第7話 負けたくない想い -I can't lose!!- 「カナズミシティって大きな街なんだよなぁ……」 ズボンのポケットからタウンマップを取り出したアカツキは、マップに載っているカナズミシティの大きさを見てため息を漏らした。 「チャモ?」 モンスターボールの外に出ているアチャモは、ぴょんとジャンプすると、アカツキの腕に飛び乗った。それからすかさず肩へ飛び移る。 やんちゃというか人懐っこいというか……アカツキが何も言わないのをいいことに、いろいろと好き勝手やっている。 元々好奇心旺盛なのがアチャモという種のポケモンの性格だから、それも頷けるのだが…… 「ね、大きい街でしょ?」 マップ上のカナズミシティを指差して、アチャモに説明するアカツキ。 アチャモはアカツキの人差し指の先にある街を見つめた。 ポケモンがポケモンなら、トレーナーもトレーナーである。 ペットは飼い主に似るなどという言葉があるが、それはポケモンとトレーナーという関係においてもおおむね成り立つ。 はじめはそりが合わなくても、時が経てば似た者同士になってくるということなのだ。 マップの上のカナズミシティは、ミシロタウンが五つはカンタンに収まってしまうほど大きかった。 実際はどうだか知らないが、今まで見たことないくらいの大都市であることは間違いない。 コトキタウンとトウカシティしか行ったことのないアカツキにとっては、大都市がどんなものなのか、楽しみで仕方がないのだ。 テレビや新聞で見るような華やかさがあるのだろうか。 そのカナズミシティに向かうべく、アカツキはトウカシティから西に伸びている104番道路を北上している。 しかし、途中で『トウカの森』と呼ばれる森を抜けなければならない。 高速道路なら、森の上を突っ切って行けるのだが、それは車専用道路だから、徒歩では通れない。 あるいは鳥ポケモンを捕まえて飛んでいくという手段もあるが、それはそれでまたややこしい。 というわけで、消去法で歩いていくことに決めた。 トウカジムのジムリーダーでハルカの父親でもあるセンリが言うところによると、カナズミシティへ行くには三日ほどかかるとのことだ。 言い換えれば、寄り道をしなくてもそれだけの時間がかかると言うことだ。 ミシロタウンからトウカシティに行くのと同じかそれ以上の時間を要することになる。 さらに言うなら、まっすぐ行くのならその程度の時間しかないということになる。 カナズミシティに着いたら少し休んで、即ジム戦と考えているアカツキには、それほど時間的な余裕があるわけではなかった。 それまでに、バトルをしてアチャモとアリゲイツ(特にアチャモ)をレベルをアップさせておかなければならない。 脇道に逸れることのない道行きにその機会も見出さなければならないとなると、単に歩いているだけ、というわけにもいかないのが実情だ。 「誰かトレーナーいないかなぁ……」 手っ取り早いのがバトルだ。 というか、バトル以外でレベルアップなど計れはしないのだが……見渡す限りトレーナーの姿はない。 野生のポケモンも草むらから飛び出してこないし…… いくら機会を探さなければならないと分かっていても、こうも平穏だと、やる気が少しずつ少しずつ萎れてくる。 「アチャモとアリゲイツがバトルしてもアリゲイツが勝つに決まってるし……」 一段階進化した上に、相性的に有利なアリゲイツがアチャモをノックアウトするのは間違いないだろう。 結局のところ、何かしらのキッカケというものがなければ人は動けなかったりするのである。 マップをしまって、前方に視線を戻す。 伸び行く道路のその先に、うっすらと森が見えてきた。 トウカの森と呼ばれていて、104番道路を南北に分断する形で広がっている。 だが、森には森のポケモンがいるのだから、アカツキからすれば好奇心を向けるべき対象にしかならなかった。 「あれがトウカの森だね。三日しなきゃカナズミシティにたどり着けないって言うから、ずいぶん広いんだろうなぁ」 森の中にポケモンセンターはあるのだろうか。 そんなことを考えてみるが、すぐに森に棲んでいるポケモンのことに気持ちが剥いた。 「何かいいポケモンがいたら、ゲットしておかなきゃいけないもんな」 ポケモントレーナーとして腕を磨く旅なら、ポケモンをゲットして、育てる必要がある。 数日程度の旅ならともかく、本格的にホウエン地方をめぐるのであれば、二体のポケモンだけでは心許ない。 旅は道連れ、世は情け……などという言葉があるように、仲間は多いに越したことがない。 「ねえ、アチャモ。新しい仲間って、欲しいよね?」 「チャモ!!」 「ゲイツ!!」 訊いてみると、アチャモもアリゲイツも揃って頷いた。 新しい仲間……それがどういうものか、分かっているに違いない。姿形はまるで違っても、同じ気持ちを共有できる、そんな仲間というものを。 だから、アカツキとしても、一刻も早く彼らのために新しいポケモンをゲットしなきゃと思っている。 どんなポケモンがいいだろう? ポケモントレーナーであれば、友達であり仲間であり家族でもあるポケモンに選り好みなどしてはいけないのだろう。 だが、人間には好き嫌いというものがあるのだ。 こればかりは理屈でどうにかなるものではない。食べ物や人の好悪は理屈で割り切れるものではないからだ。 「ぼくはどんなポケモンでも好きになれるけどな……」 しかし、ポケモントレーナーとして新人で、子供のアカツキに先入観といったものはまるでなかった。 どんなポケモンとでも友達になれると思っているのだ。いつそういった先入観が芽生えるか知れないという不安など、まるでなさそうだ。 周囲の景色に目をやる。 