4

 二日目。
 老人のように朝起きるのが早い僕よりも、さらに早く起きていた緑葉は――どういうことだろう、朝食を作っていた。
「……ん、夢、か?」
 隣に緑葉がいないことを確認し、もしかして昨日起きたことは全て夢オチだったんじゃないかという疑心暗鬼に駆られ、リビングへの戸を開けたところで僕は放心することとなった。
 緑葉が料理?
 緑葉なのに?
 あの緑葉が?
「あ、おはようハクロ、台所借りてるよー」
「うん、おはよう……」
 ……。
 ……。
 ……。
 たっぷり時間をかけて放心した後、思い出す。
 ああ、そっか。
 緑葉って、家事得意なんだっけ。
 日頃のイメージから、料理をやらせたら家を燃やし、掃除をさせたら家具を壊し、洗濯をさせたら家中泡だらけにしそうな妄想を抱いていたけれど。ああ、そりゃ、そうか。僕が家事をそつなくこなせるのは、何も一人暮らしをしているからということだけが理由じゃなく、緑葉に負けるのが嫌で嫌で仕方なかったから、過去に猛特訓したからだったか。はあ、だとしたら、僕ってポケモンの才能以外に関しては、結構緑葉に劣っている、自意識過剰なだけの人間なのかもしれないなあ。残念な男である。
 まあ、それはともかく。
 優等生なのにドジとか、年上なのにわがままとか、おてんばなのに家事が出来るとか。諸々あるけれど。
 全く、ギャップってやつは。
 ……萌えやがるぜ。
 未だ覚醒しきってない脳と顔で、僕はぼんやりと洗面所へ向かう。一応、女の子の前だし、顔くらい洗わないとね、ということで念入りに。いや、毎朝洗ってはいるけれども、一応気合を入れるべきだろう。
 念入りに念入りに、髪の毛も軽くセットしたりなんかしつつ……。
 そして僕がリビングに戻る頃には、食卓は完成されていた。
「お帰りー」
「ただいま」
 なんだか、新婚さんみたいだなあ――などと言う頭の悪い妄想を頭の隅に追いやって、僕は席に座った。緑葉と向かい合う形で。ちなみに緑葉、旅の最中に着ていた服は全て洗濯中なので、今は僕の服を着ていたりする。僕のTシャツが神々しく輝いて見えるのは、夏の日差しのせいでは無いだろう。
「それじゃ、いただきます」
「はい、いただきまーす」
 手を合わせて、いただきます。
 そういえば、よく考えれば緑葉が来てから、まだ二十四時間経過していないのか。確か緑葉が到着したのって遅めの昼飯を食べ終わった後だったし、そう考えると、午前七時現在、十七時間しか一緒にいないという計算になるか。
 ……うーむ、どうも、ずっと一緒にいる気がするのだけれど。
 幼馴染という魔法がかかっているせいだろうか。
「ところでさ、ハクロ」
「ん?」
 朝の定番である目玉焼きに塩コショウを振りかけながら、僕はなるべく緑葉を直視しないように応える。なんだろう、意識しすぎだろうか。そりゃ健全な男子として、意識してしまうのは当然とも言えると思うが。
 Tシャツの、ファンシーなポケモンがプリントされた部分とか、ね?
