マサラのポケモン図書館 カフェラウンジ
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  [No.4070] バトルイズコミュニケーション 投稿者:P   投稿日:2018/02/15(Thu) 20:56:35   87clap [■この記事に拍手する] [Tweet]

 目と目が合ったらポケモン勝負、はトレーナーの常識の一つだ。見えるところに携えたモンスターボールはその勝負を受け入れる証でもある。
 男は自分の腰に提げたそれを、ポケモンを繰り出す動作の前準備として素早く撫でていく。既に勝負のためのルーチンの一つと化した動き。指先がつるりとした表面を通る度、始まる勝負に向けて気分が昂ぶっていくのが分かる。ボールの中に収まっていながらポケモンたちもまた高揚を隠さず、ボールごとがたがたと震えている。
 男の視線は真っ直ぐに、相対したトレーナーの動作へと注がれていた。ポニ大峡谷に吹き付ける強風に煽られた麦わら帽を片手で押さえながら、もう片方の手で鞄の中へ手を伸ばす観光客の女へ。
 人里さえ数えるほどのポニ島だ。雄大な大自然が残ると言えば聞こえはいい。その実が強力な野生ポケモンの多く棲む場所であることはアローラの住人ならずとも旅の経験があるポケモントレーナーならば察しはつくだろう。この島に長く住まう男でさえ、帰り道の不意の野生ポケモンへ備えるためバトルに使うポケモンも相手取るポケモンも一匹に留めるというポリシーを貫いているほどだ。
 そんな島に一人で足を踏み入れて大峡谷まで辿り着くことができる実力あるトレーナー。この場所にいるということは、女はそういう人物であるということだった。
 年若い女だ。大峡谷の外周、バトルフィールドに選ばれた平地を挟んで男と向かい合う姿を誰かが見たのなら親子とさえ見えるような。だからこそ面白いんだと男は心中でほくそ笑んだ。島巡りの一環としてこの地を訪れるトレーナーにも若くしてポケモンと通じた少年少女は多い。だがアローラの外にも若年ながらに実力あるトレーナーは溢れている。
 男はここでそんなトレーナーを待ち構えるのが好きだった。いつか勝負したホウエン出身の相手に、ナックラーのような男だと形容されたことさえあるほどに。
 見つめる先の女は早々と選定を終え、鞄から取り出したボールを高々と投げ上げる。現れたのは両手に紅青の薔薇のブーケを携えたポケモン。すらりとした二足歩行の姿、仮面じみた模様を持つ顔。頭髪とも花弁とも取れる頭部の白を残して全身を覆う緑の体色、そしてその両腕がその身に纏うタイプを教えている。
 しかし読み取ったそれを男が自らの選定に活かすには今一歩遅かった。相手を目にした時には既に男は繰り出すべきポケモンを決め、次の動作へ移っていた。
 腰に並ぶボールからひときわ大きく震える一つを選び取って、男はポケモンを放つ。見もせずに選んだからといってそれがどの種族か分からないほど手持ちとの付き合いは短くない。ベテラントレーナーとして、男は人一倍ポケモンバトルに対する自負を持っている。
 紅白のボールが空中で弾ける。データの光が一瞬にして固体へと変わり、鎧に身を固めた二足の人型竜が地を踏む。
 
「わ、ジャラランガ? だよね! ちょうど見に行くところだったんだ、もう生で見られるなんてラッキー!」

 一鳴きと打ち鳴らす両の拳、その腕と尾に広がる鱗のそれぞれがぶつかり合うけたたましい音で目前の相手を威嚇する姿を目にして女が歓声を上げる。戦闘の緊張感を削ぐような黄色い声に、男は僅かばかり眉を顰めた。
 対する女のポケモンは受ける威圧も背後の高い声もどこ吹く風といった調子で、隙なくジャラランガの出方を窺っている。このポケモンが相当に鍛えられていることは間違いがなかった。両腕、足、尾、鱗。女の口ぶりからすれば初めて見るはずのポケモンに対して、攻撃の起点となるであろう部位を的確に判断し警戒していることが読み取れた。
 誰かの鍛え上げたポケモンを借りてここまで来たか。あるいはこの女が、今そうは見えずとも手持ちをここまで鍛え上げるだけの力を持つのか。
 その判断を、男は観察ではなく一声に任せた。
 
