[掲示板へもどる]
一括表示

  [No.3361] 押水と龍神伝説 投稿者:砂糖水   投稿日:2014/09/01(Mon) 19:30:44   145clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ギャラドス】 【地名

 今でこそ夢見ヶ丘などと小洒落た名前で呼ばれておりますが、かつてそこは押水と呼ばれた土地でありました。たびたび水害や大水の被害に遭う、水の押し寄せる土地、ということで押水と呼ばれたのです。
 それは昔。まだポケモンたちが今よりずっと恐れられ、敬われていた頃のお話です。
 押水には荒ぶる龍神、今であればギャラドスと呼ばれるそれはそれは恐ろしい存在がいました。荒ぶる、とは言葉の通りでありまして、龍神はしばしば暴れその度にこの辺りは洪水に見舞われたのです。さらにはあまりに機嫌を損ねると、辺り一帯を焼き尽くすとも言われておりました。
 退治しようにも、龍神の前に出れば恐怖のあまり力が抜け、青く硬い鱗を貫くのは並大抵のことではありません。さらには龍神が恐ろしくも美しい舞を舞うとますます力を増すものですから、もはや人々には為す術もありませんでした。
 ですからそこに暮らすものたちは龍神を祀り供物を捧げ、宥め宥め暮らしておりました。けれどいつしかそれも効かなくなり、人々はほとほと困り果てていたのであります。
 さて、そんなあるときのこと。一人の僧が押水を訪れました。
 その昔、僧というのは知恵者であり、さらにその中でも旅僧は優れた操り人、すなわち優秀なポケモントレーナーでもありました。このような辺鄙な土地を訪れるくらいですから、いかにもみすぼらしい格好で、とてもとても高名な僧などには見えませんでした。けれど人々が藁にも縋る思いで事の次第を相談いたしますと、その方は相分かったと告げ、鏡はないかとお尋ねになりました。
 今でこそ鏡などというものは容易に手に入りますが、その時代、鏡はとても高価なものであり、そう簡単に手に入らないものでした。けれど、押水にはたったひとつだけ鏡が存在したのです。
 それは、荒ぶる龍神を祀る社でありました。
 皆さんはなぜ鏡がご神体として扱われるかご存じでしょうか。
 鏡が当たり前の現在では、鏡をのぞき込んで自分の姿が映っていても不思議には思わないかもしれません。ですが昔の人々にとって、己の姿が映るというのはとてもとても不思議なことでありました。
 ともすれば未来や過去を映し、邪悪なものの正体を暴きそれを祓うと信じられていました。万物を映す鏡は異界に繋がるとも考えられ、その希少性も相俟って鏡は神秘的、神聖なものであると昔の人々は思っていたのです。
 また、水鏡という言葉もありますように、鏡と水は密接な関係がございました。押水に鏡があったのは、そして僧が鏡を求めたのは、このような理由からでしょう。
 さて、そのお方は「これより雨が止むまで外に出てはならない」と仰せになると社から鏡を持ち出して、いずこからか現れた梔子色(くちなしいろ、黄色のこと)の雷獣を引き連れ、龍神の元へ向かいました。このときの雷獣は、ピカチュウともエレブーとも、はたまたデンリュウとも言われておりますが、はっきりしたことは分かっていません。
 僧に言われたとおり人々が家に籠もっておりますと、突然雨がざあざあと降り始め、風が吹き荒れました。さらには雷まで鳴り始めました。皆が驚いておりますと、みるみるうちに雨風は強くなり、同時に雷の音も激しくなるばかりでした。人々は不安でいっぱいになりながらも、言いつけられたように家から出ることなくひたすら僧を待ち続けます。
 一体どれほどの時間が経ったのでありましょうか。ふと風の音が止みました。雨音も、雷の音もしません。もしやこれは、と外に出てみますと、雨はすっかり止み青空が広がっていました。
 しばらくすると雷獣と共に僧が戻ってきました。そうして鏡を差し出し「ここに龍神を封じ込めた。鏡は引き続き社で祀りなさい」と仰せになりました。封じ込めたとはいえ、力のある龍神ですから、粗末に扱えば鏡の中からでも暴れて洪水をもたらすというのです。
 皆は謹んで鏡を受け取ると、口々に感謝の言葉を述べ、何かお礼をと言いました。けれど、まだ荒れた土地も落ち着いていないだろうからと、そのお方は申し出を丁重に断り、代わりに一晩の宿だけを求めました。その晩、人々の精一杯のもてなしを受けた僧は足早に押水を去っていきました。
 それから時折鏡の中の龍神が暴れ、水が溢れることもありましたが、回数はぐっと減り人々は安心して暮らすことができました。
 これが押水の龍神伝説です。押水神社に祀られている鏡にはこのような謂われがあるのですよ。


