6
気まずい空気に包まれながら、僕と緑葉は、適度な会話をしつつ、帰路を辿っていた。
別に、気に病むようなことじゃ無いんだけど……何だか、店長が言っていた言葉が胸に残ってうごめいている。「いくら努力してもどうにもならない事実」なんて、そりゃ、大抵の人間にとっては当然の言葉で、「ですよねぇ」なんて言って笑いながら返せるような言葉であるはずだったのに。
僕に関しては、それは例外であったのだろう。
天才性を有してしまった僕にとって、才能に関する話題は、苦痛であったりする。僕にとっての『才能』は、伸ばしている物でも、過去に伸ばした物でも無い。言わば、宝の持ち腐れであるからだ。
そしてそれは、緑葉が一番欲しているもの。
「……」
「……」
程よい沈黙を漂わせながら、僕と緑葉は歩く。
町の名に相応しい色の夕焼けを背中に受けながら、僕は色々と、話題を探していた。緑葉に言うべき言葉。傷つけるわけでも無く、慰めるわけでも無く。全く別な方向性の会話を、探していた。
だけれど、緑葉に声をかけるために、僕は何故か、ポケモンの話題を避けることが出来ない。
それは――僕と緑葉の間に、ポケモンという生命体を介さなければならないような絆しか、存在していないということなのだろうか。
例えば日常会話でいい。けれど、日常にポケモンは付き物だ。それほどに、世界にはポケモンが溢れてしまっている。悲しいくらいに、染まっている。
例えば非日常会話でいい。だけれど、そんな会話が長続きするほど、今の僕らは明るい雰囲気では無い。無論、表面上、僕と緑葉は明るい笑顔を貼り付けているし、打てば響く程度には、理性も保っている。いっそ、緑葉から明るい話題を提供してくれれば、僕はそれに乗っかることが出来る。出来る、はずだ。
格闘道場の門下生達が、山吹市内を走り込んでいる。いつもなら、僕はその光景をネタに、「昔は僕もよく走ったものだなあ」なんて言うことくらい出来たはずなのだけれど……どうしたんだろう。いつも、割りと饒舌なはずだった口が、上手く回らない。
何とか、軌道修正を試みたいところなのだけれど。
ポケモンを介さないで僕が緑葉と出来る話と言えば……愛の、告白? いやいや、それはちょっとばかり、問題だ。というより、この場でその話題を持ち出すのは、あまりに場違いすぎる。もっと当たり障りが無くて、店長の言葉を忘れられるような話題、話題、話題――
接点といえば、幼馴染、同郷。そのくらいしか、無いか。しかし、幼馴染とは言えそれはそのまま話題に繋がるわけでも無いし、同郷とは言っても、今では二人とも住んでいる場所が違う。緑葉に至っては、根無し草。これでは話題も何も無いだろう。それに、過去の思い出に花を咲かせる雰囲気でも、無い。
このままだと、夕飯の時間も沈黙が続いてしまいそうである。寝る時だって、昨日は昨日で気まずかったけれど、今日はまた別の意味で、気まずくなってしまう。そんな負の連鎖が続けば――ジム戦だって、緑葉が実力を発揮出来ないかもしれない。
寝る前までには、何とかしなければいけないと思うが――ん、そういえば、寝るとか寝ないとか以前に、緑葉が僕の家にいるということ、しっかりと、伝わっているんだろうか。お、これ、行けるんじゃないか? 話題として。
僕はようやく探し当てた話題を、緑葉に振ってみる。
「……そういえばさ、緑葉」
「ん? どした?」
「あ、ごめん。えっとさ、緑葉と僕さ、昨日一緒に寝たじゃない」
「あ、うん、そうだねー」
「それはまあ、いいんだけど。えっと、緑葉の親父さんとかって、緑葉が僕んちに泊まってること、知ってるの?」
「……う、うん! 知ってるよ!」
緑葉の表情が如実に物語っている。
知りませんと。
「そうなんだ。それならいいんだけどね、一応、年頃の男女が……ってなると、緑葉の両親も心配するだろうし」
「だ、大丈夫だって! うちのお父さん、そんなの心配する人じゃないし!」
「……」
まあ、心配性なら娘を旅に出そうなどとは思わないだろうけれど……それでも、男女一つ屋根の下ってのは、いささか問題があるような気もする。
「そっか、まあそれならいいんだけどね。それでも一応、僕から連絡くらい――」
「いい! 連絡とかしなくていいから!」
ポケットに伸ばした手を、思いっきりつかまれて止められる。どうやら本当に、ご両親には言ってないらしい。というか、言うと色々まずい雰囲気のようだ。
「いやでも、大事な娘を預かる身としては」
「大丈夫だって、本当に!」
「いやでも……」
「いやいやいやいやいやいやいやいや!」
ここぞとばかりに拒否する緑葉。
心配性じゃ無いってんなら、別に連絡するくらい問題無いとは思うけれど……その辺、女の子の事情でもあるんだろうか。それとも緑葉、もしかして女の子がよく陥る「お父さんなんて大っ嫌いなんだから!」ってな時期なんだろうか。いやでも、年中歩き回っている緑葉のことだから、お父さんと一緒に洗濯物をする機会なんて無いだろうし……。
