トレーナーになったあの日。 最初のパートナーと捕まえに行った、あの時に出会った少女。 一緒に草原に出て、二人で捕まえた。 ─やったぁ! やっと初めてポケモンを捕まえたぞ! ─お前は僕の最初のパートナーだ。宜しくな。 一緒に笑って、一緒に頑張って。 ─そういえば君は・・・誰? ふと振り返った時、君は幻のように消えた。 赤い身体と翼を持った、不思議な姿で。 ・・・とても優しく、不思議な微笑みを浮かべて・・・ ある旅人の日常 〜夢幻〜  のんびりとした秋の午後。山々は鮮やかなオレンジや薄紅といった化粧を纏い、やがて訪れるであろう冬の支度に忙しい。 夏の激しさを僅かに残した太陽の光は、木々の葉一枚一枚が受け止めるお陰で、森の中はひんやりと過ごしやすい。 そんな山の中を一人の男が歩いている。 年は四十代ほどで、上着は灰色の半袖シャツ一枚。 大きな登山用リュックのようなものを背負い、腰に長袖のジャンパーを巻き、黄土色の長ズボンをはいている。 体格もガッチリとしており、口にはタバコを咥え、煙をなびかせながら歩く様は、まるで熊のようだ。 顎の辺りには無精髭が伸び、余り手入れがされていないことは一目瞭然。 どこにでもいる、極普通の中年男性。 「さぁって、困ったぞ。すっかり道に迷っちまった」 男が誰に言うでもなく呟く。だが言葉に反してその声は、困っているようには聞こえない。 なだらかな傾斜と美しい紅葉を見せる木々。 その中に居るとても不釣合いな男は、辺りをぐるっと見回すと、その辺に落ちている木の棒を無造作に拾う。 「何事も時の運ってね。いつも通り、コイツで決めるとするか」 気楽な口調でそういうと、男は棒を地面に立て、手を離す。 当然、支えを失った棒はすぐに倒れる。 「ふむ、あっちか」 棒が倒れた方向は自分の居る位置から、左斜め前方。 男は無精ひげの生えた顎をさすりながら、再び歩き出した。 夜になった。静かな森は一層静けさを増すが、夜行性の生き物にとってはこれからが活動の本番。 そんな、極普通の夜の光景。 その中を、男は未だに歩き続けていた。 「あ〜、クソッ。まーた迷ったか。しゃーねぇ、今夜はこの辺で野宿か」 あれから随分と歩いているはずだが、男はそのまま迷い続けていたようだ。 仕方なく、野宿する場所を物色し始めるが、中々良い場所が見つからない。 その時、ふと視界に飛び込んでくる淡い光。 「・・・焚き火か、誰か居るな。流石俺、悪運だけは強いな」 咥えていたタバコを携帯用灰皿に押し込んで、「クックッ」と笑いを殺すように、男は上機嫌でその方向へ向かう。 その場所へは、歩いて二分もかからなかった。 ガサガサと無遠慮に獣道を歩き、己の存在をアピールする。 すぐに焚き火の明かりがある方向から、「誰?」と多少警戒の篭った声が聞こえた。 「あー、怪しいもんじゃねぇよ。ただの旅人さ。道に迷ったんだ」 男は声の主に対して気楽な口調で答える。 その言葉に安心したのか、声の主は「それじゃ、一緒にどうですか?」と返してきた。 (・・・この声からすると、女子供か? 大体声変わり前の小僧ってとこだな) そんなことを考えながら、男は「助かる」と言いつつ焚き火の方へ歩いていく。 「こんばんは。僕はススムって言うんだ。見ての通り、ポケモントレーナーさ」 そんなことをいいながら、ニカッと人懐っこい笑みを浮かべる少年が一人。 「よう、悪いな。俺の名前はタクロー。ま、お前さんと同じトレーナーだ」 タクローと名乗った男は、勧められるよりも先に焚き火を挟んで、少年の真正面にドカッと腰を下ろす。 「しかしまぁ、こんな山道で人に会うとは思ってもみなかったぜ。ま、そのお陰で助かったがな」 そういいながら、タクローはタバコを一本取り出す。 