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 朽葉市は中心地に限って言えばさほど広くない地域だが、六番道路と十一番道路、さらには『ディグダの穴』と呼ばれる洞窟が存在しているので、全体的に捉えると結構な広さとなる。
 もし緑葉の身に何かが起きていたとしても、近隣の山吹市や地下通路を通って行ける縹市、東にある釣り場などに行くためには必ず『連絡路』を通らなくてはいけないために、監視員の目に触れることが確実だ。そんな馬鹿をしでかす奴等に緑葉が襲われているという可能性は低いので、悪さをしたいなら朽葉市付近に潜むか――もしくは、『ディグダの穴』を通って何処かに行くしか方法は無い。
 僕は家を飛び出すとまず北の六番道路に向かった。ポケモントレーナーがポケモンバトルに興じる場所であり、釣りも出来る憩いの場である。野生のポケモンに構っている暇が無かった僕は、草むらを避けるように右往左往した後、緑葉の不在を確認する。こちら側に抜け道は無い。何しろ六番道路は見通しが良いのだ。だとしたら、十一番道路か。
 朽葉市は各地方の人間が行き来する場所であり、貿易が盛んな港町だ。国外から来る人間も多いので、その分――多種多様な人種が入り混じっているために、犯罪や暴動が起きやすい。
 政府でもその対策として警備員を何人か配置しているようだが、そんなことで犯罪が防げるのならばこの国にマフィアなど存在しているはずが無い。数年前に蔓延った『ロケット団』という馬鹿がシルフを乗っ取るような大事件が、起こるはずも無いのだ。僕は警備員という存在を完全に否定したい気分になりながら、朽葉市内を走り回った。すわ何事かと船乗りの叔父さん達が気に掛けるが、対応している暇は無い。
 走りに走った挙句見つからなかったので、僕は一旦朽葉市の中心地に戻り、信頼を置いている(警備員よりも誠実という意味合いで)、ポケモンセンターの女医さんにその旨を伝えるためにポケモンセンターに走った。
 自動ドアが開く数秒すらも惜しい。ポケモンセンターののんびりとした空気に中てられながら、僕は受付に走って女医さんに食って掛かる。
「……っは、ぁ……すいません、あの、僕くらいの年頃の女の子、見ませんでしたか……」
「見かけてませんけど……あの、どうかされましたか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫、です。すみません、見かけたら、保護しておいてください」
 冷静にならないと。そもそも見かけたら、なんて、女医さんはポケモンセンターから出るわけにはいかないんだ。もし見かけることがあるとすれば緑葉がポケモンセンターに逃げ込む時で、それは同時に保護を達成している。数多くのトレーナーが利用するポケモンセンターの管理者に、無理難題を押し付けている場合じゃ無いか。いかん。冷静にならないと。何故こんな所で油を売っているんだ僕は。
 僕は女医さんに頭を下げて再び走り出す。こうなると後は十一番道路か、『ディグダの穴』しか無い。いや、まだ僕の勘違いであるという可能性が無いわけでは無いが――その可能性に現実逃避するのは後だ。僕は出せる限りの力を振り絞って運動不足の両足を走らせる。
 あまりに必死な姿に見えるのか、僕を見ても勝負をしかけようとする厄介なトレーナーの姿は無い。僕はそのまま十一番道路を駆け巡って駆け巡って駆け巡って――発見する。緑葉を。
 十一番道路は東西に長く、草むらはその中心部にある。本来ならば十一番道路は朽葉市と連絡路を繋ぐだけの道なのだが、その広さから、トレーナー達の間で路上バトルの場として活用されている。
 しかし、十一番道路は連絡路のある建物の付近が、開けている。全く意味の無い場所で、草むらでもなく、トレーナーも近寄らない、辺鄙な場所だ。強いて存在理由を挙げるとすれば――人目に付かない敷地、というくらいだろうか。僕は昔、そこに入って両親に酷く怒られたことがあったので、今まで近寄ることは無かったが、まさかと思いながら訪れたその敷地で、僕は緑葉を発見した。
「…………」
 異常は、無かった。
 異変も、無かった。
 何を異常として何を異変とするのかでこの考えは大きく変わるのだが、取り返しの付かない大事件、というほどのことは、外見的にも起きていないようだったので、僕はひとまず――安堵する。退屈しのぎにテレビを見すぎたせいか、僕は物事を悲観的に考えることについては人一倍能力が長けてしまっているようだ。
