第3話 それぞれの道へ歩き出す時 -Go at each road- 目の前には、あまり近代化されていない穏やかな町並みが広がっている。 高層ビル群などはなく、総じて五階建て以下の、背の低い建物ばかりだ。 町というからには、もちろん道路は舗装されている。 それでも、舗装された道路の両側に延々と街路樹が立ち並ぶ様は、ミシロタウンと大して変わらない。 「へえ、ここがコトキタウンなんだ……」 「大したことないだろ?」 「ううん、そんなことないよ!!」 忙しなく四方八方見回しながら、ハルカが輝きに満ちた表情を見せた。 ホウエン地方に来て二日目で、ミシロタウンから旅立って別の町を見ることができるなんて、とても思っていなかったからだ。 「だけどね、この町は三方向に道が伸びてるんだよ。 南はミシロタウン、北は103番道路、西はトウカシティに続いてるんだ」 「へえ、よく知ってるな」 アカツキの説明に、ユウキは感心したように言うと、眉を動かした。 ユウキはホウエン地方の地理を頭に叩き込んでいたから当然知っているのだが…… アカツキがそこまで細かく知っていたとは……意外に思った。 アカツキは、トウカシティと言い終えたところで気になることが脳裏に浮かび、ハルカに訊ねた。 「そういえば、トウカシティってキミのお父さんがいるんだよね?」 「あ、うん」 「どんな人なんだ?」 ハルカが小さく頷くと、ユウキは興味深げな表情を向けた。 両親の知り合いだから、さぞかし有名人か、あるいはよほど変わっているのだろう。どちらにしても、普通の人とも思えない。 「トレーナーよ。す、す、すっごいトレーナーなの」 心なしか―― 答えるハルカの声は震えていた。 何かあるのかな……アカツキは何か釈然としないモノを感じていたが、口にはしなかった。 その代わり、 「そうなんだ……すごいトレーナーなんだ」 「なかなか興味深いな。どんな人なんだろ」 アカツキの言葉にユウキが相槌を打ったが、ハルカは何か言いにくいことでもあるのだろうか。 陸に打ち上げられて酸欠状態に陥った魚のように、小さく開いた口をパクパクさせていた。 「ま、それより、ポケモンセンター行かないか?」 彼女の雰囲気が普通でないことに気づいて、ユウキが言った。 話を変えるにはずいぶんとわざとらしく思えたが、誰もそんな無粋なツッコミは入れなかった。 「ポケモンセンター? って、まだ昼だけど?」 ハルカは晴れ渡った青空を見上げて首を傾げるが、 「今から他のトコ行こうとしたってな、一日じゃ着かねえんだよ。だったら今日のところはゆっくり休むに限るだろ? それとも野宿やってみっか? 旅立ったその日に。まあ、それもそれで記念になるわな」 「うっ……」 野宿という言葉に、途端に表情が変わる。考えたくもないことを脳裏に思い描いたかのように。 やはり女の子……野宿には弱いようだ。 「そうだね、みんな目指すものは違うから……この町で別れようか」 「ああ、そうしよう」 西の方角に見えていたポケモンセンター目指して歩き出した三人は、これからのことについて話を始めた。 それぞれ目指す夢は違う。 アカツキは黒いリザードンを探し、ゲットすること。 ユウキはポケモン図鑑をポケモンのデータで埋めること。 ハルカはすごいトレーナーになること。 モンスターボールを模したように赤と白で塗り分けられた屋根に、ドーム状の形をした建物。 それがホウエン地方では一般的なポケモンセンターの外観である。 「ほえー、ジョウト地方のとは違うねぇ」 地方が違えば、ポケモンセンターの佇まいも違ってくるものだ。 見慣れたジョウト地方のポケモンセンターとはずいぶん違っていたので、ハルカは大げさとも取れるほどに感嘆の声を漏らしていた。 「まあな。地方によっていろいろと違うらしいが……おい、入るぜ」 「オッケー」 物珍しげに辺りを眺めていたハルカも、アカツキとユウキの後に続いてポケモンセンターに入った。 自動ドアの先には、オレンジ色の絨毯に覆われた、だだっ広いロビー。 椅子とテーブルが整然と並べられ、壁際には十台ほどのテレビ電話と、モンスターボール転送装置が備え付けられている。 「ポケモンセンターにようこそ」 カウンターにやってきた三人を満面の笑顔で出迎えたのは、ポケモンセンターに必ず一人はいる女医――その名もジョーイだった。 