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  [No.4039] 炎煙霰月 投稿者:まーむる   投稿日:2017/09/20(Wed) 00:47:34   43clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

煙炎霰月



 半月が夜を微かに照らす。
 その微かな明かりの中を何かが飛んでいたのか、黒い羽が一つ、空から落とされた。
 一つだけの黒い羽。
 重力と、微かな風に従ってゆらりゆらりと落ちていく。
 真下に広がる町には喧噪が広がっていた。
 酔っ払いが大声で叫び、車の迷惑そうな警音が鳴り響く。ポケモンの鳴き声も負けじと響けば、その身から放たれる力がどこかへ飛んで行った。
 その中に一つ、その喧噪を、外部との関わりを全て拒絶するかのような建物があった。
 屋根も無く、音も無く、電灯なども無い。しかし、暗闇ではなかった。
 鬼火が七つ、八つ、いや、消えたり増えたりしながら明かりとして漂っている。
 様々な表情を見せながら、しかし例外なく雅やかさを備えつつ、怪しげに、妖しげに、ゆらりゆらりと舞っていた。
 人々が、ポケモン達が、その微かな明かりの中で一様に座っている。
 誰も彼もが、芸術と言うものを知らない者でさえも、芸術と言うものを知り尽くした者でさえも、まだ一年も生きていない者でさえも、人間より遥かな年月を過ごした者でさえも、何も言わなかった。身じろぎさえしなかった。
 その建物の中の観客の目の全ては、一点に集中していた。
 ぽつ、ぽつ、と鬼火に照らされたその場所。
 その舞台に、一匹のポケモンが居た。
 尾の一つ一つが、揺蕩う水のように、ゆら、ゆらりと、もしくは風になびく草木のように、さら、さらと、かと思えば燃え盛る炎のようにどうどどうと、途切れる事無く、一様に留まらずに移り変わる。
 鬼火。時には観客の頭上にまでゆらゆらとふらふらと移ろい、その尾が揺れたと思えば鬼火も揺れ、色も変わる。
 気付けば消えており、気付けばその尾の先からまた、一つ、二つと増えていた。
 鬼火は散り散りな場所にあるのに、それと月しか明かりは無いのに、その舞台に立つ、九つの尾を持つポケモンの存在だけが、この空間に居るその他全ての生物を釘付けにさせていた。
 音もなく、万象の全てをその身と鬼火で現しながら舞うそのポケモン。
 顔が見えなくなる事もあった。
 姿の殆どが消える事さえもあった。
 それでも、観客の目が離れる事は無かった。
 千年の時を生きると言われるそのポケモンは、短く太く生きる人間ではどう足掻こうとも何を犠牲にしようとも得られはしないものを身につけていた。
 技術でもない。経験でもない。悟り、というものが一番近いだろうか。
 その舞は、ここに居る全てを魅了していた。
 羽が、ひらひらと落ちて来る。
 それは鬼火に包まれ、誰も気づかず、消えた。

 ふつ、ふつ、と鬼火が数を減らしていく。暗闇が濃くなろうとも、そのポケモンから誰も目を離す事は無かった。
 鬼火が二つ、一つとなろうとも。誰もが魅了、いや、洗脳されたかのようにまで、その舞から目を離さなかった。離せなかった。
 殆ど暗闇であろうとも、瞬きをする事すらも躊躇われる。
 しかし、誰もが記憶しようとも思ってもいなかった。ビデオカメラに収めようとも、記憶の内に収めようとも、この舞の全てを収める事は出来ないだろう。
 この瞬間、刹那が過ぎていく連続の全てが舞を構成していた。
 誰もが気付いていない要素でさえも。気温や湿度、月やそれを時偶隠す雲も、どこから吹くのか分からない風、もしかしたら、落ちて来た羽でさえも。
 月が曇り、完全な暗闇になり。
 暫くして、月明かりが戻ったその後には、焦げた羽が一枚、舞台の上に落ちているだけだった。



 くぁ、と欠伸をするその様は、単純に疲れた様子だった。
 仕事を終えた人間のように。肉体労働を終えた格闘タイプのポケモン達のように。ポケモンバトルで賞金を稼ぐトレーナーとポケモン達のように。
 徐々に我を取り戻しながら喧噪の続く現世に戻る観客を建物の中からこっそり眺めつつ、そのポケモン、キュウコンはゆっくりと休息に浸っていた。
 かり、と時々、渋味と甘味のする木の実を食べながら、力を抜き、眠気も隠していない。
 人間よりも遥かに長い時間を過ごしている身であろうとも、その姿はただのポケモンとなっていた。何者も魅了する幻想めいた姿は、今は無い。
 後ろでは、さら、さらと静かに尾の手入れをする二匹の狐が居た。
 正座をし、手に持った櫛で毛を梳き、埃を払う狐。黒い姿に赤い髪を持つその狐は、種族をゾロアークと言った。丁寧に、夢中に毛を梳いていた。
 胡坐をし、指で筋肉を解していく狐。赤と黄の姿に耳から多くの毛を生やすその狐は、種族をマフォクシーと言った。持前の念動力も使いながら、荒めに、けれど正確に疲れた尾を解していた。
 その二匹のポケモンは、生まれた場所も違い、またこのキュウコンに仕える為に生まれて来た訳でも、特別な理由がある訳でもない。
 仕えたいから仕えている。気に入っているから仕えさせている。