道路に沿って等間隔に木が植えられており、木と木の間にはところどころ茂みがあったりする。 「いつポケモンが飛び出してきても不思議じゃないと思うんだけどなぁ……」 トウカシティから今まで――時間にしておよそ三時間ほど――、一度もポケモンが飛び出してこないのである。 トウカの森に入ればポケモンがたくさんいるだろうとは思っているものの、ここまで出会いというものがないと、疑いたくなってくる。 ――本当にぼくってトレーナーなのかなぁ……という具合に。 だが、出会いのない旅というのはありえない。 森を根城にして、少しはポケモンとの出会いの機会でも作ろうかと思っていると、 「ハスブレロ、どこ行くんだ〜!?」 突然、叫び声が聞こえてきた。 「チャモ?」 横手から聞こえてきた声に、アチャモはビックリして尻餅をついてしまった。今の声、大人のものではない。 「ぼくと同じくらいの子かな……」 男か女かまでの区別はつかなかったが、それくらいのことは分かった。 「行ってみよっか」 アカツキはアチャモを抱き上げると、アリゲイツと共に、声がした方へと足を向けた。 茂みを掻き分けた向こうに、緑の皿のようなものをかぶった背の低い子供と、その子供を追いかける少年の姿があった。 青みがかった髪の少年はアカツキと同じくらいの背丈だった。 少年が追いかけている子供は、どう見ても年下だというのに、とても足が速かった。 子供と少年との距離が徐々に開いていく。 茂みを掻き分ける音に気づいた少年が、アカツキの方を向いて―― 「そこのキミぃ〜、そのポケモン止めてくれ〜!!」 「え……ポケモン……?」 悲鳴に近い声を上げる。 だが、アカツキは怪訝な顔を少年と子供に交互に向けるばかり。その表情は困惑に満ちていた。 というのも…… 「あれがポケモンなの……?」 緑の皿をかぶった子供にしか見えないのだが…… とはいえ、論より証拠。 アカツキは戸惑い揺れる心を抑えて、ポケモン図鑑を取り出すと、センサーを子供に向けた。 すると―― 「ハスブレロ。ようきポケモン。ハスボーの進化形で、水と草の二タイプを持っている。 陸上での生活に適応するため、身体中をヌルヌルとした粘液で覆っている。 粘液だらけの手で触られるととにかくヌメヌメする。 なお、その姿は人間の子供とよく間違えられる」 スピーカーから流れるカリン女史の声。 図鑑の液晶に映るその姿は、目の前を横切っていく子供とまるで同じだった。 図鑑のセンサーはふたりの博士が自慢するほどの精度だから、それがポケモンであることは間違いないだろう。 だが、本当に子供に見えるのだ。 図鑑で見てみなければ、本当に人間の子供だと思っていたかもしれない。 服だと思っていた身体が、くすんだ青色でなかったら。 「おもしろいポケモンもいるんだなぁ……」 いろんな形のポケモンがいるとは常々思っていたが、人間の子供に似た姿形をしたポケモンがいるとは…… 世界はつくづく広いものである。 「ハスブレロぉ、そっちじゃないって〜!!」 アカツキがそのポケモン――ハスブレロを止めてくれないことを悟ってか、少年が情けない声を上げてポケモンを追いかける。 「ブレロ……?」 少年の声が耳に届いたからだろう。 ハスブレロは立ち止まり、振り返った。 「カイトに勝ちたいんだって!! そのためにはおまえの力が必要なんだ!! どうして分かってくれないんだ!?」 追いついた少年が強い口調で言うと、ハスブレロはムッと頬を膨らませた。遠目に見ても不機嫌なのは分かる。 これって何か危ない展開……? アカツキは直感でそう悟ると、少年とハスブレロに近づいた。 一歩を踏み出したところで、ハスブレロが悲鳴のような声を上げて―― 「わーっ!! そうじゃなーいっ!!」 腕をめちゃくちゃに振り回して、少年に襲いかかったではないか。 追いかける者と追いかけられる者の立場が一瞬にして逆転したのだ。 事情を知らないアカツキは――いや、事情を知らなかったからこそ――、少年を助けようとして、 「アリゲイツ、ハスブレロを止めて!!」 「ゲイツ!!」 アリゲイツが指示に応えて水鉄砲を発射する!! 水鉄砲は狙い違わず、少年を追い掛け回しているハスブレロの横っ面に直撃し、声を上げることすら許さず吹き飛ばした!! 「ゲェッ」 吹き飛ばされた方向に運悪く岩があり、叩きつけられたハスブレロは目を回して倒れた。 「あ、アリゲイツ……そこまでしなくてもよかったんじゃない?」 「ゲイツ?」 アリゲイツは決まりの悪そうな顔で頬をポリポリと掻いた。その顔には一筋の汗が…… 確かに――アカツキは止めろと言った。 だが、水鉄砲で吹き飛ばすことまではしなくてもよかったのではないか。 アカツキは加害者的立場に立っていながら、気絶しているハスブレロに同情していた。 「ともかく、行ってみよう」 大急ぎでハスブレロの元へ駆け寄る。 距離的に、少年の方が先にハスブレロの元へ駆け寄っていた。 少年は無言で、ハスブレロをモンスターボールに戻した。 それからアカツキの方に向き直ると、礼を言った。 「助かったよ、ありがとう」 「え……い、いいよ。でも、どうしてあんなことになったの? よかったら説明してくれない?」 礼を言われるほどのことをしたわけではない。 いや、むしろ逆に『どうしていきなり水鉄砲でふっ飛ばしたんだ!! ケガしたらどーしてくれるんだ!!』と突っかかられると思っていた。 だから、少年の素直な反応に拍子抜けさえした。 「そうだなあ……分かったよ。助けてくれたわけだし……」 アカツキが拍子抜けしていることなど知らぬと言わんばかりに、少年はその場に腰を下ろしてポツリポツリ話し始めた。 