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  [No.3190] 姉さんのぬいぐるみ(改稿) 投稿者:リング   投稿日:2013/12/17(Tue) 23:24:08   93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ハートフル】 【ジュペッタ

「さぁ、括目せよ! この者が悪魔である証明を、今ここで皆に知らしめようではないか!」
 魔女審問官、マシューの声が高らかに響く。石畳の広場の真ん中では、この街一番の美人と名高い女性、レオナがやり玉に挙げられている。彼女は、美しかった金髪の髪の毛を剃られて、ほんのりと赤みを帯びた白く美しい肌の整った顔立ちは、麻袋に包まれて隠されている。
 手首は後ろ手に縛られ、最低限の肌を隠す薄い布のみを着せられた彼女の姿はいかにも寒そうに震えている。真冬だというのに、あんな恰好をさせるのは、それだけでも拷問のようなものだ。
「見よ、皆の者! この者には、見ての通りアザがある。このアザ、私には見える! 悪魔との契約の際に、口づけをされた個所であるという事が!」
 レオナの腰の付近の左側にちょこんとある小指の爪ほどのアザ。レオナは服をめくられるという辱めを受け、その屈辱で麻袋の中の顔は涙で歪んでいる。
「皆も知っていよう! 悪魔は、血も涙もない。ゆえに、悪魔に口付けを成された場所は、怪我もしなければ出血もしないのだ。この聖なる針が、それを証明してくれようぞ!」
 マシューが針を掲げる。この針は、魔女と疑われた者がほんとうに魔女であるかどうか、証拠を示すために使われる針だ。魔女と疑われた者の、アザやできものなどに刺して使うことで、血が流れ出るならば魔女ではない。そして流れないのであれば、そこは悪魔に口付けされた場所であり、それが悪魔と契約した証という事に仕立て上げられてしまう。
 そして、その針は今まで一度たりとも、誰かを息づつけたことなどない。それは、マシューの目が優れているのか、はたまた――今回もまた、魔女と疑われたレオナが針を突き刺されて、しかし血は出なかった。
「見よ、この針を! この者の肌を!! 血が一滴も付いておらぬではないか!! 分かるか、皆の者よ。この者は、この朝袋の下に大層な美貌を隠し持っている。しかしそれは、生まれ持ったものではなく、悪魔に処女を受け渡すことで、手に入れた物であったのだ。我らは、確かめたのだ……この者が処女でないことを。
 この魔女は、悪魔に処女を渡して美貌を手に入れ、そして数々の男をたぶらかしているのだ」
 姉さんは、そんなことしない。民衆に交じって成り行きを見守っているレオナの妹、ハンナはそう叫んでやりたかった。
「神が見守るこの街で、悪魔と密約を交わし、館員にいそしんだその罪。正義の名において許すわけにはいかぬ! よって、我ら魔女審問官は、ここに魔女レオナの処刑を宣言する!」
 ついに、もっとも聞きたくない言葉を聞かされた。こうなってしまえば、異議を唱えるだけでも魔女と疑われかねない。今すぐマシューにつかみかかって殺してやりたいが、それを阻止せんと、マシューが所持するルカリオが、うんざりしながらも目を光らせている。

 だからもう、ハンナは、レオナを諦めるしかない。寒さ以上に恐怖で震えるレオナの体は強引に引っ張られて、断頭台のくぼみにはめられる。
 ハンナは、その後にどんな言葉を聞いたのか覚えていない。聞いていられなかった。気づけば、近所の人達に付き添われて部屋のベッドで眠っていた。レオナは首を絶たれた後に、その死体をその場で焼かれることなく、マシューが引き取ったそうだ。

 夜、広場の近くの地面にて一夜のうちに桃色の芽を成したマンドラゴラが歌を歌っている。魔女として死んだ魂を慰める鎮魂歌のようにも、魂を呪って汚す歌にも聞こえる、ゆったりとした禍々しくも落ち着いた歌であった。ハンナの家には、おびただしい数の首つり人形がぶら下がっていた。お化けカボチャ達も、マンドラゴラの歌に引き寄せられるようにふわふわと浮いていた。
 肝心のハンナは、石造りの家の中で一人、憎しみに心を揺さぶられながら部屋に閉じこもっていた。親や弟と5人で暮らしていた時に、ハンナや弟に優しくしてくれた姉、レオナが殺されたのだその余韻も冷めやらぬ今、まともな思考は何一つ浮かんでこなかった。

 彼女の姉、レオナは誰かに密告されて、魔女審問官に魔女であることを疑われたのだ。レオナは、家族がひいき目に見ても美人である。髪の色は絹のような光沢を伴った美しい金髪。眼の色は、かつて見た偉い騎士様の剣の柄についていたサファイアのような深いブルー。そんな、絵にかいたような金髪碧眼に、ほんのりと赤みを帯びた白い肌。整った顔立ちはすれ違えばだれもが振り向かずにはいられない。
 その美しさが、魔女であるから。悪魔との契約によって手に入れた美貌なのではないかと疑われたのだ。
 レオナは、殺されるような悪い事なんて何一つしていない。むしろ裁縫が得意で、ハンナのためによくぬいぐるみを作ってくれた優しい姉だった。子供の頃にちょっとしたいたずらや、つまみ食いくらいならばしたことがあるが、そんなもの誰だってしたことがあるだろうから、魔女である事の証拠にはならない。それでも、誰かが密告さえすれば、魔女に仕立て上げる事なんていくらべも出来る。今の世の中、そんなものである。
 きっと、レオナはその美しさに同じ女性から嫉妬されたのだろうとか、告白して振られた男性が腹いせに告発したのだろうとか、多くの人が無責任な噂をしていた。この街に住む人たちは、そういう例をいくつか知っている……美人だから、男性に人気があるから。だから嫉妬されて、目の敵にされて、逆恨みされて――その挙句が、魔女扱いになることを。