 ところで、雷獣をつれた僧というものに皆さんは聞き覚えがありませんか? 雷獣ではなく、ピカチュウと言ったら? そう、この僧というのは、あの有名な光宙法師智史(こうちゅうほうし ちし)のことなのです。
 光宙法師智史は雷獣をつれて各地を巡り、人々を助けて回ったと言われる方です。ピカチュウをつれた表紙の児童書でもお馴染みですね。
 機会がありましたら、いつか光宙法師智史の別のお話もいたしましょう。


【シリーズ化しない】
この作品はフィクションであり、実在の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。

これ(https://twitter.com/jyaricat/status/504078974364815360)を見て思いついて、ついったーでぼそっと垂れ流したのを書いてみたら思いの外長くなった。

最初はなんちゃって坊さんのはずだったのにどうしてこうなった。
光宙→ピカチュウ、智史→サトシ
まともな名前思いつかないからネタに走った。反省している。
代わりにまともな名前考えてくれてもいいのよ…?

地名に関しても、いかにもな名前でかつ存在しないもしくは同じ名前の場所がいっぱいあるようなのと思ったけど諦めました。
色々調べたら面白かったのでみんなも調べてみればいいと思うよ!
こういうの↓
http://folklore.office-maeta.jp/007.htm
http://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/chimei_27.html

あと、沼地を埋め立てたらヌオーの祟りが、って話も書いてみたいデスネ。タブンネ。


  [No.3582] 黒沼と大山椒魚の祟り 投稿者:砂糖水   投稿日:2015/01/23(Fri) 22:01:16   191clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ヌオー】 【一粒万倍日企画】 【光宙法師

 かつて黒沼と呼ばれたそこには大小様々な獣が住んでおりました。山椒魚や鯰、水黽(アメンボ。アメタマのこと)、鯉、蛙などが住み、鳥たちもよく立ち寄る沼でした。沼に住む獣の中でもひときわ大きな体を持つ大山椒魚(ヌオー)は沼の主と呼ばれていたのでございます。
 それは昔。人々がポケモンたちへの畏敬と思いやりを忘れてしまい、二柱の神が都から去ってしまった後のお話。

 沼の主を含め、黒沼に住む山椒魚たちはおっとりとしていて、滅多なことでは怒りませんし、そもそも人間がやってきてもそれに気がついていないのやら、さしたる反応も示しませんでした。ですから人間たちは、沼の主は鈍い(にぶい)と言って馬鹿にしておりました。
 沼に住む彼らはそんなことは意に介さず、のんびりと暮らしていたのでございます。

 ところがある日のこと。土地を広げたいと思った人間が幾人もの操り人(ポケモントレーナー)を連れて、沼を埋め立てようとやってきました。主を含む沼の生き物たちは必死に抵抗しましたが、人間たちの連れてきた草の獣たちには太刀打ちできず、みんな殺されてしまったのであります。
 そうして人間たちは連れてきた土の獣たちに沼を埋め立てさせると、そこに水田を作りました。
 それからいくらもしない頃でございました。
 ぐらぐら、ぐらぐら。なぜだかその辺りだけぐらぐらと地面が揺れるのです。また、少しでも雨が降ると、水が抜けていかず一面水浸しになり、泥に足を取られるものが大勢出ました。さらに、水田での農作業を終えて帰宅すると、元は何ともなかった家が沈んだりと、不思議で恐ろしいことが続くようになりました。
 特に、沼の埋め立てを強行させた庄屋の家では病に伏せる者が出たり、いつの間にか着物が泥まみれになったり、夜中にびちゃりびちゃりと何かが歩く音がしたりと酷い有様でございました。
 死人こそ出てはいませんでしたが、気を張り詰める暮らしが続き、人々はすっかり疲れ果ててしまいました。皆、これは沼の主である大山椒魚の祟りだと噂して怯えてながらも暮らしていくしかありませんでした。

 そんなあるときのことでございます。一人の僧が黒沼を訪れると、水田を見るなり、なんと惨いことだ、可哀想にと言いました。僧には無念のまま死んだ大山椒魚たちの姿が見えていたのです。
 大山椒魚は草の獣に血を吸い取られたせいか、ひどく縮んで歪な姿をしていたそうです。その目は寒気がするほど暗い黒であったと伝えられています。また大山椒魚の周りには沼に住んでいたであろう、山椒魚や鯰、他の獣たちが皆恨めしげな目で僧を見てきたとも言います。
 このままではきっと、ここから人が消えるまで祟り続けるだろう、と僧は言いました。そうして、祟りで人は死んだか、と僧はたずねました。恐ろしいことは続いておりましたが、まだ死人は出ていないことを伝えると、ではまだ間に合うだろう、人を殺すと完全な祟り神となって滅するしかないのだ、と仰せになりました。
 沼の埋め立てを指揮した庄屋の家に案内された僧は祟りを収める方策を授けてくださいました。
 少なくとも赤子の拳大程度の水精(水晶)を用意しなさい。そして祟りが完全に収まるまで、泥に漬け、泥が乾かぬよう水を遣りなさい。水精が白くなったら祟りは止むだろう。と、僧は告げました。
 水精、つまり水晶は水の力が集まったものと考えられていたため、それを泥に漬けておけば沼の獣たちは水の力に惹かれて水晶の中に入っていくだろう、というのです。
 また、水精が白くなってからも年に一度は泥に漬け、彼らを慰めてあげなさい、と仰せになりました。
 地に頭を擦り付けんばかりに感謝した人々に見送られ、僧はお礼も受け取らずに去っていきました。

