第9話 キノココ -Let's together!!- 森の中は陽の光がほとんど差さなかったが、そこそこ明るかった。 それがどういうことなのかはアカツキにとって問題ではなかった。 ここがトウカの森なんだ……というだけで、それ以上でもそれ以下でもなかったからだ。 陽の光がほとんど差し込まないため、気温は外よりも低い。 アカツキもたまに、ぶるっと身体を震わせることがある。 森にアスファルトで舗装された道というのはなかったが、普通に歩ける程度には整備されていた。 その道は森を南北に縦断し、カナズミシティへと続いている。 「こういうのが森なんだなぁ……」 アカツキは森を歩きながら、物珍しそうに辺りを見回した。 ポケモンはトレーナーに似るとでも言うのか――アチャモもアリゲイツもアカツキと同じように周囲に目を向けていた。 アチャモは体内に炎を燃やす場所があるから、どんなに寒くても平気だ。 アリゲイツは水タイプのポケモンだから、元から体温は低め。よって寒さに強い。 要するに、寒さに一番弱いのは人間であるアカツキだった。 まあ、これもまたどうでもいいことだったが。 「なにかポケモン出てこないかな〜」 アカツキはポツリとつぶやいて、手を頭の後ろで組んだ。 森に入って三時間が経過しようとしているが、ポケモンは姿を現さない。 トウカの森は人間の足では抜けるのに二日かかるほど広いので、ポケモンが隠れる場所はたくさんあるということだろうか。 トウカの森だけでなく、ホウエン地方にある森林はとにかく広い。 というのも、ホウエン地方はこの国でもっとも緑が多い地方として知られているためだ。 同じ地方の中に砂漠地帯があるのが不思議なところだが、背反的な二者が共存しているのもまた、ホウエン地方の魅力と言える。 広大な森の中、アカツキは道草などしたくなかった。 一刻も早くカナズミシティのカナズミジムに挑戦しなければならないからだ。 とはいえ…… 「ポケモン、ゲットしたいな」 アチャモとアリゲイツだけでも、なんとかやっていけるかもしれない。 だが『旅は道連れ、世は情け……』という言葉もあるように、仲間は多いに越したことがない。 仲間が多い方がアチャモたちだって喜ぶだろうし、何より自分自身がうれしい。 たくさんの仲間と共に、同じ時間を過ごせる。苦難や喜びだって分かち合える。アカツキにはそんな存在が欲しかった。 しかし、それはある意味、身勝手に聞こえるかもしれない。 それでも、古来より人間とポケモンは時に反目し、またある時は助け合いながら生きてきたのである。 助け合うのなら、アカツキの気持ちは純粋なものであり、間違いではありえないのだ。 屁理屈といえば屁理屈だが、そんなことは微塵も考えていない。 「森の中にはどんなポケモンがいるのかな?」 アカツキはズボンのポケットからポケモン図鑑を取り出すと、ボタンをいくつか押した。 すると、液晶にホウエン地方の全体図が映し出された。チェックマークでトウカの森を示している。 「森には草タイプや虫タイプのポケモンが棲んでいることが多い。 また、それらを主食にする鳥ポケモンも見かけることがあるが、前者の方が数的には圧倒的に多い」 カリン女史の声が流れる。 これもポケモン図鑑の機能のひとつだ。 大雑把ではあるが、ポケモンの分布についての説明をしてくれる。 旅に出るアカツキたちに対する、せめてものプレゼント……としての機能だろう。 と、今図鑑を見ている本人はそう思っていたりするのだが、本当のところはどうだろうか。 「へえ……草タイプや虫タイプのポケモンがいるんだ……」 アカツキは感嘆の声を漏らした。 草タイプのポケモンといえば真っ先に頭の中に浮かぶのが、きのこポケモンのキノココだ。 