 時代は流れていく。それをこの体でずっと眺めて来た。
 こうして外を眺めるだけでも様々な事が変わっている。喧噪の音も変わった。臭いも変わった。見かけも変わった。雰囲気も変わった。
 目を閉じれば、ぼやけきった記憶しか無いが。
 人間なんかより長い、永い年月を過ごす身だと言うのに、記憶に関しては人間達と大差ない能力しか持っていない。
 体は数百年の間、もう、強くなる事も、衰える事も全く無い。ずうっと老いる事も無く生きているのに、その記憶はこうして元気に活動出来ている間の半分の半分、更にその半分も鮮明ではない。
 体は若者のように動くのに、こうしてここで過ごす前にどこをどう生きて来たかも、もう大して覚えていないのだ。
 時々、思う事がある。
 記憶が多く保てないなら、長く生きているのも短く生きているのも変わらないのではないか。
 記憶の無い時間は、死んでいると言っても良い。生まれていないのとも大して変わらない。
 何度、友を喪ったのか、何度子を為して、その子が今どこで何をしているのか、もう殆ど覚えていないし、知らないのだ。
 子や孫、自分が血を分けた者と会おうとも、全く分からない、嫌な自信さえもあった。
 覚えているだけ生きて、死ねるというのは、この身からすると、羨ましくなる事もあった。
 しかし、記憶はどこかへ消えようとも、感覚は残る。体に積もった経験も残る。
 それらのおかげで今こうして数日に一度舞うだけで、美味い食べ物も安全な寝床も、従者達の分まで与えられる。
 けれど、そうして安全と贅沢を得られるとしても、不安に押し潰されそうに何度もなる。
 自分は、千年生きるという。どれだけ生きて来たか、分からない。どれだけ後、こうして元気で居られるのかも分からない。
 ずっと変わらないこの体は、寿命を察する事も出来なかった。

 毛を梳き終わり、揉み終わった。舞をしている最中は意識もしない疲れは、凝り固まって表に出て来る。
 でもこうして、特に尾を揉んで貰えると、疲れが次の日には大半が消えている。
 感謝は伝えきれないが、これまで同じようにしてくれた、仕えてくれた者達の事も忘れてしまっている。
 このマフォクシーとゾロアークの前が誰だったかも、思い出すのに時間が掛かった。
 建物の中の方を窓まで行って覗き込む。そこでは、人間達やポケモン達が掃除をしていた。細かな埃などを掃いている。
 ここで莫大な利益が生まれている事を知っている。その九割九分以上が自分達三匹ではなく、その人間達のものになっている事も知っている。
 それでも良かった。いや、そんな事はどうでも良かった。
 自分の長きに渡る不安を癒してくれるものは、どこを探しても無い。いや、ある筈が無い。
 この世界で一番繁栄している人間は、過去の記憶を失いながら生きたりしない。自分が欲するものは、繁栄の内に暮らす人間には到底要らないものだったから。
 建物の外を見た。
 ぼうっとしている人間やポケモンが未だに多くそこに居た。その、自分がそうさせた姿を見せても、羨ましさが湧き出て来る。
 そうして、ただ見惚れて、その余韻に浸って。何も考えないで居られる時間というものはそんな自分にとって、とても欲するものだった。しかし、そう言う機会も自分にはそう大して無かった。
 自分の生きて来た常しえを投げ売るかのように、ただただ舞だけをしている時間。
 それと、もう一つ。
 櫛から毛を捨てているゾロアークに体を向けて、唐突に押し倒した。
 驚いたゾロアークは、けれど受け入れて、自分と舌を交えた。



 言葉で意志疎通を出来るポケモンは少ない。
 自分は、口を使って喋る事は勿論出来ない。
 テレパシーも使えない。
 この、長生きし過ぎる身にとって、言葉を使った意志疎通が出来ない事はとても辛い事だった。
 人間の言葉を何年も、何十年、いや何百年という単位で聞いている内に、人間の言葉は完全に理解出来るようになっている。
 自分の思考も人間の言葉を使った、より鮮明なものになった。
 なのに、自分は人間の言葉を使って喋る事は出来ない。テレパシーでも、だ。幾ら時間が経とうとも、どれだけ長生きしようとも、自分は出来なかった。
 それは、時間の問題ではなく、素質の問題だった。
 テレパシーを使って人間と会話出来るポケモンと言うのは、大抵の種類のポケモンで稀に居る。種族に関わらず、エスパータイプの技を覚えていなくとも、覚えられる素質さえあれば出来るポケモンも居た。
 結局のところ、自分にはその素質は無かった。それだけだ。シンプルに、残酷に。

 目が覚めると、薄暗い早朝だった。
 ゾロアークは隣で寝ていて、畳や自分とゾロアークは汚れたままだった。
 舞をしようとも、交わろうとも、一時の間だけ気を紛らわす事ができるだけ。いつものように、衰えも成長もしない体がここにある。何年、何百年と過ごしてきたか分からない体がここにある。
 マフォクシーは、どこにも居なかった。自分とゾロアークが交わり始めてからどこかへ行ったきりだった。
 水場で体を洗い流していると、ゾロアークも入って来て、身を洗い流した。
 子は、偶に出来ている。けれど、ゾロアークと子を為しても、生まれて来るのはゾロアだけだ。ロコンは生まれて来ない。
 その事実を思うと、どうにもやりきれない時もあった。同じ雄であるマフォクシーも、同じような思いをする事はあったのだろうか? それも知る事は出来ない。
 ただ、ロコンとして生まれて、そして進化してしまったら、こうして千年もの間だらだらと生きなければいけないのだから、それはそれで良いかとも自分は思う。
 死にたくはない。いや、自分が恐れているのは、死そのものではなかった。
 いつ、それが訪れるか全く分からない事だった。
 そんな生き方をしなくてはいけないのは、少しで良い。少なくとも自分は耐えられているが、皆が耐えられるかは、全く分からない。