 人口三万を数えるこの街には、性質の悪い魔女審問官がいた。マシュー=ヴァルタンという名の彼は、弁護士であったが、あまり有能ではなく、かつては生活に困って飼っているルカリオも紫のネズミを捕って飢えをしのいでいるほどであった。しかし、ある日彼が『魔女に殺されかけた』と言って、いくつもの魔女を火あぶりの処刑台にあげたことから生活は一変する。その功績を信じた市民たちはマシューを祭り上げ、名を上げた彼は様々な街に繰り出しては現地の魔女を次々と処刑していったのである。
 彼は、目についた者を魔女であることをでっちあげるためなら何でもやった。普通に生活していればどうしても出来てしまうイボやデキモノを、使い魔と呼ばれる生物へ母乳を与えるための乳首。魔女の証と言い張り、そこに針を刺して血が出ないかどうかを調べるのだ。その針を刺した場所に血が出なければ、彼はをその者を魔女と決めた。無論、血などでないように細工されている。
 また、小さな部屋に魔女と思しき人物を閉じ込め、使い魔――この場合は、ハエや蚊といった小さな虫が彼女らに寄り添う事があれば、それを悪魔の証拠とした。ご丁寧に、虫が入り込める隙間を必ずどこかに開けておき、また見張りには使い魔を殺すようにと命じていたが、そんな命令など何の意味も持たない。わざと見落とす事なんていくらでも出来る。
 他にも、スイミングと呼ばれる判別法では、右手親指を左足親指に、左手親指を右足親指に交差させるように縛りつけたまま、大きなシーツや毛布にくるんで池や川などの水面に乗せ、沈まなければ魔女という、理不尽な判別方法なども使っていた。彼はそれらの判別法を各地で行い、そして自分の住む街でもそれを行い、今回はレオナと、そのほかにも数名が犠牲となった。

 人々は、最初それらが『仕立て上げられたこと』であることに気付けなかった。最初は、本当に魔女の実が殺されたのだと信じていた。しかし、疑う者がいた。トリックを見破ったり、魔女ではないものに同じことをしても『魔女という結果を出せることに気付いてしまった。どんなに善人でも、魔女扱いをされて殺されることに気付いてしまった。『何でもやった』という評価も、そういったことに気づいてからの評価である。
 そして、今回のレオナもそうだが、彼が処刑した魔女の死体の処理は、すぐに死体を焼き払うこともあれば、死体を持ち帰ることもある。その理由を、この街の者はみんな知っている。マシューら、この街の魔女審問官は、見た目の良い女性や男児を『この魔女達は悪魔とのつながりが非常に強いため、離れた場所で火葬する』と言って、死体を連れてかれてしまうのだ。それを何に使っているのかはわからないが、『悪魔の邪気に民衆が触れないように離れた場所で焼く』なんて名目は嘘なのだと、皆うすうす感づいている。
 死体を、弄んでいるのだと、もっぱらの噂だ。

 当然、家族であるハンナにとって、死体を弄ばれることも許せないが、そもそも殺されたこと自体が許せないことだ。奴らさえいなければ、私の姉も……街の他の人達も、殺されることはなかったと、そんな恨み言がいくらでも漏れてくる。
 マシュー達のせいで、街の人達は誰もお互いを信じられない。誰かに密告されるのが怖くって、人と関わり合うこともまともに出来ない。疑心暗鬼になる。そして、人に恨みを買わないように気を付けていても、レオナのように殺される。
 大好きな姉をそんな理不尽な殺され方をされて、ハンナは今ほとばしるように憎しみがあふれ出していた。今、外に出てしまうと、誰かの笑顔を見ただけでもそいつを殴ってしまいそうで怖いほどに。そんなことをすれば、今度は自分が魔女扱いされることが分かっているので、どうにもできずに部屋に閉じこもっているしかなかった。




「まだ、不調なんだな……」
「すみません……ずっと、立ち直れなくって」
 ハンナは一ヶ月たっても、仕事である布織りの作業には集中できず、空虚な日々が続いている。憎しみを吸ってゆくカゲボウズはようやく減ってきてくれたが、まだまだ毎日数匹は軒下にぶら下がっている。布を引き取りに来る見習いも、何日たってもカゲボウズがいなくならないのを見て、さすがに『早く納品しろ』と、強く言う事は出来ず、最近は彼女の体を心配してくれるようになっていた。
 ハンナの方はと言えば、自分の感情を支配していた憎しみが日々薄らいで行くことに、不安と安堵を両方感じている。このままでは、自分が自分でなくなってしまうような気もするし、かといって恨みが高じて審問官に喧嘩を売っても、おそらくハンナにとっていいことは何一つないだろう。どれだけ恨んでも、憎んでもやり場のない怒りならば、いっそのことないほうがいい。奪ってもらったほうが、まだいいと考えている。たとえそれが、自分が自分でなくなってしまうことを意味していても。
「私も、まだ立ち直れなくって……」
「あぁ、まぁ……ゆっくり、気を養ってゆけばいいさ。新しい子にも仕事頼んだから、ハンナさんは最低限生活できるくらいには親方の店に納品してくれれば……」
「はい、申し訳ないです」
 見習いが帰ってから仕事を再開するが、仕事はいまだに不調のまま。横糸を通したらペダルを踏み、また反対側から横糸を通す。それを繰り返すだけの単純な作業なのに、気づけばボーっとして姉の事を考えてしまう。そうして、頭をかきむしるようにしては、綺麗な髪を乱していく。レオナには劣るが、それでも綺麗だった彼女の顔は、まるで死人のようになっていた。