「今日って玉虫に行くんだよね」
「ああ、行くよ、山吹経由でね。まあ、近いとは言っても結構かかるから……早めに出るにこしたことは無い感じかな?」
「それなんだけど、空飛んじゃダメなのかな?」
「あー……」
「ヨルノズクなら、がんばれば二人乗れるし」
「ふむ」
 空を飛ぶ、か。
『そらをとぶ』
 秘伝マシンとか技マシンとか、そう言われているらしいのだけれど。ポケモントレーナーで無い僕には馴染みの無い概念の一つとして、ポケモンに人工的に技を覚えさせるという技術が、あるらしい。いや、如実に世界に根付いていて、どちらかと言うと僕が疎いだけなのだが……まあ、とにかくそんな技術がある。
 ポケモンという生命体は、バトルをすることで戦闘経験を溜めて行き、自身の能力を上げていったり進化したりということとは別に、技を編み出すということをしだす。編み出す――いや、生み出すと、そう言ったほうがいいのかもしれないが。とにかく、自分の身体を、能力を使って、敵を攻撃したり自分を護ったりする術を生み出していく。
 進化と同じで、どのような段階でどんな技を生み出すかと言うのはポケモンによってほぼ決まっているらしいのだが、こちらの場合は『進化キャンセル』のような裏技は存在しない。まあ、そりゃ自分が使う技に限界なんて無いだろうから、生み出すのを止める必要なんて無いのだろう。ポケモンというのは基本的に野生生物なのだから、使いたい技を際限なく覚え、敵対生物に対応していくのが自然な姿なのである。
 が、しかし。
 それがポケモンバトルとなると、話は別になってくる。
 野生生物であれ、モンスターボールで捕獲されてパートナーとなった以上、戦闘中はトレーナーの指示を仰ぐ必要があるのである。これはあくまでも噂で聞いただけなので信憑性は定かでは無いが、モンスターボールという製品がポケモンにもたらす影響の一つに『絶対服従』なるものが存在するというものを聞いたことがある。まあ、流石にそこまでは無いとは思うが、嘘にせよ、真にせよ、基本的にパートナーとなった時点でポケモンはトレーナーの言うことを、ある程度は聞くようになる。これは気性の荒いポケモンでも同じである。もともとポケモンという生命体は、人間と共存することを是とするものなのかもしれない。
 さておき、技の指示である。
 例えば警察犬――有名所で言えばガーディだが(これは名前も警察犬として適している)、ポケモンとしてでは無く単純に犬の話。戦闘本能がポケモンに比べ低く、成長も芳しくなく、ましてや何の特色も無いただの犬であっても――警察犬や盲導犬は、人間の指示を聞いてその行動をする。いや、普通のペットであったとしても、お手、伏せ、等の芸当を仕込むことが出来る。餌をやれば寄ってくる、それを待て、と制することも、可能である。犬は人語を理解しているわけではないのに――である。
 と、すれば。それはどういうことか。
 これは訓練を繰り返すことで、その状況下でこの音を発されたらこれをする、という習慣が身につくからである。学習能力の正しい発達だ。
 ではポケモンはどうだろう。
 彼らはバトルの最中、トレーナーの掛け声一つでその技を発動させる。
 しかし――いくらポケモンが際限無く、生み出せるだけ技を生み出すからと言って、それらの技に名前をつけたのは人間であるのだから、ポケモンがそれらを認識するのは不可能である。――ポケモンは基本的に、闘争本能が高いことに反して、学習能力が高い生命体では無いらしいのだ(例外として、人語を理解するポケモンの存在も、認められているらしいが)。
 で、あれば、トレーナーは技の指示をどうやって出すのだろうか。
 基本的には犬と同じで訓練(戦闘)をし続けるだけなのであるが――ポケモンの使える技の数を制限してやることが、一番の近道なのだそうだ。
 どういうことか。つまりはポケモンと意思疎通を図るのだ。「指示を出すのは、この技とこの技だけだよ」と言った具合に。
 言葉で言えば簡単であるが、それは簡単なことでは無い。何しろ言語どころか種族の違う生命体なのであるから、意思疎通など図るのは不可能と言っても過言では無い。だけれど、ポケモンは人に懐く。人間から心を開けば、必ずポケモンは応えてくれる。――いや、これは関東地方のポケモン博士の言葉であるが、とにかくはまあ、そういうことらしい。