 僧が去った後、大きな水精をどうにか工面した庄屋の者は、言いつけ通りに水精を泥に付け、渇かぬよう水を遣りました。泥に漬けた水精はしばらくすると黒ずんでいき、ついには真っ黒になりました。黒ずんでいく水精に戦き(おののき)ながらも欠かさずに水を遣っていると、やがて黒から灰色、そうして白に染まったと伝えられています。水精が白くなるうちに、祟りも少なくなっていき、ついには何も起こらなくなったということでございます。
 いつの間にか白い水精は失われてしまいましたが、祟りが起きることもなく今日に至っています。沼の主が人々を許したのかもしれません。
 今は見事な水田が広がっているこの土地ですが、かつてはこのようなことがあったと伝えられているのです。


 さて、このお話に出てくる僧ですが、一説には雷獣をつれていたと言われています。もしかしたら、あの光宙法師かもしれませんね。

――――――

軽い気持ちで書いたら意外と惨くて正直すまんかった。
書かなきゃいけない報告書と鳥居の校正が全然進まないのでむしゃくしゃして仕上げた。
一粒万倍日企画達成だぜ?(http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3368&reno= ..... de=msgview

ハイスペック坊さんは一人でいいよねと思ったので光宙法師にしました(
でも光宙法師じゃなくても全く構わないっていうね!やったね!(
光宙法師初出:押水と龍神伝説(http://masapoke.sakura.ne.jp/lesson2/wforum.cgi?no=3361&reno= ..... de=msgview

鏡に土地を写して、この中の土地は皆様のものです、どうかお受け取りください。
っていう解決法にしようかと思ったけど、押水で鏡使っちゃたから水晶にしました。
何とかなったけど、どうせなら逆にしたい…あっちだと水に漬けておくことになりそう。毎日水を取り替えてね!(

水晶を泥に漬けるっていうのはテキトーです。
水晶 泥 でググっても土の代わりに使われる吸水性ポリマーのページしか出てこないぞ!しかも中国語だ!(

シリーズ化しないって前に書いたけど、シリーズ化したい。けどもうネタがなかった!
思いついたらなんか書きたいですね。
でも書きたいって言ってると書かないんだよなあ。


  [No.3599] Re: 黒沼と大山椒魚の祟り 投稿者:焼き肉   《URL》   投稿日:2015/02/14(Sat) 13:39:18   74clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

「押水と龍神伝説」の光宙奉仕に一人たぎる変なやつがここに。短いのに密度が高くてすごいなあと読んでて思いました。水と鏡が密接な関係にあるっていうのはなるほどなあって思いました。そういえばどこかで水を鏡代わりに使ってたという話をきいたような。(というか砂糖水さんの作品内でも水鏡っておっしゃってますね)

二つ目の「黒沼と大山椒魚の祟り」は万倍日企画のやつですね。ヌオーたちかわいそうに。みずじめんに草攻撃はさぞ地獄だったでしょう。干からびて干物のようになってしまった彼らを想うと無念さが伺えます。適当とおっしゃる割には解決方法に納得してしまったり。鏡での解決案も素敵だと思うので、ネタ被りに関しては気になさらなくてもいいんじゃないかなあと個人的には思いました(使用方法も違いますし)

伝奇ものの空気感がとても楽しかったです。


  [No.3600] Re: 黒沼と大山椒魚の祟り 投稿者:砂糖水   投稿日:2015/02/16(Mon) 00:15:37   70clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

あばばばば感想ありがとうございます〜。
光宙法師気に入っていただけたようで…w
名前は完全にネタですが、それ以外は真面目です!(なんのアピール
水と鏡云々は、鳥居企画のネタ集めている時に見つけてなんとなーく頭の片隅にあったので使ってみました。
たしか鏡という言葉も水がどうの、だったはずですが資料の本が手元にないので曖昧です…すみません。

