8

 目が覚めた。
 直後、後頭部に激痛が走る。
「っつー……」
 じんじんと、染みるような痛さ。頭突きした時とかと、何か似てる感じだ。
 それで一体、どうしたんだっけ。確か少佐に会って、お酒を飲んで、緑葉に電話して……それで、何処か……港か、港に行ったんだ。駄目だ、痛みと酔いで、頭が安定しない。
 そして気づいたら……気づいたら、どうなったんだ? ここにいた。そうだ、それまでの記憶は無い。そういうことで、良かったんだっけ。
 僕は目を開けて、とりあえず今の状況を確かめることにした。が、目を開けても、視界は変わらない。暗いまま。暗いままだ。
 ……何処だよ、ここ。
「あー!」
 叫んでみる。
 あー、あー、あー……。
 叫び声が反響して消える。音の感じと、座り心地、空気の匂いから言って、ここは洞窟のようだ。洞窟ってことは……多分、ディグダの穴かな。
「とりあえず、現状確認が必要だな……」
 僕は手を動かそうとして、両手が縛られていることに気づく。これだけで、僕は誰かに拉致られたんだろうってことが容易に想像出来た。ふむ、困ったぞ。
 背中で縛られた両手を何とか動かして、ポケットの中を探ってみる。が、やはりポケギアは無い。ポケギアがあれば、照明、時刻確認、外部との連絡と色々なことが出来るんだけど……まあ、そんなものを持たせたまま僕を放置するはずも無いか。
 はあ、やれやれ。悲劇の主人公の誕生というわけだろうか。笑えない。全く笑えない。すっかり酔いも抜けてしまっている。というか、色々と覚めてしまった。
「……ま、モンスターボールを持ってこなかったのは幸いかな」
 見つかって、僕をさらった誰かさんの目に触れるのは避けたいところだし。それに比べれば、僕を殺す気も無いことだろうから、そこまで心配することでも無さそうだ。
 ただ、灯りが無いというのは非常に心細い。それに、緑葉に何を言うだ何だと盛り上がっていたのに、すっかり冷めている。その点に関しては、少々怒りが沸かないでも無い。まあ、それでも激怒するほどじゃ無いんだけどね。やれやれ、僕は本当に、緑葉以外のことでは怒れないほど、腑抜けた人間らしい。
「とは言え……こっちから何も出来ないってのは辛いなあ」
 やられっぱなしは性に合わない。勿論、やりっぱなしってのも好きじゃないけれど。
 とか独り言を言っても寂しいだけだし……ま、さらわれているというのにここまで緊張感の無い僕もたいしたもんだ。緑葉のことが先延ばしになったおかげで、色々と余裕でも出来てるんだろうか。
 危険にさらされたら、落ち着け。少佐にいつも言われていることだし、そういう点では、有り難い。
 まあともかく、何も出来ないのなら、何かしてやろうかな。幸い足は縛られていないようだし、探索くらいなら出来そうだ。それに、洞窟なら岩が沢山あるだろうから、縄くらい簡単に切れるだろう。
 最近運動不足だったし、いい運動になりそうだ。
 たまにはこういう危険も、悪くない。

 ◇

「……密入国者か」
「関東、上都、豊縁、深奥……どこの地方にも属さない眼の色ですね」
 朽葉港。
 港への入り口には何本ものテープが張られ、侵入が禁じられている。何人か、その手前でフラッシュを焚いているカメラマンもいたが――警察側はそれを無視している。いつものことなのだろう。
浅葱(アサギ)市からの定期船に乗り込んでいたようですね。出航が金曜日の午後二時だったので……昨日から潜伏していたと考えるのが妥当のようです」
 朽葉港にある監視小屋の中で、朽葉市を取り締まる巡査とマチス少佐が、状況整理を行っていた。
 マチス少佐がハクロと別れてから二時間後。突然の出来事ではあったが、マチス少佐は酔っていたにも関わらず突然起きた爆発に迅速に対応し、瞬時に犯人を取り押さえ、事件を鎮圧した。