とか、まあ何とか考えながらも、緑葉との間にあった気まずさが少しは和らいだようで、僕は胸をなでおろす。まあ実際、僕の考えすぎだった、って可能性もあることだしね……緑葉って人に気を使いまくる性格してるから、逆に『僕が緑葉を気にしている』という所を、気にされたのかもしれない。
そんな感じで、僕と緑葉は、それとなくいつも通りの雰囲気を取り戻して、夕飯は何なのか話したり、連絡路を通りながら警備員のお兄さんに「羨ましいもんだなあ、こっちは一日退屈してんのによお」と愚痴を零されたりしながら、六番道路へ戻ってきた。
緑葉を探してここを奔走したのも、まだ昨日のことか……何だか、本当に密度の濃い一日だ。密度が濃いのに、時間の経過が、早い気がする。いや、密度が濃いからこそ、時間の経過が早く感じるんだろうか。何とか理論ってやつだろうか。まあ一重に、緑葉といる時間は充実しているんだろうな、てな感じで僕が人生を振り返って、「しかし、緑葉が来てから……」と想いを口にしようと隣を見ると、そこに緑葉の姿は無かった。
「緑葉――?」
昨日の今日である。一瞬不安が過ぎるが、振り返ると、どうやらポケモントレーナーに絡まれているだけのようだった。あまり心臓に悪いことはしないでほしいものである。
「挑戦されちゃったー」
緑葉は僕の後方で、嬉々としていた。三度の飯より――とまでは行かずとも、ポケモンバトルの好きな緑葉だ。そういえば、緑葉が来てからちゃんとしたバトルってやっていなかったし、そろそろやっておかないと、何だか落ち着かない感じもする。説明ばかりで、実戦ってやっていなかったしね。誰が落ち着かないかは、ご想像に任せるとして。
「――みたい、だね。戦うんでしょ?」
「うん!」
「…………あなたも、トレーナー?」
僕の方を見ながら、緑葉にポケモンバトルを仕掛けた張本人であるトレーナーが尋ねてくる。朽葉周辺にいるポケモントレーナーなら大体知っているのだけれど――どうも、見ない顔だ。緑葉と同じ、旅人なのだろうか。
つばのついた帽子を目深に被っていて、表情が読み取れない。が、声から察するに少年という感じだ。つばのついた帽子を被る、というのは、まあ一概にそうとは言えずとも、かの天才トレーナーレッドを意識している場合がほとんどだから、少なくともそれより年下だと考えられる。要するに、僕と同じかそれ以下ってことだ。
「ポケモンを持ってはいるけど、生憎とトレーナーじゃないんだ。僕は観戦させてもらうよ」
好意的に、砕けた口調で接する。少年は僕がトレーナーじゃ無いと分かったら興味が無くなったのか、緑葉に向きなおり、数歩後ろに距離を取った。
「……それでは、お願いします」
「はい、お願いします!」
緑葉は既に、臨戦態勢。バッグの中からモンスターボールを取り出しており、ポケモンを出したくてうずうずしているようだ。
ちなみに緑葉が選んだのは――モンスターボールから発される雰囲気からして、オオタチのようだ。相手がどんなポケモンを出すか分からない、突然のトレーナー戦。前線には常にノーマルタイプを配置しておく……というのは、セオリー通りである。流石は緑葉、色々と基本は出来ているようだ。
「ポケモントレーナーの、トクサです」
「同じくポケモントレーナーの緑葉です!」
やはり、緑葉と同じく旅人であるようだ。
職業や称号を持たない人間は、ポケモンバトルの前にする自己紹介の際、『ポケモントレーナー』と名乗るのが普通だ。職業や称号があれば――例えば緑葉の親父さんなら、『船乗り』と名乗るだろうし、少佐なら『ジムリーダー』だ。だから、それらの呼称を持たず、『ポケモントレーナー』と名乗る場合は、旅人であると断定して間違いない。
ということは、このトクサという少年、旅をしながらポケモンバトルに明け暮れているようだった。
そんなトクサ少年、手にしているのは僕が持っているのと同じく、最もポピュラーな種類である、紅白のモンスターボール。
中にいるのは…………まずい、緑葉は選択を誤ったようだ。
「いっけーオオタチ!」
「……」
元気一杯の緑葉に対し、トクサ少年は無言でモンスターボールを放った。緑葉のカラフルなモンスターボールからは、ピンクがかったオオタチが現れる。
ピンクがかったオオタチ……つまりは、亜種。時々、ポケモンの中に突然変異とやらで色違いが現れる可能性があるのだ。目下研究中であるこの『色違い』という存在については、僕も詳しく知らない。まさに『突然変異』と、そう呼ぶしか無い。
そんなレアなポケモンを持っているという点では、緑葉には『運』があるのかもしれないが……しかし、対するトクサ少年が繰り出してきたのは――格闘、鋼の二タイプを有する、唯一のポケモン(公式発表では)、ルカリオだった。
ノーマルポケモンを先頭に置いて、しょっぱなから格闘タイプに当たる緑葉。
……運があるのか無いのか、どっちなんだろう。
「ぐ……」
ルカリオの登場に、緑葉は早速困ってしまったようだ。緑葉は基本的にポケモンに対して技マシンを使用しないので、覚えるのは自力で編み出す技ばかり。そのオオタチがルカリオに対して効果的な技を覚えているとは思いがたい。
