第1話 出会い -Boys meet a girl- 「だから、そんなのいないんだって」 眼下に街を見下ろす、風渡る丘に、呆れたような声が響いた。 「本当だって!! 信じてよ!!」 あからさまに疑っている相手に負けじと、声を上げて言い返す。 同じ年頃の少年がふたり、同じ岩に腰を下ろしていた。 かたや前髪を一房刎ねさせた黒髪の少年。 かたやゆるく後ろにウェーブのかかった、白みがかった髪の少年。どうやら白髪とは違うらしい。 呆れ顔をしているのは白みがかった髪の少年の方だった。対して黒髪の少年は拳をギュッと握りしめながら、必死に訴えかけている。 自分の言うことは本当だ、信じてくれと言わんばかりの形相で。 だが、雲をつかむような話で、突拍子もない。まして実例がない以上、はいそうですかと信じられるはずがないのもまた、事実だった。 一般論など、黒髪の少年からすればどうでもよかった。 ただ、自分の言っていることを信じて欲しいだけだったのだ。 なぜなら、それは事実だったのだから。 「なあ、アカツキ。 おまえがウソついてるわけじゃないってのは分かるけど、それは夢だったんだよ」 「そんな……本当だよ。信じてよ、ユウキ」 諭すように言われ、黒髪の少年――アカツキはがっくりと肩を落とした。 そんな彼を不憫に想ったのか、白みがかった髪の少年――ユウキがアカツキの肩に手を乗せて、 「ああいう状況じゃ、現実と夢の区別なんてつかないものさ。 あの時は四歳だったんだろ? あれくらいの年頃だと、現実と夢の区別をする能力が育ちきっていないんだ。 だから、夢をさも自分が体験した現実であるかのように認識してしまうことだってある」 およそ十一歳の少年のものとは思えない言葉がユウキの口から飛び出した。 「そうなのかな……」 俯いて、アカツキは考え込んだ。 難しいけど、ユウキの言いたいことは分かる。 ウソじゃないけど本当でもないと。 自分は今までずっとそれを本当のことだと想ってきた。 何度も夢に出てきたし、何より、あの暖かい感触が、まだ肌に残っているのだ。 「だいたい、黒いリザードンなんて聞いたことないぞ? 親父や母さんだって言ってた。変種でもそんなのはいないって」 「でも……」 「信じたいんだろ?」 「うん」 いささか元気のない目をして、アカツキはユウキの方を向いた。 自信喪失……というよりも、素直に信じてもらえなかったのが哀しかった。 「無理に否定しない方がいいだろうし」 ユウキは口にするわけでもなく、そんなことを想っていた。 アカツキがウソをつくようなやつなら、今頃は友達としてこうして二人街の外に出てくることもなかっただろうから。 「ぼくは……本当に覚えてるんだ。 黒いリザードンがぼくを抱いて、母さんのところに運んでくれたこと……途中で眠っちゃったけど、よく覚えてる」 あくまでもアカツキは真剣だった。 いつか分かってもらえる日が来ると、心のどこかで信じているからだ。そうでもなければ、あっさり持論を破棄していただろう。 ユウキだって、明確な証拠……というか根拠がないから信じきれていないだけで、少しは信じようとしてくれているのかもしれない。 両親が偉い博士ともなると、論より証拠という言葉を一番初めに覚えてしまうものらしい。 明らかに大人の言葉を選んで話しているところがユウキにはあるのだ。 とても十一歳とは思えないのもまた事実だった。 「だいたいリザードンは赤いだろ。 色違いってのはあるけど、それでも紫だって話だし」 「ううん、ぼくが見たのは黒かった。太陽が照らしてたから、見間違えたりなんかしないよ」 「なるほど」 ユウキは腕を組んで唸った。 相手が親友のアカツキでなければ、問答無用で『証拠を持って来い!!』と詰め寄っているところだ。 そうしないのは、今のアカツキではそれが無理だと分かっているから。 想像の産物は現実のものにできないのだ、いくら足掻こうとも。 想像の産物……というところで思いついた。 新聞で見かけたところによると、バーチャルビジョンマシンという機械が最近発明されたそうだ。 電極の端子を縫い付けたヘッドギアをかぶって何かを考えると、脳内の信号を端子が拾って、ケーブルを伝ってマシンへ。 マシンの内部で信号を処理、映像化し、ビジョンに映すという仕組みだ。 