 マチス少佐がジム内におらず、ハクロ少年と酒を飲み交わした後、気晴らしに朽葉市内を散歩していたことが、集団の早期発見に繋がったようだ。
「しかしディグダの穴の封鎖か……確かに、ここを上手く利用すれば、(ニビ)常葉(トキワ)、朽葉の三つの町を行き来出来るからな。昔、山吹が閉鎖されたこともあったが、似たようなことを企んでいたのかもしれないな」
「少佐」
 マチス少佐が犯行グループから取った調書を見ながらそんなことを呟いていると、一人の警官が駆け寄ってきた。監視員から昇格したばかりの、若い警官である。
「朽葉市内の民家に、異常はありませんでした。市民全員、確認済みです」
「そうか、分かった。報告ご苦労。待機してていいぞ」
「は」
 警官は敬礼をすると、マチス少佐の背後に回り、直立不動の体勢を取る。警察に所属していないとは言え、ポケモンリーグから揉め事の処理を任命されているマチス少佐。警官達を統べる巡査よりも、地位は遥かに上である。
「……ったく、朽葉に攻め込むなんざ自殺行為だってのになあ……」
 紫苑(シオン)、縹、山吹、鈍、常葉、そして上都地方――様々な場所と繋がる経路を持つ朽葉は、交通に関して便利である反面、狙われやすい。
 同様に、関東の中心地である山吹もリニアの開通によって他地方からの移動が容易になったのだが――他地方から侵入されやすいのは、やはり船。そういう点で、朽葉は不埒な考えを抱く悪の集団から、山吹以上に狙われやすい町と言えた。
 もっとも、それを危惧してポケモンリーグがマチス少佐を朽葉に配置しているのは言うまでも無い事実であるのだが――他国に住む人間、さらに言えば他地方に住む人間にとって、マチス少佐という人間の素性はあまり知られていない。だからこそ、悪事を働こうとする集団は、何も知らずに朽葉に攻め入ってくるのだ。
 考えの甘い集団が、考えの甘い行動を取って、元軍人に捕らえられる。
 朽葉ではよくあるとは言わずとも――さほど珍しくも無い光景である。
 だからこそ、朽葉市内に住む人々は、そういった危険に対して抵抗する術を持っているし、各々危険に際した場合の対処法を、心得ている。
 しかし――時には例外が存在することも、事実と言えた。
「……おい、ちょっと待て」
 椅子を回転させ、先ほどの警官を向くマチス少佐。
 マチス少佐の本来の人格を知る人間しかいないせいもあってか、体面を取り繕う必要の無いマチス少佐の口調は、軍にいた頃のそれである。
 もっとも、軍人であった頃は、英語であったのだが。
「は、何でしょうか」
 声をかけられた警官は、何か不備があっただろうか、見落としがあっただろうか、という不安をめぐらせながら、マチス少佐の言葉を待つ。
「住人の安否は全員分確認したのか?」
「はい、市民百二十三名、全員です」
「それは俺も含めてか?」
「はい。現在家族で旅行に出ている家庭を除けば、百十九名全員です」
「……二人もたりねえじゃねえか」
「は?」
 警官はリストを調べながら、言葉の真意を探ろうとする。
「六番道路付近にある水瀬家に、一人の客人が見えてる。確か四日前からだな。それをカウントしたとして、全人口百二十三人に一人プラス。さらにもう一人、ガキだけで住んでる家があるだろ、あそこに同世代の女の子が遊びに来てる。そんで家族旅行を引けば全部で百二十一人だ」
「……すみません」
「謝る前にやり直せ。俺の事務所に今日の午後五時現在の全住人のリストがある。客人も含めてのな。お前が使ってんのは一週間前のリストだろ。俺の机の三番目の引き出しだ、それ使ってもう一回確認して来い。いいか、頭数が合えばいいんじゃねえんだ、リストにある名前と目の前にいる住人の名前が一致して初めて『確認』になる。それはお前の落ち度だ」
