タイムリミットまで、あと少し。
 二日目の今日、僕が切れるカードは、もう無い。
 事の発端は、何だったんだっけ。
 どうして僕は、こんなに焦っているんだっけ。
 ……そうだ。
 嘘をついてしまったんだった。
「ケンタロスなんて簡単に捕まえられるよ」、と、うそぶいてしまった。そう……きっと、注目を浴びたかったのだ。
 ケンタロス。
 サファリパークの黒幕。
 まあ、僕ら小学生にとって、ケンタロスを持っているというステータスは――それも、おやIDが自分の物であるケンタロスを持っている事は、それだけでこの上ない名誉であり、自慢の種だ。
 みんなが羨む。
 そんな存在。
 だから、ついつい、僕は口をすべらせた。そう、出来心だったのだ。ただ、その場が沸けばいいと思って、単純についた嘘だった。
 それなのに――
「じゃあ、今日お前んち遊びに行っていい?」
 そう、そんな話に、確か、なっていたのだ。
 気づけば僕は、嘘に嘘を重ねていた。
 ケンタロスがいる、というものだけでは物足りなかったのだろう。それだけのステータスでは、満足出来なかったのだろう。
「俺なんて、三匹持ってるから、欲しいヤツにはあげてもいいぜ!」
 なんて。
 そんなはず無いじゃないか――!
 なのに、僕は、嘘をついた。ケンタロスは、三匹いると。だから、一匹なら、譲ってやってもいいんだぜ、というような、高圧的な態度で。
 そして結果として。
 僕は、窮地に立たされた。
 今日は都合が悪いから、という言い訳は、僕ら少年には通用しない。小学生同士の――特に、男同士の繋がりは、信用関係の上に成り立っている。一度でも嘘をついた人間は、一生、その輪の中に入れないのだ。嘘つきは嘘つきとして、処分される。嘘をついた人間の言葉は信用されず、また、嘘つきは平気で人の物を盗むと、そう考えられている。少年は空気を読まない。一度の嘘も、許さない。誇り高き少年であるからこそ、僕らは遊びにおいての嘘を、決して許さないのだ。
 実際、僕も、そう思っていた。
 だからこそ――今の僕は、地獄のような心地だった。いっそ、死んでしまいたいとすら、思った。死んでしまって、そして……消えてしまいたい、と。
 友達が来るのは、もうすぐだ。
 僕は考える。ケンタロスを譲らずに済み、尚かつ、嘘つきのレッテルを貼られない方法を、考えた。
 でも、考えて、それを実行したのは、既に、昨日の事だったから。
 これ以上の嘘は……重ねられない。
 昨日、うちに遊びに来ると宣言した友達が来て、僕は、咄嗟に、ポケットモンスター赤のカセットを、隠した。いや、隠し持った。家捜しをされても大丈夫なように、僕は、カセットをパンツのゴムで挟んだ。他の場所は危ない。ポケットは、外見上分かってしまう。だから、一番わかりにくい場所で、探されない場所を、選んだ。
 その結果、僕の命は、延びたのだけれど――
 悪夢は、やはり、再びやってくるのだ。
 言い訳を考えても思いつくはずが無いのだ。
「明日までに探しておくから」
 と言って、友達を見送った手前、僕は友達に「やっぱりあげない」とは言えない。もう、選択肢として、存在していないのだ。
 いや。
 存在は、しているけれど。
 それを選択したら、僕は、嘘つきになる……。
 それに、今日、言ってしまったじゃないか。
「昨日探したら、見つかったよ。兄ちゃんが部屋に持ってってたんだ」
 と。
 だから、もう、兄は使えない。どころか、家のどこにあっても、言い訳は出来ない。
 今、僕は、猶予期間に置かれている。友人関係が崩されるという、その猶予に。
 嘘つき。
 そう呼ぶに相応しい人間か、値踏みされている。だから、ここで失敗してしまったら――間違いなく、嘘つきだ。何の躊躇いも無く、嘘つき。もう、それ以上無いくらいに。最上級の嘘つきとして。
 だって、一度じゃないんだから。
 嘘を嘘で塗り、嘘で重ね、嘘で包み、嘘で閉じた。
 そんな嘘つきを、みんなが許してくれるはずは無い。
 まして。
 ましてや。
 相手が、クラスのリーダー格なのだから。
 クラスのリーダー格の少年を敵に回せば、僕の人生は、終焉を迎えるだろう。誰も、僕と遊んでなどくれなくなる。
 一部、秘密で僕との関係を繋ぐ者があったとしても、同罪として、見なされるかもしれない。
 それは……出来れば、避けたい。
 避けなければいけないのだ。
 だが。
 逆に、リーダー格にケンタロスをあげる事が出来れば。
 ケンタロスを譲る事が出来たなら。
 それで僕の信頼は、うなぎ登り。クラスにおいて、ケンタロスゲットの天才として、敬われることだろう。そして、次からは、出し惜しみする方向で行けば良い。
 自分が貰えたのなら、リーダー格の少年は、僕を養護する。
 僕が「どうしても捕まえられなかったら、話くらいは聞いてあげるよ」とでも言えば。
「まあ、こいつが偉いんだしな」と、彼は合いの手を入れてくれることだろう。
 そうなりたい。
 いや。
 そうなることでしか、僕の小学生生活は、終了を禁じ得ない。
 終わる。
 確実に。
 閉じる。
 着実に。
 朽ちる。
 永遠に。
 それはいやだ。
 僕は嘘つきになりたくない。
 それは、嘘じゃないのだ。
 なのに――
「それなのにいいぃぃぃ!」
 ようやく現れたケンタロスにボールを投げても、捕まらない。どころか、ボールに入って揺れるそぶりすら見せなかった。どうなってるんだ!
