9

 ハクロの家に、灯りは点いていなかった。
 ハクロのポケギアを握り締めて、ハクロの家を目指したマチス少佐は、その光景を見て、愕然とする。
 しかし一秒を待たずに、思考回路は様々な可能性とその対処法を導き出す。
 一つ目、ハクロが告白した後、二人で何処かへ出かけたという可能性。それならば、心配には及ばないだろう。このまま探索していれば見つかる。が、ハクロが朽葉市内や六番、十一番道路にいるとすれば、この騒ぎに気づかないわけは無い。それに、二人一緒にいるならハクロのポケギアだけ落ちているのはおかしい。この線は低いと言える。
 二つ目、ハクロと緑葉が既に就寝しているという可能性。だが、インターホンを鳴らしても反応が無く、さらに家の中にいるのならポケギアを落とすはずも無く、もし酔ったままの帰り道に落としたのだとすれば、緑葉から電話がかかるという必要性も無い。むしろ、ポケギアが無いと分かれば探しに出るはずだろう。なので、この線も低い。
 三つ目、ハクロと緑葉がさらわれたという可能性。しかし、同時にさらわれたのだとすれば、緑葉のポケギアからハクロに電話をかけるのは不可能。さらに、もし犯行グループがかけたのだとすれば、三回分も着信履歴が残っているはずが無い。それに、緑葉のポケギアが存在していないことも、不思議だ。なのでこの線も低い。
 四つ目、緑葉がさらわれてハクロが無事だという可能性。しかし有りえないだろう。可能性として考えられても、あまりに低い。
 とすれば、やはり、五つ目。ハクロがさらわれ、緑葉が無事だという可能性。
 それだけの可能性を、マチス少佐は考えた。その間五秒。
 そして、一秒後、ポケギアの着信履歴から、緑葉に対して、発信する。
 ――勿論、それが繋がることは無い。
 家の灯りが点いていないことを確認してすぐに走り出していたマチス少佐は、電話が繋がらないことを確認するとジムへ向かって走り出す。そして、住民の確認を任せていた警官を探す。運良く――と言うべきか、マチス少佐の計算通りというべきか、歯車が噛み合うようなタイミングで、警官は丁度ジムから出てくるところだった。
「あ、マチス少佐」
「住人確認はもういい誰がいなくなったか分かった。これで繋がるまでずっと緑葉ってやつに繋げろ、お前ポケギアあるか?」
「あ、はい」
 警官は突然のことに混乱しながらも、制服の胸ポケットに入れていたポケギアを取り出す。マチス少佐はそれをふんだくると勝手に自分の電話番号を登録し、警官に突っ返した。
「繋がったらそっから俺に連絡しろ、本部に戻ってずっと繋げ。本部に充電器があるから刺しっぱなしにしとくといい。俺は奴を締め上げてくる。何か進展があったらすぐに連絡しろ、いいな」
「は、はい、了解です!」
 警官は規則正しく敬礼し、すぐにハクロのポケギアから繋がらない緑葉のポケギアに向けて発信する。マチス少佐はそれを確認すると、朽葉市の派出所に走る。その走りは無駄が無く力強いもので、ジムから派出所までの最短ルートを瞬時に走りきる。
「あ、少佐」
「奴は何処だ、俺が話を聞く」
 マチス少佐は人を押しのけ、取調べが行われている部屋へと向かう。そして扉を開け、首謀者とされる人物に詰め寄ると、取調べを行っていた警官を部屋から追い出し、胸倉を掴んで壁に叩き付けた。
「爆薬はどうした」
「……」
 首謀者は白を切り通すつもりなのか、虚ろな眼でそっぽを向く。そのふざけた態度にマチス少佐の怒りは増加する。
「もう一度問う、爆薬はどうした」
「……」
 そして、男が二度目の答えを拒んだ瞬間、マチス少佐は首謀者を殴りつけた。