人間の脳は微弱な電気信号の往来によって働いている。 だから、電気信号を一定のメカニズムでもって法則化してやれば、ビジョンとしてなら現すことができる。 しかしそれでも実体化することまでは現代科学も追いついていない。 「なら、旅に出て見つけるよ。そうしたらゲットしてユウキに見せる。 それで信じてもらえるよね?」 「ああ。大歓迎だ。論より証拠がオレの信じるモノだからな」 アカツキが言うと、ユウキは白い歯を見せて笑った。 ぜひそうしてもらいたい。 もし仮にアカツキの言うことが本当なら、世紀の大発見となる。 見つけられたのなら、ぜひゲットしてほしい。 「そういや、おまえ明日誕生日なんだろ?」 「うん。十一歳のね」 アカツキも笑った。 誕生日が来るのがそんなにうれしいのか……もちろんイエスである。 子供というのは単純なもので(……失礼?)、意味もなく誕生日に喜びを感じたりするのである。 そりゃゴチソウだとかプレゼントだとか、もれなくもらえるのだからうれしいに違いない。 だが、アカツキからすれば、次の誕生日――十一歳の誕生日は特別な意味を持っていた。 「十一歳になれば、ポケモンもらえて旅に出られるもんな。明日にでも行くつもりなんだろ?」 「うん、そうなんだ」 照れているのか、アカツキの顔に朱色が差した。 ポケモン…… それはこの世界に生きている生命体(いのち)。 正式名称はポケットモンスター。だから、縮めてポケモン。 いつから生きているのか、進化形態はどうなのか、といった疑問は未だ紐解かれることのない、謎多き生物だ。 モンスターボールと呼ばれる、標準サイズ・直径五センチの特殊なボールに入るのが特徴。 ゆえに、その特徴から『携帯獣』……すなわちポケットモンスターと呼ばれるようになったという。 「ユウキはもらったのかい、ポケモン?」 「もらったって言うよりゲットしたんだよ。フィールドワークの途中にさ」 ユウキは腰に差していた赤と白に色分けされたボールを手にとって見せた。 黒い線によって赤と白に色分けがされており、中央に◎のようなスイッチがついている。 開閉スイッチと呼ばれており、ボールを開閉する役割を持っている重要な部分だ。 万が一壊れてしまうと、ボール自体を壊すなりしないと開けられないので、修理してもらうしかない。 「いいなぁ」 「おまえだっていいじゃん。アリゲイツがいるし」 「う、うん。まあね……」 ――そういえば、ぼくもポケモン持ってたっけ。 そんなことを思いながら、アカツキは眼下に広がる街並みに目をやった。 ミシロタウン。 アカツキとユウキが生まれ育った街だ。都市と呼ぶには規模が小さいが、手付かずの自然が色濃く残っている、静かな街だ。 しかし最近はホウエン地方西部の玄関口として港ができたせいか(一応、申し訳程度の規模ではあるが)、少し活気にあふれてきたかもしれない。 うるさく思えるほどに。 家にはユウキの言う通り、アリゲイツという名のポケモンがのんびりとくつろいでいる。 とはいえ、ユウキの家の方がポケモンはたくさんいるだろう。 「でも、アリゲイツは家族みたいなものなんだよ。 ゲットする前に、ハヅキ兄ちゃんが旅に出ちゃったから。 ほら、ぼくはお母さんしか家族いないでしょ? だから、ポケモンっていうよりも、家族って感じしかしないよ」 「そうだよな」 ユウキは何度も何度も頷いてみせた。 アカツキの兄ハヅキは、アカツキが六歳の時に、ポケモンを連れて旅に出た。 たまに戻ってくることもあるが、数日家に滞在して、また旅に出て行く。 ここ一年ほど、ハヅキは家に戻ってきていない。アカツキはなんとなく寂しさを感じていた。 父はもういない。 母から数年前に死んだと聞かされた。写真は一枚も残っていない。 思い出すのが辛いと言っていた。 母ひとり子ひとり。ポケモンが一体いようと、寂しいものは寂しいのだ。 ハヅキは暖かくて優しい少年だ。兄としても、人間としても尊敬できる。 「ところでさ、おまえん家の隣、新築の家建ったじゃん?」 「うん」 「誰が引っ越してくるか、気になんない?」 「正直気になるな。隣人になるわけだし」 アカツキが頷くと、ユウキは口元に笑みを浮かべながら―― 「親父の知り合いなんだってさ」 「へえ、すごいなあ……」 アカツキは素直に感動していた。 