ポケットモンスター、縮めてポケモン。この世界に存在する人間とは違う不思議な生き物の事だ。
 その生態は謎に包まれていて、未だに全ては解明されていない。なので研究者達は日夜研究を続けている。
 ポケモンの不思議な特性の一つに、遺伝子が挙げられる。
 人間と全く異なる遺伝子構成は勿論、さらにポケモンには自らを電気信号へと変換する事を容易にする細胞が含まれている。何故こんな細胞が含まれているのかは分からない。
 この細胞を利用すると、モンスターボールという球型の機械を使うことによって、ポケモンを収納する事ができる。
 モンスターボールを扱うには免許が必要で、取得のためには義務教育を修了……つまり十歳になる必要がある。モンスターボールを扱える者を総じてポケモントレーナーと呼ぶ。
 ポケモントレーナーの中にはポケモンを戦わせる者、技を競わせる者、仕事の手伝いをさせる者など、様々な道がある。
 人の生活と切り離す事のできない、共存すべき存在。それがポケモンだ。



 はぁ……。
 今日何回目の溜息だろう。多分二十回は軽く超えてるはずだ。
 溜息をつくと幸せが逃げる。そんな話を聞いた事があるけど、もしもそれが本当なら、今日一日で一生分の幸せを失いそうな予感がした。
 周りは鬱蒼と木々が生い茂ってる。ここはトキワの森……カントー地方最大の森で、昼間でも薄暗い、少し不気味な森だ。
 母さんはこの森に生まれ、共に育ったと言っていたけど、僕は少し怖かった。
 周囲は木々。何処かからポケモンの鳴き声が響いてくる。木々が僕を閉じ込めてしまったかのような錯覚にも陥ってしまう。それに、森に入ってから人に会ってないのも怖い。……まるで、一人ぼっちにされた気分だ。
 でもまぁ、僕は一人ぼっちじゃない。仲間がいるから。
 腰に巻いたベルトに三つのモンスターボールが留めてある。それを全部放り投げた。閃光と共に三匹ポケモンが現れた。
 まず茶色いフサフサの身体に二つの頭が生えた奇妙な鳥ポケモン、ドードー。名前はドド。
 次に紫色の小さな身体に大きな前歯、くるりと巻かれた尻尾が可愛らしいコラッタというポケモン。名前はララ。
 最後に黄色い身体に黒いギザギザ、長い耳の先端は黒く、頬にはピンクの丸模様、ピチューというポケモン。名前はピピ。
 三匹とも僕の大事な仲間だ。三匹を見ると、僕は一人ぼっちじゃないと再認識できる。
 父さんと母さんが僕の旅立ちのために用意してくれたポケモンだ。



 ポケモントレーナーの資格を得た人が旅をするのは珍しい事じゃない。
 ポケモンバトルの上達、ポケモンの生態観察などなど、人は様々な理由で旅をする。
 僕も父さんと母さんに勧められて旅に出た。
 けれど……。
 僕には旅をする理由が見当たらなかった。僕は何のために旅を始めたんだろう?
 それが分からないから、溜息の回数がどんどん増えていく。幸せがどんどん逃げて行くわけだ。



 僕が旅の目的を考えるために切り株に腰掛けていると、不意に耳障りな音が聞こえてきた。
 何かが高速で動く音……だろうか? それが幾重にも重なって聞こえてくる。僕と三匹は真っ直ぐ、音が聞こえる場所を見た。
 ……音の正体が草むらから飛び出した時、僕の時は止まった。多分三匹も凍り付いた。
 飛び出したのは黄色と黒で彩られた身体に赤い目、腕とお尻に計三本の毒針を持ったスピアーというポケモンだった。気性は荒く、人を襲う事もよくある。『スピアーに襲われた数名が意識不明の重体』なんて、よく聞くニュースだ。けど、『マサラタウン出身のトウトさん(10)がトキワの森でスピアーの群れに襲われて以下略』なんて報道をされる事を想像すると……冷汗が吹き出た。
 咄嗟に踵を返そうとした時には遅かった。素早いスピアーの群れは僕と三匹に襲い掛かった。



――――サイコキネシス!



 何処かから声が聞こえた、そう思った瞬間、空気が張り詰める感覚が僕を襲った。
 声の主を探そうとして、ふと気付く。スピアー達の動きは空中で止まっていた。止まっていたと言うよりむしろ、無理矢理止められている……そんな感じだ。
 と、スピアー達の身体が地面へと叩き付けられた。同時に身体が開放されたらしく、逃げるように飛び去って行ってしまった。
 今のは……一体?
 僕と三匹が呆然としていると、女の人の声が聞こえた。



「君、大丈夫?」
 声の主は大人の女性だった。亜麻色の髪をセミロングに伸ばしている、可愛らしい人だ。歳は多分二十代半ばだろう。
 その人に付き添うようにポケモンが立っていた。緑と白の、人に近い姿をしたポケモン、サーナイトというポケモンだろう。
「あ、大丈夫です……あなたが助けてくれたんですか?」
 僕はとりあえず訊いてみた。さっきのスピアー達を追い払ったのがサーナイトのサイコキネシスならば、間違いなさそうだ。
「うん、なんか危なそうだったから」
「ありがとうございました、ホントに……」
 ホントに良かった……。旅立って二日で終了とかにならなくて良かった……。
「うぅん、気にしないで。でも女の子がトキワの森で佇んでたら危ないよ」
 その人は笑顔で言った。言った。……ってあれ? 何か勘違いされてる?
「あの、僕は男ですよ」
 遠慮がちに言うと、その人は固まった。
「あ……ごめんね……」
「いえ、慣れてますから」
 僕はどうやら女の子に見えるらしい。父さん母さん、それに友達からもよくそう言われた。
 多分、母さん譲りの黄髪を少し長めに揃えてるからだと思う。
「あ、僕はトウトっていいます。マサラタウン出身です」
 僕の性別を間違えた事を気にしているらしいその人に、僕は自己紹介をした。話題を逸らそうと思って。
 その人は笑顔になって自己紹介を返してくれた。
「私はミア。ラルース出身よ」
 ラルース……ホウエン地方にあるハイテク都市の事だったかな。
「ずいぶん遠くから来たんですね」
 ミアさんは僕の問い掛けに、
「ポケモンウォッチャーをやってるといつの間にか遠くまで来ちゃうのよ」
 と笑って答えた。