小さい頃ナオミによく読んでもらった絵本に出てくるポケモン。 名前どおりキノコのようなかわいらしい外見に惹かれて、近所のおばさんがゲットしてきた…… という話を小耳に挟んでいるほど身近なポケモンだ。 「いいなぁ、ゲットしたいな」 炎、水、草タイプが揃えば、どのタイプのポケモンの弱点も補うことができる。 一般的な相性ジャンケンを制することが可能になる。 そのジャンケンを重視してパーティーを組んでいるポケモントレーナーも意外と多かったりするのだ。 「でも、アリゲイツは草タイプのポケモン苦手そうだから、バトルすることになったら、アチャモにお願いするね」 「チャモ!!」 アカツキの言葉に、アチャモが脚をバタバタさせてはしゃいだ。 いつも陽気で、いつも明るい。 そんなアチャモとアリゲイツがいれば、ムードメーカーに困ることもないだろう。 ……なんてことを思っていたら、 「ぎゃぁぁぁぁぁっ!!」 前方から女性の悲鳴が聞こえ、アカツキは思わず身体を震わせた。 いきなり聞こえてきたものだから、一瞬、何がなんだか分からなかった。だが、悲鳴ということは分かった。 「アチャモ、アリゲイツ、行こう!!」 何があるのかは知らないが、とりあえず行ってみよう。 好奇心が強いと言えば聞こえがいいが、ミもフタもない言い方をすれば、厄介ごとに首を突っ込みたがるということだろうか。 悲鳴を聞きつけてしまった以上は放っておくわけにもいかず、アカツキは走り出した。 一分ほど走ったところで、女性が地面に尻込みしているのが見えた。 歳はアカツキよりもずっと上に見えた。 明らかに大人の女性で、茶色い髪を肩口で切り揃えている。 地面に尻込みして、横手の茂みを潤んだ目で見つめているのだが、一体何があったというのか。 腰にはモンスターボールがひとつ。ポケモントレーナーのようだが…… 「あのー、どうしたんですか?」 アカツキが声をかけると、女性は弾かれたように顔を向けてきた。 その表情が驚愕に引きつってさえいなければ、美人で通るに違いなかった。 「はぁ……よかった。誰でもいいから来てくれて」 女性は胸に手を置くとホッと一息漏ついた。その表情は安堵そのものだった。 アカツキは彼女の傍まで行くと、先ほど彼女が視線を注いでいたと思われる辺りに目をやった。 そよ風が吹いているから、がさがさと音を立てて揺れている茂みだった。特に変わった様子は見当たらないが…… 「ありがとう。助かったわ」 彼女はゆっくりと立ち上がると、スカートの裾についた埃を払った。 アカツキには何がなんだか分からない。 悲鳴を聞きつけて来てみれば、「誰でもいいから来てくれて」「ありがとう。助かったわ」なんて言われるし。 別に何をしたわけでもないのだが…… ともあれ、事情を聞いておく必要があるようだ。 「えっと……何があったんですか?」 「とあるポケモンを探しているんだけど、いきなりそのポケモンが飛び出してきたからビックリしちゃったの」 「そうなんですか」 「ええ。でも、心配してくれたのにごめんね。ところで君は?」 彼女がニコッと微笑んだ。 アカツキはドキッとした。大人の女性に、そういう風に見つめられたことがないのだ。 なぜかドギマギしている心を抑えて、名乗った。 「ぼく、アカツキっていいます」 「アカツキ君ね。わたしはアヤカよ」 彼女――アヤカが差し出してきた手を、アカツキはしばし見つめてから、戸惑いながらも握りしめた。 固く握手を交わしたところで―― 「君、ポケモントレーナーなんでしょう?」 「え、うん。まだ四日目の新人だけど……」 ポケモントレーナーと言われても、新米もいいところだ。 