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  [No.3760] この世にオカルトは存在しない 前 投稿者:GPS   投稿日:2015/06/04(Thu) 20:01:05   79clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

1.僕と吉岡

この世にオカルトは存在しない。


オカルトなど、単なる気の迷いに過ぎないのだ。
都市伝説も、学校の怪談も。そんなものは現実に存在しない、退屈しのぎのまやかしなのだ。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言ったもので、一見不可思議に思えることでも実際は何とも馬鹿らしい、誰か人間が面白半分に流した噂、ゴーストポケモンの悪戯、そうでなければくだらない勘違いであったというのがオチである。

全てのことには説明がつく。
「正体不明」なんて存在しない。
何者なのかわからない、不気味な出来事なんてこの世のどこにもあり得ない。


少なくとも、僕はそうやって生きてきた。





「あ、三木センじゃん」

「センセー、何そのプリント?今から職員会議?」

湿気の充満した廊下を歩く学生の、ぺたぺたという足音が雨音に混じる。窓の外には灰色の雲が広がっていて、もう3日は降り続いているであろう雨がグラウンドをひっきりなしに叩いていた。梅雨とは言えどもこれは降りすぎじゃないかと思うと同時に、毎年こんなものかと思う自分もいる。

「違う違う、これは明日の小テスト。お前らの、な」

「げええーっ」

声をかけてきた生徒に返事をすると、彼女たちは大袈裟な悲鳴を上げた。忘れてたんですけどー、明後日にしてよ先生ー、と口を尖らせられたけれども苦笑だけを返しておいた。赤地に白の水玉、水色のギンガムチェック。色鮮やかな2本の傘が、持ち主の不満を表すように揺らされる。
二言三言、言葉を交わしてテスト延期の交渉は無理だと諦めたらしい生徒たちは、しかしそれでも明るい笑顔で手を振った。じゃーねー先生、また明日。高い声はプリンやピッピを連想させたが、今は下手にそういうことを口にすると面倒なので心の中だけに留めておく。「雨で滑らないよう気をつけろよ」と告げてこちらも手を振ると、ダイジョブだってー、と2人の教え子はけらけらと笑っていた。
高校の世界史教師として働き始めてはや8年。タマムシ都市部にも程近いこの学校に赴任したのは3度目となる異動で、初めて門をくぐったのは今年の春である。
ここに来て2ヶ月余、その期間を長いと見るか短いと見るかは置いておくとしても、まあそれなりに慣れてきたとは思う。幸いトラブルも少ない学校で、特段何の問題も無くこの校舎の時は流れているようだ。生徒たちは程よく勉強熱心であり、ああやって駄々をこねるくらいには程よく不真面目で、しかし気さくに会話が出来るのは教師として嬉しくないわけも無く、割合恵まれた職場と言えよう。ありふれた疲労と多忙を除けば、気にすることなどほとんど無いはずだ。

「でさー、アキも知ってる? 女バスの更衣室のさぁー……」

「あ、知ってる知ってる! あれ、あれでしょ、奥から2番目の鏡に…………って、ヤツ!」

「そうそれそれ! それなんだけど、ユッコがね、この前ね、……」

僕とは逆方向を歩いていった、先程の生徒たちを振り返る。楽しそうに喋る彼女らの、この前夏服へと衣替えがなされたばかりだ、白いブラウスが2つ廊下を進む。服装チェック時以外は短くされたプリーツスカート、裾から伸びる素足、膝下を覆う紺の靴下。そして床を踏む毎に、きゅっ、と音を立てる白の上履き……の、あたりに纏わり付いている黒い影。
ゴース、ガス状ポケモン。学術的にそう分類されているポケモンは、2人の生徒の足元をふわふわと漂っては身体であるガスを揺らしている。彼女たちのポケモンか、とも思ったけれども校舎内でポケモンを出すことは禁止されているし、確かあの2人のポケモンはそれぞれキノガッサとケーシィだと聞いたことがあるから違うだろう。
その紫色の気体がスカートの裾に触れるよりも先に、ガスの中に浮かぶ一対の瞳を『視えてるぞ』の意を込めて睨みつけてやった。僕の視線に気がついたらしいゴースはその大きな目を数度ぱちぱちさせて、そして慌てて掻き消える。
困ったものだ、と内心で溜息をつきつつ顔を前に戻す。ゴーストポケモンはあのように、概して悪戯好きなものだ。風も吹かないのにスカートが捲れ上がる、そんな被害にしばしば女子生徒(と、うっかりその場に居合わせてしまった男)が遭っているのだが、それは姿を消したゴーストポケモンの仕業である。心霊現象だの何だのと騒ぐ子もいるがそんなことは無い、蓋を開ければその正体は、誰もが知っているポケモンなのだ。
だから、オカルトなんて信じられ無い。正体不明の噂はしっかり正体を持っていて、この目に映る存在は、全て何の不思議も持ち合わせていないのだから。

それは僕のように、視えるわけじゃなくたって同じはずなのだけれども。
ゴースがいたことも姿を消したことも知らない2人の少女の、「マジでー!?」「怖いよねー!!」という声だけが、遠く後ろから聞こえてきた。





「こんちは、三木センセ」
『歴史資料室』と案内札の設置された教室の引き戸を開けると、この二ヶ月で耳に馴染んだ声が聞こえてきた。
タマムシシティに建てられたこの学校はそれなりの歴史があり、またそれなりの広さを持っていて、それ故地域住民たちにとってそれなりに便利な倉庫として長いこと扱われてきたらしい。学校という名目を上手いこと利用され、歴史的資料をしまっておく恰好の場所だったわけだ。日に焼けまくった紙から成る書物や作者不詳の絵巻物は勿論のこと、昔使われていた道具、モンスターボールの前身であるぼんぐりや、今では姿を消してしまった農具、宗教的儀式に用いられていたものなど様々な資料がこの学校にはある。
というと聞こえは良いのだが、公立の一学校に放り込まれている時点でその価値は推して知るべきであろう。博物館や美術館が欲しがらない、要するに言うほど特別な史料では無いということである。その癖『それなり』なのが厄介で、それなりの歴史がある分邪険に扱うことも出来ず、学校はこうして今でも史料を保管しているのだ。
そして僕に与えられた役割が、この資料を管理することである。やるべきことは資料室の掃除と整理、言葉にするだけなら簡単だけれどこれがなかなか面倒だ。僕と入れ違いで異動していった前任の担当者はここの管理をほぼ投げ出していたようで、しかし学校にいる年数はかなり長かったため後から赴任した校長や教頭も口を出しにくく、哀れ歴史資料室は無法地帯のまま放置されていた。そこにやってきたのが僕で、これ幸いとばかりに史料の整理と情報化を任されてしまったのである。
この役目があるため担任は持っていないものの、普段の授業の準備に加えて、予想以上に膨大であった資料室の片付はかなり大仕事になりそうだった。しかし、それだけならまだ良かったのだ。部活動顧問も男子バレーの副々顧問だからそっちの仕事はほとんど無いし、一応専用部屋をもらえたわけだし。良いとは決して言えなくとも、悪くも無かった、はずなのだ。
しかし。

「吉岡……何度言ったら勝手に入るのをやめるんだ」

「いいじゃないですか、ここ部室ですし。鍵だってちゃんと借りてきたんですよ? 職員室でフツーに借りれますって」

立ち並ぶ本棚や所狭しと置かれた資料に押し退けられるように、部屋の片隅に据えられたパイプ椅子の先客はそう言いながらへらりと笑う。手にした鍵がアピールするように揺らされて、チャリ、と乾いた金属音を立てた。

「先生何してたんです? 職員室にもいなかったし、もう四時半だし。今日は来ないのかと思っちゃいましたけど」

基本的に生徒だけの立ち入りは禁止されているはずの部屋に上がり込んでいたことへの罪悪感は欠片も見せず、何でもない風にそんなことを尋ねてくるこの男子生徒は吉岡という。白のワイシャツと紺のスラックスというありふれた制服姿の彼は、若干の不健康を心配してしまう程度には悪い血色以外にこれいといった身体的特徴も無く、見た感じはごくごく平均的な高校生と言えるだろう。それなりの歴史分の威厳はある史料に囲まれているとどうにも神秘的に見えなくもないが、同級生たちと一緒にいれば瞬く間に溶け込むに違いあるまい。
吉岡は三年生だが理系志望らしく、世界史の授業を履修していないため本来僕とは縁が無い生徒である。にも拘わらず、彼は僕が最も深く関わっている生徒と言っても過言では無いだろう。それは何故か。

「明日のテスト印刷してたんだよ。職員室のコピー機は壊れちゃったから、印刷室まで行ってたわけ」

「なるほどですね。じゃあ、先生が遅かったのも納得だ」

「お前さぁ、僕がいない時は中入らないで待ってろって言ったじゃん。吉岡がどういう風に鍵借りてんのか知らないけど、部室って言ったって、オカルト研究部は正式に部活として認められてないんだから」

オカルト研究部。そんなものを実際に、しかも大学ならともかく高校でやろうとする人間が実在していることを、僕は今年の春に初めて知った。要するに吉岡の存在によって知り得た事実である。
見た目はごく普通だし、神出鬼没な所を除けば性格的にもよくいる高校生である吉岡だが、しかし彼は同時に強いこだわりを持ち合わせてもいた。オカルト研究部の活動を絶対にするのだ、と言って譲らないのである。別にそれだけならば僕としても文句を言える立場でも無いしそもそも言う気も無く、どうぞやりたいことをやりなさいなどと大人らしいことさえ言えるのだけれども、現実は少々の問題を抱えている。
まず、オカルト研究部が実際に立ち上げられてはいないことだ。この学校では部活動または同好会を設立するには最低五人のメンバーが必要だが、見ての通り部員は吉岡しかいない。その癖彼は部員を勧誘する気も無いようで、こうしてただ一人でオカルト研究部を名乗っているわけだ。
もう一つ、こっちがより大きな問題なのだけれども、そのオカルト研究部の顧問が僕ということである。当たり前であるが、了承した覚えはない。四月に初めてこの部屋に足を踏み入れた日には既に吉岡がこの部屋にいて、「新しい先生でしょ? 顧問よろしくお願いします」とあっけからんとした笑顔と共に告げてきたのである。そんなことは聞いた覚えも無い俺は当然否定したし他の教師にも質問してみたのだが、吉岡はにこにこ笑いながら「いいじゃないですか、頼みますよ」と言うばかりで、教師陣の答えもどうにも要領を得ない、ふわふわしたものだった。吉岡曰く前任の担当教師は顧問を務めてくれたということだが、他の教師はこの部屋のことをその前任者に任せっきりだったためにここのことは全くわからないのであろう、というのが、僕が泣く泣く出した結論である。

「でも、俺が部活出来るのここしか無いですし。普通の教室は使っちゃダメだし、図書室は喋っちゃいけないし。多目的室とかは他の部活が使っちゃってるし。でもここならほら、おしゃべりも出来るし机と椅子もありますし! これ以上ピッタリな場所もありませんよ」

「そういう問題じゃなくて生徒立ち入りの……いや、そうは言ってもお前だって居心地悪くないか? 埃っぽいし散らかってるし狭いし、今は特に湿気すごいし。あとほら、電気取り替えなくて悪いの僕だけど、薄暗いし」

微妙に寿命が尽きかけてきているらしい、チカチカと点滅を繰り返している蛍光灯を視線で示しながら僕は言う。しかし吉岡はちっとも気にしていない風に、「いいんですよ」と口元をニッと緩ませた。

「俺、暗いとこ怖いタイプじゃありませんし、むしろ好きですから。狭いのならこれから広くしていけば大丈夫ですしね、今日もお手伝いしますよ、どこから片づけていきますか?」

本気なのか冗談なのかわからないことを言いながら、吉岡が椅子から立ち上がって散らかった部屋を見渡している。オカルト研究部の活動はどうした、と突っ込みたくなる気もするが、実際のところ、彼の奇妙な『部活動』の活動内容の八割は僕の手伝いと化しているのだ。申し訳無さもさることながら、手伝わせて良いのだろうかという気持ちもあって断るべきだと思っているのだけれども、少しも嫌がる素振りも見せない上に整理整頓スキルの高い彼の手は、僕にとってかなりありがたいものであることは否定出来ないまま現在に至る。
悪い子では無い。むしろ、一部以外ならば相当理想的な生徒と言えよう。来たばかりの学校で最初に懐いてくれた生徒であったこともあって、僕はどうにも彼を退けられないまま、暫定的とは言え『顧問』の名を享受してしまっていた。

「……じゃあ、あの棚の三段目からやっていこう。あそこには美術史に関する資料をしまいたいと思ってるんだけど、どこに散らばってるかわかったもんじゃないからまず空にするところから」

「了解でーす」

間延びした声で吉岡が言い、パイプ椅子を畳みながら棚に身体を向ける。僕も持っていたプリントをステンレスの机に置いて、今日の作業に取り掛かることにした。

「そうだ先生、先生に聞きたいことがあったんですよ」

空にした棚を雑巾で拭きとっていると、取り出した資料の埃をはたいていた吉岡がこちらを振り返った。狭いわけでは無いが置かれた物の多さによって圧迫感を覚える資料室に唯一ある、小さなガラス窓の外ではやはり雨が降り続いている。気休め程度の湿気防止に開けてあるドアの向こうから聞こえる掛け声は、渡り廊下で筋トレに励む野球部のものかサッカー部のものか、それとも陸上部のものだろうか。梅雨のせいで練習がちっとも出来ない、と嘆いていた体育教師の落胆する顔が脳裏に浮かぶ。

「女子バスケット部の部室の話! 奥から二番目の鏡を午後六時五十九分に覗いて、右手の人差し指と左手の中指を組みながら『もりのリングマ』を歌うと一年後の自分の姿が見えるっての、先生聞きました?」

ひっきりなしに聞こえる雨音に、興奮のあまり早口になっている吉岡の声が重なった。説明を半分ほど聞き流しながら彼に目を向けると、見るからに楽しそうな笑顔を浮かべて僕に熱弁をふるう姿が視界に入る。切れかけた蛍光灯で薄暗いこの部屋も重っ苦しい灰色の雨空も、この生徒くらいの明るさがあれば良いのだが、と不毛な考えが頭を過った。
オカルト研究部を名乗る吉岡だが、実際の彼はオカルト知識にひどく乏しい。僕もその分野に詳しいわけではないから人のことは言えないが、それにしても吉岡のオカルト知識は無いも同然だった。オカルト、というと恐らくUFOだとか地球外生命体だとか、未発見のポケモンがいるかいないかだとか、古代遺跡の謎だとかそういった類を想像するだろう。しかし吉岡はそれらを全く知らないようだし、また興味も無いようであった。ならば心霊写真やパワースポットの方面なのか、と思ってみてもそれも違うらしく、彼がそういう話を持ちかけてきたことは今まで一度も無い。

「あ、しかもコレ続きがあるんですよ、今みたいなやり方でやれば大丈夫なんですけど、コレ間違ったらヤバくて……特に指を逆、右手の中指と左手の人差し指でやっちゃうと、一年後の自分が鏡の中から出てきて今ここにいる自分をひきずりこんじゃうらしいんですよ! しかも! 『もりのリングマ』、これは絶対三番の歌詞じゃないといけないんです……もしも一番を歌ってしまうと……一年後じゃなくて、五十一年後が映ってしまうらしいんです!!」

じゃあ、吉岡は何故オカルト研究部をやりたがるのか。
その答えは今現在の彼の様子そのものにある。吉岡はオカルト知識こそ皆無だが、今この学校で噂になっている怪奇現象についてはいたく詳しかった。この学校にはそれ関係の噂が多いように思えたが、吉岡はその全てを網羅しているようにすら思えるほど噂話に詳しいのだ。
人好きのする性格でお喋りだから情報通なのかとも思ったのだが、それにしても噂話における彼の詳しさには舌を巻くレベルである。

「実はですね、一年生の女子が間違って一番を歌っちゃったらしいんです。そしたら……鏡にサイホーンが映ったんだって言うんですよ! これがどういうことだか先生わかりますか!? 一番を歌った場合に鏡に映るのは五十一年後の自分の姿……でも映ったのは中年の人間じゃなくってサイホーン……つまり、もう違うものに生まれ変わってるんです、つまりその子は五十一年以内に死んじゃうってことなんですよ!!」

「吉岡」

だが、いくら彼が噂話に詳しくても僕がそれに乗るとは限らない。一人で勝手に突っ走り目を輝かせている彼に向かって、僕は至極冷静な声で告げた。

「そんなことがあるわけないだろ、きっと誰かが言い出した他愛も無い作り話だ。大体一年後って……三年生ならまだ大学行って髪染めたりしてるかもしれないけど、一、二年生なんて言うほど変わらないだろうし。七時前だと更衣室なんて暗いだろうし、よく見えなくてそう勘違いしちゃうんじゃないか? サイホーンの件もそう、ドキドキしてたせいでそう思い込んじゃったんだと思うけど、ほら今ちょうどやってるじゃんカロスのサイホーンレースの試合生中継。それでも見てて頭に残ってたとかさ」

「えー、でもいますよ。超化粧濃くてヤッバイギャルが映ったっていう女子!」

「じゃあ偶然居合わせたゴーストポケモンの悪戯だろ。あいつらはそういう、肝試しとか面白半分で怖いもの見たがってるような気配が好きだから」

催眠術を使うゴーストポケモンんが幻覚でも見せてるんだ、そう結論付けると吉岡は面白くないという風に口を尖らせた。先生はいつもそーやってすぐ論破するからつまらない、これだから大人は嫌だ、いや大人だって普通もうちょっと話に乗ってくれると思いますよ。そんな文句が、窓ガラスを雨が叩く音と廊下に響く運動部の掛け声に溶ける。それでも僕はいつものように、彼の話を一蹴するのだ。

「オカルトなんて信じないからな。学校の怪談も、都市伝説も。あんなのは全部、一時のまやかしに過ぎないんだから」

「またそうやって! いいじゃないですか、こういうのは真偽がわからないからこそ楽しいんですから。それでもオカルト部の顧問ですか?」

「それはお前が勝手に言ってるだけだろ、あと真偽がわからないんじゃなくて、偽だって言ってるんだ、ちゃんと正体はいるから。ああいうのは」

「 視えるのに、ですか?」

「視えるから、だ。それに噂話なんて、どうせすぐに忘れるんだから。お前も、僕も。それにみんなもな」

「そりゃあ、それが噂話の性分ですから」

もはや毎回恒例である会話を交わしつつ、僕と吉岡は資料を片付ける。一挙一動取るたびに埃が舞うため一苦労だが、花粉とのダブルコンボに備えてマスクを二重装備しなくてはならなかった時期に比べたらまだマシだと思うべきかもしれない。そう考えるとこの湿気にも感謝しなくてはならないだろうか、しかしその分カビの問題も出てきた恐れがある。げんなりする気持ちを抑えつつ、真っ黒になった雑巾を床に落とした。
そういえばさっきの女子生徒が言っていたのはこの話か、と今更合点がいったがそのことは黙っておく。吉岡が話す時点でその噂は校内中に広まっているものなのだ。こればかりは確実なことで生徒のほとんどが知っているに違いないのだから、わざわざ僕が報告すべき事でもない。
あ、じゃあこの話は知ってます? 無尽蔵に湧く吉岡のオカルトトークをBGMに、僕たちは手を動かし続ける。晴れている日ならばそろそろヤミカラスが鳴き出す時間だが、やはり雨ともなると彼らも外には出てこないらしく、窓ガラスの向こうから聞こえるのは相変わらず大粒の雨の音だけだった。