みずじめんに草タイプはやっぱり鬼畜ですよね…w
実際に書いたら予想以上に惨くなってしまったのはちょっと反省してます。ヌオーごめんよー(>人<;)
ヌオーのあれは水に関係する言葉を探していたら、水晶のことを水精というのを発見して、なにそれかっけー!で採用した記憶が…。
採用理由が限りなくテキトーですが頑張りました!
でもやっぱり鏡使ったやつも未練あるので、焼き肉さんの言葉に勇気づけられましたし、他の話に活かせたら使ってみようかと思います。

両方に感想ありがとうございました。
楽しんでいただけたなら嬉しいです。


  [No.4107] 大蔓主の住む森 投稿者:砂糖水   投稿日:2019/01/12(Sat) 19:57:00   93clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:モジャンボ】 【光宙法師

 最近になってのぞみ野と名を改め、真新しい住宅が並んでおりますこの土地は、かつて草木も碌に生えぬ荒野でありました。
 しかしその前。さらに時代を遡ると、それはそれは緑豊かな森が広がっていたのです。
 それは昔。人々がポケモンたちへの畏敬の念を忘れ始めた頃のお話です。

 豊かな森のほど近くには村が一つありました。
 ある日、一人の僧がその土地を訪れますと、何やら村人たちは大層困った様子で何事かを話し合っておりました。僧が如何したのかと声をかけると、村人たちは顔を見合わせて何か言葉を交わしました。やがて一人の村人が進み出て、事の次第を説明し始めたのでした。
 曰く、村の近くにある森の主が狂ってしまったというのです。なんでも、昔からこの村では森から恵を頂いて生活してきたのだと言います。それはもちろん、森の主の許しを得てのことであり、時には供物を捧げ、森の主とは長い間うまくやっていたのだということでありました。
 しかし近頃、村人が森へ足を踏み入れるだけで、森の主が襲ってくるのだというのです。あわや命を落とすところだったものもおりますが、けれど森へ入らねば日々の薪にも、食べるものにも事欠きます。
 それで村人たちは困り果てていたという話でした。
 僧は何か心当たりはないかとお尋ねになりましたが、村人は首を横に振りました。突然のことで何もわからず、さらには直接尋ねようにも、こちらの姿を見るだけで怒り狂い、襲ってくるので、どうしようもないということでした。
 そうして、村人たちはこんなことを頼んできたのでした。
 もしかしたら、森に何か異変があるのかもしれない。一度、森の主を森の外へと連れ出してはくれないだろうか。森の外へと出たなら、森の主も落ち着いて話ができるだろうし、それが叶わなくとも、森へ入って原因を調べることができるだろう、と。
 僧はその言葉にしばし考え込んだあと、相わかったと仰せになりました。
 その昔、僧というのは知恵者であり、さらにその中でも旅僧は優れた操り人、すなわち優秀なポケモントレーナーでもありました。
 人里を一歩でも離れますと、そこはもう人の世界ではございません。獣たちの世界を通るには、同じく獣の力を借りる他ないのです。故に長く旅を続ける旅僧ほど優れた操り人であることが多く、それを見込んで村人たちは僧に頼み事をしたのでした。