胸を張って一人前のトレーナーと言えないから、 「ポケモントレーナーだろう?」 と問いかけられても、素直に首を縦に触れないところはあるのだが、それはそれで仕方がない。 一応、ポケモントレーナーであることに変わりないのだ。 アカツキが何を思っているのか知る由もなく、アヤカは言葉を継ぎ足してきた。 「ねえ、もしよかったら手伝ってくれないかな? わたし、キノココってポケモンをゲットしたいんだけど……」 「キノココを……?」 アカツキはもちろんキノココを知っている。ある意味、一番知っているポケモンだろう。 ここは森だから、きのこポケモンであるキノココが棲んでいるのは間違いないのだが、どうして自分に頼むのだろう? アカツキが抱く疑問は至極当然のものだった。見たところ、アヤカが自分と同じ新米トレーナーだと思えないし…… 実のところ、キノココという種のポケモンはバトルの実力が優れているとは言いがたい。 ゲットするだけなら、状態異常の粉にさえ気をつければ、だいたい誰にでもできるだろう。 それなのに、アヤカは自分にキノココゲットの手伝いをして欲しいと言ってきた。 きっとこれは何かあるんだろう…… そう思った矢先、彼女の方が先に切り出してきた。 「実はね、妹がキノココをゲットしたがってるんだけど、事情があってカナズミシティを離れられないの。 そこでわたしが代わりにキノココをゲットしに来たんだけど…… 実はわたし、虫タイプと草タイプのポケモンがと〜っても苦手なのよ。 見ただけで、さっきみたいに悲鳴上げて座り込んでしまう始末なの。 我慢しよう……っていつも思ってるんだけど、その時になると、どうしてもああなっちゃってね」 「……………」 これにはアカツキでさえ何も言い返せなかった。 虫タイプと草タイプのポケモンが苦手。 トレーナーにもいろんな人がいるから、人それぞれ好き嫌いというものがあるだろう。 で……その好き嫌いを持ったトレーナーが今目の前にいる、と。 だが―― 「カナズミシティ……? アヤカさん、カナズミシティから来たの?」 「ええ。カナズミシティに住んでるの」 「そうなんだ……うん、わかった。手伝うよ」 「ホント? ありがとう!!」 ギュッと力を込めてアカツキの手を握り、上下に激しく振るアヤカ。 彼女の表情は喜びで満ちていた。 とはいえ…… アカツキとしても、単に彼女が困っていたから、というだけの理由で手を貸すわけではない。 彼女がカナズミシティの出身であるということが、手を貸す決定的なトリガーになったのだ。 「ねえ、アヤカさん。どうして虫タイプや草タイプのポケモンが嫌いなの?」 「実はね、わたしは岩や地面タイプのポケモンが大好きで……ほら、草タイプって地面や岩タイプに強いじゃない? だから苦手なの」 「そうなんだ……」 相性の問題というわけらしい。 だが、それでは虫タイプのポケモンが嫌いという理由にはならない。試しに訊いてみた。 「じゃあ虫タイプは?」 「虫が苦手なのよ。小さい頃から」 「ああ、なるほど」 女の子だった、ということか。 確かに大部分の女の子は虫を苦手としている。 それをそのまま引きずって虫ポケモン嫌いのトレーナーになる、という現象がままあるのだ。 ハルカはどうなんだろう…… 不意にそんなことを思ったが、アヤカが口を開いたため、その考えを中断せざるを得なかった。 「さっきわたしの悲鳴に驚いて、キノココは逃げちゃったの。 ほら、あそこの茂み」 「うん」 アヤカが指差した茂みを見つめる。 先ほど風で揺れていた茂みだ。キノココはその茂みの向こうに逃げてしまったらしい。 「君はアチャモを持っているから、キノココとバトルできるはずだわ」 「でも、ゲットするのはアヤカさんでしょ?」 