 まあ、ポケモン自身にも闘争本能というものが存在する。トレーナーの指示と、戦闘状況と、出すべき技。それらを瞬時に考え、実際に技を放ち、トレーナーが不満そうな表情をしていなければ、自分の判断は正しかったと捉え、次第にトレーナーの『指示』――技名であるが、それを聞いただけで技を放てるようになると、そういう按配である。
 まあ、基本的にトレーナーは最初、失敗ばかりである。その辺の、阿吽の呼吸を掴むためには、何度も戦闘を経験し、ポケモンもトレーナーも成長していく必要があるのだ。
 ……余談だが、世の中には直感的にポケモンと意思疎通を図ることが出来る人間も、存在する。動物と心が通う人間、と似たようなものだ。まあ、言わずもがなそれは僕であったりするのだが、僕はその才能を余す所無く踏み潰している。なので、緑葉にはあまり言わないようにしている。
 まあともあれ、話が長くなってしまったが、戦術の幅、戦闘の枠、ポケモンの学習能力の限界、様々なものを考慮して、ポケモンが持つ技のうち、トレーナー自身で指示を出すことが出来る技は四つまでと、ポケモンリーグが公式に決定付けている。とは言っても、四つもあれば戦闘においては十分事足りるし、逆に多すぎても、『ショー』としてのバトルが面白味に欠けると思うのが、観戦好きの僕の感想である。まあ、たまにトレーナーの指示を無視して勝手に攻撃するポケモンもいるけれど。
 さて、技マシンだ。
 ポケモンに対して仮想現実経験を積ませることにより、実際に経験していないことを経験したつもりにさせ、技を強制的に生み出させるというのがこの技マシンの特徴である。非人道的であると非難する団体もいるらしいのだけれど、それよりも好きな技をポケモンに覚えさせられるという考えの方が多いので、技マシンが消えることは多分有り得ないのだろう。一昔前まではポケモンバトルの大会や、ジムリーダーに勝った商品としてでしか手に入れられなかった技マシンも、現在では大量生産が図られたとかで、大型デパートで取り扱われているレベルだし、フレンドリィショップ辺りに並ぶ日が来るのも、遠い未来では無いのかもしれない。
 で、何の話だったか。
 ああ、秘伝マシンだ。
 そんな技マシン――例えば緑葉のポケモンであるキュウコンは、進化すると横着して自力で技を生み出すことをほとんどしなくなるポケモンである。しかしそんなキュウコンに技マシンで技を覚えさせることは、可能である(もっとも、系統的、物理的にイメージ出来ない技を覚えさせることは不可能であるが)。
 例えば炎系の技マシンを使って、キュウコンに技を覚えさせるとしよう。するとどうなるか。技マシンというのは使いきりのCD―ROMのようなものであり(厳密にはちゃんとした名称があるディスクなのだが)、一度情報を読み取るとそれ以上は読み取ることが出来なくなっている。が、それを何度でも読み取ることが出来るディスクと言うのが、存在する。
 それが、秘伝マシンだ。 
 勿論『秘伝マシン』なんて名称は、共通言語のような俗称であり、『技マシン』ですらそうなのではあるが、とにかくその秘伝マシンというのは、ある一定の資格のある人間だけが所持出来る情報伝達媒体なのである。
 さて突然だが、車を運転するには何が必要だろう。免許だ。
 ポケモンリーグに挑戦するには何が必要だろう。各地方の八つのジムバッヂだ。
 では秘伝マシンを戦闘以外で使うには何が必要だろう。
 それも、ジムバッヂである。
 言ってしまえば、ジムバッヂというのはポケモントレーナーの免許のようなものである。例えば普通免許を持たずに車を運転したらどうなるだろう? 持っていないことが判明すれば、直ちに処分が下される。罰金が主だろう。まあ被害はそんなに大層なことでは無い。
 が、ジムバッヂが無いのに違法行為――例えば緑葉の言っていた『そらをとぶ』であるが、ジムバッヂの無いトレーナーがポケモンに乗って空を飛んでいたら――見つかり次第所持している全てのジムバッヂが強制回収され、携帯しているモンスターボールも没収される。そのくらい、ポケモンリーグという存在は、管理を徹底した団体なのである。無論、ポケモンバトルが苦手な僕は、一つとしてジムバッヂを持っていないので、『そらをとぶ』は愚か、全ての秘伝技を使えないのだが。