 さて、僧がそのまま一人で森へ入った時のことです。森へ入って幾許もしないうちに、僧は何か妙だと思い首を傾げました。
 森が静かすぎるのです。獣一匹おりません。もしかしたら森の主を恐れて皆、逃げ出したのかもしれませんが。
 しかし本当にそれだけだろうか。そんな疑問を抱えつつも、僧の足は止まることはなく、奥へ奥へと進み続けました。
 静かな森の中を進んでいきますと、やがて、おおう、おおうと唸り声のような人ならざる声が聞こえてきました。
 声のする方へ、奥へ奥へと進みますと、それはそれは大きな緑の蔓の山が蠢いておりました。どうやらこの蔓の山が声の主のようでありました。
 そう、そこにいたのは大蔓主(おおつるぬし)と呼ばれる、今で言うモジャンボでした。小屋ほどはあろうかという巨体を震わせ、大蔓主はまるで泣いているかのように声を上げ続けていました。
 けれど、それも束の間のことでした。すぐそこに僧がいることに気がつくと、大蔓主は耳を塞ぎたくなるような一際大きな金切り声を上げ、その蔓でできた腕を僧へと振り落としました。
 あわや、という時です。何処からか梔色(くちなしいろ、黄色のこと)の雷獣が現れますと、その尾で蔓を叩き落としました。
 僧は少しも慌てた様子もなく、大蔓主へと呼びかけました。
 何故(なにゆえ)人を襲うのだと。
 けれど大蔓主はそれに答えず、殺した、殺したと譫言(うわごと)のように繰り返すのみ。何を殺したと尋ねても、答えの代わりに返ってくるのは、無数の蔓だけでありました。
 僧は、なるほど確かに正気を失っているようだと思いました。幾度呼びかけてもまともに答えがないとなれば、一度力を削いで落ち着かせたいところです。
 しかし、森から力を得る大蔓主は強力無比の存在。振るわれる蔓を切り落としたとしても、瞬く間に蔓は蘇り、力を削ぐことは並大抵のことではありません。そうであるならば村人の言うとおり、森から一旦引き離し、その力を幾分か弱めることが必要です。
 雷の力は草の獣には効きづらく、まともに戦ってもこちらが不利なのもあり、僧は雷獣と共に駆け出しました。事前に、西に開けた場所があることを聞いていた僧は、そこへ大蔓主を誘導することにしました。
 とはいえ、ここは森の中。先ほども申し上げたように、森は大蔓主にとっては己に力を与え、また家も同然の勝手知ったる場所であるため、正気を失っていようともやすやすと動き回ることができます。しかし人間にとっては碌な道もなく足元も悪いですから、思うように走るのは中々難しい話でございました。
 おまけに大蔓主は容赦なく幾度も腕を振るっては、数多の蔓をしならせ襲いかかってくるのです。厄介なことに時折岩を飛ばしてくる上、さらには幾度かの後に突然大蔓主の動きが早くなり、また振るう力も増したように思われました。
 これらをいなしながらとなると、その苦労たるや筆舌に尽くしがたいもの。しかしながら、僧と雷獣は見事それを成し遂げたのでございます。
 襲いくる無数の蔓や岩を、雷獣は鋼鉄の如く硬くした尾や、あるいは雷撃で弾き返し、そうしてようよう森の外れまで辿り着きました。
 僧がちらと外へと目を向けますと、そこには村人たちが待ち受けていました。ええ、話をすると言っていたのですから、そこにいてもおかしくはありません。おかしくはありませんが、けれど僧は、おや、と思いました。
 いつ出てくるかわからない大蔓主を、わざわざ大勢で待ち受ける必要があるのでしょうか。待ちきれなかった、ということも考えられますが。それに何故だか大量の荷物があるように見えました。大蔓主に捧げる供物でありましょうか。いえ、供物というには何かがおかしいようにも思えました。
 そうは思いましたが、大蔓主が僧の後を追ってきているので、あまり長い間外に気を逸らしているわけにもいきません。また、奇妙だからといって、もはや止まることもできません。そのまま僧は森を飛び出しました。
 森の外は平地でしたので、先ほどまでと異なりとても走りやすく、あっという間に森から十分に離れることができました。そして傍らを走る雷獣が体勢を整えたのを横目で確認すると、僧はここで初めて、雷獣へ攻撃を命じました。
 雷獣は僧の言葉に答えるように、ばちばちと雷の力を纏わせ、身を翻したかと思うと、瞬く間に真正面から大蔓主に突進しました。
 無我夢中で僧たちを猛追していた大蔓主は、避けることも出来ずまともに雷獣とぶつかります。
 大蔓主と比べ小さな体躯の雷獣は無数の蔓に埋もれてその姿は隠れてしまい、まるで大蔓主に飲み込まれたかのように思われました。
 しかし、すぐに大きな音がしたかと思うと、大蔓主はたたらを踏んで二歩、三歩と後ずさり、そうして大きな体をぐらり、ぐらりと揺らします。
 寸の間の静寂の後。どう、という音と共に大蔓主は倒れました。
 雷獣はというと、たちどころに蔓の間から抜け出し、主人である僧の元へと戻ります。耳がひしゃげ、頭から血を流していた雷獣はふるり、と身を震わせるといつの間にかその姿を消していました。
 それを確認した僧はそのまま村人たちの元へと向かいます。
 ふと村人たちを見れば、幾人かが弓を持っており、そして、村人たちの背後には火が灯っているのが目に映りました。草の獣にとって大敵である火が、何故ここに。
 村人の幾人かが、何かを投げると、それは僧の背後へと飛んでいきました。ぷんと油の匂いがしたかと思うと、あ、と思う間もなく、ひゅんひゅんと何かが、ああ、火が、火矢が、飛んでいきました。僧が止める間などありませんでした。
 ぼう、と大蔓主は燃え上がりました。耳をつんざくような凄まじい悲鳴が響き渡りました。炎の勢いは時とともに増すばかりであり、そしてまた、大蔓主が暴れるものですから近づこうにもどうにもなりません。
 僧はすぐに火を消し止めるように怒鳴りましたが、村人たちは笑って首を横に振りました。やっと化け物を殺せるのに、何故消さねばならないのです、と。
 大蔓主は転げ回っています。そしてその途中途中で、叫んでいました。
 殺した! お前達が殺した! 返せ! 我が子を、一族を返せ!
 僧はそれで、森の中がやけに静かだった理由を悟りました。大蔓主以外の獣の姿がなかったのは、大蔓主を恐れて逃げ出しただけではないということです。
 やがて大蔓主は声を上げることも、動くこともなくなりました。
 大蔓主は死んだのです。
 人々は、僧を除く人間たちは、歓喜の声を上げました。
 何故このようなことを、と僧が村人の一人に詰め寄りますと、村人はこのように述べるのでした。