 まだ人通りが少ない外へ出る。
 声を掛けられる事は少ない。この町に住み着いてから暫くしない内に、自分は敬われるようになった。
 良さげな寝床を見つけ、何か食い物でも恵んで貰おうかと思って舞ってみたらそこから一気にここまでの事になった。
 人間のルールに従おうとしていたら、気付けばその中に取り込まれていたと言う感じでもあるが、不快感は無い。
 そうして暮らす事自体は、別に劣っている事でも何でもない。
 本当におぼろげな記憶だが、人のポケモンとして生きていた時期もあった。まだ、モンスターボールと言う物も無かった時代に、自分の意志でだ。
 ロコンからキュウコンになった時も、確かその時だった。
 ただ、ロコンからキュウコンになったのが、自分の意志だったのか、その人間の意志だったのかまではもう、覚えていない。その人の顔も、その人と暮らしていた時の感情も、何もかもを覚えていない。
 楽しかったのだろうとは思うけれど。
 前で掃き掃除をしていた人間が頭を下げた。尻尾を振って、軽く返した。
 何度か、人間が自分の事に関して強制しようとしてきた事があった。別に、整えてくれるのは勝手にされた事で、路上で舞うよりそっちの方が良さげだった。寝床も用意された方がより好きだった。
 だからと言って、無闇に外を歩かないで欲しいとか、もっと恭しくしてくれとか、舞の頻度を増やしてくれだとか言われる筋合いはない。
 追っ払っていれば来なくなったが。
 長生きしている事は、楽しい事ではない。ただ、少なくとも役に立つ事ではある。

 太陽が昇って来る頃、マフォクシーが前から歩いて来た。
 腕に木の実やら様々な食べ物を抱えていた。
 甘苦い木の実を咥えて食べながら、互いに帰路へ着く事にした。
 食べながら、曲がり角を何度か曲がる。
 ぶらぶらと当ても無く歩く散歩の帰り道は、近道を。
 そこは宿が立ち並ぶ場所だった。安い宿から高い宿までぱらぱらと散らばっている。自分の舞を見に来るのは、大抵が高い宿に泊まっている人達だった。
 高い金を取っているのだろう。
 元々、良い食べ物を貰おうとしてした舞が、ここまでの事になるとは思わなかったが。
 ここを気紛れに出て行ったらと言う事も思ったりする。自分の舞に勝手にでかい旨みを作り出した人間達が嘆く様を想像するのは結構楽しい。
 追いかけて来た奴等をこんな町中でやれない程に思う存分返り討ちにするのを想像するのも。
 何も考えないでいられる時間ではないが、戦って甚振る事も好きだった。
 そんな欲求が湧いて来たのを察されたのか、マフォクシーが木の実を渡してきた。渋みの強い、落ち着く木の実だった。
 好き好んでいるからと言って、自分から仕掛ける程じゃない。
 受け取って齧っていると、ふと、妙な視線を感じた。
 純粋な羨ましさとか、身勝手な恨み、トレーナーの力量を見定める目や、はたまた珍しさとか、そういう良く感じるものではなく、気になるというような。
 もじもじとしているような姿が頭に浮かぶ。
 気になって見回してみれば、その視線は切れてしまった。



 帰れば、昨日汚した畳は綺麗になっていた。ゾロアークが雑巾か何かを絞る音も聞こえた。
 臭いは多少残るが、そう気になる程でもない。自分の臭いだからかもしれないが。
 自分の肉欲を受け入れられない雌も居なかった事は無い。ただ、そういう従者はそう長く自分と共にしないから、どの位居たのかももう、ほぼほぼ覚えていない。あるのは、短い間だけ居たという記憶だけ。
 ゾロアークと言う種族を従者にするのは初めてだったが、行為はかなり気持ちが良い。マフォクシーは雄だから無理だが、その内その種族とも行為をしてみたいとは思う。
 この体が衰えない内ならば。

 マフォクシーが持って来た木の実や人間の食べ物を腹が満たされるまでぼちぼちと食べていると、湿気が増えてきて、涼しい風が窓から吹いて来た。適当にぶらぶらしようかとも思っていたけれど、雨が降るのでは余り行く気にはならない。
 風が強くなって、雲が増えて来たと思うと、そのすぐ後に、ぽつ、ぽつぽつ、と雨が降って来た。
 一気に大雨になった。
 出店も閉まり、そこから出て来る煙や湯気と共に運ばれて来る良い匂いも消えてしまう。
 窓を開けていると、多少雨も入って来るが、そのままにしておく。
 雨自体は、こうして屋根のある場所で見る分には嫌いじゃない。屋根の無い住処で全く、ではなく出来るだけしか防げない雨水を身に受けるのは最悪だが。
 ただ、そうだからと言って、自分の力で雨を晴らす事はしない事に決めていた。そうして、悲惨な事になった時があった。
 一つの住処に長く住んでいた時。雨を凌げる場所ではない場所を住処としていて、雨が降る度に自分の力でさっさと晴らしていた時。気付けば、乾燥に弱いポケモンが多く死んでいた。食いもしないのに。
 他の様々なポケモンや人間も弱っていた。
 その時既に、自分はとても力の強い存在になっていたから討伐もされずに、また雨降らしの特性を持つポケモンを別に呼んでも自分の力を上書き出来ずにいた。
 弱ければ害獣として駆除されていただろう。強かったから駆除されずにいたが、過ちに気付いてから自分に出来る事は何も無く、嫌な思いをされながら、そこを去る事しか出来なかった。
 嫌な思い出は、何故か強く覚えているままだ。
 大きく息を吸って、吐いた。
 思い出した時は、そうするしか出来ない。
 償いなんて、あの時どうすれば良いか聞けたとしても、死ね、と言われるだけだろう。
 そんなポケモンが今、人々を舞で魅了させている。
 ……キュウコンというポケモンは、千年も生きると言うからか、色々な事を人間達に噂される。
 尻尾を触ったら末代まで呪われるだとか、人を洗脳させて好きなように操るだとか。人の胆を好んで食うだとか。馬鹿らしいところでは美女に変身するという事も噂されているようだった。
 自分はそんな高尚なものでも、好き好んで人の不吉を招くようなものでもない。
 長い寿命を持て余して、たらたら生きているだけのポケモンだ。取り返しのつかない馬鹿な事をして、それを隠しながらこうして高尚そうに生きている様なんてそこらの人間ともそう変わらない。
 旨みを握っている人間が、こんな過ちを犯して生きているポケモンだと知ったらどうするだろうか。きっと知らなかった振りをして祀り上げたままだろう。
 人間もポケモンも、そう大して変わらない。
 そう言えば、元々人間とポケモンは同じだったとかいう話もあった。
 似ているのも当たり前か、と思っていると、耳が変な音を捉えた。
 雨の音に混じって、硬い音が少しずつ混じり始めている。
 不思議に思っている内に、その硬い音が増え始めて、その正体が分かった。
 雨が、冬でもないのに霰に変わりつつあった。
 これは疑いようも無く、ポケモンの仕業だった。



