「パニッシュメント」

586

「弥(わたる)ーっ! 早く来いよ!」

「待ってよ猛(たける)君……ぼく、そんなに早く走れないよ」

「だらしないやつだなぁ。そんなんだから、女の子と間違えられたりすんだよ」

「それは言わないでほしいなぁ……」

ぼくは「宮部弥」。条都地方の日和田市に住んでる、特徴の無い(と、ぼく自身そう思っている)小学生だ。ぼくを呼んでいるのは「赤辺猛」。ぼくの友達だけど、元気すぎるのが困りもの。ぼくはいつも、猛君に振り回されっぱなしだ。

「向こうに一回り大きなオニスズメがいたんだとよ! 見に行こうぜ!」

「オニスズメなんて、毎日見てると思うけど……」

「ばか。大きいオニスズメなんて滅多に見れるもんでもねぇだろ。ほら、行くぞ!」

「あ、待ってよ」

ぼくはこんな調子で、猛君の後ろについていく。いつものことだ。

「もうちょっと早く走れねぇのかよ」

「無理だよ。ぼく、体力ないもん」

「じゃあ、もっと走らなきゃダメだな。ほら、走れ走れ!」

「……なんだか、理不尽だなぁ……」

ぼくと猛君は、こんな関係だ。

 

「それにしてもよぉ」

「どうしたの?」

「何でこの村ってさあ、ばかみてぇにヤドンがたくさんいるんだろうな」

仲西商店のベンチでアイスを食べてたら、猛君がそんなことを言った。

「それは……ほら。外れに、ヤドンの井戸があるからじゃないかなぁ……」

「それはそうだけどよ、なんであんなとこにヤドンの井戸なんかあるんだ? ってことなんだよ」

「うーん……」

ぼく達が話しているのは、村はずれにある……みんなは「ヤドンの井戸」って呼んでる、ちょっと大きな井戸の事だ。

その井戸にはたくさんのヤドンが住んでいて、時々井戸を出て村にひょっこり現れることがある。ぼくもついさっき、二匹のヤドンが固まって座っているのを見かけた。今日だけじゃない。昨日も一昨日も見かけたし、多分明日も見かけると思う。それぐらい、ヤドンはこの村にとって「当たり前」の存在だった。

ヤドンはポケモンだけど、人を見ても少しもびっくりしないし、時々近寄ってくることもある。近寄ってくるだけで何もしないんだけど、その間の抜けた顔のせいで、一緒にいるとなんだかこっちもふにゃっとしてくる。気が付くと隣にいることもあったりして、村の人は結構可愛がってるみたいだ。

「わかんねぇよなぁ。こんなにヤドンがいるなんてよ」

「うーん……」

そんな時だった。

「なしてここにヤドンがいるかって? おめぇ、そんなことも知んねぇのか?」

「あ、山家のじじいじゃねぇか! なんだよ、俺たちになんか用かよ」

ぼくの近くに住んでいる、山家(やまべ)のおじいさんがやってきた。下駄をからころ鳴らしながら、僕達のそばまで歩いてくる。

「どうしたんだよ、こんな暑い時分に外なんざ出て。呆けちまったのか?」

「ろくでもねぇ口聞くんでねぇ。そんなことしてっと、トキワタリ様の罰が当たっぞ」

「トキワタリ様?」

山家のおじいさんが、聞きなれない言葉を口にした。

「ん? 宮部の坊ちゃんは知らなんだか。この村にゃあな、トキワタリ様の伝承があんだ」

「伝承?」

「夏の暑い盛りの夜になっと、悪いことしてる小童をひっつかまえて、どこかへ連れ去っちまうんだ」

「神隠しみたいなもの?」

「そんなもんじゃねぇ。トキワタリ様はな、小童をひっつかまえてどっかに連れ去っと、そいつをおらのひい爺さんが生まれるよりも、もっと前まですっ飛ばしちまうんだ」

「だから、『トキワタリ』様なの?」

「おう。すっ飛ばされたもんはだーれも知らないとこで、おいおい泣きながら消えていくんだと。おっかねぇ話だろ?」

「……………………」

ぼくはちょっと、その光景を想像してみた。

夜になると、見たことも無いような化け物が現れて、ぼくを連れ去っていく。化け物はぼくに呪いをかけて、ぼくの知らない、途方も無く昔の世界にぼくを飛ばしてしまう。ぼくは周りに知ってる人が誰もいない世界で、一人寂しく死んでゆく……

……ただ連れ去られるよりも、よっぽど怖いと思った。

それから少しすると、山家のおじいさんがまた口を開いた。

「おめぇら、聞いたことねぇのか? 森にある祠にゃ近づくなって」

「お母さんに言われたよ。あそこは危ないって」

「行ってみようと思ったけどよぉ、ヘンな婆さんにカミナリ落とされて参っちまったよ」

「バカ、あんなとこに近づくもんでねぇ。トキワタリ様の罰が当たっぞ」

「トキワタリ様なんていやしねぇよ! 子供騙しだろ? 子供騙し!」

「た、猛君……」

「……………………」

山家のおじいさんはしばらくむっとしたまま黙っていたが、やがて、

「……おめぇがどう考えようと構わねぇが、祠にだけは近づくんじゃあねえぞ」

そう言って、どこかに言ってしまった。

 

「ちぇっ。一生言ってろよ。あのクソじじい」

「た、猛君……」

猛君は妙に怒った調子で、山家のおじいさんがどこかに行った後もずっとぼやいていた。

「俺は信じねぇぞ。トキワタリ様なんて、いるわきゃねぇ」

「……………………」

しばらくの間、ずーっとこんなことを言っていた。ぼくはそれにどう言い返せばいいのか分からなかったし、言い返さないほうがいいや、って思ったから、黙ったままでいることにした。こういう時の猛君には、触れないほうがいい。

だって、それからちょっとすると、

「……ま、あんなじじいのことをぐだぐだ言っててもしかたねぇか。おい弥、行くぞ!」

「あ、待ってよ」

勝手に自分で気分を切り替えて、どこかに遊びに行くからだ。

「今日は川に行くぞ! 遅れずについてこいよ!」

「わ、ちょっと待ってよ……」

ぼくはそれをいつものように、ちょっと遅れながら追いかける。

(今年も暑いなぁ……)

せみやひぐらしのなく頃になると、ぼくはいつも決まってそう思う。夏は嫌いじゃないけど、走るときにすごく暑いから、ちょっと苦手だ。秋ぐらいが、ぼくには一番合っている。

 

「……?」

ぼくと猛君が川に行ってみると、そこには先客がいた。

「千尋ちゃん!」

「あ、猛に弥じゃない!」

「なんだよ……千尋じゃねぇか。こんなとこで何やってんだ?」

「見て分かんないのー? 乙女の川遊びってやつよ。水も滴るいい女、ってとこかしら♪」

「……いっぺん、落ち着いて鏡見たほうがいいと思ぐはっ!」

「乙女爆砕っ!」

猛君が言葉をいい終わる前に、千尋ちゃんの鉄拳が炸裂していた。猛君は思いっきり吹っ飛ばされて、川に沈んだ。こりゃあ、しばらく起き上がれそうに無い。

「これだから口の悪い男の子はいやなのよねー。身の程をわきまえないんだから♪」

「……うわぁ……」

「ねぇねぇ、弥はあんなのじゃないでしょ?」

「……ち、違うよ。ぼく、ぼくはそんなこと……」

「でしょーね。あたしの顔見てあんなこと言えるの、猛のばかぐらいのものだわ!」

(言える勇気なんか無いよ……)

千尋ちゃんはぼくや猛君と同い年で、ずっと前からの幼馴染だ。気が強くて、ついでに腕も強い。猛君と本気で喧嘩することもしょっちゅうで、しかも結構勝ってるからすごい。ぼくは猛君とも千尋ちゃんとも一度も喧嘩したこと無いけど、多分、すぐに負けちゃうような気がする。

「でもま、こんなに暑いんじゃ、川ぐらいしか来るとこないわよねー。うちにいたって暑いだけだし」

「今日は一人なの?」

「そうよ。真理恵ちゃんも愛美ちゃんもおでかけ。いるのはあたしだけ。あーあ。つまんないの!」

千尋ちゃんはそう言いながら、川の水をばちゃんと跳ねた。真理恵ちゃんと愛美ちゃんは千尋ちゃんの友達で、いつもは三人固まって行動している。ぼくと猛君みたいな関係だ。

「いててて……ちっとは手加減しろよ! 力だけはばかみてぇに強いんだからよ……」

「ふふーん♪ 乙女の拳に簡単にやられちゃうなんて、あんたも大したこと無いわねー」

「んだとこらぁ!」

「わ、猛君! 危ないよ!」

「うるせぇっ! そこをどきやうわぁっ?!」

千尋ちゃんに飛び掛ろうとした猛君が、何かに足を取られてもう一回転んでしまった。ばしゃーん、という音と一緒に、物凄い水しぶきが揚がった。

「きゃっ?! もうっ! 何すんのよっ! びしょびしょじゃないっ!」

「いててて……俺は厄年かつ厄日なのか……ん?」

「……どうしたのよ。あんたらしくない顔して……」

猛君は倒れこんだまま、右手にある草むらを見つめている。ぼくと千尋ちゃんも、その方向を見た。

すると、猛君がさっと起き上がって、

「……おい。ちょっとついてこいよ」

「……………………?」

その方向に向かって歩き始めた。ぼくと千尋ちゃんも、その後ろをついていく。

 

「……何よ、これ……」

「割れた……ビンの欠片……?」

「……………………」

そこにあったのは、粉々に割れた大きな薬ビンだった。飲み薬や錠剤を入れるような、濃い茶色をしたビンだ。

「それに……おかしいと思わない……?」

「……おかしいよ、これは……」

「ああ……なんでここだけ……」

ただビンが割れてただけなら、ぼくらもそんなに気にしなかったに違いない。でも、そのビンがあった場所は、他とは全然違っていた。周りを緑色の雑草に覆われたなかで、そこだけが違った。

「……なんでここだけ、草が綺麗に枯れちまってんだ……?」

「おかしいわよね……わざわざ雑草を抜いてから、ビンをえいやっ、って投げつけたわけじゃ無さそうだし」

「それに……土の色を見てよ。周りとちょっと違うよ」

「……ほんと。ちょっと青色になってる……」

「ひょっとすると……こん中にあった薬が、ここの草を枯らしちまったってのか?」

「何よそれ……薄気味悪ーい」

「……………………」

ぼくも薄気味悪いと思ったけど、猛君の言ったことは正しいと思った。割れたビンがあった場所の周りだけ、草が怖いぐらい綺麗に枯れてしまっていた。だったら、ビンの中に薬があったって考えるのが自然だ。

「……ねぇ、どうするのよこれ」

「なんかおもしれぇじゃん。みんなに教えてやろうぜ! 誰かが森ん中に薬撒いたってよ!」

「でも……まだそうと決まったわけじゃないし……」

ぼくは止めようとしたけど、一旦のってしまった猛君は止められない。千尋ちゃんも呆れ気味に、

「訳わかんないこと言いふらしてると、トキワタリ様の罰が当たるわよ?」

「なんだよ! お前もトキタタリがどうのこうのとか言うのか?!」

「ト・キ・ワ・タ・リ! タタリとか言わない! もうっ! ホントに罰が当たるんだから!」

「あーあー。分かった分かった。お前が山家のじいさんと同じ頭ってことはよぉーく分かったよ」

「……はぁ。これだから単細胞は……どうなっても知らないわよ、あたし」

そう言って、もう止めることもしなかった。

 

「みんなに話したらきっと驚くぜ! 何があったんだ? って感じでよ!」

「どうかしらねー。言わない方がいいんじゃない? ホントかどうかも分かんないのに」

「ぼくも言わない方がいいと思うなあ……」

川から帰る道の途中、ぼくらはずっとさっきのことについて話していた。猛君は言う気満々だったけど、ぼくと千尋ちゃんは正直言わないほうがいいような気がしていた。

「じゃあ、あれは何だって言うんだよ。お前、説明できるのか?」

「説明はできないけどさー……なんか、いやな予感がしない? ひょっとしたら、あたしたちが知っちゃいけない事だったのかも知れないわよ?」

「……………………」

ぼくも千尋ちゃんと同じ気持ちだった。あの光景を見たとき、ぼくはなんだか怖くなったからだ。場違いなものを見てしまったような、見たらいけないものを見てしまったような……そんな気がした。

 

ちょうど、その時だった。

 

「……おい。ちょっと止まれ」

「な、何よ。どうしたのよ」

「向こう、見てみろよ」

「……………………?」

猛君が立ち止まり、森の奥を指差した。すると、そこには……

「……何よ、あれ……」

「しーっ。静かにしてろ」

「……白服の人に……黒服の人……?」

白い服を着た研究者みたいな人と、黒い服を着た……ちょっといい難いけど、どっかのエージェントみたいな人が、森の奥で話をしていた。どっちも見たことの無い人だ。

「……なんであんなとこで話なんかしてんだ……?」

「うわ……なんだかちょっとヤバいわよ、これ……」

「あの人たち……一体、誰なんだろう……?」

ぼくは目を凝らして、その人たちの姿を見た。

「……………………」

そして、ぼくは気付いた。

「……あ! ねぇ、見てよ。あの白い服の男の人の右手……」

「……薬ビン?!」

「ひょっとして……さっきのビンじゃない?」

「うん……色も大きさも……ばっちり合ってるよ……」

白服の男の人が、さっきのビンを持っているのが見えたのだ。さらによく見てみると、中には青っぽい薬が入っていた。間違いなく、さっき見かけたビンと同じだった。

(一体、どういうことなんだろう……?)