 言って、マチス少佐はポケットから鍵を取出し、警官に渡す。
「だが、リストの手違いはお前の落ち度じゃない。失敗は許される。だが二度目は許されない。幸い犯人どもは全員お縄だ。急がず焦らず、確認してこい」
「は、はい! 申し訳ありませんでした!」
 警官は鍵を受け取った後、敬礼し、小走りで朽葉ジムへと向かう。そんな若い警官を、薄い笑みを浮かべながら眺めるマチス少佐の下へ、先ほどの巡査が歩み寄ってくる。
「少佐」
「何だ」
「密入国者達が乗船と同時に持ち込んだ爆薬の確認が済んだのですが」
「……どうした?」
「木箱の大きさに対して、中身の量が少なすぎるとのことです。どうやら幾つか、既に設置されている可能性があります」
「ディグダの穴を爆破した爆薬とは違うのか?」
「違う種類のようですね。研究員の調べによると、爆発の威力が桁違いのようで……あの爆薬を使えば、入り口の崩壊程度では無く、ディグダの穴そのものが壊れるほどだそうです」
「分かった。ディグダの穴付近にいる調査員を一旦本部に戻せ。後は手の空いている奴らに朽葉市内を探すように伝えろ」
「はい。それと、これは犯人の一人が持っていたものなのですが……」
 巡査はビニールに入ったポケギアを、マチス少佐に渡す。
「電源が切れるとロックがかかるように設定されているようで、持ち主が確認出来ていません」
「そうか、住人に確認させよう」
 マチス少佐はそのまま他の警官に渡そうとするが――ふと一つの可能性に思い当たり、ビニールの袋からポケギアを取り出すと、電源を入れ、暗証番号を入力し始める。
「まさか、な……」
 四、六、九、六。
 ポケギアの起動音と共に、ロックが解除される。
「くそったれ……」
 その四桁の暗証番号が、他の持ち主が設定した、偶然の一致であったという可能性も無くは無いのだが。
 ポケギアの着信履歴に残った『緑葉』という名前を見て、マチス少佐はハクロの家に向けて、走り出していた。

 ◇

 おかしい。
 ディグダの穴ってそもそも、こんなに薄暗かったっけ。
 勿論洞窟なんだから薄暗いのは当たり前なんだけど……昔はもっとこう、南北び出入り口から、光が漏れていたはずなんだけど……。
 壁面に突起していた岩を使って両手を拘束していた縄をちぎった僕は、まあ五体満足な状態で洞窟内をひた歩いている。とは言っても、どっちかどっちなのか分からない状態なので、両手を前面に押し出しての歩行となっている。何だか滑稽だ。ちょっぴり引け腰だし。
 うーん……何だろう、ディグダの穴って、確かに頻繁に訪れる場所じゃあ無かったけど……フラッシュが必要なほど、暗い場所じゃなかったはずだ。まあ、もしモンスターボールを持っていたとしても僕の相棒はフラッシュなんて覚えてないし、そもそもジムバッジだって持ってないから、明るくするなんて不可能なんだけど。
 ああ……或いは緑葉がいたなら、使えたのかな。緑葉、確かグレーバッジとブルーバッジを持ってるって言ってたし。まあ、フラッシュの秘伝マシンを持っているかどうかは定かじゃないけど……。
 あーダメだ。視界が暗いと気分まで暗くなる。本来なら助けが来るまでじっとしてれば良さそうなもんだけど、それだともっと気分が沈みそうだし。何とかして出口まで行かないとなあ……この際、鈍市方面に出ても構わないし。とにかく光が欲しい。外は夜だけど、月明かりでもいいから欲しいもんだ。
 うーん……やっぱ、ジムバッヂ完全制覇した方がいいのかもなあ。こういう局面で、秘伝技ってかなり使えそうだ。まあこんな局面に陥ることなんてそうそう無さそうだけど。
 ……なんて想像しながら歩いていたら。
 比較的柔らかい感触を、足裏に感じた。
「やべ……ディグダ踏んじゃったかな?」