もしかしたら、僕と会っていない二年間の間に、技マシンで何らかの技を覚えているかもしれないが――しかしタイプの壁は、そんなもので越せるものでは無い。
そして一番重要視する点は……このトクサ少年、どうやらモンスターボールを一つしか持っていないようである。
旅のポケモントレーナーが、ポケモンを一匹しか連れて歩かない。その事実だけで、そのポケモンがどれほどまでに経験を踏まえているか、分かろうと言うものである。
しかも見たところ、このルカリオ……育成過程の半分程度を、軽々と超えているレベルだ。
並みのトレーナーで無いのは、明確だった。
「……開始の合図を、お願い出来ますか」
「ん、ああ」
トクサ少年は僕に向かってそう言った。そうか、路上でのポケモンバトルは基本的に双方の常識によって進んでいくが、観戦者がいるのなら、そいつが審判役を務めるにこしたことは無いもんな。
「それじゃ……二人とも、準備はいいみたいだね」
「お、おっけー……」
「……」
早くも負の色が濃い緑葉。
対して体勢を崩さずに、緑葉を見据えるトクサ少年。
「では」
緑葉。
トクサ。
図らずとも……ある意味では、似た色であるはずなのに。
ポケモンのタイプ、数、レベル、性格、性別。色々なものが、違いすぎる二人が対峙した。
「はじめっ!」
本来ならば緑葉を応援するべきなのだろうけれど。
マチス少佐への通過儀礼として、僕は緑葉のトレーナーとしての実力を、本気で見積もることにする。
まあ、この少年に勝てど負けれど、マチス少佐への戦いに影響はまるで無いのだけれど。
それでも一対六という状況をどう捉えることが出来るか。純粋に、緑葉の実力を見てみたかった。
◇
「ルカリオ、神速」
「オオタチ、不意打ち!」
二人ともほぼ同時に、ポケモンに向かって指示を出した。
神速。先制攻撃である。しかし不意打ちも、不意打ちという名称通り、先に攻撃するべき技である。
さて、こういった同じような性能を持った技がぶつかり合う場合、その優先度の最終的な判断基準は『能力値の差』である。ルカリオ、オオタチ。共に行動の素早さに関しては同程度の生物。とすれば、何で変わってくるか――言うまでもなく、成長度合いだろう。
オオタチはレベルに換算すると四十だとして、ルカリオは見た所、五十代後半。成長度合い的に見て、圧倒的に、ルカリオの方が速い。
見れば、目の前では格闘技の型をするかのように正確な動きで、不意を打とうと回転しながら尻尾を振り下ろしたオオタチの背中に、ルカリオが肘鉄を食らわせていた。オオタチはその攻撃を喰らいながらも不意打ちを完成させようとするが……格闘、鋼タイプのルカリオに対して、『悪』の性質――つまりは卑怯卑劣な手段の攻撃をしたため、効果は芳しくない。どころか、ほとんど無意味と言っても差し支え無いほどのダメージしか、ルカリオには行き届いていないようだった。
いくら緑葉でも、ルカリオのタイプは把握しているはず。それならば、格闘、鋼タイプのルカリオに、悪タイプの『不意打ち』が通らないことは明確だったはずだが――その上で選んだということは、不意打ち以外の技に、ルカリオに効果的なダメージを与えるものは存在していないということになる。
それでもせめて先制を取ろうとして『不意打ち』を選んだとするならば――
緑葉には『運』が、無さ過ぎる。
「くっ……アイアンテール!」
「波動弾」
鋼タイプのアイアンテール。やはり鋼タイプを有しているルカリオには効果的では無い。素早さで勝てないと踏んだからか、緑葉なりに次はオオタチの技の中で一番攻撃力の高い技を選んだんだろう。
一方のトクサ少年は、波動弾。格闘タイプが繰り出す、必中の格闘技。それはもはや、長年その身を鍛えた格闘家が繰り出す突きのように、精錬され、研ぎ澄まされたものだ。他タイプのポケモンが使うよりも、威力が増すことは間違い無い。
オオタチが尻尾に意識を集中させて、硬質化させる。一方のルカリオは右手を引き、構え、溜め――
――突いた。
「きゅぅん」
素早く繰り出されたルカリオの右手から、衝撃波が繰り出される。アイアンテールを繰り出そうと向かっていったオオタチは見事に弾き飛ばされ、緑葉の下で、弱々しくいなないた。
緑葉屈んで、オオタチを抱き起こす。緑葉らしい気遣い方だ。
「オオタチ、大丈夫? ごめんね、もう戻っていいよ」
モンスターボールからの紅線によって遺伝子情報に分解されたオオタチは、モンスターボールの中に納まる。
このルカリオ……どうやら一筋縄ではいかないほどに、育て上げられているようだ。
「次、ワタッコ!」
緑葉は少し思案した後、次のポケモンにワタッコを選択した。モンスターボールから飛び出したワタッコは、そのままふわりと宙に浮いて、ゆらゆらと揺れている。草タイプの他に飛行タイプを持っているワタッコならば、格闘タイプの攻撃に対する耐性があるはずだ。この状況下では、中々の選択のように思う。
「よーし、ワタッコ、宿木の種!」
「……っ、神速」
