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  [No.4040] 潮風の香 投稿者:空色代吉   投稿日:2017/09/20(Wed) 01:17:26   56clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

潮風の香(しおかぜのかおり)


 その少年の言葉は今でも憶えている。
 体の弱い幼馴染の彼女を無理やり山の神の巫女にされることに反対した少年。
 想いを寄せた彼女の身を案じて村の者に歯向かい、村から追い出された少年。
 それでも、毎日こっそりと山の上の社に忍び込み彼女に会いに来ていた少年。
 先代の巫女の彼女の心配をしていた彼の事が、いまでも脳裏にちらつく。

 彼らの年代には、年頃の女子が体の弱い彼女しかいなかった。だが神の怒りを恐れた村の者は、神の怒りから村を守るためだという彼らの勝手な思い込みを彼女に言い聞かせて、無慈悲にも送り出す。
 そしてある吹雪の日、彼女は高熱を出して倒れ、そして若くして亡くなってしまった。
 彼女の死に一番早く気が付いたのは、少年だった。吹雪が収まってすぐに駆け付けた彼は、彼女の姿を見て崩れ落ちる。
 それから半時ほどたって、捧げものをしに来た村の者に彼と冷たくなった彼女は発見された。その時の村人の反応は、確かこうだった。
「おいお前、何を寝ている! キュウコン様の御前だぞ! キュウコン様どうか、どうか怒りを鎮めなさってください……!」
 少女がこと切れているのに村の者が気付いたのは、神の使いにひとしきり謝った後のことだった。
 彼女は村を守る役目を果たしていた。だが、村の人々は彼女に文句を言いながら早々に葬り、急いで代わりの巫女を立てなければ、と駆けまわっていた。
 病弱な彼女を誰よりも心配していた、みすぼらしい恰好の彼は鋭い目つきで皆に言った。

「俺は、神もお前らも絶対に許さない」

 その言葉だけを残して、彼は山から、村から姿を消した。
 それでも村の者は、神の使いである我の世話係に巫女を捧げることを止めなかった。

  * * *

「ねえキュウコン、私この山の外に出たい。風のようにどこまでも飛んで行って、そして……海に行ってみたい」
 少女の一言に、我は眉根を寄せて苦々しい表情を作る。彼女の願いは難しいものだった。我の表情から察したのか少女……フウカは我の胸毛に顔を埋めた。やめろ、と振り払おうとしたものの彼女の涙が我の体毛を湿らすのを感じて、思いとどまる。そしてどうしたものかと思案を巡らし始めた。

 我はキュウコン。この神聖なる雪山に祀られている神の使いである。
 そして我の胸毛をぐしゃぐしゃにして、頬を膨らませむくれている少女はフウカ。我の世話係をしている現在の巫女である。
 我とフウカは雪山の奥の社で、山を見守るために人知れずひっそりと暮らしていた。我らはこの山の外に出たことはない。我もフウカもずっとこの深々と雪が降る山で日々を過ごしていた。