「まずは小手調べだ、これだけで倒れてくれるなよ!」

 その言葉を聞くや否や、三つ爪を備えたジャラランガの脚が力強く地を蹴った。技名を呼ぶことすら要らないほどに男にもジャラランガ自身にも慣れ親しんだ、幾度となくこの場で繰り返してきた「小手調べ」の動きにして、最も自信を持つ一人と一匹にとっての言わば基本動作。
 鎧の下に隠された筋肉が力強く躍動する。相手の身長は自身の半分、横幅で言えばずっと劣るだろう。そこへ下方から拳を叩き込むためにジャラランガはごく低い前傾姿勢でその懐へと飛び込んで、そのまま片脚で踏み切った。格闘タイプの膂力を受け止めるにはあまりにも華奢と見える身体へ叩き込まれる、容赦のない『スカイアッパー』。
 吹き飛ぶ小さな身体が描く軌跡は、初めこそ放物線を描いていた。その動きはすぐに何かにつかえたように停止する。苦しげな声を僅かに漏らしたのは、仕掛けたばかりのジャラランガの方だった。攻撃を受け止めたと思しき片腕の花束はひしゃげ、そこに咲いた紅色の花は無残にも散りかけている。しかしもう片方の花束の奥からは蔦が伸び、備えた無数の棘をスパイクにジャラランガの片腕をしっかりと捉えていた。

「いい感じ! 逃げられないうちにどくどく仕込んじゃって!」

 女の声とともに未だ鎧竜の腕に巻き付いたままの蔦が脈動した。鱗に弾かれようと、鎧を纏わぬ肉へ深々と突き刺さった無数の棘が、内に秘した中空から注射針じみて毒を送り込む。
 その切れ長の面差しをとっても細い体躯をとっても流麗、優雅と称されて遜色ないポケモンだろう。しかしマスクのように顔を覆う部位から覗く赤い目の纏った雰囲気は、踊り子のような気品や科からはかけ離れていた。そこにあるのは、遠く噂に聞くポケモンマフィアもかくやというほどの冷徹さ。
 
「なんだ、全部計算のうちって訳かい?」
「アローラ、ロズレイドいないんだってね。あんまり毒タイプっぽくないってみんな言うから、これがよく決まるんだ!」

 勝利どころか策一つを決めただけながら、女は未だもって脳天気な表情でピースサインを決める。細められた瞼の奥にある目が笑っていないのが自分の思い違いかどうか、男は考えるのをやめた。
 仕掛けられた罠に自分達がまんまとはまってしまったのは明白な事実だ。ジャラランガは攻撃の要の一つである利き腕を捉えられ、今もその身のうちに広がりゆく異物の感触に顔を顰めている。相手が毒タイプであった以上、いくら体格差があるとはいえ先ほど放った拳の一撃も大した手傷を与えてはいないだろう。男もジャラランガも己の不利をよく理解していた。けれど同時に、それが覆せないほどのものではないとも確信していた。
 男がジャラランガを見る。その表情は身体を駆け巡る毒がもたらす苦痛に歪みながらも、まだまだ闘志を失ってはいない。むしろその心中でふつふつと煮えたぎる己の不甲斐なさと自分を陥れた相手への怒りのせいで、戦意はますます増しているようだった。
 
「ならその目論見、もろとも焼き捨ててやろうか! ジャラランガ、かえんほうしゃ!」
「えっ、なっ、使え、あーっ逃げてー!!」

 指示が飛ぶや否や、待ちに待ったとばかり竜の口ががばりと開く。その目に浮かぶ憤怒をそのまま具現化したような紅蓮の炎が見る間に喉奥から噴き出し、驚きに目を見開いた目前の相手へ襲いかかった。二匹を繋ぐ蔦は高熱の前にあっという間に黒く焼け落ちて灰へと変わり、トレーナーの高い悲鳴を背景にしてロズレイドは半ば転げ回るようにしゃにむに距離を取りその魔手の範囲から逃れる。
「一度止まれ、待つんだ! 相手をよく見ろ!」
 
 無事解放されたジャラランガも追おうとしたその動きを自らのトレーナーに制され、不承の意志をありありと宿す鳴き声を上げつつも足を留めた。
 未だ感情の動きが収まらないと見える女は自分のポケモンよりもよほど震え怯えた顔をしながら、ジャラランガとトレーナーに信じられないものを見る目を向ける。
 