お疲れ様です、と用務員さんに挨拶して校舎を出る。雲に覆われたままの日が落ちて、屋内での部活を終えた生徒たちが色とりどりの傘をさして帰っていって、折り畳み傘を使うから大丈夫だなどと言う手ぶらの吉岡を資料室から見送って、それでもまだ雨は降り止まない。月も星も見えない夜空は真っ暗で、明日の天気も変わらないことを暗示しているようだった。
安物のビニール傘を広げて校門に向かう。電車で数駅のところにあるアパートに待つ者は誰もいない、何を食べようが文句を言われることは無い。夕飯はどこで調達しようか、などと帰路にあるいくつかのコンビニを頭に思い浮かべていた時だった。
視界の端、体育館に隣接したプレハブ小屋の周りを薄黒い影がふわふわと、漂っているのがうっすらと見て取れた。

「ああ、やっぱりゴーストポケモンの仕業だ」

僕は、そう口にする。
運動部の部室がまとまったあの建物に、当然のことながら女子バスケット部のそれもある。つまりはあそこにいる影こそが先程の噂の正体であり、オカルトの否定材料であるに違いない。そうだ、そうに決まっている。すぐに忘れ去られてしまうオカルトには、歴とした正体があるものなのだ。

視えてるのに?
視えてるからだ。

さっき交わした、吉岡との会話が蘇る。
生まれつきそういうたいしつで、ゴーストポケモンや一部のエスパーポケモンはど、そういう類のものを見つけることに不自由した経験は無い。僕は、いつだって見てきたのだ。
だからこう考えている。オカルトなんて存在しない、と。
プレハブから視線を外し、校門を出ると野生のベトベターがドブに滑り込むのが見えた。雨に流されたか、それとも自分の意思なのか、不定形の身体からはその判別はつかず、ぼんやりしているうちに紫のヘドロは側溝の奥へと消えてしまう。
きっと、このベトベターよりもずっと呆気無く、あの噂話も消えていくであろう。少し強い風が吹いて、そんなことを考えた、僕の顔を雨粒が叩いて濡らしていった。


2.目まぐるしきは噂話

「あのさ、三木先生。聞きました?」

百均のバインダーに綴じられた、『身分制度における所有携帯獣格差』という紙束を机に積み上げる。溜まったホコリを払うためにページをめくると名状しがたい臭いと、湿気とカビとホコリが一斉に舞い上がって僕の目の奥は悲鳴をあげた。はがねタイプのポケモンを所有出来るのが武士と一部の有力平民だけであった時期が云々、と書かれた箇所にあるエアームドの絵は、得体の知れない緑のシミで変色している。
見なかったことにしつつバインダーの表面を拭う。気管に入り込んだホコリに咳き込んでから、並べられた土偶の汚れをハタキで掃除していた吉岡の方を振り返った。

「何を。聞いたって」

「アレですよ、消しゴム。消しゴムの話。ニドリーノとニドリーナを描いておくと、好きな人とラブラブになれるって話です」

またそれか。そう言葉にする代わりに、僕は鼻で短く息をする。資料室の片付けをしながら情報通吉岡の話を聞くという、いつも通りのオカルト研究部活動風景であるが、よくもまあ、こう、尽きることなく話題をもってこられるものだ。

「あ、先生はどうせ信じてないんでしょうけど。でもすごいんですよコレ、もう実際に学校で5件の成功を確認してますからね。1年が1組、2年と3年で2組ずつのカップルが」

「信じるも信じないも……そういうのは、その『おまじない』に浮かされてるだけだから。そういう場合は消しゴムなんかなくても上手くいくもんなんだ、単にきっかけなんだよ。それは。……大体なんでニドリーノとニドリーナなんだ? ニドランのオスメスじゃダメなのか、ニドキングとニドクインじゃ」

「んー? なんででしょうね、僕たちが高校生だからそういうことになってるんじゃないでしょうかね。先生もこの前言ってたじゃないですか、『人間の青年期にあたることが多い』って。第二進化は」

「そう言われれば、言ったかもしれないけど。その話なら」

整理していた資料に描かれている絵を見て、何故どの時代でも子どもはニドラン、若者がニドリーノとニドリーナ、大人になるとキングとクインを連れているのか、と吉岡に聞かれたのはいつだったか。記憶を遡ってみるもはっきりは思い出せない。湿気に苛立っていた憶えは無いから、梅雨に入るよりも前のことだったかもしれない。兎にも角にも確かにまあ、そんな話はしただろう。
それにしたって、噂の趨勢は本当に早いものである。この前盛り上がっていた、女子バスケット部更衣室の鏡がどうのというあの話はどうしたのだろうか。目の前で楽しそうに新しい噂話に興じている吉岡など、もはや完全に頭から抜け落としていそうな気がするけれども。51年未来の自分がポケモンでつまり1度死んでしまうだのなんだの、あんなに興奮していたというのに。

「ニドリーノとかニドリーナじゃないといけないのか、描くのは」

「そうなんじゃないですかね。うーん、今のとこ、別のポケモンだとどうなるみたいな話は聞いたことないですけど。あ、でもアレです。絵が下手だとニドリーノとかニドリーナに見えないからダメだって。ある程度ちゃんとしてよ」

「世知辛いおまじないだ……どんなリアリティなんだよ、それ」

「あ、あとですね。好きな子が自分と同じ性別だったらアレ描くんですアレ」

「時代だな。ニドリーノとニドリーノ、ニドリーナとニドリーナって感じで描けばいいのか?」

「いえ。そうじゃなくて。片方メタモンにするんです」

生々しいんだよ。今度は口に出してそう言った。
流石に1度は止んだものの梅雨はまだまだ明けないようだ、湿気の元凶たる雨は、今日も変わらず降り続いている。大真面目な顔で阿呆なことを言う吉岡へ向けた、僕の溜息を雨音たちが掻き消した。





翌朝、4ぶりに見た青空は必要以上に晴れ渡っていた。雲は欠片ほども無く、湿気の反動で太陽光の熱がこれ以上無いくらいに熱く感じられる。暑い。
学校に続く道、周囲を歩く生徒たちも暑い暑いと口々に文句を言っている。続く雨にもうんざりするが、これはこれできついものだ。

「せーんせっ、三木せんせっ」

「おはよーございまーす」

シャツの襟元に空気を送り込んでいると、後ろから声をかけられた。振り向いた先にいたのは1組の男女生徒、確か3年生で同じクラスの生徒たちだったはず。担当クラスの記憶を手繰り寄せつつ、「おー、おはよう」と言葉を返す。

「暑いものだな、朝からこれじゃ」

「やだなー、先生ったら。からかわないでくださいよ」

「やっぱ『おまじない』で付き合ったこと、バレまくってる感じっスかね?」

「え? あ、いや。暑いって熱いじゃなく……ん? もしかしてお前らって、あの、消しゴムの」

3年に2組、という吉岡の言葉を思い出しながら尋ねると、2人は少しばかり照れ臭そうに笑って頷いた。ああ本当にいたのか、消しゴム使って誕生したカップル。信じがたい事実に若干台詞を選びあぐねていると、女子生徒の方がはみかみながら口を開いた。

「おまじないやったのは私で、ホントに出来るのかなー、って思ってたんですけど。こんなんで上手くいくわけないじゃん、って。でも。でも、そしたら木崎の方から」

「いやー、アレなんです、俺はこの消しゴム流行る前から……でもまぁ、何も出来なかったんスけど……でも、そしたら部活のヤツに『張間、消しゴムにアレ描いてるって』『お前じゃねーの? 絶対木崎だわ』とか言われたんスよ。で、ダメ元で。そしたら」

「まさかホントに、『おまじない』効いちゃうなんて。すごいですよね」

男子生徒は照れ笑いを浮かべて頬を掻いているし、女子生徒はキラキラと目を輝かせている。いつぞやの吉岡を彷彿させるその目に、なんだやっぱりそんなことか、と呆れが内心に生まれた。
見るからに幸せそうな2人に言う。

「そんなのなぁ、お前らみたいなのは消しゴムなんかなくたって上手くいっただろうよ」

「やだー、もー、三木先生って時々めっちゃすごいこと言う」

「当たり前だ。そんなオカルトなんか、おまじないとか、あるわけない」

「あー、そういう。やっぱ先生は先生っスね」

「いつもそうだよね。でもそこが三木センだって言われてるけど……」

僕の一歩後ろを歩いているカップルは顔を見合わせ、一緒に笑い声をあげた。その様子に思う。やっぱりなぁ、と。
校門の上に見える電線に止まったポッポたちの鳴き声は雨の時には聞こえなかったもので、その実暑さを余計に増しているようにさえ感じられた。久々の朝練に励む野球部だが、この頃夏に向けて多くなってきたバタフリーたちに邪魔されている。今後はこういう日がどんどん増えるのか、と思いつつ校舎に向かう僕は、背後の2人に投げかけるような、その実独り言のような言葉を呟いた。

「ま、いいけど。それも青春ってことだな」

「もー、オジサンみたいなこと。先生まだ30なんでしょ、もー。青春とかダサいですよ」

「そうスかねぇ……俺はまだ、なんとなく……アレ、信じてるんスけど」

男子生徒の言葉に振り返る。ショルダーバッグのベルトを肩に掛け直した彼は、やけに真面目くさった顔を傾けた。

「だって、アレっスよ。どうしてアイツらが張間のこと知ってんのか、知ってたのか……聞いても全然わかんないとかなんとか。コレってなんか、やっぱなんかある気がしません?」

「そりゃ、アレだよ。お前をからかってんだろ」

「そうっスかね……」

「そうだって」

言い切った僕に、女子生徒が何度目かの「もー」と共に口を尖らせた。
2人と別れて校舎に入る。ようやっと日差しから開放されたかと思ったのは一瞬のことで、すぐさま質量のある湿気に襲われた僕のシャツに、汗が流れてシミを作っていた。



「あ、三木センじゃん」

「おっはよー、三木ちゃん!」

朝の定例職員会議を済ませ、ホームルーム担任で無い僕は向かうクラスが無いため資料室へと足を運ぶ。蒸し暑い上に窓から差し込む日光が熱さまで与えている廊下を歩いていると、騒いでいる生徒たちの中から声をかける一行がいた。
4、5人の男子生徒、荷物は教室に置いてきたのか何のかんのと口々に言いながら半分取っ組み合っている。授業を担当している子たちも混ざるその集団が身に纏う、夏服の白シャツが太陽光を反射してどうにも目に眩しかった。ふざけた口調で呼んできた男子生徒、オニスズメみたいに前髪が跳ね上がっている少年の肩を軽く小突く。

「なんだ、その三木ちゃんっていうのやめろって言ってんだろ。チャイム鳴るから教室戻れって」

「そんなことよりさー、三木ちゃん今日テストなんでしょ、マジ勘弁なんだけど。明日にしよーよ、明日」

「三木センさぁ、アレ教えてアレ! なんだっけホラ、何とかの飢饉と何とかの改革の順番、ほら色々あるヤツ!」

「とりあえずテスト受けて追試だな」

色々と突っ込みたい気持ちを抑えながらそれだけ伝えると、男子生徒達は揃って口を尖らせた。いいから最後のわるあがきでもしなさい授業までまだ時間あるんだから、などと言いながら廊下に広がる彼らを押し退ける。昨日の女子たちといい、何故こんなに嘆く羽目になるまで勉強をしようと思わないのか。学生時代の自分も彼ら同然であったから人のことをとやかく言える身では無いけれども。

「おはようござい、ねぇ、三木先生。昨日のこと、もう噂になってるよ」

こいつらに教えてもらった、先生気にしてたこと。聞き慣れたその声に、足と過去の後悔を打ち止める。「吉岡」と、どうやら男子生徒の群れにいたらしい彼に、僕がその先を言うよりも前に吉岡の周りの教え子たちが騒ぎ出した。

「えー何!? ナニソレ聞いてないよよっぴー! あのことってアレでしょ、消しゴムの続編! マジで、マジで言ってんのかよよっぴー、三木センが気にしてたとかマジヤバじゃん!?」

「マ、ジ、で!? あの、何聞かされてもあり得ないで片付ける三木せんせーがあんなくだらねぇ噂気にしてたとかマジかよ! 何? 明日雨なの!? まぁ梅雨だけどさぁ!!」

「ばっかオメー、雨どころじゃねぇわミュウツーが降ってもおかしくねーっての、いやむしろ雨は雨でもはじまりのうみって奴だな! だって三木ちゃんだぞ、オバケもヨーカイもホラーも全部『そんなものは存在しない』『もしそう思うのなら、それはゴーストポケモンの仕業だな』で済ます三木ちゃんだぞ!? その三木ちゃんが消しゴムのおまじないなんてさぁ」

「あー、……うるさいぞお前ら! いくら授業前だからってもうちょっと静かにしろっての、あと西田、それはもしかしなくても僕のモノマネのつもりじゃないだろうな」

「そうですけど?」と当然のような顔で言ってきた生徒の一人に、僕は思わず脱力する。こんなことでここまで騒ぎ立てる生徒たちも生徒たちだけれど、余計なことを言ってくれた吉岡にも気が抜けた。本人は至って悪気が無さそうな様子で「それで、それでですね先生、」などと少しでも早く噂のことを話したいといった調子であるのがまた呆れものだ。
力が抜けすぎて怒る気も起きない僕の首に、男子生徒が馴れ馴れしくも腕を回してくる。ただでさえ暑い上に蒸しているのだからやめていただきたいものだ、それに子どもの体温はどうしてこうも高いのだろう。
これだけうるさくしていたというのに、廊下にいる他の生徒たちはこれといって気にしていないらしく各々普通に喋っている。高校生とはこんなものなのだろうか、回された腕の熱に浮かされ始めた頭でぼんやりと考えていると、開けたガラス窓からコンパンが覗いていた。前いた学校ではモルフォンの鱗粉が部活中の生徒に被害を及ぼしたせいで、教師総出でむしよけスプレーを撒いたものである。
ここは果たしてどうであろうか。どちらかというと鱗粉よりも、彼らの反撃たるかぜおこしによって目に入ったスプレーの方が辛かったけれど。いらぬ思い出に浸る僕を他所に、「まーいいじゃん、いいじゃん」と腕を回している生徒がニヤニヤと笑う。

「三木センもさー、実は気になっちゃったりするんだって。ホントはオバケとか好きなんじゃねぇの? 吉岡とよく話してるし」

「井村、それ言えてる! やだな〜三木ちゃん、いじっぱりなんてさ、だから結婚出来ないんだって。あっでも攻撃高めなの三木ちゃんにピッタリ」

「だからうるさいんだよ、お前たちはいちいちいちいち」


一言も二言も多い彼らに睨みを効かせると、教え子たちはケラケラと笑ってみせた。原曲たる吉岡までもが一緒になって笑っているのが頭にくるところだが、これ以上怒ったところで暖簾に腕押しマグマッグに釘であろう。それで、と吉岡の話を促してやる。

「結局何なんだ。その、昨日の話の続きっていうのはさ」

「あ、はい……ニドリーノと二ドリーナじゃないとどうなるか、ってヤツなんですけども。全く関係ないポケモンだと何の効果も無いらしくて、相手が自分よりも年下だったらニドラン、年上だったらキングとクインを描けばいいらしいですよ。で、両方をキングとクインにしたら、今は何も起きないけど将来、大人になったら恋が叶うみたいです」

「ふぅん。なるほど、ね」

「ここからが本番です。問題はニドランのオスとメスのセットを描いた場合はどうなるか……その時は……そうしてしまったら…………」

吉岡が変に溜めを作る。本人は神妙な雰囲気を演出してるつもりだろうけども、朝っぱらの明るい廊下ではあいにく珍妙でしかない。それでも高校生とは単純なものらしく、彼を囲む男子生徒たちはその様子に呑まれたかのように生唾など飲んでいる。
「ニドランだと、ニドランだとですね……」吉岡は尚も溜めている。いいからさっさと言えよと口に出したいのを必死に堪える僕の首に回る腕の力が込められ、息苦しいと暑苦しいので二重にやってられなさを感じた。

「両方をニドランに、第一進化とニドランにしてしまうと……なんと!!」

「…………なんと?」

「なんと…………アレです。ニドランっていう進化してないポケモン描いたから、それ以上育たなくなっちゃうんです、男も、女も。『然るべきとこ』が」

言い切った吉岡に、僕も含めたその場全体の時が止まる。この空気を、この雰囲気をどうすれば良いのかわからない。今の子どもというのはこれが面白いとでも言うのだろうか、だとしたら僕は知らない間に随分と歳をとってしまったようである。それか、ジェネレーションギャップとやらだろうか。
え、と言葉にならない感情が短い声となって喉から上がってきた。

「………………それだけ?」

「え、はい」

「…………………………それだけ、か?」

「はい。ですけど。これだけです」

何でもない風に頷いた吉岡に、僕の口から「くっだらねー」という呟きが漏れて消えていく。どっと湧き立つように笑った男子生徒たちの大声に、感じる暑さがさらに増したのは言うまでもないだろう。ちなみに相手がポケモンの時は逆に片方人間を描けばいいらしいですよ、という吉岡の説明が心底どうでもよかった。



例によって雨である。タマムシはおろかカントーの梅雨はまだまだ開けないようで、歴史資料室の空気は相も変わらずじめじめと湿っていた。この部屋のメリットとして思いつくのは、じばくもだいばくはつも無効になることくらいであろう。全身を包む湿り気にうんざりする。

「ねぇ、知ってますか三木先生。この噂、『放課後の美術室の怪』」

しかし、心身ともにうんざりしているのは僕だけらしく、吉岡はいつもと変わらず絶好調だった。歴史資料室の掃除をしながら噂話を語る、通常運転のオカルト研究部。適当に収められていた紙束を研究テーマごとにファイリングする手を休めないまま、彼は今日も噂話を教えてくれる。

「美術室にあるじゃないですか、ほら、カロスの芸術家の石膏。放課後になるとアレ、独りでに動き出すらしいですよ」

「何がしたくて……大体、動き出すも何もあれは首から上しか無いはずだろ、どうやって動くっていうんだ」

「それは……とにかく動くんですよ、石膏が! 美術部の1年生が見たらしいですよ、彫りの深い真っ白なイケメンの顔が美術室の床を這ってるのを! 彫りの深い真っ白なイケメンの顔が! 顔だけが!!」

「だから言ってんだよ、顔だけが動く時点でゴーストポケモンの悪戯に決まってるんだって」

そしてこのやり取りもいつも通りである。毎回毎回、よくも吉岡は飽きずに話しかけてくるものだと感心するけれども、考えてみれば僕の方も同じかもしれない。毎回毎回、飽きることなく変わらない返事をし続けているだなんて。
何百年も前にシンオウで着られていたという民族衣装に積もった埃を払う。とてもカビっぽい。梅雨が明けたら布系のものは、一度外に干してしまった方が良いだろうか。