 雪と見間違うほどの青白い体毛に九つの尾を持つ我は、昔から神の使いとして雪山の麓の村の者から崇められ、そして恐れられている。何でも、神の使いである我の怒りに触れると雪崩が起きるとか巷では言われていた。実際は雪崩の起きることを予見して麓の村の人々の前に姿を現し警告をしているのだが、なかなか理解を得られない。しかも彼らは我の機嫌を損ねないために世話係として村の娘を一人巫女として遣わせてくるときたもので、巫女が代替わりするたびに我は、何とも言えぬ憐れみを彼女たちに向けていた。
 彼女たちは代々、我に深く干渉せずに黙々と身の回りの世話と祭事を行っていた。それが村の風習だった。彼女らは下手な言動はしない。何が我の逆鱗に触れるか分からないからだ。我はそれがずっと気に食わなかった。何を好んで気まずい思いをしなければならないのか理解できなかった。それに、世話係に任命された者は代替わりするまで我と暮らさなければならなく、時に過酷な環境に耐えられず命を落とすものも居た。フウカの先代も、巫女になったせいで若くして亡くなった。何故彼女たちの貴重な人生を、我の世話などに使わせなければならないのか疑問で仕方がなかった。我の機嫌を伺うのならばいっそもう放って置いてくれても構わないのに。もう、間近で怖がられるのにもうんざりしていた。
 しかしフウカは違った。
 フウカが我のもとに連れられてきたのは、彼女が九つの時であった。フウカは幼いながらも仕事はきちんとこなす巫女であり、よく出来た娘だと当時思ったのを憶えている。
 それでも慣れない場で過ごすのに無理が出てしまったのか、冷え込みが特に激しい日、フウカが風邪をひいてしまう。彼女が倒れてしまったのは夕刻だった。外は吹雪いていたので村の者を呼ぼうにも難しい天候であった。先代の彼女のように死なれるのも嫌なので、我はひとりでフウカを看病した。布団だけでは寒かろうと九つの尾を毛布代わりにかけてやり、氷を生成しそれを袋に入れ彼女の額に当ててやる。水分を取らせるために、溶けやすい氷を作り焚き木の傍へ置いておくなど……とにかく出来る限りのことをした。長い夜が明け、村の者が供えものをしにやってくるまで、我はフウカを看ていた。
 らしくもなく、妙に入れ込んでいるなと感じながらも、我は彼女の寝顔をじっと見守っていた。
 それ以来だろうか、我はフウカにすっかり懐かれてしまった。それまでふたりの間にあった緊張は徐々に解けていき、今では馴染んだ。それまで築いたことのなかった人間との親密な関係に最初は戸惑いを覚えたが、それもだんだんと心地良いものへと変わっていく。
 フウカはよく笑うようになった。彼女は我の毛繕いをするのが好きなようで、ご機嫌に歌を口ずさみながら、それでも丁寧に櫛でとかすのが日課である。毛並みがきれいに整うと、フウカは満足げに笑顔を見せた。また、フウカはお喋りだった。山で起こった小さな変化や、彼女が麓の村に暮らしていたころの話など、表情をころころ変えながら、身振り手振りも交えて我に話していた。こんなに話す娘だったのかと初めのうちは驚いていたが、今ではいつものことに変わっていた。フウカが小さい頃は我の背に乗せてやったりもしていたものだ。近頃は重くなってきたのでそれも難しくなったが。成長する年頃だから仕方がないとはいえ、フウカの重さに耐えかねて我が潰れてしまったときは、ふたりして落ち込んだ。まあ、それもつかの間のことで、今もよくもたれかかられたりのしかかられたりする。たまに我への敬いを忘れていないか? と思わなくもないが、寛大な心で彼女を許してやっていた。
 ……許す、などと表では偉ぶっていても内心は、フウカの分け隔てなく接してくれる姿勢がとても嬉しかった。それが叶わないと知りつつも、我はずっとフウカとこうして日々を過ごしていたかった。

 フウカの様子が変わったのはここ最近のことだった。十四歳になった彼女はよく頂に上るようになったのだ。一人で行かせるのも不安なので、フウカが頂に行くときは我もその後を追った。
 晴れているときの頂から見る地上の眺めは、我も好むものである。年中雪の積もるこの山の白さとは違う、茶色や緑の森や大地が見え、そして遥か遠方には蒼い水平線が見えた。
「風になりたい」
 風に流される白い雲を見ながら、フウカは呟く。そのころからフウカの地上への焦がれる想いの片鱗はあった。しかし遠くに行きたいのならば何故運ばれていく雲ではなく、風なのだろうか。その謎は今も解けていない。

