第二十三話 「絶望いざなう舞踏曲(メヌエット)」  うっそうと生い茂る森の中、月はその身を隠し、漆黒が支配する闇夜の中を、二つの人影が駆け抜ける。 一人は、この夜と同じ漆黒の衣服とマントを羽織り、仮面を付けた青年くらいの年頃の男。 もう一人は、十歳前後の幼い少年、シュン。少年のその腕の中には、傷つき、力なくその身を任せるポケモン「セレビィ」がいた。 「ね、ねぇ!闇神楽さん!!どこまで行けばいいの!? あなたのポケモン、置いてきちゃってよかったの!!?」 シュンは、自分の腕を引きながら走る男──闇神楽に、走りながら話しかける。 「・・・・・・・」 しかし、闇神楽は黙して語らず、森の中を静かに走り続けるのみ。 シュンの不安と苛立ちが、そろそろ最高潮に差し掛かった時だった。 不意に、前方の空間が歪んで見えた。それと同時に、強い圧迫感と共にソレは二人に急速に接近してくる。 「・・・・・・!」 闇神楽はシュンを抱えるようにして、即座に横の草むらへと飛び込んだ。 直後、歪みは周りの木々を捻じ曲げながら、森の中を走り抜けていく。 「こ、今度はなんなの・・・?」 セレビィを傷つけないよう、慎重に立ち上がりながら、シュンは怯えた声で闇色の森を見詰める。 すると、人を小馬鹿にしたような笑い声と共に、十四、五歳ほどの少年らしき影が前方から姿を現した。 「クスクスクス・・・よく避けたねぇ。流石、カゲツラ様が手を焼いている相手なだけあるよ。 でも、君達の悪足掻きもここまでさ。このボクと、カゲツラ様から頂いたミュウツー=イプシロンがいるんだからね!!」 少年がそう叫ぶと、その背後から、先ほどの空間の歪みを放ったらしいミュウツー・クローンがゆっくりと現れる。 「ミュ、ミュウツー!?な、なんでこんな所にまで!?さっきの悪者だって、ミュウツーを出してたのに・・・」 新たなミュウツーの出現に、シュンは驚きを隠せない。 さっきは逃げるのに必死だった為に、驚く余裕などは無かったが、今回は流石にそうもいかない。 シュンも、レイ達と旅立ったその日に、とある森の中でミュウツーと一戦交えており、その強さは十二分に理解している。 ・・・逃げられない・・・ そんな考えが脳裏を駆け巡る。絶望に似た表情、カゲツラと対峙した時から止まらなかった膝の震え。 溢れ出ない様に、必死で押し留めていた「恐怖」という感情が、一気に爆発しそうになる。 「へぇ〜、キミ、ミュウツーの事知ってたんだ。だったら解かるよね?逃げられもしないし、抵抗だって無駄だって事くらいさ。 コイツは、ボクの最強の駒なんだから、君達に勝ち目はないんだよ。早くそのセレビィを置いて、どっかに逃げちゃいなよ? 何の関係も無いキミが、なんでわざわざそんなポケモンなんかの為に身体張っちゃってる訳? ボクにはそっちの方が理解に苦しむんだよねぇ〜。ま、嫌なら嫌で、力づくで奪うけど・・・」 少年は、まるでゲームでもするような口調で言い放つ。 「・・・・・・」 「・・・え!!?」 その時、闇神楽がシュンを己の後方へ突き放すと、まだ火の手が上がっていない、少年とは反対の方向を指差した。 「・・・逃げろ・・・ってことですか?」 ためらいがちにシュンがそう言うと、闇神楽は静かに頷く。 そして、シュンは意を決したように、暗い森を一人で走り出した。 「言っただろう、逃げられやしないって!ボクを・・・無視するなぁああ!!」 少年が一際高い声で叫ぶと、ミュウツーがシュンに向っていく。 だが、その行く手を闇神楽が阻んだ。 「邪魔をする奴は全て消せ!イプシロン!!」 声と同時に、ミュウツーが両手を胸の前にかざすと、その間に強力な念によるエネルギー球が発生する。 それを闇神楽へと放った瞬間、闇神楽はモンスターボールを天に向かって投げた。 激しい閃光がほとばしり、中から巨大な影が躍り出る。 それは、巨大な翼を広げて力強く打ち下ろすと、ミュウツーへ漆黒の球体を投げつけた。 ほぼ同時に放たれた攻撃。