「あの、タバコはやめてくれないかな? 僕、タバコの煙駄目なんだよね」 ススムが嫌そうに、タクローに視線を向ける。 「ん・・・あぁ、わかったよ。悪かったな」 苦笑しつつ、タクローは火をつけ損ねたタバコを戻し、今度は小さな水筒を取り出した。 「こいつは、いいよな?」 「・・・それ、水じゃないの?」 ニヤリと笑うタクローに、ススムは疑問の視線をぶつける。 「酒だよ酒。お子様にゃあ早すぎるがな」 カラカラと陽気に笑いながら、酒を一口。 「げーっ、酒飲みかよ。僕、酔っ払いの相手なんて嫌だからなっ」 「へーへー、酔っ払うほど飲まねぇから安心しろっての。この程度じゃ水と同じだ」 「ちぇっ、調子いいこと言っちゃってさ」 ススムがそう言って口を尖らせると、タクローは悪戯小僧のような笑みを浮かべて笑う。 赤とオレンジと。煌々と燃える火が時折鳴らすパチパチという小さな音。 暫しの間言葉を交わすことを忘れ、タクローはその音に心奪われるように聞いている。 「そういや、ススムっつったか? お前さん、どこの出身だ? やっぱりチャンピオン目指してんのか?」 話題を探しての事だろう。ふと思い出したようにタクローは何気なく、ススムにそう聞いた。 「僕? 僕はキンセツシティ生まれだよ。当然、目指してるのはチャンピオンだけどね。  でも、今はまだ旅に出たばかりだから、まずはバッジを集めて、大会に出ることから始めなくちゃ」 「はは、そりゃ結構でっかい目標じゃないか。まぁ、無理しない程度に頑張りな」 「うん、ありがと。そういうおじさんはどうなの?」 「・・・あのなぁ、おじさん言うな。確かにおじさんだけどよぉ、もうちょっとこう、オブラートに包むとかできねぇのか?」 「でもおじさんじゃん。・・・まぁ、可哀想だからタクローさんって呼ぶことにしてあげるよ」 どこか恩着せがましく、ススムが笑う。 「ちっ、かわいくねーガキだぜ。まぁいいや。俺はフエンタウン出身だ。  あとはまぁ、未だにこうやってブラブラしてんだから、大体わかるだろ?」 「やっぱりタクローさんもチャンピオン目指してるの?」 「ま、多少はな。でもそれは昔の話。今じゃちっとばかし違う。一時期ジムリーダー目指そうかとも思ったが、それも止めた。  なんつーかな。こうやって旅をして、バトルをして。ポケモンと一緒に居るのが好きなんだ。  ずっとこうしていたい・・・そんな子供じみた我侭で、のらりくらりとやってんのさ。  でも一番の目標は・・・もう一度、アイツに出会うこと・・・」 揺らめき、赤々と、それでいて明るいオレンジ色の燃え盛る炎。 それを見つめながら、タクローは思い出すように呟いた。 「アイツって?」 そんなタクローの事など露知らず、ススムは両目をキラキラと、好奇心で一杯に輝かせながら聞いてみる。 「ん・・・俺にもよくわからん」 「はぁ? なんだよそれー」 タクローの答えに、馬鹿にされたと思ったのか、不機嫌そうにススムが口を尖らす。 「タクローさんのポケモンって、どんなのなの?」 それでも気を取り直して、別の質問に切り替えるススム。 「ん? ・・・コイツが俺のパートナーだ。出て来い、バクオー!」 タクローはそう言うと腰につけたモンスターボールを掴み、投げる。 まばゆい閃光の奔流をかき分けるように、中から火山のようなコブを二つつけた、牛とラクダを合体させたようなポケモンが現れる。 「うわぁ、バクーダだ! しかも、結構大きい・・・」 「どうだ、でかいだろう? コイツは俺がトレーナーになった時から連れていた一番の相棒さ」 「へぇ〜・・・凄いなぁ」 「で、お前さんのはどうなんだ? まさか俺にだけポケモンを出させる事はしねぇよな?」 