「オレ、シンジ。この近くに住んでるんだ。 んで、このハスブレロを育てて、とあるヤツに勝ちたいって思ってるんだけど…… どういうんだか、あんまこいつがやる気見せないんだよな〜」 「そうなんだ……あ、ぼくはアカツキ。こっちはアチャモとアリゲイツ」 「そっか。キミ、アカツキっていうんだな」 「うん」 アカツキはシンジが指の先で回しているモンスターボールを見つめた。 ハスブレロが入っているボールだ。 遠目で見ていただけだから、確証は持てない。 ただ、ハスブレロはシンジがいちいちそんなことにこだわっていることに興味さえを示していなかったように思える。 試しに訊ねてみた。 「キミのハスブレロ、あんまりバトルとかに興味なさそうに見えたんだけど……」 「ああ。この間カイトのコノハナに負けて以来、すっかり自信なくしちまったみたいなんだ……」 「カイトって……キミが勝ちたいって言ってる人?」 「ああ」 シンジはモンスターボールを回すのをやめ、しっかりと手で握りしめた。 しげしげと見つめる彼の瞳には、何やら複雑に入り混じった感情が見受けられた。 もちろんアカツキにはよく分からないのだが…… 「カイトはオレの幼なじみでさ、兄弟のように育ってきた仲だと思ってる。 だから、負けたくないんだ。あいつにだけは負けるの嫌なんだ」 「ライバル?」 「そうなるんだろうな」 シンジはため息を漏らし、空を仰いだ。 先ほどと変わらない青が広がっているばかり。 「あいつに負けることすでに三回……どんだけ頑張っても、頭ひねって作戦組み立ててみても、あいつにみんな見破られてやられちまうんだ。 そんなだから、ハスブレロが自信なくすってのも分かるんだけどさ……」 「…………」 ぼくとユウキみたいだな…… シンジとカイトとやらの関係(?)が自分とユウキのそれと重なるような気がして、アカツキは考え込んだ。 「ぼくとユウキじゃ、ユウキが勝つに決まってるけど……」 比べるのが嫌になるくらい、アカツキとユウキでは所有しているポケモンの知識量が天と地ほどに違いすぎる。 子供の頃からポケモンに興味を持ち、オダマキ博士のフィールドワークを手伝っているのだ、キャリアでさえユウキの方が上だということが分かる。 ハッキリ言って今の自分では勝てる気がしない。 現に、コトキタウンで「少しは強くなっとけよ」なんて手紙に残してたりもしたし…… 「でも、勝つ負けるって問題より、やる前からあきらめるなんて絶対嫌だ」 見え見えの勝負でも、やってみるのとやる前からあきらめるのとでは明らかに違う。 結果論からすれば大差ないのかもしれない。 だが、昔から人はプロセスというものを大切にしてきたのだ。 なら、やるのとやらないのとではどれほどの差があるだろうか。 そんなことを思いながら、ハスブレロと同じように自信を失くしかけているように見えるシンジに言葉をかけた。 「どうするつもりなんだい?」 「あいつに勝つまではあきらめられない」 シンジはモンスターボールを持っていない方の手をギュッと握りしめた。 ゴキッ、と関節の鳴る音が聞こえてくる。どうやら本気のようだ。 「でも、ハスブレロはやる気出してくれないんだ。アカツキはポケモントレーナーなんだろ?」 「うん。トレーナーになって三日目だけど」 「だったらさ、どうしたらハスブレロがやる気になってくれるか、分からないかな……?」 語尾が弱々しい。今にも消えそうな蝋燭の火のようだ。 シンジはカイトというライバルに勝ちたいと思いながらも、彼自身も自信を持ちきれずにいる。アカツキはなんとなくそう思った。 どうすればいいか分からなくて、シンジは自分を頼っている。 トレーナーになりたての十一歳に。 三日目だと聞かされても、何も言わなかった。それくらい、切羽詰まっているのだ。この際、ネコの手でも借りたい状況なのだろう。 自分に何ができるだろうと、ふと考えてみた。 シンジの置かれている境遇が自分のそれと重なって見えるから、力にはなってあげたい。 だけど、『どうしたらいいか』なんて、分かるはずがない。 「力になってあげたいのに……」 具体的な方法が分からないのだ。 簡単な答えは頭にある。 だが、それは根本的な解決とは程遠い。突きつけられている現状を捨てて逃げ出すも同然の選択肢。 やる前からあきらめるのが大嫌いなアカツキには、到底選べないものだ。 「ぼくには分からないよ」 いくら考えても分からなかったから、正直に告げた。 無理に時間をかけるより、現状を認めた上で何らかの策を求めた方がいい。 「だけど、無理にやる気を出させようとしない方がいいと思うな。 ポケモンだって、心を持ってるんだ。だから、無理矢理やらせちゃいけないと思うよ」 「そっか……」 期待していた答えが得られなかったからだろう、シンジは肩を落とした。 だが、 「そうだよな」 アカツキの言葉の意味は通じたようだった。 「無理にやらせたって、あいつがやる気出してくれるわけないもんな。 でもさ、待ち続けるってこともできないんだ。オレには……あいつだって、時間があんまり残されてないんだから」 「え?」 「カイトのヤツな、明後日に引っ越すんだよ。トクサネシティって言って、ホウエン地方の東の島にある町さ。 親父さんの仕事の都合だって言ってた。 だからさ、オレ、あいつが引っ越す前に、一度でもいいから勝ちたい。正々堂々勝負して、勝ちたいんだよ」 そんな事情があるなんて、言われるまで分からなかった。 当たり前だ。 アカツキはシンジと初対面なのだから。他人の胸の内が分かるなどと、思っているわけがない。 「そうなんだ……」 先ほどまでは自分と同じだと思っていた。 