背中に結ったピンクの髪と、清楚なイメージが漂う白衣がよく似合っている美人である。 どこのポケモンセンターにも彼女――当たり前だが同一人物などでは決してない――がいる。 見た目がほとんど同じなのは、皆、親戚同士だから。 同じように見えて、実はどこかが違うらしいのだが……それを言い当てた人物はいないらしい。 一族郎党、顔がほとんど同じものだから、本人たちの証言でしか見分けがつかなかったりするのがネックだったりする。 まあ、どこのポケモンセンターにもいる以上、見知った顔に安堵感を覚える、という心理的効果があるのかもしれない。 「あ、ワカバタウンのジョーイさんだ!!」 ジョーイの笑顔――それを職業病と呼ぶ人も少なくない――を見て、ハルカがビックリした顔で声を上げた。 「同じひと?」 違うだろうなぁと思いつつ、アカツキはジョーイの顔を食い入るように見つめた。 鏡に映したように、どこのジョーイも似ているが、同一人物などではない。それは分かりきっているが…… 「ワカバタウンのジョーイに会ったことがあるの?」 笑みを深め、ジョーイが言った。 「私はコトキタウンのジョーイよ。 ワカバタウンのジョーイは私の母の姉の娘のそのまた娘に当たるの。そんなに私は似ているかしら?」 「同じように見えるんだけど」 「まあ、全国共通だからな」 ハルカが首を傾げると、ユウキが腕を組んで何度も頷いた。 見た目にほとんど違いがないから、同じように見えても仕方がない。アカツキもそう思った。 「ジョーイさん。今日一泊したいんですけど」 「いいですよ。部屋は別々で?」 「同じでいいです」 アカツキがあっさり頷くと、ハルカはびくっと身体を震わせた。 何なんだか……ユウキにはさっぱり分からなかった。 「これが部屋の鍵です。どうぞごゆっくり」 「ありがとう」 アカツキは鍵を受け取ると、タグに書かれた部屋の番号を確かめた。 全国共通の常識だが、ポケモントレーナーやポケモンブリーダーなどがポケモンセンターに泊まるのは無料である。 もちろん食費もタダ。 経費はすべてポケモン省が出しているため、利用者が費用を負担する必要はないのである。 お金を稼ぐ手段に乏しい少年少女のトレーナーがちゃんと旅を続けられるのも、各地に点在するポケモンセンターのおかげなのだ。 「ね、ねえ……」 一泊することになった部屋に向かっている途中、ハルカが表情を引きつらせながらアカツキに尋ねた。 「一緒の部屋って……同じ部屋で寝るの?」 「そうだけど……どうかしたの?」 「え、あ……なんていうか……」 なんてことのない表情でアカツキに問い返され、決まりの悪そうな顔をして、目をそらす。 ユウキはニヤリと意地悪な笑みを浮かべ―― 「まさか、ンな心配してんのか?」 その言葉に、彼女の頬に朱が差した。十一歳ではあるが、意外にナイーヴなところも持ち合わせているらしい。 「な、なんでそんな……」 「照れんな照れんな。女の子だったら誰だってそう思うモンさ」 「何が?」 「いやーっ、それ以上言わないでお願いぃぃっ!!」 ハルカが頭を抱えながら絶叫したところで、部屋にたどり着いた。 鍵を開けて中に入ると、そこそこ広い部屋だった。 三人で過ごす分には十分だが、五人ともなると少し窮屈を感じるかもしれない……といった程度の広さである。 先ほどまでのごちゃごちゃしたモノはどこかに吹き飛んだようで―― 「うわーっ、いい眺めぇ……」 ガラス窓に手をつけて、外の景色を眺めていたりする。 ベランダが北側に面しているため、103番道路と周囲に広がる森を一望できる。 「103番道路は途中、東側に橋がかかっててな。渡って東に進んでくとカイナシティに行けるんだぜ」 ユウキが、外の景色に夢中のハルカの傍で、遠い目をしながら103番道路を見つめた。 アカツキはというと、テーブルに鍵を置いて、アリゲイツと一緒にベッドルームを見ていた。 二段ベッドがふたつにスタンド付きのデスク。元々は四人で利用することを想定していたのだろう。 いつでもモンスターボールから出ているアリゲイツもカウントするなら、妥当な部屋と言えるのかもしれない。 