ぼくは分からなくなった。あの人たちはなぜあんなところで話をしているのか、何の話をしているのか、どうしてあの薬ビンを持っているのか。ちっとも分からなかった。

「……あっ」

「終わったみたいね……」

「向こうに行くぞ」

ぼくが少し考えている間に、白服と黒服の人はどこかへ行ってしまった。ぼく達はそれをただ、じっと見つめていた。

 

「一体、何だっていうんだろうな」

「分かんないわね……あんなとこで何を話してたのかしら?」

「白服と黒服っていうのが、なんか怖いね……」

森を出てから、ぼく達はずっとさっきの白服と黒服の人たちのことを話していた。

「でも、なんか怪しくねぇか? なんかこそこそしてよ」

「あんまり関わらない方がいいわよ。何があるか分かんないし」

「そうだよぉ。関わらない方がいいよぉ」

「……って、いきなり出てくるなよ! 愛美っ!」

「いきなり出てくるのはまなりんの得意技だからねぇ」

「いつからいたの? っていうか、いつ帰ってきたの?」

「さっきだよぉ。お母さんと一緒にねぇ、買い物に行ってたんだよぉ。コガネのデパートに行ってきたんだよぉ」

ぼくらの後ろからひょっこり現れたのは、千尋ちゃんの友達の愛美ちゃんだ。愛美ちゃんはいつもこんな風に、突然会話に参加してくるちょっと変わった癖がある。あと、語尾が間延びした感じになるのも特徴だ。だから、いつも本当の歳より一つか二つ小さく見られるらしい。でも、愛美ちゃんは全然気にしていないらしい。ぼくはすごく気になるんだけどなぁ。

「関わらない方がいいって……どういうこと?」

「えっとねぇ。お母さんが言ってたんだよぉ。怪しい人についていくと、トキワタリ様にさらわれちゃうってねぇ」

「……って、またトキワタリ様かよ! お前もかよ!」

「本当だよぉ。怪しい人には関わっちゃいけないんだよぉ。お母さんから言われたんだよぉ」

「ま、怪しい人に関わっちゃいけないってのは正論ね」

トキワタリ様が〜っていうのは置いといて、ぼくも愛美ちゃんや千尋ちゃんの言うように、怪しい人には関わらない方がいいと思った。お父さんが言ってた言葉がある。えっと……そうだ。「君子危うきに近寄らず」だったっけ。危ないものには近寄るべきじゃない。昔の人が残した、格言だって言ってた。

でも、猛君は納得がいかないみたいだった。

「ああもう! どいつもこいつもトキワタリ様トキワタリ様って、ここはトキワタリ様の大安売りでもやってんのか?!」

「何言ってんのよ! この村はトキワタリ様のおかげで成り立ってるのよ? そんなことも知らないわけ?」

「そうだよぉ。トキワタリ様のおかげで、みんな仲良しこよしさんでいられるんだよぉ」

「関係ねぇじゃねぇか! 昔っから思ってたんだよ! みんな口揃えてトキワタリ様トキワタリ様トキワタリ様って、なんかの宗教かってんだ!」

「あーっ! いっけないんだーっ! そんな事言ってると、トキワタリ様に祟られちゃうんだよ!」

「怖いよぉ。トキワタリ様は大昔からずっとまなりんたちの事を見てるんだよぉ。まなりん達が何をしてたかも、みんな知ってるんだよぉ」

「……………………」

猛君と、千尋ちゃんと愛美ちゃんの間に、なんだか険悪な空気が流れ始めた。ぼくはちょっと距離を取って、三人の言い争いに巻き込まれないようにしていた。卑怯かも知れないけど、ぼくはどっちにも付けそうになかったからだ。どっちに付いても、付かなかった方と喧嘩しちゃう。そう思ったからだ。

「俺は信じねぇからな! もうそんな子供騙しはうんざりだ! お前らもいい加減に卒業しろよ!」

「あーあ。言っちゃった。あたし、ホントに知らないわよ? あんたがどうなっても」

「はわわぁ〜! 猛君、そんなこと言っちゃダメだよぉ。トキワタリ様はねぇ、『いる』んだよぉ。まなりん達の近くにねぇ。まなりん達が何をしてるかも、みんな『見てる』んだよぉ」

「ね、ねぇみんな、そ、そろそろその話やめない? ほら、猛君も落ち着いてさ……ね?」

だから、ぼくはもうこの話をやめさせようと思った。このままだと、本当にけんかが始まりそうだった。猛君も千尋ちゃんも、もうにらみ合いに入っている。愛美ちゃんはぼくの傍にいて、二人のことを見ていた。

「……ちっ」

「そーね。話しても分かってくれそうにないし」

「そうだねぇ。ちょっと空気が緊迫してたから、この辺でみんなやめておこうねぇ」

「……俺は信じねぇからな」

一応、これでこの話は終わった。はぁ。ぼく、こういうのは苦手なんだけどなぁ。

 

「それじゃぁ、また明日ねぇ」

「うん。気を付けて帰ってね」

「バイバイ! 明日もさっさと起きるのよ?」

「お前に言われることじゃねーよ」

夕暮れになって、ぼくは千尋ちゃんと愛美ちゃんと別れた。橙色の空が、二人の顔を同じ色に染めていた。

「……はぁ。今日はなんだか疲れちゃったよ……」

「こんくらいで疲れてどーすんだよ。ほら、帰るぞ」

「あ、待ってよ」

ぼくと猛君は家が近くだから、いつも一緒に帰っている。この辺りは人通りも少ないから、誰かと一緒に帰らないと不安になる。こういうときは、猛君がちょっと頼りになる。

帰り道が半ばぐらいに差し掛かった頃だった。不意に、猛君が口を開いた。

「それにしてもよぉ」

「?」

「あの白服と黒服、気にならねぇか?」

「うーん……なるって言えばなるけど……」

猛君が言っているのは、もちろん昼間に見かけた白福と黒服の人の事だ。白服の人が薬ビンを持っていたことも、ぼくには気になっていた。

「でも、あんまり関わり合いにならない方がいいよ。なんか……ちょっと、怖そうな感じだったし……」

「弥……お前、大概怖がりだよな。そんなんだから、女と見間違えられたりすんだよ」

「だから、それは言わないで欲しいんだけど……」

「俺は気になるな。ひょっとすると、この村で何かたくらんでるのかも知れねえじゃん。それを俺たちが止めたら、俺たちは村のヒーローになれるんだぜ?! なあ、いいと思わねぇか?」

「ええっ?! ちょ、ちょっと待ってよ。そんなの、危なすぎるよ……相手は大の大人だし、ぼくたちだけでどうにかなるような……あれ?」

「……どうした?」

「向こう……見てよ」

ぼくは向こうを指差した。そこには……

「……白服と黒服……?!」

「ねぇ……さっきと同じ人……だよね?」

さっき見かけた白服の人と黒服の人が、今度は電柱の近くで何か話をしていた。

「多分な……とりあえず、様子を見てみようぜ」

「う、うん……」

ぼくと猛君は物陰に隠れて、白服の人と黒服の人の様子を見ることにした。

「黒服のほうは……あれ、電話か何かか?」

「電話……に見えるね」

「白服は……あ! またあの薬ビン持ってるぞ!」

「じゃあ、やっぱり……」

「あいつら……ここで一体何やってんだ?」

「なんだろうね……」

白服の人が傍に立って、黒服の人が何か作業をしている。ぼくらはそれを、黙ったまま見つめている。もちろん、向こうはぼく達が見ていることを知らない。電柱に……何かを取り付けてるみたいだ。

それからしばらくすると、白服の人と黒服の人はどこかへ行ってしまった。

「行ったな……」

「行っちゃったね……」

それを合図にして、ぼく達は物陰から出て、また歩き始めた。

(一体、何なんだろう……)

疑問だけが、ぼくの中で膨らんでいった。

 

「なぁ……気にならねぇか? あいつらが何やってるか」

「そりゃあ……気にはなるけど……」

「俺はあいつらが何やってるか気になって仕方ねぇぞ。ひょっとしたら、とんでもねぇことをしようとしてるのかも知れねぇじゃねぇか」

「で、でも……」

猛君はものすごく勢い込んで、ぼくに話しかけてきた。どうやら、ぼくも一緒にあの人たちの事について調べて欲しいらしい。

「なあ弥、あいつらが何やってるか、俺たちで暴いてやろうぜ! きっととんでもねぇことになってるに違いねぇからよ!」

「え、あ……」

「いいな! あいつらのこと見かけたら、すぐに俺に教えるんだぞ! 分かったな!」

「う、うん……」

「よし! じゃぁな!」

「うん……バイバイ」

一人でどんどん決めちゃって、猛君は自分の家の方向へ走っていった。ぼくは口をぽかんと開けたまま、

(……どうしよう……)

ちょっと困った気分だった。正直、ぼくはあんまり係わり合いにならないほうがいいと思っていたし、猛君にも危ない目には遭って欲しくなかった。だから、ぼくは困っていた。

ぼくがそうやって、そこでぼんやり立っていた時だった。

「あれれー? 宮部さんちの弥くん? どうしたんですかー?」

「あ、美崎さん。こんにちは」

近くに住んでいる、美崎さんが姿を見せた。美崎さんは高校生の「お姉さん」で、ぼくは前からちょくちょく面倒を見てもらっている。愛美ちゃんや千尋ちゃんとも知り合いだって聞いた。

「こんにちはっ。猛くん、今日は一緒じゃないんですか?」

「うん。さっきお別れしたんだ」

「あっ、そう言えば猛くんの家、向こうでしたねっ。たははっ。渚っち、そそっかしいです」

「それで、美崎さんはどうしてこんなところにいるの?」

「えっとですねー」

美崎さんは口に人差し指を当てて、何かを考えるようなポーズを取った。ぼくはこの美崎さんのポーズを、もう何回も見ている。美崎さんの「くせ」みたいなものだ。

「むむむむー……ちょっと思い出せないです……もうちょっと待ってくださいです」

「……………………」

「むむむー」

「……………………」

「むむー」

「……………………」

「むー……」

美崎さんは「む」というたびに首を傾げていって、あとちょっとで九十度まで曲がりそうになった……その時だった。

「こらーっ! 渚ーっ! あたし一人に荷物持ちさせて、あんたは子供と遊んでるってのは一体どーいう了見だーっ!」

「あっ、愛子さんっ。そうでしたっ。愛子さんと一緒に買い物に出てたんでしたっ」

「……どーすれば外に出た目的を忘れられるのよ、あんたは……」

美崎さんより三つぐらい年上の人が、スーパーの袋をぶら下げて、汗だくになって出てきた。ぼくが見てても、すごく暑そうだ。

この人は神崎さん。神崎愛子さん。美崎さんの家に居候をしている、ちょっと大人のお姉さんだ。ぼくが知ってる人の中では、一番大人っぽい人だ。それに、髪もきれいだ。

「こんにちは」

「あ、宮部さんとこの子ね。こんちは。お母さん、元気にしてる?」

「うん。お姉さんの腹話術、また見たいって言ってたよ。ぼくも見たい」

「あら、いいこと言ってくれるじゃない。いよっしゃ。また見せたげるから、お姉さんとこに来なさいね」

「うん」

でも、得意技は腹話術。見た目からはちょっと想像できないけど、これがすごくうまい。ぼくもお母さんも、初めて見た時はびっくりした。手に持った人形が、本当にしゃべってたみたいなんだ。お母さんも、同じことを言っていた。