だが、今は違う。 ユウキは引っ越したりしないだろう。オダマキ博士もカリン女史も、ミシロタウンの澄んだ空気を気に入って居を構えているからだ。 アカツキだって、ユウキや博士がいるミシロタウンから引っ越したいとは思わない。兄のハヅキだってそれは同じだと思う。 「ハスブレロだって、自信を取り戻しさえすれば、きっとバトルしてくれるって思ってる。 でも、どうすれば自信を取り戻してくれるのか。オレには分からないんだ。 さっきのように強い調子で少しでも言うと、逃げたり追いかけてきたり……」 本気で暗中模索という言葉が似合いそうだった。もしくは支離滅裂でも同じかもしれない。 「自信を取り戻すかぁ……」 考えるだけなら方法はいくつかある。 バトルに対する自信なら、自分は強いんだ!!って思えるような出来事さえあれば、自信を取り戻すことができる。 そのための方法は―― 「バトルを経験させればいいのかって思ってたけど……それ以前にあいつはバトルしたがらないんだ。 負ける原因を作ったオレが悪いのは分かってる。謝ったよ。だけど、あいつは許しちゃくれない」 「…………」 アカツキは押し黙った。 自分がシンジの立場で、カイトとやらがユウキなら…… そこまで悩んだりはしないだろう。 そう思えるのは、シンジが自分とは違うからだ。 「バトル、したがらないの?」 「ああ。カイトに徹底的にやられたからな……」 ふっと口の端に笑みを浮かべるシンジ。 その笑みは何を笑っているものなのか。 アカツキには分かっていた。分かっているからこそ、彼もやりきれない気持ちになる。 力にはなりたい。でも、何をしてあげればいいのかが分からない。 こういった事態に直面したことが今までになかったから、それは当然のことと言えた。 だが、ここから先は当然という言葉で済ませたくない。 力になりたい……そういった気持ちの方が強かったからだ。 「あれ?」 シンジが声を上げる。どこか間の抜けた声だ。 「どうしたの?」 彼の視線を追ってみると―― 変な格好をした、背の高い男女が道を歩いている。傍目から見ればカップルみたいだが、楽しそうな雰囲気や表情ではない。 ペアルックなのか知らないが、赤い半袖のシャツを着ている。 被っているフードも真っ赤で、大人版『赤ずきんちゃん』のような感じだろうか。 ただ、フードの丈夫に角のような突起物がついているあたりがあまり似ていない。 女の方はミニスカート。男の方は長ズボン。さらには二人揃ってサングラス。 これは奇妙な取り合わせとしか言いようがなかった。 「なんだろうね、あれ」 「さあ……」 男女はアカツキたちが向ける視線など意に介する様子もなく、黙々と道を歩いていくだけだった。 その先にはトウカの森が広がっている。 「気になって仕方ないな」 「追いかけてみる? なんか怪しいし。もしかしたら悪人なのかも」 ポケモンを使って悪事を働く人間というのはいつの時代にも存在するのだ。ニュースやら新聞やらでそういったことを知った。 道を歩いている変な格好の男女は、もしかしたらその類かもしれない。 「そうだな。追いかけてみようぜ」 「うん。アチャモ、しばらくボールの中に入っててね」 「チャモ!!」 元気に声を返し、アチャモは捕獲光線に包まれ、モンスターボールに戻った。 アリゲイツは戻さない。 何があってもモンスターボールに入りたがらないのだから、無理に戻す必要もない。無理に戻したとしても、後々火種になるのは必至だ。 「じゃあ、行こう」 アカツキとシンジとアリゲイツは、距離を取って男女の尾行を開始した。 この場に他に誰かいれば、確実に彼らを止めるのだろうが……ストッパーは残念ながらいなかった。 危険かもしれないし、本当は大人に『怪しい人がいる』と話して、警察に連絡してもらうのが正しい選択だろう。 だが、不幸なことに二人してサスペンスのワンシーンを思わせる尾行を行うつもりでいたのだから、どうしようもなかった。 時には木の陰に隠れて。またある時は茂みに身を潜めながら、男女を尾行する。 気が付けばトウカの森に入ってしまっていたが、それでも男女の歩みは止まらなかった。 アカツキたちのことに本気で気付いていないのか、あるいは気付いていながらも気付いていない振りをしているだけなのか。 そこまで考える余裕はなかった。 緊張感があるからだろうか。ギュッと握った拳の中はすっかり汗に塗れていた。 森に入って一時間ほど経った頃―― 男女の歩みが突然止まった。 何の前触れもなく止まったことで、慌てたのはアカツキたちの方だった。 「気付かれた……?」 心臓がばくんばくんと大きな音を立てている。 見つかったら、たまたま森に用事があって……などという言い訳はできないだろう。 もしかしたら、少しくらいは殴られるのかもしれない。 だが、こちらにはポケモンがいるのだ。人間とポケモンでは力の差が歴然としている。 そんなに心配する必要などないのかもしれない。 それでもなんとなく怖くなって、シンジに視線を向けた。 ……が、シンジはアカツキよりも気が強いらしく、今から逃げようなどということは言い出さなかった。 「もうちょっと様子を見ようぜ」 ここまで来た以上、手ぶらで帰るのも癪である。怪しいにしろ、怪しくないにしろ、木陰から男女の様子を窺うことにした。 二人は何やら小声で話している。 距離が開きすぎているせいで、何を話しているのか分からない。 読唇術でもあれば分かるのかもしれないが、それを今から期待したところで何の意味もない。 そして―― 男女が身体ごと振り返ってきた。 「何をコソコソしている? 