 ディグダって引っかくから嫌なんだよなあ。野性だと躊躇無く攻撃してくるし。まあ、大半のディグダは穴掘って逃げてくれるから楽なんだけど……と、僕は足をディグダから退けて、通り過ぎようとする。頼む、引っかかないでくれ、痛いのはごめんだ! なんて念じながら。
「ん……」
「ん?」
 走って逃げようとした僕の耳に、しかしディグダの鳴き声にしてはか細い声が聞こえてきた。随分と艶っぽいような……そんな声。呻き声というか、何というか。
 どう考えてみても、人間の声だ。
 しかもどこかで聞いたことのあるような……。
「えーと……」
 いや、まさかな。まさかまさか。まさかそんな偶然が――ありえるはず無いだろう。ありえるはず無いんだろうけど、酔って殴られて拉致されてという、そんな偶然の渦中に僕はいるわけだから、否定は出来ない。
 僕は踏んづけてしまった『何か』の元に再び歩み寄って、触ってみる。柔らかい。明らかにディグダじゃない。というかもう、呻き声と感触だけで、決定的だった。
 何でこうなるんだ……。
「おーい、緑葉、今日はジム戦の日だよー」
 ベタな手で起こしてみる。
 まあ、緑葉の安否が確認出来ただけでも、さっきよりはいくらか精神的に余裕が出来たかな。
 勿論……安否の確認とは言っても、安全じゃない方の確認だけれど。
「ん……うん……あと何分か……」
 時間は明確にしろよ。
 僕は体を揺する力を強くする。多分肩だよな、僕が掴んでる場所、えらく柔らかいけど肩だよな。そうに違いない。うん、大丈夫だ。
「ん……あれ? ハクロ?」
「おはよう」
「うん……おはよー……」
 薄暗いのでよく分からないが、まだ寝ぼけているようだ。緑葉の瞳だけ、薄暗い光に反射して、よく見える。
「あ……え、あれ? えっと……」
「大丈夫、何もしてないから。それより緑葉、何でここにいるの? ……よっと」
 緑葉をお姫様抱っこして、僕は後ろ歩きで壁まで移動。背中に壁が激突したところで、緑葉を降ろして、僕も壁を背にして座った。
「えっと、あれ……ハクロが……呼び出して……それで……」
 顔が見えなくても赤面していることは明らかだった。僕だって真っ赤だ。顔がフレアドライブしそうである。
「ん、まあ……ひとまずその話は置いておこうか。僕も何かやりづらいし」
「う、うん……えっとね、ハクロに呼ばれて港に行ったら、ハクロがいなかったの」
 ってことは……僕が酔って殴られて、ここに放置された後に緑葉が来たってことか。
「ん、じゃあ緑葉も拉致されたってこと? まあ、何かされたって風でも無さそうだし、特に心配ってわけじゃないけど……」
「ううん、私は……えっと、えーっとね。何て言えばいいんだろう」
「うん?」
「ハクロがいなくて、電話したの。三回くらいしたかな? そうしたら急に繋がらなくなって、何かあったんだと思って……」
「ああ、ならポケギアの電源は切れてるな。サンキュー緑葉、これで他人に中身を見られる心配は無い」
 僕のポケギアは緑葉から五分以内に着信が三回あったら、自動的に電源が落ちるように設定してある。まあ、これはポケギアの説明書を読んでいた時に面白半分で設定しただけなんだけど……まあ何にしろ、役に立って良かった。
「それで、ポケモンセンターに助けを求めに行こうと思ったんだけど、何か変な集団がディグダの穴の方に行くのが見えて……追いかけたの」
 追いかけたの……って、追いかけるなよ。何て危なっかしい女の子なんだ緑葉。まあ、そのお陰でこうして一緒にいられるので、とりわけ責める気も無いけれど。
「それで、ディグダの穴に入って、気づいたら気を失ってたとか?」
「うーん……集団の中にハクロを見つけて、ハクロがディグダの穴に放り込まれて、それで集団が解散した後にディグダの穴に入って……」
「それで?」
「何か爆発して、吹き飛ばされた……」
 ……。
 ば、爆発?