ニヤリと笑みを浮かべ、タクローが言う。 その言葉にススムは「勿論」と笑って答えると、モンスターボールを手にとって投げる。 中から現れたのは頭にヒレのついた、青い体の小さなポケモン。 「へへ、僕の相棒のミズゴロウ。名前はミッチーってんだ」 そういいながら、どこか嬉しそうにススムはミズゴロウを抱き上げた。 「へぇ・・・ミズゴロウねぇ。近頃のガキは贅沢なもんだ。  俺のガキンチョの頃なんざ、自分でポケモン捕まえなきゃならなかったってのによ」 「え? そうなの?」 「あぁ、そうさ。だから、最初に捕まえたコイツは、特別な思い出があるんだ。  コイツがまだ小さなドンメルの時に捕まえて、ずっと苦楽を共にしてきた」 目を丸くするススムを見ながら、タクローは隣で腰を下ろしているバクーダを撫でる。 バクーダは嬉しそうに、信頼しきった眼差しで一声鳴いて応えた。 「大変な時代だったんだなぁ。僕今に生まれてよかった。こんな可愛いポケモンが貰えたしね!」 「ま、それもいいさ。ポケモンと過ごす事には変わらねぇんだ。その時間を大事にしないとな」 「うんっ、僕とミッチーは友達だもん!!」 そんな会話をしながら、二人はやがて、一日の疲れを癒す為に横になる。 夜の静けさと、時々聞こえてくる野生のポケモンの鳴き声を子守唄代わりに、深い眠りへと身を任せていった。 翌朝。 わたどりポケモンであるチルットのさえずりが、澄み切った早朝の空に響き渡る。 その声は小さくも美しく、耳に心地よいものだった。 木々のざわめきが風を受けて、何重もの音楽を奏で出す。 そんな爽やかな気持ちの良い朝を台無しにするような、大音量のイビキが森の中を駆け抜けていく。 「あ〜、もう五月蝿いなぁ! タクローさんイビキ五月蝿すぎ! カビゴンも真っ青じゃないか」 耐え切れないと言うように、ススムが跳ね起きながら怒鳴る。 そんなことなどお構い無しに、タクローは気持ちの良さそうな顔で眠っていた。 結局ススムは殆ど寝ることも出来ず、目の下にくまを作っており、酷い顔になっている。 「よぉ〜し、起きないつもりなら・・・こうだ!」 モンスターボールを投げ、中から現れたのはミズゴロウ。そして・・・。 「ミッチー、『水鉄砲』!」 激しい水流がタクローに襲襲い掛かる。 「ぶわっ! な、な、なんだぁあ!?」 加減はされているものの、当然びしょ濡れにはなる訳で。 そんなこんなで、長いようで短い一夜は幕を閉じる。 「ったくねぇ。もうちょっと自覚してよね」 「はいはい、悪かったっつってんだろ? お前もしつこいっつーの。大体お互い様だろうがよ」 朝食を済ませ、旅仕度も終え、今ススムとタクローは次の町を目指して山道を歩いていた。 互いに言い合いながらも、隣り合って歩く二人。その様子はまるで同い年の幼い友人同士のようでもあって。 やがて、山の頂上付近に出る。そこには植物は少なく、山肌が露出しており、岩などがゴロゴロしていた。 「うわぁ・・・なんか凄いなぁ」 「足を滑らせるなよ。下手に転んでモンスターボールを落としてみろ、ミズゴロウだけにゴロゴロ転がってくぞ。かっかっかっ」 「・・・何それ。洒落のつもり? 今時親父ギャグなんて流行らないよ」 「・・・・・・可愛くねーヤツ」 呆れたような冷たい眼差しを向けるススム。 タクローは自分の洒落が受けなかったのが気に入らなかったのか、酒の入った水筒を取り出してそれを飲む。 「ちょっと、こんな昼間っからお酒飲みながら歩くなんてやめろよな!?  こんな足場悪い所で、もし転んで怪我でもしたらどうすんのさ!」 「けっ、ガキじゃあるめーし。この程度なら水と同じだっつってんだろうがよ」 どっちが大人だかわからないような会話をしながら、二人は先に進む。 