ある日。  ポケモンをプレイしていた僕の部屋へ、まだ幼い妹がやって来た。  妹は僕の前に立つなり、いきなり泣きじゃくったのだ。  どうも妹は、人が最後に死んでしまう悲しい物語を読んだらしい。  僕は妹の部屋まで付き添って、そのまま彼女が泣き止むまでなだめることにした。  その内に妹も泣き疲れたのか、僕が背を撫でている内に眠ってしまう。  妹は、すこぶる単純な性格だ。  目が覚めた時には、いつもと変わらぬ元気で明るい、そしてやかましい姿に戻ってる事だろう。  試しに僕は、妹が読んだと思われる本を読んでみる事にした。  ……なるほど、確かに終わり方はハッピーエンドとは言い難い。  内容は、不死の病に侵された主人公が、病と闘いながら残り少ない時間を懸命に生きるというもの。  結局主人公は最後に亡くなってしまうが、その間にも多くを経験し、満足して逝ったという。  ただ、この物語にはまだ救いがある。  主人公は確かに亡くなったが、その前に多くの人と触れ合った事で、彼らの思い出に残ったのだ。  ……けれども、それすらも永遠ではないことを、僕は知っている。  だからこそ、悲劇のストーリーとしては割と単純なハズのこの物語に、何故か心をつかまれた気分だった。       「たとえ世界が滅びても」        とある、人気大作RPGのオリジナル漫画化がされたものを読んだ時。  魔法使いの少年が幼い頃、人がいずれ死ぬことについて恐怖し、泣いた事があるというエピソードがあった。  (この時点で何の漫画か、分かる人には分かるでしょうね(汗))  たぶん妹も、似た気持ちになったのだろう。  その漫画の中では、彼の母親は「時間の限りがあるからこそ人は頑張れる」と諭していた。  ……と記憶しているので、もし覚え間違いなら申し訳ない。  この考え方に、僕は結構共感できる。  極端な話、明日にも交通事故に遭って死ぬ事もありえない話じゃない。  誰がいつ死ぬかなんて、本当に誰にも分からないのだ。  ならば、死ぬまでの間にひたすら楽しく過ごそうと思う。  (もちろん他人にできるだけ迷惑をかけない範囲で、であるが)  好きな事に頑張り、楽しい人生を満喫して、その上で一生の最期を迎えられれば幸せだろう。    多くの人は、何かしら生きた証を残したがるものだ。  それは、何かの創作物であったりもする。  歴史に名を残し、長きに渡り言い伝えられる場合もある。  あるいはもっと単純に、この先を生きる人々の想い出として残るのもいい。  自分の子を成せば、それもまた1つの生きた証だ。  ……けれども、それらが永遠に続くものであるという保証はない。  何故ならこれらのほとんどは、『人類』が存続している間という前提に基づいているからだ。  例えばの話、地球が滅んでしまえばそれで終わりだ。  そんな事あるはずないと、思うだろうか?  けれど星にも寿命があるし、何かの本によると地球より先に太陽の寿命が来るという。  太陽が最期を迎える時、今より大きく膨張するのだとか。  その時には、地球をも飲み込む大きさになってしまう。  だがその前にも、今から10億年もすれば、大きくなった太陽の熱によって地球の水は干上がるらしい。  そんな灼熱世界となっては、もはや生物が棲み続けられるような環境ではないだろう。  地球に住めなくなったら、未来の科学技術で他の新天地を求める案もあるらしい。  だが宇宙はとてつもなく広く、未来の科学技術でもそれが可能な確率は極めて低いとか。  それに宇宙そのものにしたって、寿命がないとは限らない。  こう考えれば、どこかしらで必ず破滅の時はありそうだという気になれるだろう。    ふと、ポケモンのゲームの電源がつけっぱなしだった事に気づいた。  僕はすぐにレポートを書いて、ゲームを終了する。  しかしその直前、手持ちポケモンの中に、オムナイトがいた事に気づいてハっとした。  オムナイトというポケモンのモデルとなったのは、恐らくオウムガイとアンモナイトだろう。  片や生きた化石として知られ、今も地球上に生息している一方、片や大昔に絶滅した生物。  