 あまりにも非日常的な単語だ。
 爆発。
 ビリリダマとか、イシツブテとか。そういう奴らがいる場所だったら、極稀に野生同士の喧嘩で爆発が起きるって話も聞くけど……ディグダの洞窟で、それは無いはずだ。ディグダの洞窟には、ディグダとダグトリオしかいない。もしそれ以外のポケモンがいたら流石にニュースになるだろうし、考えられない。
 だとしたら――人工爆薬か。
 最近物騒だったし、それに輪をかけて変なことを企む人間がいたとしても、不思議じゃない。それに、だとしたら、ディグダの穴の近くにある港にいた僕を邪魔だと思って拉致しても……辻褄は、合いそうだ。
「大体……分かってきたかな」
「ん?」
「変な集団が朽葉に来て、ディグダの穴を壊そうとしたんじゃないかな。理由は……分からないけど。でもディグダの穴を潰せば、得をする人は結構いる」
「そうなの? 洞窟を潰したって、何も起こらなさそうだけど」
「ディグダの穴ってさ、本当にただの洞窟じゃん。でも、おかしくない? 岩山トンネルとかお月見山とかなら、それこそ膨大な数のポケモンとだだっ広い敷地があるから、そのまま残されてるんだろうけど」
「うん」
「けど、ディグダの穴なんてディグダとダグトリオだけしかいないんだ。もしディグダの穴が、縹と朽葉を繋ぐ地下通路と同じように人工化されたら……鈍と常葉にとって、かなり有利になる」
「じゃ、鈍か常葉にいる誰かが何か企んでるってこと?」
「それは分からないけど……まあとにかく、得する人は沢山いるってことさ。で、誰の所有物でも無いから、損する人はあんまりいない。元々ポケモン愛護団体だかが守ってるだけの場所だしね」
 それこそディグダとダグトリオを何百匹単位で何処かの洞窟に移住させれば、こんな洞窟すぐにでも地下通路に早変わりなんだろうけど……生態系が壊れそうだし、現実的じゃないだろうな。まあ、単純にディグダの洞窟を壊して誰かに迷惑をかけようって腹なのかもしれないけど。
「ま、僕には詳しいことは分からないや。さて、そろそろ脱出のことでも考えようか」
「脱出って……出来るの?」
「出来なくてもしないと、何が起こるか分からないしね。ああそうだ、緑葉は拉致されたわけじゃないんだっけ」
「うん」
「じゃ、ポケギアとか持ってる?」
「あ、そっか」
 ポケギアがあれば、大した労力を使わなくとも脱出が叶いそうだ。幸い、少佐の事務所の電話番号は記憶してるし。そうでなくても、警察に通報すればすぐに助けてもらえそうなものだ。
「あったよー」
 緑葉はバッグと繋がったポケギアのストラップを外して、僕に渡してくれる。そっか、ストラップつけとけば、吹き飛ばされても大丈夫っぽいな。
「よし、んじゃ電話してみようか」
 ピコピコ。ボタンを押す。
 ……反応が無い。電源でも切れてるんだろうか。
 電源ボタンを長押しして、電源の復活を図る。が、一向に電源が入る様子は無い。
「……ま、ありがちっちゃありがちなんだけど」
「ん?」
「ポケギア、壊れてるっぽい」
「……え、本当?」
「うん、ちょっといじくってみて」
 僕は緑葉にポケギアを渡す。まあ、元々大して当てにしてなかったから、酷い損害ってわけじゃ無いんだけど……まあ、それなら当初の目的通り、練り歩いて出口を探す他無いだろう。はあ、正直もう疲れてきているし、足も痛いんだけど、弱音を吐いたら恰好悪いし、がんばるしか無いか。
「どう?」
 薄暗い中でポケギアを調べている緑葉に尋ねてみる。
「電池パックがどっかいっちゃったみたい。蓋ごと壊れてるー……」
「んじゃ、とりあえず出口に向かおうか。緑葉がいるってことはこっちが朽葉側の出口で合ってるみたいだし」
「うん…………うー」
「まあ電池パックくらいならすぐ交換してもらえるし、本体があるだけいいじゃん。それに、探そうにも今は明かりが無いし」
 それなら一旦出て、その後また探しに来たほうが得策のように思う。まあそれに、頼めばポケギアくらい無償で取り替えてくれそうな悪い大人の知り合いがいることだしね。
「明かり……ってそうだ、私ポケモンもちゃんと持ってるんだ」
「ん?」
「秘伝マシンあるから、それで探そう」
「秘伝マシンって……緑葉フラッシュ持ってるの?」
「そりゃ旅人だもん。色んな秘伝マシンが無いと色々困るしね」
「ふーん……もしかして、全種類持ってる?」
「うーんと……深奥地方版なら全部あるよ。他の地方は、まちまちかな」