いつか(もうすぐだろう)引っ越してくる隣人が、ユウキの父親――オダマキ博士の知り合いなのだから。 さぞ有名人なのだろう。 「それ以上のことはオレにも分かんないんだ。ま、やってくりゃ分かるし」 ユウキの言葉に頷いて、アカツキは自宅に目を向けた。 そこから十メートルほど離れたところに、真新しい家が建っている。 二ヶ月ほど前に建て始めて、気がついたら家ができていた、みたいな感じだった。 規模はアカツキの家と同じくらいか。二階建てで、両親と子供ふたりという標準的家庭をターゲットにしたような家だ。 「どんな人が来るのかな……? ぼくと同じくらいの年頃の子だといいな……」 なんて思っていたら、一台のトラックがその家の前に停まった。トラックの後について、普通の車が停まる。 「おい、あれ……」 「うん」 どうやら引っ越してきたようだ。 みずどりポケモン・ペリッパーの姿が車体にでかでかとプリントされたトラック。 この界隈では有名な引越し業者『へリッパー引っ越し社』の所有物に間違いない。 トラックの後ろに停まったのは、おそらく引っ越してきた本人だろう。 アカツキは妙に心弾んでいた。 誰が引っ越してきたにしても、隣人となるのは間違いない。 『あいさつしてこよう!!』 そう思ったら、足が動いていた。 「おい待てよ!!」 ユウキが慌てて追いかけてくる。 ふたりは丘を下ると、十数分ほど街中を走り、アカツキの家の隣にやってきた。 トラックにも車にも人がいない。すでに家の中に入っているようだ。 青い作業服に身を包んだ数人の男性が荷物を家に搬入していく。 黙々と事務的にキビキビと、極めてプロの動作だった。 「どんなやつが来たんだろうな?」 「さあ……」 息を切らしながら、アカツキは首を横に振った。 トラックの脇を通って、恐る恐る家の中を覗いてみると…… 「何やってんの?」 『うわっ!!』 背後から声をかけられて、アカツキとユウキは悲鳴を上げながら振り返った。 そこには女の子がいた。 年の頃はふたりと同じくらいだろうか。 笑顔のよく似合う、かわいい女の子だ。 ややクセのある茶髪をまとめるように、バンダナを頭に巻いている。 細身で十二分にボディラインが引き締まっている女の子だが、ふたりに見覚えはなかった。 「い、いきなりなんだよ……」 胸を抑えながら、ユウキが唸った。 ビックリさせるなよ、心臓に悪い……とでも言いたそうだった。 彼の言葉が気に障ったのか、女の子はむっと頬を不機嫌そうに膨らませて、 「それはあたしのセリフだってば。だいたい、なんで人の家覗いてるわけ? あっ、もしかしてストーカー!? いや〜んっ!!」 「人聞きの悪いこと言うな!! オレたちはそんなんじゃ……」 女の子が大げさに身を引きながら言うものだから、アカツキもユウキも気が気ではなかった。 この歳でストーカーと間違えられるなどとは思わなかったからだ。 「ほ、ホントだよ、信じて。 ぼくたちは誰が引っ越してきたのか、気になってやってきたんだ。それだけだよ!!」 必死に言葉を紡いで説明するアカツキの目を、女の子がじっと見つめた。 どきっ。 アカツキの心臓が大きく脈打った。 女の子にじっと見つめられるような経験がなかったから、どうすればいいのかも分からなかったのだ。 そう、初体験という、まさにプレリュード!! 「そう、それならいいわ」 女の子はふっと息を吐いて笑みを浮かべた。 アカツキの言うことを一応は信じてくれたようだ。 ホッと胸を撫で下ろすふたりに、女の子が言葉を投げかけた。 「君たち、この街の子?」 「あ、うん」 「そっか〜。あたし、引っ越してきたばかりだから、全然分かんないんだよね。 ね、歳いくつ?」 「ぼく十歳」 「オレは十一歳だ」 ユウキはつっけんどんに言った。 ストーカーと間違われたのを、よほど腹に据えかねていたらしい。 そりゃ普通はストーカーと間違われて、はいそうですかと怒ることもなく終わらせる男もいないだろうが。 「そうなんだ、あたし十一歳。君たちとおんなじくらいだね。 あたしハルカ。君たちは?」 「ユウキ。こっちはアカツキだ」 「ねえ、怒ってる?」 「別に」 こりゃ怒ってるわね……女の子――ハルカは笑みを崩した。 ストーカーに間違われたくらいで怒ることもないだろうに。 そもそも子供の言葉じゃないか。どうしてそこまで怒るのか…… 「ごめん。