風花の夜 前編  「出たぞ!怪盗『風花(カザバナ)』だーーー!!」 月の無い静かな夜。一人の男の叫びによって、その静寂は打ち破られた。 男の声を聞きつけたのか、大勢の武装した男達が一斉に部屋になだれ込んでくる。 そして男達は訓練された動きで、とある人物を素早く取り囲む。 取り囲まれた人物は非常に軽装で、運動性を重視した、藍色の衣服に身を包む女性。 見た目から判断するならば、女性の年齢は二十歳か、その直前くらいだろう。 天窓から差し込む、僅かな星明りに照らされた女性の手には、杖のようなものが握られている。 その杖には、多くの宝石のようなものが多数埋め込まれており、一目で高価な美術品だという事が解る。 「追い詰めたぞ、女怪盗カザバナ!さあ、その杖を返してもらおうか!!」 「悪いけど、それはできない相談ね。アタシが探している大事なものかもしれない物なんだから、諦めて♪  それに刑事さん達も、アタシなんかよりも捕まえるべき相手がいるでしょうに・・・ねぇ?」 カザバナと呼ばれた女性は、男達を嘲笑うかのようにウインクすると、突如、警官の一人に向かって走り出した。 警官は少しも戸惑うことなく、女性を待ち受ける。 二人の距離が、お互いに手を伸ばせば届きそうな程の距離に近付いた瞬間、警官がモンスターボールを投げる。 中から子犬のようなポケモン、ガーディが姿を見せると、カザバナに向かって『火の粉』を放つ。 カザバナはそれを完全に予測してたかの如く、一瞬早く天井に向かって跳躍したのだ。 軽やかに宙を舞い、ガーディを出した警官の上に降り立つと、そのまま踏み台にして天窓へ跳ぶ。 「全く・・・もう少しレディの扱い方を覚えないと、女の子にモテないよ?」 そんな憎まれ口を叩きながら、カザバナは天窓を開け、屋根の上に出る。 そこにも案の定、警官達が待ち構えており、イトマルやガーディなどを出してカザバナを囲んでいた。 カザバナはその光景を予想していたらしく、特に驚いた様子は無い。 彼女の後ろには道など無く、屋根の下には漆黒の闇が横たわっている。 カザバナは、背後から吹く風を受けながら静かに、ゆっくりと周りを見回すと、勝ち誇るように微笑んだ。 そうしている間にも、彼女への包囲網はジリジリと狭まっていく。 その次の瞬間、イトマルやガーディ達だけでなく、彼女を取り囲んでいた警官までもが、バタバタと倒れてしまったのだ。 「残念でした。貴方達を見回した時、隠し持っていた『キノコの胞子』を密かに撒いておいたの。  今夜の風向きくらい、ちゃんと調べておくことね?・・・それじゃ、またね」 寝息を立てている警官やポケモン達を飛び越え、溶けるように夜の闇へと消えていった・・・。 朝の喧騒に包まれた、とある町。 比較的小さな町だが、都会に近い為か、割と町並みは近代的だ。 至って平和な町なのだが、この日は、普段の朝とは少し違っていた。 街頭で売られている朝刊には、昨夜起きた「ある事件」の話題が一面を占めており、 誰もがその事件に眼を留め、ある者は感嘆し、ある者は眉をひそめている。 そんな、ちょっと一風変わった朝は、この町のポケモンセンターも例外ではなかった。 朝の混雑する食堂で朝食を食べながら、二十歳前後らしい一人の青年が朝刊を読んでいる。 「・・・女怪盗カザバナ、町立美術館から文化遺産に指定されている杖を盗む・・・か」 紅いバンダナと、黒い服を着た青年は何気なく、ずり落ちかけたメガネを上げながら、誰に言うでもなく独白する。 「女怪盗じゃなくて、『美人』怪盗カザバナ!・・・ったく、この記事を書いた奴はセンス無さ過ぎよね!」 不意に青年の背後から、不満そうな声が聞こえた。 何事かと青年が振り返ると、一人の女性が自分の読んでいた新聞を、睨みつけるように覗き込んでいた。 「あの・・・貴方は?」 「・・・へ?あ・・・ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのよ。  ちょっとその記事が気になったから、その・・・つい。あは、あはははははは」 青年がいぶかしげに問うと、女性は苦笑いを浮かべながら詫びる。 どこか幼さを残すような可愛らしい女性は、大体二十歳前といったところ。 なかなかスタイルもよく、もう少し大きな街に行けば、五分と待たずに男達が次々と声をかけてくるだろう。 そんな女性に特に興味を示すこともなく、青年は再び朝食の続きを取り始めた。 「あのさ、相席してもいいかな?やっぱ朝は混雑しててさぁ〜」 「・・・どうぞ。俺は気にしませんのでご自由に・・・」 新聞を読みながら黙々と朝食を平らげていく青年に、女性は苦笑しながら、青年の真正面の席に着く。 朝の喧騒もあって、騒がしい食堂のはずなのに、二人の間だけは痛いほどの沈黙が支配している。 「ねぇ、貴方は美人怪盗カザバナに興味あるの?あ、アタシはフウカって言うの。風の花と書いて、フウカ。  職業は見ての通りトレーナー。この地区のバッジは四つよ。結構やるでしょ?」 この沈黙に耐え切れないといったように、フウカと名乗った女性が口を開いた。 青年はフウカの方を見もせずに「まぁ・・・少しはね」と、答える。 「ちょっとぉ、可愛い女の子が折角話を振ってあげてるんだから、もう少し愛想良く出来ないわけ?  アタシが名乗ったんだから、そっちも自己紹介くらいするとかっていう気は起きないの?」 「わかりましたよ。俺はケンと言います。職業は一応トレ−ナー。  