「えっと……そういえば、弥くんはどうしてこんなところにいたんですか? ちょっと、考え込んでるみたいでしたけど……」

「どうしたの? 悩み事でもあるの? もしそうなら、お姉さんたちが相談に乗るわよ」

「悩み事、っていうほどじゃないんだけど……ちょっと、気になることがあるんだ」

ぼくは神崎さんと美崎さんに、お昼見たことを話した。

黒服の人と白服の人、それから、割れた薬ビンのこと。ぼくは見たこと聞いたことを、ありのまま全部話した。

「弥くんっ、それ、絶対怪しい人じゃないですかっ。近寄っちゃダメですよっ」

「そうね。係わり合いにならないほうがいいと思うわ。危ないわよ」

「うん……ぼくもね、ヘンに関わっちゃだめだと思ってるんだ。でも、猛君は止めるって言って聞かないんだ」

「ぐぬぬー……それは困りましたねー……愛子さん、どうしましょう?」

「どーするもこーするも、子供が手を出して無事で済むとは思えないじゃない。やめた方がいいわよ。ホントに」

「やっぱり、止めた方がいいよね……ぼく、明日言ってみることにするよ」

ぼくがそういうと、二人は安心したような表情を浮かべて、こんなことを言った。

「それがいいですよっ。悪い人は、トキワタリ様が懲らしめてくれますからねっ」

「賢明な判断ね。弥くんって、冷静な判断ができるとこがいいわね。ちっこくて女の子っぽいのはマイナスだけどねー」

「神崎さんまで言う……ひどいよ。ぼく、気にしてるのに」

「あはは。冗談冗談。ま、背はこれから伸びるから、大丈夫大丈夫」

神崎さんと美崎さんに言われて、ぼくはやっぱり、猛君を止めた方がいいと思った。

「ふぃー……さて、そろそろ帰りますか。英二がお腹空かせて待ってるわ。行きましょ、渚」

「あっ、はいっ。それじゃあ弥くん、さようならっ」

「さようなら」

「あ、ちょっと渚。あんたも片方持ってよ。あたし、もうへとへとなんだから」

「あっ、はいっ。それじゃあ、こっち持ちますねっ」

神崎さんと美崎さんが、二人並んで帰っていった。

(ぼくも帰ろう)

そう思って、歩き出そうと思った。

その時だった。

「……やあん?」

「あ、ヤドンだ」

気が付くとぼくの隣に、一匹のヤドンの姿があった。ぼくの隣にいて、沈んでいく夕日を見つめている。

「ヤドン、元気にしてる? ぼくは元気だよ」

「……やあん?」

「ヤドンって隣にいるだけで、ぼくもふにゃっとした気分になっちゃうんだよ。不思議だね」

ぼくはヤドンの背中を撫でてあげながら、沈んでいく夕日を見た。もうそろそろうちに帰らなきゃ、お母さんが心配しちゃう。帰ろう。

「じゃあね。ヤドン。また明日ね」

「……やあん?」

ヤドンは最後にそう言って、ぼくをじっと見つめたままそこに佇んでいた。ぼくはヤドンの視線を受けながら、家につながってる道を歩いた。

 

「それでね、ぼく、今日ちょっとヘンなものを見つけたんだ」

「ヘンなもの? どんなものかしら?」

「えっと……割れたビンがあって、そこの周りだけ草が枯れてたんだ」

ぼくは晩ご飯で、お母さんに今日見たことを言った。今日の晩ご飯は、親子丼とおすましだった。お父さんはまだ帰ってきてない。今日は残業で遅くなるみたいだった。

「それで、それはどうしたの?」

「なんだかヘンだったから、触らずにそのままにしてきたよ。割れたビンに触って、怪我しちゃダメだったし」

「そうそう。それでいいのよ。そういうのには何が付いてるか分からないから、下手に触っちゃいけないのよ」

「うん。それでね、ヘンな人も見たんだ」

「あらあら……どんな人だったの?」

「割れたビンがあった場所の近くにいて、白い服を来た男の人と、黒い服を着た男の人だったよ」

ぼくがそう言うと、お母さんは心配そうな顔をして言った。

「まぁまぁ……変なこと、何もしなかったでしょうね?」

「うん。ちょっと怖かったから、隠れて見てただけだよ。何もしてない」

「危ないから、怪しい人には近づいちゃダメよ。そういう時は必ず、大人の人に言わなきゃ」

「そうだよね。やっぱり、そうだよね」

「そうよ。あんまり危ないことをしてると、トキワタリ様の罰が当たるのよ。他の人にも言われたでしょ?」

「うん。いろんな人に言われたよ。山家のおじいさんに、愛美ちゃんに千尋ちゃんに、あと美崎さん」

そう言えば、ずいぶんいろんな人に言われた気がする。今まであんまり聞いたこと無かったけど、「トキワタリ様」はこの村ではすごい存在みたいだ。どんな神さまなんだろう。

「さぁさ、ご飯が冷めちゃうから、早く食べちゃいなさい」

「はぁい」

「それと」

お母さんはそう言ってから、

「怪しい人には、絶対に近づいちゃダメよ」

「うん」

もう一度ぼくに、念を押した。その時の顔が、いつもよりちょっと真剣に見えた。

(やっぱり、そうだよね)

ぼくは特に気にしないで、親子丼を食べた。

「次のニュースです。常盤市のポケモントレーナー、石渡光(いしわたり・ひかる)君十六歳が行方不明になってから、丸二日が経とうとしています……」

テレビで、ニュースをやっていた。

 

次の日の朝、ぼくは朝早く起きて、ラジオ体操をしに外へ出た。こう見えてもぼくは毎年夏になると、毎日欠かさずラジオ体操に行っている。ぼくのちょっとした自慢だ。

ぼくがラジオ体操をする公園に行ってみると、そこにはまだ誰も

「にゃは! よっす! わたっこ! もまいも来てたのかえ?」

「わっ!? ……来てたの? 真理恵ちゃん……」

……いないと思ったら、もう既に一人いた。愛美ちゃんと千尋ちゃんの友達、真理恵ちゃんだ。ちょっと見てもらったらすぐに分かるけど、ものすごくマイペースな子だ。

「にょほほー。真理恵は早起きなんだぞよ。わたっこも早起きなんだなー。ほめてやるぞー」

「……どうでもいいっていうかどうでもよくないけど、その、『わたっこ』って呼び方、やめて欲しいんだけどなぁ……」

「にゅふふ。気にしちゃ負けだぞよ♪ わたっこ!」

あと、しゃべり方がヘンすぎると思う。こんなしゃべり方する人、真理恵ちゃん以外にいたらすごいと思う。絶対にいないと思う。なんていうか、いたらすごく困ると思う。

「にょが! こらぁ、わたっこ! 今こっそりこそこそ真理恵にひどいこと言ったなー?」

「い、言ってないよ」

「にゃはは。それもそーか。もし言ってたら、真理恵がわたっこをぼこぼこにのしてやるところだったぞよ♪」

「……………………」

ちなみに、千尋ちゃんとやり合っても負けないぐらい、けんかも強い。年に二回ぐらい、すごいけんかをするんだけど、次の日にはまた仲直りしてるからびっくりだ。

「にょはー。しかし、めがっさ暑いにょろねー。今年の夏は一味違う、ってやつなのきゃ?」

「暑いのは暑いよね。まだ結構朝早いのに……」

「うー。暑いのは苦手だーっ! 早く冬になれーっ! 雪だるま作らせろーっ! みかん食わせろーっ! こたつ持ってこーい!」

ちなみに、なんとなく分かるとは思うけど、冬になると決まって「寒いのは苦手だーっ! 早く夏になれーっ! 海で泳がせろーっ! スイカ食わせろーっ! 花火持ってこーい!」と叫んでいる。すごく分かりやすいなと思った。

「ところで、千尋ちゃんと愛美ちゃんは?」

「んに? ひろひろとまなまなはまだ寝てるみたいだぞよ。にゃはは。起こしに行ってもいいんだけど、真理恵はどちらかと言うと優しくておとなしい子だから、寝たい子は寝たいだけ寝かせてやるんだぞよ。にょほほ!」

「……………………」

ちなみに、学校の通信簿にはいつも「ちょっと元気がありすぎます」と書かれているらしい。

まだ時間があったから、ぼくは話を変えてみた。

「あのさ……真理恵ちゃん、最近ヘンな人見なかった?」

(びすぃ)

……無邪気かつ満面の笑顔でぼくを指さす真理恵ちゃん。腕がぴんと伸びている辺りがなんとなく嫌だ。というか、すごく嫌だ。少しも躊躇わずにぼくを指差す辺りがなんだかものすごく嫌だ。「嫌」を通り越してもう「厭」ですらある。

「……いや、そうじゃなくてさ……」

「にゃはは。ジョークジョーク。ここはジョークアベニューだぞよ!」

「……はぁ」

真理恵ちゃんといると、時間が経つのは早いけど、その代わりものすごく疲れる。話がちっとも前に進まないからだ。

「例えばさ……その、白い服とか黒い服を着た人なんだけど……」

「うにー。そーいうのは見たこと無いけど、あれだぞよ。怪しい人に近づいてると、もまいも怪しい人に見られちまうってやつだぞよ? ぞよ?」

「うん。昨日ね、怪しい人を見たんだ。だから、真理恵ちゃんにも言っておこうと思って」

「およ! わたっこ、もまい、結構いいとこありありではぬわいかっ! どもどもだぞよっ! にゃはは。心配してくれるのはうれしいぞよ。でもでもー、真理恵にはトキワタリ様が付いてんだからなっ」

「トキワタリ様か……」

出てきた。「トキワタリ様」だ。やっぱり、すごい神様なんだ。

「真理恵だけじゃないぞよ。もまいにも、ひろひろにも、まなまなにも、なぎなぎとあいこのおねぇにも、その他諸々その他大勢の傍にも『いる』んだぞよ。なんつっても、ここの護り神様だからにゃー。にゅふふー」

「護り神様か……」

ぼくが真理恵ちゃんと話をしていると、

「なんだよ。もう来てたのか。相変わらず朝だけは早いな、お前」

「あ、猛君。おはよう」

猛君が来た。すると、真理恵ちゃんが一歩前に出た。なんとなく分かると思うけど、真理恵ちゃんと猛君は本当によくけんかをする。びっくりするぐらいどうでもいいことで、とんでもないけんかをする。

「にょわ! 何し来たんだーっ! 赤辺猛ーっ!」

「何しにって、ラジオ体操に決まってんだろ。ばかかお前は」

「なんだとーっ! ばかって言った方がばかなんだぞーっ! ばかはもまいの方だぞよーっ! やーいやーい!」

「んだと?! やんのか?! 俺とやるってのか?!」

「も、も、も、もまいーっ! そ、それが十歳児に向かって言う言葉なのきゃーっ?! うきょらーっ! きろきろーっ! とっぴろきーっ! こーなったら『じつりょくこーし』だぞよっ! ボール構えろーっ!」

「言われなくてもやってやらぁ! 前々からお前は訳が分からなくて腹立ってたんだっ! ここで決着つけてやる! 行けっ! ヤンヤンマっ!」

「にゅぐ! あいにく真理恵はその身に降り掛る火の粉は全力で綺麗さっぱり後腐れも例外も容赦もなく希望と絶望の虚空の彼方に華麗に美麗に壮麗に吹っ飛ばす主義だぞよ! がんがれ! ケケっ!」

「わ、二人ともっ……!」

ぼくが止める間もなく、猛君と真理恵ちゃんがポケモンバトルを始めてしまった。猛君はヤンヤンマ――トンボのような見た目をしてるけど、正確なモチーフは「鬼やんま」らしい。この辺ではそんなに珍しくないポケモンだ――を場に出して、真理恵ちゃんはケケっていうあだなのニャース――あえて言うなら、二足歩行するねこってとこ。頭についた小判がチャームポイントで、光物が大好き。ちなみに、真理恵ちゃんも大の光物好きだ――を場に出した。こうなると、ぼくはもう……