「っていうかどうしたんだよ、消しゴムの話は。あんなに騒いでたのにもういいのか」

時間経過によるホツレなのか、それとも最近の虫食いなのか、判別付かない穴を見て見ぬフリしながら尋ねてみる。バサバサと音を立てながら資料を片付けていた吉岡の、件の石膏をとやかく言えないほどに白っぽい顔はきょとんという擬音が聞こえてきそうなほどであった。その様子に、内心の自分が「やっぱりか」と呟く。
吉岡に限らず、ここ最近の噂話は異常なペースで移り変わっていた。最初のうちは何週間か続いていたはずの噂は、やがて晴天と雨天が三度入れ替わるたびに変わるようになり、一度降り出した雨が止むごとに別のものになり始め、そして今や灰色の雲が消えるのを待つ暇も無く、新しい噂へと変わっているのだ。
いくら噂話というものがそういう性質だとは言え、これは普通では無いように思える。反面、高校生とは流行に飛びつきやすい年齢なのだと考えることも出来るには出来るわけで、それほど気にかけることでも無いだろうとも感じられるのだ。
その高校生である、吉岡も不思議そうに首を捻る。何故そんなことを気にするのかとでも言いたげな顔で、「そうですかね」と考え込むような声を出した。

「噂なんてこんなものだと思いますけど。それに、まあ、先生の言う通りウソだった噂もありますから、そうだとわかったらいつまでも話してることも無いでしょうし。俺たちは今を生きてますから、古いことにこだわってる場合じゃないっていうか? そんな感じ? ですかね?」

「適当な奴だな。あと『もある』じゃなくて『しかない』の、全部嘘だから。噂なんて」

「わかりましたわかりました、わかってますよ、三木先生はそうだって。本当こだわり強いんだからなぁ……ハチマキも眼鏡もしてない癖に」

つまらなそうに言いながら、吉岡は百均のファイルの中に論文を突っ込んでいく。彼が背にした窓の外にはしとしと雨が降り続いていて、明日までに止みそうな気もしなかった。

「でもいいんじゃないですかね。いろんな噂あるの面白いですし」

「それはそうだけど、な……あ、吉岡。その資料写真撮っといて、地理の佐田先生に送ってくれって言われてたんだ」

言いながら、ポケットから取り出した携帯を彼に放り投げる。了解です、と答えた吉岡の声から数秒後、カシャリというSEがじめじめした室内に鳴り響いた。

「あ、すいません。変なとこ触っちゃってインカメで撮っちゃいました」

「あー、いいよ後で消すから。とりあえずそこのページとそれと……あとそれ、サイユウの島面積の変化の、それそれ。そこ撮っといて、よろしく」

「おっけーでーす。あ、それでさっきの続きなんですけど。石膏の芸術家さん、生前アマルス可愛がってたらしくて、だからアマルスの絵をその場で描くと……」

カシャカシャという音を響かせながら、聞いてもないのに吉岡がまた喋り出す。遮る意味も無いのでそのまま聞き流すスタンスの僕が黙っているため、彼の話は終わることを知らずに続くばかりだ。雨の音など気にならないくらいに、彼は途切れることの無い噂事情を披露してくれる。
そのようにして、オカルト研究部はいつもと変わらず活動らしくない活動を終えて解散となった。それが3日前のことである。たった3日前なのだ。にも関わらず、降り続く雨がまだ止んでいないのにも関わらず、吉岡はまた新しい噂を口にした。


「先生、大変ですよ。体育倉庫にバスケのボールがいっぱいあるじゃないですか、あれヤバいんですよ。あれ、水曜日の夜だけこっそり、ビリリダマに変わって、しかもそのビリリダマ! 爆発すると中からジラーチが目覚めるっていうんです」


「三木先生。音楽室のピアノなんですけど、正面に見える窓枠にバタフリーが止まってる状態で『つきのひかり』を弾ききると夢が叶うそうですよ」


「ねぇ三木先生、これ知ってます? 2年の現文の教科書に載ってる、タイトル忘れたんですけど友達自殺させちゃうあの話。図書室にあるあの本を3日間枕の下に入れておくと、夢の中の自分とお話出来るらしいです」


「体育館! 朝7時44分の体育館で、両手を失ったエビワラーと両足を失ったサワムラーが嘆き悲しみながらバトルしてるらしいんです。でも、2人とも特性てきおうりょくでも無いくせにその状態に慣れてるっぽくて、本来のお互いに負けないくらい強いっぽいですよ」


「まず、紙を1枚用意するじゃないですか。そこに、最近解読されたっていうあの、イッシュの海の底にあった遺跡の……ああアレ! ハルモニア文字を書くんです。それで、そこにオセロの石を置いて、みんなの指を合わせて『おうさま』を呼ぶんです。『おうさま』は何でも教えてくれるんですよ。人のことはもちろん、ポケモンのことだって」

あまりにも目まぐるしく変わっていく、彼の話に僕も流石に口を挟みはした。しかし吉岡は首を傾げるだけで、他の生徒と同じくただ噂話に興じるだけであった。

「なぁ、どうなってんだよこんな次から次に」

「次から……何が? です? そんな不思議ですかねぇ、信じてくれない割に変なとこで突っ込んできますね、三木センセ」

「まぁ、別にそれは…………」

吉岡が話すことも、学校中に広がっていることも。あり得ないまでの速さで変わっているのに間違いは無い。
流れた噂はすぐに別のものへと変化して、瞬く間に皆の意識から失われてしまう。「イマドキの高校生の流行なんてこんなものですよ」と吉岡は言うけれども、それだけで済ませる話では無いだろうと僕は思えてならなかった。しかしそんなことを言っても何が変わるはずも無いだろう。結局は「どっち道信じてないけどな」などと答えになっていない返しをしながら、やはり降っている雨をガラス窓越しに眺めるくらいしかすることが無いのであった。



「それにしても、よく考えるものですよねぇ」

雨の外では相変わらず梅雨時の雨が降り続いている。しかし今日の天気はいつもと少しばかり違っていて、雷を伴う激しいものであった。普通の雨の時ならばここ、職員室の窓から学校に棲みついているニョロゾなどの姿が見えるのだが、電気に弱い所以だろうか、影を見せ無い彼らはどこかに隠れているようであった。

「昨日の朝には『17時半になると音楽室のマンドリンがめざせポケモンマスターを独りでに奏でだす』、一昨日の掃除の時間には『第2多目的室の窓から色違いのブラッキーが現れて願いを3つ叶えてくれる、でもその代わりに命を10年削られる』その前の日の昼休みには……」

「『家庭科室のホイップホップにくろいヘドロを混ぜるとメガレックウザの霊が現れる』、でしたね」

毎日の放課後定例の職員会議が終わり、伸びをしながら呟いた数学教師の言葉を英語教師が引き継いだ。教師になって3年目だという彼女は、薄黄色のブラウスの袖のボタンを留め直しながら「うちの部活もそれで持ちきりでしたから」と嘆息する。綺麗に片付けられた机の上で、彼女の手が楽譜の束を丁寧に揃えていた。うちの部活、というのは確か合唱部であっただろう。
長野先生もでしたか、うちもそうですよ。部屋を出ようとしていた、サッカー部顧問の現国教師も話に入ってきた。それに続いて他の教師達も頷き出して、会議を終えたはずの職員室は外から聞こえる雨の音を掻き消すくらいに賑やかなものになる。無理も無いだろう、噂話はこの頃異常なまでに乱立しているのだから。
生まれては消え、騒がれては収束して。ものすごいペースで盛り上がりと消失を繰り返す生徒たちの「ちょっと不思議な噂」は、彼らと関わる僕たち教師の間にも当然ながら流れている。可愛らしいものだと達観する教者や一緒になって面白がる者、僕のように冷淡に構える者など捉え方はそれぞれであったが、しかしこうも大量に話が湧いて出ると、興味を持ち始める教師も次第に出てきたのだ。
いいじゃないですかいっぱいあって楽しいし、吉岡の言葉が脳裏をよぎる。彼が教えてくれる話もまた毎日のように移り変わり、同じ噂は2度として登場しなかった。教師陣の会話を耳に窓の外へと目を向ける。朝4時の職員室の窓には運命のポケモンが映るのだ、などという噂を聞いたのは4日前のことだったか、5日前のことだったか。

「田中先生もでしたか。うちのクラスなんてもう大変ですよ、『ノートの21ページ目の右端に鳥居を描くと、中からセレビィが出てきて未来にやるテストの問題を教えてくれる』で大盛り上がり。どいつもこいつもノート買ってきて」

「うちはこの雨で全然練習出来てませんからなぁ。『ポワルン少女』とかいう噂が流行ってますよ。屋上でバトルして、にほんばれとあまごいとすなあらし、そしてあられを同時に使えば呼べるらしいです」

「あぁ、天気を好きに変えてくれるというアレ。野球部は確かに練習出来なくて困ってるだろうからな、生徒会の連中は生徒会室に出るとかいう霊の話ばかりしてるが」

出るだけらしいから何をしてくれるわけでもないだろうけど。生徒会顧問でもある、ザングース似の教頭は短い溜息を吐いた。

「本当、毎日毎日よく考えるものだ。こんなことしてる暇があったらもう少し、真面目に勉強とかしてくれれば良いものを」

「でも、私たちがあのくらいの頃もあんまり変わらないものでしたよねぇ、ほら……おまじないだの学校の怪談だの。懐かしいなぁ、口裂け女、マァ冷静に考えて実際、口が裂けた人間なんてルージュラみたいなものですからそこまで怖くもありませんがね」

からからと笑った美術教師に、「いつの話してるんですか田口先生は」と数学教師が苦笑を浮かべる。

「でも言われてみれば、似たようなものかもしれませんね。私も小学校の時にほら、あの……キュウコンとウィンディとジグザグマの集合体をよく呼び出そうとしていましたから」

「ああ、コックリさん! いつも思うんですけど、その面子でジグザグマだけ随分とかわいいというか、アレですよね……俺の時代じゃあ『キューピッドさん』でしたよ。すごい力持ったトゲキッスだとかラブカスだとか、まぁ色々言われてましたけど。誰が誰を好きだとか付き合ってるだとか。今となってはかわいいものですよね」

「結局、五円玉はちっとも動かないんですけどねぇ。私はちょうど携帯が出てきた時代ですから、アレですよ。『メリープさん』」

ああ! 職員室中の教師が声を上げた。娘が怖がってた、時代に乗ってる都市伝説はもっともらしく聞こえるものですからね、と頷き合って、皆は口々に懐かしいエピソードを披露する。先ほども思ったのだけれども、ことこういう話に関しては興味を持つかどうかなど年齢に関係無いのかもしれない。
そんなことを考えながら話を流し聞いていた僕に、キューピッドさんの話を持ち出した化学教師が顔を向ける。三木先生は何かありましたか、そう言った彼に間髪置かず、「ダメですよ岩本先生」と現国教師の笑い混じりの声が投げかけられた。

「この類の話、三木先生にしても。オカルトとか都市伝説とか……ねぇ、そうでしょう、三木先生」

「ま、そうですね。いくつか聞いたことはありますけど。後はご想像にお任せしますよ」

ほらこの通りだ、肩を竦めた化学教師に他の教師たちが笑う。僕のこれについてはもはや学校中が公認しているようなものだから、今更どうということも無い。これだけ変な噂が多いと、それを否定する考え方も知れ渡るのだ。
「それにしても」2年生の学年主任がどこか感心したような声色で口を開く。

「ホントかウソかは置いとくとして……置いとくとしても、ある意味噂様々ですよ。生徒がこれだけ噂に夢中になってくれたおかげで、今年度に入ってから揉め事もめっきり減りましたからね」

「ああ、確かにそれは言えてますねぇ。みんな何だかんだで楽しそうですし、流れる噂は全部、人を貶めたり悪く言ったりする系のものじゃないのもありがたい。ちょっとばかり騒がしくなったのは否定出来ませんが、嫌な思いをしてる生徒がいなそうな分いい傾向でしょう」

「まるで宗教ですね。時代が時代なら、為政者ですよ」

それはいくらなんでも持ち上げ過ぎですよ、為政者という声に古典教師が野次を飛ばす。「いやいや野田先生、仏教で国を治めた聖徳王のように、一種この噂だって、不思議な話で学校を安定させてると言うことも出来る」生物教師は冗談混じりの声色で反論した。流石に聖徳王と一緒にするのはどうですかね、と僕も笑ってみると、草葉の陰で泣いてるかもしれませんよと数学教師の援護をもらった。
しかしどの道、この噂のおかげで生徒も私たちも楽しく過ごせているのは事実だな。苦い顔をしつつも教頭が言う。僕としては噂を肯定する気も無いけれど、それは確かに否定出来なかった。この、乱立に乱立を重ねる噂たちが学校にとって悪いものだとはどうも思えなかった。

「他人を傷つけるような方向のものが出てきたり、噂を気にしすぎて他のことに支障が出る生徒がいたら別ですが、今みたいな感じならばこのままでも良いのではないでしょうかね。幸い、呪いをかけたりするだとかいうのは聞きませんし」

「そうですね。ま、テストと夏休みの時期になればみんな噂なんて忘れるだろうし……盛り上がってるのは悪いことじゃないでしょう。ぬいぐるみを使った呪術のようなアレだとか、ヤバい方向にも今の所行ってませんしね」

「ああ、『ひとりかくれんぼ』ですか。しかしどうなんですかねアレ、実際のところどんなにやったところで、カゲボウズかよくてジュペッタしか出てこないそうですが本当の霊なんて……」


「失礼しまーす、3年の吉岡です」


と、ガラリと引き戸が開けられる音と、真面目さと適当さが同居した声に、なんだかんだと盛り上がっていた教師達は揃ってそちらに顔を向ける。入り口の扉に手をかけて立っていたのは見慣れた顔のオカルト研究部唯一無二のメンバーで、「おう吉岡か、どした?」と3年生担当の数学教師が尋ねた。そういえば彼は理系コースだった、恐らくこの先生が担任なのであろう。
歴史資料室の鍵を借りに来ました、そう言った吉岡に「おおそうだったか」「そんな時間か」「部活部活」と教師たちは慌てて動き出す。鍵置き場に一番近いところにいた英語教師が歴史資料室の鍵を手に取り、吉岡に渡そうとして「そうだ、三木先生いらっしゃるから一緒に行きなさい」と僕を見ながら告げた。どの道そのつもりだったので彼女から鍵を受け取り、他の教師同様職員室から廊下に出る。

「先生たち、なんかすごい楽しそうだったけど。何の話してたんですか?」

もわっと湿気た廊下を歩きながら、吉岡がそんなことを尋ねてきた。

「ああ……最近噂が多いとか、昔はこんな怖い話があったとかどんなおまじないしてたとか、……ああ、あと。噂のおかげでみんな楽しそうだ、とか。かな」

「へぇ」

ぺた、ぺたという、僕のスリッパと吉岡の上靴の足音が廊下に響く。短く答えた吉岡は、何が面白いのかやたらと嬉しそうなニコニコ顔を浮かべていた。オカルト研究部たる彼のことだから、教師までもが噂話に花を咲かせていたことが楽しいのだろうか。
今日も運動部はグラウンドが使えない。吹奏楽部のリズム練習や合唱部の発声練習に混ざって、校内筋トレに励む彼らの掛け声がうっすらと聞こえてきた。それを耳にぼんやり歩く僕たちを、ぴかりと光った雷の輝きが照らし出す。うっかり落ちて、停電騒ぎなどにならないで欲しいものだ。

「そうだ先生、知ってますか? 屋上にある避雷針の話なんですけど、雷が続けて4回落ちるとなんと、昔この地で悲惨な最期を遂げたジバコイルの怨霊が……」

「はいはい。僕は信じないから、どうせサマヨールの見間違いだ」

「またそうやって。面白くないですか、地縛霊だけにってヤツですよ、『ジバ』コイル」

ピクリとも笑えないギャグを嬉々として披露してくる吉岡に適当な頷きを返していると、歴史資料室の札が見えてきた。ドアノブに差し込んだ鍵を回すと、ガチャリという音とともにまたもや外が鋭く光った。
続いて、数秒遅れて響く轟音。近いな、と何とも無しに思って振り返る。窓の外に見えるのは雨に濡れゆくグラウンドと体育館の壁だけで、屋上の避雷針など目視しようも無いのだった。


3.海の向こう側

「ねー、どこ行く? やっぱジムでしょ? チャンピオンの出身だしさー」

「ね! もしかしたら見れるかもよ、本人! 最年少のリーグチャンピオン」

「でもさぁー。なんでよりによってソウリュウとカゴメなのって話。せっかくイッシュ行くってのにさ、俺ライモン行きたかった」

ガヤガヤと賑やかな教室で、生徒たちが思い思いのことを口にする。外はしつこいくらいに明けない梅雨の雨が今日も降っていて、3階の窓から見えるのは灰色の空だけだ。月曜6限のホームルーム、騒がしい生徒の熱気と湿気が混ざり合ってまとわりつく。

「はい静かに静かに! 楽しいのはわかるがちょっと落ち着けー、お前たちはドゴームじゃないんだから」

教壇に立ったこのクラスの担任が、手を打ち鳴らして騒がしさを諌める。「センセー、そこはバクオングでお願いしまーす」とふざけて返す生徒に、担任教師も「そこまで強くは無さそうだしなー」と応酬した。授業ならぬ授業、ホームルームの雰囲気にくつろいだ教室がどっと沸き立つ。
教室前方の黒板に大きく書かれた文字列は、白いチョークによる『修学旅行』。楽しいのはわかる、という担任の言葉も頷ける。修学旅行と言えば体育祭や文化祭と並ぶ学校行事の1つだし、学校から出て別のどこかに行けるとなればその楽しさもひとしおだ。
自分もそうだったし、今まで担当してきた生徒もみんなこんな感じで盛り上がっていたのは記憶に根強く残っている。

僕が副担任であるこのクラス、この学校の2年生は10月末にイッシュへ行く予定である。ソウリュウとカゴメというチョイスに、ライモンのミュージカルや遊園地、ヒウンの大都会を期待していたらしい生徒たちは不満を漏らしているけれど、ちょうどハロウィンの時期だから伝統的な町の方が良いだろうという教員のささやかな工夫なのだ。
伝わっているかは定かで無いが。

「じゃ、今日決めて欲しいのはー、……まず2日目からの行動班。1日目はクラスで移動だからいいんだけど、2日目から班ごとになるからよろしくな。まぁ5、6人……で、民宿とホテルそれぞれ部屋分けも。ソウリュウの民宿は、まぁそうだな、男女両方とも3つに割って、ホテルの方は基本2人かな。男子だけ1組3人部屋作って……じゃ、そんな感じであとは頼む。井口」

早口で説明した担任に指名された、学級委員の女子生徒が立ち上がる。彼女と入れ替わるようにして教壇を降りた担任が、教室の後方でぼんやりと成り行きを見守っていた僕の方に向かってきた。

「お疲れ様です」

途端に騒がしさをさらに増したクラスの声に掻き消されない程度の小声で告げる。

「三木先生、すみませんね。こんなうるさいクラスで……飛行機とかバスの席決めもこうなると思うと、今から困ってしまいますよ」

「いえいえ、いいんですよ。修学旅行ともなれば楽しみなのは当たり前ですから、一大イベントですしね。行ってる間だけじゃなくて、こうやって準備してる時もイベントの一環ですから」

「はは、ですね。もう修学旅行は始まってる、ってことですもんねぇ」

担任教師が表情を緩める。僕より一回りほども歳上である彼もまた、学生時代に同じ経験をしたのであろう。岩本先生はどこに行かれたんですか、と尋ねようとして、しかし教室後ろの掃除用具入れに貼られた1枚の紙が目に留まった。