 昔から森からの恵みを得て暮らしてきた。大蔓主には感謝を捧げてきた。
 しかしこの数年、森から恵みを得ようとしても、大蔓主はだめだだめだと言って、思うように採らせてくれなくなった。村では人も増え、薪も食べ物も入用(いりよう)なのに。
 だからわからず屋の大蔓主の子である蔓の子を攫って脅した。けれどそれでも言うことを聞かないから、蔓の子を殺した。蔓の子は賢くなかったので、簡単におびき出せたから、幾度も幾度も、子を攫っては殺した。
 しまいには殺せる蔓の子もいなくなり、森に人が入るだけで、大蔓主が襲ってくるようになった。
 それで困っていたが、それも今日で終わり。これからは自由に採れる。

 それを聞いた僧は諦めたように、報いはすぐに来るだろう、と告げました。そうして、大蔓主のために経を読むと、あとはもう何も仰せになることはなく足早に去っていきました。

 さて、それからの数年は、森からの多くの恵みで村は潤いました。けれど、いつの頃からか薪も食べ物も手に入りにくくなりました。以前は少し探しただけで、どっさり手に入ったというのに。
 やがて、探しても探しても、思ったような量が得られなくなったのです。それで人々は、以前と同じ量を得るために森の中を歩き回りました。
 ふと気がつけば、森は姿を変えておりました。
 あれだけ生い茂っていた木々は、今や疎ら(まばら)にあるばかり。辛うじて残っている木も、実をつけることはほとんどありません。残っている木は枯れかけているものばかり。茸も見当たりません。草花も疎らです。獣の姿もありません。
 目に見える茸も野草も木の実も採り尽くし、食べるものがないからと木の皮さえも剥ぎ、薪に使える枝が落ちていないからと木を切り倒し、手当たり次第何でもかんでも採っていったからです。
 それで人々はようやく、自分たちが採りすぎたことに気がつきました。
 かつて森は大蔓主やその子らが世話をしていました。木を切ったあとには苗を植え、茸や野草や木の実も、採り尽くしてしまわぬよう、気を配っていました。
 人々は、そんな風に森を守り育てる大蔓主に感謝を捧げ、敬っていたのです。けれど、いつしか人々はそれを忘れてしまっていたのです。
 もしここで全ての人が己の行動を悔い、省みていたならば、あるいは違った未来もあったのかもしれません。しかし人々は恵みの減った森から全てがなくなってしまう前にと、我先に何もかもを奪い尽くし、ついには森は完全に失われたのです。
 森からの恵みを得られなくなった村から、人々は一人、また一人と姿を消し、そうして荒れ果てた土地だけが残りました。

 かつてここは荒れ果てた土地でありました。
 けれど、そのずっと前は、緑豊かな森がありました。森には大蔓主と、その子らが住み、近くに住む人々は森から恵みを得、大蔓主に感謝を捧げて暮らしておりました。
 それは、ずっとずっと昔のお話。


 さて、この話に限らず昔話ではよくポケモンが喋りますね。
 特に、古い古いお話ではその傾向が強く、人と変わらない扱いであることもしばしばあります。シンオウ地方では人もポケモンも同じ、という古い言い伝えが残っているほどです。
 しかしながら、時代が下るにつれ、ポケモンが喋ることは減っていきます。光宙法師のお話は、その過渡期に当たるとも言われ、この時代を境に言葉を使うポケモンのお話も一気に減っていきます。
 その辺りのことを頭に入れて昔話を聞くのも面白いかもしれません。
 ところで、各地を行脚していた光宙法師智史(こうちゅうほうし ちし)が連れていた雷獣に関しては、話によってその記述がまちまちなのも相まって、現在でも大変な議論の的となっています。
 一般に有名なのは、児童書の表紙にもなったピカチュウでしょう。
 このお話で雷獣が大蔓主に使った技は、スパークや、あるいはとっしんなどの技が考えられますが、もしピカチュウであったなら、ボルテッカーかもしれませんね。

 機会がありましたら、また光宙法師のお話をいたしましょう。


――
いえーい、何年ぶりでしょうか、光宙法師シリーズ第三弾です。
前のお話が2015年投稿ということで…ええ…(白目
本当は去年のうちに出そうと思ってたんだけどなー…(遠い目
昔、一粒万倍日スレに出したと思ったけど見つからなくて、おそらく以前、精神的にアレになって消したと思われる。
まあなので、いつ書き始めたかは定かではないんですけど、でもかなーり時間経っていると思われる。
書くの遅い…。
周回遅れになった挙句、ちょっぴりタイムリーになっている。
この話考えたときは鰻もそこまで話題になってなかったんですけどね…。
ていうかわりと軽い気持ちで書いてたんですよ。
ただ今回ちゃんと書くにあたって、厚みというかそういうのを出そうとした結果、まあこうなりましたよね。
ちなみに細かいとこつっこまれると大変厳しいので、大目に見てもらえると嬉しいです!