「うん」 「それって違うと思うな」 アカツキは首を横に振った。 「え?」 アヤカはきょとんとした顔でアカツキを見つめているばかり。 事態にひとり取り残されたような表情だが、そんな彼女に、アカツキはきっぱりと言った。 自分の抱いている気持ちを包み隠さず。 「ポケモントレーナーって、自分のポケモンでバトルして、ポケモンをゲットするんじゃないかな。 アヤカさん、ぼくなんかよりずっとずっと強いんでしょ? だったら、大丈夫だと思うなぁ」 「そ、そりゃそうだけど……」 アヤカは表情を崩し、視線を地面に落とした。 彼女だって分かっているのだ。 アカツキの言うことが圧倒的に正しい、ということを。 だが――それとこれとは話が別だ。 言葉の正否はともかく、草タイプポケモンが苦手であることを言葉で克服するのは難しい。 人は理屈で生きているわけではない。感情で生きているのだ。苦手なものは苦手。それだけは今さら変えようがない。 「ぼく、まだ一体も自分の力でポケモンをゲットしたことないけど……生意気だって思うかもしれないけど…… でも、自分の力だけでゲットしたいって思ってる。 できなかったら、その時はぼくの実力が足りなかったってことだと思うんだ」 「わたしならキノココをゲットできるって、そういうこと?」 「うん」 「ダメよ。見るだけであんなだもの。 妹自身がゲットしてくれるのが一番なんでしょうけど、でもダメなの。 妹はカナズミシティを離れることができないのよ。何があったってね。 だから、わたしがゲットしなくちゃ。バトルは――こうなったらしょうがない、わたしがやるわ。 だから、探すの、手伝ってくれる?」 「うん。それならいいよ」 アヤカがそう言ってくれたので、アカツキとしても本心からキノココを探してあげようと思えた。 さっきは気づかないうちに生意気な口を利いたが――アヤカはどうやらそう受け取らなかったらしい。 正論だから生意気も何もあったモンじゃないということか。 「じゃあ、行きましょ」 アカツキは頷き、アヤカと共に先ほどキノココが姿を消したと思しき茂みの向こうへと足を踏み出した。 道から外れたためか、途端に周囲が暗くなったような気がする。 空気もどこかジメジメと湿ってきて、肌にまとわりつかんばかりだ。 「ゲイツ、ゲイツ!!」 しかし、アリゲイツはなぜか喜んでいる。 水タイプのポケモンだから、湿気が大好きなのだろう。 大気中の湿気が多いということは、湿度百パーセントの水中に近づいているということだ。 本来水中で暮らしているアリゲイツにとっては、故郷を思い出すといったところだろうか。 「ああ、キノココは意外と臆病な性格してるから、静かにしてね」 アヤカが人差し指を口の前に持ってくると、アリゲイツはあっさりと首を縦に振った。 「そんなに臆病なの?」 「ええ。わたしが驚いて腰抜かしただけで逃げちゃうんだから」 「そりゃ、いきなり悲鳴上げられたら逃げるよ」 ポツリ漏らしたアカツキの言葉を、アヤカは聞き逃さなかった。 ぎろりと目玉を走らせて、 「なんか言った?」 「ううん、何も」 据わりまくった目で睨まれて、アカツキは慌てて首を横に振った。 何か、今とてもアヤカが恐ろしく見えたのは果たして気のせいだろうか? 一瞬角が生えてたり、目が血走っていたように見えたが……きっと気のせいだろう。そんなの人間じゃないから。 アカツキは気を取り直し、キノココの姿を探したが、アヤカが悲鳴を上げたのに驚いて、遠くへ逃げてしまったらしい。 それからしばらく、ふたりは黙々とキノココを探していた。 本やテレビで見たことはあったものの、現物を見るのは初めてだ。だから、アカツキの心は期待に弾んでいた。 