「いけっ! 『ソニックブーム』だ!」

「なんの! 『ねこにこばん』だぞよ!」

「ちょっと、二人ともっ!」

「負けるかっ! 『たいあたり』っ!」

「にゃはは! 『みきり』っ!」

「二人ともってば!」

「このやろ! 食らえっ! 『ちょうおんぱ』っ!」

「にょわーっ! ケケっ! 立つんだケケーっ!」

「……二人とも……」

「いいぞいいぞ! そのまま『スピードスター』でトドメだっ!」

「……と見せかけて『ひっかく』攻撃ぃーっ! 」

「……………………」

「あっ! こらてめぇ! 俺のヤンヤンマに……こうなったらとっておきだ! 『きしかいせい』っ!」

「させるかーっ! 『ものまね』っ! 同じ技を食らって驚けーっ!」

「二人ともっ!」

……ぼくはもう、「奥の手」を使うしかなかった。

(ぐおんっ)

「おわっ?!」

「にょわ!?」

すさまじい風が、二人の間に割って入った。ヤンヤンマもケケも、それに猛君に真理恵ちゃんも、面食らったようにその場に立ち尽くしている。そして、ぼくの傍らには、この中で一番大きな影。

それは……

「そのまま続けたら、二人とも吹き飛ばすよ」

「……ご、ごめん。わ、悪かった……」

「しょ、正直スマンかったぞよ。だ、だからその……あれぞよ……ねぇ、猛ちん……」

「お、おう……た、頼むから、ら、『ライティ』はよしてくれない……か?」

「もう続けない? もうけんかしない?」

「し、しないしないっ。竹刀は竹の刀と書いてしないと読むんだぞよっ」

「お、俺もだっ。こ、これは本当だぞ」

「……………………」

ぼくが大切にしている、ピジョットのライティだ。ぼくの何倍も大きくて、ぼくを乗せて空を飛ぶこともできる。こう見えても、村の中でライティに勝てるポケモンは……多分、いないと思う。この村でリーダーをしてる、ツクシ兄ちゃんがそう言ってくれたから。

ライティはまだポッポだったときに、大怪我をしてぼくの家の近くで倒れていた。ぼくがそれを見つけて、怪我を治したんだ。元気になったら元に返してあげようと思ってたんだけど、すっかり懐いちゃって、今じゃぼくの一番のパートナーになった。体は大きいけど、すごく優しい。

「……ほんと、これだけは一生勝てそうにねぇよ……」

「んに。前に真理恵とひろひろとまなまなと赤辺猛とよってたかって挑んだけど、一瞬で負けちったしにゃー」

「ポケモンに関してだけは天才だと思うぜ。お前」

「にゃはは。真理恵もそー思う。誰だってそー思う」

「……それって、ほめてるのかけなしてるのかよく分からないんだけどなぁ……」

「ま、トキワタリ様とかいうよく分かんねぇ神様よりかは信頼できるのは確かだけどな」

猛君のこの言葉を聞いた途端、真理恵ちゃんが前にずずいと体を乗り出してきた、

「こらーっ! トキワタリ様をばかにすると、目ん玉飛び出るぐらいのすんごい罰が当たるんだぞーっ! 可及的速やかに撤回するべきだーっ!」

「うるせぇ。いるかいねぇかはっきりしない神様なんか信じてるほうがどうかしてるんだよ」

「むきーっ! どーなっても知らにゃいんだからなーっ! もまいなんか、ヤドンになっちまえばいいんだーっ!」

「……ヤドン?」

真理恵ちゃんが突然「ヤドンになってしまえばいい」なんてことを言い出したから、ぼくは面食らって聞き返した。

「うにゅ。トキワタリ様を怒らせると、ヤドンにされて一生そのままヤドンのままでいなきゃいけなくなるんだぞよ」

「なんだか……ちょっと、怖い話だね」

「怖いぞよ〜。真理恵はこれをおばあちゃんに耳にねこができるぐらい聞かされたんだからなっ。もう覚えちったぞよ」

ぼくが頷くと、真理恵ちゃんは腰に手を当てて胸を張って、

「まっ、真理恵みたいなおとなしくて優しい良い子悪い子普通の子は、トキワタリ様がしっかり守ってくれるけれ。もまいみたいなちょっと女の子っぽくてミニっこいやつなら安心だぞよ! にゃはははは!」

「……ぼく、そんなに女の子っぽいのかなぁ……」

なんだかいろんな人に立て続けに言われて、ぼくは自信をなくしそうだった。こう見えても、ちゃんと男の子なんだけどなぁ。

「……………………」

猛君はちょっとむっとした表情のまま、腕組みをして立っていた。

 

「のびのびと、深呼吸ー」

「……………………」

ラジオ体操が終わって、スタンプを押してもらった、その後のこと。

「なあ弥、ちょっと来いよ」

「えっ? どうしたの?」

「見せたいもんがあるんだよ」

ぼくは猛君に袖を引っ張られて、人影の無い茂みに入り込んだ。

「どうしたっていうの?」

「これ、見てみろよ」

「……?」

猛君が差し出したのは、小さな機械のようなものだった。ポケットベルみたいにも見えるけど、ボタンが見当たらない。なんだろう? これは……

「これ……何?」

「昨日黒服が電柱でごそごそやってただろ? そん時に電柱に付けられたやつだよ」

しれっという猛君に、ぼくは天地がひっくり返ったと思うぐらいびっくりして、上ずった声で聞きかえした。

「も、もしかして……か、勝手に持ってきたの?!」

「たりめーだろ。誰に断る必要があんだよ」

「で、でもさ……それって……すごく危ないよ」

「そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ? 何が起きてるのか、知りたくねぇのか?」

「……………………」

本当はぼくだって、あの人たちがここで何をしようとしてるかは知りたい。でも、危ない人には関わるべきじゃない。ぼくはやっぱり、そう思っている。

でも、猛君は違うみたいだ。

「俺は絶対に突き止めてやるからな。あんな白服や黒服、怖くなんかねぇよ」

「み、猛君……」

「俺は一人でもやってみせるぞ! 行くぜっ!」

「わ、ちょっと、猛君っ!」

猛君はついにぼくを置いて、どこかへ走っていってしまった。それだけならまだいい。

「猛君っ!」

それだけなら、まだ良かったんだ。

「これっ、忘れてるよーっ!」

……ぼくに手渡した小さな機械を忘れたまま、どこかへ走っていってしまったのだ。

 

「どうしよう、これ……」

手の中で機械をいじくりながら、途方に暮れてそこに立っていた。こんなの、ぼくが持っててもどうしようもないと思うんだけどなぁ。やっぱり、あった場所に返しに行ったほうがいいのかなぁ。

「……でも、どういう風に取り付けてあったんだろう……」

手の中の機械を見てみたけど、取り付けができそうな部分は見当たらなかった。それどころかよく見ると、機械は何かから無理矢理剥がされたような感じになっていた。猛君が力任せに引っ張って、無理矢理外して来たに違いなかった。

「どうしよう……これじゃ、取り付けもできないよ……」

ぼくはどうしようもなく途方に暮れて、仕方なくその場に立ち尽くしていたときだった。

「あ、弥の兄ちゃん」

「守君……あれ? 千尋ちゃんは一緒じゃないの?」

千尋ちゃんの弟の守君が、ひょっこり姿を見せた。腕の中に、コラッタ――紫色のねずみのポケモン。おとなしい性格で、この辺りだと本当にたくさん見かける――を抱いている。すやすやと気持ち良さそうに眠っている。かわいいな、と思った。

守君はあくびをひとつして、ぼくの質問に答えた。

「うん。姉ちゃん、昨日夜遅くまで宿題やってたみたいだから、今も寝てるんだよ」

「そう言えば、真理恵ちゃんがそんなこと言ってたかなぁ」

「ホントは僕も眠いんだけど、姉ちゃんが自分のスタンプも押してきてくれって言ってさー、僕だけ来たんだよ」

「……守君も、大変だね」

「……うん。姉ちゃん、みんなに迷惑かけてないかなぁ……僕、それが心配なんだ」

守君はぼくより二つ年下の男の子だ。おとなしい性格で、ぼくとはすごく気が合う。歳の差なんて、あんまり関係ない。

「大丈夫だよ。猛君とは時々ちょっとけんかしてるけど……」

「……はぁ。姉ちゃん、すっごく気が強いからなぁ……ぼくもコラすけも、姉ちゃんにはかなわないや」

腕の中で寝てるコラッタをそっと撫でながら、守君がぼやいた。守君とコラッタのコラすけは、ぼくとライティと同じぐらいずっと一緒にいるらしい。

「ところで、弥の兄ちゃん、姉ちゃんから聞いたんだけど、なんか怪しい人がいたんだって?」

「うん。白い服と黒い服を着た怪しい人が、この辺りにいたんだ」

「そうなんだ……なんだか、怖いね。前にも怪しい人がいて、ちょっとした騒ぎになったし」

「……そう言えば……」

ぼくは守君に言われて、少し前のことを思い出してみた。

 

確か、二年ぐらい前のことだった。

この村にいた「有明晴海」さんという人が、急にいなくなったのだ。村のみんなが手分けして探したけど、結局有明さんの手がかりは何一つ見つからなかった。そして、今も有明さんは帰ってきていない。

それがこの村で起きた「有明さん失踪事件」だ。

この有明さん失踪事件は、テレビとかでも結構取り上げられてた。普段は何もないこの村に、テレビカメラを積んだ大きな車とかがわっと押し寄せたから、ぼくもよく覚えている。そう言えば、美崎さんがマイクを向けられて、取材に答えてたような記憶もある。

その時に話題になったのが、「白服の男」だった。

……「白服の男」は、有明さんがいなくなる一週間ぐらい前から村でちょくちょく目撃されてて、警察もその人が怪しいと踏んで捜査をしたって聞いた。しばらくはどこを見ても警察の人がいるぐらいだったから、かなり力を入れて捜査をしたんだとは思うけど、結局「白服の男」と有明さんを結ぶ手がかりは見つからなかったらしい。

それに前後して、もう一つ話題になったことがある。「毒の家」事件だ。

有明さんが失踪して一ヵ月ぐらいが経った後に、警察が一軒の家に家宅捜索に入った。そこは村の外れの外れにある誰も住んでいない物置小屋で、気に掛けてる人は誰もいなかった。でも、その辺りで「白服の男」の姿が見られたっていう情報があって、警察はその真偽を確かめるために捜索に入ったらしい。

そこに「白服の男」はいなかった。でもその代わり、とんでもないものが見つかった。

……よくは覚えてないけど、この村にあるはずのないような、高度で、しかも危険な化学薬品……何とか過酸化マンガンとか、酢酸なんとかアルコールだとか、とにかく、大学の倉庫にあるような高度で危険な薬品が大量に見つかったのだ。とりあえず押収はされたみたいだけど、後になって「関係はない」と分かったみたいで、元に戻されたらしい。

その小屋は、今は立ち入り禁止になっている。

 

有明さん失踪事件は、テレビとかで「バックに大企業の影?」だとか、「カルト集団による拉致事件」だとか、いろいろな尾ひれを付けられて一ヶ月ぐらいずっと取り上げられてたけど、しばらくするとそれがぴたっと止んだ。村の人は「やっと静かになった」と言ってたけど、ぼくは「どうして急に収まったんだろう?」という疑問の方が強かったのを覚えている。

「そんなことも、あったよね」

「うん。だから、弥の兄ちゃんも気を付けてね。弥の兄ちゃん、ちょっと女の子っぽいから、間違ってさらわれちゃったりするかも知れないから」

「……なんでみんなぼくのこと、女の子っぽいっていうんだろう……」

まさか、年下の守君にまで言われるなんて思ってなかった。ぼく、本当に男の子なのかなぁ。大丈夫かなぁ。心配だなぁ。もし女の子だったら、どうしよう。

「それじゃあ、そろそろ帰らないとお母さんが心配するから、僕帰るね。さよなら」

「うん。バイバイ」

ぼくは守君を見送って、

「ぼくも帰ろう」

守君とは別の道を歩き出した。

 

帰り道、ぼくは手の中の機械をいじくりながら、どうすればいいか分からなくなっていた。

(このまま持ってるのって、すっごくまずいと思うんだけどなぁ)

