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  [No.3942] 最後の叛逆 投稿者:逆行   投稿日:2016/08/06(Sat) 20:19:59   29clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

『車に注意』と書かれた看板には、ピカチュウのイラストが描かれていた。イラストのピカチュウは、車に轢かれそうになっていた。絵の配置は看板の下の方で、鼠の小さな足は茂る雑草が隠していた。
 PTAが作成したのであろうこのピカチュウには、無数の落書きが施されていた。右目は赤く塗られ、尻尾には無数の切り込みがあった。意図は不明だが、耳の黒い部分が長く伸ばされていた。一番酷いのは頭部だ。包丁が奥深く突き刺さられ、血をタラタラと流されていた。ご丁寧に、「タラタラ」と頭の横に太文字で書かれている。
 こういう黄色い鼠が描かれた看板は、この町の至る所に存在し、その大半には落書きが施されていた。
『川で遊ぶな』という看板では、犬掻きできないその彼が助けを呼んでいた。その絵の川は、赤く塗り潰されていた。マグマの海で溺れているピカチュウは、もう確実に瀕死を超えている。
『車に注意』の方のピカチュウは、ただでさえボロボロの状態であった。全く動かない都合の良い餌だと誤認したポケモンが攻撃を繰り返したからだ。オニスズメが鋭利な嘴で突き、左手には大きな風穴が開いていた。ニャースに自慢の爪で引っ掻かれ、顔には無数のタトゥーが掘られていた。


 見るも無残、という些か使い古された言い回しが、ぴったり当てはまる状態のピカチュウ。これに、更に落書きをしようと企んでいる、一人の少年がここにいた。
 しかし彼は、その企みを躊躇い続けていた。周囲をキョロキョロと見回していて、マジックを持つその手はぶるぶると震えていた。蓋を外されて数分経過したマジックは、このままだと先端が乾いてご臨終してしまう。早く喉の乾きを潤したいと、マジックは悲鳴を上げている。
 少年は、恐れていた。他人の目というものを、異常なまでに恐れていた。落書きという、いけない行為。それを、誰かに見られまいかと心配していた。怒られるのは嫌だ、といういかにも子供らしい単純な動機。悪いことだから躊躇っているという訳でなく、至極自己中心的な理由。
 彼は、怒られることのない悪事なら平気でやった。学校に雑巾を持ってくるのを忘れたら、清掃の時間中平気で人の物を使っていた。他にも、体育の授業であった持久走。走り終えた後、自分でタイムを用紙に記入して先生に渡すのだが、彼は十秒くらい自己記録を短くして記入していた。
 怒られたくない。自己の行為に×を掲げられたくない。しかし落書きはしたかった。この散々捏ね繰り回されたピカチュウを、更に面白くするアイデアが浮かんだのだ。それは、ピカチュウの胸の所に、「デデンネ」と書かれた名札を付けることだった。この斬新なアイデアを、ここを通った人々に見せびらかしたかった
 誰かに、この落書きを賞賛して欲しかった。一番の理想は、校長先生のようなお年寄りが現れて、落書きを見て全くしょうがないなと頭をかきつつも、そのセンスを絶大に評価し、「これを描いた奴は将来大物になる」と、唸りながら言うことだった。