 誰かがポケモンバトルでもやっているのかもしれない、と思ったが、それにしては長く降り続いていた。
 霰は大粒ではなく、戦いで使うような攻撃的なものでもなかった。当たっても痛くはない程度のものらしく、人々は単純に珍しがっていた。
 雨は自然に来たもので、それを誰かが霰に変えたのだろう。
 ただ、この辺りでこんな広範囲に霰を降らせられるポケモンは見た事が無い。
 そういう力を持つポケモンでも、度合いが違うのだ。
 自分も、長く生きている内に日照りの力を持つようになったが、最初は周りがちょっと温かくなる程度のものだった。
 それが、雨を避けるようになり、雲を消し去るようになり、今では夜でも疑似的に昼のように照らす事が出来る。
 悪く使えば、人もポケモンも皆平等に干からびさせる事の出来る力だ。今のこの、文明とやらが発達したこの時代じゃ、そうする前に捕えられるだろうけれど。
 雨なら、全てを腐らせる事も、洪水を起こす事だろうと出来るだろう。
 砂嵐なら、この町を土に埋もれさせる事さえも出来るかもしれない。
 そして、この雪や霰なら。
 人の話で聞いた事がある。森の主を怒らせた、ある小さな集落が夏なのに全員凍死していたとか。
 自分がそれ程怒る事は、何かあるだろうか?
 ……あるな。
 二匹の従者を見て、そう思った。
 何度も代わって来て、何度も別れて、そしてもうこの前の従者でさえ思い出し辛くとも、大切なのには変わりない。
 霰は、穏やかにぱらぱらと降り続いている。
 これは、怒りではない。

 霰が好きかと言われればそうでもない。
 数百年の間生きて来たとは言え、年に一度見るか見ないか程度の珍しいものだ。ただ、だからと言って外に出て泥濘のある地面に足をつける気にまではならない。
 雨と同じく、眺めているだけで、目と耳で感じているだけで丁度良い。
 砕けた氷が地面に敷き詰められて行く。溶けるよりも先に、積もって行く速さの方が速い。
 雨とは違う煩さが耳に鳴り響く。硬質なそれは、雨よりはやや耳障りだった。
 でも、偶には良い。
 目を閉じて耳を澄ませば、砕けずに屋根を転がる氷の粒が聞こえる。砕けて、そのまま屋根にしがみつく氷があるのも分かる。
 耳障りだが、雨に比べて色々と音も多様だった。
 耳障りだが、目を閉じれば眠くなってくる。まだ老いていないのに、いや、老いているのかもしれないが。
 舞の後に、交わりもして、意外と体はまだ疲れているのかもしれなかった。
 目を開いても、自然と瞼が閉じていくのを感じて、体を丸めた。
 悪くはない。少なくとも、雷雨よりはましな音だったし、こういう音を聞きながら眠るのも、覚えている限りじゃ記憶にもない。
 外に行く気にならなかったのも、気分と言うよりかは疲れているのもあったのかもしれない。
 いや、やっぱり泥濘に足をつけるのも嫌だ。
 尻尾で顔を隠すと、どちらかの欠伸が聞こえた。

 ごーん、ごーん、と音が鳴って目が覚めた。
 昼の鐘だ。
 目を覚ますと、煙ったい臭いと相変わらずの霰の音が未だに鳴っていた。
 体を起こすと、木の枝に火を付けて煙草のように咥えているマフォクシーが見えた。
 窓縁に肘を着いて、ぼうっと外を眺めている。
 ゾロアークは、いつの間にか子を連れて来ていた。外を眺めれば、外でも数匹じゃれ合っているのが見えた。
 全部、自分の子でもあるけれど、こう見ても余り実感が湧かない。
 酷い親なのだろうか。人里と自然をぶらぶら行き来しながら生きて来たからか、もう、自分はどちらにも染まる事もない。
 気分次第でぶらぶら変わる。
 自分が起きたことに気付くと、子供の一匹がこっちにやってきた。
 気分を窺っているような目をされて、頭をわしゃわしゃとしてやった。毛繕いもしてやっている間、自分が少し傷付いているのに気付いた。
 あんな目をされる親、か。
 父親という自覚を持った事が、この今まで生きて来てあっただろうか。
 ……あった気がする。
 気がするだけだった。確信は全く出来なかった。
 この子の毛繕いをしていても、自分の子を見る目や感情に、大して特別なものは無かった。慈しみを持っていない自分が自覚出来ていた。
 子も、それを察しているのだろう。毛繕いが終わると、そそくさと母親のゾロアークの元へ戻って行った。