「吐けるんなら最初から使えばいいじゃない!? 草ポケモンでしょどうみても! 草は炎に弱い、何ならトレーナーデビュー前の幼稚園児だって知ってるでしょ!?」
「何、焼いて一発で倒れたって面白くないんでね。半端な奴ならあれだけで沈むんだ、試すには十分だった」
「しんじらんない」

 思わずといった調子で呟く女の言葉に付き合う理由ももはや特にないことを、男は十分に承知していた。その実力を感じさせない軽い態度、毒を打ち込んでからの引き延ばしのような会話。本当にこの女の振る舞いは、どこからどこまでが計算してのことなのかがさっぱり分からなかった。
 焦げた臭いと煙を上げながら遠ざかったロズレイドが、体表に僅かくすぶる火を潰れた方のブーケで叩いて消していた。至近距離からの弱点属性技。疑いようもない痛打を与えたとはいえ、この底の読めない相手をジャラランガの怒りにまかせて深追いすれば先ほどの二の舞となるのは目に見えている。男は迎え撃つ側へと回る心積もりだった。まさしく先ほどの相手が行ったように。
 毒以外の手傷は片腕、それだけだ。過剰に時間をかければ毒が回りきるといえども、倒れるまで一刻一秒を争うほどに状況が切迫してはいない。焦りを覚えるような状況に置かれているのはジャラランガではなく、カードが割れた上に深手を負っているロズレイドのはずだ。その手の内がまだ見えきっていなくとも、何か必ずあと一度仕掛けてくると男は確信していた。
 敵が至近から外れたことで頭に上った血がいくらかは落ち着いたのか。待機を命じられた拳竜は今や主人の意図するところを汲み、その鋭い視線は再び二足で立ち上がった相手を注視している。技の起点となった両腕、同じ機能を持つとも知れない頭部に咲いた花がどこを向いているのか。その仮面の奥に隠された眼がどこを窺うのか。そのか細い脚に力の籠もる兆候はないか。その一挙手一投足へと注意を向けながら、いつ動きがあれども迎え撃ってやると言わんばかりに尾を揺らす。眼差しと鳴り響く騒音に宿る恫喝の色。
 
「だいじょうぶ、だいじょうぶ! ロズレイド! 私たちまだまだ絶対有利、わかってるでしょ?」

 弱った身体でその無言の圧力を受け止める手持ちへ女が言葉を掛けた。硬いもののぶつかり合う音の中でもよく通る高い声、明るく弾んだ口ぶりと自信に満ち溢れた目つきは勇気づけるため無理矢理に繕ったという風ではない。本心から無邪気に言葉通りのことを信じているのだろうと思わせる姿。
 その背に声援を受けたロズレイドの口元が、滲み出る自負にわずかに弧を描く。くるぞ、という男の言葉は発せられることがなかった。首元から背にかけて、そして尾、それに肩から腕。前に立って己と同じ方向を見つめる相棒の全身に力が込められたのを、自分と同じ予感を確かに感じていることを見て取ったからだ。
 女は笑みを崩さない。高まる感情に合わせて自分までもが拳を突き出しながら、高らかに命じる。
 
「やっちゃえ! 『ベノムショック』!!」
「絶対に通すな!!」

 その技名を耳にした瞬間に男は叫んでいた。もっともあっては欲しくなかった隠し球は、まだ相手の手中にあったのだ。
 確かにその音を聞き取ったロズレイドは両手を素早く擦り合わせ、その勢いのまま片腕を相手へと向けた。先から噴き出した、その二つの花色が交じり合ったかのような色の液体が捉えたのは残像。
 いつでも動けるよう準備を整えた状況を存分に活かし横飛びで逃れたジャラランガは、二射三射の追撃も軽快な動きで回避していく。格闘タイプの例に漏れずジャラランガの運動能力は決して低くはない。根を張ったように一点から動かないロズレイドが繰り出す直線の攻撃をかわすのはそう難しくもないことだ。
 しかし男にはこれがいつまでも続けられることではないのも分かっていた。激しい動きはそれだけ全身の毒を巡らせる。そして今もって放たれ続けているあのけばげばしい色の毒液は、別種の毒と反応してその効力を大幅に増幅する代物だ。当たったが最後、身体の内外からの毒に苛まれてジャラランガは戦う気力を失うだろう。その前にロズレイドへ最後の一撃を加える必要があった。
 だがそのために必要な、どうやって、の部分を決定的に欠いている。近づいて技を放とうとするのは自らあの毒へ頭を突っ込みに行くようなものだ。勢いを乗せなくとも放てる炎や爆音は、放つべく脚を止め体勢を整えるところを狙い撃たれるだろう。
 男が考えを振り絞る間も、鋼の鱗が立てる金属音は絶え間なく響き続けている。それしかないと結論づけるまでそう長くはかからなかった。その終着点に辿り着いた瞬間に口元が楽しげに歪んだのを、男は確かに自覚していた。
 