ストーカーなんて言って。謝るわ」 「ふっ」 ハルカが謝ると、ユウキもやっと許したようだ。 謝ってくれればそれでいい、ということか。 「君はここに引っ越してきたんだよね?」 「ええ、そうよ」 「ぼくの家は隣なんだ」 「え?」 ハルカがビックリして隣の家を見つめる。紛れもなくアカツキの家だった。 「そうなの? 偶然って不思議かも」 ふふふ、と含み笑いを漏らすハルカ。 「ハルカはどこから来たの?」 「ジョウト地方……って知ってるかしら?」 「海の向こうだろ?」 「そうそう」 ユウキの言葉に何度も頷くハルカ。 彼女の表情はどこかうれしそうだった。同年代の少年に出会えたのがうれしいらしい。 「そこのワカバタウンってところから来たの。お父さんの仕事の関係でね」 「へえ……」 「あたしさ、ホウエン地方って初めてだから、分かんないことだらけなんだよね。 君たちはここの出身みたいだから、いろいろと教えて欲しいのよ。 ね、いいかな?」 「別に構わないよ」 アカツキが返事をしようとした時だった。 「あらハルカ。こんなところにいたの」 家のドアが開いて、若い女性が出てきた。 首から上がハルカによく似ている。どうやら彼女のお母さんのようだ。 「あの……こんにちは」 アカツキとユウキはとりあえずあいさつをした。隣人になるのだから、それくらいはしておかないと失礼だろう。 女性はアカツキとユウキに視線を移して、 「ハルカ。お友達?」 「うん!! アカツキとユウキ!! もうすっかり意気投合って感じかも!!」 彼女の言葉にハルカは本当にうれしそうな口調ではしゃいだ。 引っ越してきた当日に友達ができたことを、素直に喜んでいる彼女に、アカツキはなぜか心惹かれていた。 新しい友達…… 調子いいな、なんて思う反面、まんざらじゃないなって気がユウキにもあった。 ストーカーに間違われたのは確かに嫌だったが、ちゃんと謝ってくれた。 それに、気がついたら意気投合しているような感じもしている。 友達って言うのも悪くない。 むしろ、ハルカはこの街に来たばかりだ。どこに何があるのかも分からないはず。 いろいろと教えてやらなくてはならないだろう。 それに、見知らぬ地方にやってきて、本当は不安に思っていたのかもしれない。 友達だって必要だ。 「そう……よかったわね、ハルカ」 ニコッと笑みを浮かべるハルカのお母さん。 娘に友達ができて、それを我がことのように喜んでいる。アカツキとユウキも、そのことを喜んでいた。 「アカツキ君に、ユウキ君ね。 ハルカをよろしくね。おてんばだけど」 「おてんば、は余計よ!!」 むっとしてハルカが反論するが、取り合ってはもらえなかった。 「はい。こちらこそよろしくお願いします」 アカツキは礼儀正しく一礼した。 見習ってユウキも同じようにする。 と、ハルカのお母さんがユウキに目を留めた。 「ユウキ君……って、オダマキ博士の息子さん?」 「え、そうだけど……どうしてそのことを?」 言葉とは裏腹に、ユウキはそれほど驚いてはいなかった。 引っ越してくるのが父親の知り合いだと聞かされていたから、自分のこともすぐ分かるんだろうと思っていたのだ。 「お父さんが博士の知り合いでね。それでこの街に来ることを選んだのよ」 「博士の息子!? あんたが!?」 お母さんとは対照的に、ハルカは声を上げて驚いていた。 オダマキ博士のことは両親から聞いている。ポケモンの研究で一躍有名になったと。 ある意味憧れの博士の息子が今目の前にいる。 どうしてストーカーなんかと間違えたんだろう……今さらながら恥ずかしくてたまらない。 「そう見えないだろ?」 ははは、と笑うユウキ。 博士の息子にしてはあんまり知的な顔立ちじゃない。自分でもそう思っているから、ハルカの言葉を気にしてはいない。 「そうだわハルカ」 お母さんがぽんと手を打った。 「博士にご挨拶してきなさい。これからいろいろとお世話になるんだから」 「お母さんは来ないの?」 「私は忙しいから……それに、成長したあなたのこと、きっと博士も待ってるわよ」 「そう。分かったわ」 話は簡単にまとまった。 「案内してやるぜ」 ユウキを先頭に、子供達三人は早速オダマキ博士の研究所へ向かった。 研究所までは二十分ほどかかった。 