 自身のセンスを評価されたいなら、もっと他の良い手段があるではないか。例えば、図画工作の授業で描いたものでコンクール入賞を狙うとか、そういった正攻法があるではないか。されどその意見は、次のエピソードで反駁される。
 彼の絵は、教師にはてんで評価されなかった。コンクールに出す代表に選ばれるなど、ありえなかった。その理由は、パレットが綺麗に洗えないからだと、少年は考えていた。
 学校という名の塀の中では、パレットは授業終わりに綺麗に洗うべきだと教わった。けれども彼には、それが難解だったのである
 大半の生徒は授業終了時に、パレットを洗うために廊下にある蛇口に向かった。しかし彼は、列に並ぶのがとても億劫であった。(この学校はやたらと蛇口の数が少なかったので、行列が長くなってしまっていた)。前の人が洗っている際、稀に水が飛んできて服が濡れるのも嫌だった。更に、良い具合に絵の具を混ぜ良い具合に水で薄めた、完成度の高い色を翌週に持ち込まず、再度作り直すのも面倒であった。
 パレットを洗わなければ当然、絵の具を混ぜる場所が減っていく。巧い人ならここで、混ぜる場所の面積を極力小さくして、スペースをとっておくということをするのだろうが、彼にはそんな器用なことはどだい無理なのだった。
 多種多様な色で塗り潰されていく己のパレットを見て、少年はいよいよ焦り始めた。パレットの僅かな隙間を使って、なんとか色を作ろうと試みる。が、上手くいかず、隣で混ぜていたスペースに筆の先が不法侵入することがしばしばあった。
 そこで少年は、苦肉の策を取った。否、苦肉の策などという、厨二心がくすぐられるような言葉が似合うような方法ではなく、非常に滑稽なものだった。なんと彼は、画用紙の上で直接混ぜ始めたのだ。
 この行為に関しては、流石の彼も罪悪感を抱いた。この奇行をした後は、昼休みになったらパレットを洗おうと考えていた。いざ昼になれば、その決意は忘却の彼方にいたのだが。
 彼の、図画工作の成績は悪かった。授業は真面目に受けていた。教師の話は静かに聞いていた。ではなぜかというと、パレットが汚かったからだ。小学校の授業というものは、巧拙なんかよりも取り組む態度を見る。パレットが汚いと、態度が悪いとして大いに減点されてもおかしくない。図画工作の教師は優しいお人であり、パレットを見ても決して怒らなかったが、実際は好ましくないと思っていたのだ。
 なお実際は、パレットは毎度のように洗うのが当然という訳でもなく、混ぜた色を来週も使うべく残しておくのが正しいという人も多い。(勿論、それらの人もいつまでも洗わないという訳ではなく、たまに濡れたティッシュで拭いたりするのだが)。そのことを彼は、ネット環境が家に整ってから三日後に知った。そして、教師を恨むと同時に、彼は密かに喜んだ。このことは彼の中で、大変な自信になったのである。






 飲み終えた缶コーヒーが大量に入ったゴミ袋が、隅に無造作に置かれている。そんな部屋を出て右手側には、最近引っ越したばかりでまだ綺麗な状態の洗面所があった。男はシャワーを浴び終えた後、その洗面所の鏡で、自分の顔をまじろぎもせず見るのである。そして気持ち悪く、本当に本当に気持ち悪くニヤけた。このアパートの鏡で見る自身の顔は、なぜだか非常に整って見えた。特にシャワーを浴びた後は一層格好良く見え、なぜジャニーズ事務所に入ることを親は勧めなかったのか訝る程であった。
 家の鏡以外でも、電車の窓ガラスに映る自分はやたらとイケメンに見えたことがあった。しかし、その他の鏡や窓だと全くイケメンに見えず、むしろとんでもなくのっぺりとした酷い顔に見えることが多かった。なぜこうも違うのか。そして、他者からは一体どっちの自分を見られているのか。彼は昔からそれが至極気になっていたが、真相は未だ掴めずにいた。


 ピカチュウを汚そうとしていたあの少年は、現在大学生となっていた。彼はこのアパートで一人暮らしをしている。
 流石にもう看板に落書きなんかはしないが、彼は今もなお趣味で絵を描いていた。比較的単位を揃えるのが楽な学校に入学し、バイトも多くはやっていなかったので、描く時間はまあそこそこあった。
 男は、実家のネット環境をフル活用し、とあるサイトに絵を投稿するということをしていた。そのサイトは絵を無料で公開し、無料で閲覧することが可能だった。絵には感想や評価を付けることができる。子供時代、彼は人の目をえらく気にしたが、それは現在でもほとんど変わっていなく、その感想やら評価の内容やら数やらを過度に気にした。彼はむしろ、思春期をこじらせたという言うべき状態になっており、子供のときよりも自意識過剰っぷりに磨きがかかっていた。


 彼は絵をサイトに投稿し、五分経たないうちに閲覧数を確認した。幸か不幸かそのサイトは、閲覧数が可視化され一目で分かるようになっていた。更に、課金をすれば誰がいつどのタイミングで見たのか、まではっきりと示してくれる。このサイトは自己顕示欲のある者から搾取するようにできている。他にも課金という魔法は、僅かな時間ではあるがサイトのトップページに自作をピックアップして表示する、等もやってくれる。
 しかしながら、投稿して五分後では見ている人など殆どいなく、偶然迷いこんだ奴が二、三人いる程度であった。彼は時計を見る。現在は午後十時。彼はスマホのアラームをセットして、引きっぱなしだった布団の上で横になった。三十分後再び確認したが、望む結果になっていなかった。
 五分後男は、またサイトに目をやる。この確認作業のクドさは異常であり、人によってはもはや狂人の域と評するかもしれない。明らかな時間の無駄使い。この無駄な時間を掻き集めて、もう一枚描くということも十分可能だった。
 キリンリキ程に、いや、アローラ地方のナッシー程に男は首を長くして、閲覧数が爆発的に増える瞬間を待った。だが、その時はいつになっても訪れず、とうとう痺れを切らしてパソコンを閉じた。歯を磨いて布団に潜った。諦めたかのようであるがそうではない。数分後、今度はスマホでサイトを開くのである。彼は最近スマホに変えたばかりで、フリック入力にも慣れておらず、ブックマークの使い方もよく分からない。もう一度パソコンを開いた方がてっとり早いのに、一度布団に潜るとそれが億劫になるのだ。
 ついに、彼はスマホから手を離し、見切りをつけた。……だが、彼の自意識過剰っぷりが真価を発揮するのは、まだまだこれからなのである。