「ゼンリョクを燃やすぞ、ジャラランガ!」

 咆吼を上げるのにも似て男が叫んだその真意を、おそらく女は理解しなかっただろう。アローラに暮らす民が重んじる「ゼンリョク」の重みは、島々を囲む海の向こうに生きる者たちの言う「全力」のそれとは異なった色を持つ。
 それは無論、自分が現在持てるすべての力をこの場で出し切るという志でもある。そしてそれと同時に、出し切った自らの力が通用しなくとも受け入れるという覚悟だ。
 黄土色の輝石がはめ込まれた黒い腕輪。それを着けた左腕と着けない右腕を交差させた瞬間にわずかに電撃のような痺れを覚える。バトルを始める自分への合図にボールを選ぶように、男にとってそれもまた一つの合図だった。これから己の全力を解き放つということの。
 力強く応じるジャラランガの一声を聞きながら伸びゆく草木のように腕を真上へめいっぱい伸ばして、そのまま両腕を広げて下ろし青空に浮かぶ太陽のような円を形作る。アローラに広がる自然になぞらえた動作のひとつひとつをこなす度に身に宿る力は膨らみ、身体の違和は広がる。けれどそれはそれは今この瞬間も毒にその身を灼かれるジャラランガを思えば気にするまでもないような感覚だった。身体の前に突き出した両手を再び合わせて、腕輪が練り上げる力を送り込む先である相棒へと伸ばす。
 一度腕を引き、手を置く位置は顔の横側。わずかに開いた口元のように合わせた掌をも同様に開く。そのまま前へと腕を伸ばせば描く形は竜の口元。それがゆっくりと開いていく様は、まさしく炎を吐き出すために開いたジャラランガの顎。
 
「な、なにそれ――――!?」

 呆気にとられて状況を眺めていた女がようやく上げた声はもはや悲鳴じみていた。それはトレーナーが送り込んだZパワーが、今や金の燐光と化してポケモンを包み込んだことにも起因している。目に飛び込む光に瞼を細めながらも技を放ち続けるロズレイドが、後方でフィールドの全容を目にしているはずの指揮官の声にただならぬ事態を悟る。仰ぐべき指示が下される前に変化は起こった。
 躍動に伴って鎧竜の全身から放たれていた音そのものが、びりびりと空気を震わせ始めたのだ。タンバリンのように高く響くその音域は肉体が振動として感じ取るにはあまりにも高すぎるというのに。自身のトレーナーとは打って変わって冷静な様子を見せ続けていたロズレイドの表情にも繰り広げられる未知への驚愕や狼狽、そして迫り来る未知の攻撃への焦燥が浮かぶ。
 波立った心はそのまま繰り出す技にも影響し、撃ち出される毒液は精度を目に見えて欠いていく。その間を縫ってなおも跳ね回るジャラランガの動きが、現れてきた余裕の合間に一定のリズムと型をなぞり始める。
 尾や両腕を打ち合わせ、揺らし、回し、振り、掲げては下ろす。一跳びで身体の向きを変え、身体を屈めたかと思えば伸び上がる。様々な動きを交えて、全身の鱗をことさらに強く打ち鳴らす。その果てにぐっと腰を低く落とし、高々とロズレイドの頭上目掛けて跳躍する。
 もしも無策のままジャラランガがそのような動きをしたのなら、すぐさま撃ち落とされてバトルは終わりを告げていただろう。けれどそれは考え出された最適解としての行動だった。空中で膝を抱えるように身体を縮めたその姿は、全身に纏った鱗を身体の前方へと集中させるような体勢。顎を引ききった視界の確保が難しい姿勢で技を命中させる方法は一つ。すなわち、全方位へ無差別に攻撃を放つこと。
 『りゅうのはどう』にも似た、しかしそれよりもずっと強大なドラゴンタイプのオーラ。Zパワーの引き出した竜の真価が、轟音とともに解き放たれる。ロズレイドの足元、大峡谷を形作る岩が振動に耐えきれず砂へと崩れ、暴風のままに舞い上がる。
 結果の全容を二人のトレーナーが目にするには数秒の時間を要した。けれどそれよりも早く、二人は決着がついたことを理解していた。己のゼンリョクを貫いたジャラランガが上げる勝鬨の声によって。
 
