ポケットモンスター
  読み切り小説
『I'm so happy』










 そいつとはトウカの森の中で出会った。
 そいつと出会った時、そいつは干乾びかけていた。
 小川まであと数メートルの距離。
 地面にへばりつくようにもしゃもしゃ生えた草が口許を覆って、食べた形跡も無い。
 持っていたおいしい水を飲ませて、聞いてみた。

「何で水呑みに行かないの」

 はふぅ、とあくびひとつして、そいつは答えた。

「……めんどい」













 なんかそれは私にとってすごい答だった。
 めんどい。面倒臭いの一言で、自分の命が尽きる寸前までいく。
 目の前に水があるのに。口許に草があるのに。
 単に力尽きてあと数メートルがどうしても辿り着けなかったのかもしれない。口許の草を噛む気力すらなかったか、あるいは草を食むことすら思いつかなかったのかもしれない。
 こいつは。
 生存本能の対極にある。そう解釈した私は、

 そいつを脇に抱えて、走った。
 誘拐である。













 走っているうちに段々冷静になってきた。
 なにをしている。誘拐である。
 野生のポケモンを拉致してどうする。
 そんなに自分のものにしたいのか。
 好ましいと思ったら誘拐か。
 短絡的な。
 犯罪者道まっしぐらだ。とっとと引き返せ。今すぐ。
 よし、戻しに行こう。

 やっとそこまで考えが辿り着いた。
 ひやっ、と寒気が生まれた。
 木の桟橋の上、水面でぐにゃぐにゃ揺れる私の姿。腕に抱えた生暖かいナマケロはとろんとした目でどこを見ているかわからない。
 抱え上げてから今に至るまで、抵抗する素振りはおろか、体を強張らせる事すらしない。突然の事に反応できず恐怖で体が動かないまま、ということも考えた。正気に戻ったら暴れだすんじゃないかと。でも、どうも、そういうものとも違うような気がする。
 このリラックスし切った息遣いから思うに。こいつは攫われたというコトがわかってないんじゃないだろうか。
 よし。
 そう思った矢先、

「はらへったなぁ」

 はふぅ、とナマケロが呟いた。

「はらへった? おなかすいた?」

 訊き返す声が裏返っている。なるたけ「誘拐犯」らしくない反応をしなければ、気付かれる前に、気付かれる前に森へ戻さないと、それまでなんとか誤魔化さないと……。
 とっくん、とっくん、とゆっくりと脈打つナマケロの鼓動を感じる腕が脇腹が、じっとりと汗ばんでいる。もっと早い私の鼓動は既に伝わっているのではなかろうか。
 目だけでナマケロを見下ろして、でも抱えられたままだらんと身を預けてくるナマケロの表情は見えない。

「はらへったぁ」

 同じ事を、しみじみとナマケロは呟いた。

「何食べる?」

 また声が裏返った。我侭な彼女を相手にする恋人の口調になってしまっていて、ちょっとドキッとした。

「葉っぱ」

 合いの手みたいに答えてくる。

「やわらか葉っぱ」

 どこにあるの、とは聞けなかった。
 聞いた途端、そういえば森じゃない見知らぬところにいる、こいつに誘拐されたのかとでも思い至られると困る。
 森に戻るんだ。気付かれる前に。
 そして葉っぱを食っている間にトンズラするんだ。
 逃げるんだ。おさらばするんだ。
 別れてしまうのか。
 暗澹たる、惜しいキモチ。
 何を今。
 数分前まで他人だったじゃないか。
 見も知らないポケモンだったじゃないか。
 今までの私の人生の中には全く存在していなかったじゃないか。

 カチン。欠片が嵌った音。

 そう、今まで存在していなくて、あるとも思ってなくて、でもあるならば会いたいと、そこまでハッキリと思っても望んでもいなかったけれど。
 会いたい。今腕の中に居る。言葉を交わす事だって出来る。
 このまま別れてしまうというのは。このまま他人に戻ってしまうのは。ちょっと考えられない……。

 カクカクっ。頭を振って、考えを振り払う。

 別れてしまえば今まで通り。別れてしまえば今まで通り。知らないまま、知らぬ同志のまま、他人のまま……。ひとつ言葉を浮かべる毎に、何かにぐいぐいと締め付けられているような気になる。

「はふ。は〜らへった」

「…………キミかい」

 胴体にナマケロの腕が回ってきゅいきゅい締め付けてきているのであった。
 私の腕に抱えられたまま。
 顔の横を脇腹に当てて。
 その稚拙な力の込め方が、というか何気に抱きしめられているというような状態であることが、なんだかくすぐったい気分である。
 いやなに、顔がカアッと赤くなったのも不自然ではあるまい。いや、不自然か。
 上を向いて……空は薄く延ばした水色で、雲はひとつも無くて、眩しい。
 なんだ。
 あれだ。私に食料を求めているんじゃないか。いや、腹が減ったから食料を摂取したいから解放しろという要求かもしれないが。

「ちょっと待って、な」

 掌を広げて、やや躊躇うも、ナマケロのちょっとゴワゴワした柔らかい毛皮に手を乗せてみた。ぽん、と。

「ぬー」

 諒解の意、らしい。

 私は森に戻った。
 腰に回ったナマケロの腕の感触に、脇腹に押し付けられる頬に、腕の中のゆっくりとした呼吸に、満足しながら、やや急ぎ気味で歩いて戻った。












 目的の葉をつける木を探し出すのに数十分。

「ここ」

 言われたところで降ろそうとしたら、

「もっと上」

「わたしゃ木にゃ登れないんですが」

 誘拐が未遂で済んだので、気が大きくなっている私。
 もう犯罪者じゃないぞ。いや、まだ、か?
 とにかく、斜めに伸びる木の幹の上に降ろす。温かい腕がたらんと離れる。
 もそもそと木にしがみついて、ナマケロは開口一番、