自分がゲットするワケではないが、見られるだけでも十分にうれしい。ポケモン図鑑のページを埋めるのにも一役買うだろう。 「そういえば君、トレーナーになって四日目だって言ってたけど」 「うん。そうだよ」 アヤカの言葉に、アカツキは辺りを見回しながら頷いた。 その頃には、すでにふたりは森を南北に貫いている道からかなり離れた位置にいた。 アヤカが言う分には、キノココは臆病な性格だから、人の通り道にはめったに現れないとのこと。 探すのなら人の通らない場所に限るわ――、アカツキにはよく分からなかったが、彼女の言葉に従うことにした。 「四日目ってことは、そんなに遠くから来たってわけじゃないんでしょ?」 「うん。ぼく、ミシロタウンから来たんだ」 「へえ、ミシロタウンからねぇ……」 アヤカが感嘆のため息を漏らす。 何かあるのかな……? アカツキはそんなことを思いながら遠くの茂みに目をやった。 と、そこへ―― がさがさ…… 小さな音と共に、茂みがかすかに動いたのを見逃さなかった。 「ん?」 その茂みへと、足音を殺しながら近づく。 アヤカは別の場所を探しているようで、アカツキが足音を殺していることにも気づいていない様子だ。 そーっと近づいて、静かに茂みの奥を覗き込む。 すると―― 「キノッコーっ!!」 「あ……キノココ!?」 アカツキが覗き込んだことに驚いてか、茂みの向こうにいたポケモン――キノココが叫んだ。 その叫び声を聞きつけたアヤカがものすごい勢いでこちらに向かって走ってくる。 「キノッコーっ!!」 アヤカが立てるドカドカという足音にさらに驚いたようで、キノココはアカツキに背を向けて逃げ出した!! 朽葉色の身体は、一風変わった形のシャンデリアを思わせるが、その感触はぷにぷにしていてとても気持ちいい。 その身体の下に緑色をした二本の足がついていて、ちょこちょこと逃げている。 スピードはというと…… 「見つけたわよっ!! 今回は逃がしませんっ!!」 茂みを飛び越え、キノココの前方に素早く回り込むアヤカ。 ……要するに、キノココの逃げ足が感動的なまでに遅いと、そういうわけである。 「うっわー、すっごい……」 アカツキはアヤカの脚力に驚きを隠しきれなかった。 十数メートルは離れていたのに、ものの三秒と経たずに茂みを飛び越え、キノココの前方に回り込んだのだ。 女の子ってこんなのかな……なんて、ありもしないことを勝手に想像する。 「アカツキ君、ナイス!! さぁて……キノココちゃん。ここでゲットしちゃうわよ〜っ!!」 やたらと弾んだ声を上げながら、アヤカは腰のモンスターボールを手に取った。 「キノッコーっ……」 キノココはアヤカを見上げていた。 それも、怯えきった目で、ぷるぷると身体を震わせながら。 というのも、彼女の目がとにかく据わっていたからである。 さっきはキノココを見て腰を抜かしていたというのに、今はどうだろう。 腰を抜かすどころか、苦手意識を通り越しているようにしか見えない。 完全に覚悟を決めたというか、苦手意識さえ喜びで抹殺したとでもいうのか。 「キノココ、なんだかかわいそうだな……」 こんな怖い思いをしてゲットされるのは、さすがに気の毒で、アカツキはなぜかキノココに同情していた。 さっきとまるで違うアヤカの態度に戸惑っているのは、アカツキも同じだった。 「んじゃ、まずはバトルから!! 行くのよ、ココドラ!!」 アヤカがモンスターボールを投げる!! 着弾と同時に飛び出し、キノココと対峙したのは―― 「ココー……」 やたらと小さな鳴き声を上げるポケモンだった。 灰色と言うよりも銀色に近い色をしていた。 甲羅を背中に負い、同じ色の四本足と、身体の大きさを考えると頭でっかちと言わざるを得ない。 