その間ハルカはミシロタウンの景色を――アカツキやユウキからすれば見慣れたものだったが――を物珍しそうに見回していた。 「あれは何?」 と彼女が訊ねると、アカツキとユウキが交代で答えたり。 出会い方こそ普通とは違ったものの、もうすっかり友達同士だ。 子供というのは不思議なもので、心を許した相手には徹底的に優しくなれるらしい。 「ハルカは親父と会ったことあんの?」 「一度だけ。ってずいぶんと前のことよ」 「ふーん」 ずいぶん前というのがいつのことか、気になるところではあったが、聞かないことにした。あまり関係ないだろうから。 「ぼくたちはもう見慣れてるよね」 「まあ、そりゃそうだろう」 アカツキとユウキが友達になったきっかけというのは、ふたりの母親が親友だったからに他ならない。 アカツキの母親――ナオミと、ユウキの母親――カリンは十五年来の親友らしい。 親が親友だと、子供が同じ関係であっても何ら不思議ではないだろう。 オダマキ博士の研究所は、意外と小ぢんまりしていた。 研究所というからには棟がいくつもあって、ワケ分からない機械やケーブルで占められている……というわけでもない。 家二軒分といったところで、研究所と同時に住居としても機能しているのだ。 「親父〜、ただいま〜」 「おじゃましまーす」 ドアを開け放ち、ユウキとアカツキが堂々と入っていく。 だが、ハルカは辺りを少々うかがってから、恐る恐るといった感じで玄関をくぐった。 オダマキ博士と会ったことはあるが、研究所兼住居を訪れるのは初めてのことだったのだ。 内部は普通の家と何ら変わりない。 リビングがあり、廊下があり、階段があり……住居の方を見て回ったが、オダマキ博士もカリン女史もいなかった。 研究所の方に行ってみると、話し声が聞こえてきた。 「だから、それはそういう理論じゃなくて……」 「いいや、生体エネルギー云々というのは単なる仮説だ。世の中何も科学がすべてじゃない」 言い争っているようにも聞こえる男女の声は、アカツキとユウキにとって耳になじんだ声だった。 いろいろと機械が立ち並ぶ部屋に、オダマキ博士とカリン女史がいた。 ふたりとも揃って白衣を身にまとっている。 オダマキ博士はあちこち跳ねた茶髪で、無精髭を生やしている。 博士には不似合いの短パンとサンダルを着こなしているところからして、フィールドワークを専門とするのがうかがえる。 一方、カリン女史は背中にかかる長さの白みがかった髪が特徴で、全体的にスラリと引き締まっている感じを受ける。 柔和な笑みは、母親としての優しさを物語っているようだ。 「やっぱりここだったか」 ユウキが声をかけると、二人は言い争い(?)を止めて、振り返ってきた。 「ユウキ。あら、アカツキ君。久しぶりね。 ところでユウキ。そこの彼女は誰? あ、もしかしてこれ?」 笑みなど浮かべながら、茶目っ気全開の口調で言って小指を立てるカリン女史。 なぜかユウキは顔を赤くして―― 「違うってば!! 母さん何言うんだよ、オレまだ十一だって。早いじゃん」 声を張り上げて否定する。 「もう、怒らないでよ、冗談なんだから」 クスクスと笑い、カリン女史はハルカの方を向いた。 「ハルカちゃんね。 はじめまして、センリさんから聞いているわ。この街は初めてなんだってね?」 「え、はい」 ハルカは戸惑い気味だった。 初対面の相手に、いきなり親身になられたのだ。決して不思議なことではない。 「いやぁ、大きくなったな。前に会ったのは……五年以上も前になるからな」 うんうんと何度も頷きながらオダマキ博士が言うものの、ハルカは複雑な表情を見せた。懐かしさ、というものがまるで見られない。 「ごめんなさい……あたし、あまり覚えてなくて」 「無理もないさ。 六歳じゃ、覚えてなくても仕方ない。でも、センリが自慢するだけのことはあるね、立派になったもんだ」 「そうですか? えへへ」 一転、今度は顔を赤らめる。 立派になったと言われて、機嫌を悪くする人間などいないだろう。よほどひん曲がった性格の持ち主でもない限りは。 「そういえば、引っ越しは今日だったんだな」 なんて言いながら、オダマキ博士はすぐ近くにかけてあった、少々くたびれたリュックを背負うと、 「再会も早々に悪いね。私はコトキタウンまで用事があって出かけなければならないんだ。 