 霰は、段々と弱くなり始めていた。
 弱くなり始めた頃には、音に対しては耳障りと言うよりかは、もう慣れて、大して気にならなくはなったと言う方が近かった。
 月が曇り空の隙間から姿を現し始めて来ていた。
 ざらざら、と言うよりかは、ぱらぱらと荒い粒の音がする。止むまでにそう時間は掛からないだろう。
 これまで降って来た一つ一つを一秒としたら、降った数は自分の寿命に匹敵するだろうか。
 人間の知識を借りれば分かるだろうが、流石に文字まではそう大して読めない。平仮名と片仮名と、後、漢字を少し。
 その位。それに、文字をひたすら追って頭を熱くしてまで知りたいほどの事でもない。

 建物の中、舞台を見れば、氷の粒で塗れていた。冷気も充満し始めているようで、湿った毛皮からも冷えが感じられた。
 今日も、舞おうか、と思った。
 自分の為に整えられている舞台も砕けた氷だらけで舞うのにも苦労しそうだが、それでも、雨でも無く、雪でもなく、こういう珍しい時に舞うのは楽しそうだとも思う。
 二日連続でやる事はこれまで数回あったかどうか。
 毎日舞う事が無いのは、それでも食っていけるし、それ以上に面倒だから、という理由の方が強かった。見せる為よりかは、食っていく為という方が強い。食っていく為にも、こんな事を態々する必要もないが。
 ただ、ここまで心地良い生活の為に、偶に舞うだけで良いというのは、とても割りが良い。
 今日一日寝て食って、たらたらと過ごしていた体を、背伸びをし、尻尾をゆらゆらと動かして、起こし始める。
 尾のそれぞれから、ぽつ、ぽつ、と鬼火を出した。
 感覚は変わらない。窓から外へ出て、氷の欠片で満たされた地面に降り立った。
 人は、来るのか。食う為にやっているとは言え、来なかったらやっぱり寂しい。
 そう思いながら、入り口の方を見た。
 …………驚いた。



 部屋の中からでは見えなかった、その門の場所に青白い体をしたキュウコンらしき何かが居た。
 色違い、じゃない。色違いのキュウコンにも会った事は無いけれど、それだけははっきり分かる。
 性質がどう見ても炎じゃない。
 この距離でもその身から漏れ出ていると分かる冷気は、氷タイプを想起させた。霰を降らせていたのも、このキュウコンだ。
 毛も自分のふさふさなものと違い、さらさらとした、まるで絹のような軽さを持っていた。
 瞳は、青色。
 多分、雌。
 昨日、ここで自分の舞を見ていたのだろうか? 気付かなかったが。
 目が合って、そのキュウコンが近付いて来た。
 宿場で感じた妙な目線も、このキュウコンだった。どういう理由でそんな視線を飛ばしていた?
 自分の目の前まで歩いて来ると、じっと目を合わせて来た。
 漏れ出ている冷気が、自分の湿っている毛皮に触れて凍り付く。それ程に強い冷気だった。
 敵意は無い。ただ、見定められているようなそんな視線が多少不快だった。
 お前は、キュウコンなのか?
 どれ程生きているんだ?
 疑問は聞けないまま、目の前のキュウコンは額を合わせて来た。ひんやりした体は、意外と硬くはなかった。
 それから、入り口の方へ振り返って去ってしまった。
 ……何だったんだろうか。そのキュウコンが視界から消えると、霰は終わりを迎え始めた。

 霰が降り止み、雲も失せ、空に月が光り始める。
 降り積もった氷の欠片に月の光が乱れながら反射していた。きらきらと光る様は、何百年と生きて来たこの身でも中々美しいものだと感じた。
 舞台の中央に座り、少しだけ積もっていた氷を払った。
 自分が今日も舞うつもりだと気付いた人間達が、慌てて入場の準備を始めた。外の音はここには入り辛いが、宣伝もしているだろう。
 どの位の金を取っているのか、ここに入って来た人間が呟いていたのを小耳に挟んだ限りじゃ、一回舞っただけでも全部自分のものになったら一年は軽く過ごせる位だった。
 まあ、こんな大層な建物を建てるのにはそれ以上の金が掛かっているのだろうが。
 いつ出て行くか分からないような自分に良くもまあ、こんな金を掛けたもんだとも思う。

 人がすぐに入り始める。
 いつもはどういう人やポケモンが来るのか大して気にしないが、今日は注意深く観察した。
 老若男女、様々な地域のポケモン。ロコンも居た。自分の子のゾロアも居た。
 窓の一つからは、ゾロアークとマフォクシーが眺めている。自分の舞を何度も見ても飽きないものなのかとはちょっと思う。
 別の窓からは、所謂ヴィップとか言うらしき高貴な人間も見えた。連れているポケモンも、それらしい風貌をしていた。
 どこで見るのが一番自分の舞を堪能できるのか、大して考えた事は無いが、それは窓より一番前の方なんじゃないか。
 あんな場所から見るより目の前に来ればいいのに。
 今は席も濡れているけど。