誰かは知らんが、尾行の技術は話にならんな」 整った顔立ちの男が低い声で言った。 「気付かれてるし……」 アカツキは胸に手をやった。 ばくんばくんと、先ほどにも増して大きな音を立てている心臓。緊張は身体によくないなどと言うが、それは本当のことかもしれない。 そう思った時だった。 「出てこないなら、こちらに考えがあるのよ」 鼻筋が高く、サングラスさえしていなければ美人だと言うことが分かるような女が懐からモンスターボールを出した。 男は腰に身に付けていたらしいが、同じだった。 アカツキはそれを見ていなかった。見えるはずがない。馬鹿正直に出て行ったところで何になるのだろう。 「ズバット、超音波」 男がモンスターボールを軽く放り投げると、閃光と共にコウモリのようなポケモンが姿を現した。 コウモリのような、ではなく、実際にそのポケモンはコウモリそのものだった。 パタパタと羽音をちらつかせながら飛んでいるポケモン――ズバットは超音波を放射した。辺り一帯に不協和音が響き渡る。 森という場所柄、音が反響しやすいから、不協和音に輪をかけたすさまじい音波が鳴り響く。 「う……なに、これ……?」 鳴り響く異音に、アカツキは頭を抱えて屈み込んだ。その拍子によろけてしまい――木陰から身体がはみ出してしまった。 「しまった……」 地面に手をついて身体を支えたが、ハッとした時にはすでに男女に見つかっていた。 「子供か……」 二人の視線がアカツキに向けられた。 シンジはまだ見つかっていないようだ。 ふたりはアカツキの方へ歩いてきた。シンジは道を挟んだ反対側の木陰に身を潜めている。不協和音に耳を塞いでじっとしている。 少しでも気を抜けば、身体がおかしくなってしまいそうだ。 だが、男女は何事もなかったかのように悠然と進んでくる。 耳栓をしているようには見えなかったが、この音波に慣れているのかもしれない。 不協和音が身体の自由を奪い、立ち上がることさえできない。アカツキは歩み寄ってくる彼らを見上げることしかできなかった。 地面に膝をつき、塞いだ耳に入り込んでくる不協和音と戦いながら。 「なぜ我々の後を尾けるようなことをした?」 「…………」 アカツキは答えない。 怪しかったから……なんて言えなかったわけではない。 男の背後を飛び回っているズバットが放つ超音波のせいで、声を出せなかったのだ。 「おや、どうやらもうひとりいたみたいね」 「シンジ……?」 シンジも見つかってしまったようだ。木陰は木陰でも、男女の立つ位置が変わっているから、同じ場所でも見つかって当然なのだ。 女が屈み込んでいるシンジを強引にアカツキの隣に引っ張ってきた。 男はアカツキとシンジを値踏みするような目で交互に見やると、口を開いた。 「もしや、おまえたちは噂に聞くアクア団の少年小隊か?」 「アクア団……? 何、それ?」 男の声は、超音波が飛び交う中にあって、確かに聞こえていた。 それなのに、自分たちが発した声はまるで届いている様子がない。 しかし、女は口の動きでアカツキが言ったことを理解したようだ。 「どうやら違うみたい。でも、どうする? 我々の活動を見られた以上、このまま黙ってお帰り願うわけにもいかないでしょ」 「そうだな」 サングラスの奥から向けられる視線。 直接目と目が合ったわけでもないのに、氷のような冷たさが宿っていることに気がついた。 アカツキは言い知れない恐ろしさに背筋が震え出すのを止められなかった。 傍にはアリゲイツがいる。彼と同じように頭を抱えてうずくまっている。 「戻しておけばよかった……」 アカツキは痛烈に後悔した。 いくらアリゲイツがモンスターボールに入りたがらなくても、ボールの中にいれば、この不協和音を耳に入れずに済んだのだ。 「だが……」 男の視線が、アリゲイツの方へ移動する。 アカツキも男の視線を追う。 アリゲイツは―― 「ゲイツ……」 歯を食いしばって立ち上がった。 その顔には怒りが色濃く浮かんでいる。家族であるアカツキを苦しめていることに憤りを感じているらしかった。 「根性のあるポケモンだな。これはおとなしくお帰り願うのは無理かもしれない」 「相手は私がしてあげる。いらっしゃい、バクーダ」 女がモンスターボールを投げると、その目前にポケモンが出現した。 「バク――――――ダッ!!」 それは炎のように赤いフタコブラクダだった。 コブは岩のような色を呈しており、身体の側面には青い輪が三つ横に並んでいる。背の高さはアカツキと同じくらい。 「げ、バクーダ……」 シンジが弱々しい声を上げた。 「バクーダ……?」 どんなポケモンなんだろう。 そう思いながらも、しかしアカツキに確かめる手段は皆無だった。 ズバットが発している不協和音が身体の自由を奪っているのだ。 「アリゲイツ……無茶だけはしないで……」 「ゲイツ!!」 任せておけ。 弱々しいトレーナーの声とは裏腹に、大きい返事をするアリゲイツ。 「そんな小さなポケモンなんて、敵じゃなくてよ」 女は小さく笑うと、バクーダに指示を下した。 「バクーダ、一思いにやっておしまい。噴火!!」 「バク――――――――――ダ!!」 指示を受けて、バクーダが全身を小刻みに震わせる。 一体何をしようとしてるんだ……? アカツキは不協和音から耳を守るのに――それもほとんど無意味だったが――精一杯だった。 立ち上がることもできなければ、ポケモン図鑑で調べることもできない。 ぼんっ!! 耳を劈く大音響。 刹那―― バクーダの背中のコブから大量の炎が噴出した!! それは文字通り噴火だった。 大音響によって不協和音が途切れ、アカツキはすかさず立ち上がった。 「うん?」 男は眉を上下させるだけだった。 