「これならアリゲイツもベッドで寝られるね」 「ゲイツっ」 ニコッと微笑みながら言うと、アリゲイツはうれしそうな顔で返事をしてくれた。 最近は床に敷かれたカーペットの上で寝ているので、たまにはベッドで寝たいと思っていたのかもしれない。 アカツキとアリゲイツがそんなやり取りをしていると、ユウキに呼ばれた。 「おーい、アカツキ。なにやってんだ〜?」 「部屋を見てただけだよ」 大声で呼ばれ、負けないくらいの大きな声でアカツキは言い返すと、ベッドルームを出た。 窓際に移動して、ベッドルームのことを話した。 「四人用の部屋みたいだね。最近はないけど、まあ、アリゲイツもベッドで寝ることあるし」 「ポケモンがベッドに寝るんだ……すごいじゃない」 ニコニコと笑顔でハルカに頭を撫でられて、アリゲイツもまんざらじゃないようで……鼻先が心なしか朱に染まったように見えた気がした。 「とりあえずここから自由行動にしようぜ。町見るなり、ここにこもってるなり…… どのみち、明日にゃ別々のルートで旅始めるんだからさ」 「そうね。あたしは外見てくるわ。新鮮な空気をもっと吸ってみたいし……」 「ぼくは休んでる。これからのことも考えたいから」 「なるほどな。 オレはちょいと103番道路に行ってくるとしよう。とりたてやることもないしな…… ヒマだから下見にでも行ってくる。それじゃな」 ポケモン図鑑を片手に、ユウキが部屋を後にした。 続いてハルカも「じゃあね」とウインクを残して出て行く。 残されたのはアカツキとアリゲイツだけになった。 「ぼくたちだけになっちゃったね、アリゲイツ」 「ゲイツ」 ため息混じりに漏らした言葉に、アリゲイツが頷いた。 「少し休む? 何時間も歩き詰めだったし……」 「ゲイツ!!」 大きな声で返事して、アリゲイツはベッドルームへと走り出した。 やれやれ…… わんぱく盛りの子供を見るような目をアリゲイツに向けながら、アカツキもベッドルームに入った。 普段からユウキと長時間遊んだりしていたので、数時間歩いた程度では足がパンパンに張ったりすることはない。 だが、今日は少し疲れたような気がする。期待に胸を弾ませていたからだろうか。 二段ベッドの梯子をアリゲイツが器用に登っていくのが見えた。 何も、わざわざ上に行くこともないだろうに……と思ったが、アリゲイツは初めての物事には積極的にアプローチする性格だから、仕方がない。 好奇心旺盛というのは時に困ることもあるが、今の時点ではそうでもないだろう。 背伸びして上のベッドを覗き込むと、穏やかな寝息を立てて横になっているアリゲイツの姿が見えた。 「寝るのは早いなぁ、アリゲイツは……」 アカツキは机にリュックとモンスターボールを置いて、アリゲイツの下のベッドに転がり込んだ。 軽く目を閉じて、ふっと息を吐く。 気がつく暇もなく―― アカツキの意識は闇に滑り落ちた。 「あれ、寝てる」 「起こすのもなんだろう。そっとしといてやろうぜ」 「うん」 真昼間だというのに気持ちよさそうな顔で眠っているアカツキに笑顔を見せ、ハルカはベッドルームから出て行った。 ユウキは椅子に深く腰を下ろし、ポケモン図鑑を何やらいじくっている。 あちこちボタンを押してみたり、いろいろな角度から図鑑を舐め回すように見ていたり。 「昼飯も食わずに寝るとは……疲れてんだろ」 「ご飯もいらないなんてすごいねぇ」 「さあ……どうなんだろうな」 ハルカの方に顔を向けることすらせず、ユウキは図鑑の画面に先ほど見かけたポケモンの全身像を映し出した。 「あれ、さっき見かけたの?」 「ああ。ゲットはしなかったけどな」 ハルカが覗き込んでくるのも、まったく意に介さない。そうしてくるであろうことを予測していたから、別に動じる必要も皆無だ。 「ジョウトじゃ見かけないポケモンね。なんて言うの?」 「ポチエナっつーんだ」 あまり気が強そうに見えない灰色の犬のようなポケモンに、ハルカは首を傾げた。 ポケモンは他の動植物と一緒で、地方によって棲息種類が違うのである。生活環境の違い、というのもあるのだろう。 だから、ジョウト地方では度々見かけても、ホウエン地方には棲息していないポケモンというのも実に数多いのだ。 「かわいい……」 「なんて言ってるけどな、こいつ悪タイプなんだぜ。知ってるか?」 「え、悪なの?」 