相手がルカリオ一匹であることを想定してか、先にワタッコによる状態異常の発動に踏み切ったらしい。
宿木の種――毎ターン相手からエネルギーを吸い取る技である。一撃のダメージ量は少量ではあるが、戦闘が長引けば長引くほど、その蓄積量は痛手となる。
賢い選択だ。
ふわふわと浮いたワタッコに対して、ルカリオは上昇しながらの膝蹴りを見舞った。対するワタッコは、慣性の法則に従って膝蹴りを喰らうことによってさらに上空へと浮いていったが、しっかりとルカリオの身体へと、種を植え付けたようだった。
ルカリオの表面に、数個の芽が生える。
宿木の種はやはり少々……いや、かなりグロテスクな技である。
「次、毒々!」
「……もう一度、神速」
かなりえげつないポケモンである緑葉のワタッコは、長期戦で凄まじい威力を発揮する、『宿木の種』と『毒々』のコンボを完成させようとした。
ワタッコは宙に浮く、タンポポの種のようなポケモンである。よって、基本的に移動速度が速い。いや、僕にしてみれば三キロの重量が宙に浮いている、というのは不思議なことではあるが、他のポケモンに比べれば、格段に軽い存在なのである。だから、ルカリオが神速以外の技を使えば、先制を取られる可能性も――否定出来ない。
だから、そんなワタッコに対して、執拗に『神速』を繰り返すトクサ少年は――中々に、状況が読めているのだろう。恐らく、彼のルカリオは、神速よりも攻撃力が高い技があるはずだ。しかし、それで先手を取られて毒々を見舞われてしまっては、今後の戦況が不利になる。宿木の種ならまだしも、毒々。次第に身体を蝕む毒が威力を増す、恐ろしい毒性を備えた技だ。それを受けてしまえば、この勝負、決まったといっても過言では無い。
そこでトクサ少年は、毒々を喰らう前に、ワタッコを倒す方に賭けたのだろう。事実、先程の『神速』によって、ワタッコの体力はほとんど削られている。防御力が平均的なワタッコに対し、攻撃力の高いルカリオ。さらに、レベルで言えば十以上の実力の差が、双方の間に存在している。逆に言えば、その差を覆すほどに、ワタッコの移動速度は脅威であると言うことなのだけれど……。
見れば、身体に芽を生やしたままのルカリオは、しかしそんなことなどお構いなしに、文字通り神速で移動して、空高く舞い上がり――ワタッコよりも高い位置まで達した後、そのワタッコを地面に叩き付けるよう、上方から蹴り付けた。
サッカーボールのように蹴り付けられたワタッコは、毒々を完了させる前に地面に叩きつけられ、一度バウンドした後、力無くその場で活動を停止する。
「ワタッコ!」
「……っ」
流石の僕も、あまりに痛々しいワタッコのその姿に少々気分を害する。が、これは喧嘩でも争いでも無く、ポケモンバトル。確かに見方を変えればただの争いだが、ポケモントレーナーも、それに仕えるポケモンも、覚悟の上である。
泣き言は許されない。
「……ルカリオ、やりすぎ」
「ぐぅ」
トクサ少年が言って、それに応じるように、ルカリオが低く唸る。人語を理解するポケモンだけあって、しっかりと対応しているようだ。
「あ、大丈夫だから、心配しないでね。ワタッコ、お疲れ様」
トクサ少年の独り言のような呟きに、緑葉は素直に言葉を返した。どうやらトクサ少年、感情が無いように見えるが、その実普通の感性を持った少年らしい。敵とは言え相手を気遣うその姿に、ポケモントレーナーとしての美しさを感じ取る。
「さーて……ヨルノズク!」
次に緑葉が繰り出したのは、純飛行タイプのヨルノズクだった。先程と同じく、格闘タイプの技を抑えるための選択だろう。さらに恐らくは――『空を飛ぶ』攻撃による、ターン数稼ぎ。一見卑怯に見える戦法だが、そんなことを言っているうちはポケモントレーナーとして二流三流だ。いかに効率良く相手にダメージを与えるか。突き詰めれば、トレーナーがする仕事など、それ一つに絞られる。
しかし、そこで緑葉は――
さらに守りを固める戦術を選んだ。
「ヨルノズク、リフレクター!」
「神速」
やはりほぼ同時の攻撃宣言。
先程から打撃攻撃を繰り返しているルカリオに対し、緑葉はヨルノズクによる防御展開を選んだ。五ターンとは言え、物理攻撃を半減出来るとなれば、戦況はかなり有利になるだろう。さらに宿木の種による体力回復。長い目で見れば、かなり効果的な選択。
が、やはりルカリオの行動は速い。一撃で沈むほどでは無いが、物理防御力に乏しいヨルノズクは、ルカリオの蹴りによって半分以上のダメージを受ける。ヨルノズクは空中で体勢を崩しながらも、その身にリフレクターを纏って、物理攻撃への防御を強化した。
「ふむ……緑葉も中々、場数を踏んだのかな」
一昔前なら、押して押して押しまくる、という戦術で、逆に相手に翻弄されているところだ。補助技を上手く合わせることが出来るようになれば、トレーナーとしてはまずまずだろう。
そしてここで、ようやく『宿木の種』が効果を成す。