「……あ? 誰だてめ」
「てめえが誰だ殺すぞ」
 僕は緑葉が無事である――見た所昏睡状態ではあるが――ことを確認して安心してしまったせいか、目の前にいる暴走族らしき男二人を、殺したい衝動に駆られていた。いや、勿論現実的に殺す算段をつけているという意味合いでは無いが、気持ちの面では、存在を掻き消したかった。
 ……それに、なんだか、発音に訛りを感じる。
 密入国者……だろうか。
「……まあ、いい。説明しろ」
「あー? なんだてめはよ。こんな所で、何の用だ」
 二人組みのうち、モヒカンの変態が緑葉を隠すようにして立ち上がり、先程から僕と会話しているデブは進み出て僕を威圧してくる。笑える。僕はベルトに手を伸ばすと、収縮したモンスターボールのボタンを押して、通常サイズに戻す。
「女に飢えた馬鹿はやることも馬鹿だし存在も馬鹿だな。おまけに格好も馬鹿だ。限りなく迅速に死ぬといい」
 僕は既に怒りの限界だった。もし緑葉が、この豚と鶏に何かされていたかと思うと、僕はもう死ぬのを厭わないほどの後悔に襲われる。こめかみで血管が蠢いているのを体感しながら、威圧的な眼光を暴走族に向ける。
「直接殴り合うのと、どっちがいい?」
 手にしたモンスターボールをもてあそびながら、僕は暴走族二人に尋ねてやった。自分の優しさに酔狂しそうになる。今この場で殴り殺すという手立てもあったが、一応、対立が起きた場合、ポケモンバトルという方法で決着をつけるのは、殴り合いとは違い――犯罪には、ならない。それが百対一の集団リンチであっても、ポケモン同士の戦いであれば、何ら問題は無い。僕は直接手を下して犯罪者のレッテルを貼られ、今後の緑葉と過ごす時間を棒に振るくらいだったら……という最後の理性によって、ポケモンバトルを、こいつらに提供してやった。ポケモンバトルという、争いごとを丸く収められ、犯罪にもならない、魔法の解決法方を。
 豚は薄ら笑いながら、派手な装飾が成されたボールに手をかけて、投げつけてきた。後ろから鶏もボールを放ってくる。豚はスリープ、鶏はヨルノズク。
 共通項は――はっ、催眠術か。
「ガキは痛い目見ねと、分からねらしいな……」
「アハハっ、お前、ダブルバトルしよーぜ! お前が仕掛けてきたんだからな! 文句ねーよな!」
 鶏の方が初めて口を開いたが、甲高くて耳障りな声だった。それに、訛りが酷い。僕はもうこれ以上この空間で言葉を吐くことをやめることにして、手の中で怒りに震えていたモンスターボールを放って――瞬間、決着が付いた。

 ◇

 例えば催眠術。
 例えば悪魔のキッス。
 例えば欠伸。
 例えば唄う。
 例えば茸胞子。
 例えば眠り粉。
 ――そんな、まあ、とにかく。
 相手を行動不能にしてしまうという状態異常で、最も効果的で、最も容易に行えるのは、眠らせることだろう。
 氷漬けにするのも良い。だが、難しい所だ。現実的に、一生物を氷漬けにするということは、多大なる労力を要する。
 麻痺させるのも良い。だが、麻痺は制限であって、束縛では無い。相手を完全に動けなくするのでは、決して無いのだ。だから、完璧とは、言い難いだろう。
 混乱させるのも――あるいは、効果的かもしれない。毒、火傷も、相手を心理的に追い込むという点では、効果的だ。だが、そうは言っても、眠らせるという――相手の行動を制限し、さらに意識すらも奪うという行動は、非常に効果的だ。それは、自分が使う場合においても、相手に使われた場合においても、強力なもの。例えば、相手を毒にしても、そこまで心理的に優位に立てるとは、思わない。が、自分が毒にされた場合は、残りの体力と相手の攻撃力を照らし合わせ、回復を優先するか、攻撃を優先するか、迷うことだろう。だから、毒や火傷、麻痺、混乱というのは、相手取った場合はそこまで優位に立てず、自分の場合には、酷くもどかしい状態異常である。
 しかし、睡眠ならば。
 絶対的である。
 とは言え、眠気覚ましやら、自然に起きるやら、何やら。何かしら、強制的に起こすことが出来る道具も存在するし、眠ってしまったら終わり――という物でも無いのではあるが。
 さらに、確実に、百パーセントの確率で眠らせるというのは不可能であるし、豚と鶏が使ったであろう、恐らくは『さいみんじゅつ』ですら、命中率という観点では、七割程度しか、成功率を持たないのだけれど――