それじゃあハルカちゃん、アカツキ君、ゆっくりしていってくれ」 言い終えるが早いか、大急ぎで研究所を出て行った。 これには四人も唖然とした。 本気で再会も早々に用事を片付けにいくとは。 こんな時くらい仕事を忘れてもいいのに……カリン女史はそう思ったが、やめておいた。 「こんなに熱心なヒトだから、私は好きになったんだものね」 出会った頃のことを不意に思い返し、笑みを深める。 「こんなところじゃくつろげないでしょ。リビングにどうぞ。お茶を淹れるわ」 女史の一言で、三人はリビングに移った。 博士というと、研究熱心で、意外と身の回りがだらしない。 ……などという偏見が一部にあったりするものの、オダマキ博士はともかく、カリン女史は別である。 たった今掃除したかのように、テーブルの上には塵ひとつ見られないし、陽光を通すガラスも、油膜や水垢に塗れていない。 三人がソファに腰かけてすぐ、カリン女史がお茶を淹れてくれた。彼女自身の分を含め、四人分。 彼女はユウキの隣に腰を下ろした。 アカツキとハルカ、ユウキとカリン女史。テーブルを挟んで二対二の構図が無意識のうちに出来上がっていた。 無意識だからこそ、誰もそんなことを気にしていなかったが。 「自己紹介が遅れたわね。私はカリン。この子の母親よ」 「ご丁寧にどうも」 「センリさんはお元気かしら?」 「ええ……でも、あたし、ホウエンに来てからまだ一度も会ってないんです。 まあ、お父さんのことだから、たぶん大丈夫だと思うんですけど……」 ハルカの返答は歯切れが悪かった。 どこか上向かない表情が、本当に久しく父と会っていないことを如実に物語っているように思える。 「なあ、おまえの親父さん、何やってんだ?」 「え……えーと……」 ユウキの問いに、どう答えようか思案するハルカに、カリン女史が助け舟を出してくれた。 気配りはお手の物、とでも言いたそうに口の端を上げて。 「直接会った方が早いわよ。トウカシティにいると思うから」 「なんで知ってんの?」 「そりゃお父さんの知り合いだもの。私だって存じているわ」 ごくごく当たり前の言葉を返されて、ユウキは押し黙った。 トウカシティか…… アカツキはお茶を口に含みながら、ミシロタウンの北西に位置する街の姿を思い浮かべた。 トウカシティ……ミシロタウンからだと、101番道路を北に進んでコトキタウンに出る。 そこから西に伸びている102番道路を行くとたどり着ける。 規模で言うとミシロタウンと同じくらいで、それほど大きな街ではない。 アカツキは母と何度か出かけたことがあるが、別にどうということもない、ただの街にしか感じられなかった。 ミシロタウンとの相違点を挙げろと言われれば、少なくともこの街よりは活気があるということだけか。 「ジョウトから引っ越してきたんだってね」 「え、ええ」 「敬語は要らないわよ。普通に話してくれていいわ」 返事の代わりに、ハルカは頷いた。 研究者というのはお堅い人ばかりだという先入観に囚われて、ついつい畏まってしまう。 それを断られた以上、素をさらけ出しても問題ない。むしろ、そうしたかったくらいだ。 「ウツギさんは元気してるかしら? 最近学会で引っ張りダコなものだから、メールも来なくてね」 「元気だったよ」 「そう、それならいいんだけど」 カリン女史はホッと胸を撫で下ろした。 ウツギ博士……彼女とは研究仲間で、数年前にはタッグを組んで学会にセンセーショナルな新風を巻き起こした。 「一つ聞いていい?」 「どうぞ」 「ウツギ博士の研究所は大きかったけど、どうしてこんなに小ぢんまりしているの?」 「私はパソコンを主に使うから、そんなにスペースが要らないのよ。 それと、さっき見た通り、あの人はフィールドワークが得意だから、暇があれば外に飛び出していくのね」 「なるほど」 日の光を浴びずに地道に研究するのが大部分だが、オダマキ博士やカリン女史のような研究者も中にはいる。 ちなみに、カリン女史は中と外の両方をテリトリーとしている。 「無理にゲットしてまで研究しようなんて思っちゃいないのよ、私たちは」 「そうなんだ……」 アカツキはカリン女史の意外な一面を見たような気がした。 なんて言うんだろう、言葉の節々から、どことなく喜びみたいなのが溢れ出してくるような……そんな感じだった。 「アカツキ君」 「あ、はい」 「君は確か明日が十一歳の誕生日なのよね?」 