返しに行ったほうがいいのかも知れないけど、なんだか気が引ける。どうしようかなぁ。

と、ぼくが悩んでいると、

「ええっ?! 赤辺君、そんなこと言ってたの?」

「そうだよぉ。昨日は千尋ちゃんと大喧嘩寸前まで行ったんだよぉ。一触即発で地球が地球が大ぴんちだったんだよぉ」

「うっはー……よう言うわそんな事。うち、呆れてものも言えんわ」

「いくらなんでもひどすぎるわね。どうしてそんなことが言えるのかしら?」

「にょが! 前々からとんでもねーやつとは思ってたけど、いくらなんでも言い過ぎのスギ花粉だぞよ! いっぺんぼこぼこにのしてやるぞよ! 地獄の火の中に投げ込んでやるぞよ!」

「ま、真理恵ちゃん……ボク、それはちょっとやりすぎだと思うなぁ……」

女の子たちが六人ぐらい固まって、何かおしゃべりをしていた。ぼくは横目でそれを見ながら、誰がいるのかを見てみた。

「でもや歩美、トキワタリ様いうたらこの村の守り神様やで? 守り神様を悪う言うたら、罰が当たって当然やん」

「それはそうかも知れないけど、ボクたちがどうかするのは間違ってるよ」

「うーん……それは言えてるかもね。だってそんなことしたら、私たちにも罰が当たっちゃうし。あっちゃんやめいちゃんだって、それは分かってるでしょ?」

「因果応報、ってことね。『前の人』のこともあったのに」

「猛君、怖いもの知らず過ぎだよぉ。まなりん、本当に怖くなってきたよぉ」

「にゅふー。きっといつか大きな大きな罰があたるぞよ! 目ん玉飛び出て耳がちくわになるぐらいのおっそろしい罰がなっ!」

そこにいたのは、愛美ちゃんと真理恵ちゃん。それに、その二人と時々一緒にいる歩美ちゃん。関西弁で話してるのが、敦子(あつこ)ちゃん。敦子ちゃんといつも一緒にいるのが、遥ちゃんと芽子(めいこ)ちゃんだ。千尋ちゃんは……そう言えば、まだ家で寝てるんだったっけ。

「ぼ、ボクもだんだん怖くなってきたよっ。猛君、きっと『前の人』と同じことになっちゃうよっ」

「あ、歩美ちゃん……だ、大丈夫だよ。きっと、そうなる前に諦めるから……ね? 『前の人』は運が悪かったんだよ……多分」

「そうとも限らないわよ。赤辺君って、結構行くところまで行っちゃうタイプだし。『前の人』だってそうだったじゃない」

「せやなぁ。『前の人』みたいに、本気で取り返しの付かへんことになるかも知れへんで。これは。うちもちょっと怖いわ」

「にゃはは。その時はその時だぞよ。トキワタリ様は守り神様だけど、『前の人』みたいな悪い子には容赦しないんだぞよ」

「はわわ〜! まなりん、悪い子じゃないよぉ。ちゃんと宿題やってるよぉ。『前の人』のことも言ってないよぉ」

ぼくはみんなの会話を聞きながら、ゆっくりとその場を離れた。

 

それからは家に帰って、夏休みの宿題をして過ごした。

お昼になると、

「こんにちは。弥くん、いますか?」

「あらあら、一樹君。こんにちは。さあ、上がって。弥は向こうにいるわ」

「お邪魔します」

友達の一樹君が遊びに来た。宿題に飽きてた頃だったから、ちょうど良かった。

「毎日暑くて、なんだか溶けちゃいそうだよ」

「そうだね。ここに来るまでで……ほら、もう汗びっしょり。嫌になっちゃうね」

一樹君は扇風機に当たりながら、しきりにシャツをぱたぱたさせていた。夏が暑いのは分かるけど、こんなに暑いとぼくもちょっと参ってくる。

「それじゃあ、いつものやろうか」

「うん」

そういうと、ぼくは押入れからちょっと大きな箱を引っ張り出した。

「猛君、こういう遊びはあんまり好きじゃないからね」

「僕はこういうの、すごく好きなんだけどね」

「そうだよね。結構考えなきゃいけないから、すごく面白いと思うんだけど」

「うん。結構、ドラマチックだし」

「もっと流行らないかなぁ。人生ゲーム」

「うーん……流行らせるのは難しいかもね」

ぼくは車に待ち針みたいな「男の人」を刺して、最初のマスに置いた。一樹君も同じようにして、ゲームを始めた。

「じゃあ、先に回すね」

「うん」

ちなみにその後、ぼくは子供が二人できたり、臨時収入が入って喜んだり、うっかり間違ったマスを踏んでお金が飛んで行ったり、あともうちょっと、っていうところで一樹君に抜き去られたりして、三回ぐらい「人生」を楽しんだ。

 

それからずいぶん時間が経って、空が赤くなり始めた頃。

「そう言えば知ってる? 最近、ヤドンの数が増えてるってこと」

「……知らなかった。いつもどこでも見かけるから、増えてても気付かなかったよ」

「いつもどこに何匹ヤドンがいるか数えてるんだけど、毎日一匹ずつ増えていってるんだ。不思議だよ」

「へえ、そんなことしてたんだ」

「まあね。お爺ちゃんと一緒に、自由研究の題材にしようと思ってさ」

そう言えば、自由研究もしなきゃいけなかった。どうしよう。まだ何するか決めてないや。

「あ、もうこんな時間。それじゃ弥くん、そろそろ帰るね」

「うん。またね」

一樹君は立ち上がって、部屋を出て行った。ぼくも時計を見てみたら、もうすぐ六時になろうとしていた。六時になろうとしてたんだけど、部屋の中はまだまだ暑くて、ぼくはその場でちょっとぐったりしていた。なんだか、今年はいつもよりももっと暑い気がする。どうしてだろう。

部屋の片づけをしてから、ぼくは畳の上でずっと寝そべっていた。自由研究はどうしようかな、とか、明日は何しようかな、とか、そんなことを考えていた。

そんなことを考えていた、その時だった。

「ごめんください」

「はい」

大人の人の声が聞こえてきて、お母さんが玄関に出た。誰だろう。

「実は……」

「……………………」

ぼくはそのまま、畳の上に寝そべっていた。

 

「弥、一つ聞いてもいいかしら?」

「うん。どうしたの?」

尋ねてきた人が帰ってから、お母さんがぼくに言った。

「村の外れにあるあの物置き小屋には、行ったりしてないわよね?」

「あそこ? 行ってないよ。だって、立ち入り禁止だし」

村の外れの物置小屋……守君の言っていた、通称「毒の家」のことだ。あの小屋はあの事件があってからずっと「立ち入り禁止」の札が立てられていたし、周りに何もなくてちょっと怖い雰囲気を出してたから、わざわざ行こうなんて思うはずもなかった。

「そうよね……それじゃあ、誰かあそこに勝手に行っちゃいそうな人、思い当たらない?」

「えーっと……」

ぼくはそう言われて、ふと猛君のことを思い出した。

(猛君なら、ひょっとしたら勝手に中に入っちゃうかも……)

そう思って、ぼくは猛君の名前を出そうとしたけど、

「……………………」

「……………………」

お母さんの目がすごく真剣で、ちょっと怖いぐらいだったから、猛君の名前を出すのが躊躇われた。ひょっとしたら、猛君が叱られちゃうかも知れない。そう思ったのだ。

だから、ぼくは、

「う、ううん。知らないよ。ぼくの友達に、そんな子はいないよ」

あえて、言わないことにした

「そうよね。ごめんね、変な事聞いちゃって」

「いいけど、どうしたの? あそこで何かあったの?」

「実はね……」

お母さんは困ったような顔をして、頬に手を当てながら言った。

「あそこの小屋には鍵がかけられてるのは知ってるでしょう? それで、誰も入れないようにしっかり戸締りがしてあったんだけど、今日昼頃に町内会長の法月さんが見回りに行ってみたら、鍵が壊されてたらしいの」

「えっ?!」

「中を見てみたら、いくつか薬もなくなってて、誰かが入った跡が見つかったんですって」

「……………………」

その瞬間、ぼくは背筋に冷たい水を漏斗でちろちろと流されたような、そんな気持ちになった。もし小屋に入ったのが猛君だったら、一体何のためにそんなことをしたんだろう。薬なんか持ち出して、どうするつもりなんだろう。

「とにかく、あそこには絶対に近づいちゃダメよ。危ないし、ひょっとしたらまた薬を盗みに来る人が来るかも知れないから」

「うん。約束するよ」

ぼくはそう言ったけど、内心すごく不安だった。猛君じゃなきゃいいんだけどなぁ。

 

でも、ぼくの悪い予感というのは、嫌というほどよく当たる。

 

その夜のことだった。

「弥ー、赤辺君から電話よ」

「あ、はーい」

九時過ぎになって、猛君が電話をかけてきたのだ。ぼくは保留になってた電話を取って、

「もしもし? どうしたの? こんな時間に……」

「……なぁ弥。今、そこに誰もいないか?」

「う、うん……誰もいないよ」

お母さんはぼくに電話を渡して、居間に戻っている。電話は玄関にあって、居間へ行くにはドアを開けなきゃいけない。声を小さくすれば、お母さんには聞こえない。

「すげぇぞ。例の白服のやつら、やっぱり何か企んでたんだ!」

「……どういうこと?」

「朝にあいつらの姿見かけてさ、ずっと追いかけてたんだよ。そしたら思ったとおり、例の毒小屋に行ったんだよ!」

「それで……どうなっちゃったの?」

「あいつら鍵開けて中入ってさー、なんかいろいろやってたんだよ。で、二十分ぐらいしたら出てきて、鍵閉めてどっか行っちまったんだ」

「……………………」

ぼくはこの時、すごく嫌な予感がしていた。

「それで、猛君、まさか……」

「あいつらが中で何やってたか気になったからさー、ヤンヤンマのソニックブームで鍵ぶっ壊して、中に入ったんだよ」

「……や、やっぱり……」

……小屋の鍵を壊して中に入ったのは、猛君だったのだ。ぼくはもう、どうすればいいか分からなかった。

「そしたら危ねぇもんが山ほどあってさー、いくつか持って行ってやったんだよ! あいつら驚くぜ! 次の日になってみたら、あるはずもんが無くなってんだからよ!」

「……………………」

「なぁ弥、これでもう確定だぜ!? あいつらがこの村で何かしでかそうしてんのはよ! お前それ分かってて黙ってるつもりか? なぁ、どうなんだ?」

猛君にこう言われて、ぼくは迷った。猛君の言うとおり、確かにあの人たちは何かをしでかそうとしている。でも、それはぼくらで止められるようなものなのだろうか? もっと、もっとぼくらよりも力のある人に任せたほうがいい、いや、任せなきゃだめなことじゃないだろうか?