 胸倉を掴まれているので、倒れることも出来ない。左頬を殴られ、その反動で右頬を壁に叩き付けられる。しかしマチス少佐はその顔を力ずくで自分の方に向けると、再び問うた。
「爆薬はどうした。答えを先延ばしにする度に一度、気絶しない程度の罰を与える。ワユーエイブルトゥアンダスタン?」
「わ……分かた」
 もう一度、殴りつける。
「先延ばしにする度に一度、だ。質問されたこと以外は答えるな時間の無駄だ。爆薬はどうした」
「ど……洞窟の内部にしかけた」
「その爆弾はどうやって起爆する」
「時限式……四時間後に爆発する……仕掛けたのは九時過ぎ……」
 マチス少佐は部屋にかけられた時計を見る。十時五十二分――残りは二時間八分。誤差も含めて、残り二時間程度と認識する。
「何故爆弾をしかけた」
「それはもう聞かれ――」
 素早く、膝を腹部に埋める。
「頼まれた……人に頼まれた……」
「誰だ」
「言えない――」
 鼻を折る。
「言えない……言えないじゃない、知らない……誰も知らない……紙貰た……頼まれた……」
 マチス少佐は胸倉を掴みながら首謀者の頚動脈に当てていた親指で、軽い判断をする。動悸は一定。瞳孔も変化無し。眼も背けない。嘘とは考えにくい。
「仲間は何処だ」
「仲間も知らない。本当誰も知らない」
 話題の変更にも乗ってこない。しかし質問に対する答えと違う言葉を発したので、約束通り鳩尾に貫手を通す。
「がふっ……」
「少年を拉致したか」
「した……洞窟中にいる……」
「何故拉致した」
「捕まった時の人質にしようとした……」
「後付の理由じゃなく原因としての理由だ。何故拉致をすることを思い立った」
「爆薬の入っている木箱に座っていた……中身を知られたかと思って殴って洞窟に捨てた……」
「爆弾を解除する手段はあるか」
「無い……コードも何も無い」
 想像通りだった。元々時限爆弾に、見栄えのするコードなど存在しない。勿論爆弾自体に起爆させるためのコードは存在するが、それは全て何かで覆われているものだ。
 恐らく、解除しようと思えば出来るのだろうが……道具も何も無い状態で、解除は出来ないだろう。
「少女を拉致したか」
「してない」
 マチス少佐が殴ろうと右手を振りかぶった瞬間に、首謀者は慌てて言い直す。
「見かけたがしていない。勝手に洞窟の中に入て行たからそのまま見過ごした。その後入り口を爆発させたんだ。勝手に入た。それだけ」
 嘘とは、考えにくい。
 既に幾度も罰を与え、自力で立つことも難しい状況になっている。マチス少佐が胸倉を掴んでいるから、ようやく立っていられる程度だ。
 聞きたい情報は、ほとんど手に入ったか。
 ――と、そこでマチス少佐のポケギアが振動する。
 マチス少佐はポケギアを取り出し、首謀者の胸倉を掴んだまま電話に出た。
「おう」
「少佐ですか、電話、繋がりました」
「今から行く、お前は応対を続けろ。電話に出たのは誰だ」
「ハクロと名乗る少年です」
「……分かった、すぐ行く」

 ◇

「僕から電話が来た」
「へ?」
 足の怪我を応急的に処置した僕は、ポケギアに電池パックを入れてすぐに来た僕からの電話に応じて、待機するように言われた。
 すぐにマチス少佐に代わりますので……って言われても、何で僕のポケギアが使えてるんだろう。流石に暗証番号、安易すぎただろうか。
「さて……しかし、どうしようか」
「んー?」
「とりあえず……これ、やばいよなぁ」
 爆弾。
 残り時間が表示されているわけじゃないけど……逆にそれだからこそ、いつ爆発するか分からなくて、怖い。
 一番怖いのは、それこそ緑葉が死ぬことなんだけど。だけれど、僕が緑葉の盾になったとして、こんな密室で緑葉を助けられるかなんて分からない。