それ故に、ミュウツーには避ける手段が無い。 漆黒の球体をまともに喰らい、後方に弾き飛ばされて、木の幹に激突する。 だが、闇神楽へ放たれた念の方はというと、通常では考えられない出来事が起こっていた。 「な・・・馬鹿な!ミュウツー=イプシロンのサイコキネシスのエネルギーを、片手で受け止めただと!?」 無造作に伸ばされた左腕の先には、未だに力を失っていないエネルギー球が、周りの空間を歪めながら留まっていたのである。 だがそのエネルギー球も、やがては力を失って消滅し、闇神楽の前方に、ゆっくりと先程の巨大な翼が舞い降りてきた。 それは、虹色の鮮やかな翼と、金色の炎を纏った鳥・・・ジョウトに伝わる伝説の鳥、「ホウオウ」。 「な、なぜここにホウオウがいる!?カゲツラ様が、スズの塔にいたホウオウは捕獲したはずだぞ!!? こ、こうなれば手段を選ぶ訳にはいかない!出て来い、ボクのボスゴドラ!!」 少年は明らかに狼狽しており、更にポケモンを繰り出してくるが、それでも闇神楽は沈黙したままの状態を崩さない。 「どうだ!ホウエン地方にしか居ないポケモンは初めて見ただろう? 例えホウオウでも、コイツには勝てないさ!さあ、やってしまえ、ボスゴドラ! ミュウツー=イプシロンと共に、ホウオウを倒せ!!」 言うが早いか、二匹はホウオウへ向かって攻撃の姿勢を取った時だった。 闇神楽は沈黙を破る代わりに、鋼鉄のような身体のボスゴドラへ向かっていったのである。 「自殺志願かい?ボスゴドラ、お望み通りにしてやれ。メタルクロー!!」 ボスゴドラが闇神楽を、その強靭な腕から伸びた鋼鉄の爪で引き裂こうとした。 ゴゥ!! 風を引き裂く音とも、衝撃音ともつかない音が響く。 普通の人間がポケモンの攻撃技を安易に受ければ、まず無事ではすまない。 だが、次の瞬間にはなんと、闇神楽の拳がボスゴドラの身体を捉え、弾き飛ばしていたのである。 「・・・なっ!そ、その技は・・・瓦割り≠セと!? 普通の人間が、ポケモンと同じ技を使ったからって、効果が抜群なはずが無いのに・・・ 物理攻撃でダメージを与えることすら、ボスゴドラには難しいんだぞ!?」 少年のその表情は、明らかに狼狽している事を示していた。 闇神楽の雰囲気が、尋常ではないことを感じたミュウツーは、 標的のホウオウを無視して、エネルギー球を投げつけようと構える。 だが、隙を見せた瞬間、背後からホウオウが放った闇色の球体による攻撃をまともに受けてしまった。 「お前達、何をやっているんだ!あんな奴らに怯むんじゃない、早く倒してしまえ!!」 半ば自棄になったように、少年がヒステリックに叫ぶ。 すると、ボスゴドラとミュウツーは、かなり疲弊した様子を見せながら再び立ち上がり、ホウオウと闇神楽へと迫っていく。 「・・・・・」 闇神楽がホウオウへ目配せすると、同時に地面に向かって強い衝撃を与えた。 それは大きな地響きを起こし、向かってくる二匹へ襲い掛かっていくと、突然地面が隆起してダメージを与える。 その一撃が決めてとなり、ボスゴドラとミュウツーは同時に戦闘不能となった。 「人とポケモンが・・・同時に地震を起こしただと・・・?ば、馬鹿な・・・貴様は一体、何者なんだ!?」 少年はショックのせいか、放心したまま力なくその場に座り込む。 そして、闇神楽が再びホウオウへ視線を向けると、ホウオウは飛び去り、闇神楽もまた、漆黒の森の中へ消えていった。 「・・・いい加減、無駄な抵抗はやめたらどうだ?」 清潔に調えられた髪型で白衣を纏った、一見物静かな印象を受ける男性が、一人の少年を見据えながら諭すように呟く。 そして、ゆっくりと少年──シュンに歩み寄りながら、懐からモンスターボールを取り出すと、それを空高く放り投げた。 中からは、両腕が鎌のような形状になっているカマキリのような虫ポケモン、ストライクが表れる。 「手荒な真似はしたくはないが・・・君が何時までも駄々をこねると言うのであれば、私のストライクが君を攻撃する。 