また、大昔に絶滅した生物としては、恐竜なんかも極めて有名だ。  そういえば、手持ちポケモンにはプテラもいたな……。  だが恐竜にしろ、アンモナイトにしろ。  大昔に絶滅してしまったとは言え、それでも1億年をゆうに超える程の時間を、種として存続し続けた。  それに比べて人間は、今のような現代人の姿が生物として現れたのは、せいぜい20万年前。  年月の長さは、恐竜やアンモナイトの方が圧倒的に桁外れと言える。  では人間は、やがて恐竜やアンモナイトの存続年数を超えるのだろうか?  しかし地球は、いつまでも同じ環境にあり続ける訳ではない。  地球が生まれてから環境は何度も何度も変わってきたし、人間がそれについてこれる保障などない。  実際に地球では、隕石や、大規模な世界的火山活動などによって、何種類もの生物がいっせいに大量絶滅してしまう事があった。  今後それが起こった時(人間の活動によってすでに起こっているとも言われる)、そこに人が引っかかればアウトだ。  人間の科学技術が、そんな自然の大規模な動きに太刀打ちするのは、あまりに難しい。  科学者の多くが、人間の存続期間はあと数千年であると言っているらしい事を聞いた。  もちろん環境破壊によっては、それ以前に絶滅してしまうかも知れない。  しかし仮にあと数千年だとしても、今の僕達は明らかに末期の人間ということになる。  20万年で人類が絶滅したら、恐竜のように億単位の期間存続し続けるなんて仮想など、笑い話にしかならない。    ただ、誤解しないでほしい、また誤解したくないと思う点もある。  地球の歴史全体で見れば、あるいは恐竜やアンモナイトの存続期間に比べれば……。  20万年という数字は、あまりに短いだろう。  けど、そうやって何かと比較する行為自体が、あまりに人間的だ。  億単位に比べれば小さい数字だとしても、実際20万年というのは結構長いと思う。  戦国時代を、ついこの間の出来事だと考える人は少ないだろう。  数百年前のそれですら、随分と昔の話だ。  その数字を何十倍、何百倍にもして、ようやく20万という数字に辿り着く。  人が世界の中心だというおこがましいプライドを捨てて考えれば、あるいは十分な長さとも取れる。  親なんかはよく、年末になると「もう1年過ぎた」などとぼやく。  そんなに1年が短いと思い込んでしまっては、余計短く感じられてしまうのではないだろうか。  充実した1年間を過ごしていれば、1年って結構長い気もするのだけれど。  ……もっとも、そんな過ごし方をするのが難しいという事なのかも知れないが。  要は、時間の一定期間を長いか短いか判断するのは単なる主観で、それを決めるのは自分自身だと思う。  もう1つ、数千年後に人類が滅びるというのは、そんなのあくまで人の計算上の話である。  所詮は人の推測、どこまで現実になるかなど分からない。  結局この先どうなるか分からない訳で、科学者と言えど人が未来の世界を完璧に予知するのは不可能だ。  今年中にも、人類は終わるかも知れない。  逆に、あながち数億年間も存続してしまうとも、可能性が限りなく低いとはいえ誰にもゼロとは言い切れない。    それでも今のところ、何年後かは分からないが、どこかしらで人に終わりが来る可能性が圧倒的に高いようだ。  そして人が滅びた時、人が遺した物のほとんどは消滅してしまうだろう。  生涯を賭けて、何かしら生きた証を残したとしても、どこかでそれは消えてしまう。  人に、永遠は許されないのだろうか。    だが、1つ……。  たった1つだけ、僕は人が永遠に存在し続ける方法を知っている。    僕は、パソコンの電源を入れた。  インターネットの世界に飛び込み、目指すは自分が公開しているホームページ。  掲示板の書き込みに返信を済ませたら、今日の更新準備を進めよう。  人が永遠に存在し続ける方法。  それは、自分で自分の世界を作り出すことだ。  僕はポケモンが好きなので、ポケモンのオリジナル小説を書いてサイトに公開している。  キッカケは、他の人が同様にポケモン小説を書いていたのを見つけた為だ。  