 誰しも寝ようとしてから意識を失うまで、長短の差はあれど空白の時間があるだろう。その時間を、彼は余すことなく使った。
 先程の投稿サイトやツイッタージャというSNSで、この男と交流しているモノ好きが複数人いた。男は、彼らが自分の作品をどう称賛するのか、布団の中でひたすら想像した。ある人は、次回作も楽しみに待ってますとキラキラした絵文字つきで、何の下心もない感想を書く。ある人は、絵の隠れた長所をぽつんと指摘して、己の慧眼を誇る。ある人は、この作品はほとんど完璧に近い、しかしながらここだけは、と言って絶賛し過ぎているのを誤魔化そうとする。
 そんな想像を一時間近く巡らせ続けた後、ようやく彼は眠りに落ちる。
 感想が書かれたときは、喜び何回も読みなおした。やはりこの読みなおす時間を掻き集めて、もう一枚描くということが可能だ。また、ツイッタージャで感想がきたときは、ちょっと遅れて(だいたい五分くらいしてから)、お礼の返信をするようにした。そうしないと、一日中パソコンの前に向かっている暇な人間だと思われる可能性があると考えていた。(実際そうなのだが)。彼は、忙しい日々の合間を縫って懸命に絵を描いている人だと、周りに思わせたかった。そのために、大学の時間割りやバイトのシフト表を公開したりもしていた。




 翌日、男は店にいた。ハンバーガーが百円で食べられるこのファーストフード店の一角には、ポケモントレーナーの子供達が群がっていた。この時期になると、彼らはいつもやってくる。 
 彼らは、隣町から旅に出たばかりの新人共。店には、コンセントが備えてある席が一部存在する。彼らはその席を占領し、ポケモン図鑑を充電しつつ、その中身を見せ合うのだ。
 十歳の少年がポケモンマスターを目指して旅に出るとき、大概は学校で親しかった友達と、次の町かその次の町ぐらいまで一緒に行動することが多い。多いと十人くらいで大名行列を形成している子達もいる。親は反対するどころかむしろその方が安全なので大いに賛成することが大半だった。
 新人トレーナーの集団がこの町にきたとき、とりあえず知っているチェーン店に入って安心したいのか、ここのファーストフード店にとりあえずくつろぎにくる。
 男は、この連中をとてもとっても鬱陶しく思っていた。彼らは非常にわーわー叫んで煩く、彼の作業の邪魔をした。フライドポテトを掴んで油でベトベトになった指で、ポケモン図鑑をやたらとこなれた感じで操作する彼らに対して、男は時に睨みつけ時に舌打ちをした。この時期になると、毎度のように邪魔されており、彼はトレーナーそのものを嫌いになっていった。騒ぐんだったらポケセンで騒げ、と思っていた。もちろん病院では騒いではいけない。


 男は本日四杯目のコーヒーを飲みつつ、心の中で耳栓をして絵の下描きを再開した。彼は集中するべく、絵を描くときは必ずコーヒーを頼んでいた。コーヒーはブラックで飲んでいた。別に格好つけている訳ではなく、甘いのが嫌いという理由でもない。一度シロップが作成中の絵に落ちてしまって、しかも丁度今描いていた女の子の胸の部分に落下したものだから、とても恥ずかしくなって赤面してしまい、その赤面している自分の姿を周囲に見られていることでまた恥ずかしくなって、それ以来シロップ自体に嫌悪感を抱くようになって、コーヒーはブラックと決めているのである。
 なんやかんやで絵に対してそれなりにこだわりを持ちながら描いていたが、しかし彼の絵は大して人気が出ず、閲覧数や感想数といった類のものは全然伸びることはなかった。どうしたらもっと人気が出るのか、彼は懸命に試行錯誤した。
 あるときは、エロいものを描いて人気を集めようとした。所謂r-18作品と呼ばれるものは、普通の作品よりも閲覧数が多かった。しかし彼はいかんせん童貞であるので、エロいものなど上手く描けることもなく、駄作しか出来なかった。