背丈はキノココと同じくらいで、約三十センチから四十センチ。 大きな青い目が印象的なそのポケモン――ココドラを見るのは初めてだった。 「このポケモンって……」 図鑑を取り出し、センサーを向ける。 「ココドラ。てつヨロイポケモン。 鋼の身体を作るために鉄鉱石を山から掘り出して食べているポケモン。 鋼鉄の身体を持っているため、とにかく硬い。ハンマーで叩いたくらいでは痛みを感じない」 「そっか、ココドラって言うんだ……」 ボソッとつぶやきながら、タイプを調べる。 岩と鋼。二タイプを持ち合わせているポケモンのようだ。 「こりゃ硬そうだな……」 岩なんて見た目で分かるほど硬いだろうし、鋼なんて言われた日には言葉だけで硬いことが分かる。 防御力が高めのポケモンかもしれない。 「さあ、キノココ、勝負よ!!」 高らかに腕を振り上げ、アヤカが叫ぶ。 完全にハイになっているようで、アカツキが見ていることも気にしていないようだ。 「ココドラ、体当たり!!」 グッと拳を握りしめ、人差し指を怯えているキノココに突きつける!! 「ココ……」 ココドラはキノココを見据え、一直線に駆け出す!! 徐々に勢いを増していく!! ビクビクしているキノココは足がすくんで動けないようで―― 「ドラーッ!!」 ココドラの体当たりがスマッシュヒット!! 大きく吹き飛ばされるキノココ。毬のように何度も地面を転がる。 「パワーもすごいんだなぁ……」 すごそうなのは防御力だけではないらしい。 アカツキはアヤカのココドラが強いポケモンだとなんとなく感じていた。 「キノッコーっ!!」 キノココはさっと立ち上がると、頭を震わせた!! すると、キラキラ光る粉が舞い上がった。 キノココの反撃だ。 いくら臆病でも、やられたからにはやり返す、ということだろうか。意外と根性の据わっているキノココだ。 「なんだろう、あの攻撃……」 アカツキはキノココの頭のてっぺんから舞い上がっている光る粉を見つめていた。見たことのない攻撃だ。 対するアヤカは―― 「ココドラ、穴を掘って避わすのよ!!」 「ココドラ!!」 別段動じることもなく、ココドラに指示を下す。 ココドラは懸命に穴を掘り、潜っていった。 キノココが舞い上げた粉は先ほどまでココドラがいた場所に舞い降りるが、何のアクションも示さない。 ココドラがいないのだから、それは当然だ。 今の攻撃は痺れ粉。 成分を含んだ空気を吸うのはおろか、粉が皮膚に付着しただけで全身に鈍い痺れを起こしてしまう、恐ろしいステータス攻撃だ。 痺れは時が経てば徐々に消えていくが、その間動きを封じられるのは、ポケモンバトルにおいて致命傷と言っても差し支えない。 アヤカはキノココが痺れ粉を放ったと知って、ココドラに穴を掘らせたのだろう。 そのココドラは―― 「今よ、攻撃ーっ!!」 アヤカの指示に、地面が大きく盛り上がる!! キノココの真下だ!! 「!?」 アカツキは驚きの連続だった。 キノココは真下から攻撃を受け、宙を舞った!! ココドラの穴を掘る攻撃が炸裂したのだ。 穴を掘って、地面の下から相手を攻撃する技で、嫌らしい技ランキング(ないけど)で、常に上位キープの大技だ。 ココドラの攻撃力の高さはアヤカの自慢でもあった。 草タイプのキノココに穴を掘る攻撃が効果を薄いと言うことを差し引いても、それなりにダメージを与えられたと確信できた。 ――今なら、ゲットできる!! 確信したアヤカは別のモンスターボールを取り出すと、キノココ目がけて力いっぱい放り投げた!! 見事なコントロールで、ボールはキノココに命中!! 弾かれると同時に口を開き、捕獲光線を放ってキノココをボールの中に引きずり込む!! コンッ。 