 下手に刺激して爆発したら嫌だし……とにかく、様子を見るのが一番のような気がする。知識の無い人間が下手に手を出すと、状況を悪化させかねない。
「とりあえず、マチス少佐が応対してくれるみたいだから、待とうか」
「うん、そうだねー」
 何でこんなに楽観的なんだろう。
 いや、実際問題、危機に直面している人間が一番冷静っていう話も聞くしな……それに僕にとっては、緑葉が足を怪我したということがもう最悪でどん底だ。これ以上酷いことが起きるってのもあんまり考えたくないし、まあ何とかなるだろう……と。
「ハクロか、待たせた」
 少佐の声がポケギアから届いた。
「ああどうも、先刻はお世話になりました」
「ああその話は後だ。お前は今何処だ」
「ディグダの穴の内部です。多分、朽葉寄りだと思います」
「お前の連れも行方不明だ、合流したか?」
「大丈夫です。っていうか、僕が緑葉のポケギア持ってる時点で明らかでしょうに」
「ポケギアだけ吹き飛んだ可能性もあるだろ、可能性はしらみつぶしにしないと正確な判断が出来ないからな」
 ああ、そうか、なるほど。流石は少佐、頭の切れがいい。こういう状況に陥った時の判断力は、日頃の少佐からは全く感じられないほどだ。
「それで、心を落ち着けて聞け」
「はい?」
「その洞窟内に、爆弾が仕掛けられている」
「ああ、はい。今爆弾の近くで休憩してます」
「……そうか。分かった。今すぐ脱出しろ」
「したいのは山々なんですけど、緑葉が足を怪我しまして、歩ける状態じゃないんですよ」
「お前が背負えば済む話だろ、がんばれ」
「そうしたいのも山々なんですが……」
 僕は横目で、緑葉を見る。痛々しい足の怪我。本当なら、動かすことだって難しい。まあ、背負う程度なら痛みも悪化しないだろうけど……問題は別にある。
「ちょっと……問題が起きまして」
 僕は緑葉に聞こえないように、小声で言う。
「なんだ」
「僕の右足首、折れてるんですよね」
 骨折。
 起きてすぐは後頭部に意識がいっていたけれど……歩くにつれて分かったのは、右足が完全に折れているということだ。
 本当はもう、痛みで立っているのも限界なのだけれど。同様に怪我をしている緑葉の手前、弱音を吐くわけにもいかない。それに、今だと座るだけで激痛が走りそうである。左足を軸足にして壁に寄りかかっているほうが、いくらか楽だ。
「緑葉って子がお前を背負って梯子を登れるとも思えないし、片足でお前が背負ってこれるとも思えないし……かと言ってポケモンも……」
 少佐は考え込んでしまった。まあ、流石にこんな最悪の状況、何度もあるわけじゃないしな。いくら様々な危機を掻い潜ってきた少佐とは言え、分からないこともあるだろう。
「何だってー?」
 緑葉が僕に尋ねる。能天気に。
「ん、まあ大丈夫。心配しないで良さそうだね」
 僕は平気で嘘をついた。緑葉は光るモココと楽しそうに戯れているが……そろそろ、色々と、やばそうだな。緑葉の足とか、僕の足とか。色々と、ね。
「……今お前が考え得る、最良の手段を言え」
「最良ですか? 僕が死んで、緑葉だけ助かる手段が最良です」
 僕はさっきよりさらに声を潜めて、言った。
「どうするつもりだ」
「どうするも何も、僕の足が使い物にならないくらい頑張って、緑葉だけでも何とか逃がすんですよ。そうすりゃ何とかなりそうでしょう」
「……いいか、よく聞け、今午後十一時二分。爆弾が起爆するのは大体午前一時だ」
「…………はぁ、笑えない冗談ですね」
 あと一時間五十八分、か。僕の今の足じゃ、岩壁を上ったとして、ギリギリってとこだろうか。
 もっとも、確か出入り口は爆発で塞がれているみたいだし、そういうことを考えると、出られない可能性の方が高いけれど。
