には、所謂陰の部分もしっかりと存在していた。公園の端の方に放置された生ゴミを、オニスズメが懸命に突いていたのだ。しかし彼はそれに対し、全く見向きもしなかった。彼は見ている世界には、そんな物は存在していない。

 観念。
 価値観。
 偏見。
 虚像の果てにある世界。
 彼の視界は限られていた。
 彼の思考は限定されていた。
 


 暫くの間町を歩き回り、町中ポケモンだらけである事に、心を更に躍らせた。草むらにはもっと沢山のポケモンがいるという事実を思い出し、最早彼の心は四方八方に飛び跳ねていた。最も、草むらには入れないが。ポケモンを所有しない者が忍び込むのは、一般的に”危険である”と言われている。
 そうして歩いていく内に、家の影になっている所に、一匹の小型生物を発見した。ピカチュウというポケモンであった。少年はこのポケモンが格別に人気である事を知っていた。彼が今まで見てきた図鑑の表紙を必ず飾り、テレビ番組等でも多く見られ、殆どアイドル的な扱いを受けている。
 ピカチュウは辺りをきょろきょろ見回しながら、何やら不安そうな表情を絶えずしている。トレーナーと逸れてしまったのだろうか。少年はピカチュウに近づいてみた。するとピカチュウは視線をこちらに向けて、にっこり笑って一声鳴いた。瞬間ひどく可愛く感じてしまい、誰の物とも知らないそのポケモンに思わず触れてしまった。一人ぼっちで不安だったのであろうピカチュウは、突如現れた謎の少年に対して良く懐いた。ピカチュウは何の抵抗もせず笑っていた。そんな黄色い鼠を眺めていると、彼はふとある事を思い付いた。思い付いてしまった。

 その思いは、

 傍から見れば異常で、
 傍から見れば愚かで、
 気が可笑しくなったと思われても仕方ない。 
 
 ――ピカチュウの電撃を、一度喰らってみたい。

 それは少年の中に深く根ずく、暴れ彷徨う好奇心から来た思いだ。ポケモンの攻撃の威力はどの程度なのか、自分の体で味わっておきたい、等とひどく馬鹿みたいな事を、割と本気で考え始めたのである。ピカチュウは両側の頬っぺたに、赤い電気袋を持っている。ここに触れれば痺れるだろうか、等と考えつつ、彼はそっと手を伸ばし始めた。しかし直ぐにはっと我に帰り、何をやっているのだろう、ポケモンの攻撃なんて喰らったら死ぬんじゃないか、と架空の事実を思い出した。いや、でも。分からない。いったいどっちだ?
 分からないなら危険を避けるのが普通だろうが、しかしながら少年はひどく悩んだ。彼の中の半熟した多量の好奇心は、荒れ狂う海を走る小船の如く、今にも転覆して中身が溢れそうで、それを押し止める理性と言う名の船員達が、必死に船を安定させようと足掻いている。荒れ狂う海は更なる激しさを増し、彼の思考がこの事だけに集中すると、空は瞬く間に漆黒の雲に埋め尽くされ、船員達の視界を容赦なく奪い去る。そして幾多の雷剣が轟音と共に地上に降り注ぎ、船員の生への渇望の声を惨く掻き消していく。ああ、彼の手が再度伸びていく。船が一気に傾く。最早これまでかと諦めかけた船員達に、突如として眩い光が差し込んだ。ピカチュウのトレーナーがやって来たのである。彼は直ぐに手を引っ込めた。嵐は突如として止み、波は収まり海は穏やかになった。やがて彼が完全に我に帰ると、雲が無くなり太陽の光が真っ直ぐ地上まで行き届いた。船員は自身らの命が助かった事を悟ると、一斉に喜び泣いて抱き合った。



 ピカチュウは少年の元をあっさりと離れ、自らの主人の肩へと飛び乗った。主人とようやく再開出来て、心底安心し心からの笑顔を見せた。トレーナーは彼に向かって、ピカチュウと遊んでくれていてありがとうと言った。彼は遊んであげていたつもりは無いが、まさか本当のことを言う訳にもいかず、仕方無いので適当にああ、はいと言った。
 どうしようか少し迷ったが、少年は直ぐに決断して、ピカチュウの技が見てみたいと言った。トレーナーは直ぐにいいよと言った。彼とトレーナーは少し歩いて、人がいない広い場所へと行った。それなりに大きい岩がそこにはあった。他には何も無い。土でできた地面が下にあるだけ。
 トレーナーはピカチュウに向かって技の指示を出す。ピカチュウは頷いた後、表情を真剣な色に染め上げ、そして二つの電袋から、黄色い幾多の電気の矢を放出した。
 それなりに眩しい光が少年の目を襲った。彼は目を瞑るのを必死に堪えていた。電気の矢は放出者の頬から次々と離れていく。それなりに煩くパチパチと音を鳴らした。それなりに速く、数本の電気の矢が岩まで到達した。

 その後、岩がどうなったかは、彼しか分からない。