「はい」 「旅に出るのも、明日?」 「そうしたいと思ってます」 「旅って?」 アカツキが頷くと、ハルカは首をかしげた。 いったい何がなんだか……彼女がよくそこのところの事情を理解していないのは、当然のことだった。 ミシロタウンに着いた当日なのだから。 「ハルカちゃんは知らないと思うけど…… ホウエン地方じゃね、十一歳になった少年少女は、ポケモンをパートナーとして一体支給され、旅に出ることができるの」 「へえ……」 確かに、ジョウト地方でも似たような感じだったような気がする。細かいところまではいちいち理解していなかったが。 でも、待てよ? ハルカはカリン女史の言葉を反芻した。 そして―― 「あたし十一歳なんだけど、もしかしてポケモンもらって旅に出られるとか?」 「ええ。あなたが望むなら」 「やっほーっ!!」 予想通りの答えが返ってきて、ハルカは大ハシャギだ。 ポケモンをもらえるということがうれしいようで、瞳が輝いている。 「ユウキ。あなたはどうするの?」 「オレ?」 「アカツキ君もハルカちゃんも、明日旅に出るみたいだし」 「そうだなぁ……」 ユウキにも夢はある。 アカツキに比べればいかんせん地味なのは否めないが、それでも自分自身では素晴らしいものだと思っている夢が。 「オレもいろんなポケモンのこと知りたいからさ。旅に出てみるよ」 「そうね。可愛い子には旅をさせろっていう言葉もあるし……」 なんて言葉を使ってみたりしたものの…… カリン女史は子供が成長した喜びと、旅に出てしまうという淋しさの両方を覚えた。 でも、いつかはきっとそうするだろうという予感は前々から抱いていたのだ。今さら驚いていたりなどしない。 「じゃあ、アカツキ君の誕生日に合わせて、明日でいいわね?」 三人揃って首を縦に振った。 三人とも、目は真剣だった。 「その前に、アカツキ君、ハルカちゃん。大事なことだから……ちゃ〜んとお母さんに話をしておくのよ」 「はい」 いつになく真剣な表情の――ユウキと遊んだりする時はとても見せないような表情だった――アカツキを見つめ、カリン女史は微笑んだ。 彼女からすれば、アカツキもユウキと同じで自分の子供のような存在だったからだ。 それからしばらく四人はいろいろな話に花を咲かせ―― 夕暮れ時、アカツキとハルカはオダマキ博士の研究所を後にした。 道にはふたり以外、誰もいない。 絶好のシチュエーションなのだが、まだ子供のふたりにはまるで分からなかった。 まあ、それはそれで微笑ましかったりする。 「ねえ、アカツキ」 「なんだい?」 「あなたはどうして旅に出たいの?」 「会いたいポケモンがいるんだ。 ポケモントレーナーになって、絶対会うんだって、ずっとずっと前から思ってた」 「そうなんだ……いいな、そういうの」 そのポケモン一筋というのが、輝きを帯びた瞳を見るだけでひしひしと伝わってきた。 「ハルカはどうなんだい? どうして旅に出ようなんて……」 「そうねぇ、お父さんみたいになりたいから、かな」 「お父さんって、トウカシティにいる?」 「うん」 アカツキには分かった。 ハルカにとって彼女の父親は憧れであり、目指すべき目標なんだと。夕陽を見上げる表情が、どことなく力強く思える。 「すごく強いトレーナーなんだね、お父さんは」 「うん。お父さん、すっごく強いんだ」 自慢げに言うハルカだが、本当にそう感じているからこそ、言葉にも熱がこもる。 一度父親のポケモンバトルを見たことがあったのだが、相手はまるで歯が立たなかった。 流れるような、華麗な連続攻撃の前に、成す術なく倒されてしまったのだ。幼心にも、そのバトルの光景が忘れられない。 「でも、お互い夢を持ってるって、いいことだよね」 「もっちろん。みんな大きな夢持ってるもん。ユウキだってそうなんでしょ?」 「うん。そうだよ」 ユウキの夢……アカツキは本人から聞いたことがあった。 両親――オダマキ博士やカリン女史のような立派な研究者になることだと言っていた。アカツキは、それはそれですばらしいことだと思っている。 ポケモントレーナーを目指すアカツキとは違う道を選んだ。 そのことだけで、なんとなくユウキのことを誇れるような気がするのだ。 十数分後、ふたりはそれぞれの家の前で別れた。 