ユウキが口の端を上げながら言うと、ハルカは驚いたようだった。 図鑑の画面に映し出されているポケモンは『悪』というイメージをあまり感じさせない雰囲気だったから、驚くのも無理はなかった。。 「いろんなポケモンがいるもんさ。図鑑でもタイプってのは確認できるから、使ってった方がいいぜ」 「うん、そうする」 ありがたい言葉だと思った。 事前に図鑑でタイプを確認できれば、相性の悪いポケモンを間違えて出さずに済むかもしれない。 ホウエン地方のポケモンを見慣れていないハルカにとっては、実にありがたい機能だ。 「なあ、ハルカ」 「なに?」 ユウキは図鑑をポケットにしまうと、ハルカに訊ねた。 「おまえ、ホウエンリーグには出るのか?」 「ホウエンリーグ?」 「ああ。リーグバッジを八つ集めると出られるバトルの祭典さ」 「そうねぇ……すっごいトレーナーになるのがあたしの夢だから、多分出るんじゃない?」 「なるほど」 明確な目標を抱いている割にはいい加減な答えだが、ユウキはそれをイエスと捉えたらしい。 ホウエンリーグは、バッジを八つ集めたトレーナー……すなわち強者がたくさん集まる場所である。 トレーナーとして強くなりたいと思うなら、出るべきだろう。 その過程で十分に強くなれるのだろうが、限りなく上を目指すなら、出るに越したことはない。 しかし、ハルカは困ったように肩をすくめながら言葉を返した。 「ユウキは出ないんでしょ?」 「ああ。オレはあんまそっちにゃ興味無ぇから」 当然、研究者を志すユウキにとって、ホウエンリーグは夢へと続く道に存在しない。 素っ気なく返されたが、ハルカはそれほど気を悪くする風でもなく、さらに訊ねた。 「ふーん……あ、そうだ。ひとつ聞いていい?」 「うん、なんだ?」 一体何を訊くんだか……ユウキは首を左右に打ち振った。 コキコキと骨の鳴る音が聞こえたのは、いろいろと歩き回って疲れていたからかもしれない。 「アカツキって、どうして黒いリザードン探そうとしてるわけ? 色違いのポケモン探すのって結構難しいって聞いてるし……それに、そこまで執着するからには理由があるんでしょ?」 「まあな」 ユウキは軽く頷いた。 ごく自然な質問だと思った。 「できれば教えて欲しいな〜、なんて思って」 「本人に訊けばいいじゃん。すぐそこにいるんだから」 親指でベッドルームを指し示しながら、ユウキはめんどくさそうな口調で言った。 他人の夢を自分がベラベラ話していいものかと思ったが、 「うーん、それもいいんだけど……いやあ……」 「まあ、いいや。あいつのことだから訊かれりゃ『うん』って答えるだろうしな。 ちょいと長くなるかもしんないけど、大丈夫か?」 「うん、大丈夫」 テーブルを挟んで向かい側の椅子に腰を下ろすハルカ。 準備万端ということらしい。両手を膝の上に置いて、ユウキの目をまっすぐに見つめた。 アカツキのことだから隠し立てはしないだろう……と勝手に判断して、話し出した。 「ホウエン地方の中心部……実際はちょいとばっか北西になるんだが、エントツ山って山があるんだよ」 「うんうん」 「アカツキは四歳くらいの時か、ハヅキの兄貴とおふくろさんと、あとオヤジさんだな。 四人でハイキングしに行ったんだな」 「うんうん」 ハルカは食い入るような顔をユウキに向けていた。 それほどまでに興味深い話なのだろう。 「んで、あいつ迷子になっちまったんだよ。 そこであいつを助けてくれたのが黒いリザードンだったんだとさ」 「へえ、いい話じゃない」 「なんて言うけどなぁ、ホントのことか分かんないんだぜ?」 「どうして?」 「あのなぁ……」 やれやれ…… ため息を漏らし、ユウキはハルカから目をそらした。 なんで分かんないんだか……物分りの悪い生徒を相手にしている気分になったが、今は彼女の疑問に答えてやるのが先だ。 「あいつは四歳だったんだぜ? しかも独りぼっちで雪の降る中だったんだ、幻を見たって可能性だってあるだろうが」 「でも、真っ向から否定するのはいけないと思うよ」 「それ言われちゃミもフタもねえがな…… で、あいつは自分を黒いリザードンが助けてくれたって信じ込んでるんだ。あいつがウソついたなんてオレだって思いたくねえよ。 