 翌朝、いつも通り鏡で自分の顔を見たとき、ある考えが脳裏を掠めた。自身の絵を見ているような人は、鏡の如く、自身の同じことをしている人間である。自分が筆を握った瞬間、彼らもまた違う場所違う時間で筆を握っている。
 ネットで素人の絵を閲覧しているような人というのは、大概自分自身もまた絵を描いている、という至極単純で明確な真実。
 つまるところ、その人達が好むような絵を描けば良いのだ。彼らが好む絵、すなわち、誰かが絵を描いている絵を投稿すれば、人気が出るでは。そう、絵かき自身が共感するようなものを出せば良い。
 その考えに基づき、さっそく男はその類のものを作ろうとした。
 が、彼はあることに気がつく。絵を描いている絵などという類なんぞ、星の数以上に投稿されているのだ。やはり考えることは敵も同じか、と思った。
 男はひとまず冷静に考えた。とりあえず、人間が筆を持っている絵だけは、描かないようにしておこうと思った。競走馬があまりにも多すぎるのだ。
 だから、ポケモンが絵を描いているものを描くことに決めた。それらも多いが人間程ではなかった。では、何のポケモンにすべきか。最初に頭に浮かんだのはドーブルだった。ドーブルは絵描きポケモンであり、彼を描くことはまさに王道であるといえよう。しかし王道である分、先駆者も非常に多いのが必然であった。
 彼が使っているサイトでもドーブルは大活躍していた。ドーブルが普通に笑顔で描いているものや、中には、泣きながら描いているものもあった。森のポケモン達から嫌われたドーブルが独り寂しく描いている、というストーリーのある絵もあった。ドーブルが絵ではなく小説を書いているという謎の捻りを加えた絵もあった。メタモンが変身したドーブルが描いている、などというものもあった。
 その中でも一際も二際も異彩を放ち、彼が思わず目を見開いたのが、「亀甲縛りをされながら、モーモーミルク一気飲みしつつ、ぶるぶると体を震わしながら描いているドーブル」というものだった。モーモーミルクは巨大なバケツから零れ落ちており、ドーブルの膝から下はミルクに浸っていた。瞳は光沢が消えて、焦点が合わずに虚ろになっていた。
 一体コンセプトがなんなのか彼には全く理解できず、気持ちが悪いという感情すら起きなかった。果たしてどういう性癖の人が描いたのか。ドーブルに亀甲縛りって誰が得をするのだろう。モーモーミルクとは体力を回復するための道具の一種だが、一気飲みなんかしたら過剰に力が漲っておかしくなりそうだ。気を衒いすぎて、訳が分からなくなっている。数多くある類似作品の中から目立とうとして、恐ろしくカオスな状態と化している。
 ドラゴンカーセックスを彷彿とさせるこの絵を、彼はそっと閉じた。


 というわけで、ドーブルを主役にするのは諦めた。そうなってくると、取っ掛かりがない。
 しかし男は、あることをツイッタージャで発見した。
 ツイッタージャでは、絵は楽しんで描くのが一番良い、という意見が圧倒的に多かった。そして、その意見を反映させた絵が数多くある。そういう絵に対して、「やっぱり絵は楽しんで描くのが一番良いですよね」とか、そういう系統の感想がたくさん寄せられていた。明らかに人気を集めている。
 彼はここに着目した。こういう、人々やポケモン達が楽しんで作業している絵を描けば、人気が出ることを知った。人々の思想に反しない行為をするというのは、人気を得るための基本中の基本なのかもしれない、とも彼は思った。
 彼はさっそく、ポケモン達が楽しんで描いているということが伝わるように描いていった。シャワーズが、水を使ってアスファルトに絵を描いているものを描いた。ピカチュウが、ピチューに絵を教えている絵を描いた。変化球として、ドガースなどのちょっと嫌われているイメージのポケモン達が、毒のエキスで絵を描いているものを描いた。



 こういった絵を次々と描いていった。投稿せずに溜めていった。彼は、纏めて投稿しようと思っていた。そして一年が経過した。
 彼は、十二分な量を描き終えた。SNSを全て絶ち、絵のみに全勢力を注いだのだ。彼は土曜日に投稿しようと決めていた。土曜日が最も見られやすいと彼は知っていた。特に十時くらいがベストだった。今日は学校や会社が休みでそして明日も休みだ、という最も精神が安定する状態になるのが土曜日であり、こういう日なら人の絵を見る余裕が生まれるのだと彼は考えていた。
 男は、今まで描いたもの全てを投稿した。そして、わくわくしながら日曜日を待った。確固たる自信があったので、今までのように毎分ごとに閲覧数を確認するなどということはしなかった。
 そうして日曜日、意を決してサイトを覗く。
 しかし結果は、彼の読みから恐ろしく外れているものだった。今までと同様、閲覧数は伸びていなかった。彼は激しく動揺し、吐き気すら催した。おかしい、何か理由があるはずだ。
 一ヶ月くらい待ってみた。しかし全然伸びることはなかった。とうとう彼は吐いた。