アカツキは夕食の席で、母親――ナオミに思い切って打ち明けた。 「ぼく、旅に出たいんだ」 「旅……ああ、あなた、もう十一歳なんだもんね」 がぶがぶがぶがぶ。 その言葉の半分は、アカツキのポケモンであり彼の家族の一員でもあるアリゲイツの、ポケモンフーズを食らう音によって掻き消された。 背中にまで伸びた、所々尖っている赤いトサカが印象的で、後ろ足で立つワニのようなポケモンだ。ワニだから、当然牙は鋭い。 アカツキの身長の腰より少し高めの身長のアリゲイツとの出会いは四年前。 アカツキがユウキとオダマキ博士の三人で釣りをしている時にゲットしたポケモンだ。 いや、ゲットと言うと語弊があるかもしれない。 釣針の先についたエサにかぶりついていたのを見事に釣り上げ、一目アカツキを見るなり擦り寄ってきたのだ。 一体全体どういうことなのか、まるで見当もつかなかったが、アカツキ自身はうれしかった。 初めて会ったポケモンに懐かれて、それで友達になれたことが。 ナオミには「責任もって育てるのよ」と念を押され、引き取ることを承諾してもらえた。 当時はアリゲイツでなく、進化前のワニノコだった。 二周り以上小さくて、可愛かった。 だが、ほとんどのポケモンにはつきものの『進化』を経験したことで、たくましい身体つきになった。 今ではすっかり貫禄(?)にも似た感じの顔つきになっている。 「アリゲイツ、元気だね」 「ゲイツ!!」 高めの椅子に座っているアカツキを見上げ、アリゲイツが器用に前足の親指を立てて見せた。 後ろ足で立つものだから、前足は人間で言うところの手に当たる。 「探したいんでしょ? 黒いリザードンを」 「うん。みんな『そんなのいない』って口をそろえて言うけど、ぼくはいるって信じてる。 だって、あの時助けてくれたのは、間違いなくリザードンだったんだ。それも、黒いリザードン」 「夢があるのはいいことだわ。 わたしとしては、あなたの夢を信じてあげたいもの」 うれしさと淋しさが胸に同居する。 ハヅキの時もそうだった。だが、今回は少し違うような気がする。 四年前は、まだアカツキが家にいてくれた。 でも…… 「アカツキが旅に出ちゃったら、わたし一人になっちゃうんだよね」 そう思うと、とても淋しかった。 旅に出るのなら、アリゲイツも連れて行くのだろう。 一人で住むにはあまりに広い家だ。 「だけど、夢があるのっていいことだと思うわ」 旅に出られるほどに成長した息子のことを誇りたいとも思っている。 旅に出る子供をもった母親の気持ちとは、そういうものなんだろう。 「お母さん……ぼく……」 「いいの。何も言わなくても」 笑みを繕うナオミ。 アカツキは母の哀しそうな笑みを見て、心が痛んだ。 傷つけてしまっていると分かっているから。だが、それを言うならハヅキだって同じはずだ。 四年前にミシロタウンから旅立った。数ヶ月に一度の割合で家に戻ってきていたが、ここ一年ほどは会っていない。 無論…… アカツキだってそれくらいの割合で家に戻ってこようとは思っている。 母親を心配させ続けるつもりなどこれっぽっちもないのだ。 父親は自分が幼い頃に死んだ。残されているのは、母親だけだから。 悲しませるようなマネだけはしない。 でも…… 「あなたにはあなたの夢があるんでしょう? だったら、最後までやりぬく覚悟で行ってらっしゃい。そうじゃなきゃ、承知しないんだからね」 「うん。ありがとう、お母さん……」 それから―― 言葉は紡がれなかった。 無言で夕食を頬張るふたり。ふたりとも、深刻そうな顔こそしていたものの、アカツキの瞳には輝きが宿っていた。 旅に出られる…… あの、黒いリザードンに会いに行ける。 幼い日から夢に見続けていたことが、今現実になろうとしているのだ。 うれしくないはずがない。わずかに、喜びの方が上回っていた。 時々、ふたりは目と目を合わせた。 言葉を交わさなくても―― お互いの気持ちが分かる。 だから、それ以上何も言わなくても、よかったのだ。 アカツキの方も、旅に出られる喜びと、しかし母親をひとりにしてしまう罪の意識(のようなもの)を胸に同居させていた。 しかし、もう決めたことなのだ。 決めたことを曲げるつもりも、これっぽっちだってない。 了承してくれたのだから、最後の最後まで夢を追いかけよう……そう思った。 第2話へと続く……