「先生……あれ、何です?」

尋ねた僕が指差した先、担任教師の視線がその紙へと向く。「ああ、これはですね」彼はどこか楽しそうに笑いながら、何やら秘密めいたことを言うように声を落として言った。

「私は今日の朝に耳にしたんですが、アレですよ。噂。見えますか? あれに描いてあるのはダストダスなんですけど……まわちょっと個性的な絵ですけどね」

「ハァ……掃除用具入れに、ダストダス」

『個性的』と評されたその絵、ダストダスというよりは爆発した後のドガースに見えるイラストを横目に気の抜けた返事をする。すると担任教師は嬉しそうな笑みを浮かべた。

「掃除用具入れにダストダスの絵を貼っておいて、掃除が終わった後にホウキやチリトリをしまうとですね、そのダストダスが汚れ具合をチェックするらしいんですよ。つまり、どれだけ真面目に掃除してたかですね。一生懸命掃除をしてくれたら、ダストダスがその、頑張った人の不幸も一緒に棄ててくれる、と」

「それは……なんというか、また…………」

「おかげで、今日はみんな掃除頑張ってくれましてね。いやぁ、どうせすぐ飽きるんだとは思いますけど、噂というのもなかなか馬鹿に出来ないものですよ。いえ本当に」

教室では、班行動の男女グループをどう組み合わせるかで揉めている。話し合いかジャンケンか。クジ引きを作った方が良いという意見に対して「面倒くさい」と不平が挙がった。窓の外の強い雨も気にせず、生徒たちはやいのやいのと騒いでいる。
その様子を見ながらニコニコしている担任教師に、僕は曖昧な頷きを返した。教室の隅に置かれたゴミ箱、中途半端に開いた蓋の隙間から、薄くなって消えかけているニドリーノと二ドリーナの絵が描かれた小さな消しゴムが捨てられているのが見てとれた。





結局、グループ決めは盛り上がりと喧騒と興奮を重ね、ホームルームが終わったのは定刻から30分ほどを過ぎた頃だった。各部活動の鳴らす音が蔓延る廊下を早足で歩く。予測していたことではあるが、思っていた以上に延びてしまったものである。吉岡は鍵を借りて先に資料室へ行っていることだろう。
しかし、その思惑は半分ほど外れていたようであった。歴史資料室へと続く廊下の角を曲がったところで、おや、と一瞬足を止める。見慣れた案内札の下に立っているのは確かにオカルト研究部員の吉岡であったが、今日そこにいるのは彼だけでは無かったのだ。

「あ、三木先生」

僕に気がついた吉岡がもう1つの人影、何やら楽しげに談笑していた相手から視線を動かして顔をこちらに向ける。彼と話していた、長い髪を高い位置で結わえた女子生徒は僕にぺこりと頭を下げた。

「目黒さんが先生のこと探してたんですよ、だからここで待ってれば来るって」

「先生。昨日の分のプリントです、お願いします」

差し出された、昨日彼女のクラスで提出を求めたそれを受け取りながら思い出す。この生徒は昨日風邪で休んでいたから、終わったら持ってくるようにと今朝の授業で伝えたのだ。
「ああ、お疲れ様」と受け取ると、彼女は再度一礼して、ポニーテールを揺らして去っていく。小走りの動きに合わせて翻る、茶色いスクールバッグにつけられたニンフィア柄のリボンを眺めていた吉岡が「目黒さんって」と呟いた。

「かわいいですよね、本当、フェアリータイプって感じ。イーブイにも似てるし。でもここはミルタンクで」

小声で言われた吉岡の意見に「それに僕は否定も肯定も出来ない」とだけ返しておく。明確な答えを告げる代わりに「タイプか」と聞いてみると彼は、そーでもありますけど、とニッと笑った。素直な奴である。

「仲良いのか、同じクラス……じゃないよな。目黒は私大の文系志望だし」

「んー、でもまぁ、結構話しますよ。目黒さんだけじゃなくって、他のみんなとも」

「そんなもんか……ま、お前は喋んの好きだしな」

「それで、目黒さんが教えてくれたんですけど! 校庭にあるモモンの木の下にはペロリームの死体が埋まってて、だから甘……」「噂話はもういい」そんなことを言い合いながら部屋に入ると、相も変わらず酷い湿気が充満していた。この前ポケットマネーで乾燥剤を買ってみたのだけれど、果たして本当に機能しているのだろうか。焼け石に水である気がしてならない。
内心で疑惑を募らせている僕に、「あれ、先生これなんですか」と吉岡が声をかける。その声に振り向くと、今しがた机に置いたファイルに視線を落とした彼は興味深げにそれを覗き込んでいた。
さっき教室を出た際にクラス担任から渡された修学旅行用の名簿や資料だ、クリアファイル越しに見える1枚目のプリントには『渡航に関する注意事項 その一 ポケモンの管理について』という文字列が並ぶ。

「あー、今日遅れたのもこれやってたからだ、修学旅行の班決め。吉岡も行っただろう、確か……去年はジョウトだったんだっけか」

「イッシュ行くんですか? 2年生」

「そうだ、アンケートで希望が多かったから……カロスといい勝負だったらしいけど。海越えるからな、色々注意することもあるんだよ」


「海…………」


溜息混じりに言った、何の気無しの言葉だったのだが、吉岡は何故だか1つのワードに反応した。どこか呆けたようにさえ思えるその様子に、なんだ海外行ったこと無いのかと問うと、彼は「ええ、まぁ」と頷いた。
高校生にもなって今時珍しい、と考えることは出来るけれど、しかしカントー住みならそれもそうかと納得することもまた可能である。トキワ育ちの僕とて、中学2年生の時家族でシンオウに行くまでは海を跨いだことは無かったのだから。
そうか、海かぁ。と何だか感心したように呟いている吉岡に、「海外に行ってみたい場所とかないのか」と尋ねてみる。

「ライモンのバトルサブウェイとか、ミオの大きい図書館とか。ルネの街並みも人気だな。ああ、あとはやっぱりミアレか、定番」

キナギやムロで泳ぐのも若いうちはいいよな、と思い浮かぶままに言ってみたのだが、吉岡はいまいちピンときていないような顔で首を傾けていた。まあ、旅行に興味の無い高校生など世の中にわんさかいるだろうから、急に聞かれても困るのだろう。少し考えた末に、彼は「面白い話があるとこがいいですね」と大変彼らしい答えを返してきた。

「またそれか。噂話なら、別にここだっていくらでも聞けるだろうに、わざわざ海外まで行かなくても」

「そうは言っても、先生。ここには無い話があるじゃないですか。僕は色んな話が聞きたいんですよね、もっと沢山話したいんです」

やけに目を輝かせる吉岡に、僕は何と返すべきか言葉を選びあぐねる。流石はオカルト研究部部長を名乗ることはおる、この熱気は一体どこから来るのだろうか。
どの道、下手に刺激すると食いついてきて収拾がつかなくなるので黙っておくことにした。しかし僕のおもわくはあまり当たらなかったらしく、吉岡は「面白そうですよねぇ」と1人で話を始めてしまう。

「この前、図書室で読んだんですよ。イッシュで起きたUFO事件の本! すごいですよね、だってミステリーサークルですよミステリーサークル! あんな綺麗な丸なんて普通出来ませんって、やっぱり宇宙人ですよ宇宙人」

「あれは宇宙人の仕業なんかじゃない、やったのはポケモンだ。ゴチルゼル達は天体の動きによって行動するから、技の出し方も実際すごい正確、数式で表せるような緻密なやり方なんだ。あの事件の年にはゴチルゼルが大量発生してな……その群れが畑を荒らそうとして入り込んで、結果すごい綺麗な丸が描かれたってこと」

顔を赤くして、身を乗り出さんばかりの盛り上がりを1人で見せている吉岡を落ち着かせるべくそう返したのだが、しかしどうやらそれは逆効果だったようだ。ニヤリと笑った吉岡は、「なんだ」と僕を見て口角を上げる。「知ってるじゃないですか、先生も。そんなこと言いながら」
余計なこと言ったな、と内心で後悔しながら彼の視線から逃れるべくそっぽを向く。だが、吉岡は僕が思っていたよりも物事を気にし無いタチだったらしく、目をキラキラさせながら尋ねてきた。

「いいじゃないですか、海の向こうの話! やっぱりスケール大きそうですよね、何でもビッグな感じで。イッシュのモンスターボールって、俺たちの知ってるのより大きいんでしょ? こないだ教えてもらいました」

「それ嘘だよお前……なんでそんな嘘に騙されるんだ…………? イッシュは何でもかんでも大きいっていうイメージ捨てた方がいいぞ」

呆れ混じりの声で返しつつ、こうなるともう止まらないであろう吉岡に、少し話に乗った方が良いのではないかという考えが浮かんだ。「大きいのならなぁ」と記憶を引っ張り出しながら僕は口を開く。

「イッシュじゃないけど、馬鹿でかいのなら昔あったぞ、シンオウのリッシ湖で。リッシーっていってな、新種のドラゴンポケモンもだとか報道されて……ま、結局作り物だか合成だったんだけどな」

「馬鹿でかい? ドラゴンタイプなら、まぁ大きくても当たり前……」

「そんなもんじゃなくて。ホエルオーよりもでっかいっていう話だったんだよ。巨大生物とか言われてなぁ、でもさ、冷静に考えりゃすぐわかるよな、リッシ湖レベルに狭さにそんなの棲めるわけないって」

「合成ですか……UFOの本にも書いてありましたよ、ほとんどの写真がそうだって。心霊写真も」

「そうだよ。宇宙人が見つかった、捕まえたって写真も合成だったからな……マダツボミの写真に肉つけたりして」

「でも、オーベムとかリグレーは宇宙から来たらしいじゃないですか」

「それは別の話だし、あくまで一説だからなぁ」

そんな会話をしばらく続ける。見ると不幸になるという黒いムーランド、入ると死ぬモンスターボールなどの話をするたびに彼は喜んでみせたが、不意に淡々とした声になって「十字架最強ですね」とコメントしてきたあたりに今時の高校生を感じざるを得ない。
どれくらい話していただろうか、話題が一区切りしたあたりで「でも、先生」と彼が切り出した。

「都市伝説とか、怖い話とか。何が違うんでしょうね」

何が、って。何と。
そう尋ね返すと、吉岡は「『伝説』とですよ」と答えた。
伝説。その言葉を聞いて、一番最初に思い浮かんだのは三者三様の鳥だった。炎と、氷と、雷。生きる伝説とされた彼らは、とある1人のポケモントレーナーによって捕まえられたという説があるけれど、今はどこにいるのだろうか。その『とある1人のポケモントレーナー』がもはや伝説となってしまったのが現状なのだ、ずっと前のポケモンリーグセキエイ大会を制覇して、その後ジョウトに姿を消してしまったというその存在は。

「俺、よくわかんないんですよね。神話とか、伝説とか言われてるポケモンと、オカルトの違い。似たようなものじゃないですか、なんか超人的っていうかケタ違いな力持ってて。普通の説明じゃどうにもならない、同じ感じじゃなくないですかね。ああいう、ポケモンたちって」

そう話す吉岡の顔はいつものような、好奇心を前面に出したものだったけれど、しかしどこか虚ろに視えた。何故、彼がこんな話をしたのか僕にはわからない。どうして吉岡が、こんなにもここに引っかかっているのかは、僕には知る由も無いのだ。
僕は首を横に振った。「同じじゃない」違うんだ、と口を動かす。

「ああいうのは、先にいるんだ。先にポケモンがいて、その力がすごいから伝説になる。神話になる。元々存在してたものが、ずっと語られてるだけだ」

語られて生まれるオカルトとは違う、僕はそう言った。
修学旅行で行く予定の、イッシュ地方カゴメタウン。今はもう無くなった風習だが、あの街では昔、夜になると住人が皆部屋の中に篭っていたという。それは何故か。
『ばけもの』を恐怖していたからだ。
化物と呼ばれていたポケモンはキュレムといい、遥か昔に隕石と一緒に落ちてきたらしい。この真偽は定かで無いが、キュレムは人を攫って喰らうという言い伝えがあり、カゴメタウンの人たちはキュレムを『ばけもの』と恐れ、夜が来る度に震えていたという。
勿論、今ではこの話を本気で信じる人はいない。イッシュ中を揺るがした事件の際、少女トレーナーに保護されたキュレムが本当にそんなことをしていたのか知る術も無い。しかしともかく、『ばけもの』などという伝説は、元々『キュレム』がいたから出来たものだ。
噂話とは、違う。

「でも、先生」

そう説明した後に、だけど吉岡は意を唱えた。でも。彼は、その言葉を繰り返す。


「もしかしたら、ですよ。キュレムは、『ばけもの』と恐れられたキュレムは……本当はその、怖いって思う気持ちから生まれたんじゃ、ないでしょうか?」


「………………それ、は」

彼が口にしたその考えに、僕は答えることが出来なかった。薄い微笑で、真っ直ぐな目で、そんなことを言った吉岡に、僕は何か言葉を返すことが出来なかった。
あまりに突飛な考え方に反応しきれなかった、そんなはず無いだろうと否定する気になれなかった。それ以上に、こんな話をしだした吉岡に何かを言うということ自体、僕に可能だとはとても思えなかった。
黙り込んだ僕に、吉岡はへらりと表情を崩す。やる気の無いその笑い方はいつも彼がするものだ、「イッシュかぁ」とどこか独り言のような呟きが歴史資料室に響く。

「いいなぁ。海の向こう、俺も行ってみたいなぁ」

特例で3年連れてってくれたりしないんですか? おちゃらけた調子の彼に、僕もようやく力が抜けた。そんなわけ無いだろ、自分でお金貯めて行け、などと返すと吉岡は「ですよねぇ」とけらけらと笑い声を上げる。
彼が背にしている窓に目を向けると、そこに降っていたはずの雨はいつの間にか止んでいた。うっすらと明るくなっている外、空を覆っていた雲が途切れて光が差し込んできたのが小さい窓からでもよく見える。僕の視線に気がついた吉岡も振り返って、止みましたね、今回のは長かったですね、と嬉しそうに言った。そうだな、と頷いた僕の目は雲を切り裂く光の眩しさに耐え切れず、逆光となった吉岡の映る視界を瞼と共に閉じてしまった。


  [No.3761] この世にオカルトは存在しない 後 投稿者:GPS   投稿日:2015/06/04(Thu) 20:06:24   75clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

4.夏と神社とソーダアイス

そして梅雨が明けたわけである。
要するに暑い、ひたすらに暑い時期がやってきたのだ。カントー生まれカントー育ちの僕は特別暑さに強いわけでもなく、人並みには暑いのが嫌いでしょうがないタイプの人間である。熱く鋭い太陽光が差し込みまくる廊下も狭苦しい歴史資料室も、どこもかしこも出来の悪いサウナのようで、これ以上無いほどの不快感を煽ってきた。キッサキで着られていた防寒服だという、民俗資料のもこもこが視界に入るだけで鬱陶しくてたまらない。僕にエアカッターやきりさくなどが使えなくて本当に良かったなどと割と本気で思う。
少しでも風通しを窓の向こうでは、テッカニンが自分の季節が来たとばかりに鳴いているし、摂氏何度に達しているのか考えるのも怖いグラウンドには、羽化ラッシュに乗った大量のバタフリーやスピアーが日光を楽しむように飛び回っている。その元気を分けてほしいところなのは言うまでもない。

「あー、つまらないなぁ」

皿やら壺やらの資料をどけたら現れた、おぞましい黴の巣窟を一掃せんとしていた吉岡がぼやく。時計の針は昼過ぎを指していて、本来であればまだ部活動の時間では無いから彼がここにいるのはおかしいだろう。しかしそれには一応理由がある。

「つまらない、って……お前、今が何なのかわかってるのか? 他の生徒が聞いたら怒るか呆れるか、羨ましいって言われるかのどれかだと思うけど。テスト期間に、そんな退屈そうにしてるなんて」

「別に俺は大丈夫ですよ。それより、そうですよ、みんなテストばっかりで忙しいって、全然楽しく無いんですよね。噂も減っちゃったし」

「そりゃそうだよ。テスト以上に気にされるものなんてそうそう無いからな、この時期」

夏休み前の試験期間、午前中だけで終わるテストの後、生徒は皆校舎から姿を消してしまう。部活も休止されているし、中には図書室などを使って勉強している者もいるにはいるけれど、大半は家や塾、或いは友達で集まってファミレスに行ったりと、テストが終わって早々に校舎から出ていくのだ。
1年生から3年生まで、テストとは等しく気が重いものであろう。昨日も歴史のテスト直前になって、ようやく泣きついてきた生徒を何人か相手にしたものだ。教師の立場からするとこの後の採点及び成績処理、そしてそれを考慮した今後の進路指導の方に頭を痛めているのだけど、ともかく学校中の意識がテストに向いているのは間違いなかった。

「そうは言いましてもー、でも、……やっぱりつまらないですよ」

そんな中、吉岡は無駄に気楽である。テスト前からこの調子で、生徒たちがみんなテストのことばかりを気にしてちっとも噂話をしていないと文句を垂れていた。どうして彼がこんなにも余裕なのかわからないが、とにかく彼は皆の注意がテストに集まってしまったことが不満でならないらしい。カビ落としスプレーをかけた壁を雑巾で拭いている吉岡が、「みんな勉強のことばっかりで」と口を尖らせる。

「全然、面白い話しないんですよね。もー、何の公式がどうとか、化学式がこうだとか。タマゴ技とDNA配列が云々だとか」

「だから、テスト前なんだから当たり前だって。そんなのは。大体そんなこと言うなら、一緒に勉強とかすればいいと思うけど? ほら、この前話してた井村とかさ、あと目黒とか。喋りたいならそういうのも手だろ」

「それはそうなんですけど、でも駄目ですよ。みんな塾行ってますし、目黒さんなんて駅前の代ゼミですよ! あの、タマ大合格率トップ予備校。俺と喋ってる暇なんてないんですよ、みんな」

「じゃあお前も勉強しろよ、3年なんだからいくらなんでももうちょっと慌ててもいいと思うけどな。こんなとこでこんなことしてないで……」

「それはほら、アレですよ。三木先生が寂しくないように、っていう思いやり? 俺なりの優しさ? さながらトレーナーの感情を察知するキルリアのように」

「意味わからん……あ、やば」

吉岡の戯言を半分無視していた僕は思わず声を漏らす。どうしたんですか、と尋ねてきた吉岡に「博物館に荷物送るの忘れてた」と返事をした。僕一人では無理なレベルの資料整理に協力してくれる代わりにいくらか資料を寄贈することになっている、カイナの博物館へ送る予定だった荷物の存在がすっかり頭から抜け落ちていたのだ。書面を書き終えて封をするまでのところまでは出来ているのだが、肝心の送付がなされていない。
郵便局の窓口に直接出さなければいけないから、行ける時間は限られている。しかし今日中に送ってしまわないと、メールで申し伝えた日時に間に合わないだろう。どうするべきか、と一瞬逡巡して、今日はもう授業の無いことに思い至る。

「吉岡。ちょっと郵便局行ってくる、20分くらいで戻るから」

だから留守番よろしく、と続けようとして、しかし僕はそう言うのをやめた。風に揺れるカーテンを背にして立っている吉岡の、見慣れたその顔に、僕は別の台詞を投げかけていた。