地面に落ちると、ボールが小刻みに揺れ出した。 「一体何が起こってるんだろう……」 アカツキはアヤカの傍に歩み寄り、恐る恐る訊ねてみた。 「アヤカさん、一体何が?」 「ポケモンをゲットしてるのよ。 ああやってボールが震えてるとね、ポケモンが中で抵抗してるのよ。 運が悪いと飛び出してきちゃうわ。そうなるとボールを投げ直さなきゃいけないんだけどね」 「へえ……」 これがポケモンをゲットする瞬間なんだ……アカツキは驚嘆した。 ゲットという行為を一度もしていないので、こういった光景を見るのは初めてだった。 だが、アヤカのバトルを見て、いい勉強になったような気がする。 穴を掘るという技で相手の攻撃を避わしつつ、一撃を加えたのだ。 攻撃一辺倒じゃいけないことは分かっているが、こういう形で鮮やかにできる、というのもすごい。 今のぼくにはとても無理だろうな……ため息を漏らし、そう思った。 と、ボールの揺れが突然止まった。 一体どうしたんだろう……? アヤカは動かなくなったボールを拾い上げると、アカツキに見せた。 「キノココちゃん、ゲットよ」 「え、これがゲット?」 「ええ」 キノココが入った(と思われる)ボールをアカツキは物珍しそうに見回していた。 「アヤカさん、すごいや」 「ふふ、ありがとう」 ボールを受け取ると、腰に差す。 「ココドラ、お疲れ様。いいバトルだったわよ」 続いて、ココドラをモンスターボールに戻した。 「よかったね、アヤカさん。キノココゲットできて」 「そうねぇ。君が見つけてくれたからゲットできたのよ。こちらこそ、礼を言わせてちょうだい」 「え、それほどでも……」 そんな、礼を言われるようなことをしたつもりはないのだが…… アヤカはニッコリと微笑みながら礼を言ってくれた。 先ほどの据わった目つきはどこへやら。すっかり普通の目つきになっている。 「これであの子も喜ぶでしょうね。キノココが欲しいって言ってたから」 「そうなんだ……」 「チャモ?」 アカツキの肩に飛び乗ったアチャモは、アヤカが何を言っているのかよく分かっていないらしく、首を傾げるばかり。 アリゲイツは忙しく辺りを見回している。キノココがいなくなったのが不思議なのだろうか――アカツキにはよく分からなかった。 「アヤカさんのココドラ、すごく強いね」 「そうでもないわ。ムロタウンって知ってる? 離れ小島なんだけど、そこで最近ゲットしたばかりだから……あまり育ててなかったのよ」 「それでもすごいよ」 「うふふ」 ムロタウン。 アカツキもその名前だけは聞き及んでいた。 ミシロタウンの南に位置する島にある町だ。ユウキが言うところによると、結構楽しいモノがあふれてる町なんだとか。 そこにはアヤカが先ほど使っていたココドラが棲息しているのだろうか――だとしたら、ゲットしてみたいな。 アヤカが使っていたからこんなバトルを展開できたのだということすら忘れ、アカツキはココドラをゲットしたいと強く思った。 「さて、キノココをゲットできたことだし、わたしはカナズミシティに戻るわ。 アカツキ君、ありがとね。ご協力、感謝するわ」 「うん……あの、アヤカさん」 「ん、なあに?」 「ぼく、カナズミシティに行きたいんだけど、いっしょに行かない?」 「んー、別にいいわよ。目的地同じわけだし、断る理由もないもん。 それに〜」 アヤカは頷くと、アカツキの傍でキョロキョロしているアリゲイツを見つめ、 「君、結構おもしろいポケモン持ってるみたいだし」 「え、アリゲイツのこと?」 「ええ。アリゲイツなんてホウエン地方じゃあんま見かけないのよ。どこで捕まえたの?」 「えっと……」 アカツキはアリゲイツを見下ろした。 その視線を感じてか、アリゲイツはトレーナーを見上げた。 