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  [No.3463] 「バトルサブウェイには、バケモノがいる」 投稿者:GPS   投稿日:2014/10/20(Mon) 14:18:29   74clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

バトルサブウェイには、バケモノが住んでいる。
それは人喰いのバケモノだと言う。


「こちらはスーパーシングルトレインです。ご乗車になりますか?」
緑の制服に身を包んだ駅員に頷き、先ほど購入した切符を手渡す。パチンと切られたそれを返してきた彼は、それでは行ってらっしゃいませ、と丁寧に頭を下げた。黙って前を通り過ぎてホームに向かう。
間も無く滑り込んできたのは緑のラインを車体に走らせた地下鉄で、普通の交通機関として使われているものよりもいくらか冷たい印象を放っていた。それは乗っている人が少ないからなのか、或いは生活に寄り添うものではなくある種の非日常を演出する空間であるからなのか、はたまた単純に使用回数が少ないからか。その疑問は俺が考えたところでわからないだろう、思考を打ち切って、独特の音を立てて開いたドアの中へと足を踏み出す。
「にゃんにゃんしょうぶだにゃん!」
乗り込んだ、いっとう端の車両で俺を待っていたのは一人のウェイトレス。惜しみない量のフリルで飾り付けられた服からは、どちらかと言うとメイドカフェの店員といったイメージを受ける。甘ったるい声とふざけた台詞とは裏腹に、嫌々やってますという気持ちを隠す気も無さそうな表情が個性的だった。
しかし、そんなことはどうでもいい。相手の見た目や性格や肩書きなんて、バトルには何の関係も無いのだから。
大事なのは、ただ、勝つことのみ。
媚びるようなポーズを決めてボールを宙に投げたウェイトレスと同時に、俺も自分のモンスターボールをセットする。何度も何度も見ているあの光が車両に満ちて、バトルの開始を暗に告げた。


いつ誰が言い出したのかわからないその噂は、バトルサブウェイを利用する者たちの間でまことしやかに囁かれていた。
バトルサブウェイにはバケモノがいて、地下鉄に乗っている人を常に狙っているのだと。
どんな者でも貪り食うというそのバケモノに目をつけられたら最後、抗うことなどとても出来ずに喰われてしまう。
そんな噂だった。


「ふにゃーん! まけちゃったにゃん!」
にゃんにゃん言葉は崩さぬままに、ウェイトレスが俺を呪い殺しでもしそうな瞳をしてポケモンをボールに戻した。先ほども少し思ったのだけど、彼女はこんな調子で大丈夫なのだろうか。ウェイトレスを名乗っているということは恐らく地下鉄を出てもそうなのだろうけれど、この正直さは果たして業務に支障が出ないのか不安である。
が、そんなことを考える必要は俺には無い。バトルに勝った俺は、次のバトルに勝つことだけを考えれば良いのだ。鬼の形相のウェイトレスの前を黙って過ぎ、車両の端に設置された、ポケモン回復機能搭載のパソコンを起動する。
『ただいま 1連勝! 対戦を続けますか?』
迷わず『はい』を選択、回復の済んだボールを手に取る。殺気立った視線を背中に感じるが、そんなことは俺には微塵も関係無い。俺が今気にするべきことはただ一つ。
バトルに勝つ、それだけだ。


バケモノの正体には諸説あった。
地下鉄そのものがバケモノで、乗り込んだ時には既に喰われているという話もあるし、マルノームやカビゴンが奇怪な力を得て変質したものだと語られることもあった。ポケモンではない、未知の生き物なのではないかと疑う者もいる。
中でも一番現実味を帯びていない、その癖最も信憑性があるとされているのは、いくつものバトルを勝ち抜いた末に戦えるサブウェイマスター兄弟がバケモノなのだという説だ。彼らは自分たちと戦いたいと望む者をバトルサブウェイに誘い出し、逃げ道の無い地下鉄でそのトレーナーを喰うらしい。
彼らにとってみればこんな噂、風評被害も甚だしいとしか言いようが無いだろう。


「瞳の輝き肌の張り あの頃はもう戻ってこない」
次の車両にいたのは、上品な雰囲気の婦人だった。倒れたポケモンを前に呆然と呟いている彼女の前を素通りしてパソコンに向かう。制した勝負の相手にはもう微塵の興味も無い、婦人の譫言はパソコンのスピーカーから流れ出る電子音に掻き消された。
『ただいま 2連勝! 対戦をつづけますか?』
機械的な手つきで『はい』を選ぶ。休んでいる暇など無い、すぐに次の勝負に移らなければ。
勝つことだけを考えて。


その噂を本気で信じて怖がる人もいれば、鼻で笑う人もいた。もし自分が狙われたらどうしよう、と涙声で語る人もいれば、そんなものがいるはず無いだろ阿呆らしい、と馬鹿にする人もいた。バケモノがいるのかと駅員に詰め寄る人もいれば、面白半分で噂を流布する人もいた。
だがそのどんな人たちも、バトルサブウェイを利用することだけはやめなかった。皆、バケモノの有無など知らないとでも言うように地下鉄に乗り続けた。揺れる車両の中で戦うその享楽を求めて、誰もが切符を片手にホームに立つ。
バケモノがいると言われる地下鉄は、毎日大勢を乗せて地面の中を走るのだ。


