[掲示板へもどる]
一括表示

  [No.3921] 角獣のはじまり 投稿者:ピッチ   投稿日:2016/06/25(Sat) 21:15:56   69clap [■この記事に拍手する] [Tweet]
タグ:ダイケンキ】 【伝承】 【民話

 ポケモンの様々な姿に対する理由付けは、世界中の民話によく見られる要素である。
 そうした物語は「世界は何故今のようになっているのか?」「世界の始まりにいたのはどのような存在だったのか?」そうした深遠であるが素朴な疑問に対する答えである神話とは異なり、身近な食べ物がもたらされたきっかけや衣服の興りなど生活に密着した内容のものが多くを占め、その中には今も私たちの身近に住まうポケモンたちの姿についての物語も含まれている。
 そうした民話の中には、人間との関わりのためにポケモンがその姿を変えたのだという物語もある。ここで紹介するのは、シンオウ地方で起こったとされるダイケンキの物語である。

 シンオウ地方の神話には、かつて人はポケモンの皮を被ることでポケモンとなれたし、ポケモンは己の皮を脱ぎ捨てて人になれたという謂われがある。その通りに姿を変えるポケモンや人が絶えて久しい頃の話だという。
 外つ国よりシンオウに流れ着いた男はシンオウの民に助けられ、そのまま彼らの村の一員となった。男はそこで美しい女と出会い、やがて彼女と夫婦の契りを交わした。
 女は木の実の在処や魚の居所を探ること、また泳ぐことに関しては男よりもずっと長けており、土地勘のない場所で暮らす男は度々それに助けられた。だがその代わり女は不器用で、調理や採集に使う小刀や銛こそなんとか使えるものの、糸をよることも針を使って裁縫をすることもできず、こうした作業は男が代わりに行っていた。二人は互いに足りぬところをうまく補い合った睦まじい夫婦としてずっと暮らしていくかのように思われた。
 しかし男にはどうしても気がかりなことがあった。離れたままの故郷、そしてそこに残してきた老母のことである。
 どこを通り来たのか男にもわからない以上、元のように国へ帰るなど至難の業。行方の知れなくなった自分はきっと死んだものと思われているだろう。同じように自分は家族を死んだものと思い、この地で新しい家族を持ち生きようと男自身も思っていた。
 しかしある時男の夢枕に老母が立った。農地に立ち鍬を振るう母は、村の入り口に人の通りがかる度に作業をやめて近付いていってはそれが男の帰ってきたのでないことに落胆していた。夜が来れば老母は陰膳として男の好物である木の実を供え、彼の帰りを待っていた。男の脳裏にはシンオウの地で育たぬその実の瑞々しい味と彼の村の暖かな風、そして母の優しさが思い出され、望郷の念が渦を巻いた。
 次の晩にも老母は夢に現れた。昨日の夢で見たよりも随分と老いさばらえ鍬も持てなくなったと見える母は荒れた農地をどうすることもできず、悲しげに男の名を呟いている。男はその側に立てない自分をひどく悲しく、無力に思った。
 その次の晩もまた老母は夢に現れた。床に伏したまま弱々しく男の名を呼ぶ姿は、男の目にも先のないものと映った。
 男はいよいよいてもたってもいられなくなり、夜のうちに船を出し闇雲に海へと漕ぎ出した。
 面食らったのは朝起きてきた女の方である。終生を共にすると誓った男が理由も告げずに去ったことを知った女は怒り狂い、船が消えているのを知れば止める者たちの言葉も聞かず、夫の残した銛を掴み海へと飛び込んだ。
「いかに泳ぎの早いあの女でも、昨晩出た船になど追いつけまい」
 見送る村人がそう言い合うのを後目に、泳ぎ続ける女はぐんぐんと進んでいく。不意にその姿が青く染まった。やはり波に飲まれたかと村人たちは一様に悲しんだが、その表情はすぐさま驚きに変わった。
 女は波に飲まれたのではなかった。女であったものは村人たちの視線の先でみるみるうちに大きく膨れ上がり、海と同じ色の毛皮と貝殻に似た鎧を持つ大海獣へと姿を変えたのだ。ここに至って村人たちは、かの女が人の皮を被った海獣であったのだと悟った。
 海獣はその姿を見せつけるように、波間から大きく飛び上がった。その姿を見て、村人たちは指を差し口々に言い合った。
「角が生えているぞ」
「いや、銛だ。あれはあいつが持って行った銛だ」
 太陽の下に現れた海獣の額からは、確かに一本の長い角が生えていた。
 鎧の海獣であったダイケンキに角が生えたのは、この女が夫の銛を自らの角としたのが始まりなのだという。
 また女が角を持って後、その姿を見た同族たちは畏怖を覚えるとともに角や武器の重要性を知ったため石の代わりに貝殻でできた小刀を構え、あるいは額に生やした角を振りかざすようになったと伝えられる。
 この民話の伝えられる地域では野生のダイケンキによって船が沈められた際、船乗りたちを慰霊するとともに、逃げ出した男を追って未ださまよい続ける女の魂を鎮める儀式が長く行われていた。