このシリーズ、地味ーに書いていきたい気持ちはあるのですが、いかんせんネタがないので、今回みたいに忘れた頃に突然出すことになりそうです。
もし書くなら、前回今回と人間が悪い!って話なので、次回は暴れるポケモンに困ったわ…みたいなの書きたいですね。
まあ予定は未定なんですけど!


  [No.4190] 子引山と夜月鴟 投稿者:砂糖水   投稿日:2023/12/17(Sun) 00:48:37   3clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 ハイキングコースも整備され、今や人の賑わう小比木山(こひきやま)ですが、かつては子引山と字が当てられ、人喰い鳥が住むと恐れられた山でした。
 それは昔、まだポケモン達が今よりも力を持っていた頃のお話です。

 子引山には古くから夜の王とも呼ばれる夜角鴟(ヨルツク、あるいはヨルノズク)が住んでおり、しばしば幼子を攫うのだと言われておりました。
 そんな噂を聞きつけて、近隣の村に一人の僧が訪れました。
 訪れた僧は子引山の夜角鴟について尋ねますが、皆堅く口を閉ざし誰一人として答えようとはいたしません。何も知らぬ、放っておいてくれ、余計なことはするなと言うばかり。よほど恐ろしく、口にするのも憚られるのかと思った僧は、そうであるならもはや山へ向かうのがよいだろうとその足で山を目指しました。
 おそらくは山頂に祠や社などがあるのでしょう、かつてはもっと人の往来もあり、整備されていたであろう道が山頂まで続いているようでした。
 山に登りはじめたのは昼過ぎで、まだまだ明るい時間のことでした。ですから道の様子がよくわかりました。
 最近は手入れが行き届いていないであろう道は、いくらか崩れたところもございましたが、けれど、今も人の往来があるようでした。もし人々が人喰いの夜角鴟を恐れているのなら、山になど登るでしょうか。それとも、恐怖を堪えてでも山頂にあるであろう、祠や社に詣でるものがいるのでしょうか。あるいは山の獣が通るのでしょうか。そのようなことを考えながらも、僧の足は止まることはなく山を登り続け、日が暮れる前には山頂にたどり着くことができました。
 果たして、山頂には古びた祠がありました。供物などは見当たりませんでしたが、仮に人が何かを供えても山の獣が漁ってしまえば見当たらなくなるでしょうから不思議ではありません。けれど、祠そのものは荒れていることもなく、やはり誰かが祠の周りを整えているように思えました。
 さて、と僧は思案します。夜角鴟は、昼の間に姿は見せません。夜の闇をものともせずに動き回る、それが夜の王と呼ばれる所以です。
 日が暮れかけておりました。僧はその場にどっかと座り込み、夜を待つことにいたしました。
 やがて日が落ち、夜が訪れました。その日は満月ではありましたが、木々の生い茂る山の中では足下もおぼつかないでしょう。幸い、祠の周りは開けていましたからいくらかはましでしたが。
 そして、それは深い夜でございました。山は静寂に包まれておりました。
 不意に、静寂を切り裂くようにギャッギャッギャッ、と耳障りな声が響きました。音もなく現われたのは、黄金の鳥。まるでもう一つ、月があるかのような輝き。
 それは夜の王たる夜角鴟、いえその輝き故に夜月鴟と書くべきでしょう。夜月鴟は少しの音も立てることなく祠の上へと降り立ちました。
 僧が立ち上がるのと同時に、雷獣がどこからか現われ、身を震わせながら小さく唸り声を上げました。ぱちり、ぱちりと身に雷を帯びている様子は雷獣の名に違わぬ姿です。
 けれど夜月鴟はそれを意にも介さず、ただ僧だけを見て問いかけたのでございます。
「人よ。我を討つのか」
 それには答えず、何故と僧は尋ねました。何故人の子を喰らうのかと。
 ギャッギャッギャッ、と耳障りな声で再び夜月鴟は嗤いました。
「ほんに人は愚かよの。たしかに喰ろうた、人の子を喰ろうた。だが、だがしかし、自ら狩ってまで喰らおうとは思わなんだ」
 何故ならば、と夜月鴟は告げます。
「夜、人は家に籠もる。戸を閉ざし獣を受け入れない。それで何故、幼子はいなくなる?」
 僧はその言葉にはっとしたようでした。夜月鴟は答え(いらえ)がないことを気にせずに話を続けました。
「人よ、知っているか。前の秋もその前の秋も実りが悪かった。獣も人も飢えていた。なあ人よ! ここらは皆、飢えていた。
 人は山を訪れたよ。幼子を連れて。山を下りるとき幼子はいなかった。
 生きて惑っているだけならば我は人里へ帰しただろう。けれど、けれどそうではなかった。ああそして我もまた飢えていた。
 人は話したがらないだろう。我を恐れているから? 否! 否否、否!
 人は耐えられなんだ。己が行いに耐えられなんだ。故に、故に我だ。故に我を恐れる。偽りであると知るが故に」
 言葉を切った夜月鴟は三度(みたび)ギャッギャッギャッ、と耳障りな声で愉快そうに笑ったのでございます。
「人よ、我を討つか? それもよかろう。獣も山も荒れるだろうが、それもまた人の選んだこと。その獣の雷(いかずち)で我を撃ち落とすといい」
 夜月鴟はただそこに佇んでいました。悠然と、そう、王者の風格を持って。
 対峙する僧は気圧されたように黙り込んでいました。
 僧の傍らの雷獣は雷を纏ったままもう一つの月たる夜の王を睨み上げておりましたが、けれど夜の王はそれを一瞥しただけであとはただ僧にだけ目をやり、僧もまた夜の王を見上げます。
 張り詰めた空気が場を支配します。呼吸すらもおぼつかないほど。
 と、ふう、と僧が止めていた息を吐き出しました。僧はただ首を横に振り、詫びの言葉を告げると夜月鴟に背を向けました。
「我を討たぬか、人よ。それもまた人の決めたこと。さらば人よ。我はこれからもこの山に在る、ただそれだけだ」
 僧は何も言わず、雷獣に小さな明かりを灯させて歩き出します。夜の王はギャッギャッギャッ、と耳障りな声を僧の背中に浴びせました。