 ――ああそうそう、秘伝技の特徴としてもう一つ重要なのは、その技の全ては、どのポケモンであれ、自力で覚えることが出来る技では無いということだ。まあ飛行タイプのポケモンは基本的に常に空を飛んでいるので、わざわざ『空を飛んで攻撃する』なんて攻撃を、技として覚えるはずも無いだろうしね。
 生命体の限界を伸ばす、という感じだろうか。
「……でも、関東に限らず、バッヂが無いと飛べないしなあ。緑葉って、上都のバッヂしか持ってないんじゃない?」
「ううん、関東だと、グレーバッヂとブルーバッチは持ってるよ」
 へえ。
 意外だった。
 だけれど、別に、狙ったわけでも、何でも無いのだろうけど。グレーバッヂとブルーバッヂでは、空を飛ぶことは不可能で――
「空飛ぶのに必要なのって、オレンジバッヂじゃ、無いっけ」
 オレンジバッヂ。
 言うまでも無く、ここ、朽葉ジムのバッヂである。
「そうなんだ……」
 上都地方なら。
 あるいは、『そらをとぶ』のに必要なバッヂを、緑葉は持っているかもしれないけれど。
 地方ごとに、法律は別物である。
 従って、所持していなければいけないバッヂも、別物である。
「むー……じゃ、歩いていこっか、その方がのんびりできるし」
「まあ、それしか無いしね」
 空を飛ぶ、ねえ。
 僕のポケモンは飛行タイプの技なんて覚えないだろうし、僕を乗せて空を飛ぶことなんて無いだろう。
 まあ、それに、僕は彼に秘伝技を覚えさせるつもりなんて毛頭無いけれど――そうか、免許として、ね。
「バッヂとしてじゃなく、免許として持っておくのも……悪く無いのか」
「ん?」
「いや、何でもない」
 別にトレーナーじゃ無いし、こだわりも無いし。僕はパートナーは一匹と、決めているわけじゃないしな。
 マチス少佐を倒して、飛行タイプのポケモンを捕まえるということを、考慮しておくのも悪く無い。
「まあとにかく、歩いていくなら時間もかかるし、早めに食べて、行こうか」
「そうだね。はー、玉虫デパートなんて久しぶりだからちょっと楽しみ」
「深奥にもでっかいデパートあったじゃん。(トバリ)市だっけ? 深奥版玉虫みたいな」
「うーん……でもあそこ、地域密着型って感じで……夢が無いというか、何と言うか」
「地域密着型、いいじゃん」
「いいんだけどさー、私は好きじゃないのだ。他にも……銀河団っていう、劣化版ロケット団みたいなマフィアがいたりして、怖い場所になってるんだよ」
「……はあ、時代は進んでるんだねえ」
 僕が深奥に住んでいたのは四年前まで。
 この四年で――そんなマフィアが、出来上がっていたのか。
 思い出の庭園が荒らされているかもしれないと思うと、ちょっと、悲しい気もする。
「まあ、それなら尚更、早めに行こうか。長く見れたほうが緑葉も良いでしょ」
「うん! それに、バトル中に使うアイテムも買いたいしね」
「そうだね、マチス少佐対策を練って……明日は勝って、お祝いしないとなあ。僕も食材買わないと」
「よーし、そうと決まればさっさと食べて後片付け!」
 気づけば、緑葉はもうほとんど食事を終えていたらしい。流石は旅人、起きるのも食べるのも早いものだ。
 僕は出来れば、緑葉の作ってくれた朝食を長く味わっていたいところだったけれど。緑葉の目は今にも破壊光線を発射しそうな輝きだったので、僕はとりあえず腹に詰めるだけ詰めて、自主的に、後片付けを担当したのであった。まる。

 ◇

 大抵の子供は、八歳の誕生日に、親からポケモンをプレゼントされるのが風習である。
 モラルやトレーナーの愛が欠けてきている昨今ではどうなのか分からないが、大抵ポケモントレーナーが使うポケモンの中で、一番強いポケモンは、そのトレーナーが初めてパートナーとしてもらったポケモンであることが、多い。
 かの有名な伝説トレーナーのレッドの場合は――ピカチュウ、だったか。
 まあ、僕はポケモントレーナーでは無いので、実際の所どうなのかは分からないし、そもそも最初に貰ったポケモンを後生大事に育てるトレーナーがいるかどうかは、定かでは無いのだけれど。