昔から僕は、漫画やゲームなどが好きだった。  特に物語に関しての感心が強く、今こうして自分で物語を作るのが心底楽しい。  では作った物語は、その世界はどこにあるのか。  自分の心の中? あるいは、インターネット用に保存されているサーバー機器の中?  ……どちらも否だ。  自分の心は、ただ物語と世界を作り出した産みの親に過ぎない。  親が死のうと、子は生き続ける。  インターネットサーバーは、ただその物語の世界と僕らの世界とをつなぐ、媒体に過ぎない。  僕らにとっての現実世界からは、そういった文章を通してでしか見る事ができないだけ。  物語を、世界を作った時、それは僕らの現実とは全く別次元の異世界として生き続ける。  人はそれを、仮想の世界と呼ぶだろう。  ただし、それが仮想なのは、あくまで僕らから見た時の話だ。  仮想世界の人間にとっては、その世界こそがまぎれもない現実。  ならば、その世界は僕らの世界とは別に、独自に生き続ける。  たとえ僕が死んでも、インターネットが消えうせても、それこそ僕らの世界の人間が絶滅しても。  その世界には全く関係なく、どこかで存続し続けるだろう。  だったら、永遠に存続し続ける世界を作ればいい。  作るのは小説でも漫画でもいいし、作る暇が無いなら己の空想のみで生み出したっていい。  この未来(さき)、僕らの住む世界が滅びたとしても。  永久に在り続けるという世界を、自分で作ればいいのだ。  そうすれば、僕らにとっての現実世界の存続はできなくとも、別の世界の人間は存続し続ける。  それは自分から生まれた、まぎれもない人間だ。    僕が作った世界は、ゲームのポケモンが元になった二次創作のものだ。  だから、人とポケモンが共に生きる世界である。  そこでは人もポケモンも、僕らの現実世界の人間と同様、やがては寿命を迎えて死が訪れる。  ただし僕らの現実世界と決定的に違うのは、そこに『世界の寿命』は存在しない事だ。  何かしらの危機を迎えても、人とポケモンが力を合わせて必ず乗り越える。  人もポケモンも、生物の種としては、そこで永遠に存続し続ける世界である。  そんな、酷く自分勝手な魅力に満ちた、あまりにご都合主義な世界。  せっかく考えたのなら、他の人にも見てもらいたいと思い、小説として書いて公開する。  見てもらいたい以上、面白い物語を書こうとは努めている。  だが、この世界の大前提にあるのは、ありえない程に出来過ぎた理想。  極端な話、その為ならば話の面白さなど二の次だ。  僕は別に、プロの小説家になろうと思っている訳ではないのだから。  理解できない人には、無理して理解してくれなどとは言わない。  自己満足と思うのならば、勝手にそう思ってくれても構わない。  所詮、思い込みなんて、強く信じたもの勝ちだ。  ただ僕は、自分の望む理想郷たる世界を、想うがまま作ってみただけの話である。    終わり    ……基本的にセリフが全くない話なんて、初めて書きました。  先に断っておきますが、僕には妹なんていませんよ(何)。  弟ならいますが、かといって弟にあんな風に泣きつかれた事もなし。  この話の執筆は、僕に小説活動の原点を思い出させてくれました。  なーんで僕、小説なんて書いてたんだ、読書なんてしないのに。  (基本的に漫画しか読まない。ネット上の人様が書いたポケモン小説なら読むが)  その答えが、まさにコレです。  つっても、最初から人やら世界やらの滅び云々を考えてなんかなかったですが(ぁ)。  むしろそれは、後付けっぽい。−−;  要は、自分の理想とする物語を書きたかったからです。  ていうか、皆そうなのでしょうけどね……理想は人それぞれ違うでしょうが。  それでも正直、時間を費やして作った作品ならば、多くの人に読んでもらいたいのも確かです。  けれど、それは自分の中の大原則たる理想を捻じ曲げてまで求めるものではない。  自分の理想はこれだってのを、改めて提示し、同時に自身が思い出す事のできた話でした。  とりあえず。  色々いざこざがあっても、最終的には平和なのが一番いいですね(謎)。