  * * *

 そしてとうとう、フウカは我に言った。
「キュウコン、私この山の外に出たい。そして、海に行ってみたい」
 正直フウカがそう言い出す予感はしていた。だからこそ我は顔をしかめた。海とやらは、おそらくあの蒼い水平線のことを指し示しているに違いない。この山からだとかなり距離があるのは明白だ。フウカの足で彼方までたどり着けるのだろうか、それに道中に棲むものに襲われないとも限らない。彼らの領域は我の範囲を超えている。それに水と食料は大丈夫なのだろうか。考えたらキリがない。何より、フウカが山を出ようものなら麓の村人どもが黙ってはいないだろう。そして我は神に仕える身。神聖な領域を守るためにもこの山から出ることは叶わない。
 よって、我はフウカの願いを聞き入れられない。本当は恩を返す意味でも叶えてやりたかったが、我は彼女の願いを聞き入れられる立場ではなかったのだ。フウカもそれは重々承知の上のようであった。だが頭では理解していても、心を抑えられずにいたのだろう。フウカは海に対する憧れを諦めきれず、我への話題に上げることで己の想いを忘れないようにしていた。
「海の風の香りはしょっぱいって、お母さんが言っていたよ。どんな感じなのかな」
 妄想を膨らませるフウカの姿が深く印象に残っている。不意に、フウカは我に話を振った。
「キュウコンは、もし行けたら海、行ってみたい?」
 その質問に、我は悩んだ。我は生まれてからこの山の外に出たことはないのだ。未知の場所への興味がないわけでもない。しかし、我は山に棲むものを守らなければならない。それが我が神に作り出された意味だからだ。
 だが、本当にもし、もしも行けるのだとしたらの話だったらば――――彼女が誘ってくれるのなら、正直行ってみたい気持ちはあった。
 フウカと共に、果ての海まで。
「そっか……いつか、いつかキュウコンと一緒に行けたらいいのにね」
 彼女の描く絵空事に、我も仲間に加えられただけで、嬉しかった。それだけで十分だった。
 それ以上は望まなかった。むしろこの時間がいつまでも続けばいいのに、否、巫女が代替わりするまでの間だけでも、フウカと一緒に居たい。フウカはどう思っているのかは分らぬが、それが我のささやかな願いだった。
 そんな我の想いを知ってか知らないかは定かではないが、フウカは我に笑いかけてくれる。もし海に行けたのなら、もっと明るく笑ってくれるのだろうか。そんな邪な考えが浮かんでは、必死に頭の中から消していった。

  * * *

 終わりの始まりは唐突だった。
 
 異変に気が付いたのは、不気味なまでに燃えるように赤い空をしていた夕時だった。山がざわついていたのを察知した我は、急ぎ麓に向かおうとするべく立ち上がる。
「キュウコン、どこへ行くの? ……何かあったの? 私も行くよ」
 フウカが我の様子に気が付いたのか訊ねる。そして後に続こうとしてくるフウカに我は今まで見せずにいた、あらん限りの力で吠えた。『ついて来るな』と。我の吠えに怯んでその場に崩れ落ちるフウカ。彼女を背にし、我は振り返らずに駆け出した。