でも証拠が無い以上、百パーセント信用するってのも無理な話だがな」 「曲がりなりにも……博士らしい考え方だね」 「オレもそう思うぜ」 ハルカの言葉に、ユウキは白い歯を見せた。 皮肉のスパイスがたっぷり塗された言葉だったような気がしたが、事実その通りだろうと思い、嘆息する。 確率論で話をするのは、博士らしい考え方なのだろう。 「ま、いつか会えればいいけどな」 「信じなくっちゃ始まんないでしょ」 「はははは」 二人して、声を上げて笑った。 出会ってからというものの、こうして笑ったのは初めてのような気がする……ユウキはそう思った。 よく考えてみれば、互いのことを知らなすぎるような気もしているのだ。 ユウキからすればアカツキのことはよく知っているが…… ハルカのことに関しては、ジョウト地方から来た同い年の女の子。 で、トウカシティにお父さんがいて、お父さんはすごいトレーナーらしいとのこと。 それだけしか知らないのではないか? それ以上は考えても出てこなかった。 「あれ、ふたりとも戻ってたの?」 「アカツキ。ごめんね、起こしちゃった?」 と……そこへ寝ぼけ眼を擦りながら、アカツキがベッドルームから出てきた。 「悪いな、大きな声出しちまって」 「いいよ。そろそろ起きようと思ってたから」 などと言いながら、ユウキの隣に腰掛ける。 ふわぁぁぁぁ…… 言葉とは裏腹に、まだ寝ていたかったのだろう。 だらしなく欠伸が飛び出してきた。 「何の話してたの?」 「ああ、夢について……ってとこかな?」 「うん、そうなの」 「へえ……」 まさか自分のことを話していたとは思っていなかったようで、アカツキはとろんっとした目を外に向けた。 「見つかるといいね。キミの探してるポケモン」 「うん。ありがとう」 ニコニコ笑顔を向けてくるハルカの顔を見つめ、アカツキもつられるように笑みを浮かべた。 「ゲイツ……」 トレーナーと同じように、欠伸欠いて寝ぼけ眼を擦りながらアリゲイツがやってきた。 ポケモンはトレーナーに似るという格言を見事に体現したような光景に、ユウキは笑いを堪えるのに必死だった。 「起きたかい? さ、ご飯食べに行こっか」 「ゲイツ!!」 親友が笑いを堪えていることなど露知らず、アカツキがご飯のことを持ち出すと、アリゲイツははしゃぎ出した。 ミシロタウンからここまで歩いてきたから、お腹が空いていたらしい。 「ふたりは?」 話をしていたふたりをを交互に見つめ問うアカツキに、ユウキが気を取り直して言った。 「もう食べてきた。おまえたちゃまだ食べてないんだっけ? じゃあ食って来いよ。明日まではここにいるんだからさ。 アリゲイツ、たっぷり食えよ、いくら食べたって誰も怒らないからな?」 言いながらアリゲイツの鼻先に触れると―― がぷりっ。 恐らく……半分寝ぼけているアリゲイツの目には、ユウキの手がトウモロコシに見えたのだろう。 鼻先に触れた彼の手に噛み付いたのだ!! ユウキは一瞬、何が起きたのか分からなかったが…… 次の瞬間、牙が突き刺さる痛みを感じて―― 「ぎゃーっ!!」 声を上げてのた打ち回った。 突然の大声にびっくりして、アリゲイツが口を大きく開く。ユウキはその隙に手を引き抜いた。 「ゆ、ユウキ、大丈夫!?」 アカツキはすかさずベッドルームから傷薬を持ってきて、ユウキを何とか落ち着かせると、その手に塗りつけた。 「はうぅぅぅ……痛い……こりゃ痛い……図鑑通りだったな……ま、まあ、いい経験したのかも」 痛がっていたものの、ユウキは別に怒っている様子も無かった。 一方、加害者となってしまったアリゲイツは…… 申し訳なさそうに俯いたまま微動だにしなかった。トレーナーの友達に噛み付いたという自覚があるらしい。 「アリゲイツ、駄目だよ。いくらお腹空いてるからってユウキに噛み付いたりしちゃ」 一通り説教した後で、アカツキはユウキに頭を下げて謝った。 「ごめんね、ユウキ。アリゲイツがとんでもないことしちゃって」 ペコリと頭を下げるアカツキとアリゲイツに、ユウキは、 「いや、いいよ。こういう体験も貴重だからな」 「でも……」 「いいったらいいんだ。早くメシ食いに行けよ。腹減ってんだろ?」 「うん、ありがとう」 アカツキはアリゲイツとアチャモ(モンスターボールに入っている)を連れて、何度も何度もユウキに頭を下げながら、部屋を出て行った。 