 ゲームボーイを投げそうになる。その寸前で冷静になり、僕はまた、十字キーを回す。
 まさか、電池は切れたりしないよな……換えたばっかりだし。
 電池。
 電池?
 そうだ。
 電池が切れたってことにすれば、どうだ?
 ……いやだめだ! あいつもゲームボーイを持ってくる。そうしたら、あいつのゲームボーイに僕のソフトを差して、ケンタロスの確認をするかもしれない。
どころか、あいつの電池を二本、僕の電池と入れ替えて、交換だけしようと提案してくるかもしれない。いや。待て。
 もし、あいつが新品の電池を四本持っていたとしたら。
 出来るわけがない……そんな手で、僕の猶予が一日延びるわけが無いんだ。
 主人公の足の遅さに憤慨する。
 四角形の草むらに、周囲を巻く四つの草むら。右手にはミニリュウの釣れる池がある、個人的に、一番ケンタロスやガルーラが現れやすい場所。
 なのに、ケンタロスは出ない。
 ガルーラなんて、どうでもいいのに。
 ガルーラなんて、捕まえなくてもいいのに。
 なのに、なんでこういう時に……。
「捕まるんだよ……!」
 ガルーラをボックスに送る。そして、僕はまた、歩き始める。サファリパークの草むらを、闘牛を求めて。
 そうだ、ガルーラを交換すればいいんじゃないか?
 いや、駄目だ。許してくれるはずがない。
 それに、ガルーラを交換したとしても、ケンタロスを見ようと躍起になるだろう。
 ケンタロスのステータスを見る事すら、僕らには出来ない事なのだ。
 おはスタで時々見る事が出来るくらいで。
 元々、ケンタロスがどんな技を覚えているかすら、僕らは知らない。
 ……今思えば、その事について聞かれなくて良かった。
 とにかく。
 とにかく、ケンタロスを捕まえなくては。
 縦横無尽に歩き回る。ポケモンが現れる効果音と、画面の暗転。その間にふと時計を見る。約束の時間まで、あともう五分しかない。
 無理なのか?
 嘘つきの汚名を被るしか無いのだろうか。
 いや、それとも。
 逃げる?
 ここから?
 逃げて……どうする。
 現れたのはタマタマ。僕は迷わず逃げる。
 主人公は、簡単に逃げられるんだ。
 なのに僕は……。
 チャイム。
 頭の中に、閃光が走った。
 時計を見る。時間が早い。話が違う。でも、そんな事を理由に、家に上げないのは、おかしい。疑われる。否、既に僕はもう、疑われているのだ。
 死ぬしか、無いんじゃないのか。
「はーい」
 母さんの声。いっそ、出てくれなければ。いっそ、家にいなければ。
 僕が、ここにいなければ。
「お友達が来たわよー」
 知っていた。そんなこと、僕は知っていた。けれど、でも、だけど。僕は、どうしても、ケンタロスを捕まえないといけないんだ。
 足音が近づいてくる。
 焦る。
 僕は焦る。
 何故か。
 それは、単純に。
 怖いから。
 そして、同時に。
 ケンタロスが。
 現れたから。
 今しかない。
 僕が生き延びるチャンスは。
 この瞬間にしか、無いのに――


 そして僕は、ラッキーを育てる事になった。
 リーダー格の少年からもらった、ラッキーを。
 僕が捕まえたケンタロスは――僕が初めて自分の手で捕まえたケンタロスは、数分間だけ、僕のカセットの中で呼吸をし、彼のカセットの中へと、消えて行った。
 僕が嘘をつかなければ、僕はケンタロスを捕まえられたんだろうか。
 でも、嘘をつかなければ、こんなに躍起になって、ケンタロスを捕まえる気にもならなかっただろう。
 だとしたら、僕は……。
 一体、どうすれば、ちゃんとした形で、ちゃんとした姿勢で、ケンタロスを向き合う事が出来たのだろう。
 僕の手持ちの中で踊る、ラッキー。
 ああ、たまごうみのわざマシン、ようやく使えるんだ。
 そんな感慨も、ケンタロスの喪失とともに、消えていくのだ。
 きっと、もう一度僕が自分の手でケンタロスを捕まえたとしても、僕はそれを、正しい目では、見てやる事が出来ないのだろう。二匹目として。次点として。偽物としてしか、見てやる事が出来ないのだ。
 哀れなのは誰だろう。
 僕だろうか、ケンタロスだろうか。
 それとも――――
 ああ。
 たかがゲームなのに。
 なんでこんなに、哀しくなるんだろう。
 この事は、僕はいつまで覚えているのだろう。
 この事を、僕はいつまで忘れ得ないのだろう。
 いつの日か何もかも忘れて、大人になって、ゲームの事なんか、忘れてしまう日が来るんだろうか。
 ケンタロスを捕まえた時に感じた。
 喜びでは無い、安心感。
 それを拭い去る事は出来るのだろうか。
 僕のポケモンとして捕まってくれたあいつを、数分後に交換に出してしまった心に、慈しみはまた芽生えるのだろうか。
 分からないけど。
 そんなこと、分からないけど。
 それでも僕は、また、サファリパークで、ケンタロスを探すのだ。
 もう、一生会えないかもしれないけれど。
 それでもいつか、会える日が来ればいいのに。
 育ててやれなくて、ごめんね。
 ばいばい、ケンタロス。