 そうか、やっぱ旅をしながらポケモントレーナーをやっている人間は、色々持っているものなんだ。まあ、『そらをとぶ』とか重宝しそうだし、海向こうの町なんかは、波乗りしないと行けないしなあ。やっぱ僕も、バッジ取ったほうが便利そうだ。
「技マシンケースは……うん、ちゃんとあった」
「って、今覚えさせんの? 秘伝マシンって一回覚えたら簡単に忘れないんじゃなかったっけ」
「でも、電話した方が安全そうだし」
「まあそりゃそうだけど……」
 何だか意固地だ。いやまあ、緑葉の頑固さは今に始まったわけじゃないけど……こんな風に、電池パック一つに固執するなんて、何だか緑葉らしくない。
 かと言って間違ったことは言ってないから否定する気も無いし、何より急いで出る必要も無いから、緑葉の意志と言うのならそれでいいのだけれど……。
「んーと……ハクロ、モココ探してくれる?」
「ん、ああ、いいよ」
 暗闇だからモンスターボールの区別が付かないらしい。僕は緑葉のバッグに手を突っ込んで、モココっぽいボールを選ぶ。モココっぽい……というイメージを言葉に置き換えることは出来ないのだけれど、とにかくモココっぽいのだ。これはもう感覚。北がどっちか感覚的に分かる人間と、同じかもしれない。
「これかな。はい」
「ありがと。よーし、出て来いっ!」
 言って、緑葉は洞窟の中にボールを放った。暗闇の中では眩しいくらいの光と共に、モココが現れる。体内から微弱に電気を放出しているせいか、モココの周りだけ、少々ぼやけた明るさが感じられる。
「モココ、おいで」
 壁に寄りかかったまま、緑葉はモココを呼ぶ。羊のような鳴き声を上げながら、とことこと、モココは緑葉に近づいていく。
「えーと……これかな。モココ、いい?」
「メェー」
 秘伝マシンの使用。僕は馴染みの無いものなのでよく分からないが、変な機械のようなもの――形状は、学習装置に似ているようだ。まあそんな変な機械にディスクを挿入して、モココに装着した。
「ふうん、マシンってそうやって使うもんなんだ」
「うん。すぐ終わるよ、一分とかで」
 静かな洞窟内に、秘伝マシンの起動音が小さく響く。モココも大人しくしているし……秘伝マシン、思っていたほど大掛かりな道具じゃないようだ。
「よーし終わり」
 起動音が止まって、緑葉がモココから機械を取り外す。
「モココ、大丈夫?」
「メー」
 もこもことした体躯で鳴くモココは、何だか可愛い。確かにこれは……進化させるのも、惜しい気がする。
「それじゃあモココ、今覚えた技……えーっと……フラッシュー……ぴかーってやって!」
 覚えたてだからか、流石に指示の受け答えが完全でないらしい。ふうむ、覚えたての技が上手く発動しないのには、こういう理由があるのかもしれない。
「メェー?」
「これ、今の。わー! って、フラッシュ!」
 身振り手振りで、緑葉がモココに技を指示する。両手を大きく振っているようだが、暗くてよく見えない。くそう、モココと戯れている緑葉はそれはもう可愛いだろうに、見れないなんてあんまりだ。
 と、僕が変なことを考えている間に、モココは指示を理解したのか、体中を発光させ始める。
「ハクロ、目閉じてて」
「あ、なるほどね」
 そっか。洞窟を日中程度の明るさに保つ技とは言え、いきなりそんな光を浴びたら目が眩むもんな。
 僕は目を閉じて、モココのフラッシュを待つ。と、一瞬で瞼の裏が明るくなり、モココのフラッシュが完成したことが分かった。目開けて大丈夫だろうか、大丈夫だよな。大丈夫のはずだ。
 ゆっくりと、まずは片目から。目を開けた先では、モココが定期的に発光している姿が見て取れた。どうやらまだ慣れていないようで、明るくなったり暗くなったり、光の調節が出来ていないようである。まあ、でもそのうち目も慣れるだろう。僕は両目を開けて、さて電池パックを探そうと緑葉に目を向ける。
 ……嫌な光景が、目に入った。
 緑葉の、スカートから伸びた右足が、赤々とした血に塗れている。
 だから、僕はそんな緑葉に声をかけようとして、かけられなくて、何を言おうか、戸惑って、出口を探そうと言った僕に対して、それを拒んだ緑葉の意図が分かって。
 緑葉を背負って、出口を目指そうか。そんなことを考えたり、いやまずは電池パックを探して電話して、救助を頼もうとか、色々考えて。
 何も会話を挟まないまま、緑葉から目を背けた先に。
 ――僕は時限爆弾を見つけた。