『ただいま 16連勝! 対戦をつづけますか?』
もう戦えない相手トレーナーの言葉を聞く時間すら惜しい。流れ作業のように『はい』を選択して、俺はさらに隣の車両に移る。
乗車してから大分時間が経っていた。しかし腕時計も携帯も持っていない俺は、体感以外で経過時間を知る術を持たない。具体的かつ詳細な時間についてもまた然り、だ。
それでいい。
時間などわからず、気にしなくて済む方がバトルに集中出来るのだから。
大切なのは、勝つということだけ。
それ以外は、考えなくていい。


俺もその一人だった。
噂など少しも気に留めず、地下鉄でのバトルに熱中した。元々ポケモンバトルが好きだったと言うのもあるが、バトルサブウェイでのそれは格別だったのだ。
狭い車内で繰り広げられる戦い。無機質な灰色の壁や床を滑り、ぶつかり合う技と技。外で戦うよりもずっと血に飢えた目をしていて、ギラギラと光る勝利欲求が全身から漏れ出ている狂気のトレーナーたち。闇雲にレベルを上げたのではない、綿密な計算と細かな調整の元に育てられた、嘘のように強いポケモン。
そして何よりも俺を夢中にさせたのは、連続して行えるバトルだった。
ポケモントレーナーというものは至る所にいて、バトルが禁止されている場所でなければどこだって戦うことは出来る。しかしポケモンの体力にも限界があるため、ある程度戦ったらポケモンセンターで回復しなければいけない。相手トレーナーが強ければ強い分だけ、連戦出来る回数は減っていく。
しかしここは違う。地下鉄を降りてセンターに行かずとも、一戦ごとに回復が可能なのだ。車両の隅にあるパソコンにはセンターにある機械と同じ回復システムが搭載されていて、ボールをセットするだけでポケモンは元気になる。
時間をほとんど置くことなく、連続して出来るバトル。それは通常感じるストレスというものを一切与えず、その代わりに快感が手に入った。


『ただいま 72連勝! 対戦をつづけますか?』
その電子音声を聞き終えるよりも早く『はい』を選ぶ。回復のためパソコンにセットしたボールを奪い取るように掴み、俺はドアを引いて隣の車両へと飛び込んだ。
「わたくし天才幼稚園児! すでに大学を目指しております」
虚ろな目のトレーナーが言う。舌っ足らずの声は俺の鼓膜を素通りした。敵であるところの少年はごくごく小さな影としてしか目に映らず、最低限の情報だけが脳に届く。
それで構わない。
俺が感じるのはトレーナーがどんなヤツかなんかじゃなくて、相手がどんなポケモンを出してくるか。そして、そのポケモンに対してどう立ち回るか。
それだけだ。
勝つには、それしか必要無い。


繰り返されるバトル。
それはまるで、麻薬のようだった。
血走った瞳のトレーナーたちとのバトルは刺激的で、そしてとてつもなく魅力的だったのだ。
一戦でも多く、バトルがしたいと思った。
その欲求はやがて、一戦でも多く勝ちたいというものに変わっていった。

少しでも多く。
少しでも高く。

バトルに勝って、高いところに行きたいのだ。


『ただいま294連勝! 対戦をつづけますか?』
答えなど決まっていた。パソコンが処理を読み込む時間すらもどかしい。ピッ、という短い音を聞くか聞かないかのところで、俺はボールをひっつかむ。
さあ、次のバトルだ。相手トレーナーの口上などには耳も貸さず、ボールを投げてポケモンを繰り出した。
勝つ。
このバトルにも、勝つ。


何が何でも、勝つんだ。
それしか考えられなかった。
それだけ考えれば良かった。

一つでも多くの白星を刻めるように。
僅かでも高みに届くように。

もっと、もっと、もっと。

バトルに勝ちたい。

それだけだった。
それ以外は、何も無かった。



『ただいま ?? 連勝! 対戦をつづけますか?』
パソコンの音声はもう聞かない。『はい』を選びながら回復システムを起動、終了を示す電子音と共にボールをぶんどって次の車両へ。
窓の外に見えるのは、暗い地下道を照らすライトが発している白い光だけ。等間隔で並べられたそれがやはり等速で動く電車から見ると、決まったペースで流れていくのがわかる。
この世界には、何も無い。
あるのはそのライトと、あとはバトルだけ。