「猛君、やっぱり……」

「今更やっぱりもさっぱりもねぇよ! お前が黙ってるって言うなら、俺は俺一人でもやるぞ!」

「でも……」

「……ああもう! お前に期待した俺がばかだったよ! もういい! お前はずーっと『やっぱり』とか『でも』とか言ってろ! 俺だけで全部終わらせちまうからな! じゃあな!」

「あ、猛君……」

ぼくが言い終わる前に、電話は切れてしまった。

(……もう、どうしたらいいのか分からないよ……)

ぼくは受話器を持ったまま、途方に暮れた。

 

次の日の朝、ぼくはいつものようにラジオ体操に出かけた。その帰り道のこと。

「弥君、昨日、村はずれの小屋で大変なことがあったらしいねぇ」

「愛美ちゃんも聞いたんだ。そうだよ。泥棒が入ったらしいんだ」

「泥棒?! ひょっとして、まだこの村に犯人がいたりするの?! そうだったら、ボクすっごく怖いよっ!」

「……ひょっとしたら、いるかも知れないって……」

……ひょっとしたらじゃなくて、確実にいるんだけど……とは、とてもじゃないけど言えなかった。

「歩美の姉ちゃん、大丈夫だよ。大人の人が見回ってくれてるし、歩美の姉ちゃんの足なら、どんな泥棒も追いつけないよ」

「そうよねー。歩美って、足だけはもんのすごく速いから」

「この前僕と競争した時も、すごい早さだったから驚いたよ。お爺ちゃんもね」

「そ、そうかなぁ……それだったら、ちょっとは安心……かなぁ?」

気が付いてみると、ぼく、愛美ちゃん、歩美ちゃん、千尋ちゃん、守君、一樹君が一緒になって歩いていた。ぼくらはこんな感じで、いつも結構たくさんの人でグループを作っている。みんな顔見知りだから、誰とでも話せるっていうのがいい。

もちろん、それはぼくらだけじゃない。

「ねぇ椿ー、昨日の『双星』、見た見た!?」

「見たよ見た見た! あれ、すっごく良かったよね!」

まず、女の子が二人。

「うんうん! 屋上のシーンでもう泣いちゃって泣いちゃって……お母さんもお父さんも一緒に泣いてたよー」

「渚と佳奈は? 見た見た?」

「もちろん見ましたよっ。でも、泣きすぎてちょっとどんなシーンか見えにくかったです」

「私も見てましたけど……ちょうどその時に電話がかかってきて、いいところで見れなくなっちゃったんです」

その隣に、また女の子が二人。

「ちょっと待て、それは俺のせいってことか?」

「そういうことになるんじゃないか? 桐也」

「なんでそんな時間に電話なんかかけるんだよ……お前、彼女の声聞いてないとダメなタイプとか?」

「違うっての。分からないところがあったから、佳奈に聞こうと思ったんだよ。大体、それはお前だろ? 大樹」

「ば、バカ言うなって! 何で俺がそんな……」

「そんなに慌ててると、余計に疑われるぞ?」

「だから違うって言ってるだろ! 淳!」

男の子が、三人。

「なんだかみんな熱々だね。どう思う? あかりちゃん」

「せやなぁ。みんな初々しいっていうのが正直な感想やな……でもっ!」

「わっ!?」

「うちらも初々しい雰囲気で行こやないか♪ その方が楽しいで♪」

男の子と女の子が、一人ずつ。女の子が腕を取って、ぴったり寄り添っている。

「ちょ、ちょっとあかりちゃんっ?!」

「……なんだかんだで、お前らが一番熱々じゃねぇか。満……」

「あかりったら……なんか、見てるこっちが恥ずかしいよ〜」

「にししし。こーいうのはやったもん勝ちやで!」

「すごいですっ。正孝君、渚っちもやっちゃっていいですよねっ」

「ちょ、ちょっと渚ちゃんっ!」

最後に、男の子がもう一人。二人二人三人一人一人一人で、十人だ。この村だとこんな感じで、ひとりぼっちでいることの方が少ない。引っ越してきた子もたくさんいるけど、その日のうちに最低でも三人とは知り合いになれるぐらいだって、本当に引っ越してきた子が言ってた。

(それにしても……)

「それじゃあ今度一緒に、かけっこで競争しようよぉ。まなりんも負けないよぉ!」

「望むところだよっ。挑戦はいつでも受け付けてるからねっ」

「暑い中走ったら体が熱くなるから、適度に休憩を挟んでね。お爺ちゃんが言ってたんだ」

「それはそうね! 熱射病か日射病か忘れたけど、とにかく大変なことになっちゃうらしいからね」

「僕走るの苦手だから、木陰で応援してようっと」

(……………………)

「次はどんな話になるんだろうね? 確か、満君も見てたよね」

「逃さず見てたよ。次は確か……海沿いの小さな診療所が舞台って聞いたかな」

「なぁあかり、そろそろ旅館の予約入れたほうがよくないか?」

「せやな。予約取るんやったら今のうちやで。来週からはどっと増えるからなぁ」

「ちょ、ちょっと渚ちゃん! は、離してよっ!」

「たははっ。だめですよっ」

「仲いいなぁ……お前ら」

「桐也君。私のこと、忘れちゃダメですよ」

「鈴菜、昨日頼まれた問題、調べといたぞ。どうする?」

「あ、ありがとー。私が淳の家に行くよ」

(……すっごくにぎやかだなぁ。誰が誰と話してるのか、よく分かんないや)

ぼくの周りにもたくさん人がいて、そうじゃないところにも人がたくさんいる。たくさんいすぎて、ちょっと大変だ。

(これ書いてる人、ちゃんと分かって書いてるのかなぁ……)

ぼくは誰に向けて言いたいのか分からないことを考えながら、みんなに混じって歩いていった。

 

「じゃ、あたしと守はここで帰るわ。じゃあね!」

「まなりんとあゆあゆはこっちだからねぇ。また明日ねぇ」

「それじゃあ弥君、また遊ぼうね」

あるところまで来ると、みんなは自分の家に帰るためにバラバラの方向へ行く。この時だけ、ちょっと寂しい気分になる。

(いつもみんなと一緒にいるからかな)

そんなことを考えながら、ぼくはぼくの家につながる道を歩いていく。

「なあ椿。自由課題、何するか決めたか?」

「まだだよ。他の課題はほとんど終わらせちゃったんだけど、自由課題だけ残っちゃって……」

「もしまだ決めてないんだったら、ちょっと面白い題材があるんだ。ただ、結構大掛かりだから、一人じゃ難しい。なあ椿、自由課題、一緒にやらないか?」

「いいよ! でも、いいの? 私、頑張るけど、大樹の足引っ張らないか心配だよ」

「お前が一緒にやってくれるってだけで、もう半分終わったようなもんだよ。それに、お前のほうが頭の回転速いし、細かい作業も得意だし、むしろ俺が邪魔にならないか心配なぐらいだ」

「そう言ってくれると……なんだか嬉しいよ。それで、どんな題材でやるのかな?」

今話してるのは、さっき大勢でわいわい話していた高校生のグループの一組、椿さんと大樹さんだ。この二人はぼくの知っている限り、中学生の時からずっとこんな調子だ。すごいなぁ。多分、おじいさんとおばあさんになっても、この二人はこんな感じだと思う。ぼくも大樹さんにとっての椿さんみたいな人にめぐり合えたらいいな。

「まあ、歴史研究みたいなもんだな。ヤドンと『トキワタリ様』についてだ」

「ヤドンとトキワタリ様の関係? 何かあるの?」

「詳しく調べるのはこれからなんだが……超大雑把に言うとだな」

「うん」

「この村には昔から『トキワタリ様』っていう護り神様がいる」

「……………………」

「トキワタリ様は普段、この村の隣にあるウバメの森で眠っていて、そこから俺たちを見ている。俺たちが何をしたか、何を言ったか、何を考えているか、みんな知っている」

「トキワタリ様は村を護り、村人に幸福と平和をもたらすと言われている」

ぼくはさりげなく隣に並んで、大樹さんの話を聞いていた。

「でも、時としてトキワタリ様は恐ろしい一面を見せる」

「トキワタリ様の前で咎(とが)を犯したりすると、トキワタリ様がその人に罰を与えるんだ。とても恐ろしい罰を」

「トキワタリ様は咎人(とがびと)を見つけると、その人が犯した咎に応じた、恐ろしい罰を与える」

大樹さんの話は続いている。

「例えば、時間にルーズで時間を浪費する人には、『一日が短くなる』罰を」

「例えば、親兄弟を大切にしない乱暴な人には、『自分が忘れられてしまう』罰を」

「例えば、息をするように嘘をついたりするような人には、『誰にも信じてもらえなくなる』罰を」

「例えば、友達を苛めたり足蹴にするような人には、『友達ができなくなる』罰を」

「例えば、いわゆる不純異性行為を繰り返す人には、『異性に触れられなくなる』罰を」

「例えば、変化を嫌いしがらみにしがみつくような人には、『同じ一日をずっと繰り返し続ける』罰を」

「例えば、自分勝手で我侭で自己中が過ぎる人には、『命令に逆らえない』罰を」

「例えば、わざと昼夜逆転した生活をするような人には、『昼夜が逆転する』罰を」

「例えば、寝なきゃいけないときに寝ないような人には、『寝たくても眠れない』罰を」

「例えば、しょっちゅう約束を破るような人には、『言ったことが否応無しに本当になる』罰を」

大樹さんはたくさんの例を挙げて、トキワタリ様の『罰』を説明した。

「どれもこれも、戒めの意味を込めた罰だ。だから、咎を認めて反省すれば、トキワタリ様はすぐに赦してくれる」

大樹さんは立ち止まり、

「でも、どうやっても赦されない罰がある」

少し強い調子で、

「トキワタリ様を冒涜したり、侮辱したりする事だ」

言った。

 

「トキワタリ様を冒涜したり侮辱したりすれば、トキワタリ様は怒って、上の罰が可愛く思えるような、世にも恐ろしい罰を与える」

「罰を簡単に説明すると、『人間としての存在を認めない』という罰だ」

「罰を受けた人間は、『人間』としての存在を許されなくなる。人間としての存在を許されなくなった人間は……」

 

大樹さんは視線を横に向けて、

「やあん?」

「こうなる」

「……ヤドン? ひょっとして、ヤドンにされちゃうの?」

そこにいた、一匹のヤドンを指さした。

「そう。古い伝承が残ってて、ヤドンはトキワタリ様の逆鱗に触れた人間の末路だっていう話があるんだ」

「そうなんだー……そう考えると、ちょっと怖いよね」

「あんまり言いたい話でもないんだが……昔はヤドンが咎人の成れの果てだとされてたから、ヤドンが忌み嫌われてた時代もあったんだ」

「今じゃちょっと信じられないことだよね。だって、みんなヤドンと仲良くしてるし」

「ま、あくまで古い伝承に過ぎない事だからな。ずいぶん前からヤドンはポケモンだってしっかり証明されてるし、性格だってすごくいいことも分かってる。今じゃヤドンをいじめる方が、よほどトキワタリ様の逆鱗に触れかねないな」

「そうだよねー……それで、私たちはそれを調べるんだよね?」

「ああ。この伝承がいつ頃からあったか、どんな罰則があったか、トキワタリ様とはどんな神さまか。そういうことを徹底的に調べて、レポートにまとめるんだ。面白そうだろ?」

「うん! 私、全力で頑張るから!」

大樹さんと椿さんはそう言って、横道に入っていった。

(トキワタリ様とヤドンか……そう言えば、真理恵ちゃんも言ってたっけ)

ぼくは大樹さんが話していたことを思い出しながら、ゆっくり道を歩いていった。

 

「弥、ちょっといいかしら?」

「うん。どうしたの?」

ぼくは素麺を食べながら、お母さんの話を聞いた。

「実はね……赤辺君のお母さんから聞いたんだけど」

猛君の事だ。一体、どうしたんだろう?

「猛君、最近何か変わった様子はなかったかしら?」

「例えば?」

「そうね……一人でいるようになったりとか、友達と意見が合わなくなったりとか」

「……………………」

……どうすればいいんだろう。お母さんの言っていることは、どっちも当てはまる。一人で「全部解決する」って言い出したし、友達とはトキワタリ様のことでけんかするようになったし……

「……ううん。聞いてないよ」

「そう……それなら、そう伝えておくわね」

「うん」

……やっぱりぼくは言えなかった。ここで言ってしまえば、きっと「毒の家」のこともバレちゃう。ぼくはそれが怖かった。あそこは誰も入っちゃいけない場所なのに、猛君は入っちゃった。もうここまで来ると、猛君はタダじゃ済まされない。ぼくはそれが怖かった。

「本当に、聞いてないよ」

ぼくは自分に言い聞かせるように言った。

 

今日はいつもより少し日差しが弱かったから、ぼくはお昼から散歩に出かけた。村の中をあちこち歩いて、いろんな人に挨拶をするのがぼくの散歩だ。そういうことを趣味にしてる人は、実はぼく以外にもたくさんいる。だから、思ってる以上にいろんな人に出会う。

ほら、そこにも。

「あ、ちょっと背が低くて女の子っぽい人」

「……い、いきなり?!」

「あら、宮部君。こんにちは。くーちゃん、何か言ったの?」

いきなりぼくにひどいこと言ったのは「奥瑠」(こう書いて「おくる」と読むんだって。最近の人の名前はすごいや)ちゃん。ぼくの一歳年下の子で、つい最近引っ越してきたらしい。それで、奥瑠ちゃんのことを「くーちゃん」と呼んだのは、奥瑠ちゃんのお姉さんの「恵」(めぐむ)さんだ。でも、本当のお姉さんじゃないって聞いた。なんか、ややこしい事情があるみたい。