先程から対象を失って消化され続けていた宿木は、ヨルノズクという対象を見つけ、ルカリオの身体からヨルノズクへ、栄養素となったエネルギーを運ぶ。ルカリオにとっては、オオタチの『不意打ち』以来のダメージである。そしてそのエネルギーをヨルノズクが受け、ダメージを回復する。
リフレクターを張ったことによって、次の攻撃を一度は耐えられると見れば――ヨルノズクはルカリオに対して、かなりダメージを与えられるはずだ。
「よし、ヨルノズク、空を飛ぶ!」
そしてセオリー通りのターン稼ぎ。一ターン分の『宿木の種』が約束され、鋼で半減されるが、格闘タイプに有利な飛行攻撃なので、有利不利が相まって、通常通りのダメージを与えられる。防御面に貧弱なルカリオには、通常ダメージでも効果的だろう。
と、そんな局面だったのだが。
「ルカリオ、龍の波動」
特殊攻撃を、格闘タイプの『波動弾』のみと見ていた緑葉の策略が裏目に出る。
リフレクター。特殊攻撃には、何の効力も無い装甲である。さらに、龍――飛行タイプのヨルノズクには縁もゆかりも無いタイプであり、それはそのまま、特殊攻撃力が、特殊防御力へダメージを与えることを意味する。
体勢を低くしたルカリオは両手を引いて構え、上空で今にも空高く飛び上がろうとするヨルノズクに向けて、波動を打ち出した。
青白く煌く、龍の波動。攻撃の命中率に関して何の付加もされていないルカリオが発した波動は、順当な道筋を辿って、ヨルノズクを明確に捉えた。
そして、空を刻むように、衝撃に遅れて音が炸裂し……ヨルノズクの身体を撥ねた。
「ホ――」
腹部に波動を受けたヨルノズクが、強制的に鳴かされる。そのまましばらく翼をはためかせていたが、やはり限界だったようで、力無く地面へ降り立って行った。主人の手前気丈に振舞ってはいるが、瀕死であることは明らかである。
「もういいよヨルノズク、がんばったね」
緑葉が労いの言葉をヨルノズクにかけ、頭を一撫でしてからモンスターボールで回収した。
トクサ少年……随分と、手練のようだ。
それに、ルカリオの技も、神速、波動弾、龍の波動と、特性や属性を活かした攻撃技に特化している。攻撃力に優れ、防御力に劣るルカリオらしい、攻撃特化の技選び。ダメージを受ける前に、倒す。という、セオリー通りの育成をしているようだ。
対する緑葉は、宿木の種とリフレクターを残した状態で、残り三匹。モココ、シャワーズ、キュウコン。一番レベルが高く、かつ格闘、鋼タイプであるルカリオの弱点、『炎』タイプを扱えるキュウコンは、最後に繰り出すつもりなのだろう。となれば、次に来るのはシャワーズか、モココ。如何せんモココには力不足が否めない気もするのだが……それでもルカリオに対しては、優劣の無いタイプである。ただ体力を削るだけなら、一ターン程度の余裕はあるだろう。
「……うーん……」
緑葉の方も、随分と考えているようだ。相手は一体、と見くびっていたところも、多少効いているのだろう。僕には二者のポケモンの力量差が見て取れるけれど、緑葉にはさっぱりなのだから仕方が無い。相手のレベルが読めないのなら、やはり補助技やタイプの優劣で戦術を決めるしかないのだ。慎重にもなるというもの――
ヴー。
「うわっ」
突然ポケギアが振動する。
試合の最中だと言うのに……。
「ごめん、電話だ」
目の前でぺちゃくちゃと会話されても迷惑だろうし、僕はポケットからポケギアを取り出して、その場を離れる。くそ、こんな時に誰だ。せっかく熱い戦いが見れているというのに!
画面を見ても、電話番号が羅列してあるだけだった。誰だろう。電話番号がポケギア特有の数字で始まっているので、誰かがポケギアから電話をかけているということになる。
不審に思ったが……一応出ることにする。間違い電話なら間違い電話で、一度対応しておけばこれ以上かかってくることも無いだろう。というかそもそも、試合中は電源を切っておくべきかもしれない。
僕は緑葉とトクサ少年の試合が遠目に見える場所まで移動してから、ポケギアを耳に当て、通話ボタンを押した。
「はい、どちら様ですか?」
「あ、お兄ちゃんですか?」
お兄ちゃん、という響きに、僕は一瞬頭を傾げる。
新手の詐欺だろうか。うむ、全国に散らばる健全な男子を引っ掛ける、巧妙な詐欺かもしれない。その名もお兄ちゃん詐欺。これで全国の妹好きはメロメロで攻撃出来なくなるぜ、なんて馬鹿なことを考えながら、「お兄ちゃんじゃないですけど」と答える。
「え……あれぇ? ハクロお兄ちゃんじゃないですか?」
お兄ちゃんでは無いがハクロではあるので、半分正解である。ということは……この甘ったれた声の主は、僕を知っているということだ。詐欺師であるという可能性は潰える。
「はい、えっと、え? 誰? 本当に聞き覚えないんだけど」
「あ、ひどい。お兄ちゃんはひどいなー」
酷い酷いと言われても困る一方である。というか早く電話を切り上げたい。今にも緑葉がポケモンを繰り出してしまうかもしれない。
「あの、今ちょっと立て込んでるんだけど……後で掛け直すから、切っていいかな。ああ、一応名前だけ教えておいてください。思い出すかもしれない」
「セキカだよー」
セキカ。
石化?