「さっきのサイコキネシス、凄い威力でしたね」
 僕は歩きながらミアさんに言った。ニビシティに向かうとミアさんに言うと、道案内をしてあげると言ってくれたのでお言葉に甘えている。
「そうね、レンっていうんだけど……実は私のポケモンじゃないの」
「そうなんですか?」
 意外だと思った。だって、さっきのサーナイトはミアさんにすっかり懐いていたように見えたから。
「うん、私の結婚相手とトレードしたの」
 トレード……トレーナー同士が双方の合意の下に互いのポケモンを交換することだ。
「まあ、ずいぶん長い間一緒にいるから慣れてるのは当たり前なんだけどね」
「なるほど……」
 やっぱり長い間一緒にいると絆は深まるらしい。……僕も三匹ともっと仲良くなりたいな。
「トウト君は旅の途中よね?」
 今度はミアさんが訊いてきた。僕は頷く。
「まだ二日目ですけどね」
 自分が旅立った頃を思い出しているのか、ミアさんは懐かしそうな顔をした。
「それで、何を目指してるの?」
 ……全くの不意打ちに感じた。僕が一番返答に困る質問だった。
 どう答えるのがベストなんだろう? ……いや、嘘をつく意味は無いか……。
「それが……自分でも何で旅をするのか分かってないんです」



「十歳になって、トレーナーの資格を取って……そうしたら父さんと母さんに旅を勧められたので旅立ったんですけど……」
 僕は立ち止まって顔を伏せて言った。ミアさんも立ち止まって聞いてくれている。
「旅に出てから気付いたんです。僕には目標が無かった。最初は旅を止めようかとも思ったんですけど、父さんと母さんが悲しむような気がして……」
 言い終えて、またしても僕は溜息をついた。
「溜息つくと幸せが逃げちゃうよ」
 ……あ、やっぱりそうなんですか? ……僕はどれくらい幸せを逃がしちゃったんだろう。
 ミアさんは続けた。
「私は強いポケモントレーナーになりたかったから旅に出たの。で、今の結婚相手と一緒に旅をして、ポケモンリーグにも出て……精一杯やったと思ったら次はポケモンウォッチャーをやりたくなって今に至るんだけど」
 ミアさん、ポケモンリーグに出たんだ……凄いなぁ。ちなみにポケモンリーグっていうのは公式の大会のこと。選び抜かれた実力者しか参加することはできない、トレーナー憧れの大会だ。
「でも反面、目標を持たずに旅をしてる人もいるのよね、結構」
「え?」
 そうなの?
「私も昔、トウト君に似た人と会ったことがあるわ。旅の目的は無いけどとりあえず旅をしていた、女の子に間違われやすい男の子」
 いや、女の子に間違われやすいは余計だと思うな……。
「その男の子はアテの無い旅をしてたけど、旅をしている中で目標を探していたの」
「……旅の中で?」
 ミアさんのその言葉は僕にピッタリ当て嵌まった気がした。まるでパズルのピースのように、ピッタリと。
「トウト君、まだ十歳でしょ? まだまだ人生長いんだから焦る必要は無いと思うよ」
 若いって良いなぁ、と呟きながらミアさんは言う。
「テキトーで良いの。旅をしてれば否応無しに目標が見付かるから、ね」
 ミアさんの一言一言が心に染み渡ってくるようだった。まるで神の啓示みたいだ。
「旅っていうのはそれぐらい刺激的なんだから」



 やがてトキワの森は終わった。前方にはニビシティの光が見える。もう夕方になっていた。
 僕はミアさんに深々と頭を下げた。
「ありがとうございました! 僕、旅します!」
 ミアさんはくすくすと笑って、
「頑張って旅してね」
 と言ってくれた。
 ニビシティを見て僕は心が躍るのを感じた。さっきまでは旅をするのが億劫だったのに、ミアさんの話を聞いたからか旅が楽しみで楽しみで仕方なくなってしまったみたいだ。
「じゃあ、僕行きますね!」
 僕はもう一度お辞儀をして、ニビシティへ向かって駆け出した。
「頑張って!」
 ミアさんの声が聞こえた。また会えるだろうか。……旅をしていればいつかまた会える気がした。



 僕の旅はこれから始まる。目的を探す旅。楽しむための旅。
 僕はこれから何処に向かうのかは分からない。けれど心のままに旅をしよう。


 いざ、アテの無い旅へ――――!



――――――――――――

これで原稿用紙10枚分……意外と短く収まってしまったなぁ。

分かる人にはあっさり分かると思うのですが、トウト君は某キャラと某キャラの子どもです。
ヒントはトウトを漢字で書くと“橙人”だということ。

“天と海に護られし〜”の10年以上あとの話です。

読んで下さった方、ありがとうございました。

やっぱり物書きって楽しいなぁ。