「……暇なら、一緒に行くか?」

数秒の間を置いて、いいんですか、と吉岡が言う。まあ、下校時間はとっくに過ぎているし、郵便局は学校のすぐそばにあるのだから問題無いだろう。その旨を伝えると、「ふうん、じゃあ、いいんですけど」などと言いながら吉岡は雑巾とスプレーを床に置いた。窓の日の光に照らされた横顔が、嬉しそうな難しそうな、複雑な表情を浮かべていた。
それが気にならなかったわけでは無いけれど、僕が言及出来るわけでもなく、机の下にしまい込んでいた荷物を取り出して窓を閉める。大して風も吹いていなかったのに、それでもその通路を断つだけで不快指数が一気に跳ね上がった。無意識のうちに呻きそうになりながら、壁に掛けておいた鍵を取って廊下に出る。

「そういえば、吉岡」

熱気の立ち込める廊下を歩きつつ、先ほど不意に思った疑問を口にしてみる。

「お前痩せた?」

「そうですかねー……っていうか先生、それセクハラですよ! 体型のこと言っちゃいけないんですよ、今は性別関係無く色々厳しい時代ですからね」

「はいはい、ごめんって……いや、冗談抜きに気を付けろよ。夏だし。食欲無いとか寝苦しいとか、わかるけど夏バテには本当、ちゃんと食べないと危ないからさぁ」

「わかってますってば、心配いりませんよ。それより先生聞いてください! 今日聞けた唯一の話なんですけど、裏庭に出るユンゲラーの幽霊で。ええとですね、体育倉庫のあるところのフェンスに穴があって抜け道になってまして、そこから入って……」

「またそれか、っていうかなんだ抜け道って。今度用務員さんに塞いでもらわないとな……あ、あと吉岡。手洗ってけよ、掃除してたんだからお前」

廊下を進む僕たちが交わす取り止めの無い会話は、鳴り止みそうにもないテッカニンの声に掻き消されそうだ。この大合唱はいつまで続くのだろうか、あと1ヶ月は確実、ひょっとしたら9月にも終わっていないかもしれない。子供の頃は無償に嬉しく思えたものだけど、いつからだったろうか、暑さを増すだけの効果音としてしか捉えられなくなっているような気がする。
ユンゲラーの霊とやらの話をぺらぺらと喋っている吉岡を横目で見やる。楽しそうなその様子はいつも通りの彼そのままで、つまらないつまらないとしょげていたのが嘘のようだった。先ほど感じた、彼が何だか小さく見えたのも気のせいであったのだろう。僕の目の方がやられているのかもしれない、何よりこの暑さなのだから。



「…………暑いな」

「…………はい」

炎天下。そんな表現が、真昼間の外には必要以上に似合っていた。
良く言えば閑静、悪く言えば何も無い住宅地。学校があるのはそんな土地で、少しの店や施設の他にはほとんど家しか見えない道路には照りつける日光を遮ってくれるものなど何も無かった。上空から降り注ぐ太陽の光と、アスファルトに照り返した熱がダブルパンチを決めてくる。全身から噴き出す汗は止めようもなく、ひたすらに気を遠くすることしか今の僕に出来ることは無かった。
どうにか郵便局までは行ってきたものの、学校から歩いて10分という距離は地味に長い。僅かに出来た塀の影ではニャースがうんざりと伸びているけれど、少しでも気を抜いたら同じようになってしまいそうだった。しかも戻ったところで待っているのは暑くて蒸した歴史資料室、その事実が感じる熱気をさらに強くする。
クーラーの効いた郵便局に思いを馳せつつ、僕はこめかみの汗を拭う。あっちの方が若干影っぽい、ということを伝えようと隣を歩く吉岡に言おうとして、しかし代わりに口から出たのは疑問符つきの台詞だった。

「……吉岡? どうしたんだ、具合でも悪いのか?」

僕よりも数歩遅れたところで足を止めていた彼に問う。だが、吉岡は僕の質問には首を横に振って、ただ同じところで立ち止まったままだった。
仕方が無いので彼がいるところまで戻る。と、その視線の先には小さな神社があった。近くの駐車場やコンビニに囲まれて、それなりに神秘的な雰囲気を放ってはいるもののあくまでそれなりな、こじんまりとしたその神社に「ああ」と僕は頷く。

「結構歴史あるらしいな、ここ。僕は入ったこと無いんだけど。基本無人っぽいし、お祭りとかがやってるわけでもないし。そういえば何のご利益があるのかもわからないな」

「神社…………」

「何が祀られてるのかもわからん……どうした、気になるのか? そんな見て」

塗装の禿げた、赤い鳥居をじっと見つめている吉岡にそう聞くと、彼はこくりと頷いた。神社なんて今時の高校生の興味を引くようなものでは無いと思っていたけれど、必ずしもそうではないらしい。オカルト研究部などを立ち上げようと考える吉岡のことだから、そういう要素を持ったものとして面白く思えるのだろうか。
「じゃあ入ってみるか。せっかくだし」そう切り出した僕に彼が再度頷く。この様子だと、吉岡もここに来るのは初めてに違いない。通学途中にこの道を通る生徒も多いだろうけれど、バスを使えばこっちに縁は無いはずだから知らなくても無理はないだろう。特段奇妙なものは無い、ごく普通の神社といった様子の境内であったけれど、吉岡はきょろきょろと周囲を見回して感心したような表情を浮かべている。僕はと言えば、木が植えられているお蔭で若干和らいだもののやはり厳しい暑さに辟易していて、その影で涼むマダツボミやナゾノクサなどに同情していた。

「先輩、あの」

「あれ、珍しいこともあるね」

その時だった。僕と吉岡以外には誰もいなかった、誰かが来るとも思わなかった神社に二つの声がした。そう思っていたのはどうやら相手方も同じだったようで、振り返った先にいた声の主たちはこちらの姿を見て少しばかり驚いたような顔をしていた。小声で交わされた会話が、その気持ちを如実に表わしている。
鳥居を背にして立っていたのは二人の若者で、おおよそここにわざわざ足を運んだという感じには思えない。足下と頭の横にはそれぞれのポケモンだろうか、炎を消したマグマラシと、炎天下なのに何故だか雨天時の姿をしたポワルンが主人たちと共に視線をこちらに向けていた。
ワイシャツ姿の僕に比べるとそれぞれ涼しそうな格好、Tシャツやポロシャツに身を包んでいる彼らは参拝客ということで良いのだろうか。人のことは言えないが、こんな時間に神社に来れる人間もそうそういまい。先ほど片方の男が『先輩』ともう一方を呼んでたのから考えるに大学生だろうか、それにしてはその『先輩』と呼ばれた方は少々貫禄がありすぎる気もするけれど。
そんなことを考えていた僕は無意識のうちに不躾な視線を送ってしまっていたようで、『先輩』が申し訳なさそうに口を開いた。

「あ、あの。さっきはすみませんでした、珍しいとか言っちゃって……ここ、僕たちみたいな人以外が来てるのってそうそう見ないものですから。ね、巡君」

「え、はい。そうですね」

人の良さそうな笑顔を浮かべた『先輩』は苦笑しながら頭を下げる。急に話を振られたもう一方の男は少しばかり驚いたような声で同意したものの、それ以上何かを言うでも無く『先輩』の数歩後ろに立ったまま視線をさまよわせていた。困ったような目つきが、眼鏡のレンズ越にあちらこちらへ飛ばされる。
巡という名前らしい、便宜上『後輩』と呼ぶことにした彼をそのまま見続けているのもアレなので、「僕は」と『先輩』に倣って自己紹介でもしてみることにする。しかし僕が口を開くのと同時に、『後輩』は「僕ちょっと向こう行ってきます、お社の方」と、マグマラシと共に足早に離れてしまった。その様子に、『先輩』が「すみません」とまたもや謝る。

「人見知りなんですよ、彼。あ、別に悪い子じゃないんですけど……こうやって俺が話してるとすぐ、ああやって」

「いえ、いいんですよ。こちらこそすみません、じろじろ見てしまって」

苦笑をさらに深くした『先輩』だが、どちらかというと『後輩』の方が自然な態度であろう。大学生で、真っ昼間の神社に来るような初対面の男に堂々と話しかけられる『先輩』の度胸というか精神は、僕にとってもいささか羨ましいものとして感じられた。しかも話しかけられた身としても不快感も無く、自然に受け入れられる雰囲気も、また。

「僕とめぐ……彼はタマムシ大学に通ってまして、ここには時々来るんですよね。この神社、地元の人も滅多に使わないんですけど、なんでかタマ大生には隠れ人気スポットみたいな感じで扱われてて……理由はわからないんですけど、うちの大学の人はよく行ってるっぽいですよ」

鳥居を見上げながら言う『先輩』の説明に、僕はなるほどと頷く。大して参拝客も無さそうなこの神社が割合ちゃんと残っているのは、タマムシ大学の生徒が支えているからなのだろう。信仰心などに加え、お賽銭的な意味でも。
一人で納得している僕に、『先輩』が何か言いたげな目を向ける。『後輩』と同じくレンズ越しの瞳が言わんとしてるその内容が何となくだけれども伝わってきて、僕は慌てて口を開いた。当然だ、こんな時間に制服姿の高校生をいい大人が連れ歩いていたら不審に思われるのも無理はない。

「あ、僕はそこの高校で教師をやってるもので、今はテスト期間でして……荷物を郵便局に出してきた帰りなんですよ、で、こちらは教え子です」

「? ああ、なるほど」

半歩後ろにいた吉岡に目で促すと、彼は慌てたように一礼した。一瞬の間を置いて、『先輩』が頷きを返す。なるほど、あああそこですね時々帰り道に前通りますよ、と先ほどまでの笑顔に戻った『先輩』は人好きのする笑みを浮かべた。その横で、ふわりふわりと青い雫型をしたポワルンが揺れている。
理由はわからないが社の裏に行ったらしい『後輩』がまだ戻ってこないため、何となく『先輩』と話してみることにした。この神社のことを、少なくとも僕や吉岡よりは知っているだろうしちょうどいい。

「ここ、結構古い神社らしいですよね。ここに赴任してきたの今年の春なんでよくは知らないんですけど……何の神様だとか、知ってます?」

尋ねてみると、『先輩』は「ええ」とにっこり笑った。

「ここにいらっしゃるのは、厄除けの神様だそうですよ。巡君……あの子はこういうの好きなので調べたみたいで、教えてくれたんですよね。あまりわかりやすい感じの飾りとかがあるわけじゃないから、いまいちわかりにくいんですけど。お守りとかも売ってませんしね」

「厄除け……へぇ、そうだったんですか。そんな神社がこんな近くにあったなんて思いもしませんでしたよ」

「まぁ、なかなか御利益とか気にすることもありませんしね。どうやら、御神体はベロリンガらしいですよ、厄とか、取り憑いてるものを綺麗さっぱり舐めとってくれるだとか……何とも言えませんけど、その件に関しては」

はは、と『先輩』が苦笑する。確かに、それを想像するとどうコメントして良いかわからない。僕もそれ以上の追及はせず、微妙に話題をずらす。

「失礼なことをお尋ねしますが……ここにいらしたってことは、厄除けのご用件があるということでしょうか? それとも、やっぱりとりあえず参拝という方でしょうか」

「いやいや、今回の僕たちは厄除けをお願いしに来たんですよ。いえ、というのもですね……まぁ、去年の秋にちょっと。色々ありまして。憑いてる……と言うべきかわかりませんけど、まぁ、ちょっと不安でして」

「はぁ…………」


「いえ、気にすることも無いようなことですしそもそももう大丈夫だと思うんですけど! でも、まぁ一応。明日から2人でエンジュ旅行行くんですけど、2人して疑惑あるので、気休めというか念には念をというか、石橋はアームハンマーというか。上手く説明出来なくて申し訳無いのですけど、説明のしようもなくて。すみません」

1人でぺらぺらと喋っていた『先輩』が、困ったように謝るので僕も慌てて、いいんですよ、と止める。言いたいことは半分ほど理解出来たような気がするけれど、何と返すべきかはわからない。吉岡始め教え子たち、同僚の教師相手なら「そんなのあり得ませんよ気のせい、そうでなかったらゴーストポケモンの悪戯です」とでも言えるのだけど、流石に初対面相手にそんな言葉を吐く勇気は僕には無かった。
適当な頷きと相槌を返した僕は、その他に何を言ったものかと逡巡する。と、良いタイミングで「先輩、」と『後輩』が社裏から戻ってきた。Tシャツの襟元をぱたぱたして風を送る彼は、頭についた葉っぱを払いのけながら残念そうに言う。

「いらっしゃいませんでしたよ。どこにも。僕お社の下まで潜りこんだんですよ、でも駄目でした。」

「君さぁ……大学2年にもなって何してんの。大体そこにはいないと思うけど、お社の下って……」

「わからないじゃないですか。僕が神様だったらそうしますよ、人目につかないところにこっそりひっそり隠れて暮らしますからね。思いつくところは全部探さないと」

「だから、君みたいに探す人がいるから逃げるんじゃないの。人目につかないところにさ……あ、すみません騒がしくて。本当」

Tシャツの所々に土をつけた『後輩』と何やら言い合っていた『先輩』が、こちらを思い出したようにはっとする。その会話の内容に、「何か探されていたんですか」と尋ねてみると『後輩』は決まり悪そうに視線を逸らしてしまった。それを横目で見て、『先輩』が微笑を浮かべる。

「いつも神社とか、そういうところ行くと探してるんですよね。神様が見つからないかって。まったく、いい加減謹んでくれないかと言ってるんですけど」

「うるさいですね、僕はいらっしゃるって信じてるんですよ、放っておいてください」

「そこは否定してないよ。俺が言ってるのはさぁ、君に簡単に見つかるほど神様だってうっかりしてないでしょっていう話で、探すことをどうにかして欲しいって話」

「…………神様、ですか」

つい口から漏れた僕の呟きに、2人と2匹が一斉に振り向く。どうしたんだと言いたげな4対の視線に、しまったと思いつつも口に出したものは仕方ないと考え、僕は社を指差した。

「いますよ。ベロリンガなら。あそこに」

そう言った僕に、『先輩』と『後輩』はしばらく顔を見合わせて何とも言えない表情を浮かべていた。しかし、「ですから、これからもここに来てくださいね」と続けると、数秒の間の後に2人は揃って頷いた。何かを感じ取ったらしい彼らの笑顔の後ろ、真新しいとも綺麗とも決して言えないけれども、しっかり掃除がされてそうな社の中には桃色の影が見える。僕に今言えることなど、この程度だろう。
お参りをした彼らを見送った僕は、そこで初めて吉岡がいつの間にか、鳥居の足下にしゃがみ込んでいたことに気がついた。ナゾノクサたちが休んでいるそこはいい感じの日陰になっていてなるほど休むには都合が良さそうだったが、そんなことはあっと言う間に意識の外に飛んでいった。
残った塗装の赤と剥げた箇所の黒が斑になった鳥居の下、吉岡はいつにも増して顔が青白く見えたのだ。熱中症か日射病か、頭に浮かんだ嫌な予感を追い払いながら急いで駆け寄る。

「おい、吉岡、大丈夫か……」

「あ、三木先生。いえ、ちょっと。なんか暑くって。外はやっぱり暑いですね」

そう答えた彼は思ったより元気そうであったが、やはりどうにも具合が悪そうに思えた。顔色は間違い無くいつもより良くないし、声も力が抜けている。鳥居にもたれ掛かるようにして笑った吉岡は、学校で見る彼よりも病弱そうというか薄幸そうというか、いつもならば少しも似合わないようなイメージを抱かせた。
ちょっと暑いだけですから平気ですよ、という吉岡の言葉はきっと嘘では無いのだろう。しかし暑さとは馬鹿に出来ないものなのもまた本当だ、少し考えた末、僕は「ちょっと待ってろ」とそこから立ち上がった。先生、と不思議そうに呼びかけた吉岡を手で制して鳥居の外に出る。
自動ドアを抜けて「いらっしゃいませー」斜め向かいのコンビニに入り、クーラーボックスから適当なものを掴んで会計を済ませる。「ありがとうございましたー」と背中で聞きながら小走りで道路を渡り、鳥居の中へと戻ると彼はまだ怠そうにしていた。

「あ、先生……どしたんですか、急に」

半ば寝転ぶようにして鳥居に預けていた身体を起こし、吉岡が僕に問いかける。それには答えず、コンビニのビニール袋から買ってきたものを放り投げて彼へと渡した。少しびっくりしたように目を丸くした吉岡が、「何ですか、……これ……」と首を捻る。

「内緒な。とりあえずこれ食って体冷やせ」

「えっと…………アイス、ですか?」

パッケージをまじまじと眺める彼に頷いてから、そういえば熱中症にはアイスよりもスポーツ飲料とかが良かったんだっけと今更ながらに思い出す。しかしもう遅い、食べないよりはマシだろう。糖分が入っている分プラスだと思うことにする。
何がそんなに面白いのか吉岡は未だ外袋を見ていたが、何観察してるんだ、と言うと慌てたように封を切ろうと袋を持ち直した。しかし手に力が入らないのかそれとも袋が濡れているせいか、指を滑らせているだけの彼が袋を開封出来る気配は皆無である。
仕方が無いので、吉岡の隣に腰を下ろした僕は彼からパッケージを取り上げて代わりに開ける。中から出てきた水色の氷の塊、ソーダのアイスバーだけを吉岡に手渡した。

「ええと…………先生、」

「え? もしかして嫌いだったか……? アイス」

「いえ! そんなことは無いです、いただきます」

妙に慌てた感じで、吉岡はアイスバーに口をつける。その一口目から数秒間、彼は何故か硬直していた。そして喉を鳴らして、ほっと息をついて小声で呟いた。

「…………おいしい」

「……そうか」

そんなに感心したように言ってもらえれば、ソーダバーも幸せだろう。夢中になって食べている吉岡を横目にそんなことを考える。よほど喉が渇いていたのか腹が減っていたか、ソーダバーを食べる彼はいたく嬉しそうで、そんなにするまでのことかと思うくらいに幸せそうであった。相変わらずテッカニンはうるさいし、バタフリーは飛び回っているし、それ以外のポケモンたちは等しく涼を求める暑さではあったものの、ここの前を通った時よりかは穏やかになっている気がしなくもないような、そうでもないような。
そして食べ終わって先程よりかは顔色が良くなったように見える吉岡と共に学校に戻り、「そういえば教室に教科書置きっぱなしでした」という台詞と共に昇降口から走っていった彼を見送ったところでなし崩し的に本日の部活は終了となった。残った資料を片づけて、採点を終えた答案を職員室の金庫にしまって、吉岡の使った雑巾を廊下に干す。結局僕たちが参拝をし忘れていたことに気がついたのは、昼間に比べれば幾分涼しくなったように思えなくもない、7時を回ってもまだ沈まぬ夕日に照らされた歴史資料室の扉を閉めた時だった。