「鈍側の出入り口も、同じように閉鎖されている。つまり、お前らを助けに入ることは出来ないんだ」
「塞がれた出入り口だけでも、壊せません?」
「今やってる。だが、洞窟の入り口自体が壊れたから、梯子が何処にあったか分からない。元々通じていた穴が何処にあるか見当が付かない」
 ふーむ……万事休すか。
 死んでも良い、なんて思ってはいないし、絶対に死にたくない。けど、それを口に出してわめいたところで状況は変わらない。冷静に、冷静に。
「一つ聞きたいんですけど」
「何だ」
「岩砕きって……ありますよね」
「……秘伝技か」
「無駄だと思うんですけど、誰か持ってません?」
「すまん……それに、今から取り寄せても、間に合うとは思えない」
 そりゃそうか。関東じゃあ……岩を砕くっていう風習が無いしな。深奥地方以外で霧を払う必要が無いみたいに……関東地方で岩を砕く必要も、無いような。そんなイメージだし。
「……仕方ない、か」
 僕はモココと戯れる緑葉を見る。あー、何だって僕がこんな嫌な役をやらなくちゃいけないんだ。まあ、僕以外にやる人はこの場にいないから、仕方ないんだけどね。
「少佐」
「どうした」
「お願いがあります」
「言え」
「技を忘れさせることが出来るって人、いましたよね。何処に住んでるか覚えてないですけど、その人呼べます? 権力とか使って」
「……意味は分からないが、約束しよう」
「後は、引き続き出口の発掘作業、お願いします。僕はちょっと、緑葉と喧嘩しますから。ああ、あと最後に一つ、今から僕がやること全部に、責任取ってくれると助かります」
 言って、僕はポケギアを電源ごと切った。
「さて……」
 まあ、緑葉がそこまで物分りの悪い人間だとも思えないし、今がどういう状況なのか分からないほど、頭が悪いとも思えない。だからさほど、困ったことでは無いんだけれど……。
 覚悟を、決めるか。
「緑葉」
「どした?」
「モココさ、進化させようぜ」

 ◇

「……へ?」
 緑葉は困惑している。当然だ。
 怪物じゃん、とか言っていたけれど、きっと、緑葉には緑葉なりに、進化させたくない理由があったんだろう。
 とは言っても、それを聞く気も、それについて同情する気も無いけれど。今はとにかく、時間が無いのだ。
「ど、どういうこと?」
「いや……緑葉のポケモンいるじゃん。キュウコン、ワタッコ、シャワーズ、オオタチ、ヨルノズク……そんで、モココ。こいつが重要なんだ」
「う、うん……?」
「で、今現在十一時六分。あと一時間五十四分で、爆弾が起爆します」
「げ、やばいじゃん」
「そうなんだ……だから、出来るなら早めに色々と話を終わらせたい。喧嘩とか、そういう言い分も全部後で聞く。だから、とりあえずモココをデンリュウに進化させてくれ。ここにいるディグダ倒しまくって、進化させてくれ」
「……ごめん、ちょっと意味が分からない」
 そりゃそうだろう。僕だってこんな状況じゃなかったらこんなこと言わない。だけどこんな状況だからこそ、緑葉の口調がいつもより他人行儀で、怒っているように聞こえたって、僕は怖気づいたりしない。そんなことをしている暇なんて、今の僕には無い。
「じゃあ分かりやすいように解説しようか。今緑葉は足を怪我してて、その足で歩くのは非常に危険。で、爆弾のリミットも近づいている。外から発掘作業はポケモンを使わず手作業だから、時間がかかって間に合わない可能性が高い」
「それが?」
「ところがどっこい、緑葉は『いわくだき』の秘伝マシンを持っている。……持ってるでしょ?」
「持ってるけど……それを覚えさせるなら、モココのままでも出来るけど?」