……頭の中に検索をかける。セキカ、セキカ、セキカ……。
「あ……赤火?」
「お兄ちゃんおひさー」
とか、何とか。
このタイミングで僕に電話をかけてきた人物は、正真正銘、緑葉の妹である、赤火であった。
◇
「……切っていい?」
「え、待ってよう。お話しようよー」
ポケギアを片手に持ったまま、僕は行動不能の状態に陥っている。
「今ね、お姉ちゃんがバトル中なんだよ」
「ふーん、そうなんだぁ。今、お姉ちゃんと一緒にいるの?」
「すっごいいるよ。今がんばって戦っ――」
……あ、いちゃ、まずいのか? 確か、緑葉は親父さんに報告してない風だったし……。
「いや、まあお姉ちゃんと言っても、赤火の知ってるお姉ちゃんである可能性は否めないけどね。ハハハ」
「? うん?」
よく分かってないらしい。
流石は六歳、知能も低い。
幼女万歳!
……とか言ったら、何だか誤解されそうだな。
「ああそういえばだけど、それ誰のポケギア?」
「えっとね、お母さんのだよー」
「ああ、叔母さんのか……」
そりゃ、登録なんてしてないよな。
登録してたら、それはそれで何か嫌だ。
人妻万歳発言だけは、間違ってもしたくない。
「で、何で急に電話してきたの?」
「んっと……えっとね、お母さんが電話しろって」
「へ? 叔母さんが? どうして?」
「えっと、んっと……あのね、お母さんに代わる!」
思考回路がショート寸前らしい。まあ、六歳の子に難しい説明をしろなんて、無理な話だしな。
「もしもしハクロ君? こんにちは」
「ああ……どうも」
緑葉のお母さん。
名前はアイリスさん、で間違いないはずである。馴染みの無いせいか、きちんと覚えているか不安だ。
まあとにかく、この国の人じゃ無いらしい。
何度も何度も、それこそ物心つく前から知っているので、外人と言う違和感は無いし、ただただ緑葉のお母さん、という認識だ。
だがしかし、まあ何というか……艶やかな声をした人である。本当に二児の母なんだろうか。
「ごめんねぇ、緑葉が迷惑かけて無いか心配で心配で」
「いや、特に迷惑なんて……え? いや、緑葉は……えっと」
「ハクロ君の家にお邪魔してるんでしょ?」
「いやまあ……えっと、あれ、緑葉は何か、言ってないような雰囲気だったんですけど……」
僕の思い過ごしだろうか。
それとも、叔母さんにだけは言っておいたのか?
「それがねえ、今日のお昼にお買い物にいったら、良さそうなものが売ってたのよ」
「はい……?」
何の話だろう。
良い予感はしない。
「せっかくだし、緑葉に買ってあげたの。それでね、パソコン通信で緑葉のIDに預けておいたのよ」
「はぁ……」
「それで、今緑葉はどこを旅しているのかしらと思って、通信履歴を見てみたの。そうしたら、日付が昨日の夜で、場所が朽葉でしょう? ああ、これはハクロ君と一緒にいるのね、と思って、電話したのよ」
「はぁ…………」
昨日の夜……そういや、そんなこともあったっけ。
おいおい何だこの人は。
名探偵か何かか。
ていうかパソコン通信って……そんな使い道まであるのかよ。
「それで、確認のために電話をしてきた……と。そういうわけですか」
「そうなの」
「知らない電話番号だったんで、誰からかと思いましたよ。電話に出たら赤火ちゃんだし」
「家から電話したら、発信履歴にハクロ君の番号が残るでしょう? そこからお父さんにばれたら、緑葉が可哀想だものぉ」
叔父さんには知らせないのか……。
叔父さん、僕は貴方の味方です……!
「それにしても、緑葉に直接電話したら良かったんじゃないですか?」
「緑葉に電話したら、無視されちゃうかもしれないじゃない?」
「……ああ、まず僕に電話して、言い逃れ出来ない状況を作り出そう、ということですか」
「そうねぇ」
末恐ろしい!