この地域のリーグ公認バッジは、大会に出場する気は無いけど、全て取得済み。・・・他に聞きたい事はありますか?」 少し不機嫌そうに、しぶしぶと、青年が早口で自己紹介をする。 それを見たフウカは、少し満足そうに微笑を浮かべた。 「ふぅ〜ん、ケンって言うんだ。結構腕が立つみたいね?この時期に、もうバッジを規定数集めたみたいだし。  それよりさ、さっき美人怪盗カザバナに興味があるって言ったよね?どうしてかな?」 フウカはテーブルに身を乗り出してケンに質問する。 その様子に、ケンは一瞬顔を引きつらせたが、穏やかな笑みを浮かべながら頷き返す。 「うんうん♪それで?どんなところに興味を持ったの?もっと詳しく聞きたいな〜?」 「詳しくって言われてもな・・・。  文化遺産の杖よりも、もっと高価な美術品はあったはずなのに、変わったことするなって思っただけです。  あとは・・・そうですね、こっちの記事とはえらく扱いが違うな・・・ってコトくらいかな?」 少し考えるようにして、ケンはフウカに自分の意見を話す。 それを聞いたフウカは、急に不機嫌な顔になり、頬を膨らませてしまった。 「あ〜あ〜、そうですか!アンタもやっぱりこの一面にでっかく載っている事件の方が気になる訳!?」 「・・・何を怒っているんですか?それに、俺はこっちの事件には興味ありませんよ」 ケンは、勝手に機嫌を損ねたフウカに少し呆れつつ、新聞を閉じ、一面に載っている事件を見た。 「・・・フウカさんが言っている事件は・・・この怪盗『闇神楽(やみかぐら)』が起こしたものですね」 「そうよ!何時も何時も、この気取った仮面の怪盗のせいで、美人怪盗カザバナが新聞の一面を飾ることが出来やしない!  なんなのこいつ!?盗みに入る場所は、必ずポケモン絡みの犯罪をやってる会社とかばかり。  しかも盗んだポケモンを、一匹残らずポケモンセンターとかに届けるなんて、頭がどうかしてるわ!! いえ、そんなことよりも、なんでわざわざカザバナが仕事をする日に限って、こいつも現れるの!?」 フウカが睨み付けた新聞の一面には、でかでかと「仮面の怪盗『闇神楽』大会社の裏の顔を暴く!?」とあった。 「でも、それを言ったら怪盗カザバナも同じでしょう?彼女も、すぐに盗んだ品を返しているのですから。  現に、この記事には今朝早くに、盗まれた杖が美術館前に置いてあったそうですからね」 ケンがそう言うと、フウカはそれをギッと睨み付けた──「キッ」ではない、「ギッ」とだ。 野生のポケモンすら逃げ出しそうな、そんなすさまじい迫力の睨みである。 その余りの剣幕に、ケンは苦笑を浮かべるしかない。 だが、ケンには腑に落ちない点があった。何故フウカが、女怪盗カザバナに固執するのか・・・? 単に、同じ女性だからという訳と思うには、執着しすぎている。 闇神楽が嫌いだから。というだけでは説得力に欠ける。 「・・・何?アタシの顔に何かついてる?」 「え!?いや、別に・・・すいません、少々考え事をしてたもので」 理由を考えている内に、無意識にフウカの方を見つめていたらしい。 少々焦りながら、ケンが答える。 「もう、アタシがいくら可愛いからって、そんなに見つめても何も出ないわよ♪」 何か勘違いしたフウカが、可愛くポーズを決め、ケンはただ、虚ろに笑うしかなかった。 食事を終え、ケンとフウカはポケモンセンターを出て、再び旅の続きに出る事にする。 挨拶をして、ケンはフウカと別れようとしたその時だった。 「ねぇ、さっき『地区大会には出場する気は無い』って言ってたよね?  だったらさ、暇なんでしょう?これも何かの縁だし、少し一緒に旅でもしない?」 それを聞いたケンは、あからさまに嫌そうな顔をする。 「女の子の一人歩きって、結構危ないのよねぇ〜。誰か、強〜い人が一緒に居てくれないかなぁ?」 先程よりもずっと大きな声で、フウカが更にケンに詰め寄ってきた。 これには、流石のケンも諦めたらしく、フウカの旅に暫く同行することを承諾するしかない。 そんなことがありながら、二人が数日掛けて次の街に到着したのは、昼も大分過ぎた頃だった。 「この街は、地区リーグがある地域の中では、最大の都市らしいよ。  勿論、大きな企業なんかも集中してるから、活気があるのは当然。まさに『都会』って感じよね〜♪  ショッピングモールもあるみたいだし、楽しみだな〜」 街のパンフレットを見ながら、フウカが楽しそうに話しかけてくる。 ケンはそれを聞き流しながら、適当に相槌を打っては、何かを考えているように歩いていく。 その様子がつまらないのか、はたまた気にしていないのか、フウカのお喋りは果てしなく続いていった。 「さってと・・・とりあえず、ポケモンセンターで宿は確保したから、アタシはショッピングかなぁ?  ねぇ、貴方はどうするの?なんなら、一緒に来る〜?」 フウカが楽しそうに聞くと、ケンは足を止め、何かを思いついたように口を開く。 「いえ、俺はちょっと別の用を思いついたので、別行動させてもらいます」 そう言うとそのまま一人、人ごみを掻き分けながら、足早に去っていった。 「あ、ちょっと!・・・もう。でも悪いけど、アタシもこの方がありがたいのよね。  ・・・・・・さ、今度こそ「本物」の手がかりを探さなきゃ!」 誰に聞かれるでもない、小さな独り言。 だが、それには並々ならぬ決意のようなものが伺える。 フウカは、人ごみをすり抜けるようにして、街の喧騒の中へと消えていった・・・。