 人が入り始めて暫くしても、その氷タイプらしきキュウコンはやって来なかった。
 宿に泊まっていたという事は人と一緒に居ると思ってはいたが、モンスターボールに収まっているんだろうか。
 まあ、もうそんな事を思う時間も無くなってきた。
 軽く呼吸を整えて、尻尾をゆら、ゆらりと動かし始める。ざわついていた人達が収まって行く。
 こんな場所を用意されようとも、やる事は一緒だ。ただ、意識を奥深くに沈めて、自分の身体の記憶を巡るだけ。
 何百年と生きて来たこの自分の軌跡は、今考えている自分という自我よりも、身体そのものの方が良く分かっている。
 一つ、二つ、意識を沈めながら尾の先から鬼火を出して行く。
 目を閉じ、暗闇の中で自分という自我を身体に預ける。
 意識があるようでないような、そんなあやふやな感覚。
 三つ、四つ。炎に身を包むように。
 五つ、六つ。身体と世界が直接繋がるような感覚。何もかもが自分となり、何もかもが世界となる。
 七つ、八つ。生きているのか、死んでいるのかさえあやふやな、そんな目で自分を見る。
 九つ。目を開けた。



 しゃり、しゃり、と氷を優しく砕く音。
 晴れたその空から届く光は、氷が砕ける度にまた、弾けた。
 一瞬の煌めきは、共存しないはずの乱雑さと精緻さが混じり合わせたようだった。
 冷えるこの場所で、吐息が白く立ち上る。
 観客にとっては、それすらも邪魔だった。寒いのに、身体は不調を訴える事さえ許さないように何もかもを舞へ強制させる。
 月明かりが金色のそのポケモンをより一層際立てた。乱れて反射したその光が、時にその姿を時に輝かしく、また一瞬にして虚ろになるように更に表情を変えて映し出す。
 川が流れるように途切れ無く、時に滝へ落ちるように激しく。そして、時に凍りついたように止まる。
 森の中へと道は開けた。
 風を受けてゆらゆらと揺れ、空を飛び立ち舞い散る枯葉のように。息を潜め、獲物を狙う獣のように。気付かず、草を食む獣のように。
 日々を謳歌する全てのように。命尽きる全てのように。
 気付けば、鬼火で優しく溶けた氷が暗闇の中に薄らと霧を立てていた。
 所々で立ち上るその霧は白い吐息と重なり、視界が更に曇った。しかし、それはもう、観客にとって不快ではなかった。
 月明かりはまるで太陽のようだった。そのポケモンそのものが見えなくても、舞は成り立っていた。
 鬼火が舞う。尾が舞う。身体が舞う。世界がくるくる舞う。
 それらが作り出す空気の流れが舞としてまた、全てを魅了していた。
 妖美な炎がくるくると渦を巻き、弾ける音を立てた。金色の尾が捻じれて戻った。
 舞は、いつの間にか激しさを纏っていた。静まった自我の中で微かにぶれが起きていた。

 霧が晴れた時、人々は一瞬、自我を取り戻した。
 舞台に居るポケモンは、一匹、増えていた。姿は等しく、輝く金色と静かな水色の二匹だ。
 しかし、こんな事は初めてだったのにも関わらず、その二匹はまるで生まれた時から一緒だったように、互いに呼応していた。互いの舞が全く別々なものを表現していても、それは光と闇のように、白と黒のように、太陽と月のように、有と無のように、現実と夢のように、決して交わらぬ二つのような関係を持っていた。
 人々が取り戻した自我は、また、一瞬で消えた。
 空は明るく、そして霰を撒き散らす。
 しかしそれは観客に当たらず、熱で霧散する。
 炎の舞と氷の舞が、優しく、激しく、捻じれて解けて、また固まり、一つとなった。
 霧がまた立ち上り始めた。しかし、それは熱をもって、冷気をもって、意志を持っていた。その二匹を強調し、また、隠し。それは舞でありながら戦いに移り変わり、そして対話へと、交わりへと、別れへと、再会へと、より様々な表情を見せ始めた。
 人々は、呼吸する事さえも忘れた。
 心の根が動いていなくとも誰も気付かない。外で何が起ころうともこの世界は崩されない。
 ぱき、ぱき、と氷が弾ける音がする。ぼう、ぼう、と炎が立ち上る音がする。
 固まった二つの舞が、解け始める。
 炎と氷の舞が、また、離れた。
 氷が弾け、炎が受け止めた。炎が弾け、氷が受け止めた。
 捻じれを失い、また、別々となる。
 それは、完全に相反するものとなり、そして崩壊していく。
 世界の終わりのように。恐怖さえ覚えた。絶望し、涙を流す者さえ居た。
 そして、弾けて、最後に残ったものは、一つの鬼火に包まれた氷の塊だった。
 とろ、とろと溶けて、それは水となった。



 自分の身体の奥深くに沈めた自我は、舞の記憶もおぼろげだ。
 部屋に戻る最中に自我が完全に戻る。後ろには、その、遠方から来たキュウコンが居た。
 おぼろげな中で、色々な事を理解していた。
 このキュウコンは、遥か南で暮らしていた。トレーナーに捕らえられて、ここまで来ていた。このキュウコンの舞は、このキュウコンの歴史そのものだった。自分にとってもそれは同じなのかもしれない。
 互いに舞える者同士、一緒に舞うと言う事は、互いの身体を、歴史を覗く事に等しかった。

 そして、もう一つ。
 階段の窓から見える人々は、いつもより長い時間、虚ろなままになっていた。
 疲労も激しい。自分達以上に。
 ゴーストタイプのポケモンのように生命力を吸い取っている訳でもないが、老人がこの自分達の舞を見たとしたら、そのまま衰弱死してしまいそうだとも思えた。
 自分の疲労はそう、いつもと大差はない。この氷のキュウコンが乱入して来たのにも、驚く事さえしなかった。自我が目覚める程の事では無かった。
 舞は続けられた。そうであれば、舞に対しては何も問題は無かった。
 ただ、自分として大した自覚が無くとも、より人々を深淵にまで誘ったらしい。
 まあ、これからこのキュウコンと合わせて舞う事になろうとも、自分にはそう関係の無い事だ。そこ辺りの事は、人間達が勝手にやってくれるだろう。