女が噴火を指示したあたりで、こうなるであろうことは容易に想像できたからだ。だが、それは問題にならない。 アカツキはすかさずポケットからポケモン図鑑を取り出し、センサーをバクーダに向けた。 「バクーダ。ふんかポケモン。ドンメルの進化形。 身体の中に小さな火山を持つ。背中のコブから高温のマグマを吹き上げることがある。 一般的に怒りやすい性格をしているので注意が必要」 今の状況によく合う説明が流れる。 噴出した炎はアリゲイツめがけて降り注ぐ!! 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 アリゲイツが口を大きく開き、最大パワーで水鉄砲を噴射!! 水と炎が激しくぶつかる!! シュゥゥゥゥゥゥゥゥ……音と共に水蒸気が生まれる。 「なかなかやるわね。でも……」 最初は―― アリゲイツの水鉄砲とバクーダの炎は互角だった。 だが、徐々にバクーダの炎がアリゲイツを圧倒していく!! 「アリゲイツ!!」 アリゲイツは必死の形相で水鉄砲を噴射し続けているが、バクーダとのパワーの差は明らかだった。 徐々に――しかし加速度を増しながら、炎がアリゲイツに迫り来る!! 「アリゲイツーっ!!」 水鉄砲でさえ消せないような炎の威力はすさまじいのだろう。 アカツキは図鑑をポケットにしまうと、アリゲイツを抱えてその場を飛び退いた。 直後、炎が先ほどまでアリゲイツがいた場所に突き刺さる!! その場所は真っ黒に染まっていた。地面が激しく焦げ付いてしまうほどの高温にさらされたのがよく分かる。 「無事だったかい……アリゲイツ……」 「ゲイツ……」 アリゲイツを抱えたままでは着地などできなかったから、アカツキとアリゲイツの身体は地面に叩きつけられるような格好になった。 だが、こうしなければアリゲイツはもっとひどいダメージを受けていただろう。そう考えれば、少しくらい痛い想いをしてもいい。 しかし…… 「今すぐアリゲイツをモンスターボールに戻しなさい。そうしてくれれば、無駄なバトルはしないでおいてあげるわ」 バクーダを従え、女が一歩踏み出した。 レベルの差は火を見るより明らかだった。無駄なバトルはすべきでない。 「そして、私たちと会ったことは忘れること。それさえ約束してくれたら、帰っても結構よ。ね?」 「そうだな。いいだろう」 承諾を求めるように顔を向けると、男は軽く頷いた。 そして、ズバットをモンスターボールに戻す。 アカツキは―― 背中にアリゲイツを庇い、男女を睨みつけた。 普段の彼からは考えられない表情だ。いつもに増して尖った視線。だが、大人にとってそれは単なる強がりにしか映らなかった。 「戻すつもりはないみたいね。アリゲイツもやる気みたいだし……」 女はため息を漏らした。 ――バクーダの力を見たでしょう? 無駄だと分かりきっていることにどうして挑戦できるの? そんな感じだった。 だが―― 「やる前から逃げるなんて、ぼくはそんなの嫌だ!!」 「アカツキ……?」 シンジは信じられないものでも目の当たりにしているようだった。 この状況を考えてみろ。男女の言葉に甘えておくのが一番のはずだ。 このバクーダはよく育てられている。 それも、完全にバトルに特化(シフト)しているから、その強さもハンパではない。 いくら相性が有利でも、ポケモン自身のレベルに差がありすぎる。 相性などバトルを左右する要素の『ひとつ』に過ぎないのだ。相性でバトルが決まるわけではない。 だから、とても勝てるとは思えない。 それなのにどうしてアカツキは『逃げるのは嫌だ』と言うのだろう。 不思議でたまらなかった。とはいえ――自分だけお暇する、という考えだけは持てない。 そんなことをしたら本気でやりきれなくなる。 子供に睨みつけられても怖くないと言わんばかりに、女は口元に酷薄な笑みを浮かべた。 「ねえ、勇気と無謀は別物だって知ってる? 君のアリゲイツじゃ、私のバクーダに勝てないわ。いくら相性が有利でもね。 なのにどうして自分を苦境に陥れるようなこと言うの?」 「逃げたら目標が遠のくからに決まってるじゃないか!!」 アカツキはギュッと拳を握り、立ち上がった。 目標――目指すもの。それは黒いリザードンだ。 今ここで逃げたら遠のいてしまうように思えた。 困難から逃げてしまうような腰抜けにゲットされるのでは、リザードンだって無様で仕方ないだろう。 「仕方ないわね……なら、少し痛い目を見てもらうことになるわ。いいでしょ?」 「致し方あるまい。だが、やりすぎるなよ。おまえはやりすぎるきらいがあるとリーダーも仰せだからな」 「分かってるわよ。ちょいと本気を出せば大丈夫」 男の言葉に、口元の笑みを深める女。 自信満々な笑みだった。アカツキのアリゲイツなど恐れるに足りないと思っているのだろう。 「それじゃあ、見せてもらいましょうか。君の決意とやら……んじゃ、行くわよ。バクーダ、火の粉!!」 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 指示が同時に飛び―― 技を放つのも互いに同時だった。 バクーダの口から無数の火の粉が吐き出され、アリゲイツの口から水鉄砲が噴射された!! 「なんて威力なんだ……」 アカツキは焦りを感じていた。 アチャモが吐き出す火の粉とは威力が格段に違う。 火の粉と水鉄砲がぶつかり合い、水蒸気だけを残して相殺!! 「さすがに火の粉程度じゃやられないわね。それならこれでどう? ――穴を掘る攻撃」 「アリゲイツ、もう一度水鉄砲!!」 バクーダが激しく足踏みをすると、足元の地面が陥没し、その身体が徐々に地面の下に潜っていく。 