「ねぇ、ハンナ……大変だよ!!」
 そんな時、近所のおばさんが大層慌てた様子で戸を叩く。
「レ、レオナが……レオナが、あんたの姉が、商店街の方からこっちに歩いてきているんだよ! 生きて……蘇って……う、嬉しい事だけれど、何が起こったのか……怖くって……」
「姉が……ちょっと、どういう事なんです?」
 おばさんの言葉は、言葉としての意味は分かる。しかし、あまりに現実味のない事なので、ハンナには全く意味が分からない。
「言った通りだよ! 死ぬ前と同じ姿で……こっちに……どうするんだい? 何か悪魔でもとり憑いてたら……アンタ取って食われるかもしれないし、逃げたほうが……」
 その、全く意味の分からないことを、おばさんは続けた。言葉の通りならば、確かにそれはとんでもない事である。逃げなければ危ない目に遭うような気もするがしかし、姉にまた会えるとなると、会わなければ絶対に後悔する。
「いや……行ってきます」
 たとえ、おばさんの言うように、取って食われたとしても。生きる希望を半ば失いかけた彼女はそれでいいとも思っていた。
「……行くのかい。何があってもあたしは知らないからね!」
「行くさ……行って確かめる」
 不安がないわけではない。ただ、不安に突き動かされて逃げることを選ぶには、彼女の心は疲弊しすぎていた。


「皆さん、何を言っていらっしゃるのですか? 確かに私は死にましたし、殺されました。ですが、こうして地に足付いて生きているのです。それでよいではありませんか」
 詳しい場所は聞かなくともよく分かった。騒ぎが起きている場所。そこを目指せばおのずと見えてくる。案の定人だかりが出来ている場所に、姉はいた。美しかった髪が坊主頭にされている以外は、魔女と疑われる前と変わらない姿で、笑顔を振りまきながら皆に話しかけている。
 ただ、纏っている布はまるでドレスのような……いや、かなり着崩れていて、お世辞にも優雅とは言えないたたずまいだが、ドレスであった。きちんと着付けをすれば、おそらくはいかな令嬢も適わない美しさを誇るだろうその服は、貴族のお嬢様がパーティーへ行く時などに着ていそうな、豪華そうなドレスである。美しい。美しいのだが、周囲の人々は姉の事を恐怖の目で見ていた。喜んでいる者の方が少ないくらいだ。
「姉さん……」
 嬉しいはずなのに、ハンナも何か怖かった。ハンナには何が怖いのかもわからないけれど、何かが怖かった。ここにきて、ハンナはあのおばさんの言うことが分かる気がした。どうして蘇ったのかが分からなければ、もしかしたら悪魔によって蘇えらせられたという可能性も否定できないからだ。悪魔と言っても、人を生き返すような悪魔が本当に存在するとすれば、奴ら魔女審問官が口にするようなうわべだけの悪魔ではなく、それこそ本物の悪魔が生き返したという事になるだろう。
 それは、とんでもない災厄を呼び覚ますかもしれない、例えば、吸血鬼の大発生のような。
 それでも、ハンナは良い結果を期待して姉へ話しかけて、返答を待った。
「ハンナ! よかった、生きていたのね。私が死んでいる間に、何かあったんじゃないかと心配したわ」
 まるで、生き返ったことが当然であるかのように、レオナは再会を喜んでいる。
「姉さん……体は、その……大丈夫なの?」
「えぇ、体が腐っているんじゃないかって心配? 大丈夫よ、この通り、匂いもないわ」
 と言って、レオナはハンナに抱き付いた。一ヶ月も前に死んだのなら腐臭の一つでもしそうなものだが、しかしレオナの香りはむしろ香り高い花畑のような匂いと、香辛料の匂い。
 貴族が連れまわすようなフレフワンの香りを遠くから嗅いだ匂いに、ベイリーフのような匂い。貴族でもこんな個性的な匂いは漂わせず、思わずむせかえりそうになるが、確かに悪臭らしい悪臭はない。
「わかるでしょ? 貴方の知っているレオナよ。私は……ね、ハンナ?」
「う、うん……」
 抱きしめながらささやかれる。レオナは、明るい女性だった。なので、こんな抱擁もあり得ない話ではないし、むしろ違和感を感じないほどだ。しかし、逆に違和感がないことに違和感を感じる。レオナは、落ち着きすぎているのだ。やはり死んだ後にこんなことになったと考えると、少しばかり気味が悪く、今更になってハンナは素直に喜べない。
「姉さん……どうやって、生き返ったの」
「皆がそれを聞くわ。悪魔だなんて罵ったりする人もいる……ふふ、けれどね。それは違うわ、ハンナ。救世主は、蘇るものでしょう? かの救世主も、一度十字架にかけられたまま死して、そして復活したというじゃない……ちょっと時間はかかったけれど、私も似たようなものでしょう?」
 そう言って、レオナは太陽のように無邪気な笑顔で微笑む。
「『主』が仰られたの……『汝はまだ死ぬべきではない』って。『汝らが悪魔ではないことを皆に証明するのだ』って。皆さんもうすうす感づいている通り、私達は……悪魔ではないのに、悪魔と仕立て上げられてしまったのです。その潔白を証明すべく、こうして私が使わされたのです。
 魔女審問官、マシュー=ヴァルタンの家から抜け出して、ここに来るまでに朝になってしまいましたけれど……本当は、妹と十分に再会を喜んでから、こうした話をしたかったのですがね……」
「ちょっと待った、家から抜け出すというのは……? マシューの家に安置されていたのか?」
 群衆の一人が尋ねる。