 階段を登り切る。一足先に自我を取り戻していたゾロアークとマフォクシーが自分と後ろのキュウコンを出迎えた。
 後ろで、キュウコンが立ち止った。
 振り返ると、何故か泣きそうな顔をしていた。
 窓から、巨大な鋼の足が突っ込んで来た。

 メタグロス。その鋼の足が一直線に自分目掛けて飛んで来た。
 殴り飛ばされ、壁へ叩きつけられる。
 部屋が一瞬で氷に包まれた。霰を降らすその力が、この部屋の中で濃く発せられた。
 メタグロスが、応戦し始めたマフォクシーの炎とゾロアークのシャドーボールで怯み、氷のキュウコンの周りには氷の槍が大量に生成された。
 自分は日照りの力で炎を纏い、それらを溶かした。
 鼻血が出た。身体がやや痛む。でも、それだけだ。大した傷じゃない。
 モンスターボールからポケモンが出て来た音がした。
「ルガルガン、アクセルロック」
「メタグロス、思念の頭突き」
 冷淡な二つの声。
 ぞくぞくと身体が震えて来る。殺意を身に受けたのは久しぶりだった。
 しかもそれは、単純な殺意じゃない。相手が格上だと分かっている、挑戦者の殺意だった。
 尾を逆立てる。日照りの力を一気に放つ。氷で包まれていた部屋が一瞬で燃え盛る。味方を優しい炎で包みながら、一気に敵を青い炎で包み込んだ。
 メタグロスの身体が耐え切れずに溶け落ちていく音が聞こえた。
 ルガルガンがそれでも耐えながら突き進んで来た。牙を剥き出しにした所へ炎を流し込み、そのまま焼け落ちた。
「キュウコン! 何をしている!」
 氷で炎に対抗出来ると思ったのか。
 物体が停止すれば終わりの氷に対して、幾らでも熱を与えられる炎に勝てると思っていたのか。
 その氷のキュウコンは伏せて、必死に自分の身を守っていた。
 それしか、させない。
 今思えば、このキュウコンは、自分に警告しようとしていた。攻撃も一番先に奇襲出来る位置に居たけれど、全て一足遅れていた。
 岩タイプや鋼タイプ。自身の弱点を突けるポケモン達に囲まれ、捕えられてからも抗えなかったのだろう。その身でありながら、自分を襲う事をどうにか拒絶しようとしていた。襲わなければいけない事を伝えようとしていた。
 破壊光線が背後から飛んで来る。先に気付いたマフォクシーがそれを微かに捻じ曲げた。それは、崩れ落ち、既に息絶えていたルガルガンを粉々にした。
「……メタグロス、大爆発」
 その掛け声の直後、ゾロアークとマフォクシーに近寄る。マフォクシーと自分が念動力と神通力で壁を張り、ゾロアークが闇の力を身から放って、壁を後ろから強く押した。
 どろどろと溶けていたメタグロスが一気に弾け飛ぶ。
 炎に包まれる中、氷のキュウコンが吹っ飛んだのが見えた。

 メタグロスのはじけ飛んだ鋼の肉体が壁にぶつかり、溶けて貼り付く。
 ゾロアークでは力が足りず、壁が押されていく。燃え盛る建物と爆風で建物が崩れ落ちている。異変に気付いて自我を取り戻した観客達が必死に逃げる声が聞こえた。
 床が抜け落ちた。落ちていく最中、その背後にポリゴンzが居た。二度目の破壊光線、今度は自分の神通力で捻じ曲げ、そのまま返した。
 ポリゴンzはどこかへ吹っ飛んで消えた。
 がらがらと瓦礫が落ちて来る。瓦礫を全て灰としながら、前へ進んだ。
 受けた殺意に対し、自分の底からも殺意が湧いて来る。抱いたのはいつ振りの事だろうか。
 光球が空に作り出される。それは、長年生きて身に着いた、全てを干からびさせる程の日照りの力だ。水は全て、消え失せる。
 人は複数。ポケモンはその人数の六倍。
 それでも負ける気はしない。建物の外に出ると、目に付く場所に元凶のトレーナーが数人見えた。新しくモンスターボールを複数投げて来た。だが、トレーナーへも神通力の届く範囲だ。
 トレーナーを捻じ折り、捨てた。
 それだけで、ボールから新たに出て来たポケモンは戦意を失った。
 殺意を向けられるのは嫌いじゃない。殺意に対しては、思う存分に殺意を以て返せるから。
 長生きしてきたのは楽しい事ではないが、役に立つ事だ。殺意を返せるだけの力量は、長生きしている間に十二分に身に着いている。
 不意打ちの先制は食らってしまったが、それ以上食らうつもりは無かった。
 これでも捕えようとしたつもりなのだろう。
 殺意を以て、更に疲れた所に不意打ちまでして挑まないと捕える事も出来ない、と思ったのは正解だ。
 ただ、それでも何百年という時間を馬鹿にしている。
 あの氷のキュウコンの歴史は、自分より確実に浅かった。人間よりは長く生きてはいるだろうが、この物量に押し負ける程度だ。
 百年も生きていないポケモンや人間が束になった所で、何百年と生きて来た自分に負ける筈はない。