 そうでは、あるのだけれど――

 ◇

 レベル換算をすれば、スリープは二十五、ヨルノズクは二十三。お世辞にも強いとは言えないことから、緑葉は男二人に力ずくで襲われてその後催眠術にかけられたと見るべきだろう。そうじゃなければ、緑葉のポケモンがこんな雑魚に負けるとは到底思えなかった。
 緑葉が襲われたのは、犯罪。そしてポケモンが人間に、双方(この場合では、所持トレーナーと、技をかけられるトレーナー)の同意無しに技をかけるのも、犯罪。
 一方僕は順当に勝負を申し入れ、相手方が二人でかかってきた。ダブルバトルという名目で。僕は一体しか、ポケモンを持ってはいなかったのだが。
 しかし僕が一体しかポケモンを持っていないことは、ダブルバトルを回避する理由にはならない。これで僕が訴えてみても、準備不足というだけで、逆にトレーナーとしての素質を問われるだけだ。
 ……まあ、トレーナーじゃないんだけど。
 卑劣を働いた二人組に対して、僕の相棒は、大層怒っていた。見かけによらず、タイプによらず、こいつは心優しい正義のポケモンなのだ。僕は相棒を信じているからこそ――何の命令も下さずに、スリープとヨルノズクに対して人差し指を突き指し、それだけやって、緑葉の方にてくてくと歩き出した。
 一瞬で――決着は付いた。否、体力を極限まですり減らし、瀕死状態に追い込むという所謂正等な『戦闘不能状態』にまでは追い込んでいないので、純粋な意味で『決着』とは言いにくいのだけれど。
 スリープとヨルノズクの唸り声を背後に聞きながら、僕は昏睡状態の緑葉を抱きかかえると、頬を何度か叩く。
「……ん」
「緑葉、おはよう」
 僕の背後では、既に暴走族二人も、ポケモン同様に唸り声を上げていた。正規のポケモンバトル終了後(というよりは、僕からの放棄後)、トレーナーがトレーナーに暴行を加えようとした場合(僕に殴りかかろうとした場合)、ポケモンがそれを護るのは――ポケモンが人間に技をかけたとしても、正当防衛だから、問題は無い。
「ん、あれ? なんでハクロが……」
「遅いから迎えに来たんだ。って言ってもまだ午後四時だけどね。今日はまだ帰ってきたばっかりだし、やっぱり家で休んでなよ。疲れが溜まってるんじゃない? こんな所で寝るなんて」
 僕は緑葉を抱きかかえると、そのまま歩き出す。緑葉を安全な場所に避難させたいということもあったが、どちらかというと、馬鹿の近くに存在していたくなかった。
 催眠効果が抜け切って無いせいか緑葉は抵抗らしい抵抗を見せないが、それでもお姫様抱っこは恥ずかしいのか、俯いている。そしてどうやら、僕の背後で倒れていた暴走族とポケモンを見て、ことのあらましも思い出したらしい。
「……もしかして、色々大変だった?」
「いや全然? これからカレーの灰汁取りだから、そっちの方が大変」
 言いながら、僕は連絡路から少し離れた場所に緑葉を降ろして、暴走族を俯瞰していた相棒を、モンスターボールに収納した。心優しいポケモンは、悪行を働いた人間に対しても、許しを与えるか迷うだけの心の余裕があるらしい。
「……あー、恥ずかしい」
「そうだね、帰ってきて早々、緑葉は恥ずかしいね」
 けど迷惑じゃなかった。僕は緑葉の催眠効果が解けるのを待って、十一番道路の隅で、緑葉と一緒に横たわる。
 緑葉は訊く。
「何でこうなったか、聞きたい?」
 僕は答える。
「何でそうなったか、話したい?」
「……やっぱいいや」
 そう言うと、緑葉は急に起き上がって、僕を振り向く。真剣な顔つきに一瞬戸惑ったが、すぐに緑葉は表情を崩して、「ありがとっ」と言った。
「……どういたしまして、お姫様」
「…………よーし、私のうちまで競争だ!」
 恥ずかしさを紛わすように、緑葉は立ち上がって、駆け出した。僕もそれに続くように、ゆっくりと起き上がって、緑葉を追い越さないように、走る。僕のうちだろ、なんてつっこみはしないままで。
 緑葉が無事で、良かった。
 こんな調子で一人旅なんか出来てるのか? という疑問と共に、何処か油断していた所があったのだという考えも、あった。
 僕と会って、心に余裕が出来たのか。僕がいるから、大丈夫と思ったのか。
 結局どういう理由で緑葉がこうなってしまったのかは分からなかったけれど、とにもかくにも、緑葉が無事で良かった。今はそれだけで、十分だった。