「めんどい」

 木の上の方を見もせずに言う。とろんとした目でこっちを見ながら。

「じゃあ食うな」

「ぬー」

 不満の声。

「いつも自分で取ってるんでしょ?」

「登るのめんどい」

 しねっ、とツッコミを入れかけ、慌てて胸に留める。

「いやむしろ、私が貰う」

「ふえ?」

「いいかよく聞きたまえ。先程私がキミを抱えて走ったのは何でだと思う?」

「……さぁ」

 ちっとは興味を示せ。

「いいかよく聞きたまえ今度こそ。私はキミを誘拐したのだよ。キミが欲しくなったのだよ。キミを自分のものにしようとしたんだよ。怖いだろう、恐ろしいだろう、くけけけけ」

「そうだったのかぁ」

 のんびりと相槌を打つナマケロ。
 な、なんか調子が狂う……。

「だぁから、早く逃げないと捕まえて食っちまうぞ。いや食わないけど、キミをプレミアボールで捕まえてキミは原初のやしゅらぎ」

 げふっ。ろれつが回ってない……。

「……安らぎの中、」

 言い直す。

「私を親と認識し一生離れられなくなり行っけぇナマケロきらきらりんなどと生涯私に使役されるというおぞましき関係に始終する運命が待ち受け候……」

「くー」

「寝るなぁああああああああっ!」

「ふぁ、めしのあとはねるじかん……」

「まだ食ってないだろぉおおおお!」

「めんどい」

「……食べなくていいのですか」

「おなかすいて、ちからぬけてきた……」

「あほかぁああああああーーーーっ!」

「はふー」

「あのなぁ……」

「だいたいさ」

 くい、とナマケロが頬を木から離した。
 木の幹にべったりはりついたまま、のんびりした口調で。

「おぞましきかんけい、とか言うなら、やらなきゃいいじゃん」

 目は真っ直ぐに私を見ている。眠そうな目の奥に、ハッキリした黒。
 頭がクラクラした。
 誤魔化せない。……私がいい加減なことを口にしているの、全てわかっている……。

「……そ、ですね」

 唾を飲み込む。喉が狭い。
 ……穴を掘って、そいで穴に入りたい。なんだかそんな事を思った。

「みず、のませて」

「はい」

 水筒から一口分、ナマケロの口許に差し出す。
 がぶ、と噛み付いて鼻から浴びてしまいそうになるのを押し留めて、少しづつ飲ませていく。赤い小さな舌が水筒の縁を舐める。

「はふぅ」

 心地良さそうに目を閉じて。

「これからも」







「…………はい?」







「ゆーかいでもさ、水呑ませてくれるならいいよ。連れてっても」






















 我に返るまで、たっぷり数秒間かかった。
 我に返って、そのコトバの意味を理解した私は、即答した。1秒でも早く。相手の気が変わる前に。

「はい。じゃあ、遠慮なく」

 手を伸ばして、両脇を持って、そっと抱き上げて、ナマケロはするっと木から離れた。
 そして、私の腕の中に納まった。

 で、一言。

「はらへったぁ」

「はい。少々お待ちくださいませ……」

 その日、私は生まれて初めて、木登りというものをやってみた。
 案外、やればできるものだった。枝をしっかり掴んでいたら落ちることもない。
 足をかけた枝が揺れるたびにヒヤヒヤしたけど、案外、木の枝は丈夫だった。
 そして。





 木の上から、カナズミシティが見えた。
 こんな近くに見えるなんて、思ってもみなかった。
 街の入り口のフレンドリィショップが見える。隣の家の屋上に真っ白なシーツが干されている。ポケモンセンターの屋根も見える。川に釣り糸を垂れているオジサンが豆粒くらい小さく見える。

 今まで、全く知らなかった景色。

 ナマケロは梢の先の一番柔らかい新芽をひとかじりして、ふぅ、と満足げに溜息をついた。
 それで充分、らしい。
 呆れるほどの体力温存型。呆れるほどの省エネ。
 見事だ。私は再び感服した。
 そして……一緒に居られることを、嬉しく思った。



 私の背中には今、ナマケロが居る。









 *あとがき*

 どもっ、やじでございます。
 ここまで読んで下さって、ありがとうございますっ。

 微妙に風邪ひいた微熱の時って、なんだか何でも出来そうな気分になりませんか。

 このおはなしは、まことさんと長電話していた時に、
 書きたいけど書けない読みきりの話をしたら、
「それからは、伝えたいって執念を全く感じないわ〜」
 と言われ、
 それじゃ私が、今、伝えたい・表現したいことってあるかな〜。
 と、書き始めてみて出来たものでございます。

 私信:ども、さんくぅです。>まことさん

 しかぁし、経緯がそうだからといって、
 このおはなしに何か明確なメッセージが込められているとは限らないのデス。
 何気に自身の内面を赤裸々に暴露してしまったかのような気配を濃厚に湛えつつ、
 なんか一言では表現できないものを出せたような 気に なってたりします。

 そいでは、どうも、お付き合い下さってありがとうございました。
 また、お会いできることを祈って……!

  2003年 5月8日 天波八次浪(yaji_wolf@hotmail.com)