暫く歩いていくと、見慣れない白衣姿の男が居た。 白衣の男の周りには数人、紫を基調とした制服のようなモノを着ている。 「ねぇ、タクローさん。あの人達なんだろ?」 「まぁ、どっかのお偉いさんってとこか? ・・・一応、関わり合いにならない方がよさそうだな。  俺達が関って、もし公的機関の研究を邪魔したりしたら、最悪トレーナー資格剥奪だ」 タクローはそう言うと、その研究者らしき者達を避けるように、迂回しようと歩き出した。 ススムは彼らが何をしているのか気にはなっていたものの、ここは大人の判断に大人しく従う。 流石にトレーナー資格を剥奪されるかもしれないという言葉を聴いては、関わりたくなくなるのは当然だ。 その時、研究者らしき一団の方向が騒がしくなった。 人間の、怒声にも近い声。ポケモン同士が激しくぶつかり合う、バトルの音。 「ねぇ、何があったのかな? 何かの事故なら、僕達も手伝おうよ」 言うが早いか、ススムは駆け出す。やはり好奇心には勝てないらしい。 「お、おいちょっと待てって。・・・ったく、お前みたいな新米トレーナーの力が必要な事態なんてそうそうねぇってのによ」 ぼやくように言いながら、タクローも小走りで後を追う。 彼らが目にした光景・・・それは研究らしき男達と、見知らぬポケモンとが切り立った崖でバトルをしているところだった。 そのポケモンの姿は、身体は白を基調に、翼や腕のような部分など、一部分が赤い。 苦戦しているのか、息は上がり、逃げ出すタイミングを計っているようでもあった。 研究者達の方はグラエナ、オニゴーリ、ジュペッタ、テッカニンの四匹を出して戦っている。 「な、何あれ・・・? 凄い、きっと幻のポケモンだ!」 ススムは思わず声を上げた。 初めて見る、名前さえも知らないポケモンに非常に興奮しているのがわかる。 「・・・あれは・・・」 興奮するススムとは対照的に、タクローは唖然としていた。 ─そういえば君は・・・誰? 不意に蘇る記憶。 あの時に見た、少女の姿。 「酷い・・・相手は一匹なのに、四匹がかりなんて卑怯だ!」 ススムが叫んだ。タクローは、その声で我に返る。 研究者らしき男達は、執拗に赤い翼のポケモンを攻撃している。 普通なら止めるべき状態であっても、まるで無視するかのように、瀕死になるまで攻撃を繰り返していく。 それが、まだ旅立ったばかりの純粋な少年には、とても恐ろしく、残酷に見えた。 「やめろーっ、ミッチー『水鉄砲』!」 タクローが静止する間もなく、ススムはミズゴロウを出して、研究者に向かって攻撃を始めてしまう。 ミズゴロウの放った『水鉄砲』は、真っ直ぐに研究者らしき男達へと向かっていく。 だが、その攻撃は横から入ってきたオニゴーリによって止められてしまった。 「なんだ、この子供は。おい、この辺りには人が来ないんじゃなかったのか!?」 「居たものは仕方ないでしょう。どの道、我等を見られたからには奴等の口封じをしなければならない。  このポケモンの捕獲を邪魔されるわけにはいかないからな・・・!」 研究者らしき男達が小声で会話を交わす。 そんなことなど知らずに、ススムは叫んだ。 「なんでこんな卑怯なマネをしてるんだよ! アンタ達大人の癖に、ズルして楽しいのか!?」 未熟で、幼い正義。 だが、それを真実と信じて疑わない少年の言葉。 「ガキは黙っていろ。楽に死にたければな」 一蹴するように、紫の制服を着た男が吐き捨てる。 言葉と共に放たれた冷たい殺意に、ススムは一瞬、背筋を凍らせた。 「おいおい、死ぬだのなんだの、穏やかじゃねぇな。テメェら、何者だ?」 「貴様らに答える必要など無い。ましてや、死人にはな」 タクローの言葉さえも無視するように、ニヤリと笑みを浮かべる男。 