「皆さんも知っておられるでしょう? マシューは、殺した人間の中でも容姿の良い者を選んで……家に持ち帰っているのです」
 周囲がざわついた。それに対し、静まれとでも言いたげに、レオナは片手をあげる。数秒ほどして、周囲が押し黙った。
「そうして連れ帰った死体に穴をあけ、内臓などを抜き取ったあと、山ほどの香辛料と綿と、フレフワンの体毛を詰め込み、私達をガラスのケースに閉じ込めるのです。いまはこうしてドレスを着ていますが、これは彼の愛人用のドレスを奪ってきただけ……家では、裸で眠らされていたのです」
「姉さん……」
「屈辱でした。ですが、私は悪魔なのだから、仕方ないと、死にながら言い聞かせるしかなかったのです。でも、私は『主』に言われました。『汝は、死ぬべきではない』と。そのために、こうして皆様に会い、身の潔白を証明しに来たのです」
 レオナが空気を炊き込むように腕を広げて、言い放つ。
「さぁ、皆さま……わたくしに協力していただきませんか? 私、また魔女裁判を受けたいのです。身の潔白を証明したいのです」
 力強く、レオナが宣言をする。


 マシューは魔女裁判を行うだけでも各地の村から多額の報酬をもらい、魔女を見つければ更なる追加報酬をもらえる。そのおかげで、数年の間に裕福な暮らしをるようになり、次第に態度も大きくなってきた。贅沢な馬車での旅を行い、その地区で一番の宿に、安い値段で止まらせるようにと要求したりなど、あまりに貪欲になりすぎて身分の高低に関わらずあらゆる層からの反感を買われていた。そして、各地であまりに多くの者を魔女に仕立て上げたために、彼を名指しで批判する者が現れ、街ぐるみで立ち入りを拒否され、それからというもの奴らこそ諸悪の根源ではないかと、批判され始め、彼の仕事を断る領主も増えてきた。
 一般人もついに、『どんなに高潔な者でも魔女に仕立て上げられてしまう事』を、段々と気づいてきた。そうして、街でもマシューを批判する動きが隠す様子もないくらいに出てきている。レオナが殺されたのは、そして蘇ったのは、そんな時期であった。マシュー自身も、民衆の態度から自分の今おかれて利る状況が向かい風であるのは気付いている。だからこそ、今のうちに好き勝手やってしまおうと、躍起になっているようでもあった。
 だが、民衆の態度に敏感なのは、むしろ感情を正確に感じることの出来る生き物である。マシューのおかげで怨みの感情が食べ放題であった首つり人形たちは。そしてその親玉のぬいぐるみたちは、そろそろ潮時だと、気づいていたのだろう。



 レオナは民衆たちを集めて、マシューに二度目の裁判を要求する。釘を打ち付けた角材や、農作業用の長い柄がついたカマを手に押しかけた民衆の手により家から引きずり出されたマシューは明らかに狼狽した様子であった。怒り狂った民衆たちに取り囲まれて、逃げ出したい状況でも逃げることは一切叶わない。レオナの死体が消えて、館の中で大騒ぎしていたら、こうした事態へと発展してしまったことに、本人もさぞや驚いたことであろう。
 とにもかくにも、裁判が始められることになった。すぐにでも火あぶりが出来るようにと、近くに用水路が流れる街の広場には磔台も用意され、昼頃には数え切れないほどの民衆が集まった。みんなも暇ではないのに、良くも悪くも一大イベントであるこの出来事の顛末を、皆見届けようとしている。
「さぁ、私をその針で突いてください」
 レオナは肌を隠すための最低限の薄布という、あの日と同じ寒くてかなわない服装で、気丈な様子でマシューに宣言した。
「で、では……この者が悪魔である証明を、皆に知らしめようではないか!」
 マシューは虚勢を張って力強く宣言する。明らかな異常事態に、声が少しだけ震えていた。
 服をめくったその場所にある、レオナの腰の近く、左側にある小指の爪ほどの大きさのアザ。レオナはそこを魔女の証として針で突かせた。マシューは意を決してその針を深々と突き刺す。針の根元、柄が肌に触れるまで突き刺した時、レオナの顔が苦痛で歪む。針を引き抜くと、レオナの腰には確かに傷口があり、真っ赤な鮮血がしたたり落ちる。今まで、誰一人として血が滴ることなどなかったその針が、きちんとレオナの体に穴をあけたことに、他でもないマシューが驚き、針を見直している。
「どうしました? 悪魔なら血が流れないかもしれませんが、普通の人間ならば血は流れるのでしょう? 何を、不思議がることがあるのですか?」
 レオナは、自信たっぷりにマシューへと語りかける。周囲の民衆が騒がしくなっている。『その針の細工が動かなかったんじゃねーか?』『そうだ!! 何を不思議がってやがるんだ!!』『普段イカサマでもしてやがったのか!?』と、罵声が飛ぶ。
「まぁまぁ皆様。そんなにお怒りなさらずに」
 踊るようなしぐさでくるりと振り向き、手をひらひらとさせながらレオナが微笑む。
「マシューさんが納得いくように、他の方法も試してみようではありませんか」
 そして、マシューの方へ振り返り、レオナは微笑む。
「ね、マシュー様?」
 明るい、太陽のような笑顔だった。誰もが笑っていられない状況の中で、彼女ただ一人が笑顔であった。周囲にはカゲボウズが集まってきているが、しかしレオナはカゲボウズ達を手で制す。まだ待っていなさいとばかりに。
「さぁ、次は何にします? 時間がかかるので、部屋に閉じ込めるアレはやめにして……スイミングでも致しませんか?」