 それからも子引山には人喰い鳥が住むという噂が密やかに流れ続けました。けれども時が過ぎ、夜の王、もう一つの月たる夜月鴟の姿が消えるとその噂もなりを潜め、いつしか山の名前に当てられる漢字も変わり、今はただ、穏やかな山がそこにあるだけです。


 かつて貧しい農村などでは堕胎や生後間もない子を殺す間引きが珍しくなかったようで、モドス、オッカエス、といった隠語が用いられました。それらの行為は禁止されることもままあったようですが、貧困から陰で行われ続けたようです。そうしなければ親子ともども死ぬしかなかったためと考えられます。
 責めることは簡単ですが、生きるためにやむなく行われた、悲しい行いだと思います。


――
夜角鴟とかの当て字はこのサイトを参考にしました。
https://gogen-yurai.jp/mimizuku/

特に深い意味はないんですけどミミズクと夜の王リスペクトです。(笑い方とか
コミカライズも完結したよ!よろしく!

さねとうあきら著「地べたっこさま」が着想元です。
といっても展開は全然違いますが…導入というかまあ、うん。
地べたっこさまのあらすじ:出産で妻を亡くし、子どもは育てられそうにないので地べたっこさまへ返してこい=山に埋めてこいと言われ、泣く泣くそうしたものの、それを気に病んだ男は村を出奔し、山で孤児を育てている鬼と出会い、孤児たちを育てて幸せに暮らしましためでたしめでたし(?)
読んでビビビと来ましたが、そこでビビビと来ちゃうのが我ながら邪悪すぎる…。つらい。
まあそもそも一作目も水害をきっかけに思いついたので今更かもしれない…。

七つまでは神のうち、というのを入れようと思ったら、いやあれは柳田國男が言い出したことでそんな言葉はそれ以前にはなかった、とボコボコに言ってるブログを見つけたのでまじかーと思ってやめました。
間引きについては調べれば調べるほど暗澹たる気持ちになりますね…。
そもそもこの話、別に説教したくて書いたわけではなく、上に書いたように、地べたっこさま読んで思いついただけなので…。
軽い気持ちで書くなよ、という。
締めの文章は以下を参考にしました。
水子供養の発生と現状
http://doi.org/10.15024/00000680
長々と書いてもあれなのでめちゃくちゃ端折りましたが…。
あと一応書いておきますが子引はわたしの造語です(子間引きという表現はある)。


前回(2019年)(は?)、「次回は暴れるポケモンに困ったわ…みたいなの書きたいですね」って書いてましたが、あれー?????
い、いやそういう話のネタもあるんだけど、なんかイメージが膨らまないんですよね。
ゆるゆると続けているこのシリーズですがそろそろネタがないので↑のネタが完成したらもう続かないんじゃないかなー。
気に入ってるので思いついたら書きたいですけどね。