 姿の見えない残ったトレーナーはポケモンにどこかからか逃げる指示を出して、一様に自身も逃げようとしていた。
 させるものか。
 残っていたポケモンを神通力で無理矢理振り向かせ、目を合わせた。
 瞬時にとろん、と目が虚ろになり、そこから洗脳を仕掛ければ、好戦的な目になってトレーナーの元へ走って行く。
 トレーナーに逆らえないのは、正気な時だけだ。
 後はもう何もしなくて良い。主人を一心不乱に殺した後で、茫然として終わる。
 振り返れば、自分の為に作られた建物と舞台が燃えていた。巻き込まれた人々やポケモン達が、少なからず死んでいた。
 無関係の人やポケモンまで死んだのは、自分のせいというより、メタグロスに大爆発を指示したトレーナーのせいだろう。
 あれで炎が一気に広がった。
 ただ、少なくともその炎は、自分が撒き散らしたものだった。
 日照りを収めれば、消防や警察やらがやって来るのが聞こえた。

 気絶していた、氷のキュウコンの元へ歩いた。大分弱っていたが、生きていた。
 このキュウコンは、あのトレーナーに付いて来たのではなく、連れて来られていた。
 力及ばず負けて、か。
 もう、縛り付けていたトレーナーは居ない。モンスターボールを壊せば、完全に自由だった。
 ……ただ。
 自分はもう、ここには居られなかった。
 相手が殺意さえも以て自分を捕えに来たとしても、返り討ちとしてそのトレーナーとポケモンを容赦なく殺害した。
 無関係の人もその巻き添えにした。
 ここは、人間の場所だ。人間のルールで動いている場所だ。どんな理由があろうとも、殺しは最もやってはいけない事の一つだった。
 人間至上のルールに従うのは別に良い。ただ、従わされるのは御免だ。
 起こすと、疲れた目で自分を見て来た。

 自分にとっての幸せとは、日常を謳歌出来る事だ。
 自分にとっての日常とは、様々な場所を渡り歩き、時々こうして留まり、そしてこうしてどこかへ去って行く事だ。
 眩しい太陽と優しい月を毎日眺めながら。
 心地良い晴れの日に日光を浴び、眠る前に月光を眺め、時折降る雨を鬱陶しく思いながら。
 春の桜を眺め、夏の暑さをこの身で感じ、秋の滅びを見届け、冬の忍びの中で眠る。
 こうして狙われる事も多々あった。間違いも何度も犯してきた。何の悪でも無い生物をこうして気付かず殺した事もあった。
 そうした全てが、自分の日常だった。幸せでもあった。
 無関係の人々やポケモンを結果として殺してしまった事にも、大して後悔はない。自分にも悪い点はあるのだろうが、自分が率先して殺した訳でもなく、運悪く死んだ程度の事だ。
 ただ、それは自分だけの日常だった。自分だけの幸せだった。
 異国に連れて来られ、トレーナーに従わされるだけの日々。それも、この氷のキュウコンにとっては悪くなかった可能性だってある。一緒に舞い、互いの歴史を覗き見たとは言え、詳しい事は分かっていない。
 自分が勝手に自由にしたとも言える、この氷のキュウコンがこれからどうするべきか、それは自分が決める事ではない。
 自分と同じくきっと、人間や並のポケモンより、遥かに長い、永い年月を過ごす事になるのだから。
 どう過ごし、どう生きるか、それは己自身でゆっくりと決めていかなければいけない。
 取り敢えず、自分は南に行こうと思う。そう、首で指し示すと、氷のキュウコンは目を閉じた。
 その仕草が意味するのは、ここに留まるという意志だろう。
 どうしてかは分からない。自分がトレーナーを容赦なく殺した事さえもまだ分かっていないかもしれないし、もしかしたら何となく察しているかもしれない。
 少なくとも分かる事は、自分と道を共にする気は無いという事だ。

 振り返り、マフォクシーとゾロアークを見る。
 どうやら、ゾロアークもここに留まるようだった。
 そうか、と思い出した。思い出す程度の事だった。
 自分は父親だった。ゾロアークは母親だった。
 自分の日常には、父親という部分は無かった。もう、自分は日常を過ごす事しか出来ないし、そこから外れようとも思っていない。
 長い永い年月を過ごす内に、自分は自分の敷いた道の上しか歩かなくなっていた。それで多少後悔や嫌な目に遭おうとも、外れようとも思わなかった。
 死を恐れる事も、そして父親にならない事も、もう、自分の日常だ。
 マフォクシーだけを連れて、歩き始める。
 ゾロアークはキュウコンの隣に座って、やってくる人々を待ち始めた。
 月は、立ち上る煙で隠れつつあった。



 やって来る人間達をのらりくらりと躱しながら、町の外まで出た。
 実力では敵わない事を知ってか、無理に止めようとする人間は居なかったし、それはそれで幸いだった。
 煙が収まって来ると、次第に霰が降り始めた。

 何年か過ごした町を振り返って、空を見た。
 星が、月が、隠れていく。
 何を思っていたのか、これからどうしていくのか。これからこの町がどうなっていくのか。
 分かりはしない。分かろうとも思わない。
 ゆらゆらと生きるだけの自分が、またこの町を訪れる事があるかどうかさえも。
 後悔はある。もっとこうすれば良い道はあっただろうと思う事もある。
 考えれば、色んな道が開けて来る。実際それをすれば、もっと良い世界が開けて来る事もあるだろう。
 けれど、そういう事は、永い年月を生きる自分には合わない事だ。
 それすらも許容して、いつ来るか分からない死を恐れながら、待ち続ける。
 それが自分の生き方だ。変える事はもう、きっと無いだろう。
 ただ。
 息を吐いて、頭を下げて、思う。
 今日はちょっと、疲れた。


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