その時、業を煮やしたように、ススムは再び攻撃に出た。 「お前ら悪者だな! 悪者なんかに負けるもんかっ。ミッチー、もう一度『水鉄砲』だ!」 ススムの声を聞いて、ミズゴロウが攻撃の態勢に入る。 「ば、馬鹿! お前が敵うような相手じゃない!!」 戦いを止めようと叫ぶ。しかしタクローの声は虚しく響いただけ。 「五月蝿いガキだ。ジュペッタ、『シャドーボール』」 紫の制服を着た男がジュペッタに指示を出す。 それはミズゴロウの放った水流を、ジュペッタの生み出した黒い玉が軽々と押し返し、ミズゴロウに直撃する。 黒い玉によって小さな青い体を弾き飛ばされ、空中に投げ出される。 その様子はまるで青いボールのようでもあって。 「ミッチー!」 ススムが走る。 ミズゴロウの名を呼びながら、落ちてくる青い小さな体を受け止めようとして。 「馬鹿野郎っ、そっちは・・・っ」 「・・・え・・・?」 タクローが叫ぶ。 その声に振り向いたススムはふと、不自然な浮遊感に襲われた。 ─足場が無い!? 「う、うわぁあああ!?」 ミズゴロウを受け止めたとほぼ同時に、ススムは足を滑らせて崖の下へと落ちてしまった。 「ふん、馬鹿なガキだ。まぁ、始末する手間は省けたか」 「ちぃっ・・・ススムを助けてやってくれ、ソラ!」 嘲笑う男達を一瞥し、タクローはモンスターボールを投げる。 中から躍り出たのはオオスバメ。 オオスバメはそのまま崖下へと急降下していく。 あっという間に岩肌が剥き出しの地面が迫る。 「今だソラ、『ツバメ返し』!」 少年の体が地面に直撃しそうになるその直前、オオスバメは急加速し、獲物を捕らえる猛禽の爪の如く掴み上げ、上昇した。 あとはゆっくりと辺りを旋回しながら、オオスバメはタクローの元へと戻ってくる。 「ソラ、ご苦労さん。流石に助かったぜ。・・・ん、ススムとミズゴロウは気絶してるだけだな。怪我も無いようだ」 「ちっ、余計な事を・・・っ」 タクローがススムの体を調べている横で、紫の制服を着た男が舌打ちする。 「余計な事だぁ? テメェら、ちっとばかし調子に乗りすぎじゃねぇか?  ・・・俺も気が変わったぜ。そこの赤い嬢ちゃんに用もあるんでね・・・個人的に」 「ふん、どうすると言うんだ? ただのトレーナー風情が」 陽炎が揺らぐかのように。一瞬、タクローの雰囲気が変わった。 それに気付かず、男達はタクローを見下すようにポケモンでの攻撃準備に入る。 「グラエナ、ジュペッタ、オニゴーリ、テッカニン・・・やってしまえ!」 一斉に四匹が動く。 「テメェら・・・マジで潰す。頼むぜバクオー、『のしかかり』だ」 相手が動くと同時に、タクローはバクーダを繰り出しながら指示を出す。 バクーダはその指示を受け、向かってくる四匹に向かって大きく飛び上がった。 「バクオー、そのまま押し潰せ」 巨体を生かし、迫り来る四匹を押し潰す程の勢いで襲い掛かるバクーダ。 「そんな予備動作の大きな攻撃などっ。お前達、散開しろ」 相手もそれを見切ると、回避行動を取る。 その直後に誰も居ない岩場に降り立つバクーダ。 その巨体故なのか、その両足は地面にめり込んでしまうほどであった。 「はははっ、馬鹿め!」 「・・・馬鹿はお前だ」 タクローが不敵に笑った直後、突如としてバクーダの周りの地面が激しい振動と共に隆起する。 バクーダの周りにいた相手のポケモンは、その振動と隆起の攻撃をまともに受けることになった。 「『のしかかり』はただのフェイク。本命はそっから繋げる『地震』だ。  バクーダの動きのトロさくらい、長年付き添ってる俺が充分理解してるさ。  あんたらはマヌケにもそれに気付かず、まんまとこっちの策に引っかかったってわけだ」 鋭い視線。 