10

 まあ勿論、緑葉がそんな事件を経験したという理由でジム戦を見送るはずも無く。
 午後一時半現在、試合の真っ最中である。
 僕と緑葉で一悶着あったあと――まあ思い出すにも色々と恥ずかしさが相まって明確には思い出せないのだけれど、とにかく一悶着あった後、緑葉は周辺のディグダやダグトリオを倒しに倒してモココに経験値を入れ、一定の成長値に達し、進化させた。
 ……まあ、結果から言って、緑葉はデンリュウの見た目だけを理由に進化を嫌がっていたわけじゃなかったのだけれど。とにかく今は気に入っているらしいので、よしとしよう。
「デンリュウ、シグナルビーム!」
 僕は観覧席から、ぼーっと少佐と緑葉の対決を眺めている。なんか少佐、笑いながらやられてて気持ち悪いなぁ……。
「オー! 同じタイプなのにとてもストロングネ! マルマイン、ファイトデース!」
 うわあ……色んな人が見ているからか、少佐の変人ぶりにも磨きがかかっている。それに、時折僕に向けてウインクを送ってくるのもやめて欲しい。
 何だよ、昨日の凛々しい少佐は何処に行ったんだ。つーか常時あの少佐でいてくれ。頼むから。
 ……まあ、そんな少佐は昨晩、僕達が無事脱出した後、とにかく僕らを安全な場所に避難させ、爆弾の処理に取りかかった。残り一時間とか、そんな状況だったのにも関わらず、待機していた爆弾処理の皆さんのお陰で、ディグダの穴は閉鎖せずに済んだようだ。
 処理が終わって一段落着いた午前二時過ぎ。本部とやらで保護されていた僕と緑葉は、少佐にひたすら謝られた。特に僕には、酒を飲ませたことが全ての元凶だと言い続け、謝りまくっていた。大人はこういうところがしっかりしているんだと、僕は改めて思った。
 ――もっとも、その後は緑葉との色々について根掘り葉掘り聞かれたのだけれど、夜も遅いし明日にしてくださいと言って、何とか逃げ遂せた。
 だからこそ、後で聞いてやるからなとかそういう意味合いで、僕にウインク送ってるんだろうか。
 だとしたら、いい年なんだからやめてくれと思う。
 切に願う。
「あっ、デンリュウ……」
 デンリュウがマルマインのソニックブームで少量ながら確実に体力を削られて、力尽きた。うーむ、少佐、勝つ気は無くとも、あからさまな負け試合をするつもりも無いらしい。
 何ていやらしい大人なんだ。僕はああはならないぞ。
「よし、ワタッコ!」
 まあとにかく。
 直接的に酒の力じゃなかったとは言え……それが原因でああなったと言うのなら、それでも少佐には返し切れない恩を受けたことになる。結果的に……その、何だ、両想いだったということだとした場合、別に酒の力なんて借りる必要は無かったんだろうけれど。とにかくまあ、いい方向に転んだのだから、ありがたい話だ。
 それに……緑葉の怪我も、しっかりとした手当てを受けたお陰で、大きな傷は残らないらしい。良かった良かった。女の子に傷がつくなんて、とてもじゃないが見過ごせない。特に緑葉なら持っての他だ。
 原因が原因だから誰を問い詰めるでも無いけれど、とにかく爆弾を使った犯行グループには、少佐からヤキを入れておいて貰うことにする。本当なら僕が直々に殴ってやりたいが、緑葉が怒りそうだ。
「オー! マルマイーン!」
 見れば、少佐が大げさに落胆していた。
 左手を額に、眼は瞑って天を仰ぎ、右手は腹に添え、上半身を反らして――
「ガッテム!」
 叫んだ。
 気持ちいいくらい、ステレオタイプなリアクションだった。
 よそでやってくれ。
 さて、戦況は緑葉が残り三体、少佐がライチュウ一体。完全に緑葉の勝ちが決まったような試合だが、もしかしたら少佐が戦況をひっくり返すのでは、という淡い期待を抱かせる立ち居振る舞いで、少佐はライチュウを繰り出す。もう何だろう、既にそれは役者の域だ。
「ワタッコ、宿木の種!」
「ライチュウ、ボルテッカーデース!」
 試合を盛り上げるためだろうか。いきなり最強の技を使いやがった。勿論緑葉のワタッコの方が行動が早く、尚且つ先ほどマルマインを倒した時のように、先に宿木の種を撒く戦法だと知ってのボルテッカー選びなのだろうが。
 つくづく、食えない大人である。
「まあ……いい人なんだけどね」
 いい人な分だけ、いやらしい部分もあるっていう、それだけのことなんだけど。