恵さんはお隣の小金市のデパートに勤めていて、そこに行く時は奥瑠ちゃんも一緒に行くって聞いた。

「事実をいいました。ちょっと背が低くて女の子っぽいと言いました。事実です」

「くーちゃん、本当のことでもね、言わない方がいいときもあるのよ」

「はい。心に刻みましたです。時には本当のことは言わない方がいいということを知りました。学習しましたです」

「そうそう。それでいいのよ」

「それでは、改めて言い直しますです」

奥瑠ちゃんはぼくの目をじーっと見つめて、

「あ、すごく背が高くて男らしい人」

「……今更そう言われても、全然説得力ないんだけどなぁ……」

「わがままです。さっきと逆のことを言いました。喜んでくれないのはわがままです」

「くーちゃん。逆のことを言えばいい、っていうわけでもないのよ」

「難しいです。一度にたくさんのことを覚えなければいけません。詰め込み教育です」

奥瑠ちゃんは難しい顔をして、恵さんの方を見た。

(どうでもいいけど、そんな格好で暑くないのかなぁ……)

いつもよりちょっと弱いとは言え、日差しはまだまだ強い。なのに奥瑠ちゃんは、何故か長袖の服を着ている。どうしてだろう? こんなに暑いんだから、袖の短い服を着ればいいのになぁ。

「あ、大変です。予定より一分近くも遅れています。速やかに移動するべきです」

「一分しか遅れてないじゃない。まだまだ十分時間はあるわ」

「ダメです。一瞬の気の遅れ、気の緩み、気の迷いが、大惨事に直結するです」

「そんなに慌てなくても大丈夫よ。くーちゃんの好きなアイス、他の人はほとんど買わないから」

「だから危険なのです。ひょっとすると、撤去されてしまったかも知れません。もう二度と日の目を見ないかも知れませんです」

「大丈夫よ。お店の人に言って、取り置きしてもらってるから」

奥瑠ちゃんは真剣な顔で、恵さんに言っている。でも、話してることは奥瑠ちゃんの好きなアイスの事だから、ちっとも緊張しない。それにしても、この村ってどうしてこんなヘンなしゃべり方をする人が多いんだろう。不思議だなぁ。

「油断は禁物です。油断していると、ある日突然『真相行動の蟹』みたくぱったりと無くなってしまいます」

「くーちゃん、それって『失踪報道の怪』のこと?」

「なんですか? それ?」

急に意味の分からない単語が出てきたので、ぼくは思わず訪ねた。

「えっと……宮部君、この村で人がいなくなる事件があったことは、知ってる?」

「うん。確か、有明さん、って人だったよね」

「そう。その人がいなくなった事件はね、テレビや新聞で毎日大きく取り上げられてたんだけど、ある日を境に急にぴたっと止んでしまったの」

「そのこと? それだったら、ぼくも聞いたことあるよ。でも、どうしてだろうね?」

「どうしてか、っていうことになると、お姉さんもちょっと分からないけど……ただ、何でもテレビや新聞の人が、この村で何か悪いことをしようとして、それで村から追い出されたんじゃないか、っていう話を聞いたことがあるわ」

「そうなんだ……」

ぼくには分からない事情があるみたいだった。

「という訳で、早く行きたいと思うのです」

「分かったわ。ごめんね宮部君。くーちゃんがアイスを買いに行きたいって言ってるから」

「うん。気を付けてね」

ぼくは奥瑠ちゃんと恵さんを見送ってから、

「ぼくも行こう」

また歩き始めた。

 

田んぼのあぜ道を歩いていると、

(かなかなかなかなかな……)

ひぐらしのなく声が聞こえた。いかにも「夏」って感じがして、ぼくはこの鳴き声が好きだ。物悲しい感じがして、思わずいろんなことを考えちゃう。

(昔はこの村で、どんなことがあったんだろう……)

そんな、ちょっと途方もないことをだ。

もっとも、それは……

「ねえ北川さん」

「なんだい? 芽美ちゃん」

「宇宙って、どんな場所だと思う?」

「……こりゃまた、途方もない質問をするなぁ……ちょっと時間をくれないか?」

ぼくだけじゃないみたいだ。夏になると、どうしてだかみんな、途方もないようなことを考えるようになるらしい。

ぼくの近くを歩いているのは、最近プログラマーになったっていう北川さんと、宇宙飛行士志望の女の子・芽美さんだ。二人はぼくと美崎さんよりもさらに歳が離れているけど、ごく普通に話をしている。やっぱり、ぼくには分からない事情があるみたいだ。

ぼくには、分からないことだらけなんだなぁ。

「んー……あれだ。芽美ちゃんはどう思う? 宇宙はどんな場所かって」

「そーね……あたしは……」

「……………………」

「あたしにとっての宇宙は、お父さんのいる場所!」

「……そうか……そうだよな。なんだか、つまらない質問しちゃったみたいで、悪いよ」

「ううん! ぜーんぜん気にしてないから!」

「頑張れよ。俺は芽美ちゃんのこと、ささやかかも知れないけど応援してるからさ」

「うん! 北川さんも、目標に向かってどんどん進んで行ってね! あたしも頑張って追いつくから!」

「ああ。俺も頑張るよ」

その言葉を聞いたとき、ぼくと二人がすれ違った。

「あ、そーだ北川さん。こんな話、聞いたことある?」

「どんな話?」

「えっと……そうそう。ポケモンと人間の遺伝子の間に、強い相関性が見られたっていう話」

「ああ、それなら一昨日新聞で読んだぞ。玉虫大学の白樫教授が見つけた、ってやつだろ?」

「それそれ! それで、実際に人間の遺伝子を基にして、ポケモンを『作れる』可能性がある、っていうところまで来てるそーよ」

「もうそんなとこまで来てんのか……技術の進歩って、あり得ない事がどんどんあり得るようになるんだな……」

「だ・か・ら!」

「?」

「北川さんも負けずに、ポケモンを作るプロジェクト、頑張ってね!」

「……ああ! 情報工学分野の底力、とくと見せてやるつもりだぞ!」

最後の方はずいぶん距離が離れてしまっていたから、あんまり聞き取れなかった。

 

ぼくはどんどん歩いていく。この村は結構広いから、歩いていても飽きない。夏場だから、あんまり遠くまで歩くと帰るのがちょっとつらいけど。

(喉が渇いたなぁ……)

ポケットを探ってみると、小銭が何枚かあった。取り出してみると、飲み物を二つ買えるだけのお金はあった。お金はある。あとは、飲み物を売っている場所を探すだけだ。

「ええっと……あ! あったあった」

少し歩いて横道にそれると、自動販売機のある商店が見えた。あそこで何か飲み物を買って、歩きながら飲んじゃおう。こういうことができるのも、散歩の楽しみの一つだと、ぼくは思う。

「お金お金……」

ぼくが自動販売機にお金を入れようとした、ちょうどその時だった。

(がちんっ)

『あっ……』

……ぼくのお金と、ぼくの横から出てきた人の手の中にあるお金が、見事にぶつかり合った。

「み、宮部くん?」

「な、七海ちゃん?」

ぼくの同級生の、七海ちゃんだった。大きな麦わら帽子を被っていて、小さな手に百円玉が握られている。

「え、えっと……さ、先に買ってくれていいよ?」

「う、ううん……な、七海ちゃんが先でいいよ?」

「……………………」

「……………………」

「え、えっと……そ、それじゃあ、先に買うけど、い、いいかな?」

「い、いいよ……ぼ、ぼくもあとで、ちゃんと買うから……」

七海ちゃんは恐る恐る百円玉を入れて、それからもう二枚、十円玉を入れた。

(どうして、こんなに緊張しちゃうんだろう……)

ぼくは七海ちゃんと一緒にいると、何故だか分からないけど、ものすごく緊張してしまう。だからかどうかは分からないけど、しゃべり方がなんだかヘンになる。しかも、それはぼくだけじゃない。七海ちゃんも同じみたいだ。

「え、えっと……わ、わたし買ったよ。み、宮部君、か、買っていいよ……」

「う、うん……ぼ、ぼくも買うよ」

七海ちゃんに言われて、今度はぼくが恐る恐る百円玉を入れて、続けて十円玉を入れた。

(これにしよう)

ぼくは何気なく、グレープフルーツジュースを選んだ。がちゃこん。音がして、ジュースの入った缶が出てきた。下の窓を開けて、ジュースを取り出す。

その瞬間、ぼくが見たものは。

「……………………」

「な……七海ちゃん……」

「み……宮部くん……」

『お、同じの買ったの……?!』

……ぼくがぼーっとしている間に、七海ちゃんはぼくと同じジュースを買っていたみたいだった。ぼくは何がなんだか分からなくなったけど、なんとなく、

(恥ずかしいなぁ……)

……とは思った。

 

「……それでね、今日はそんな感じで散歩してたんだ」

「そうだったんだ……実はね、わたしも散歩してたの」

「七海ちゃんも?」

「うん。うちでゲームしてたら、お母さんが『たまには外に出たら?』って言うから、ちょっと出てきたの」

木陰に入って、ぼくと七海ちゃんはおしゃべりをした。ちょっと話してみると、ぼくも七海ちゃんも、すぐにいつも通りに話せるようになった。七海ちゃんとこんなにじっくり話したの、初めてだった。

「宮部くんは、よく散歩したりするの?」

「うん。ぼく、この村を散歩するのが好きなんだ。ヘンかも知れないけど」

「ううん。ヘンじゃないと思う。やっぱり、外に出たほうがいいって分かったから」

「……えっ?」

「……ううん。なんでもないよ」

七海ちゃんが何を言おうとしたのかは、ぼくにはちょっと分からなかった。

「あーあ。お父さんも家にこもってないで、外に出たらいいのに」

「お父さん、家で仕事してるの?」

「うん。朝からずーっとパソコンに向かって、夜遅くまで仕事してるの。だからかは分からないけど、最近すごく眠いって言ってるの」

「たまには休んだほうがいいと思うけど……」

「うん。お母さんもそう言ってね、昨日は仕事を少しもせずに、一日家で休んでたの。それでも、眠いのは変わらないって言ってたわ」

「そう言えば、ぼくのお父さんも同じようなこと言ってたっけ……」

ぼくはそれからしばらく、七海ちゃんとおしゃべりをした。

 

「それじゃあ、またね」

「うん。また一緒におしゃべりしようね」

七海ちゃんとお別れして、ぼくはまた歩き出した。ふっと空を見上げてみると、もう、かなり日が傾き始めていた。

(そろそろ帰ろうかな)

そう思って、ぼくは来た道を引き返し始めた。

 

すると、そこで。

「榎本博士、それは本当ですか?!」

「ああ。英二君が見たと言っている。私も間違いであってくれればと思っているのだが……」

「それで、英二君はどうしたのです?」

「今法月さんに連絡しに行っている。もうじき帰ってくると思うが」

白衣を着た二人の男の人が、なんだか緊張した様子で話をしていた。ぼくは少し気になって、二人の様子を見ることにした。

でも、その直後。

「……そこにいるのは誰だ? 宮部さんとこの子か?」

「あ……はい」

「そうか……悪いが、少し聞きたいことがある。ここまで来てくれないか?」

「はい」

若い方の(でも、ぼくのお父さんよりも年上だ)男の人に言われて、ぼくは恐る恐る歩いていった。

「宮部君、脅かしてすまない。私はこの街で携帯獣の研究をしている、黒松という者だ。そして、こちらは……」

「榎本だ。一樹といつも仲良くしてくれているようだね。ありがとう」

「……あ! もしかして、一樹君のお爺ちゃん?!」

「そうだ。よく分かったな。君の事は一樹からよく聞いて知っているよ」

もう一人の方の人は、一樹君のお爺ちゃんだった。そう思うとぼくは、無駄な力が体からうまく抜けていくような気がした。やっぱり、知ってる人が相手なのとと知らない人が相手なのとじゃ、こんなにも違うんだ。