 レッドのピカチュウを見たことがある僕は。
 断言することが出来る。
 レッドが最初にパートナーとなり、そして一緒に育ってきたのだろうということは、容易に想像がついた。
 最強のトレーナーになるのに必要なのは、才能、努力、運。
 しかし、最強のポケモンを育てるのに必要なのは。
 才能と努力と、――愛情、と言ったところだろうか。
 前にも言ったような気がするけれど、ポケモンを育て上げるのは非常に難しい。緑葉が努力と愛情をフルに注いで、それでやっと半分程度。特に、キュウコンの場合は緑葉が最初に貰ったポケモンであるというのも、作用するだろうけれど。
 僕の読みでは、六十台に届かずに、キュウコンは成長を止めるだろう。
 それは別に、落ち込むような話では無い。何しろ、関東に限って言えば、四天王の(ワタル)でさえ、育成が難しいと言われている種族ではあるとは言え、カイリューを七十台まで上げるのは、不可能らしい。
 弥は、才能に恵まれ、努力をし、愛情を注ぐ、ポケモントレーナーである。
 しかし――天才では、無い。非凡な才能を持っていたとしても、それが天才であるという証明には、ならない。だから、ポケモン本来の七割程度の力を引き出すことは、出来ないでいる。
 しかしレッドは――
 ピカチュウの力を、八割方、引き出していた。
 むしろ、一人の人間が他の生物の力を、八割。それだけ引き出すというだけで、もはやそれは支配にも似た育成であるように思うが……。
 レッドの育成に、支配は全く無い。
 不器用であれ、ただただ愛情が存在しているだけだった。
 それをポケモン達は信頼し、レッドを慕う。その中で最も古くからのパートナーであるピカチュウは、レッドの期待に応え、あそこまでのポケモンに成長したのだろう。
 だから例えば、レッドがピカチュウ一匹だけを従え、ポケモンリーグの門を叩いたとすれば。……間違いなく、四天王全員を、一匹で倒すことが、可能だろう。
 それほどまでの、脅威。
 それでいてなお、正義。
 だからレッドが最初に、親からか、親類からか(あるいはオーキド博士という、ポケモン研究学者の権威からか)、誰に貰ったかは定かでは無いとしても。ピカチュウを最初に貰ったということだけは、真実としてしまっていいことだと、思える。
 それは特別な縁で繋がっているものだからだ。僕にとってのパートナーがそうであり、緑葉にとってのキュウコンが、そうであるように。
 だから、まあ、そういう話の末に僕が言いたいことは何なのかと言うと。
 天才のレッドが、努力し、愛情を注ぎ、戦闘を重ねて八割程度まで育てたピカチュウを見て、僕が思ったのは――
 僕のパートナーが、九割以上を、軽く超える能力を発揮しているという事実は――一体、何なのかという疑問に、ぶち当たるのだ。僕の目測が間違っているのか、それとも僕が贔屓目に見てしまっているせいか、分からないけれど。どころか、そもそもこのポケモンが、ちゃんとした、野生として生きる種族なのかも分からないのだけれど。
 ――類似した種族が見つかっていないから、それを調べることも、誰かに聞くことも出来ず、僕はただ、パートナーをパートナーとして認識するしか出来ないのだけれど。
 かの――遺伝子研究の末に生み出された、災厄のポケモンである、ミュウツーのようなものなのかと、僕は時々、不安になってしまう。
 初めてのパートナーという特別性が、その不安をより一層強くさせる。

 ◇

 そんなこんなで。
 玉虫デパートにやってきていた。
 道中、山吹市への連絡路で、僕のことをよく知っている警備員のお兄さんに「お、デートか?」なんてひやかされたり、山吹市にある格闘道場の門下生が(僕の兄弟弟子だった年上の人)に「いつ道場に戻ってくるんだ?」と何度目かになる勧誘を受けたりしたのだけれど、それはそれ、緑葉と僕の休日を妨害する憎むべき外敵と考慮して思い出から排除した。
 なので、玉虫デパート。
 デートは――順調、である。
「あんまりお小遣い無いからなぁ……」
「僕に頼ればいいのに」
「ハクロには昨日買ってもらったからいいの」
 はあ……こんなことなら、昨日変に気を使わないで、ここで色々と、買ってあげるべきだったか。
 選択ミスである。