何て末恐ろしい女性だ。
「それで、緑葉は今何してるのかしら。新婚さんごっこ?」
「その思考は、間違いなく間違いです。……緑葉は今ですね、旅のトレーナーにバトルを挑まれて、戦っている所です。戦況は――あ、シャワーズがやられました」
「あらあら、やっぱりダメねぇあの子」
「いや、今回は少しばかり相手が強いみたいですよ。緑葉の実力は、以前よりずっと増してますし」
「そう? ハクロ君が言うなら間違い無いんでしょうねぇ。んー、でも、それなら後でまた掛け直すわね。ハクロ君を独占すると、緑葉が怒るだろうし」
「いや……んなこた無いと思いますけど」
まああったらあったで、困りはしないけども。
「それじゃ、また後でね。赤火、何かお兄ちゃんに言うことはある?」
あるー! と元気の良い声が耳元で響く。出来れば早くバトル観戦に戻りたいのだけれど……赤火を邪険にすると、後が怖い。
「お兄ちゃん、えっとね、えっとね」
「うん?」
「お姉ちゃんがゆーわくしてきても、本気にしたらだめだからね!」
……。
……。
元気にませやがって。
「うん……善処するよ」
「ぜんしょってなに?」
絶対に無理ですってことよ、と、電話越しで叔母さんの声がした。子供に大人の闇を教えるんじゃねえ。
「絶対だめだからね!」
「うー……うん、がんばるよ。緑葉の誘惑とか、あんまり魅力的じゃなさそうだし」
というか、緑葉は笑顔でいることが既に魅力的だ。
……いやいやいやいや、何言ってんだ僕。
落ち着け。
「それじゃ、一旦切るから」
「うん、またねー!」
「うん、また後で」
ブツリ。
通話を終えて、ついでに電源も切っておく。
まったく、緑葉の母親らしい人だ……。
「……さて」
試合の観戦に戻らなくては。
バトルの行われている場所を見れば、まさに今、キュウコンが繰り出されようとしている所だった。どうやらシャワーズとモココの戦闘は見逃してしまったようである。だがまあ、その二匹もかなりがんばったようで、ルカリオの息も荒い。これで決着がつけば――順当に行けば、緑葉が勝つように思う。
緑葉がモンスターボールを放り投げ、地面に当たって炸裂。キュウコンが姿を現す。
しなやかな肢体に美しい体毛を纏った、九尾の狐。緑葉の最初のパートナーであり、パーティの中で一番育っているポケモンだ。
純粋な炎タイプ。しかし何処か妖しい雰囲気を纏ったポケモンであり、幽霊とはまた違う――妖怪、とでも言うべきか。そういった空気を感じさせるポケモンである。
ちなみに、そんなキュウコンには緑葉のパーティ内で唯一ニックネームがついていたりする。
「がんばれ、コンコン!」
……一度姓名判断師に見てもらったほうがいいのでは無いかと、切に思う。
いくらロコンの頃の名残とは言え。
キュウコンにそれはねえよ。
「ルカリオ、ボーンラッシュ」
「コンコン、妖しい光!」
体力の減りが限界のルカリオと、万全体勢のキュウコン。
普通に戦えば、タイプ的に有利なキュウコンが勝つように思えるが……やはり、炎対策はしてあるわけか。
ボーンラッシュ。
『地面』タイプの技で、一度の威力は弱いが、複数回の攻撃が狙える技だ。
昼間に聞いた店長の話と照らし合わせれば、格闘、鋼タイプのルカリオが繰り出す『地面』タイプの技は、十二分に威力を発揮しないはずだ。恐らく、『地面』と同等の成分の武器による攻撃ということになるのだろうが――つまりは、キュウコンの持つ『炎』が、過剰に吸収され、生命力を奪われるということか。
ボーンラッシュ。骨状の武器を使う以上、物理攻撃ということになるだろう。が、リフレクターの効力は、既に消えているはずだ。
「さて……どうなるかな」
ルカリオとキュウコンが、動く。
先行は、素早さの観点から――ルカリオが、取った。恐らく、モココもこの技で葬られたのだろう。
ルカリオは骨状の武器を取り出して、五つ、投擲する。が、その得物は小さいこともあって、命中する確立も、低い。
一つ、二つ、三つ――
「くっ……」
果たして、その武器の一つとして、キュウコンに当たることは無かった。決して、命中率が低いわけでは無いとしても――十全で無いのなら、当たらない場合もある。
それもまた、トレーナーの『運』次第だ。
攻撃をかわし切ったキュウコンは、ルカリオに向けて紅く輝く眼を向ける。妖しい光を、発動させようというつもりなのだろう。
主には三半規管の破壊。次いで視力の一時的低下。それによる混乱状態を招き起こすのが、妖しい光。
混乱状態というものは、恐ろしい状態異常である。毒、麻痺、火傷、睡眠、氷結等の状態異常と違って、並行してかかる状態異常の一つなわけだ。
毒による神経障害、麻痺による血流停滞、火傷による組織破壊、睡眠による意識低下、氷結による活動停止。
もはや、睡眠と氷結の状態になってしまっては行動出来ないので混乱どころでは無いが、それ以外の三つの状態異常は、混乱を相乗させることが出来る。原因とする場所が違うので、並列して発症させることが出来るのだ。
状態異常――という意味合いでは、『宿木の種』も似た性質を秘めているのかもしれないが。
とにかく、混乱。
特殊な状態異常であるので、治療具もさほど出回っておらず、時間経過に頼るしかないというのが現状。
それ故に、厄介である。