 次にレオナは、手足を縛りつけて沈めてもらうことで魔女の判定をする、スイミングを提案した。場所は広場の近くにある用水路。
 そこには用水路から上がるための階段があり、落ちた時に上がる場所であったり、小舟で荷物を運ぶ際の船着場である。近くの石橋からもよく見える場所であるそこに移動し、レオナは自ら進んで体を縛られた。そうして、レオナを包んだ毛布が静かに着水する。
 マシューは、自身の高潔さを知らしめるべく、雌のルカリオを自身の手持ちに置いている。正義の象徴であるルカリオ(特に、正義を象徴する神が女性であるためか雌だとその意味合いが強い)は、弁護士や裁判官という公正な立場に属する者に好かれたポケモンであるが、彼の場合はむしろ不正の手段として使っているポケモンである。
 このスイミングという検査方法は、普通にやっても人間を浮かせることは十分可能で、よほど筋肉質だったり骨と皮ばかりの人間でもなければ普通は浮かぶようになっている。そして、もしも沈むような人間であっても、ルカリオのサイコキネシスにより彼は強引に浮かべていた。サイコキネシスを使えば体から青い光が漏れたりすることもあるが、スイミングで沈む人間を浮かせる程度であるならば微弱な出力でも十分だったために、これまで誰にも咎められず、そして咎める勇気がある者はいなかった。
 しかし、一瞬レオナがルカリオの方を軽く睨む。たったそれだけで、ルカリオは動く事が出来なくなった。いや、彼女に逆らえなくなったと言ったほうが正しいか。それでも、ルカリオが主であるマシューへの忠誠心が高ければ、動いたかもしれないが。しかし、彼女は主の生活が変わってからの放蕩振りや悪徳ぶりを見て、もはや愛想をつかしていた。そういう理由もあって、ルカリオのサポートも受けられずにレオナは水に浮かばなかった。
 見事にゆっくりと沈んでゆき、浮かび上がってこなかった。しかし、それは通常は死を意味する。沈められた人間達は、とても息が続かないような長い時間を水中で放置されるため、通常は溺死する。だが、レオナに常識など通用しない。引き上げられた彼女は、濡れてずっしりと重くなった毛布を外されると、指の戒めを解かれる前に目を開けて、周囲を見渡していた。それだけで審問官の助手を務めるマシューの従者に驚かれ、おっかなびっくり縛っていた縄を外されると、彼女は坊主頭から滴る水をぬぐって、皆に微笑む。

「皆さん、生き残りましたよ。神のご加護のおかげです」
 その笑顔が、誰よりもまぶしく輝いている。
「な、なぜ……なぜ、生きているんだ、お前は」
 ありえない事態に、マシューは問いただす。
「はて、面妖な? 魔女でなければ、生き残れるのではないのですか? でなければ、何のための裁判なのでしょうか?」
 笑顔のままに、レオナがマシューに近寄る。本来ならば魔女が何か狼藉を働かないように、マシューの従者である魔女審問官の助手やルカリオたちが止めるべき場面なのだが、恐ろしくて止められない。体が動かない
「そ、それは……」
「これで、私が魔女でないことを、認めていただけますね? それとも、他の検証を始めますか? どんな検診でも、私は身の潔白を証明して見ますよ」
 レオナが、濡れて水の滴る腕をマシューの顔の横に伸ばす。触れそうで触れない位置で、彼女は上目づかいでマシューを見つめた。他の方法というのは、部屋に閉じ込めて使い魔の虫が来るか否かで検診する方法や、聖なる蝋燭の炎で皮膚を焼いて、火傷が残れば魔女。残らなければ潔白というものだったり、手段はいろいろある。
「あ、あぁ……認める。お前は、魔女ではない……」
 だが、レオナのしぐさに恐怖を覚え、これ以上続けてはいけないと悟ったのだろう。肩を強張らせながらマシューはレオナの主張を認める。これ以上の検証は、墓穴を掘るだけだと考えたらしい。
「聞きましたかぁ、皆さん?」
 レオナの声色が変わる。一度ゆっくりと目を閉じ、見開いた彼女の目は血のように真っ赤であった。