普段のタクローとは明らかに別人と思える程、その視線は鋭かった。 「くっ・・・たかが『地震』を当てた程度で図に乗るな! テッカニンには無効なのを忘れたか!」 男が叫ぶ。それに合わせるように、唯一地震のダメージを受けることがなかったテッカニンが空中からバクーダに襲い掛かった。 「はははははっ。巨体だけでなく、地面にめり込んだその足では満足に動く事も出来ないだろう?  サンドバックになってしまえ! グラエナ、ジュペッタ、オニゴーリ。動けるならお前らも加勢しろっ」 その言葉に従うように、フラフラと起き上がった三匹もバクーダへと襲い掛かる。 当然バクーダは動けるはずもなく。 高速で飛び回るテッカニンの爪が、バクーダの身体に突き立てられようとした瞬間。 「バーカ。だからテメェはマヌケっつってんだよ」 五月蝿いほどの爆発音が起きた。 バクーダに間近に迫っていたテッカニンも、それ以外の三匹も、まともにその爆発を受けて倒れてしまう。 辺りには砂塵と噴煙。 僅かな間、誰もが静寂に包まれた。 「ば、馬鹿な・・・一体何が起こったと言うんだっ・・・」 「残念だったな。伊達に火山を二つも背負って無いんだよ。これが俺のバクオーの切り札、『噴火』だぜ」 勝ち誇った顔で、タクローが笑った。 そして同じように、バクーダも力強く咆哮を上げた。 日は傾き、草原に伸びる一本の長い影。 タクローは愛用のタバコを咥え、ゆっくりと草の海を掻き分けるように歩いていく。 「ん・・・あれ・・・ここは?」 その時、背中におぶさっていたススムが目を覚ました。 「お、やっと起きたか。怪我は無いようだし、安心しな」 「ねぇ、タバコ臭いよ」 「うるせー、俺はヘビースモーカーなんだよ。タバコ吸ってなきゃ落ち着かねぇんだ、つべこべ言うな」 ススムの言葉を、軽く流すように、笑いながらタクローが答える。 「そ、そうだ! ミッチーは!? あの悪者達や、幻のポケモンは!?」 「ミズゴロウなら安心しな、傷も大した事無い。で、俺達はあの後土砂崩れがあって、そのドサクサで逃げてきた。  あのポケモンも、上手く逃げ出せたようだったぜ」 ニッカリと笑って、ススムの方を見る。タクローのその笑顔に、ススムも少し安堵した。 だが、すぐにその表情は曇ってしまう。 「・・・あの・・・」 「ん?」 「本当に、ごめんなさい。僕が余計な事しなければ、タクローさんまで危ない目にあわないで済んだのに・・・」 「いーんだよ。どーせアイツらに見つかったらこうなってたんだ。遅かれ早かれ、な。  ま、それでも多少後先は考えるようにした方が良いぜ? お前と、その相棒の為にもな」 落ち込んだススムを励ますように、優しく、そして明るく語り掛けるタクロー。 その言葉がとても重くて、でも温かくて・・・。 「・・・うん!」 目一杯の笑顔で、ススムは返事をする。 今は、それだけでいいと思ったから。 「さてっと・・・これでよし、だな。どうだ、まだ痛むか?」 時は数時間ほど前に遡る。 赤い翼のポケモンは、タクローの言葉に静かに首を振った。 「お前さん・・・ラティアス・・・だな?」 ラティアスと呼ばれた赤い翼のポケモンは、少し驚きながらも小さく頷く。 その目はどこか、不安と期待が入り混じっているようで。 「大丈夫。捕獲するつもりは無いさ。アイツらだってさっき尻尾巻いて逃げてったの見たろ? 気にするこたぁない。な?」 ニカッと白い歯を見せて笑うタクローを見て安心したのか、ラティアスも表情を緩め、微笑む。 ・・・その微笑みは、記憶の中の少女と瓜二つで・・・ 「・・・お前は、やっぱりあの時の女の子・・・なんだろ?  三十数年ぶりってところか。久しぶり、だな。