 まあこの試合は緑葉の勝ち決定だし、僕は安心して、今後の観戦予定を決めることにした。現在第三試合目で、全十一試合。いつもと比べたら多いほうである。大体一試合に三十分程度はかかるので、全部で五時間半。ジム戦は昼から始まるので、終わるのは六時頃か。まあ、夕飯の支度には十分すぎる。全部見て行っても問題無いだろう。
 日程表に書かれている対戦者名には、例のトクサ少年の名前を連ねられている。第六試合目だ。
 観覧席にいないところを見ると、選手控え室で色々と悶々していそうなものである。きっと、自分が敵わなかった緑葉の試合を見るのが嫌なんだろう。何とも少年らしい理由である。それを克服してこそ、強くなれるというのに。
 ……ちなみに僕は参戦していない。面倒臭くなった、という理由があるわけじゃないのだが、昨日の今日。流石に色々と疲れたってのもあるし、出来るなら少佐とは、本気で戦いたいと思っていたところだった。だから僕は、『道場破り』という形で、ジムバッヂを狙うことにする。
 まあ、道場破りとは言っても、公式にジム戦が開催される日ではない日にジムを訪れ、その場でジムリーダーをなぎ倒すという、結構常識外れなやり方なんだけれど……そのやり方ならジムリーダーに使用ポケモンの制限は無いし、少佐の本気が見れることだろうと判断したのだ。
「コンコン、がんばれ!」
 ワタッコの後を引き継ぐ形で、妖艶な狐が現れ、試合は佳境を迎える。
 元々、この試合をすることが大きな目的だったのに……他に色々と、面倒ごとが起きすぎたせいだろうか、ジム戦に大した魅力を感じられない僕が存在していた。まあ、この三日間で一番の見せ場と言えば、アレだろうしなぁ……あーいかんいかん。こんなに発情していては、愛想をつかされるとも限らない。
「よお」
 と、僕が妄想に耽っていると、声をかけられた。
 振り向く。
「……ど、どうも」
 店長だった。
 一体どういうこと何だ!
 誰か説明してくれ!
「隣空いてんだろ、座るぞ」
「どうぞどうぞ。って、お店の方はどうされたんですか」
「んなもん休みに決まってんだろ。俺がここにいるんだから」
「ですよねー……」
 うわあ怖い。
 一対一だと、怖さに磨きがかかる。
「おい、お前対戦表持ってるか」
「あ、持ってます持ってます。どうぞ」
 そそくさと対戦表を渡す。何でこんなに迫力あるんだこの人。
「悪いな。あー……何だ、どれが面白い?」
 席について足を組み、神様より態度のでかい座り方をして僕に尋ねる。この人何だろう、少佐よりも性質が悪い。
「さあ……見てみないことには分からないですけど、六戦目は面白そうですよ」
「ああ? 数崎木賊、使用ポケモンルカリオ。ああ、昨日もいたなこいつ」
「昨日って……玉虫ジム戦ですか? その頃って僕、ご飯食べてましたけど」
「録画したやつ見たに決まってんだろ。こいつな、多分負けるぞ。勘違いバカだからな」
「え?」
 見た感じ、相当強そうなポケモンだったけれど……負けるって、どういうことなんだろう。
「ジムってな、特色があんだよ。鈍ジムは力押しとか、石竹ジムは状態異常とか。で、ここは何だ? 言ってみろ」
「えーと、道具ですか?」
「そうだな。でな、このバカは今まで運良く勝ち続けて来たタイプだ。つーか、運が良いと思って勝ち続けて来たタイプだ」
「はぁ……よく分かりませんけど」
 本当によく分からない。
 まあ実際、昨日の戦いを見ても、運が良かったとは思えなかったけれど。
「こいつがバッヂをいくつ持ってるか知らねーけどな、玉虫のバッヂが取れたのはたまたまだ」
「たまたまと言いますと?」
「ルカリオ、格闘と鋼か。枝梨花が使うポケモンは、草と毒だ。草と毒なら格闘と鋼にゃ縁が無いように思えるけどな、鋼にゃ毒は効かねーんだ。二ヶ月前に上都から来た研究員が漏らしてた」
「いや、そんなわけないでしょう、だって現に――」
 昨日も緑葉が毒々を使っていたはずだけれど……あれ、使われる前に、倒されたんだっけ。どうだっただろう。定かでは無いけれど、毒状態になってはいなかったような……ん、微妙になってきた。
「効かないもんは効かねーんだよ。まあ鋼って最近発見されたタイプだから、浸透してねーんだろうけどよ。ああそうだ、お前が昨日言ってたあれと同じだ。電気が地面に効かねーのはどうしてかっつー話」
「ああ、ありましたねそんなの。あれ、どうしてなんですか? 一応考えてみたんですけど、さっぱりでした」
「何で電気が影響を与えるかっつー話だ。例えばお前、雨に打たれて死ぬか?」