バトルだ。バトルが出来るんだ。
早く、次のバトルを。
早く、次の勝利を。

早く。


ここではバトルのこと以外、考えなくていいのだ。
バトルに勝つことだけを考えればいい。

目が眩む。
手が震える。
喉が枯れる。
足が浮く。
胃液が逆流する。
背中に汗が伝う。
心臓が跳ねる。

身体中の感覚が、自分から離れていく。
頭の中に濃い霧がどんどんかかっていって、自分が何なのかすら曖昧になる。

それでも、これだけはわかる。
バトルに勝つ。


バトルに、勝つ。



「ねえーノボリー」
「どうかいたましましたか、クダリ」
「警察の人、来た。行方不明の男の人、最後に見つかったのスーパーシングル。捜索したいから、一緒に来てだって」


戦って、勝ちを刻む。
それだけ考える。
相手のポケモンを倒すことだけ、俺のすべきことはただそれだけ。


「またでございますか……いくら探されたところで、見つかるはずも無いと思いますけどね」
「ノボリ、そんなこと言っちゃダメ。もしかしたら、ホントの行方不明かもしれない。まだわかんない」
「何をおっしゃいますか、クダリ。貴方だってもうわかってらっしゃるんでしょう? 大体、車窓から飛び降りでもしない限り地下鉄で行方不明になんかなりませんよ」


目に映るのはバトルのみ。
今の自分はどんな顔をして、どんな声を出していて、どんな風に立っているのか。
そんなこと、知らなくても問題ない。
勝てばそれでいい。
勝つだけでいい。



「全く、何故そうも愚かなことをしてしまうでしょうか。自分でもわかっているはずですのに、人間のサガというものなのでしょうかね……」
「『酒は飲んでも飲まれるな』と、おんなじ?」
「近いような遠いような……まあ、やめ時を見計らうことの出来ない者は地獄を見る、という意味ではそうなのかもしれません」


どのくらい連戦したんだろう、と疑問が頭に一瞬だけ浮かんだけれどもすぐに掻き消える。
そんな思いは必要無い、今必要なのは勝利だけ。
勝利して、次のバトルに進むことだけだ。
一戦でも多く、バトルを。


「それにしても……これでまた、例の噂が広がってしまいます。ま、嘘というワケでは無いので敢えて否定をすることも出来ませんけどね」
「バケモノがいる、って噂でしょ? ボクもお客さんに聞かれたよ、また一人喰われたんですか、って! とっても怖そうだった。顔なんて真っ青」
「そうでございまし。怖いと思える内が華ですよ……クダリもみすみす喰われないように、気をつけてくださいね」
「もー、ノボリ! それ、もう耳にマーイーカ! ボクもノボリも大丈夫、駅員のみんなも、心配ない!」
「それを言うなら耳にオクタンですよ、クダリ。……そうですね、大概の方は心配する必要などございません」


そうだ。必要なのは、それだけだ。
勝つこと、だけ。
勝つんだ。
バトルに。
一度でも多く。
それ以外は、いらない。


「しかし、噂の一部を訂正させていただきたいものです」
「うん?」


一戦でも多くのバトルをして。
一度でも多くの勝ちを刻んで。

それだけだ。
俺はそれだけ、考えればいい。

他のことはもう、考えられない。


「今のままのストーリーでは、クダリに尋ねたお客様のように怖がる方もいらっしゃるでしょう」


頭の中は真っ白だった。
全ての情報が、消えていた。

それでも、目の前の敵を倒すために必要なことだけは鮮明に浮かんで、俺の口はポケモンへの指示を勝手に飛ばす。
これは俺が無意識のうちに自分でそうしているのか、それとも誰かに操られているのか。

わからない。
考える必要も無い。

ただ、勝てばいい。



「わかった。あの部分だね?」


勝てばいい。
それだけだ。


「ええ。バトルサブウェイのバケモノは、」


戦って、戦って、戦って。


「"どんな者でも貪り食う"ものでは無く、」


勝って、勝って、勝って。


「"自分の腹に、自ら飛び込んできた者"を喰ってしまうもので、」


戦って、勝って、それだけを。
それだけを繰り返す、この地下鉄で。


「しかもその正体は"人喰いのバケモノ"などにあらず、」


戦って、


「バトルのやめ時を見失った、愚かな自分自身……それに過ぎないのですから」


勝って、


「そうなった方々に待ち受ける結末は、バケモノに喰われるなどと生易しいものではありません」


少しでも多くのバトルをするのだ。


「ずっと、ずっと……それこそ、仮にこのバトルサブウェイが取り壊されて無くなるような、そんな未来が来ても永久に」


それ以外は必要無い。

数えることなどとうにやめた、何度目かもわからない勝利を収めた俺はボールをパソコンにセットする。
車窓の向こうに見えるランプは絶えず流れていって、随分時間が経っているのではないかとうっすら思った。

いや、やめよう。
そんな思考は、必要無いのだから。


一戦でも多くの戦いを。
少しでも多くの勝利を。


次の、バトルを。




「戦うことと勝利だけを求めて、地下鉄を彷徨い、無数のバトルを繰り返すことになるのですよ」


どこまでも続くかのような闇の中を、ガタゴトと音を立てた地下鉄は走り続ける。

俺の終点は、まだ、見えない。