 羽ばたくワシボンの群れや走るニューラ、逃げ惑うグレイシアとイーブイの親子とすれ違い、胸騒ぎが強くなる。
 嫌な予感程当たるものである。
 血潮のように赤い空の下、黒煙を上げ――――村が、燃えていた。
 フウカを置いてきて正解であったという安堵と、もっと村の異変に早く気づくべきだったという後悔が入り混じりつつ、燃える家々の間を走る。焼ける熱気と煙に苦しみながらも我の持つ氷を操る力で霰を降らし、少しでも火の勢いを収めるべく助力する。焼けていく村内を回る中、疑問が生じた。
 村の者の姿が、見えない?
 先程から焼ける住家の中取り残された者がいないか順に巡っているのだが、住民の姿が一向に見つからない。人も、人と暮らす生き物も、誰も見つからない。
 嫌な予感は、当たってしまう。
 村の者とはかけ離れた荒々しい声が聞こえる。それは、野蛮な者の声だった。
「とうとうおいでなさったか! 神の使い様よ!」
 そう声を荒げた男は、嘗め回すような視線をこちらへ向けてくる。その視線に違和感を覚えたのも束の間、周囲にいた賊だと思われる若造らのはしゃぎ声に思考を遮られる。賊どもは黒い爬虫類たちを従えていた。ヤトウモリと呼ばれた小柄な爬虫類どもが家屋に向けて火を噴いている。この火の原因は奴らの仕業か。村の者たちは一か所に集められていた。村の者と暮らしていた生物たちは、力尽き地に伏している。火を噴いていたヤトウモリ達が、頭であろう男の手持ちのエンニュートという名の、ヤトウモリ達より一回り大きな爬虫類指示に従い、我へ向かい身構える。
「野郎ども、ヘドロ爆弾だ!」
 放たれる毒爆弾を我は凍てつく光線で薙ぎ払う。爆炎の後、煙が上がった後、すかさず身を翻し雪の中へ隠れた。そんな我の行動を見て賊の頭はこう言った。
「逃げるのかキュウコン? そうやって隠れているのなら……そうだな、俺らにも考えってものがあるぜ?」
 そのわざとらしい気持ちの悪い声に悪寒が走る。
 我は別に、麓の者どもに好意を抱いているわけではなかった。しかし、共生関係をすることを望んだぐらいには、彼らに気を許していたのかもしれない。この山を守るのが我の使命。そう、麓とは言え、同じ山に棲むものには変わりはない。だから彼らを守るのもまた、我の使命なのかもしれない。
 そして何よりフウカの仲間だ。彼らに何かあったら彼女が悲しんでしまう。
 嫌な予感は、的中する。
 奴は一人の女の髪の毛を引っ張り、差し出すように前へと連れてくる。
「三十秒だ。それまでに出てこないのならば、この女の綺麗な肌が焦げちまうかもしれないな?」
 女が、肩を震わせている。奴の言葉の意味を察せぬほど、我は馬鹿ではなかった。我は雪影から姿を現す。そうせざるを得なかったことに口惜しさを覚えた。
 村の女が解放され、我が賊ども連れられそうになったその時。
 望まない出来事は重なる。

 何処からともなく投げられた雪玉が男の顔面に当たった。それから聞き覚えのある、声が我を呼ぶ。
「キュウコン!」
 毛が逆立つとは、この事を指し示すのかというくらい全身が恐怖で震える。
 やめろ。来るな。やめろ。来るな。やめろ。来るな、やめろ。来るな。
 雪に生える赤の袴を見て、頭の中が、それらの感情でぐるぐると回る。
 やめてくれ、来ないでくれフウカ。フウカ。フウカ。来てはいけない。フウカ、来てはいけない。
 来てはいけない!!
「待っていて、今助けるから!」
 彼女は我のために必死なって、
 怖いだろうに力を振り絞って、
 不安にさせまいと笑みを湛えて――
「やれ」
 ――我が駆け寄る前に、エンニュートの毒爆弾をその身に受けてしまった。

  * * *

 それから後の事は、正直よく憶えていない。ただただ、後悔の念が付きまとっているのだけは、憶えている。
 反射的に氷の礫を放っていた。エンニュートは間一髪でかわしたが、エンニュートの後ろに居た手下の男の肩が、えぐり取られた。
 悲鳴を上げる手下。ふむ、案外脆い。何故我は、村の人間如きを人質にとられ躊躇していたのだろうか。フウカが傷つけられる以上の何が恐ろしかったのか。今ではよく分からない。昔の我の選択が理解できないし、したくもない。ただ言えるのは、我はやはり馬鹿であったということだけだ。
 怯んだヤトウモリの一匹に、もう一つ氷の礫をくれてやる。ヤトウモリとそれを従えていた賊どもが怯えて散り散りになる。怯えているのは、賊どもだけでなく、村民たちもであったが、この際それはどうでもいい。
 一方で頭とエンニュートは、冷静であった。エンニュートはすぐさま煙を焚き、姿を暗ませる。逃がすものか、と吹雪で煙を払ったものの、既に彼らの姿は消え失せていた。
 