子供の冒険とは訳が違うんだ。そろそろ、現実というのを受け入れたらどうだい?」 男は努めて穏やかな口調で、身構えるシュンに語りかける。 だがその言葉の中に含まれる、どこか陰湿で、嘲りとも高圧的とも取れる態度の前に、シュンは警戒を解くことは無い。 「ぼくは・・・ぼくは、ポケモンを道具とか駒とかそういう事を、平気で言うような人たちの言いなりにはならない!!」 シュンは震えながらも、相手から目を離すことなく鋭く言い放つ。 「なら、死んでください。・・・邪魔ですから!」 男が言い放った直後、その目つきが醜悪なものに変わる。 それと同時に、男の前で待機していたストライクがシュンに襲い掛かった。 「ヒーすけ、ストライクをやっつけろ!切り裂く!!」 シュンもすかさずボールを投げ、リザードで応戦する。 「甘いな。ストライク、影分身!」 リザードが襲いかかろうとした瞬間、ストライクから幾つもの分身が出現し、その爪はストライクの影を切り裂いたに過ぎなかった。 そして次の瞬間、リザードは逆にストライクの鎌をその身に浴びることになる。 「ストライク、反撃する暇を与えるな。電光石火!」 男が叫ぶと、ストライクは空中、地上と、縦横無尽に空間を移動しながら、何度もリザードに攻撃を加える。 リザードも反撃を試みるものの、空中さえも移動する相手には、攻撃が届かない。 「・・・ど、どうしよう・・・空を飛べる相手じゃ、ヒーすけの攻撃が上手く届かないよぉ・・・」 シュンが小さく呟いた時だった。突然、リザードの身体が強い光を放つ。 すると、その身体は更に巨大化し、その背には空中を舞う為の翼が生えたのである。 「・・・ヒーすけが・・・更に、進化・・・?」 「な、この期に及んで、進化だと!?ふざけた真似を!!」 先程、ヒトカゲからリザードへの進化を果たしたばかりだというのに、リザードは更なる進化を果たし、リザードンへと変貌した。 ヒトカゲは今まで、口には出さないものの、進化を内心嫌がっていたシュンの為に、進化を己の意思で止めていた。 だがこれまでにない危機に直面し、より強い体、より強い力を欲した。 そうでなければ、己が後悔する。パートナーを傷つけ、失うことになる。 ・・・全ては、最愛のパートナーの為に・・・ その一途な思いは、短い時間での二段階連続進化という、驚異的な奇跡を生み出した。 リザードンは咆哮を上げる。自分たちに敵対し、危害を加える全てのものを焼き払う為に。 最終形態への進化を果たし、リザードンは大きく翼を広げ、空中へ羽ばたいた。 目標は敵のストライク。狙いを定めると、リザードンの動きは速かった。 目の前で進化され、それに動揺したストライクは空中をゆっくりと漂ったまま、動けずにいる。 「な、何をやっているストライク!進化しようと関係ない、切り裂け!!」 主である白衣の男の声を聞き、ストライクは我に返ると、向かってくるリザードンに両腕の鎌を振り下ろす。 リザードンは、それを真っ向から受ける。 だが、その身を裂かれる直前に相手の腕を掴んで封じ、ストライクを目の前に無理矢理引き寄せた。 「ヒーすけ、今だ!火炎放射!!」 シュンが叫ぶ。 その口に吸い込まれた酸素は、小さな火種の糧となって、驚くほどに早くその力を増す。 それは、際限が無いかと思うほどに燃え盛り、赤い炎が青白く変化する。 「ス、ストライク。早く振りほどけ!」 ストライクも最後まで抵抗を続けるが、決してその腕をリザードンは放さない。 ・・・そして、必殺の炎がストライクを包み込んだ。 男は凄まじい形相でリザードンを睨みつける。そして、更に五つのモンスターボールを放つ。 「グ・・・最早手段を選ばん!ヘルガー、ダグトリオ、ウツボット!そのセレビィを奪え!! オニドリルとスターミーはリザードンを足止めしろ!!」 男は一斉にポケモンを出すと、セレビィのみに標的を絞って行動を開始する。 「ぼくだって!サンド、エーフィ、ラプラス、ヘラクロス!