「…………終わり、だよね」
「ああ。俺は一対一以上は、ここじゃ受けないようにしている。悪いがここで切り上げにしてくれ」
「うん」

 上の空で短く頷いた女は、今まで目にしたものが信じられないとばかりわざとらしく数度瞬きした。もちろん何度やったところでその目に映るものは変わらない。倒れたロズレイド、未だ立ち続けるジャラランガ、削れた地面、揮発し始めている毒液の水たまり。
 そうしてようやく女は現実を呑み込んだようで、

「……は――――、凄かった!!」

 そう、ひときわ大きく声を張った。初めてジャラランガを目にした時よりも強くその目を輝かせながら倒れた手持ちをボールへと収める。ありがと、と一声をかけながら。
 対する男は、応急処置のための薬品を取り出しながら自らのポケモンへ歩み寄る。その一歩目に少しバランスを崩すのは、Zワザを使った後としてはいつものことだ。年齢を重ねるにつれ、Zパワーが身体にもたらす負担を無視しきれなくなってきている。だとしても己のゼンリョクを振るおうと思える相手に出会い、戦えることはそれ以上に楽しかった。
 見事相手を打ち倒したジャラランガも実に満足げな表情を浮かべている。男のポケモンの中でも一番の負けず嫌いは、どうやら今日は随分機嫌良く過ごすことになりそうだ。腕の傷口に薬を吹き付けられた後、その姿もまた紅白のボールの中へ消える。
 その姿を見送った後、男は女へ目を向けた。聞きたいことはいろいろとあった。どこから来たのか、あのロズレイドというポケモンとはどれくらいの付き合いなのか、ジムバッジのような実力を証明する何かを持っているのか。
 しかし声を掛けようとした相手は、バトルの始まりにロズレイドのボールと入れ違いで鞄の中へとしまったスマートフォンをもう一度取り出して何やら写真を撮っているようだった。その意図はさほど理解できなくとも写真撮影程度ならどうせすぐに終わるだろうと待機を決め込んだ男の前で、満面の笑顔は衝撃に満ちた悲哀、そこから大きな後悔の表情へと変わる。
 
「ああああああああああああっ!?」
「何だ、どうした!?」

 スマートフォンを構えたまま血相を変えて勢いよくこちらを振り向く女に、男は何事かと内心慌てていた。向けられた表情が今やひどく必死なものなのもその心配に拍車を掛けた。何か、よくない連絡でも入ったのかと。
 例えば今すぐ里に下りたいというのならば取れる手段はある。荷物の中のライドギアへと手を伸ばしながら続く言葉を待つ男へ、女はスマートフォンのみならず空の片手までもを固く握り締めて叫んだ。
 
「さっきの凄いの動画に撮れなかったー!! ねえねえもう一回やって!? あの壁とかに!」

 その言葉が男の耳に入るまでは一瞬。そこからその要求の真意を理解するのにさらに数秒。そびえ立つ大峡谷の外壁を指差してなおも甲高い声で喚き続ける女の言葉よりも、吹き抜ける風の音の方がいやによく聞こえたのは果たして男の気のせいだっただろうか。
 間近でZワザを目にする者はアローラ出身者や島巡りの経験者であろうと決して多くはない。しまキング・しまクイーンやキャプテンに代表される、Zリングを持ちZワザを扱うに相応しい実力を持つトレーナー達を相手取りながら、そのゼンリョクを出させるだけの力を備えていなければならないが故。
 この女はその一人でありながら、その力も希有さもなにひとつ理解してはいないのだ!

「できねえよ!!!! Zワザを何だと思ってんだ!!!」
「えーっ!? じゃああの変な踊りだけでもいいからー!!」
「何が変だ!!! あれはアローラに伝わる――」
「わーん!! 絶対みんなめちゃくちゃ面白がってくれるのに――――っ!!!」

 その態度へ向けた心配とその実力へ向けた敬意を思わぬ形で存分に裏切られ、思わずゼンリョクの怒号で相手を叱り飛ばす男。当てが外れ訳も分からず怒られながら、重なる不運の理由を何一つ理解できず涙に暮れる女。
 大峡谷中のトレーナーが聞いたといわれる大声は、ブレイジングソウルビートよりも遠くまで響いたという。


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