 放心しながら、一歩一歩フウカへと歩み寄り、辿り着く。顔を覗くと、彼女は虚ろな目で天を見つめていた。傷口は、見るに堪えないほど酷かった。その姿を見て、人とは脆いものだということを改めて痛感した。そして、我が彼女を守れなかった事実を思い知らされた。
 うなされ苦しんでいるフウカの顔に、昔の彼女を重ねる。ただあの時と違うことは、彼女を助ける見込みがないということ。
 謝っても謝り切れない情けなさが襲う。せめてフウカにしてやれることがないか思案する。だが、言葉をかけてやることすら出来ずにただただ見つめるしか出来なかった。
 いや、我は神の使い。お前の魂を神のもとへ連れていく事は出来た。
 だが、小娘一人守れないで何が神の使いだ。今の我に神の使いである資格はない。
 それならフウカ、いっそ我もお前と共に……。
「きゅうこん」
 打ちひしがれる我の耳に、かすれ声が聞こえる。顔をそちらへ向けると、彼女のおぼろげな眼が我の姿を捉えていた。
 フウカは力を振り絞り、我にこう囁いた。
「きゅうこんはわたしがまもるから」
 我の考えを見透かした、遠回しな呪い。
 それが、彼女の最期の言葉だった。

  * * *

 自分でも何をしているのか、分からなかった。
 我は冷たくなったフウカを連れ、山を出ていた。我は神の使いとしての役目を放棄し、神のもとへ彼女を連れていくことを、拒んだ。我は彼女の憧れた海に、彼女を連れていくと決意したのだ。
 連中の狙いが我だということもあり、あの雪山に留まっていたらまた犠牲を出すかもしれない。だから山を出ようと考えた。否、それは口実にすらなっていない。本当は麓の村の者どもなど、どうなっても構わないと考えていたに違いない。だから神の使いという雪山を守護することを辞めたのである。
 なけなしの木材から作られた棺にフウカを入れ、それを引きずりひたすら南を目指した。腐敗せぬように冷気を操っているとはいえフウカ、やはりお前重くなっただろう。そう念じても返事は無かった。
 山の方から下りてくる冷風も次第に遠のいていく。棺を狙い襲ってくるヤミカラスどもを追い払い、いくつもの夜を超え、身も心も満身創痍になっても歩みを止めることはなかった。そして我は蒼の彼方へと至る。

 辿り着いたときはちょうど暁が昇る時刻だった。薄紫色の空の下吹くその風は生暖かく、潮の香りがした。朝の陽ざしと風に包まれながら、それまで凍っていた心が溶かされていくような気がした。
 息を吸い込むと、鼻の奥と口の中が塩味で満たされていく。それはしょっぱいという感覚だった。棺を海の望める丘に埋め、海岸線で途方に暮れていると、忘れがたいあの気配が近づく。
「ようやく見つけたぜ」
 奴らに我は心底興味なさげに振り向いてみせる。しばらくぶりに見るが、やはり彼らは薄汚い恰好をしていた。手下どもは我に警戒していた。だが頭の男だけは怯むそぶりを見せず、我をまっすぐ見ていた。その目を見てようやく、襲撃事件の時に感じた違和感の正体が、分かる。
 おそらく我は、彼を知っているのだ。
 男は棺を埋めた丘を一瞥する。そして我を見てこう言った。
「神の使いよ、お前は神を信じるか」
 その問いに我は、首を縦にも横にも振らず、目を細めた。頭の男は、続ける。
「俺は信じてはいない。むしろ信仰だとかしきたりだとか、そういったものを憎んでいるし、それらを信じている奴らも憎んでいる。ぶっ壊したいと思っている」
 男は視線を丘の方へやり、語る。
「まだ幼いころ、俺には惚れた女がいた。そいつは体が弱いのに、奴らに巫女にされ、山奥にたった一人で暮らさなければならなくなった。当然そいつは環境に耐えきれず死んじまった。それでも村の奴らは巫女を送り出し続けることを止めなかった――キュウコン、あんたの仕える神の怒りを買わないために。あいつらは何時までも同じ過ちを繰り返し続けるだろうよ。何人もの巫女が犠牲になっても、自分達の生活を守るためだと目を逸らしながらのうのうと生きていくだろうよ」
 その言葉で、見覚えは確信へと変わる。そうか……あの時の少年だったのか。
 彼にここまでさせ、この結果を招いたのは……先代の巫女、彼の思い人に救いの手を差し伸べなかった我の怠慢が招いたこと、か。今になって、彼の怒りを理解することができた自分が忌まわしかった。
 彼は再び、我へと眼差しを向ける。
「あんたが村の奴らを庇おうとしたのは意外だった。自ら山の外に出たのも。俺の狙いには気づいていただろ。標的があんただと見せつけたうえで村人を一人一人殺していく。あんたが隠れられないように、逃げられないように、居場所をなくすように追い詰める。そうやってあんたを山から追い出す。そのためには犠牲が必要だった。その嬢ちゃんを選んだのは、たまたまだということだ」
 名も知らぬ彼は、虚しさを込めた声で、我に問いかけた。
「つまりは俺の目的は果たされているということだ。だが、俺は、お前を討つことで、更に神を否定する。キュウコン、あんたはどうする? 俺を殺して嬢ちゃんの敵を討つか?」
 その問いかけに、我は首を横に振った。既に我はフウカを守れなかった時点で、もう何もかもどうでもよかった。彼女と一緒に海にも来ることができ、未練もなかった。もちろん彼の言う巫女制度を静観して彼女らを救わなかった責任感もないと言ったら嘘になる。しかし、彼には悪いが逆に我にとって都合がいいと思ってしまっていた。彼が幕引きをしてくれるのなら、誰も守れなかった我を裁いてくれるのならば……願ったりかなったりだった。
「そうか」
 彼は短くこぼした後、エンニュートに指示を出す。そうして、エンニュートとヤトウモリの炎が我へと襲いかかった。
 我は瞳を閉じて歴代の巫女のことを思い抱いていた。彼女らの姿を一人一人思い出していき、最後にフウカの笑顔を思い浮かべる。
 フウカ、我はお前を死なせた神を信じ切ることはできない。だから神のもとを去った。だが神よ、まだ我を見放さないでいてくださるのなら、我の魂をフウカのもとへ。我の生に終わりを。
 そう願うと、海原から誘うような潮風が吹いた。