5.陽炎のような夏休み

うだるような暑さ、という表現は今この時のために作られたのではないだろうか。そんなことを本気で考えてしまうくらいには暑くてたまらない。拭っても拭っても次から次へと沸き出す汗はしかし体温を奪ってくれることもなく、倫理的範囲で可能な限り襟元を緩めたシャツにシミを作るだけであった。
ジワジワというテッカニンの声だけが世界を支配しているかのような錯覚に陥る、暑さで満ち満ちた校舎ではそれでも生徒たちが高校生ライフを謳歌している。炎天下のグラウンドでは野球部が声を合わせてランニングし、テニス部が互いに掛け声を口にしながらラリーをし、吹奏楽部による、楽器ごとの練習は各教室から響いてくる。体育館でもバスケ部やバレー部が練習中だし、少し注意を傾ければ水泳部のホイッスルや合唱部の歌声も聞こえてくる。先程廊下を走っていったのは文化祭準備に追われる生徒会の連中か、それとも美術部の部員たちか。ゲームを作っているらしい、コンピューター同好会が職員室に向かったものかもしれない。熔けるような真夏の学校は、生徒それぞれの音に溢れている。
カントー全土を巻き込んだ戦について纏められた資料をファイルに入れながら見やった窓、ガラスを開け放った向こうにあるのは絵に描いたような青空だ。あの、しつこいほどに降り続いていた雨が嘘だったみたいである。ギラギラと熱線を放つ太陽がアスファルトを、体育館の瓦屋根を、校庭の土を焼き尽くす。とてもじゃないが直視出来ないその眩しさは、きっとカロス神話におわせられる生命の神の輝きですら書き消せるに違いあるまい。
暑い。とにかく暑い、それ以外の感傷は持てなかった。クーラーも扇風機も無いこの部屋に、涼をもたらすのはカーテンを揺らす僅かな風と、気休めにと取り付けたアズマオウ柄の風鈴のみである。しかもその風すらほとんど吹かないから風鈴も鳴らず、たまに吹いたと思えば生温い、余計に不快感を募らせるだけのものだった。不快指数ならば校内屈指のこの部屋で、1日の大半を過ごし続けているとだんだん、生きている心地すら失われていくように思えてしまう。かと言って死にそうだったり死んでいる心持ちというわけでもない、何もわからなくなってくる。
それくらいには、暑かった。追い討ちをかけるテッカニンの声、照り返すアスファルト。全てが、揺蕩うように融けそうである。こういった現象を何といった、だろうか。

夏休みが始まって、2週間が経っていた。

「…………あっつ、」

ぽつ、と音を立てて首筋から流れた僕の汗がプリントに落ちる。慌てて拭き取ろうとしたがその手すら汗だらけでどうしようもない、もはや何が濡れていて何が濡れていないのか不明瞭になってきた頭は、肩にかけたタオルでプリントに出来たシミを拭くことを諦めた。どうせ放っておけば乾くだろう、わざわざ余計な手間をかける必要もあるまい。

「なぁ、吉岡」

茹で上げられたように火照る身体を、椅子にもたれ掛けさせて彼に声をかける。蒸した部屋の片隅で、昔に使われていた農具などを眺めていたらしい吉岡は、はたと気づいたようにこちらを向いた。
白いシャツと濃い灰色のスラックス、4ヶ月ほどで見慣れたこの学校の制服に身を包む彼はあまり暑がっていないように見える。しかしそれは良い意味ではなく、どちらかというと熱中症を心配したくなる類の方だ。色素が濃いとは言い難い顔色は悪く、目もどこか虚ろである。

「大丈夫か? 別にいいんだがな、来なくても。別に部活だってこれと言って何かやってるわけじゃないし、ここ暑いし。手伝ってくれるのは嬉しいけど」

「んー、……いいんですよ、先生。僕は好きこのんでやってるんですし、こう見えて暑さには強いですから、ね」

「そうは言っても……お前ほら、一応受験生だし」

そんなことを口にすると、オカルト研究部員3年生の彼はへらりと笑って、大丈夫ですよ、と呟いた。吉岡に限った話じゃないがこの、根拠の無い「大丈夫」はどこからやって来るのだろうか。仮にも受験生の夏休み、毎日のようにこうして資料室に姿を現わす彼の成績はよく知らないけれども不安になってしまう。進学希望なのは間違い無いはずだし、推薦で受けるつもりだとしてもここまで余裕そうにしていると教師としては何か言いたくなるところなのだ。

「まぁ、でも。具合悪くなったら言ってくれよ、熱中症とか怖いし。この本当に暑いから」

「はい」

至極短い返事。夏休みに入ってからというもの、吉岡はずっと元気が無い。思い当たる理由としてはやはり暑さが浮かび上がるから、こうして登校を控えるよう暗に促してはみるのだが、それでも彼が歴史資料室に来ない日は訪れないままだ。散々雨を降らせていた窓の外がその反動とばかりに青々と広がり、呆けたような吉岡の横顔を逆光にしている。

「……そうだ、先生。……知ってますか、理科室の、コラッタのホルマリン漬けが夜になると逃げ出して正門のピカチュウ像と」

「…………知ってる。昨日も聞いた」

「…………そう、でしたか」

各部活からは3年生が引退し、新しい世代たる1、2年生は猛暑の中練習に励んでいる。受験を控えた3年生は大半が予備校に通っているから登校する生徒は今やかなり少数派だし、いたとしても自習や補習のために来ているのだ。誰もが暑さと秋に待ち受ける大会やイベントと、そして将来のことだけを考えている。
8月に入った学校。噂話に興じる生徒はいなくなった。
それぞれの部活という、ある種閉塞したコミュニティでしか現在の生徒たちは過ごしていない。3年生に至っては個人戦だから噂の広まる場所すら激減しているだろうし、そもそも噂どころでは無いという生徒がほとんどだろう。吉岡の、頼みもしないのに教えてくれるオカルトトークを聞く頻度もテスト明けから徐々に落ち込んでいって、今ではほぼ無くなってしまった。多くて1日に数回、それもあったところでさっきのように、同じ話を繰り返すことすらある。
彼の元気が無いのはきっとこのせいだろう。元々お喋り好きの吉岡だから、こうして皆と話せる時間が減ったのはかなり辛い状況だと思う。彼と親しげにしていた生徒たちも、恐らくその全員がそれぞれ色々なことに追われているのだから。

「そうだ。吉岡は、塾とか行かないのか? 補習とか……」

「あ、ねぇ。先生。これ何ですか」

ということを考えて、せめてもの機会になればと口にしかけた僕の提案はしかし、吉岡の言葉に遮られた。
首筋の汗を拭いながら彼の方に目を向ける。と、吉岡が資料の一つ、一応は透明のケースに収められてはいるもののかなり埃を被っているものを指差していた。座っていたせいですっかり温くなったパイプ椅子立ち上がり、彼曰くの『これ』に近づいて説明書きを探す。控えめに立て掛けるようにして、ケースの隣に置いてあったそれは元の色が何であったのかもわからないくらいに変色していた。

「あー、これは……御神木……だったもの、らしい」

ケースの中にあるのは、一見しただけでは、いや二見しても三見してもわからない物体である。薄汚れたガラスに目を凝らせば、かろうじてそこにあるのが茶色い、乾いた、小さな木片だということだけが見て取れた。
何百年も前、タマムシにあったというこの木片の元である大樹は御神木として祀られていたらしい。まだ整理の終わっていない棚を漁れば、当時の様子を描いた絵も出てくるであろう。説明書きの記述によると、かなり大きな樹であり、それだけの規模の信仰も集めていたそうだ。

「でも、雷で折れたらしい。それでまぁ、社も一緒に燃えて……しばらくはそれでも拝まれてたみたいだけど、だんだんタマムシも都会になっていったし。それでもう一回、今度は大きな火事に遭って……で、ほぼ完全に無くなった、と」

「それで、これですか」

もはや片手に収まるくらいの欠片となって、汚れたガラスケースに閉じ込められた木片を見て吉岡が言う。僕はそれに頷くことも出来ず、ただ彼と同じ場所に視線を向けていた。

「この前、先生と行ったあの神社は。あの神社は、まだ残ってるんですよね」

「…………それは、まぁ。ああやって来る人もいるから」

「でも、この樹は……この、神様は、そうじゃなかった、と」

吉岡の、白い手がガラスに積もった埃を払う。その手つきはどういうわけか、愛おしむような慈しむような、憐れむようなもので、
そのくせ、酷く弱々しいもので、

「消え、ちゃったんですよね。先生」


「………………吉岡、」

その時の僕は、模範的な教師の顔とでも言うべきものを浮かべていたのだろう。その質問に答えることは、僕にはどうしても出来なかったのだ。それを口にしてしまったらおしまいなのだと確信していた。言葉にしたら、何もかもが崩れ落ちるに決まっていた。
だから、僕は話題を逸らしたのだ。言わないように、言葉にしないために。これ以上、話が進んでしまうよりも前に。

「顔色、悪いけど。大丈夫か? 吉岡、具合悪かったりしたら言えよ」

強引に話を打ち切った僕の思惑に、吉岡が気がついたかどうかはわからない。しかし彼は「はい」と笑いながら頷いて、それ以上何か言ってくることも無かった。
そして、開け放しした窓の遠い向こうから何か警報器の音が聞こえたのもそれと同時だった。轟音と騒音と振動、幾多の悲鳴が学校中に響き渡ったのは、それから数秒後のことである。





学校の近隣にあるポケモン研究施設で、新たな回復アイテムの開発チームがポケモンに与える物質を誤ったため、ポケモンたちが激しい混乱状態に陥った。全くの不測事態に職員は対応出来ず、施設の一部を破損しながら脱走したポケモンたちが学校にも向かってきた。部活動や補習、自習などに勤しんでいた生徒たちもまた予想だにしない事態に驚き、校内は一時パニックに満ちた。幸いにも死人や重傷者は出ず、恐怖による興奮状態になった生徒も落ち着きを取り戻した。避難ガイドに則り体育館に集められた生徒たち及び、事故時学校にいなかった者も含めて全ての生徒、教師の無事を確認済。今現在は全校生徒の帰宅が完了されている。
以上、あの後起こった出来事の概要である。割れた窓ガラスや女生徒の泣き叫ぶ声、その中を半ば現実味の欠けたまま動き回り、ようやく事態がある程度落ち着いた時には学校とその周辺一帯が大騒ぎとなっていた。
吉岡の避難は他の教師に任せて、僕は門の警備にあたっていたからその後の彼の動向はよく知らない。しかし、全ての生徒が無事帰宅出来たという報告をもらったから、吉岡もまたそうであるに違いなかった。とりあえず彼に危険が及ばなくて良かったと思いながら、彼が眺めていた御神木に埃除けの布を被せてから、僕は歴史資料室の鍵を閉める。もはや、この部屋どころでは無かったからだ。





そして学校にはしばらく立ち入り禁止となった。警察や消防署の調査があるようで、また一部壊れた設備の修理も入るらしい。夏休み中であったのは不幸中の幸いだっただろう、どうしても練習の必要な部活動は公民館などを借りて活動しているみたいだし、諸々の不都合は生じれど大きな問題は無くて済みそうだった。
僕としても、夏休みに目処を立ててしまおうと思っていた歴史資料室の整理が出来ないのは痛いところであるけれども、それ以外に何かといった事も無い。重体レベルの怪我人も出なかったし、混乱状態になったポケモンも無事保護された。研究所側の被害もそこまで大きくなかったらしく、事故が起きたとは言えかなり幸運な部類だろう。
クーラーの効いた自室でそんなことを考える。お盆に実家に帰る予定だったけれど、少しばかり予定を前倒しにすべきかもしれない。学校に入れない分、違う場所の会議室を借りて職員会議を行ったりしていたのだが、お盆明けに学校への入場が許可されるらしいから、恐らくバタバタしてしまうだろう。ならば少し帰る時期をずらして早めに戻ってきた方が良い、そう考えた僕は実家に電話をかけるべく携帯を手に取った。
学校に入らない日が続いて1週間。生徒たちは元気にしているだろうか。せめて今やれることはしておこう、と机に広げていた資料を眺めて思う。光を放つデスクトップの画面には途中まで出来た目録が表示されていて、その作業の終わりがまだ遠いことを暗に示していた。
そしてその右下辺り、今この場に資料が無いため記入出来なかった空欄が目に留まる。そういえばまだ梅雨が明けていない頃、これに必要な資料の写真を撮ったではないか。正確には吉岡に撮ってもらった、と言うべきなのかもしれないけれど。他の教師に頼まれてメールで送った画像が、今もカメラロールに残っているはずである。
思い至って、電話を後回しにした僕は画像フォルダを起動した。そんなに写真を撮る方じゃないから目当てのものはすぐに見つかって、カタカタとキーボードの音を鳴らして必要事項を入力する。一つ項目の埋まった液晶に満足し、良かった良かった、とカメラロールを閉じようとホームボタンに指を伸ばした。

しかし、そこで僕の指は動きを止めた。


「……………………え?」


無意識のうちに、声が漏れた。
同時に、怒濤のような記憶が押し寄せた。
そしてその記憶は、瞬く間にパズルのピースの如く組合わさり、一つの図式を作り上げた。


親しげに喋り合う友達は数え切れないほどいるのに、放課後を共に過ごす相手を誰も見たことが無い。
理系クラスだと本人は言っていたけれどもそれを肯定する生徒も、同じクラスだという生徒も、担任なのだという教師も一人として存在しない。
テストにも受験にも興味を示さず、3年生という時期なのに何も関係の無さそうな態度を取っていた。
海という単語に考え込んだのは、行ったことが無いというよりも、その存在をよく知らなかったからでは無いだろうか?
他の地方や他の町、それどころか学校の外のものに全て、異常なほどに感心していたあの様子。
そのくせ、あの学校を出た外で、神社の鳥居の足下で、酷く疲れたように寝かせた身体。
ソーダアイスを食べる時のあの感動っぷりは暑くて喉が渇いていたからなんかじゃなくて、今までアイスを……いや、何かを食べるという行為をしたことが無いから、だとしたら?

今まで、僕は彼が帰っていくのを見たことが無い。
彼が、登校してくるのさえ、この目に映したことも無い。

彼はいつだって気がついたら歴史資料室に、廊下に、教室に。


いつだって、彼は、学校にいたのだ。


彼が『インカメしちゃいました』と言ったはずの画像、彼を撮ったはずの画像、あの時の彼が背にしていた雨空の窓しか写っていない画像を画面に映した携帯が、僕の手から滑り落ちる。それは音を立てて床にぶつかったけれど、僕の身体は少しも動いてくれなかった。鉛のように重たいような、それでいて全身から血を抜かれたように軽いような。指一本動かすことも出来なくて、頭はがんがんと痛かった。
脳裏で警鐘が響き出す。学校の噂話を楽しげに伝えてくる彼の話し口が、海という言葉に一瞬だけ揺らされた彼の目が、この世で一番のご馳走だとでもいう風にアイスを食べる彼の笑みが、夏休みが進むごとに弱々しさを増していく彼の姿が、御神木だったものを前にした『消えちゃったんですよね』という彼の声が。一斉に、頭の中を駆け巡る。

鼓動がどんどん速くなっていくのを、どこか他人事のように感じた。ようやく足が動いた時には既に僕は、床に落とした携帯を拾い上げることすら忘れて、机の上の財布だけをひっつかんで部屋を飛び出していた。
熱帯夜とも呼ぶべき、蒸し暑い暗闇。もわもわと充ちる湿気を表すかのように夜空に広がった雲は重苦しい灰色で、散々続いた梅雨を思い出させるようだった。





捕まえたタクシーに「出来る限り速く!」と叫んで夜道を飛ばしてもらい、料金を半ば放り投げるようにしてドアから雪崩れ出る。運転手が終始不可解な表情を浮かべていたけれど、そんなことに構ってはいられなかった。一刻も早く、一秒でも早く僕はあの場所へと行かなくてはならないのだから。
目の前に聳え立つ、夜の学校は誰の気配も無い。使われなくなった要塞のようであるが、先日の事件の処置がまだ済んでいないらしく張り巡らされた黄色いテープが唯一生活感のようなものを醸し出していた。ある種倒錯的な現象だが、とにかく誰もいないのは今の僕にとっては好都合である。
校門は正門も裏門もしっかり施錠されているから使えるはずもない、下手に乗り込んで面倒事になっても困る。だから僕は迷わず裏口の、体育倉庫があるフェンスの所へと向かうことにした。緑色の金網に空いた人一人分通れる穴は、いつか彼に教えてもらった抜け道だ。裏庭に出る、ユンゲラーの亡霊に会うための。
そうだ、これも、彼に教えてもらったのだ。思い返せば数えきれない。彼が教えてくれたのだ。いつだってそうだ、どれだって、そうだったのだ。教えてくれたのは、彼だったのだ。

僕に。
そして、学校中に。

雑草が好き放題に伸びた裏庭に入り込んだ僕は1階事務室のベランダへと向かう。ここの壁は壊れていて、修理が済むまでどうにか隠しているのだと事務員の方が言っていたのを僕は知っているのだ。そして、その修理がまだちっとも実行されていないことを。
植木鉢やら砂袋やら、スコップやらを急いでどかしている僕を、夜の裏庭に集まっているらしいズバットやモルフォンたちが遠巻きに見張っている。しかし今は構っていられない、暗闇に光るゴルバットの視線を背中に受けながら、僕は穴を覆い隠すものたちを放り投げていく。やがて現れたのは崩れかけた壁、流石に僕が直接通ることは叶わないけれどもまだ策はある。箒の柄を通して窓の鍵を開け、横に引いたガラスの間から事務室へと身体を滑り込ませた。
窓を閉めることすらもどかしく、全速力で廊下を走る。しんと静まり返った夜の学校はこれ以上無いほどに静寂に満ちているというのに、頭の中に鳴り響く警報がそれを核から打ち壊してしまっていた。床を蹴る自分の足音と、荒くなる息遣いと、聞こえるわけが無いはずの鼓動がやけにうるさく響き渡る。一刻ごとに速さを増すそれらに耳を貸さないようにして、ただ、薄暗がりを駆け抜ける以外にすべきことは無い。
会談を駆け上がる。また走る。その先の角を曲がる。
そして見えてきた、あの案内札、そこにある扉に体当たりするかのようにしながらドアノブを、回す。

鍵がかけられたはずのそこが、いとも容易く開いたことに対する異常は、しかし脳の片隅でしか認識されなかった。
急に走るのをやめたことによって、いきなり止まることが出来なかった身体が歴史資料室へと倒れ込む。極限まで荒くなった呼吸と限界の心臓、そして相変わらずのカビ臭さによって息が今までに無かったほどに乱れだす。チカチカする視界の中、血の昇った頭でどうにか呼吸を整える僕に、一つの影が重なった。


「三木先生」


いた。
彼が、まだ。

僕の目の前に、彼が、オカルト研究部部長を名乗る彼が、いたのだ。


「三木先生、こんばんは」

「吉岡」

上がった息ではそれしか言えなかった。その続きに何を言うか、考えることも出来なかった。
どうしてここにいるんだ、どうやって入ったんだ、早く家に帰りなさい? 違う、そんなことを言ったところで何の役にも立ちやしない。こんな、ありふれた注意などを彼にしてもどうしようも無いのだ。じゃあ何を言えばいい。何を聞けばいい。
彼に、何をすれば。僕がどうすれば。
彼は。