 ちなみに僕らは、特に何を買おうと決めていたわけでも無かったので、下から順に買い物をしてきている。食材やら何やらといった生活用品があるのは、二階の『トレーナーズ・マーケット』だ。三階は『テレビゲームショップ』、四階は『ワイズマン・ギフトショップ』である。そして僕らが現在いるのは五階の『ドラッグストア』。非常に怪しく危うい響きの階であるが、売っているのは非合法な薬などでは無く、ちゃんと認可されている薬品だ。健康食品や風邪薬などもここで買えるのだが、緑葉が選んでいるのはポケモン専用の薬品。一時的に能力を底上げすることが出来る、まあ所謂ドーピング剤だ。投与してもポケモンの健康に害は無い成分で作られているために、気兼ねなく使うことが出来る。ちなみに朽葉ジムリーダーのマチス少佐が試合中に多様するのも、このドーピング剤だったりする。
「電気タイプは素早さが……だから先制は諦めて……防御面を充実…………キュウコンの……ディフェンダー……」
 努力家の緑葉が必死で頭に詰め込んだ情報が、フル回転しているらしい。才能があっても努力をしないタイプである僕は、ここに並んでいる薬品のことはさっぱりだった。防御を上げたければ、このブロムヘキシンっての買えばいいんじゃないのかな、と思うのだけれど、箱には『成長期を過ぎたポケモンには効果がありません』という注意書きが赤字で書いてあるので、きっと違うのだろう。緑葉のポケモン達は、概して成長期を過ぎきっている。
 さて。
「緑葉、僕はちょっと下に行って来るけど」
「いっそクリティカッターで……え? ああ、うん、行ってらっしゃーい。まだ悩んでると思うから」
「じっくり悩んでよ、僕にはさっぱりだし」
 僕は緑葉の持っていた『ヨクアタール』という、ふざけているのか洒落のつもりなのか、それともタールを原料とした薬品で『ヨクア』というのは『翼亜』とかいう製薬会社が作ったから社名がついているだけなのでは無いのか、なんて有り得ない可能性について考えながら、四階の『ワイズマン・ギフトショップ』にやってきた。
 ワイズマンとは直訳で賢者であるが、魔法使いと訳することも出来るので、この階の名称は、きっと『魔法使いの贈物』と訳すのが適切だろう。何しろ、賢者なんてのはある一定の年齢にしか刺激を与えない人種である。精々、十四歳から十八歳までの少年が、ゲームのやりすぎで夢中になる職業だ。この時代に賢者だ勇者だに憧れて、数年後に黒歴史として残してしまう恐れのある、アレである。
 ……って、丁度僕の年代じゃねえか。
 まあ、ともかく、僕はそんな魔法使いの贈物屋さんで、緑葉に何か買ってやるつもりだった。全国的に有名で、観賞用にも実戦用にも使える『ピッピ人形』もここで買える。便箋も買える。僕と緑葉は二人ともポケギアを持っているのだが、電話をするよりは手紙を交換する頻度の方が多かった。だから、緑葉用に便箋を見繕うつもりであるのだ。まあ、住所を持たない緑葉には、僕から手紙は送れないのだけれど。
 物色を始める。便箋の種類も、いつの間にか増えてきた。まあ、言葉じゃなく文字でしか伝わらないということも、あるだろうし。手紙の需要というのも、伸びる一方なのだろう。いい傾向である。
 自分に手紙を送ってもらうために、自分で便箋を選ぶ。なんだか僕は、非常に負け犬の気分を感じている。……うーん、結構僕って、変態か? それとも自意識過剰なんだろうか。
 とか何とか、自己嫌悪に陥りながらも便箋を物色し、『レトロメール』なんて言う、かの天才トレーナーレッドが使っていた御三家、ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネが描かれたメールに、「雰囲気いいなあ」なんて感想を抱いているところで、僕は聞きなれた人物の声を、聞くことになった。
 出来れば、というか、絶対に、聞きたくなかったのだけれど。
 これはゲームで言う、回避不能なイベントなのだろうか。
「オー! 商品のバリエーションがいつの間にかベリーインクリーズしてますネー。ミーはとてもハッピーネ!」
「……」
 こんな偶然ほしくない。
 神様がいるなら虐殺したい。
 僕は気づかれる前に、この場をずらかることに決める。
 が、