申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。 「アリゲイツ……次ああいうことしたら、ぼくだって怒るよ?」 「ゲイツ……」 アカツキは誰もいない廊下を歩きながら、アリゲイツに言い聞かせた。 見たところ、アリゲイツも反省しているようだし……誰だって過ちを犯すものだ。 ユウキが許すと言ってくれている以上、これだけ言っておけばいいだろう。 「さ、アチャモも行こうか」 モンスターボールから、アチャモを出してやると…… 「チャモ!!」 元気いっぱいに飛び跳ねながらアカツキの胸に飛び込んでくる。 「ははは……元気いいなぁ」 アカツキはアチャモを肩の上に乗せ、再び歩き出した。 申し訳なさそうな顔をしていたアリゲイツも、その頃にはすでにいつもの表情に戻っていた。 胃液を分泌して、これ以上ないほど強欲に食物を強請る腹の虫には勝てないようだ。 アカツキの後を追って、アリゲイツが駆け出す。 誰も一連のやりとりを見ていなかったが、それは明らかにほのぼのとした、どこにでもあるような光景だった。 今日もまた、アカツキは寝付けなかった。 彼の視線は、二段ベッド上部の底に突き刺さっている。 腕を後ろに組んで、目をしっかり開けて上を見つめているばかり。 旅に出た興奮が冷めやらないのだ。 ユウキとハルカは言うに及ばず、アリゲイツも高鼾を欠いている。すぐ傍には安らかな寝息を立てているアチャモ。 アカツキはアチャモを横目で見つめると、すぐに視線を上に戻した。 親元を離れて、死ぬほど淋しいというわけではない。 確かに淋しいと言えば淋しいが、それは旅に出ると決めた時から覚悟していたことだ。 今さら泣き言並べながら尻尾巻いて家に戻るというのは、冗談でも考えられない。 仮に戻ったところで、ナオミのことだから、入れてくれないだろう。 近所の笑い者になるのがオチだ。子供心にも、一生ついて回る汚点と感じているらしかった。 「まだ始まったばっかりなんだから……いつもこんなじゃ困るけど」 ポツリと漏らす言葉は、誰の耳にも届かぬほど小さな声でしかなかった。瞬時に、室内を遍く満たす静寂に黙殺される。 「リザードン……黒い、リザードン……」 呆然とつぶやいた時に、いつか自分を助けてくれた黒いリザードンの姿が、おぼろげながらも視界に浮かんだ。 もっとも、その姿は正確でありながら、完全な虚像でもある。 いくら印象に残ったとは言え、四歳の記憶力ではその姿を完全に再現することは難しい。 無論、アカツキにそれは不可能だった。 助けられて以後、絵本で知ったリザードンの勇姿を重ね合わせることで、ようやく現在視界に映る姿に至ったのだ。 そんなこと、いちいち気にするほどのことでもないのだろうが…… 「君は待っていてくれる? ぼくのこと、覚えてくれてる?」 漠然とした不安が、胸に芽生えた。 あまりに突然に。 だが、その芽はすくすくと成長し、静寂に見守られながら瞬く間に花を咲かせる。 「ぼくは……忘れたりなんかしない。絶対、絶対……キミのこと忘れてないからね。ぼくが行くまで待っててね」 魔法のような効果があった。 不思議でたまらなかったが、花を咲かせた不安は、これまた瞬く間に枯れて砂のようにサラサラ崩れ落ちた。 「チャモ……?」 と、その時。 アカツキが視線をやると、アチャモが今にも自重で閉じられそうな目を彼に向けていた。 「起こしちゃったかい……? ごめんね。ゆっくり眠ってていいよ」 鮮やかなオレンジの体毛を優しく撫でてやると、すぐにアチャモは寝息を立て始めた。寝る子は育つ、とはよく言ったものだ。 アチャモが寝入ったのを確認して、アカツキも寝ることにした。 いつまでも起きていたところで仕方がない。 どころか、寝なければ明日の出発が遅れるではないか。寝不足は万人共通の敵なのだから。 腕を解いて、ふとんの上にダラリと委ねる。 目を閉じても、リザードンの姿は消えることがなかった。 いつでも見ててくれている…… 安堵感が胸を満たしていくのを知覚しながら、アカツキは眠りに就いた。 すでに日をまたいでいることなど、時計を見ていない彼には分かるはずもなかった。 翌朝。 