一方、 アリゲイツは水鉄砲を噴射しなかった。 その隙を逃すまいと、数秒と待たず、バクーダの姿が完全に見えなくなった。 「どうしたの、アリゲイツ?」 アカツキはアリゲイツを見やった。 全身に汗をかいている。 呼吸も荒く、気力だけで立っているようにも感じられる。最大出力で水鉄砲を噴射し続けたため、限界に近づいたのだ。 バクーダは巨体で、動きはそれほど素早くない。 だから、普通に戦えば、穴を掘って逃げおおせる前に、水鉄砲を当てることができたはずだ。 それができなかったのは、体力を消耗しきっていたからだ。 先ほどの噴火に対抗して水鉄砲をフルパワーで放ったのが災いした。 「ほら、余所見なんてしてちゃダメでしょ!! バクーダ!! やっておしまい!!」 女の声が朗々と響き―― どがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! アカツキの足元に亀裂が走ったかと思うと、真下から凄まじい力で押し上げられ、空中に投げ出された!! 「うわぁっ!!」 アカツキはアリゲイツを空中で抱きかかえた。 とても苦しそうな顔をしているアリゲイツ。こんな時はモンスターボールに戻すべきなのだろうか……未だに迷っていた。 どういう理由があってモンスターボールに入りたがらないのかは分からない。 だが、傷ついたり疲れた時には? トレーナーとしての判断が試されているのだが、アカツキは明確な答えを見出す間も与えられなかった。 アリゲイツを抱きかかえたままの状態で地面に叩きつけられた!! 「ぐっ……」 激痛が走る。 骨折でもしたかのような痛みだが、幸い骨折はしていなかった。 アリゲイツは彼の腕の中でぐったりしている。 いつもは使わないパワーまで使い切ったのだ。疲労が極限に達していても何ら不思議ではない。 それでも―― 「ゲイ……ツ……」 「アリゲイツ!?」 アカツキは目を剥いた。 アリゲイツは彼の腕の中でもぞもぞと動いているのだ。 まだ戦う意志を捨て切っていないのが分かった。だが、無理に戦わせるわけにはいかない。 「いいんだアリゲイツ。もういいよ。 モンスターボールに戻って。これ以上傷つかなくていいんだよ!!」 アカツキの叫びを聞いて―― シンジの中で何かが音を立てて動き出した。 「なんで戦えるんだ……? 勝てないって分かりきってるじゃないか。 それなのにどうして……」 ついさっき会ったばかりのアカツキが負けず嫌いな性格をしていることを知らなかったから、無理もなかった。 「やる前からあきらめるのは嫌い……か。そっか、そういうことか…… オレに足りなかったのって、そういうことだったんだ……」 シンジは口の端を吊り上げた。 やっと、分かったのだ。これが探している『答え』なのだと。 気づけば、ハスブレロのモンスターボールを握っていた。 「意地で戦おうって言うの? 無駄なことは止めさせなさい。私は、そういうのあまり好きじゃないわ。 でも、やる気だってなら、徹底的に潰させてもらうわよ」 圧倒的優位に立っている女は、どうあっても余裕を捨てていなかった。 「バクーダ、一気に決めるわ。破壊光線のチャージを――」 「ハスブレロ、行けぇっ!!」 女の声を遮り、シンジの声が響く。 力の限りモンスターボールを放り投げる!! 空中で口を開き、閃光と共に現れたのは、ハスブレロだった。 だが、どことなくやる気のなさそうな目で周囲を見回している。 今、自分たちの置かれている状況を理解できないと言わんばかりだった。 「うん……?」 女は怪訝な顔をして、ハスブレロとシンジを交互に見つめた。 「あら、君までやるつもり? 別にそれはそれで構わなくてよ。 手負いのアリゲイツとハスブレロなら勝てるから」 「ハスブレロ!!」 シンジは女の言葉など無視していた。 決めたことだ――今さら躊躇したりしない。 「もっと早くこうしてればよかったんだ。 やっと気づいたぜ。トレーナーになって三日目のヤツに気づかされるなんて、オレもやっぱまだまだってことなんだな」 口の端に笑みなど浮かべ、シンジは声を張り上げた。 「ハスブレロ!! おまえはオレの友達を見捨てられるような薄情なヤツじゃないだろ!?」 友達――? その言葉に反応したのかは分からない。 だが、ハスブレロはハッとした顔をシンジに向けていた。 その時、女の指示を受けたバクーダが口を開き、オレンジ色の光を口の中に生み出した。 ノーマルタイプ最強の技……破壊光線だ。 最強と言われるほどだから、威力はとてつもない。 体力が満タンでも、並のポケモンなら一撃でノックアウトできる。 余波で生み出す爆風にも攻撃力が備わっているため、攻撃面だけで見ればこれほど有用な技もないだろう。 が―― 最強だからこそ欠点も存在する。 完全なモノが何ひとつないという世の理の最たるモノだ。いわばバランスの調整と言ってもいい。 破壊光線を放った後、思いきりエネルギーを放った反動によって、放ったエネルギーを取り戻すまではしばらく動けなくなるのだ。 万が一避けられたり耐えられたりした日には、思いっきり隙だらけになってしまう。 そういったリスクを考慮して、女はバクーダに破壊光線など命じたのだろう。一撃で決着つけるだけの自信があると。 しかし、シンジだって破壊光線の特徴は知っていた。 だからこそ、今しか時間がない。 アカツキのアリゲイツは戦える状態ではない。 いくらポケモンの技が生物を死に至らしめることがないと言っても、どれだけのケガをするか分かったものではない。 生身の人間が食らえば、骨折程度で済むはずがない。 「余計な手間が増えるだけ、賃金アップは望めないかしら」 「無理だ。