「ムム? オー! そこにいるのはハクロボーイじゃありませんカ! フォアローングターイム! ヴィガーでしたー?」
「あ、はは……どうも、お久しぶりです、マチス少佐。ロングタイムノーシー、ハウハヴユービーン? ……ではこれで、失礼します。バイナウ」
 なんて、お互いに怪しい英語を使いながら、会話してみる。そして逃走を試みるが――流石軍人、見逃すつもりは無いようだ。
 マチス少佐はニコニコと、それこそジムリーダーとして、朽葉市を代表する人物の一人としての貫禄を失わず、周りの人が向ける視線も気にせず、悠然と僕に近づいてきた。しっかりと、逃走経路を塞ぎながら。
 まあ、朽葉市民の僕が――両親を亡くしてから三年間、朽葉ジムのすぐ近くで一人暮らしをしている僕が、朽葉ジムリーダーのマチス少佐が親しい間柄であるということは、別に驚くようなことでは無いと思うし、僕が学校に行っていないのに日常会話程度の英会話が出来るのがマチス少佐と会話をしているからだとすれば、いくらか謎は解けることだろう。
 それに、そもそもがこのマチス少佐という人間、快活で、人当たりが良く、誰にでも平等に優しいという聖人のような人である。それを避けるという行為は、世間体を気にする臆病な僕にとって致命的だ。それでいて、元軍人。強い人間というものを、基本的に好んでいる。だから、山吹の格闘道場に何年か通っていた僕がマチス少佐に気に入られるということも、別に不自然では無いと、心の中では、思うのだけれど。
 マチス少佐は棚の前で屈んで、ぎこちない笑顔を作っていた僕の隣にしゃがむと。
 肩に手を回して。
「久しぶりだなあ、坊主」
 と、言った。
 米国訛りなんて全く無く、清々しいくらいネイティブな――日本語で。
「お久しぶり、です、ね……」
「最近顔を見ねえからよ、俺はずっと待ってたんだ。知ってるだろ? 俺はお前を気に入ってんだ。言ったよな、『暇なら遊びに来い』って。なのによお、お前は俺と最後に会った二ヶ月前から、一度も来ねえ。どういうことだ?」
「いや、色々と僕にも、用事がありまして」
「俺はずーっとな、ジムの窓から見てたんだ。知ってんだろ? 事務所の窓からお前の家は丸見えなんだよ。それなのにお前はほっとんど家から出ねえ。たまに出ると思えば、明後日の方向に歩いていっちまう。おかしいなあ、俺の所に来ないで、一体何処をほっつき歩いてるんだろうなあ」
「いや……あはは」
 ぐ、と。
 僕の肩に回された力が強まる。
「でな、今日も暇だからお前んちの監視を続けてたんだ。いやあ、日本に来て十年も経つっつーのに、軍に居た時の癖が抜けなくていけねえなあ」
「少佐ももう三十五歳なんですから、自重しなきゃ……」
「そしたらよ、お前が女の子と一緒に六番道路に向かってくじゃねえか。俺は思ったね、ああ、こいつは俺との約束なんて完全に忘れて浮かれてやがると。だから追ってきたのよ。そうしたらデパートでお買い物だもんなあ、笑っちまうとこだったぜ」
「少佐、今まで何処にいたんですか」
「十五歳のガキの死角になら、目を瞑ってても隠れられるだろうな」
 こいつ……。
 全く僕は、確認するまでも無く、厄介な人間と知り合ってしまっているようだ。
「あの子、お前の何なのさ」
「なんで少佐が僕の恋人みたいセリフを吐いてるんですか」
「色恋が悪いとは言わねえよ、大事だ。俺だって故郷にゃ妻がいるからな。最も年に四度しか会えないが――まあそれはともかく、色恋に構って他のことをおろそかにするのは、感心出来ねえなあ」
「いやだから、僕は戦闘は好きじゃないんですって。観戦が好きなだけで」
「才能のある人間が、それを伸ばさない。悲しいじゃねえか。俺は未来ある才能が潰えるのが悲しくて仕方ねえ。だから俺はよ、お前を育ててやりてえんだ」
「もう十分育っちゃってるんで……ぐへっ」
 丸太のように太いマチス少佐の腕が、僕を破壊しようとする。いくら格闘技経験者とは言え、圧倒的な力量差には太刀打ち出来ない。
「運良く、明日はうちで、月に一度のジム戦だ。まあ、俺がここに来たのは何もお前らの尾行ってだけじゃなく、枝梨花(エリカ)の試合を見に来たんだがな。今週の土日は、玉虫と朽葉の組み合わせだからなあ。お前も行かねえか? 玉虫ジムはいいぞお、女の子がいっぱいだ」