ぼくが肩の力を抜いて、榎本博士の話を聞いていると、

「博士! 今、法月さんに連絡してきました」

黒猫を抱いた若い男の人が、こっちに向かって走ってきた。英二さんだ。抱いている黒猫は、「ネル」っていう名前らしい。何度か触らせてもらったことがある。

「すまないな。それで、法月さんは何と言っていた?」

「今すぐ人を集めて、森へ行った子を連れ戻しに行くつもりだそうです」

「そうか……しかし、どうしてこのようなことに……」

「えっと……どうしたんですか?」

ぼくは、英二さんに聞いた。

「キミは……確か、宮部さんのところの子の……弥くん、だったよね」

「うん」

「弥くん。この村の西にあるウバメの森には、子供だけで入っちゃいけないことは知ってるよね?」

「うん。お母さんからも学校の先生からも、美崎さんからも言われたよ」

「うん……それならいいんだ。でもね、その決まりを破っちゃった子がいるらしいんだ」

英二さんは腕の中に抱いたネルを撫でながら、ぼくに言った。ため息混じりだった。

「……えっ?!」

「村中が大騒ぎだよ。今、誰がいなくなったのか調べてる真っ最中なんだ」

ぼくはもう、それが誰か分かりかけていた。ひょっとしなくても、今そんなことをするような子は、たった一人しか思い浮かばなかった。

そしてそれは、すぐに分かることになる。

「英二さーん!」

「英二ーっ!」

英二さんと一緒に住んでいる、美崎さんと神崎さんが走ってきた。

「渚ちゃん! 愛子さん! どうだった?!」

「村中に電話かけまくって調べてみたら、何人か行方が分かんなくなってる子が居たわ」

「内訳は?」

「えっと……愛子さん、メモメモ、メモを出してくださいっ」

「そうだそうそうそう……えっと、出崎さんとこの七海ちゃんに、宮部さんとこの弥くん、霧崎さんとこの愛美ちゃん、それから……」

「……赤辺さんのところの猛君、ですよね」

ぼくが思い浮かべていた名前が、美崎さんの口から出た。ああ、やっぱり猛君だったんだ。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。

「そう。で、七海ちゃんは北川さんが目撃してて、今さっきうちに帰ってきた」

「愛美ちゃんは、春日野さんところの歩美ちゃんと一緒にいて……」

「行方が分からなくなってたのは、宮部さんとこの弥君と、赤辺さんとこの猛君だけ。でも……」

「見ての通り、弥くんはここにいるね。と、言うことは……」

「……つまり、赤辺さんの息子さん、猛君が怪しいということになる……そういうことだな?」

「そういうことになりますね」

「宮部君。君は赤辺君と仲が良かったと聞いている。ここ最近、彼に変わった様子は無かったか?」

「えっと……」

どうしよう……猛君はもう、取り返しの付かないことをしちゃったんだ。今更ぼくが何か言っても、無事で済むとは思えない。

「……特に、なかったです」

「そうか……赤辺君と一番近しかった君の言う事だ。恐らく、発作的な行動だろう」

「仕方ないですね。榎本さん、黒松さん。法月さんからの連絡を待ちましょう」

「それもそうだな。では、美崎さんと神崎さんは、もう家に戻ってくれて構いません。お手数をおかけしました」

「宮部君、君ももう家に帰ったほうがいい。お母さんが心配しているぞ」

「うん……」

ぼくは美崎さんと神崎さんに連れられて、家への道を歩いた。

「しっかし、どーして一人で森の中に入ったりしたのかしらねぇ……」

「きっと、何か止むに止まれぬ事情があったんです」

「でも……きっと、タダじゃすまないわよ。タダじゃ」

神崎さんのその言葉が、ぼくにはやたらと強く響いた。

 

その夜、ぼくはなんとなく落ち着かない気持ちで、ずっとテレビを見ていた。猛君のことが、気になって仕方なかった。もう見つかって、うちに帰っているのかなぁ。それともまだ森の中にいて、みんなから逃げているのかなぁ。

「次のニュースです。昨日未明、行方不明になっていたポケモントレーナー、貞本秀吾さんのものと思われる帽子が、桔梗市のポケモンセンター付近で発見されました。警察では貞本さんが桔梗市を訪れた後、何者かによって拉致されたのではという方向で捜査を進めて……」

そう言えば、毎日こんなニュースをやっている気がする。どこかで誰かがいなくなって、そのまま行方知れずになるっていう、そんなニュースをだ。ぼくが覚えてるのは、少なくとも五日前からは

(ピルルルルルル!)

突然、電話の呼び出し音がなった。

「!」

ぼくは反射的に立ち上がって、玄関に走っていった。

「もしもし?!」

ぼくは少し上ずった声で、電話の応対をした。受話器の向こう側から聞こえてきた声は……

「わ、弥か?! 俺だ! 猛だ!」

ぼくが、思っていた通りの相手だった。

「猛君?! 何してたの?! みんな心配してたよ?!」

「それどころじゃねぇんだよ! 大変なんだよ! お願いだ! 聞いてくれっ!」

「……えっ?」

「い、今信じられるのは弥、お前しかいないんだっ! お願いだから、俺の話を聞いてくれ!」

「う……うん……」

猛君は息を切らしながら、必死に話しているようだった。ぼくも自然と緊張する。

……そして。

「あの白服と黒服のやつら、とんでもないことをしてやがった! 今でも信じられねぇ! でも、この目で見ちまったんだ!」

「な、何を……?」

「あいつら、この村を無茶苦茶にしようとしてるんだ! 俺たちの頭の中を弄繰り回して、滅茶苦茶にしようとしてるんだ!」

「ちょっと待ってよ猛君! それじゃ分かんないよ!」

「いいから聞け! あいつらは俺たちを実験台にしようとしてるんだ! この村まるごと、でっかい実験室なんだ!」

「……………………?!」

「ちくしょうっ! どうしてもっと早く気付かなかったんだ! もう手遅れだ! 千尋も愛美も真理恵も一樹も、もうみんなやられちまってる! まともなのは俺とお前ぐらいなんだ! みんなもうおかしくなっちまったんだ!」

「おかしく……なった……?!」

「俺は知っちまったんだ! トキワタリ様の正体を知っちまったんだ! ちくしょうっ! 何がトキワタリ様だ! 結局、ただの人間じゃねぇか! もう無茶苦茶だ! トキワタリ様に顔を見られちまったんだ!」

「ああダメだ俺ももう手遅れだ! あいつらに顔を見られちまった! きっともう俺はもうダメだ! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だちくしょう! どうにもならねぇんだ! ああちくしょう! ちくしょう!」

「……! ……! ……!」

「あいつら無茶苦茶だ! 見ちまったんだ! 実験を見ちまったんだ! 思い出すだけでも震えが止まらねぇ! ちくしょう! 俺もああなっちまうってのかよ! ちくしょう! もうおしまいだ! 何もかも終わりなんだ!」

「……………………」

「ああもうだめだやつらが来るお願いだ弥このことを誰かお前以外のやつに伝えてこの村を助けやめろ離せ離せ嫌だ嫌だ嫌だい」

「た、猛く……」

……ぼくが言葉を言う頃には、電話はもう切れていて、ツーツーという音しか聞こえてこなかった。

でも。

その、直後。

 

「……弥?」

 

ぼくは心臓を氷で刺し貫かれたような衝撃を受けて、体が動かせなくなった。

「こんな時間に、誰からの電話?」

「お、おかあ……」

ぼくは首も動かせずに、ただ後ろから聞こえてくる声に震えていた。その声は、いつも聞いている声とは何もかもが違って聞こえた。

「もしかして、悪いことをした子からの電話かしら?」

「あ、あ、あ……」

ぼくは喉がカラカラになって、まともに声が出せなくなった。喉をつぶされたみたいだ。

「いけない子ね。悪いことをしちゃだめだって、あれほど言われたのに」

「あ、ぐ、ああ……」

「悪いことをすると、トキワタリ様の罰が当たるって、あれほど言われたのに」

「と、と、と、とき……」

「トキワタリ様は、怖い神様だって、あれほど言われたのに」

「か、か、か……」

ぼくは、まったく何も考えられなくなった。怖い。ただ怖い。今ぼくが置かれている状況が、とてつもなく怖い。怖くて怖くて、気絶しそうだ。

「弥」

「あ、ああ……」

「ねえ、弥」

「は、が、は……」

「聞いてるの? 弥」

怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い

「弥」

「あ、あぐ……」

「弥。今の電話、誰からかしら?」

「い……あ……あ……」

「弥。電話をかけてきた子は、弥のお友達かしら?」

「……………………!」

「弥。弥も、その子と同じ『悪い子』なのかしら?」

「!!!!!……」

「弥。弥もトキワタリ様の罰が当たるような、『悪いこと』をしちゃったのかしら?」

……ぼくは……

……ぼくは……

「い……悪戯……悪戯電話……だったんだ……」

「……………………」

「ぼ……ぼく……何も知らないよ……何も知らないから……何も……何も知らないから……!」

「……………………」

「ぼく……ぼく悪いことなんかしてないよ……ぼく……ぼく悪い子なんかじゃ……ぼく……ぼく……ぼく……」

「……………………」

「何も見てない……何も聞いてない……何も知らない……何もしてない……ぼく、何もしてない! 何も知らない! 何も見てない! 何も聞いてない!」

「弥……」

「ぼくは……ぼくは……」

ぼくの肩に、ゆっくりと手が置かれた。ぼくはびくっ、と震え上がった。

「それでいいのよ」

「あ、あ、あ……」

「いいのよ。それでいいのよ」

「ぼく……ぼく……」

「いいのよ。それでいいのよ。何もしてない子には、トキワタリ様は何もしませんからね」

「……………………」

「さあ、こっちにいらっしゃい。温めた牛乳を入れてあげるから、それを飲んで、今日はもう寝なさい」

「……うん……」

ぼくはこの時初めて、お母さんの目を見た。

「こんな時間にいたずら電話なんて、困ったものね」

「……………………」

その目はもう、いつものお母さんの目だった。

ぼくはお母さんの入れてくれた温かい牛乳を飲んで、そのまますぐにベッドに入った。

いつもよりもすぐに、深い眠りに入れた気がした。

 

 

「にゃはは! 遅いぞわたっこ! そんな眠っちまうようなのろい足じゃ、世界は獲れないぞよ!」

「弥君っ! 頑張って! ボク、ここで待ってるからねっ!」

「宮部くーん! わたし、ここにいるからねー!」

「ちょ……ちょっと待ってよみんな……」

ぼくは何事もなかったように……いや、ヘンな感じだなぁ。昨日は本当に何もなかったのに、どうしてだか「何事もなかったように」って感じがする。ヘンだなぁ。どうしてだろうなぁ。

「はぁ……はぁ……暑いんだから、もっとゆっくり行こうよ」

「何を言うとるんや! 暑いからこそ、しゃきっとしやな!」

「弥の兄ちゃん、大丈夫? 息、切れてるよ?」

「宮部君、大丈夫? 肩、貸してあげるよ?」

「う……ううん。大丈夫だよ、七海ちゃん……」

ぼくは息を切らしながら、みんなに付いて行く。

「今日もみんな元気だねぇ。これもきっと、トキワタリ様のおかげだよねぇ」

「そうだよねっ。トキワタリ様が見守ってくれてるから、ボクたちは元気でいられるんだよっ」

「当たり前やがな。今更何を言うとるんや。トキワタリ様を何やと思とるんや?」

「言わなくても分かるじゃない! わたしたちの、護り神様!」

「そうだよね。七海の姉ちゃんの言うとおりだよ。トキワタリ様は、僕らの神様だよ」

「にょほほー。トキワタリ様様々ってやつだぞよ! にゃはははは!」

「そうだよね。トキワタリ様は、ぼく達のそばに『いて』、ぼく達を『見て』るんだよ」

当たり前のことじゃないか。トキワタリ様はぼく達のそばにいて、ぼく達を見ている。いい子には祝福を、悪い子には「罰」を与える。

ぼく達の、大切な神様だ。

「それじゃぁ、今度は向こうまで競争だよぉ」

「よっしゃ! 今度は負けへんでぇ!」

「ボクだって!」

「今度はわたしも頑張る!」

「にゃはは! この真理恵の俊足、見て見て驚け!」

「よーし! 僕だって!」

「あっ! 待ってよみんな!」

また出遅れちゃった。早く行かなきゃ……

……と、ぼくが思ったときだった。

 

「……………………」

「……ヤドン?」

 

ぼくを見つめる、一匹のヤドンの姿があった。相変わらず、のんきな感じで、見ているとこっちもふにゃっとした気持ちになってくる。

おっと、いけないいけない。こんなことしてたら、またビリになっちゃう。早く行かなきゃ。

「また後でね」

「……………………」

ぼくはヤドンに手を振って、だっと駆け出した。今度は負けないぞ。

(……それにしても)

走りながら、ぼくは思った。

 

(どうしてだろう? あのヤンヤンマ、ヤドンの傍をちっとも離れようとしないや)

 

それは少しの間だけ心に残って、瞬く間に消えていった。

 

 

※この物語はフィクションです。実在の人物・団体名・事件とは、一切関係ありません。

※でも、あなたがこの物語を読んで心に感じたもの、残ったものがあれば、それは紛れも無い、ノンフィクションなものです。

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