妖しい光が完全にルカリオを支配して、混乱状態に陥る。それに追い討ちをかけるように、ルカリオの身体に深く根を張った宿木が、ルカリオの体力を栄養素に変換して、キュウコンへと運ぶ。もっとも、キュウコンはダメージを受けていないので、回復することは無く、ただ栄養素を吸収しただけだったが。
「コンコン、火炎放射!」
「……っ、もう一度、ボーンラッシュだ!」
緑葉が決着を選ぶ。トクサ少年も、神速、波動弾、龍の波動、ボーンラッシュの中からどれを選ぶか迷ったことだろうし、命中率や、攻撃力、攻撃方法。様々なことを考慮しただろう。
が、恐らく彼のルカリオに、これ以上神速を繰り出せるほどの体力は残っていないことだろう。神速は優れた性能を持った技だが、何分身体への負担が大きい。数回の使用で、限界がくる。
そしてキュウコンは、特殊防御力が高い。いっそ、波動弾、龍の波動で攻めても良かったのかもしれないが――特殊攻撃の分類である波動系の技では、一撃で勝負がつかない恐れがある。
もはや瀕死に近いルカリオと、体力に余裕があるキュウコン。
もう後は無いと、トクサ少年も悟ったのだろう。
ボーンラッシュに、攻撃を賭けた。
まさに『運』に賭けた選択だった。
が――
ルカリオは取り出した骨状の得物を明後日の方向へと投擲し、体勢を崩して自身にダメージを与えていた。
「くそ……」
混乱による、弊害。
そんなルカリオに情けをかけるはずも無く――
キュウコンが紅い瞳で標的を見据え、口元を三日月のように吊り上げた。
口元から炎が漏れる。
――オオオォォォォォォォォオオン
咆哮。
空を仰いで、勝利を確信したと言わんばかりの、宣言。
……しっかし、性格の悪い狐だ。
キュウコンは吼えるのをやめると、大きく息を吸い込んで――口元から、赤々と燃える炎を吐き出した。
――。
――。
赤々と。
赤々と。
ルカリオは燃える。
キュウコンは、火炎放射を吐き続ける。
そして――ルカリオは、その場に倒れた。
「……コンコン、もういいよ」
緑葉に言われ、少し物足りなそうな表情を作ったが、主の命令に従い、キュウコンは標的の燃焼をやめる。
「……」
目の前でパートナーを焼かれたトクサ少年は、そのまま動かずに、ルカリオを見つめている。
……さて。
「それじゃ、一応勝敗をつけておこうか」
せっかく審判役をやったんだから、これくらいやらないと締まらない。
トクサ少年と緑葉は、互いにパートナーをモンスターボールで回収すると、握手が出来る距離まで歩み寄った。
「えーと、何だ? まあ、とりあえず、ポケモントレーナー緑葉の勝利。おめでとう!」
「へへー、トクサ君、ありがとね! 強くてびっくりしちゃった」
緑葉は笑いながら、賞賛を称え合うために、右手を差し出した。本当に、強くてびっくりした。六体のパーティを最後の一体まで引き出すなんて、並のトレーナーでは出来ない芸当だ。
「……」
しかし、トクサ少年、プライドでも傷ついたんだろうか。固まったまま動かず、差し出した緑葉の手を握り返すでも無く、呆然と立ち尽くしている。
「……ありゃ?」
緑葉も差し出した手の行方に困ってしまっている。うーむ、まあ、一対六とは言え、勝つ自信があったんだろう。それとも、女に負けたとか、そういうくだらない理由で落ち込んでいるんだろうか。
まあしかし、どういう理由にせよ、勝負を綺麗に終わらせることが出来ないなら、いくら強いトレーナーとは言え、美しくない。観戦する者として、礼儀のなっていないトレーナーは、気分が良くないものだ。
僕はその点について、ちょっと注意してやろうと歩み寄る――が、トクサ少年は、何を思ったか、緑葉に――抱きついた。
抱きついた。
だ、抱きついただと!?
ふ、ふざけるな! 何をしてるんだ貴様は!
「あ、え?」
緑葉も困惑している。僕は激怒寸前だ。
「おい、お前――」
と、僕が大人気なくトクサ少年に近づいて肩を引っ張ると、トクサ少年は力なく崩れ落ち、地面にうつ伏せになってしまう。
「……え、ちょっと、大丈夫か?」
揺らしても、叩いても、反応が無い。
完全に、気を失っている。
「……」
「……」
持病とか、そういうものでもあるんだろうか。
いじけているだけなら放っておいても良さそうなものだけど、意識を失うとなると、結構な問題である。
意味も何も分からないままだが、このまま放置しておくという選択肢は、普通は持たない。僕はトクサ少年を背負って、とりあえず、ポケモンセンターを目指すことにする。
「うーん……負けたの、そんなにショックだったのかな?」
「どうだろ。まあとにかく、ポケモンセンターに連れて行こう。緑葉、荷物持ってくれる?」
「うん」
……はあ、昨日から、随分と面倒なアクシデントに、巻き込まれまくっている気がする。
僕は平和主義者のはずなんだけれど、そういう体質でもあるんだろうか? いや、緑葉が来てから巻き込まれているということは、きっと緑葉に原因があるはずだ。トラブルメーカー緑葉。ここに極まれりと言った感じである。
とにかく、少年を運んで、僕らは僕らで、夕飯の支度をしなくてはいけない。ああ、後、叔母さんから電話が来るから、電源も入れておかないと。
明日はジム戦だっていうのに、何でこうも予定が立て込んでいるんだ。なんて、柄にも無く切羽詰った日常にうんざりしながら、運動不足の僕には少々重いトクサ少年の身体を担いで、朽葉のポケモンセンターに向けて、歩を進めた。