何も言葉に出来ない僕を他所に、彼はいつも通りの様子で笑っている。
いや、いつも通りなんかじゃ無い。彼の姿は、暗闇に浮かぶ彼の姿は今にも消えてしまいそうだった。テスト前の退屈そうな様子も、学校外の神社で立ち竦んでいた様子も、夏休みが進むごとに顔色を悪くしていた様子も。そんなものは比べものにならないくらいに、今の彼は弱々しく、か細いものに思えてしまった。誰が見てもおかしい、異常なほどに幽かな気配だった。
違う。誰が見ても、じゃない。きっと今の彼は、僕以外には見ることすら叶わないかもしれないのだ。

「ねぇ、三木先生。知ってます?」

彼は言う。いつものように。
その先を告げさせては駄目なのだ、と頭の中で僕が叫ぶ。だけどそれは声になってくれなくて、情けない呼吸だけに変わっていく。喉元から絞り出される呼気をどうにかして音に変えたいのに、僕の口からはやっぱり息しか漏れなかった。

「三木先生には、沢山の話をしましたよね。女子バスケット部の更衣室の鏡の話、消しゴムのおまじないの話、あと、美術室の石膏が動くとかも。他にもたくさん、たくさん。もう、数えられないくらい、いっぱい話をしました」

そんな僕の様子に触れること無く、吉岡は1人で喋り続けている。過ぎ去った時間を懐かしむようなその口調に、心臓を握り潰されるみたいな心地に陥った。やめろ、やめてくれ、そう言いたくて仕方が無い。そんな、全てを想い出に変えてしまうような。何もかもが終わったことだと言うような。
まるで、これから、過去になってしまうかのようなのは。
吉岡は笑っていた。ただ穏やかで静かで、その癖いつもみたいに悪戯っぽくて、誰にでも好かれる笑顔を浮かべていた。残酷なまでの笑顔で、彼は、三木先生、と僕のことを呼んでいたのだ。

「でも、これから話すのは、今までしたどんな話よりも面白いと思います。一番面白くって、一番素敵な話なんじゃないでしょうか。そう思ってもらえると、三木先生が面白いって思ってくれると、俺も嬉しい、ですね」

「………………吉岡、」

どうにかそれだけ声にする。情けないまでに震えきった僕の声は、しかし言いたいことや抑えられない感情を伝えるには十二分であったはずだ。
だけど吉岡は、それを聞いてくれなかった。わかった上で、伝わった上で、彼は 首を横に振ったのだ。僕の気持ちも願いも訴えも全部理解しているのに、それがもはや無駄なものなのだと言うように、彼は僕に笑顔を向けた。

「聞いてください。三木先生に、聞いて欲しいんです。この話は、この話だけは。三木先生、だけに。…………最後の、噂話は。誰よりも噂話を知ってる、オカルト研究部部長の俺、吉岡が。誰よりも噂話を信じない、三木先生だけに教えます」

駄目だ。

駄目だ。

そう叫びたくて仕方が無いのに、僕の口はもう動かすことすら出来ない。 やめろ、黙れ、黙ってくれ。お願いだから。子供のように泣き叫びたかったし、殴りかかってでも止めたかった。しかしもう、今の僕には何も出来ないのだ。ただ、彼の話を聞くこと以外に、僕の出来ることなんて何一つとして無いのだろう。



「ねぇ。三木先生。知ってますか?」


そうして、彼の話が始まってしまう。

夜の歴史資料室を背にした彼の姿は酷く弱々しくて幽かで儚くて今にも消えてしまいそうで、



「『ヨシオカ』っていう、話なんです、けど。ね」




終わりに近づいているのだと、はっきりわかってしまうものだった。


6.この世にオカルトは存在しない

「『とある学校に、こんな噂話があるのです』」


吉岡の言葉が、薄闇の歴史資料室に響く。いつもと変わらない白シャツとスラックス、模範的な夏服に身を包んだ彼が背にしているのは、今まで色々な景色を映してきた窓ガラスだ。閉められた鍵、取り付けられた風鈴は受ける風が無いために少しも動かない。
春の陽気を浮かべた青空。雲に覆われた昼の空。橙色から紫に変わりゆく夕焼、星が少しずつ滲み出てきた夜空。しつこいほどに続いた梅雨の曇天と、うんざりするほどに晴れ渡った夏の空。
様々な空を背景に、吉岡はその都度違う話を聞かせてくれた。彼は恐ろしく情報通で、お喋り好きで、流行りの噂に敏感だった。どんな噂も彼の口から語られないことは無く、あらゆる話が彼の声となっていた。どうして、こんなにも知っているのか疑問に思うほどに。


「『ちょっと不思議で、ちょっぴり怖めで、とびきり楽しい噂話。学校中が盛り上がる、沢山の噂は生徒を、そして時には先生たちも巻き込んで、毎日のようにみんなに伝えられていたのです』」


そして、それを今日も彼はやろうとしている。今までに無かった、夜中の曇り空を背中に受けて。『噂話』を、吉岡はその口から語ろうとしているのだ。


「『その噂は、一体どこから出てきているのか? それを不思議に思った人は沢山いたけれど、結局誰にもわからなかったし、知りようもありませんでした。そもそも本気で調べようとする人なんて、いなかったのかもしれませんが』」


その『噂話』が終わろうとしている。一番最後の話が、今、他ならぬ彼によって終わらせられようとしていた。


「『しかし、ちゃんといたのです。噂話の出処が。学校に、奇妙で愉快な噂を流していた1つの影が』」


噂話は終わりを迎える。



「『その影を、学校のみんなは、「吉岡」と呼んでいたのです』」



彼、『ヨシオカ』という噂話は、終わりを迎えようとしているのだ。




吉岡というその男子生徒が、一体何者なのかを知る人は誰一人として存在しません。彼と親しくしている生徒や言葉を交わす教師は数多くいましたが、彼の詳しいことを知る者はいなかったのです。きっと別のクラスで別の委員会で、別の所に住んでいるのだろうと、学校中のみんながそう考えていました。
彼は何者なのでしょう? それは、誰にもわかりません。彼は気がついたらそこにいる、そういう存在なのですから。生徒も教師も誰だって、この学校の中なら誰もが仲良く出来る存在なのです。彼は全ての生徒と友達で、全ての教師の教え子でした。彼はこの学校で、みんなの中に溶け込んでいたのです。

彼は、沢山の話を知っていました。沢山の不思議な、怖い、そして楽しい噂話をみんなに教えていました。それこそが、彼という存在がそこにいる意義だったのです。
彼はそういう存在でした。面白い噂話を教えてくれる。どこからともなく現れて、楽しく噂を伝えてくれる。彼という存在はそのために、この学校にいたのでしょう。

彼の姿が現れてからというもの、学校には数えきれない程の噂話が広まりました。月に1回、半月に1回、週に1回…………次第に生まれる頻度を速めていく噂はそれでもしかし、生まれる度に学校中を賑わせました。生徒も教師も、みんなその噂たちを楽しませていました。
ちょっと不思議で、ちょっぴり怖めで、とびきり楽しい噂話。溢れるそれは学校に笑顔と喜びと、小さな興奮を呼び起こします。
何度も、何度も。
いくつも生まれる噂は、雨がやまない日も暑くてたまらない日も、学校中を明るくしていたのです。


「『しかし、それもやがておしまいが来るのです』」


噂話というのは、あくまで噂に過ぎません。実態が無い、本当か嘘かわからないからこその噂話なのです。噂話が存在している保証は『みんなが話している』という事実、たったそれだけです。
彼の流した沢山の噂も、時が経つごとに消えていきました。噂話は遅かれ早かれ、人々から忘れ去られていくものです。新しい話題が出てくれば、古い話は記憶から無くなってしまいます。

けれど、彼だけは、『彼』という噂話だけは長いこと残っていました。何故でしょう。
簡単なことです。彼の存在意義は、噂話を教えてくれるということ。彼は、沢山の噂を学校に流すことによって、自らの存在を保っていたのです。



「『でも』」



テスト期間に、みんながテストのことを気にして噂への興味を無くすように。
部活や勉強が忙しくて、夏休みの学校で話すことが変わっていくように。

誰も入れなくなった学校で、噂話をする人などいなくなった学校で、ただ取り残された『噂話』はどうなるのでしょう?



「ねぇ、先生。三木先生」



吉岡は、『ヨシオカ』は言う。



「どうなると、思いますか?」




生まれた頃からこの体質で、僕はいつでも視えていた。
姿を消して悪戯を図る困ったゴーストポケモンも、バトルを有利に進めるためにその身体を隠して戦うエスパーポケモンも。
そこかしこに漂う、行き先に迷っている幽霊や地縛霊、強い思いに囚われてしまった魂だって視えている。出来ればあまり見たく無いような風貌の魑魅魍魎も、時には視界に入ってきた。

そうだ、僕は視えているのだ。
初めから全部、視えているのだ。


オカルトだって、僕は全部、この眼で視てきたのだ。


「三木先生だけが、俺を見ていたんです。俺が吉岡じゃなくて、『ヨシオカ』だってわかってたんですよ」

僕は視ることが出来た。彼が言うような『噂話』その正体が、僕にはいつだって視えていた。
女子バスケット部の更衣室には未来を見せる、全校生徒の消しゴムには縁と縁を結びつける、美術室には退屈している石膏を動かしてやる心優しい、ピカチュウの石像と逢瀬を重ねる、なんでも知ってる、願いを叶える、バトルを繰り広げる、夢の中に現れる、『正体不明』がそれぞれ存在している。いや、していたのだ。

「先生だけでしたよ、俺に『お前誰だ?』って聞いたの。そりゃあ三木先生は、単に自分が新しく来たばっかりだからって思ったんだと思いますけど。でも、みんなは違います」

この学校に流れた全ての噂話、全てのオカルトは、『存在している』。僕には視えているし、視えていた。ずっと昔からそうだったように、僕は全てのオカルトを眼に映していた。
沢山の、それはもう数多くの。ここに来てからいくつ視たことだろう、全てを覚えてはいるけれど、あまりの多さに数えようとは思えなかった。

「だって、みんなはそんなこと思わない。……思えないんです、よ。そもそも。俺はここにいるのが当たり前、オカルト研究部もあって当たり前。俺は、そういう『噂話』なんですもん。オカルト話が大好きな、お喋りの3年理系男子。たったそれだけの情報で、みんなは俺を無意識に受け入れるんです」

僕は、オカルトが視える。
正体不明のオカルトが、存在することを知っている。

「三木先生は視えてるんだ。俺は嬉しかったよ、噂話に惑わされてる人ばっかりの中でそうじゃない。俺の正体、不明な正体『ヨシオカ』を視てくれる人がいて」


だから、わかったのだ。


「だから、思ったんだ」


わかってしまったのだ。



「三木先生には、俺が消えるところまで視て欲しいって」




オカルトの正体が視える、そこまでは良かったのだ。時にはおぞましい見た目の者もいたけれど、それでも僕なりにこの生まれつきを楽しんでいた。みんなには見えないものが見える、という特別感も少なからずあったかもしれない。とにかく僕は、昔はオカルトを視ては喜んでいたのだ。
だけど、それはある日を境に哀しみへと変わってしまった。小学5年生の時に出会ったそのオカルトは彼とよく似た存在で、イマジナリーフレンドと呼ばれるような類のものだったと今になって思う。周りの友人たちは当たり前のように遊んでいたその少女を、僕だけが知らなかったし僕だけが不思議だと感じていた。
そこにいることも、彼女が笑っていることも。それが変でたまらなかった。友達に言ってもわかってくれないから、ある時彼女だけにこっそり伝えたのだ。すると彼女は、そう、吉岡と同じように、「そんなことを言ってくれたのは三木くんだけだよ」と嬉しそうに笑ったのだった。
彼女と過ごす時間は不思議なまでに楽しかった。友達の誰よりも、僕は彼女と仲が良かった。彼女の不明な正体を知る、彼女を視ることが出来る僕を、彼女は、「幸せだ」と言ったのだ。

だけど、その毎日は終わってしまった。中学生に上がってから半年ほどが経った頃、次第に彼女の姿を見なくなってきた。視えなくなってきた。あれだけ遊んでいたのに、友達の誰もが彼女のことをすっかり忘れていた。
彼女は、いわば想像上の友達だった。子どもの想像から生まれた存在だったのだ。そんな彼女は、もしもその『想像』が失われたらどうなるか。
今更考えるまでも無いだろう。


「ねぇ、先生。みんな、俺のことなんて、綺麗さっぱり忘れてるんですよ」


それが、オカルトの視える僕に突きつけられた真実だった。

あの小さな神社と、資料室にある御神木の一部。何が違ったのだろうか、何がその二者を分けたのだろうか。
その答えは至極簡単で、タマ大生2人がいるかいないか。つまりは信仰、神を信じ、神の存在を覚えている者の有無に違いない。
いくら小さくとも、どれだけ古くとも、地元住民すらロクに参拝しなくても。あの神社は、タマムシ大学の学生たちの記憶に根付いている。だから視えたのだ。まだ、はっきりと存在している桃色の姿が。
だけど、どうだろう。同じ神なのに、御神木の方は何も視えない、ただの木片に成り代わってしまっている。本来そこに宿っていたはずの存在は忘れ去られ、御神木であった大樹と共に崩れ落ちたのだ。今残っているのはその残滓、しかもそこに存在していると認識出来るのは木片だけで、もはや何も視えないのだ。

吉岡は言った。イッシュのカゴメで『オバケ』とされていたキュレムは、実は宇宙から来たのでは無くて、人々の恐怖心から生まれたのではないかと。その真偽は僕に確かめようも無いけれど、しかしそういう生まれ方をする存在は確かにいることを僕は知っている。
彼女がそうだ。吉岡がそうだ。この学校に流れた、無数の噂がそうだ。人間の間に流れる感情や想い、思惑が交錯して、彼らのような『正体不明』を生み出すのだ。

人の記憶にしか存在出来ない、人から記憶されなくなったら消える運命に抗えない、『正体不明』を。


「井村たち、一緒にランド行こうって言ってたんですよ。目黒さんは、文化祭楽しみだねって、そう言ってくれたんですよ。でも、もう駄目です。みんな、全部覚えてないんです」


吉岡と楽しげに騒いでいた男子生徒たちは、補習を受けている最中に窓ガラスを割って突っ込んできたボーマンダによって怪我を負った。吉岡がかわいいと評した女子生徒は、図書室に本を返しに来たところ、校内を走り回っていたライチュウのタックルを喰らって病院に運ばれた。皆、命や今後に関わるほど重い症状というわけではない。
わけではない、けれど。違うクラス、違う委員会、違う場所に住んでいるような、深く知らない友人のことなど頭から抜け落ちてしまったとしても、責めることなど誰にだって出来やしないだろう。

夏休みと、突然の事故。重なった2つの要素は、この学校から吉岡の記憶を消し去るには十分過ぎるほどだった。


「ねぇ。三木先生。もう、俺のことわかるの、先生しかいないんですよ」


吉岡は笑う。
そうだ、今彼の存在を確認出来るのは、視ることの叶う僕しかいない。

しかし、それが何になる?

都市伝説とは、『都市』が談るから都市伝説なのだ。
学校の怪談とは、『学校』が怖れるから学校の怪談なのだ。

それと同じで、学校に流れた噂話ならば。



「先生。お願いです。先生だけは」



僕1人だけが覚えていたところで何の意味も無い。
学校の噂話は、『学校』が、全校中の生徒や教師によって流されなくてはいけないのだから。

だから、その次の言葉を言わないでくれ。
もはや今にも掻き消えてしまいそうに気配の無い、目の前の吉岡に叫びたい。弱々しいとか幽かとかいう程度では済まないような、瞬きすれば彼はその瞬間にいなくなってしまうかのようにさえ思えた。

駄目だ。だめだ。それ以上は、絶対に。
今までに幾度と無く視てきた視えなくなってきた、無数のオカルトが脳裏を駆け巡る。
一際強く浮かんだのは、幼い少女の懐かしい笑顔。もう世界のどこにもいない、不明なる正体を消してしまったその微笑み。それに吉岡の悪戯っぽい笑い方が重なった。
彼も同じなのだと、同じ道を辿るのだと、そういうことなのだろうか。

正体不明の、オカルトたる、彼も。
何も出来ない僕の前から、忘れ去られて消えていくのだろうか?


「三木先生。三木先生だけでいい、俺のこと、忘れないでくださいね」



そうじゃ、ないだろう。


頭の中で自分がそう、はっきりと言い切った。そうじゃないと。そんなはずはないと。
僕がしてきたことは、そんなことじゃないのだと。

僕は視える。オカルトを、正体不明を視ることが出来る。彼らが生まれ、人に伝えられ、そして消えていくまでの過程を全て視ることが可能なのだ。

だからこそ、僕は。



「俺が消えても。三木先生、だけ、は」




「……………………認めない」




僕は、ずっと。




「先、生…………?」




せめて僕は、僕だけは。




「…………オカルトなんて、認めない」




少なくとも僕は、こう信じて生きてきたのだ。





「この世に、オカルトは存在しない!」





少女が消えて、その後も何度と無く別れを積み重ねて、どうしようもない哀しみと虚無感に押し潰された僕は、しかしどうにかして彼らが消えずに済む方法が無いかと考えた。
正体不明のオカルト、人の想像から生まれて想像上に生き、そして想像する者がいなくなれば誰にも知られず消えてしまう。この世界に住む不思議な生きもの、動物図鑑には載ってない……ポケモン図鑑にも、載っていない。存在を証明されない彼らは、その正体など持ち合わせていないのだ。

オカルトを、記憶と共に世界から消えてしまうオカルトを、僕は失いたくなかったのだと思う。
許せなかった。認められなかった。生まれてきてくれたのに忘れられる彼らが、生み出したくせに忘れていく者たちが、僕は肯定出来なかった。オカルトとは都市伝説とは怪談とは噂話とは、そういうものなのだと理解してはいても、それに首肯することなど僕には到底不可能だった。
僕は、彼らを消したくない。生まれたオカルトを、どこでもないどこかに消し去りたくなんか無い。


だから、僕はオカルトを否定する。


「オカルトなんて、あり得ない。そんなものは認められない、正体不明などあるはずない……どんなものにも、必ず正体があるに違いない」

この世にオカルトは存在しない。

そう言い切るのは、否定することで変えたかったからだ。


オカルトなど、単なる気の迷いに過ぎないのだ。
都市伝説も、学校の怪談も。そんなものは現実に存在しない、退屈しのぎのまやかしなのだ。

そう断定するのは、いつか忘れられて消えてしまうオカルトを生み出したくなかったからだ。


幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言ったもので、一見不可思議に思えることでも実際は何とも馬鹿らしい、誰か人間が面白半分に流した噂、ゴーストポケモンの悪戯、そうでなければくだらない勘違いであったというのがオチである。