  * * *

 しかし、いつまで待ってもその終わりはやってこなかった。
 熱気は感じているのに、不思議と痛くはなかった。瞼を開ける。そこには驚いた表情でこちらを見ている彼らの姿と、我の目の前で二つに裂けた炎の壁があった。炎が消え去った後、怪訝そうにしている我に彼は訊ねる。
「あんたの仕業じゃないのか?」
 慌てて首を横に振る。すると、背後の海から強烈な風が、水面を叩くほどの強風が吹き荒れる。小柄なヤトウモリは風に飛ばされ、それを彼の手下どもは風に押されながらも追いかけていった。不安定な足場に吹き荒れる砂の嵐が彼とエンニュートを襲う。しかし波打ち際に居た我には、風は一切攻撃する気配はなかった。彼とエンニュートが膝をつくと、風は緩む。しかし風は、いつでも彼らに砂を叩きつけることが出来ると警告しているような唸り声を上げていた。
 彼は痛みを堪えつつ、恐怖に震えつつ……笑った。
「これが、神風か。恐ろしいな、神の加護ってやつは」
 どうやら彼はこの風を神の仕業だと思ったようだ。しかし、我は得心がいったように、再び首を横に振る。もし我が人語を話せたとしても、この風の正体は、彼には理解できないだろう。
 それから我は、深く頭を垂れた。彼には悪いが、どうやら我はまだ死ねないらしい。それを伝えるための、一度きりの謝罪だった。
 我は彼に背を向け、海岸線を歩み始める。彼は我を追いかけようとする。だが風に遮られ、とうとう遠くなる我の姿を見ていることしかできなかった。
 じゃじゃ馬のような潮風が、いい香りを連れて我の隣を流れていく。我は久方ぶりに、笑みをこぼした。
 仕方がない。そこまでするのならば、もう少しだけ生きながらえてやろうと『フウカ』に告げると、風になった少女は嬉しそうな風音を立てた。
 そして我は、いつも彼女が歌ってくれていた懐かしい旋律を頭の中に描きながら歩いた。
 どこまでも、どこまでも、風と一緒に歩み続けた。


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