「岩だけ砕いても上には上がれないよ。何とかして、出口の塞がった空間――まあ便宜上一階として、そこに辿り着かないといけない。そこにたどり着くには、緑葉の足はあまりに不都合だ」
「あ……」
 理解出来たのか、緑葉は僕とモココを交互に見比べている。
「僕が背負って一階まで上ってやりたいのも山々なんだけど、実は骨折しちゃっててさ。いや、正直骨折くらいは我慢出来るけど、万が一僕が踏み外して緑葉を落としたら洒落にならない。こういう状況で、可能性に賭けるのはバカのやることだ。確実に上手く行く方法を実行するのが、頭の良い方法だと思う」
「でも……私、バッジ持ってないし……」
「少佐が全責任を取ってくれる。ていうか取らせる。……あのさ、僕を恨んでいいんだ。つーか嫌いになってくれてもいい。緑葉に死なれるくらいなら、嫌われた方が百倍マシだ。だから、そういう色々な不満も含めて後で聞く。今は時間が無いんだ」
「……」
「頼む」
 真剣に、懇願する。
「ロッククライムを覚えられるのは、デンリュウだけだろ?」
 ……それは確信を得た発言じゃなかったけれど。
 緑葉のポケモンを見れば、どいつがそれを覚えるのかくらい、すぐに分かった。
 勿論デンリュウが覚えるのか、どうなのか。僕が知っていたわけじゃなかったけれど。
 ……僕は中途半端に、運が良い。
 緑葉の反応を見ても、それが正しい判断だということは、明らかだった。
「…………」
「緑葉がデンリュウを進化させたくない理由、可愛くないってだけじゃないんだろ? 他にもあるんだろ? でも、それはわがままを言うほど大事なことか?」
「…………」
「脱出する方法は、それしか思い浮かばない。デンリュウに乗って、内側から岩砕きしまくれば、向こう側に出られる。そうすれば、時間内に出来れば、二人とも助かる。間に合わなくたって、緑葉一人だけは、確実に助かる」
「どうしてハクロはいつも自分のことは考えないの!」
 ――緑葉が、怒鳴る。
 僕は……動揺している。
「骨折したなら言ってくれればいいじゃん! 私の方が軽い怪我なのに、私のことばっかり気遣って。なんでハクロはそうなの?」
「……心配かけたくないからに、決まってるだろ」
「心配したいよ! 心配させてくれればいいじゃん!」
「……あんまり怒鳴るなよ。まだ色々と、やることがあるんだから」
「なんでそんなに冷静でいられるの? 私が嫌だって言ったら、二人とも死んじゃうかもしれないよ? なのに、何で冷静でいられるの?」
「……」
「ハクロが何考えてるかわかんない。なんでそんなに冷静でいられるかわかんない」
 ……はぁ。
 なんで冷静でいられるか、分からない、か。
 時間は……十一時、八分。
 ディグダの穴は、走って片道三十分。
 まだ大丈夫。時間はある。いざこざが起きると考えていないわけではなかったし、一つの脱出の可能性は潰えるけれど、今やっておくべきだろう。
 それに、時間があるなら、そろそろ、色々とはっきりさせておくか。今後のためにも。
 まあ元々、こんな名前を貰っておいて、優柔不断だってこと自体、おかしな話なんだ。
 優柔不断というか、どっちつかずというか。勿論危機的状況なら、ちゃんとした決断を下していると自負しているけれど。
 白黒。
 ハクと、クロで。
 ハクロ。
 折角そんな、分かりやすい名前を貰ったんだから。
 …………いっちょ、白黒つけるか。
「緑葉」
「……なに」 
「好きだ」
「……」