セレビィを守るんだ!!」 シュンも更にポケモンを出し、お互いに総力戦へと突入した。 その時、シュンのサンドもリザードンに影響されてか、モンスターボールから姿を現した途端に、サンドパンへと姿を変えたのである。 「ぼくたちは、負けられない!今回だけは、負けちゃいけないんだ!! 皆、ぼくに力を貸して!セレビィを、悪い奴等から守るために!!」 その号令に、シュンのポケモン全てが力強く頷く。 「ヘラクロス、スターミーにメガホーン!」 ヘラクロスは、その身長の半分を占めるであろう巨大な角を突き出し、リザードンと交戦中のスターミー目掛けて突撃する。 「小賢しいわ!ヘルガー、火炎放射!!」 すると、紅蓮の炎がスターミーに向かったヘラクロスを包む。 そこへ、更に標的にされていたスターミーが、サイコキネシスでトドメを刺そうと向きを変えてきた。 「サンドパン、地震でヘラクロスの援護を!」 「ウツボット、葉っぱカッター!!」 ヘラクロスの援護を行おうとしたサンドパンは、その隙を突かれてまともにウツボットの攻撃を受ける。 ほんの僅かな時間で、シュンのヘラクロスとサンドパンは戦闘不能へと陥った。 「これがトレ−ナーとしての実力差だ。小僧!貴様の奇跡的な快進撃も、ここまでのようだな!! これで終わりにしてやる。ダグトリオ、岩雪崩!」 男が勝ち誇ったように叫び、ダグトリオに指示を出す。 地殻に衝撃を与え、地面を隆起させると、それは大小様々な岩となって、シュンに向かって降り注いできたのである。 シュンが、岩雪崩を必死で避ける為に後方へと走り出すと同時に、エーフィも念力で空から降ってくる岩を食い止めようと立ちはだかる。 幾つはエーフィが食い止め、シュンも岩雪崩の攻撃範囲より離れることができたが、 全てを食い止めきれなかったエーフィもまた、岩雪崩を受けて力尽きる。 「エーフィ、サンドパン、ヘラクロス!」 思わずシュンが叫ぶ。 ・・・カラッ 悪いことというのは、重なるものらしい。 暗闇で見えることはなかったが、シュンが逃げ込んだ先には地面が無く、崖になっていたのである。 退路は完全に断たれた。 手持ちも既に半分が戦闘不能にされ、リザードンはオニドリルとスターミーの二匹をだけでなく、 更にウツボットまでも同時に相手にさせられている。 「ククク・・・観念したらどうです?そのセレビィを渡せば、命までは取らないで上げますよ・・・?」 邪悪な笑みを浮かべた男が、ゆっくりと近づきながら言う。 シュンは、男の後ろにいたラプラスに向かって叫ぶ。 「ラプラス、ダグトリオに冷凍ビーム!」 「見苦しい悪足掻きはやめろ。ヘルガー、火炎放射!」 炎と氷。相性の上では、圧倒的に炎が勝る。 「ラプラス!」 シュンが思わずラプラスへと走り出したその時だった。 「いい加減に大人しくしろ!地震だ、ダグトリオ!!」 大きな地響きがシュンを襲う。 そして、激しい大地の震動は、先程の岩雪崩の時の地殻への衝撃も相まって、大地に巨大な爪跡をつけたのである。 それは崖の近くだったシュンの居場所を崩壊させ、土砂崩れを起こした。 「ちぃ、地盤が脆くなりすぎていたか!!」 男はすぐにその場を飛び退いて、土砂崩れから非難する。 リザードンがシュンを助けに向かおうとするが、敵のポケモンに阻まれて通してはくれない。 ・・・全てが、ゆっくりと時を進める・・・ ・・・ビデオのスローモーションのように・・・ ・・・小さなシュンの身体が木の葉の様に、ゆっくりと落ちていく・・・ ・・・ドサッ・・・ 遥か下方から、小さく聞こえた鈍い音。 幼い少年の手足は、あらぬ方向へ曲がり、潰れ、砕ける。 鮮紅色の液体が、少年の横たわる地面を塗りつぶす様に、広がっていく。 ・・・トクン・・・トクン・・・ 小さく、乱れる命の音 ・・・ゴメンネ、キミヲ守レナカッタ・・・ ・・・ゴメンネ・・・皆・・・ ・・・サヨナラ・・・ ゆっくりと、小さな火が消えるように 少年の意識は、深遠なる闇の中へと沈んでいった