「こんな私が、魔女ではないのですって」
 低く、しゃがれた声であった。マシューから、集まった民衆から、悲鳴が上がる。ハンナは悲鳴すら上げられなかった。彼女の首は生まれたての赤ん坊のように座っておらず、体の動きに合わせてぐりぐりと傾いている
「大丈夫ですよ。皆さんに危害を与えるつもりはありません。私は、人を傷つけるために蘇ったのではないのです……ただ、私は。貴方に認めてほしかったのですよ……私が魔女ではないことを」
 民衆の方に体を向けながら、レオナは海老反ることでマシューを見る。そのまま、後ろ向きに歩き出し、あと一歩でマシューに届くところで体の向きを変えた。
「でもすみません……裁判をもう一度受けたいがために、神様によって蘇らせてもらったと言いましたが、あれは嘘なんです。本当は軒下に釣り下がる首つり人形の悪魔達の長。呪われたぬいぐるみの悪魔に蘇らせてもらったのです」
 そのレオナの行動に、マシューは腰を抜かして尻もちをつき、怯えている。
「どうしました? 私は危害を加えるつもりはありませんよ、マシューさん。魔女ではないという嘘はつきましたが、この、『貴方に危害を加えない』という言葉には、神に誓って偽りはありませんから……クフフ……アハハ……ハハハハハハハ」
 レオナの体が痙攣するように笑い、狂気じみた笑い声が川原に響く。多くの者がその場を逃げたが、危害を加えないという言葉を信じたのか、ただ動けないだけだったのか、それとも好奇心のせいか、逃げない者もいた。
「ですから、そんなに怖がらないでください……魔女を、魔女ではないと認めてしまったとしても、それは貴方のせいじゃないのです。だって、魔女は狡猾です……何もしないでもこうして、傷をつける事なんて簡単です」
 言い終えると、レオナの右目の上から頭のてっぺんまでにかけて傷が走る。前触れもなく、まるで聖痕(スティグマ)が現れるかのように。その血が垂れると、まるで右目が血の涙を流しているように見えた。
「ですので……」
 言いながらレオナは酔っ払いがフラフラと倒れるような足取りで、最前列で見ていた妹のハンナに抱き付いた。ハンナの服が水に濡れ、水に混ざった血で汚れるが、ハンナは恐怖で動けず拭うことすらできない。そしてレオナは、抱き着いた腕を離し、膝から力を抜いてハンナの前で膝立ちとなり、妹の右手を取った。その手には、魔女の証を突き刺すための針が握られている。どうやってか、いつの間にか奪い取ったのだ。
「魔女ならのように、刺そうとしても針が引っ込む仕掛けであっても、傷を負う事なんて簡単なのですよ」
 レオナがハンナにゆっくりと針を刺す。当然、針は簡単に引っ込むので、ハンナには痛みすらない。それどころか――
「痛っ!」
 ハンナは、反対の手に痛みを訴え、左手を見る。血が、滲んでいた。触れられてすらいない場所に血が浮かんでいた。
「ほら、こういう風に、魔女ならば針を刺されていない場所にだって傷口を出す事が出来るのですよ。ごめんね、ハンナ。痛かった?」
「だ、大丈夫……」
 その傷は小さく、舐めておけば治るようなものである。姉のようで姉ではない何かに尋ねられて、ハンナは正直に答えてしまったが、その時のレオナには相手に危害を加えようという意思は、本当に感じられなかった。あるいは、妹や民衆に対してはそうかもしれないが、マシューに対しては違うのかもしれない。

「見ていてください。ほら、この人も」
 周りに残っている者達に、レオナは針を刺す。こんどはきちんと刺した場所に傷が現れたが浅いものであった。
「この人も、この人も……ほら、みんな魔女ではないのです!」
 同じことを、数人にやって、レオナは再び後ろにることでマシューを見る。
「どおですかぁ?」
 そのまま、出来の悪い操り人形のようなふらついた足取りで、マシューに迫る。マシューは金縛りにあって動けないでいた。ルカリオは、レオナから発せられる悪意に恐れをなし、神速でその場を離れて、遠巻きに尻尾を丸めて成り行きを見守っている。周囲には、湧き上がる憎しみの匂いに惹かれて集まったカゲボウズが、かつてない大軍となって、まるでバッタの大発生のように空を覆っている。
「でも、普通に刺すだけなら……貴方の方が、魔女という結果が出ちゃいますよ?」
 レオナがマシューに針を刺す。もちろん傷は現れない。そんなやり取りの最中で、この光景を見守れる石橋には、サイズの合わない大人の男性の服を着た子供や、女性でありがら男性の服を着ている者達が現れる。それらは三角に折ったハンカチでマスクをして顔を隠している。橋の手すりに、彼らは体をもたれかけさせ、この光景を見守っていた。