覚えてないかもしれないけどよ」 タクローは苦笑しながら、懐かしそうにそう語った。 例えポケモン違いかもしれなくても、あの少女と同じ微笑みのポケモンだから。 だから、それでいいと思えたから。 「あの時一緒に捕まえたドンメル・・・バクオーって名前だけどよ。  今じゃ立派なバクーダだ。さっき、お前さんを助けたあのポケモンだよ」 例え聞こえてなくても。 例え言葉が通じなくても。 語りたい。もう一度、一緒に笑って、語りたい。 そんな思いが、ふつふつと込み上げてくる。 ・・・でも、それは出来ない。長くは一緒に居られない・・・ タクローは、リュックを体の前にかけ、背中にススムを背負って立ち上がった。 「じゃ・・・俺はもう行くわ。今度は変なのに捕まりそうになるんじゃねぇぞ」 そう言って、立ち去ろうとした時だった。 「・・・キュウッ」 ラティアスが、タクローを引き止めるかのように鳴いた。 ゆっくりと振り返るタクロー。 彼の目の前に居たのは・・・あの時の少女。 あの時と同じ不思議な、優しい微笑みで小さく手を振った。 ((また・・・会おうね)) ふと、そんな声がタクローの心の中に響いた気がした。 「・・・あぁ。またいつか・・・な。ラティアス」 そしてタクローはゆっくりと下山していった。 数日後、タクローとススムはミナモシティのポケモンセンターに居た。 「ね、タクローさんはこれからどうするの?」 「ん? そうだな・・・海を渡ってトクサネか、ルネにでも行くかな・・・?  サイユウやキナギでもいいし・・・特に決めてねぇ。ススム。お前さんはどうする?」 タクローの言葉に、ススムは少し考えるように頬を指でかく。 暫くして、ゆっくりと空を見上げた。流れる白い雲がとても綺麗で。 「僕は、もうちょっとこの辺でバトルの修行しようかな?  ね、タクローさん。今度会ったら、僕とバトルしてよ。駄目?」 そう言って、人懐っこく微笑んでくる。 ・・・それが、どこかあの少女を思い出してしまって・・・ 「ん・・・あぁ、そうだな。手加減しねぇぞ? それでいいんならな」 ニッカリと白い歯を見せ、悪戯っぽく笑い返す。 「え〜! いいもん、絶対に僕の方が強くなってるんだからね!」 「ははは、そうなるように頑張りな。じゃ・・・またな」 タクローは背を向けて歩き出す。海に向かって。 そして、モンスターボールを海の方へと投げた。 光と共に現れたのは巨大な鯨のようなポケモン、ホエルオー。 「さて、いっちょ頼むわ。タイカイ」 「うわ、ホエルオーだ・・・でっかいなぁ・・・。  タクローさんって、でっかいポケモン好きなんだね」 何気ない、ススムの言葉。 「ん? ・・・かもしれねぇ」 思わず噴出してしまう。何気ない会話が、妙に楽しくて。 ほんの数日、一緒に居ただけだったけど、とても楽しい思い出になった。 トレーナーは常に旅をしている。再び会えることは稀だ。 また会える日は来るのだろうか? そんなことを考えながら、タクローはホエルオーの背に乗って。 「タクローさ〜ん! また会おうね〜!!」 大きく手を振りながら、ススムが別れの挨拶を言う。 タクローは大きなホエルオーの背に胡坐をかき、タバコをプカプカとふかしながら、背を向けたまま大きく手を振った。 大きな海を割って進むホエルオーは、少年を祝福するように潮を噴いた。 キラキラと綺麗な、小さな虹を作り上げて。 そしてホエルオーも、やがて小さくなって水平線の彼方へ消え、見えなくなる。 波の音とその揺らぎだけが、そこにはあった。 そして・・・ ホエルオーの傍らに、ラティアスが。 かつて出会った少年を見守るように、応援するように、暫く隣で飛んだ後、太陽の輝く蒼天へと消えていった。 終