 ツイッタージャでは驚くべき現象が発生していて、彼は更に吐いた。
 一年前では、絵は楽しく描けることが一番、と言う意見で溢れかえっているように見えた。それが、やっぱり絵を見られて評価されるのが一番嬉しい、という流れに変わっていた。世の流れが、完全に掌を返していた。
 そして一年前とは真逆で、ポケモンや人間が絵を評価されて喜び泣き出す、というものが増えていた。ツイッタージャでは、そういう絵が次々と拡散されかなりの人気を得ていた。人間の女の子が独りで寂しく屋根裏で絵を描いていたら、コラッタがやってきてまじまじと絵を見つめてきたものとか。後は、ヒトカゲが雨の中絵を描いていたらトレーナーがやってきて、傘を渡す変わりにその絵を一枚もらう、というものがあった。これは恐ろしく人気を得ていた。そういった絵に対して否定的なコメントをした者は、皆から一斉に叩かれていた。


 世の流れ。それは人の思考を、簡単に支配してしまうものだと彼は思っていた。
 世の流れが知らず知らずのうちに変わっているということは、これまでの人生において幾度も経験してきた。
 小学四年生のとき、友達は皆鉛筆ではなくシャーペンを使うようになっていた。いつシャーペンという発展した道具が広まったのか、彼には全く分からなかった。鉛筆を懸命に削っていたら削りカスが溜まりすぎて鉛筆削りが故障してしまって、項垂れていた彼を見て、隣の席の子がくすくす笑っていた。
 中学生になると、同じ部活に所属していた仲間が、影で顧問の教師を呼び捨てで呼ぶようになっていた。小学校では、悪口を言うときでさえ呼び捨てでなんか誰も呼んでなかったのに。
 大学に入ると、挨拶の大半が「おつかれー」に変わっていて、これが一番理解不能だった。疲れているかどうかなんて本人にしか分からない。「こんにちは」の変わりに使うべきものなのか。しかも、講義終わりとかではなくて、朝来たときでも「おつかれー」って皆言っていた。まだ何も、疲れることはやっていない。


 世の流れがこうでは自分の絵が皆の思想に合うわけがなく、人気が出る訳がない。
 だったら、今度はどうする?
 次は絵を評価されて嬉しがるポケモンの様子でも描く? しかし、自分が絵を完成させるころには、また流行が移ろうのでは。自分は既に、レースに半周遅れ。全力で走ったところで、恐らく世の流れには追いつけない。
 翌日男は、また鏡を見た。そしてまた、あることに気がつくのである。
 この前は、自身の絵を見ているような人は、自身と同じように絵を描いている人間である、ということに気がついたのだが。今回は、自分のように流行に追いつきたくても追いつけないような絵師は、自分以外にもたくさんいるのでは、ということに気がついた。
 だったら、流行に追いつけないで、迷走し続けている絵師を描けばよいのでは……。
 この発見は偉大だと思った。ついに自分の時代がやってきたと思った。これならきっと閲覧数は爆発的に伸びることだろう。称賛の嵐が巻き起こることだろう。
 彼は意気揚々として、本日も大学へと向かっていった。帰ってきて、筆を握る瞬間が今から楽しみだった。
 今日はとても気持ちが良い天気だ。太陽の光が彼の歩く道を明るく照らしている。





 もうすぐ成人を迎えるこの男は、絵を描くということにあたって、実に様々なものからぎゅうぎゅうと縛り上げられていた。縛り上げられたというよりは、自分から縛られにいったと言った方が、幾分か言い回しが適当かもしれない。どちらにせよ、縛られ方が簡潔として分かりやすければ、まだいくらか救いがあるのである。だが彼は、網目のように多角形を張り巡らせる複雑な縛り方をされていた。
 男は、本日もこのファーストフード店で、下描きを描いていた。本日七杯目のコーヒーを、まるで運動部の子が部活終わりにするかのように一気飲みしていた。飲み終えた後は、時折ストローを噛んだり、コップの入った氷を噛み砕いたりしていた。
 他人の評価にぶるぶると震え、モーモーミルクに体を浸しながら、亀甲縛りをされているドーブルがそこにいた。