「アカツキ、まだ寝てるよ」 「まあ、興奮してて寝つけなかったんだろ」 すっかり旅支度を整えたハルカとユウキが、未だ夢の中にいるアカツキを見下ろしながら笑みを浮かべた。 何かうれしい夢でも見ているのだろうか、彼の表情は明るかった。室内に差し込んでくる陽光にさえ似ている。 時計はすでに八時三十分を指し示しており、良い子ならすでに起きているはずの時間だ。 「起こす?」 「いや、そのままにしておこうぜ。どうせここで別々の道歩むんだからさ」 「そうね。ちょっとかわいそうな気もするけど」 ハルカが背伸びして上段に大の字で寝ているアリゲイツを見つめた。 アリゲイツやアチャモまでぐっすり夢の中だ。 支度をするのに多少の音は立てたのだが、それでも起きないと言うことは、興奮しすぎて寝付けなかったからだ。 ユウキは笑みを潜め、ベッドの傍で屈みこんだ。 ちょうどアカツキと同じ目線の高さだと意識しているようで―― 「オレたち、行くからな。 おまえはおまえで旅続けろよ。黒いリザードン見つけたら、オレを一番に乗せてくれよ。あと、研究させてくれよ。な?」 「ちょっとそれ都合よすぎない?」 「いいじゃん」 呆れ顔でハルカがツッコミを入れるが、平然と却下された。 オレにはオレの考えっつーモンがあるんだ――とでも言いたそうだ。 ふっと息を吐いて、ユウキは立ち上がった。 「行くか」 「うん」 荷物を持って、ふたりは足音を忍ばせて部屋を後にした。 夢が覚めるのは突然だった。 波打ち際の静寂(しじま)を切り裂く生活音に、アカツキは夢の世界から追い出されてしまった。 目を開けると、陽光がカーテンの隙間から優しく顔を照らしてくれている。 「あれ……」 ベッドから身を乗り出して壁にかけられている時計に目をやって、アカツキは唖然とした。 「九時ぃっ!?」 昨夜興奮の坩堝にいて眠れなかったツケが遅起きという形で回ってきたのだ。 さらに―― あるはずのものがないのに気付いて視線を徐々に下げていく。目に入ったのは無人のベッドだった。 シーツとふとん、枕がキレイに折りたたまれているのを見ると、どうやらふたりはすでに起きたようだ。 でもまさかもう旅立った後などとは…… その時のアカツキには想像できるはずもなかった。 ふとんを跳ね除けベッドから降りてベッドルームを出るが、当然、ふたりの姿は影も形もなかった。 荷物もなく、気配さえ感じられない。 「ま、まさかね……」 震えた声をやっとの思いで紡ぎだした彼の額に一筋の汗が流れ落ちる。 「ユウキ? ハルカ? どっか行っちゃったの?」 声を張り上げてみるものの、答えが返ってくるはずもない。 ふたりが引き払ってからすでに三十分以上経っているのだ、屋内でいくら叫ぼうが声が届くはずもない。 「う……まさか、ぼくを置いて出てっちゃったとか」 およそ考えたくない可能性が脳裏をよぎり―― 部屋を見回したところ、テーブルの上に一枚の紙が無造作に置かれていた。 長方形のテーブルのラインに平行というわけでもないし、芸術的に斜めということもない。つまり普通に置かれていたのだ。 「これって……」 恐る恐る紙を手に取る。表には何も書かれていなかったが、裏返してみると―― 「うわ……」 本当に置いていかれた。 テーブルに置かれていたのは、几帳面な文字でもって、横書きの手紙。 筆跡に見覚えがある……ユウキが書いたものだとすぐに分かった。 「オレ達は先に行ってる。 どうせここで別々の道に進みだすんだから、遅かれ早かれ、同じだと思う。 アカツキ、おまえにゃおまえの夢があるんだから、それ目指して突っ走れよ。 黒いリザードンゲットしろよ、そんでもってオレに見せてくれよ。 えーとそれから、研究もちょっとしてみたいと思ってるから、ぜひぜひゲットしてくれよ。 じゃな、また会えるのを楽しみにしてるぜ。それまでに少しは強くなっとけよ。 ――ユウキより」 黙読して―― アカツキは呆然と立ち尽くしていた。 ユウキらしいと言うか……好き勝手な文字と単語で綴られた文面。 ケチのつけようがない、完璧無比に自分の言いたいことだけ並べ立てている。 とはいえ、だからといって腹立たしさなど覚えなかった。 「そっか……同じだもんね」 気がつけば、ユウキの置き手紙を四つに折りたたんでいた。 確かに遅かれ早かれ、別々の道を夢に向かって歩いていくことになる。 