「あ、あぁ……だ、黙れ! 魔女め!! お前が細工をしただけだろう!」
「……いいえ、違いますよ。貴方は、今まで魔女ではない者を殺していたのです。そして、魔女である私のようなものは、狡猾に生き延びていたのです。否……貴方は魔女ではない者を魔女に仕立て上げ、殺して財産を奪い、おまけに街から報酬をもらった……そうでしょう? そのために、殺したのでしょう? 罪もない人達を……。
 そして、美しい死体は、体内に山ほどの香辛料とフレフワンの体毛を詰め、まるで蝋人形かぬいぐるみのように保存した。まるで、魔女の所業ね。ほら、私の匂い……嗅いでみて」
 言いながら、レオナは民衆に近づき、強烈な匂いのする手を差し出す。濡れていても匂いは落ちず、むせ返る匂いだったため、匂いを嗅いだ女性は咳き込んだ。ハンナはすでに彼女の匂いを嗅いでいたので知っていたが、もう一度嗅いで、改めてマシューへの憎しみを募らせる。
「私は、裸にされ、腸を抉られ、眼球をくりぬかれ、悔しかった……恥ずかしかった……死んでいたから痛みは感じなかったけれど、心は痛かった。全部あなたのせい」
 レオナは、俯いたままマシューの方を向き、指を指して言う。
「私は死にながら貴方を恨んだ。そうしたら、綺麗な石を持ったぬいぐるみの悪魔の一人が、もう一つ、小さな石を渡してくれたの」
 レオナはうつむいたまま口に手を当てる。そして、顔を上げて手をどければ、彼女の舌にはこれ見よがしに小さな石が乗っており、見せるのに満足したところで、それを再び飲み込み、俯いた。
「私の死体が、こうして動けるのも!! 私の死体を、動かしてくれる者に出会えたのも、全部ぬいぐるみの悪魔のおかげ!!」
 つかつかと、聞こえよがしな足音を立ててレオナがマシューの方へと近寄る。
「悪魔のおかげで、私は……貴方がやってきたことが、魔女ではなく、一般人を殺すだけの愚かな行為であることを証明できた。当然だわ……だって、魔女は……貴方に捕まるほど愚かじゃないもの!! こんな風に、死体ですら動かす事が出来る悪魔から力をもらった魔女が、自分に自分で傷をつける事すら出来ないなんてありえないわ!! 血の幻覚も見せられないなんてありえないわ」
 レオナが、マシューの首を片手で掴み、持ち上げる。マシューは小さく悲鳴を上げ、持ち上げられながらレオナの腕を蹴りあげるが、彼女はびくともしない。片手で持ち上げる程度ならば女性でもそう難しくないが、男性の蹴りを受けてもびくともしないのは、人間ではありえない怪力である。
「ところで、貴方は……魔女かしら?」
 ぽい、と用水路に放り捨てられたマシューは、空中で木の葉のように減速し、着水した後も沈むことなく水に浮いていた。アメタマか木の葉のように、体のほとんどの部分がプカプカと浮いている。
「こ、これは……その、あの……」
 浮いている。そして、針でも傷がつかない。どこからどう見てもレオナの方が悪魔なのに、裁判の方法から考えればマシューの方が完全に悪魔である。
「おや、浮きましたが……貴方は魔女ですか? それとも、あの体制で縛られないと、正しく調べられませんか?」
 ほとんど水から浮き上がって、背中のわずかな部分以外は沈む気配もないマシューにレオナが尋ねる。
「そ、それは……」
 たとえ、縛られても同じ結果が出る。出せることをマシューは知っている。だから、必死で水を掻いて縁までたどり着いたマシューは、レオナの質問に答える事も、目を合わせることも出来ない。
「答えられるわけ、無いですよね」
 レオナがほくそ笑む。
「アハハハハハハ……アハハハハ」
 レオナはマシューを指さして、狂ったように笑いだす。