そう明言するのは、そうやって僕が『正体』を定義することで、オカルトが消えるのをやめさせたかったからだ。


全てのことには説明がつく。

説明がつけば、彼らは消えずに済むと思ったから。


『正体不明』なんて存在しない。

存在が証明されれば、彼らはたとえ人の記憶から失われても、その姿までもを失うことは無くなると考えたから。


何者なのかわからない、不気味な出来事なんてこの世のどこにもあり得ない。

はっきりした正体を持ってしまえば、曖昧な存在で無くなった彼らが世界から忘れ去られなくて良いのだと、信じたから。



少なくとも、僕はそうやって生きてきた。


だから僕は、オカルトなんてありやしないと、狂ったように言い続けるのだ。


「オカルトなんて、……オカルトなんて僕は認めない。認めたくない! 忘れられれば消えてしまうだなんて、僕は、認められるわけがないんだ!」

僕は言い続けた。オカルトなんかあり得ないと、ゴーストポケモンの仕業だと、何か別のものだろうと。口に出して、言葉に変えて、正体不明を否定してきた。
いつも上手くいくとは限らなくて、僕が足掻いても霧散してしまったオカルトも数多くいる。それでも、彼らを引き留められる可能性に賭けて、こうして言うのだ。オカルトなんか存在しない。この世にオカルトはいやしない。
更衣室の鏡に未来を映すオカルトは、もはや誰一人として覚えていない。だけどそのオカルトは、僕が否定したオカルトは、「ゴーストポケモンの仕業だ」と僕の言葉で打ち消されたオカルトは、『鏡の前で好き勝手に姿を変えて人をからかっていたゴースト』という正体を得て、ゴーストとして今学校にいる。恋が成就する消しゴム、生徒の恋愛を叶えていたオカルトは、『偶然にもポケモン図鑑の解説みたいな展開をもたらしたラブカス』として2年5組の水槽で泳いでいる。掃除を真面目にすると不幸を棄ててくれるダストダスはそのままの姿で学校のゴミ捨て場に、ピカチュウ像と逢瀬を重ねるホルマリン漬けのコラッタはヨマワルが動かしたことに。全てのオカルトを、僕はこの口で説明した。
彼らが消えてしまわないために。刹那の話題を攫っただけで、後はどこにもいなくなってしまわないために。忘れられても、自分の身体で存在するように。

「噂は、オカルトはそういうものなんだ、なんて言葉で納得出来るわけ無い。僕はお前たちが、お前が……吉岡、もう誰にだってどんな存在にだって、そんな風な顔をしないでほしいんだ」

それは果たして、僕の我儘なのだろうか。
だとしても構わない、僕はもう失いたくないのだ、一緒に眺めた夕焼けの向こう側に消えていった彼女のように誰かを失うことなどまっぴらだ。
それに、オカルトが消えていいものだなんて誰が言えるだろうか? 消えても構わないと思う者があんな風に笑うだろうか、海の向こうに行ってみたいなどと言うだろうか、まるで自分と同じであって欲しいと願うように、キュレムの認識を覆したがるだろうか。
消える場所に、わざわざこの部室を選ぶだろうか。

「頼む。消えないでくれ、忘れられたらいなくなるだなんてやめてくれ………オカルトなんて、そんな、そんな悲しくて、哀しいものを! 僕は! お前に、認めたくない!!」

違うだろう。頭の中の僕が叫ぶ。
だから、今日もまた、僕は否定を言葉にするのだ。

「お前は、オカルトなんかじゃない。この学校に、オカルトなんか存在してない。1つだって無いんだ、全部無かった。未来を映す鏡も恋を叶える消しゴムも、夜に動く石膏像も」

目を丸くして、戸惑うような表情を浮かべている吉岡の肩を掴んで畳み掛けるように言う。
力を込めた僕の手は、確かに白シャツ越しの肉と骨の感触を得たはずなのに、そのくせ空を掻いただけのような虚しさを抱いた気がした。背中に冷たい汗が噴き出るのを感じる。その寒気を振り払うように、僕は夜の校舎に声を響かせた。

「不思議で怖めでとびきり楽しい、噂話を教えてくれる。どこかの誰か、男子生徒だって! この学校には、いなかった!!」

「三木、先生」

彼の目が揺れる。震えた声はひどくか細くて、熱気と湿気とほんの少しの冷気が混じり合う空気へと、今にも溶けてしまいそうに思えた。背後に見えるのは御神木だったものが収められたケース。
でも、僕は、そうなる彼を否定したいのだ。もう諦めてますというように空虚な笑顔を貼り付けているくせに、縋るような瞳を向けてくるこの存在を。誰も覚えていてくれないのだ、と零れ落ちる声で言ったこの生徒を。
オカルト研究部唯一の部員、吉岡のことを。


「僕は、最初から視えていた。その僕が、否定する。全部視えてしまう僕は、噂話『ヨシオカ』を認めない」


いつものように。ずっとそうしてきたように。


「初めから、全部がゴーストポケモンの仕業だった。そう、全部、悪戯好きのゴーストポケモンがやったんだ」


消えてくれるな、と大声で叫ぶように。


「いつの間にか人の影に、人の中へと潜り込んで」


いなくなるな、と泣きながら訴えるように。


「噂を流してみんなの興味を引いて周りの熱狂を、熱を奪って」


オカルトなんか認めない。オカルトなんか存在しない。
そんな哀しい正体不明を、黙って視送ることなんて僕には出来ない。


「次はどんな話をしようか、そのタイミングを見計らってる。ずっと、『ちょっと不思議でちょっぴり怖め、そしてとびきり楽しい』呪いを、学校のみんなにかけるタイミングを」


だから言う。
言い続ける。


「そしてみんなが夢中になってるのを見て、暗闇とまでは行かなくとも薄暗い、オカルト研究部が誇る部室たる、歴史資料室で笑ってる。全部、全部」


この世にオカルトは存在しない。


「そんな、悪戯好きのゴーストポケモンが、全部やったことに決まってる!!」



少なくとも、僕だけは。

そう宣言して、彼らと生きていたい。



「そうだろう、なぁ。………………吉岡」



掴んだ肩が、ふわりと軽くなる。一瞬で手から無くなった感触に、僕は冷たい床へと膝をついた。静まり返った夜の学校、切られた電灯と薄い暗闇。
夏服に身を包んだ、1人の男子生徒がいたはずのそこに広がる柔らかな靄を、両手両腕の精一杯の力でしかしそっと、抱き寄せるように包み込んだ。





「おはよー! 超久しぶりじゃん!!」

「めっちゃ焼けたねー、どこ行ったの!? え、旅行とか行った系、もしかしてムロとか!? あー部活か!」

「終わっちゃったなー、今日から学校とかマジ無いんですけど」

9月1日、夏休み明け。学校へと続く道を、生徒たちが今日も賑やかに歩いている。すっかり日に焼けた者、友人との再会にはしゃぐ者、久々の早起きだったのか、大きな欠伸をしている者。それぞれの新学期が始まって、まだまだ暑い空の下には沢山の白いシャツが登校中だ。
学校の門をくぐるまではポケモンを出して良い、というかそこまで拘束する権限が校則には無いため、まだポケモンをボール外に出している生徒が多い。ガーディと共に走っている生徒もいるし、エネコやニャスパーを腕に抱きながら談笑している女子生徒たちもいる。中にはゼブライカに乗りながら登校しているツワモノもいるけれど、そこはまぁ、個人の自由だろう。道端に落ちている菓子の袋を拾おうとしているゴンベを慌てて引っ張っている生徒を横目に考える。
と、ガバイトを連れた生徒とマリルリを連れた生徒が何やら言い合っているように見えた。往来でのバトルは禁止されているから止めようかと足を早めかけた僕だが、何か言うよりも前に、彼らは互いに笑い声をあげてそのまま走っていってしまった。久しぶりの登校でテンションが上がっていただけか、と肩の力をほっと抜く。

夏が終わればすぐに涼しくなるわけでは無いように、8月が終わればテッカニンが鳴き止むというわけでも無い。眩しく輝く太陽の光もまとわりつく熱気もそのままで、まるで夏休みが始まる前、何が変わったというわけでもないように思えて今は7月なのではないかという錯覚に陥りそうになる。
だけど、それは違う。もう夏休みは終わったのだ。それどころか梅雨も、夏の始まりも、うだるような猛暑も全て過ぎ去った。全部、終わってしまったのだ。
聞こえてくる生徒の会話、そこに不思議な噂話などどこにも無い。学校全体があれだけ盛り上がっていた、出処不明の噂はもはや誰一人として話していない。無数の噂も幾多の話も、そしてそれを教えてくれた存在も。全部、全部、皆は忘れてしまったのだろう。

噂話とは、そういうものなのだから。


「三木センセー、おっはよー!」

「先生久しぶりー! 元気してたー?」

声を掛けてきた生徒に振り向くと、いつか梅雨がまだ明けていない頃、小テストの日時を延期してくれないかなどと言ってきた2人の女子生徒が笑っていた。全然焼けてないじゃん、何してたのセンセー、などと口にしながら彼女たちは小走りで僕の隣に並ぶ。一歩遅れてついてくるキノガッサとケーシィが、トレーナーの動きに慌てて歩幅を広めた。
先生は忙しいんだ、そうそう肌も焼けないよ。そう返すと、キノガッサの主人たる生徒は「じゃあ日サロ行けばいいじゃん日サロ、駅前にウルガモスのあるし」と的外れなことを言い出した。別に焼きたいわけじゃないって、と突っ込む僕の逆隣で、もう一方の生徒が「似合わなそーっ」と1人ツボに入っている。
いつまでも日焼けの話をすることも無いので、夏休み中に起きた事故のことを聞いてみる。大丈夫だったのかと問うと、彼女たちは口を揃えて、テニス部は合宿中だったからと答えてくれた。なるほどな、と頷く僕に、でも友達とかヤバかったみたいで、結構マジだったんでしょ、と2人は苦い顔を浮かべた。

あれこれと話しているうちに、学校が見えてくる。壊れた場所の工事ももう終わっているだろう、怪我をした生徒たちは治ってきただろうか。後遺症が出ただとか悪い知らせは今の所聞いていないから、大丈夫なのだと信じたい。無かったことにというのは無理だとしても、大したものではなかったと言える程度の出来事となれば良いと思う。
あの事故の衝撃は、生徒にとっても教師にとってもかなりのものであっただろう。当然だ。あんなことが起これば、誰だって動揺しても仕方無い。動揺のあまり、何か別のことを忘れたとしても。

事故を境に、皆の意識が向かなくなったのを機に、この学校に流れていた噂話は終焉を迎えた。元々単なる噂に過ぎないそれを、今更思い出す者もいまい。噂話なんてその程度のもので、だからこそ噂話は噂話なのだ。
伝説や神話では無い。人の意識や思い、会話から生まれた正体不明は、それを語る人がいなくなれば消えてしまう。存在が先立たない、それ故噂は忘れられればあっけなく消え去るのだ。
それは一種、『信仰』から生まれる神と近いのかもしれない。信仰心が無くなれば、どこにもいなくなってしまう神様に。


次第にその姿を見せてきたあの学校からはもう、全部無くなったのだ。



「あれ、三木先生」

気づいたようにそう尋ねた、髪を二つに結わえたその女子生徒は首を捻る。彼女の細い指は、僕の鞄の外ポケットを差していた。

「先生、ポケモン持ってたっけ? ボール。前、無かったですよね」



ちょっと不思議でちょっぴり怖め、そしてとびきり楽しいあの噂を、覚えている者は誰もいない。
僕を除いた全ての人が、全てを忘れてしまっただろう。

忘れていないのは、オカルトを認めない僕だけだ。


「そうだよ、夏休み中にね」


この世にオカルトは存在しない。


「会ったのはもっとずっと前で、4月にここに来た時会ったんだ」


全てのことには説明がつく。
『正体不明』なんて存在しない。
何者なのかわからない、不気味な出来事なんてこの世のどこにもあり得ない。


「ゲンガーでね、不思議な話とソーダアイスが大好きなんだ」



少なくとも、僕はそうやって生きてきた。

そしてこれからも、そうやって生きていく。


「名前は、『ヨシオカ』」


オカルトが視える僕は、消えてしまう正体不明が視えてしまう僕は、オカルトの存在を否定する。
全てのものには消えない正体があるのだと叫んで、誰が忘れようといなくなったりしないのだと訴えて、それは歴とした実態を持っているのだと宣言する。

そうすることで、彼らが消えない道が拓けるのなら。
その正体が証明されて、誰にも見えなくなったりしないのなら。
あの、哀しそうな寂しそうな、諦めたような姿を視ることが無くなるのならば。

オカルトなんて存在しないと、僕はいつだって言い切るのだ。



「みんなと、きっと仲良くなれるだろう」



新学期が始まる校舎はすぐそこまで近づいている。相変わらず生徒たちは騒がしく、校門に立っている生徒指導の教師が何かを言っている声が聞こえてきた。休み明けだろうと関係無い、朝練に励む部活動の音もそれに重なっていく。テッカニンの鳴き声も負けじと響き、そのうるささは暑さを増すことこの上無い。
9月を迎えたこの学校では、どんな事が起きるのだろうか。体育祭や文化祭の準備、生徒会の選挙もあるし2年生には修学旅行が待っている。各部活動のイベントも怒涛のように控えているだろう。
しかし、僕は思う。この学校で起こり得ることが悪いものになるはずは無い。あの噂話を作り出した、彼を生んだこの学校は、ちょっと不思議でちょっぴり怖めかどうかはわからなくとも、とびきり楽しい毎日を続けていくに違いないのだから。

見上げた校舎、歴史資料室の窓ガラスが、陽の光に照らされてきらりと輝いた。


  [No.3783] この世にオカルトは存在しないかもしれない 投稿者:久方小風夜   《URL》   投稿日:2015/07/01(Wed) 17:38:00   94clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

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遅くなりましたがようやく拝読させていただきましたー。


本当GPSさんは情景描写がお上手です……。
埃っぽい部屋の情景。まとわりつく梅雨時の空気。息苦しいくらい湿度の高い真夏の暑さ。文章読むだけでそんな感覚が。
いやー本当脱帽です。GPSさん食べたらその能力身につきますか(


吉岡君が噂の元凶で多分人ならざるものなんだろうなーとは読み始めた頃から薄々感づいてはいたんですが、ラストの締め方がまた見事です。ただ単に正体バラして消えて終わり、じゃなくて。
先生の必死な想いが伝わってきて何だか関係ない自分がどきどきしました(?)
きっと件の事態以降も、身を切られるような辛い思いをたくさんしてきたのでしょうなあ……。
人の心が具現化? してポケモンになるって言うのは何と言うか、あの世界におけるポケモンの存在そのものに関係してそうで興味深いですね。

しかし学校の怪談的噂話っていうのは何年も経って突然復活したりしますからねー。同窓会で「そう言えば昔こんな噂あったよねー」とか。
そうなった時にどうなるんだろう……吉岡2号が現れたりするんだろうか……。って言っても全部先生がポケモンにしちゃったからそういうこともないんですかね。
それか吉岡君がいなくなってしばらく経ったあと、人の想いが積み重なって今度は今度は良岡君が現れるなんて展開には(ならない


オカルトとは「隠されたもの・目に見えないもの」という意味。
視えてる先生にとって、「オカルト」はそもそも「存在しない」ものだったのかもしれませんなあ。


ともあれ、非常に楽しく読ませていただきました。
ありがとうございましたー|ω・)ノ


  [No.3784] Re: この世にオカルトは存在しないかもしれない 投稿者:GPS   投稿日:2015/07/01(Wed) 23:09:37   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

読んでいただき!!そして感想!!!!
ありがとうございマスカット!!!!!!
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> 遅くなりましたがようやく拝読させていただきましたー。
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> 本当GPSさんは情景描写がお上手です……。
> 埃っぽい部屋の情景。まとわりつく梅雨時の空気。息苦しいくらい湿度の高い真夏の暑さ。文章読むだけでそんな感覚が。
> いやー本当脱帽です。GPSさん食べたらその能力身につきますか(

GPSはこういう、「うだるような暑さ!!青空!!陽炎!!湿気!!クーラー!!アイス!!半袖白シャツ夏セーラー!!」みたいな、TEH・日本の漫画アニメドラマ映画の夏!!!!みたいなのが大好きオタクなので、夏の描写にはついつい心血を注ぐ傾向にあります。夏好きなので夏の話ばかり書いてる気がしますね……
現実の夏は別に好きじゃないです。
よくわかりませんが贅肉なら沢山余ってるのでむしろ持っていって欲しいです。


> 吉岡君が噂の元凶で多分人ならざるものなんだろうなーとは読み始めた頃から薄々感づいてはいたんですが、ラストの締め方がまた見事です。ただ単に正体バラして消えて終わり、じゃなくて。
> 先生の必死な想いが伝わってきて何だか関係ない自分がどきどきしました(?)
> きっと件の事態以降も、身を切られるような辛い思いをたくさんしてきたのでしょうなあ……。
> 人の心が具現化? してポケモンになるって言うのは何と言うか、あの世界におけるポケモンの存在そのものに関係してそうで興味深いですね。

最後がああいう展開でなければ、別にポケモンでやる意味も無い気がするのですが、きちんと具現化させてしかも社会的に問題無い範囲に落ち着かせたかったので、こういう締め方にしました。
言霊といえども、ただ言うだけじゃなくてそれ相応の思いがあってこそああやって力になると思うので、それだけの思いを形成するくらいには先生も辛い過去を積み重ねてきた、という心象です。
何度も泣いたことが、この話時点で吉岡や噂を具現化させることに繋がったというか。

個人的に、ポケモン世界でも『ポケモン』とは別に(ゴーストも含め)、幽霊だの妖怪だのがいてもおかしくないと考えていて、さらにその一部がポケモンに転じたりその逆も然り、みたいなことがあるんだろうなと思ってます。
現実にも、人々が怪奇を恐怖するようで実際には恐怖心から怪奇が生まれてるということがあるように、実はポケモン、特に伝説系は誰かの思いから生まれたのもいるんじゃないかな〜などと考えました。
キュレムを例に出したのは単に趣味なのですがねw

> しかし学校の怪談的噂話っていうのは何年も経って突然復活したりしますからねー。同窓会で「そう言えば昔こんな噂あったよねー」とか。
> そうなった時にどうなるんだろう……吉岡2号が現れたりするんだろうか……。って言っても全部先生がポケモンにしちゃったからそういうこともないんですかね。
> それか吉岡君がいなくなってしばらく経ったあと、人の想いが積み重なって今度は今度は良岡君が現れるなんて展開には(ならない

この辺は私も思いながら書いたのですが、そこは『学校』という場ならではの言い訳をさせていただきましょう!
学校とは、そこで過ごす人が次々に入れ替わっていく場所。
仮に同じ学校で似通った噂が流れたり「昔こういうことがあったらしい」という話が流行っても、話す人々が異なるため、同じ噂は二つとして存在しないのです。
また、吉岡はじめあの噂どもはあくまで『学校の噂話』。
同窓会や卒業後の集まりで思い出されたとしても、それは学校の噂話ではないため、彼らが彼らとして復活することはありません。
……と、いう、穴だらけの個人的見解ですw
勿論同じような噂がまた流れることはあるでしょうから、吉岡2号(便宜上)はいるでしょうね!
量産型吉岡!!

> オカルトとは「隠されたもの・目に見えないもの」という意味。
> 視えてる先生にとって、「オカルト」はそもそも「存在しない」ものだったのかもしれませんなあ。

そうです、先生にとってオカルトは存在していないのです。
でも、他の人たちにとっては存在するものなのだと先生もわかっているため、尚のこと辛く、そしてついつい奮闘してしまうのです。
あまり頑張るとゴーストポケモンの大量発生が頻発するため程々にして欲しいとこではありますが……w

> ともあれ、非常に楽しく読ませていただきました。
> ありがとうございましたー|ω・)ノ


こちらこそ、誠にありがとうございました!!
オカルトの季節(?)がやってきましたね!!
忘れない程度に楽しみましょう〜!!