「ふたりとももう歩き出してる。ぼくだって、負けてらんない!!」 ギュッと拳を握る。 友達とは――親友とは――、ライバルだ。 いつしかそんな感情が芽生えていた。 すぐさまベッドルームに取って返して着替えると、アチャモとアリゲイツを連れ、荷物をまとめて部屋を飛び出した。 アカツキの清々しい横顔を見たからだろう、アリゲイツも輝いた表情を浮かべていた。 食事も手短に済ませて、ポケモンセンターを後にしたアカツキは―― 「どこに行こうかな……」 人の往来する交差点を目前にして、辺りを見回した。 人の流れはそれほど激しくない。ミシロタウンでお祭りがある時くらいの人通りだ。 太陽の位置を頼りに南に顔を向ける。 故郷ミシロタウンが道の向こうにある。 西には102番道路が。その先にはトウカシティ。 北には103番道路。途中東に向かうと橋があり、渡ると110番道路に出て道なりに南下してカイナシティにたどり着ける。 向かうべきは西と北のみ。 どちらかに決めなければならない。 信号が青になる。 人波に押されるようにして歩き出したのは――西だった。 彼が黒いリザードンを見たエントツ山は、本当ならば北へ向かうのが近道だった。 カイナシティ方面から北上した方が近道なのだが…… 「リザードンをゲットできるだけのトレーナーになってなきゃ」 薄々、思ってきたことがあった。 今の自分がリザードンをゲットできるのだろうか――? 新人トレーナーが、とてもゲットできるポケモンではないのだ、リザードンは。 雑誌などでそういうことを知った今だからこそ、リザードンに会いに行きたいという心を辛うじて抑えることができる。 西へ続く道を歩くうち、人の姿が疎らになってきた。 振り返ると、ポケモンセンターも豆粒ほどの大きさになっていた。間もなくコトキタウンを出て、102番道路に差し掛かる。 「ぼくが、もっともっと強くならなくちゃ。リザードンに釣り合うだけのトレーナーにならなくちゃ!!」 しばらくは、トレーナーとしての腕を磨くことにしよう。 そう決めた。 トレーナーとして強くなるには、ポケモンジムに挑むのが一番だ。 ミシロタウンにいた頃(昨日までいたのだが……笑)、ユウキが言っていたのを不意に思い出す。 「ポケモンジム……か」 ポツリと漏らしたつぶやきを聞き取っていたのは、傍らを歩くアリゲイツだけだった。 意味が分からなかったようで、首を傾げながらトレーナーを見上げるばかり。 「えっと、確か……」 ズボンのポケットから、手の平サイズのタウンマップを取り出す。 コトキタウンを指差して、西――102番道路をなぞっていくと、トウカシティにたどり着く。 そこにはポケモンジムがあると、記されている。 「挑んでみようかな……」 どんなジムリーダーが待っているんだろう…… 付記によると、一月ほど前に就任したばかりのジムリーダーらしい。 名前は書かれていなかったが、ジムリーダーと言うからには自分などよりよっぽど年上に違いない。 「けど、今のぼくで勝てるんだろうか……?」 新人トレーナーにほいほいと勝たせてくれるほど、ジムリーダーは弱い存在ではあるまい。 でも―― アカツキはギュッと拳を握りしめ、アリゲイツを見下ろした。 アリゲイツも彼の視線が気になるのか、ピッタリと視線を合わせてきた。 「キミがいる。だから、大丈夫だよね……?」 言葉に出さなかった。 心の中で、問いかけたはずなのに、 「ゲイツ!!」 アリゲイツは声を上げた。まるで自分の考えを理解したと言わんばかりの表情で。 「ウソ……」 そう思いながらも、アカツキはその考えを否定できなかった。 四年間、家族として共に歩んできた相棒(ポケモン)だから……言葉に出さなくても、想いは伝わっているのかもしれない。 「よーし。行くよ、アリゲイツ!!」 「ゲイツ!!」 頷き合って、アカツキとアリゲイツはほぼ同時に駆け出した。 風を切って走ること一分少々、102番道路に出た。 街の中からは想像できないような景色が広がっていた。 ポケモンたちが暮らしている世界が、目の前に広がっている。 森、川、湖…… それらの場所を渡り歩きながら、トレーナーとして成長するんだ。 アカツキはそんなことを思いながら、トウカシティ目指して走り続けた。 第4話へと続く……