※黒戸屋さん著の「素晴らしき世界かな」を先にお読みいただくと、より一層お楽しみいただけます。



 これは違う。これも違う。こいつも違う。全部違う。
 ハズレハズレハズレハズレ。全部ハズレだ。どれ一つとして、僕の望んでいるポケモンに出会える事は無い。
 孵化し終えた全てのポケモンをボックスに預ける。その度に、僕はまた、溜め息をつかなければいけない。
「はぁ……」
 ポケモンセンターのパソコンの前で、僕は大きく溜め息を吐いた。溜めた息を吐く。摂理には適っているけど、じゃあ何で、僕は息なんて溜め込んでいたんだろう。
 答えは簡単。最近、呼吸が上手く出来ない。
 間の抜けた電子音が聞こえたので、僕は顔をあげた。と、僕はようやく、キーボードに手をついたままだった事に気づく。選択するべき対象を見つけられないカーソルが上に行って、下から戻ってきた。僕はキーボードから手を離す。
 自分のポケモン預かりシステムにログインした僕の目の前に映るのは、当然、僕が預けたポケモンだ。
 だけど、僕は彼らを識別出来ない。……はっ、識別出来ないのに選別しているなんてのも、おかしな話だけど。だけど、一旦ボックスに入れてしまったら、僕はもう、区別なんて出来やしなかった。
 ポケモン預かりシステムからログアウトして、僕はポケモンセンターを出る。そして自転車に乗って、すぐ近くにある育て屋へと向かった。
 それが僕の日常になっている。
 それが実は異常であっても。
「こんにちはー」
「おお……」
 建物の外に出ていた育て屋のお爺さんに声をかける。と、僕が預けたポケモンが、卵を持っていたらしい。予定調和。僕はお爺さんから、卵を受け取った。
「大事に育てるんじゃぞ」
 大事に育てる。
 その言葉は、出来ればずっと、聞きたくないものだ。
 僕はお爺さんが新しい卵を持ってくるまで、自転車に乗ってズイタウンの北へ向かった。けれど、目的があるわけでは無い。ただの時間潰し。対象を失って彷徨い続けるカーソルのように、僕は上へ向かって、下からまた、這い上がる。
「大事に育てるんじゃぞ」
 お爺さんのそのセリフは、とうとう五回目になった。僕は卵の他にモンスターボールを一つだけ持って、また同じように、ズイタウンを北へ南へ、走り続ける。動いていると、ポケモンは早く孵化するのだ。だから僕は、ポケモンを孵化させるためだけに、自転車のペダルを踏み込み続ける。
 大事に育てるつもりなんて無い。
 大事に育てたい願望だけは有る。
 だけど――――それでも、恵まれない彼らを育てても、僕は闘いに勝つ事が出来ないんだ。
 生まれて初めてポケモンと友達になった日を忘れたわけじゃない。今でも、最初のパートナーは覚えている。ボックスの中で――随分会ってないけど、それでも、まだ覚えてる。
 ちゃんと、覚えているけど。
 彼じゃあ、高レベルの闘いでは勝てない――
「うわっ」
 考え事をしながら自転車を走らせていたからか、僕はハンドル操作を間違えて、草むらに突っ込んでしまっていた。
「ちっ」舌打ちをしながら、卵が壊れていないか確認してみる。と、既に何匹か、ポケモンは孵っていたようだ。気づかなかったけれど。
「ついてないな」
 言いながら、僕は自転車を起こした。無心になって、ズイタウンをただ往復していれば、それでいいんだ。僕は何も考えずに、ただ孵化作業を繰り返せばいい。
 再び自転車に乗り込もう、と、思ったところで、僕は気配を感じ取った。振り向くと、ポケモンが飛び出してきていた。
 ……本当に、ついていない。
 僕は手持ちの中から、唯一戦闘で勝てるであろうポケモンを選びだそうとした。が、今はそう……卵と孵化したばかりのポケモンしか、持っていないのだった。
 僕は仕方なく、孵化のために連れていたポケモンを繰り出した。
「火炎放射」
 僕は間髪入れずに、ポケモンに命令を下した。が、ポケモンは行動をしない。
「おい、火炎放射だよ」
 気が立っているんだろうか。僕は呼吸と共に、口調も荒くなっているようだった。しかし、ポケモンはそっぽを向くばかりで、僕の要求に応えようとしない。
 火炎放射……覚えていなかっただろうか。
 こいつを戦闘に出したのは久しぶりだから、技の構成も、よく覚えていない。
「変だな」
 でも、確か以前にもこんな事があった。その時は、火炎放射で撃退したはずだ。
 相手のポケモンが攻撃態勢に移った。こちらから攻撃が出来ないのなら、やられてしまう。僕はポケモンをボールに戻すと、急いでその場から離れて、逃げ出す事にした。
 ……ポケモンが言う事を聞かない。
 他に考えられる要因は――バッジ? だろうか。まさか何処かに落としてきたかと思い、僕はバッグの中のバッジケースを調べてみる。
 一つ、二つ、三つ……八つ。
「バッジも八つ全部持ってるのに」
 他に何か………………考えられる可能性は、一つだけあった。ポケモン預かりシステムを多用している間に、コンピュータウイルスが介入して――
「バグったか?」データ化して保存するポケモン預かりシステムだ。そんなバグがあっても、不思議では無い。実際に、聞いた事がある。日常的にも、ポケルスというバグは、確かに存在しているのだし。
 ――ただ、こちらのバグは、まだポケモンに対して無害なのか有害なのか、研究されていない。
 手持ちのポケモンに――それこそ、まだ選別の済んでいないポケモンに感染してしまったら。そしてそのポケモンがもし、良個体値のポケモンだったとしたら――
「バグポケなんか持ってたらデータ壊れるかもしれないし」…………預かりシステムを故障させた場合は、使用不可になるし、そうなったら、今まで育ててきたあと二匹の戦闘用のポケモンにも及ぶかもしれないし…………「逃がすか」
 僕は孵化作業を中断させて、ポケモンセンターに向かった。出来るだけ、卵や孵化したばかりのポケモンと近づけないようにしながら、言う事を聞かなくなったバグポケを取り出して、机の上に置く。
 パソコンを起動して、僕は預かりシステムにログインした。そして、個体値の低かったポケモンばかりがいるボックスに、バグポケを放り込む。
 自分達とは違う姿をしたポケモンに興味を示しているのか、生まれたばかりの彼らは、興味深く、バグポケとなった僕のポケモンを見ている。
 ――いや、彼らだって、僕の所有物では、あったんだけど。
 僕はマウスを動かして、バグポケにカーソルを合わせる。そして、そのポケモンに対して、コマンドを選択した。

『逃がす』

「まぁ、マグカルゴなんてすぐつかまるし、良いか」
 何か居心地の悪い視線を向けられたような気がして、僕は、誰も聞いていない虚空に向かって、そんな言葉を吐いた。自分が犯罪者にでもなったような、そんな勘違いを起こして。誰も僕を見てなんかいないのに、自分を保つために、誰かに、何かに、僕は言い訳をした。
 さあ、また、孵化のためのポケモンを探しに、ハードマウンテンに向かわなければならない。
 最強のトレーナーになるために――必要な、犠牲だと、自分に言い聞かせて。