「年を追うごとに、ただの変態になって行きますね。奥さんに報告しますよ」
「それは勘弁しろ。まあ、明日のジム戦、挑戦は無いにしろ、見に来るくらいはしたらどうだ。義理を通さねえとこの国じゃ生きていけねえからな。俺も小さい頃はよく言われたもんだ」
「あんたアメリカ出身でしょうに……まあでも、ジム戦には顔を出しますよ。その、僕と一緒にここに来た女の子、挑戦するつもりらしいですから」
「ん、なんだ、トレーナーかよ。デートじゃねえのか」
「デート……だったらいいんですけど。まあ、明日の戦闘に合わせて準備って感じですよ。後は、何日か滞在する予定らしいので、食材を買ったりですね」
「あー……なんだ、不純異性交遊じゃねえのかよ。超残念だな。まあ、お前に彼女なんて、木に縁りて魚を求むって感じだしな」
「あんた本当にアメリカ人かよ。しかも微妙に意味合ってねえし」
 まあともかく。
「なら、明日は来るんだな。どうせなら、お前も挑戦すりゃいいのによ」
「いや……まあ、バッヂだけは欲しいんですけどね。オレンジバッヂ。あれ、あると便利じゃないですか、空飛べるし。そうだ、少佐、ジム戦パスしてバッヂだけくれません?」
「あ? バッヂ? そんなもん、やるよ?」
「くれるんですか!?」
「ただし今後一切俺から逃げられなくなるだろうけどな。……まあ、バッヂね。移動手段が広がるから、確かにあると便利だろうな。せっかくだから、一緒に挑戦したらどうだ? いい機会じゃねえか」
「それも考えてるんですけど、僕が勝って緑葉だけが――ああ、あの子の名前なんですけど――負けたら、なんか空気悪くなるじゃないですか」
「ベタ惚れだな」
「殴りますよ」
「まあなんだ、その緑葉って子のポケモンを見ないと分からんが、お前はどう思うんだ? 俺に勝てると思うか?」
「んー……今少佐がジム戦用に使ってるのって、何でしたっけ」
「ピチューとパチリスとプラスルとマイナン」
「嘘をつくな。女の子にちやほやされようとしてるんじゃねえ」
 なんでこのおっさんは、こんなに女好きなんだ。
「冗談はともかく、今はライチュウとマルマインとエレブーだな」
「んー……ライチュウが多少怖いけど、まあ普通のパーティですかね。勝てると思います」
 ライチュウは攻撃力も特殊攻撃力も高いし、エレブーもマルマインも素早さ面が厄介ではあるけれど――でもまあ、それでも三匹。捨て身で行けば、戦術次第でいくらでも突破出来るレベルだろう。そもそも四天王と違って、ジムリーダーはジム戦では力を抑える必要がある。ジム戦というのは、勝ち負けが大事なのでは無く、トレーナーの実力を測るために存在するものだ。
「ちなみに今使っている俺のライチュウは、ボルテッカーを覚えている」
「鬼だ。あんた挑戦者相手にそれは鬼だ」
「まあそれはともかく、お前が認められる程度のトレーナーなら、戦術なんて練らなくても勝てるだろうよ。俺が見たいのは強さじゃなくて、トレーナーとしての素質だからよ」
「まあそういうことなら、きっと勝つと思いますよ。でも、三匹か……どうせなら、僕も挑戦しようかな。後に回すと、面倒になりそうだし」
「お前が来たら本気で行くからな。エレキブルでねじ伏せるからな。六匹エレキブル使っちゃうからな」
「なんでガキみたいなんすか」
 まあ、でも。
 マチス少佐は肉体的にも精神的にも、強い人間だ。そして強い人間は、負けることを厭わない。というよりも、若い才能が開花していくのを、じっくりと見守れる。
 そういうことなら、きっと明日のジム戦は何なく終了するだろう。……まあ、それを緑葉に言うつもりは、無いけれど。適度な緊張感というものが必要だ。
 いつだって、挑戦者という立場には。
「それじゃ、また明日だな。俺は玉虫ジムで、女の子達の戦いを見てるよ」
「がんばってください。気分次第では、明日、挑戦させてもらいますので」
 そんなような軽い挨拶を済ませ、マチス少佐は僕の拘束を解いた。ふうやれやれ、随分と長く、話し込んでしまったようだ。
「それではハクロボーイ、また会いまショー! オー・ヴォワール」
 なんでフランス語だよ。と思いながら、僕はしかしそれに倣って返す。
「ア・ドゥマン」
 また明日。
 朽葉ジムで、お会いしましょう。