「いや、死にませんけど……」
「んじゃ土が当たって死ぬか?」
「いや……まあ多少痛い程度ですね」
「そういう、生物には生物の違いがあんだよ。まあ詳しく説明すりゃ甲殻としての地面と肉体としての地面の違いになんだが……ああそうだ、お前水痛くないんだろ?」
「痛くないですね、よほどの水圧じゃなければ」
「でも指切った場所に水当てたらいてーだろ、そういうことだ」
「ああ……」
 えーとつまり、防御する際の『甲殻』と、攻撃する際の『肉体』は別の組織――人間でいう、皮膚と肉の違いということだろうか。うーん、ダメだ、頭が上手く働かない。正直今は、お勉強する気分でも無いし。
「毒と鋼も同じだ。いや、鋼の場合はもっと分かりやすいな。あれは甲殻の防御性能が良すぎて、大半の攻撃は半減しちまうんだ。そんで毒なんざ体内に侵入しねーと意味ねーだろ? ガラス瓶に毒が入ってても、ガラス瓶自体に影響はねーのと一緒だ」
「ああ、そういや鋼の攻撃に弱いタイプって、あんまり無いですもんね」
「堅いだけの攻撃がそのまま弱点に繋がるわけねーもんな。ただ痛いだけだ。だから鋼に毒は効かねーけど、だからといって毒に鋼が強いわけでもねえ」
 ふむ……必ずしも優劣が一致するわけでは無いってことか。まあ、最たる例で言えば、飛んでいるポケモンに地面の攻撃が当たらなくても、地面に飛行タイプの技が効くこともないってとこかな。
 防御面と、攻撃面は別物。
 ……まあ、人間だって、戦う時、拳でガードってしないもんなあ。
 考えてみれば、当然のことか。
 ポケモンは道具じゃなく、生き物なんだし。
「おら、終わるぞ」
 店長が言って、俯いていた僕の頭を無理矢理引っつかんでバトルリングの方に向けた。キュウコンが雄叫びを上げる。いや、雌だけど……雌の場合何て言うんだろう。雌叫びだろうか。
「オーノー!」
 少佐も吼えた。うるせえ。
「とりあえず六試合目だな、それだけ見て帰るわ。それまで寝る」
「寝るって……一体何しに来たんですか」
「何しにってお前に会いにだよ。昨日は緑葉と色々あったんだろ? 面白そうだから見に来たんだよ」
 ……。
 ……。
 は?
「何言ってるんですか、別に緑葉となんて何もありませんよ」
「そうか、じゃあマチスの言ってたことは嘘だったんだな。後であいつをぶちのめすことにするよ」
 うわあ。
 うわわわわわ。
 この雰囲気まさかとは思っていたけれど……少佐の知り合いかよ。
 しかも仲良さそうだし。
 何て星の巡り合わせだ。
「ぶちのめしておいてください」
「任せろ」
 まあでも、知り合いなら知り合いで、とことんぶちのめしてもらおう。僕が少佐に勝てるはず無いし。
 僕は観覧席を立って、店長に一礼してから、緑葉のいる選手控え室まで行くことにした。
 試合数が多いのでバッヂの贈呈式は最後に行われる。それまで暇なので、試合が終わると出場者は控え室とか観覧席とか、とにかくどっかで時間を潰さないといけない。
 観覧席から階段を下りて、控え室まで向かう。朽葉ジム、昔はバカげた装置を使って侵入者を拒んでいたらしいのだけれど、今ではバトルリングと観覧席のある最も一般的なジムになっている。まあ、多分、多くの人に――得に女の子に見てもらって、ちやほやされたいからという、下卑た大人の欲の表れだと思うんだけどね。
 廊下を進んで、控え室の前で座っている緑葉を発見。控え室の中はきっと殺気立っていて入れないんだろう。
「や、緑葉」
「あ、ハクロ! 見てた? 勝っちゃった!」
 割れんばかりの笑顔で緑葉は言う。お、おお……喜ばしいけれど、控え室の中から感じられるドス黒いオーラが怖い。
「うん、おめでとう。いやーあれだね、ワタッコは本当に黒いなあと思ったよ」
「黒くない黒くない。戦術だよ! でも何でもいいや、勝てたから。今は何言われても傷つかないね」
「まあ、そうだよな。うん、本当におめでとう。とりあえず、どうする? 観覧席でも行く?」
「そうする。他の試合も見たいし」
「んじゃ……向こう側の席で見ようか。こっちからだと、見えにくいから」
 そして、僕は自然に緑葉の手を掴む。
 昔はよくやっていたことなのに、最近すっかり、忘れていた。
「あ……うん」
「照れるなよ、僕が恥ずかしいから」
「そ、そうだよね。別に変なことしてないしね……ごめん……」
 そんな感じで、何だかぎこちなく手を繋いで、僕達は向かい側の観覧席へと向かう。