「死ぬほど好きだ。誰よりも好きだ。世界で一番好きだ。自分の命より大事だし、緑葉以外の全てと天秤にかけても緑葉の方が大事だ。誰かが緑葉に触れたら、僕はそいつを殴る。緑葉が他の男とキスしたら、僕はそいつを殺す。緑葉が誰かに殺されたら、そいつと関わり合う全ての人間を殺して僕も死ぬ。緑葉がこの世からいなくなったら、僕は世界を綺麗にした後、一人静かに朽ち果てる。緑葉から手紙がきたら僕はその度に喜びと不安を等分に感じるし、緑葉から電話がきたらその度に僕は胸を躍らせる。緑葉がいれば何もいらないわけじゃないけれど、緑葉のためなら他の全てを捨てられる。僕の命も、骨折した足も、頭も、腕も、手も、目も、耳も、指も、口も、声も、心も、全てを捧げよう。緑葉を生かすためなら死すらも容易い。緑葉を生かすために緑葉に嫌われるなら、喜んで受け入れよう。そのために緑葉の友達を異形の姿に変えようとも、僕の心が傷むことは無い。そのために全てを失っても、僕のこれからの人生が一瞬で終わってしまおうと、このまま死んでしまおうと、構わない。何を犠牲にしても、何と引き換えにしても、僕がそれを躊躇う理由はこの世に存在しないし、いつだって僕の世界観の中には、緑葉と僕とそれ以外の存在しかいない。だから緑葉、本来なら、僕が緑葉にお願いするなんて、色々と矛盾しているのかもしれないけれど」
「……」
「もうこれ以上、僕は家族を失いたくない」
 それは本当に、心から。
 掛け値なしに、飾りの無い言葉だった。
 美しい言葉も、優しい言葉も、何もかも、言えないけれど。
 それくらいのことは、言えた。
「……分かった」
「……ごめん」
「謝らなくていいよ」
「それでも、ごめん」
「じゃあ、許してあげるから、こっち来て」
「……うん」
 だから、別に。
 吊り橋効果とか、そういうものは、あると思っていなかったし、特別期待していたわけでも、無かったし。
 死んでしまうから全てを伝えようとしたつもりも無かったし、なりふり構わず全てを伝えようとしたつもりも、無かった。
 緑葉のために死ねると思ったのは本心だし、その結果後悔しても、それを受け入れるくらいの覚悟を、持っていた。
 恋愛が何だとか、知ったことじゃない。
 子供が何だとか、どうだってよかった。
 ただ僕が、緑葉に伝えたい想いを、言葉にしてみたら、そういう意味合いになったっていう、それだけのことだった。
 その想いを伝える言葉を、僕は知らなかった。
 同様に緑葉も、僕の気持ちに頷く言葉を、持たなかった。
 守れるはずが無い。
 護れるはずが無い。
 それでも助けることくらいは、出来ると思った。
 だから自分を犠牲にしても、助けてやりたいと、そう思ったんだろう。
 一体僕がどれだけの才能を持っていたとしても、所詮は限られた才能。
 それを緑葉が欲していても、僕はそれを分けてやれない。
 小さい頃から、それに引け目を感じていた。緑葉が欲しい物を僕が持っていて、それを緑葉に、僕は渡せない。
 それでも緑葉は、一緒にいてくれたから。
 だから他の全てを、緑葉にあげたかった。
 僕が全てを失うことで緑葉が喜ぶのなら、それで良かった。
 その結果緑葉を失うことになるなら……それは、考え直すだろうけれど。
「ハクロはもっと、私に頼っていいよ」
 そんな言葉を囁かれた。
 緑葉に迎えられる形で、足の痛みも忘れて、緑葉に抱かれながら。
 僕はそんな緑葉を抱きしめようか、抱きしめまいか迷いながら、まずは答えを、口にする。
「……これからは、善処します」
「ん?」
 上目遣いに、問い詰められる。
 そうじゃないでしょう? と。
「……頼りにするよ」
 それが、今後の誓いを立てるという意味合いだったのか、分からないけれど。
 ただ僕が、そうしたいだけだったのかもしれないけれど。
 もしくは緑葉が、そう仕向けたのかもしれないけれど。
 そんな理由は、分からないまま。
 どちらからともなく。

 僕らは口付けを交わした。