入る時、契約書にもサインしただろう」 「まあ、そうよね」 女は軽口を叩けるだけの余裕を見せ付ける。 そうすることで「あきらめなさい」と促すように。 『やる前からあきらめるのが大嫌い』 よく考えてみれば、誰だってそうなのだ。 そのことを自分で意識しているか、意識していないのか、それだけの違いに過ぎない。 「ハスブレロ!! 今までおまえの気持ちも考えたことなかったオレが悪いのは、オレ自身が一番分かってる!! でも、今は違う。 オレのことはさておいても、友達を見捨てられるはずがないだろ!?」 「友達……」 アカツキは、アリゲイツを背中に庇いながら呆然とつぶやいた。 出会って、少し相談に乗ってあげただけのシンジに友達と言ってもらえたのだ。 『友達』という言葉の重みは人それぞれ違うように感じる。 「おまえならできる!! やる前からあきらめるなんて、おまえだって嫌だろ!?」 「ブレロ……」 シンジの視線が痛いほどに突き刺さる。それだけ真剣だというのも理解できる。 ポケモンにとってトレーナーとは何であるか? そういった研究もかつてはされていたらしいが、今ではそんな議論自体がナンセンスだ。 なぜなら、本当の答えは誰にも分からないから。 ポケモンが心を持つ存在であるから、そのポケモンごとに考えがある。 よって、答えは千差万別であり、本当の答えはそのどれにも該当しないのだ。 そして、ハスブレロにとってトレーナーであるシンジの存在は――『家族』だった。 アリゲイツがアカツキのことをそう思っているのと同じ、『家族』だ。 『家族』の友達……それは自分にとって大切な存在に違いない。ハスブレロはそう考えたようだった。 だから―― 「ブレロ!!」 目つきを尖らせ、頷く。 シンジはハスブレロと気持ちが通じ合ったことを理解した。 交わす視線だけで、十分すぎることに理解できた。 「何こそこそやってるのか知らないけど、もう遅いわよ!! 発射ァ!!」 バクーダが、口の中に収束したオレンジの光を解き放つ!! 狙いはアリゲイツと、アリゲイツを背中に庇っているアカツキだ。 「ブレロ――――――――っ!!」 ハスブレロが咆えた。 口を大きく開いて―― どばぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! 凄まじい量の水流が迸る!! 「……なっ!!」 女は動揺に顔を引きつらせた。 ハスブレロが――最終進化形に至っていないはずのハスブレロが、バクーダに向かってこれほどの水鉄砲を……いや、これは…… 「ハイドロポンプか……」 男が対照的に、落ち着き払った口調でポツリ。 バトルしているのは女の方だから、自分には何も関係ないと言わんばかりだ。 「冗談じゃないわっ!!」 女はヒステリーに叫んだ。 アリゲイツの水鉄砲などとは本気でケタが違う。こんなハイドロポンプ、今まで見たこともない。 ハスブレロが発射した水流はバクーダを直撃した!! 弱点の上に、水タイプ最強の技、ハイドロポンプをまともに受けた以上、そのダメージは計り知れない!! ハイドロポンプが直撃したことで、破壊光線の軌道がわずかに逸れた。 アカツキの三十センチ脇を通り過ぎた破壊光線は森の木々に突き刺さり、耳を劈く大爆音と爆風を撒き散らした!! 「アリゲイツ!!」 爆音に掻き消されながらも、アカツキは声を上げてアリゲイツを自分の身体で包み込んだ。 破壊光線の余波を少しでも受ければ、今のアリゲイツでは戦闘不能に陥ってしまうだろう。 そうなれば、ポケモンセンターで治療を受けなければならない。 いや、そんなことは問題じゃなかった。 家族であるアリゲイツをこれ以上苦しめたくなかった――だから、自分の身を挺してまで守ろうとしただけのことだ。 損得勘定が一分も入り込む余地のない、純粋な想いだ。 破壊光線を受けた木が道に倒れこむ。 無造作に引き千切られたように、破壊光線を受けた部分は歪に捩れていた。 「くっ……バクーダ、戻りなさい!!」 女はここに来て、初めて苛立ちの口調で言葉を発した。 まさか、格下のポケモンにここまで手こずらされるとは思っていなかったからだ。 苛立つ口調と同じように、表情も険しくなっていた。 「こうなったら……他のポケモンを出してでも……」 手こずらせてくれた礼はしなくてはならないと、女の言葉は現実にならなかった。 ピューっ…… かすかに響くサイレンの音。それは、警察のサイレン音だった。 「時間切れ(タイムアップ)だ。今回は退くぞ」 「やむを得ないわね……」 男の言葉に、女は悔しそうに歯噛みした。 「今回はおとなしく退いてあげるわ。 万が一次会うようなことがあったら、その時は完膚なきまでに叩き潰してあげる。 フフ、そうならないことを祈るのね」 そう言い残し、男女はすごい速さでカナズミシティ方面へ走り去った。 バクーダに大ダメージを与えたハスブレロは、呆然と事の成り行きを見ているだけだった。 どうして自分があんなにすごい技を放てたのか、それさえ分からなかった。 シンジはハスブレロの元へ歩み寄ると、粘液に塗れることも厭わずにその身体を抱き上げた。 「すごいじゃないか、ハスブレロ。おまえだってこんだけの力持ってたんだぜ? なっ、自信持っていいんだよ。 オレだって、今のおまえは本気ですげーって思ってんだからさ」 白い歯を見せるシンジ。 ようやっと―― ハスブレロも笑顔を見せてくれた。 もう何日も見ていない笑顔だ。シンジまでうれしくなってきた。 と、そこへ。 「警察です!!」 警察用に改造された白バイに乗った婦警――ジュンサーが到着した。 第8話へと続く……