 まあ、昨日は色々と、急ぎすぎたのかもしれないし。
 ゆっくり……ゆっくりすぎても、どうかと思うけれど。
 まあ、適度に進めていけばいいんじゃないかと、そんなことを思う。
「焦る必要なんか無いもんな」
「ん?」
「ゆっくりでいいやって言ったの。僕と緑葉も、他のことも、色々」
「……はっきり言うなよぉ」
 俯きながら、繋いだ手を乱暴に振り回す緑葉。
「そういうことすんの本当にやめて。すげー恥ずかしくなる」
 だからと言って、嫌なわけじゃないけれど。
 まあ、物の数だけそれ相応の速度があるんだと、そう思う。
 だから一緒にいる今は、色々と、伝えられることは、伝えておこうと思った。
 近くにいられるうちに、分かり合えたらいいと思う。
 いつ離れる時が来るのか、分かったものじゃないからね。




 ◆

 そして蛇足に塗れたその後の話。
 トクサ少年は店長の予言通り、マチス少佐に破れ、結果十一人中四名のトレーナーが、オレンジバッヂを手にすることとなった。
 盛大……ってほどでも無いけれど、バッヂの贈呈式が行われ、ジム戦の全日程は終了。その後は観客も消えて、帰ろうとした僕が少佐にとっ捕まり、昨日はどうしたんだオラオラといじられて緑葉がそれを眺めている時に、突然彼はやってきた。
「ハクロさん……でしたよね」
 トクサ少年が、僕を呼んだ。
「ん、そうだけど、どうしたの?」
「試合の後、ポケモン一匹だけで戦うなら、それだけ強くなってからにしろと、マチスさんに言われました」
 饒舌に、少年は語る。
 既に用意していたとでもいうように、言葉を、紡ぐ。
「しかしハクロさんは一匹しか使っていないとも、言われました」
「……何で言ったんですか少佐」
「んなもん面白いからに決まってんだろ」
 やっぱり最低な大人だった。
 店長同様、自分の楽しみしか考えてない。
「言い訳にしかならないですけど、緑葉さんも、マチスさんも、使うポケモンの数が多い」
 言いながら、トクサ少年はバトルリングに上がった。
「……でも、ハクロさんが一匹しか持っていなくて、それでも勝てなかったら、僕は本当に弱いってことになります」
「ふうん……」
 何だ、単純に、自分を追い詰めたいのか。
 成長するために、無理矢理自分を追い込みたいのか。
 それなら――協力しないことも、無いけれど。
「ポケモンの準備はいいの?」
「……回復済みです」
 腰からモンスターボールを取り外して、トクサ少年は僕を見据える。
 全く……夢を見ている人間の頼みを、僕が断れるわけが無いじゃないか。
「少佐、リング借りますよ」
「ああ、好きにしろ。つーか俺観戦するから」
 僕、緑葉、トクサ少年は、既に変な外人のフリをする対象じゃなくなっているらしい。
 少佐は僕の肩に手を置くと、審判席に店長のようなでかい態度で腰掛けた。
「えーと……じゃあ私も観戦しよっと。ハクロがんばれー!」
 緑葉も言いながら、少佐と同じ審判席に座る。
「うん、ほどほどにね」
 言いながら、僕もバトルリングに上がろうとする。
「全力でやってくださいよ」
 ……怒られた。
 僕年長者なのに。
「んまあ……ちゃんとしたバトルって久々だし、いっちょ本気でやるかな」
「……お願いします」
 僕がバトルリングに上がると、トクサ少年はモンスターボールを放って、ルカリオをくり出した。
 さて、叩き潰すか。
「そんじゃ、試合の前に一つ約束」
「……何でしょう」
「これで負けたら、ポケモンが全てだなんて思わないようにしてくれ。昨日みたいに、負けて倒れるなんて、ただの現実逃避だ」
「……分かりました」
「あとついでに言っとくと、君のポケモンは格闘と鋼。僕のポケモンにとって相性最悪のタイプだ」
「……そうなんですか」
「だから、それでも勝てないって理解出来たら、色々と世界を見てくれ」
 なんて、僕が偉そうに言える立場じゃないのは分かっていたけれど。
 わざわざ僕に対戦を申し込むってことは。
 一度、完膚無きまでに叩き潰されたいんだろう。
 ……そういう向上心のある少年は、大好きだ。
「そんじゃ行こうか」
 そして僕は、モンスターボールのサイズを一回り大きくさせ、リングの中央に向かって投げる。
 出現する、白と黒を基調とした、悪のポケモン。
「本気で行こうか、ダークライ」
 そして僕は、一人の少年の心を。
 完膚無きまでに、破壊(さいせい)する。

 ポケモン。了。