「あ、悪魔め!! ルカリオ、奴を攻撃するんだ!」
 マシューの従者が、命令するもルカリオは首を振って拒否した。ルカリオが怖かったのは、レオナはもちろんこと、周囲の人間であった。ルカリオという種族は、個体差はあれど他人の感情を感知する力がある。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの理論で、自分にまで憎しみの感情を向けられていることが、ルカリオにはわかる。そして、従者の言う通りに攻撃すればそれが悪化することも、ルカリオにはわかっていた。
「言ったでしょう? 私は貴方達に危害を加えるつもりはないと。悪魔は、案外優しいのですから……ですから……ね」
 レオナは橋の上を指さした。いつの間にか集まっていたマスクをした集団は、その指の動きに合わせてマスクを取る。美少年と、美女であった。
「だから、あそこにいる悪魔達も……貴方に危害を加えようなんて気は……全くありませんよ。なぜなら……私の部下ですもの」
 レオナが、橋の上に居る者達が、自分の首を絞めるように自身の首に手を回す。そこに、縫い目が現れた。
「あの縫い目は、貴方のギロチンによって生まれた傷」
 橋の上に居る者達が上半身の服をたやすく引き裂く。腹には。ぱっくりと割れた穴をふさぐ縫い目があった。
「あの縫い目は、貴方が腸を引きずり出す時に、ついた傷」
 陶酔するように言って、レオナは目を閉じる。開くと、目がなかった。血の涙があふれ出していた。
「貴方は、一度私達の目をくりぬいた……そして私達を物言わぬぬいぐるみにした」
 レオナは、首の縫い目に強引に指を突っ込む。もはや生前の美しさなどどこにもないレオナの首から上は、縫い目がぶちぶちと音を立ててはち切れることで、仮装のための覆面のごとく剥がれる。橋の上の者達もそれに倣った。
「だから、私達は、ぬいぐるみの悪魔に体を渡せたの」
 覆面となった顔がしゃべる。覆面を取り去った体の中には、(当時人間がジッパーを開発していなかったため)口が縫われているぬいぐるみの悪魔。ジュペッタがいたが、そいつは喋っていない。そのジュペッタには、本来ならあり得ない場所に縫い目があり、右目の上から角のように伸びた後ろ髪をらせん状に走る縫い目がある。
 ジュペッタの変種は、レオナの覆面を放り捨てるが、放り捨てた覆面はなおも口を動かし、しゃべり続ける。橋の上の者達も、覆面を取り外していた。すべての体にジュペッタの顔があった。
「私達は、貴方を恨んだ。他に殺された者も、その肉親も貴方を恨んだ……その恨みで腹を満たした首つり人形の悪魔と、ぬいぐるみの悪魔は、そのお礼にと私達の頼みを聞いてくれた……私達が悪魔でないことを、証明したいとね。どうせお前は……マシューはもう失脚するから、その前に盛大に憎しみを盛り上げてやろうってね」
 放り捨てられたレオナの覆面が地面でぺしゃんこになりながらも、口を動かしながら言う。その光景を見て気を遠くして、倒れたり腰を抜かした者が数名。それほどショッキングな光景であった。
「それを果たしてもらったから……ぬいぐるみの悪魔の出番は終わり。貴方達には危害を与えないで……今後の成り行きを見守るでしょう」
 そこまで喋って覆面は喋らなくなる。ジュペッタの変種は、レオナの死体(もしくはぬいぐるみというべきか)を脱ぎ捨てて、その全貌を露わにする。ジュペッタの変種は、手首の縫い目と、腹に走る縫い目から赤紫色の四肢をのぞかせるという、醜悪な外見をしていた。その変種のジュペッタはハンナに近づき、その手を引っ張ってレオナの覆面を耳に当てる。
「ごめんね、ハンナ……こんな、最悪な再会で。でも、どうしても……悔しかった。悪魔の力を借りてでも……復讐したかった。貴方に会いたかった……ごめんね、こんな再会で……」
 覆面からそんな声が聞こえて、ハンナは泣き崩れた。小さくなった彼女の背中に、変種のジュペッタは優しく手を置く。傍目には、慰めているとしか思えない光景に、ジュペッタを追い払おうとする者はいなかった。

 しばらくして、ハンナは顔を上げて叫ぶ。
「悪魔め!! 姉さんを返せ!! 優しかった姉さんを返せ!」
 ハンナの声に、民衆たちも便乗して叫び出す。『悪魔め』、『悪魔め』、『悪魔め!』 マシューよりもよっぽど悪魔らしい見た目のジュペッタや、その変種すらそっちのけで叫んだ。その騒ぎに乗じてジュペッタ達は、変種も含めてそそくさと走り去っていった。
 終わってみれば、ジュペッタ達は、マシューが水に濡れたことと、針に刺されてチクっとしたこと以外は、本当に人間へさしたる危害を加えることなく、その場を後にしている。しかし、ジュペッタが人間に危害を加えることはなくとも、人間が人間に危害を加えることを、ジュペッタは止めも勧めもしていない。
 周りで見ていた者達は、彼らの死体の内側にこびりついていた香辛料やフレフワンの毛を見て、レオナの言葉が真実であることを知ってしまっている。そして、今までのインチキ裁判が証明されてしまったことも併せて怒り狂っている。民衆が、目を血走らせてマシューの元に殺到する様は、まるでジュペッタのようであった。




 その後、マシューが裁判にかけられたという記録はない。だが、楽に死んではいないだろう。悪魔は案外優しいが、人間は残酷なのだから。























・解説

このお話のモデルになったのは、マシュー=ホプキンスという弁護士です。魔女狩りにおける彼の悪評はトップクラスとされており、作中と同じく多額の報酬をせしめたり、贅沢な馬車で各地を回ったりなどやりたい放題でした。ただし、死体を保管してコレクションとかはしてません、はい。彼は『その地区の魔女を根絶やしにしてやる』と言って、300人以上もの人間を魔女として処刑しました。
そんな彼ですので、ある時『ホプキンスは、魔法を使ってサタンから魔女の名前が書かれた備忘録をだまし取ったのだ』と告発され、自身も魔女であることを疑われました。そして、彼もまた自身が得意であったスイミングという方法で審問され、結果は彼が悪魔であることを示すことになったそうです。

その後の裁判の記録は無いのですが、手持ちの本によれば『怒り狂った民衆に、裁判を待つまでもなく殺されてしまったのではないか?』と、書かれており、ウィキペディアではその後に本を描いたり、結核で死亡したとも書かれています。
物語としては前者の方が面白いので、前者の解釈を匂わせました。

ところで、魔女裁判ですが、拷問やでっちあげばかりではなく、慈悲深い裁判もあったようです。オランダのアウデウォーターという地域では、大きな天秤に魔女と疑われた人を乗せて『箒で空を飛ぶには重すぎるから』と、魔女であるという疑いを晴らしてあげたそうです。今の時代なら、どちらの方が高潔かは決まっておりますね。


また、ジュペッタ達が餌の供給源であるはずのマシューを失脚させる理由なのですが、企画の最中は書いておりませんでしたが、失脚するであろうことをうすうす感づいており、その前にお盛大に盛り上げてやろうと思ったからという理由です。こんなことも書かないで伝わるわけないですよね……はい。