「ミシロタウンの北に小さな湖があって、そこで釣りをして……捕まえたっていうより、ついてきたって言うか……」 「なるほど……変わってるわねぇ」 腕を組んで、何度も頷くアヤカ。 普通、釣り上げたからと言ってついてくるポケモンなどいない。 釣り上げたら、然る後バトルしてゲットする、というのが一般的なので、かなり変わったケースなのは否めない。 そういう意味では、目の前にいるアリゲイツはポケモンの中でも変り種と呼べるのかもしれない。 アヤカはニヤリとした。 「ホウエン地方にあんまりいないポケモンと一緒に旅できるってのも楽しいモンじゃない?」 胸中ではそんなことを考えていたりする。 一方、アカツキも―― 「アヤカさん、カナズミシティの出身なら、ジムがどこにあるかってのも知ってるんだよね?」 「もちろん。あの大きな街は、わたしのホームグラウンドだからね。 もちろん知ってるけど……あれ、もしかしてジムに挑戦するつもり?」 「うん、そうなんだ」 「あらら……」 アヤカは頭を振った。 アカツキは彼女がどうして頭を振ったのか分からず、首を傾げた。 「ねえ、アカツキ君」 「なに?」 アヤカがアカツキの肩に手を置く。その意味が分からず、アカツキは訝しげに眉根を寄せた。 「少し考え直さない?」 「え、なにが?」 「君はトレーナーになって四日目なんでしょ? それでいきなりジムに挑戦するのは止めておいた方がいいわ」 「どうして?」 「ジムリーダーは強いわ。わたしなんかより、ずっとね。 いきなり挑戦するのが悪いこととは言わないわ。でも、もう少し実力を磨いてからの方がいいと思うの」 「そうかもしれないけど……でも、ぼく、ジムリーダーに勝ってバッジをゲットしたいんだ。 それに、勝ち負けなんてやってみなきゃ分からないでしょ?」 その言葉に、アヤカは呆然とした。 確かにアカツキの言葉が正しいのは分かる。 やってみなくちゃ分からない。たとえ1%の勝率でも、やらなければゼロになるのだ。 だが、アカツキはあまりに子供すぎる。現実を分かっていない。 何も知らずにジムリーダーに挑み、負けて自信をなくしたトレーナーというのを、アヤカは何度も見てきた。 だから、忠告したのだ。アカツキがそういったトレーナーになってしまわないように。 アヤカなりの気配りのつもりだったのだが…… アカツキの目は真剣だった。彼の意気込みがホンモノであることを認めざるを得ない。 ふっとアヤカは息を吐いて―― 「そうね。やってみなくちゃ分かんないわよね。君がやる気なら、わたしが無理に止めるってのも、わたしが嫌な女みたいだもん」 「え、そういうつもりで言ったんじゃ……」 「分かってるわよ」 アヤカは口の端に笑みを浮かべた。 これにはアカツキの方が戸惑ってしまう。 アヤカがどういう気持ちで言ったのか、アカツキとしても分かっているつもりだった。 しかし、それでもやる前から別の選択肢を求めるなど、そんな気はサラサラない。 「まあ、いいわ。 カナズミシティまで三日の道のりだけど、その間に君とポケモンのレベルを上げるしかないわね」 「うん」 結局のところ、そうするしかないわけだ。短い間だがその間にレベルアップを図るしかない。 「アヤカさん、ジムリーダーがどんな人か知ってる?」 「もちろん。 ジムリーダーはツツジっていう女の子でね、わたしより少し年下かな。でも、強いわよ」 「うん。覚悟してるよ」 ジムリーダーが強い存在なんだと知ったのは、センリと会った時だった。 彼のような強さを持っているのがジムリーダーなんだ。 そう思っていたから、生半可な覚悟ではとても戦えないということも分かっているつもりだ。 「そうねぇ……君の勇気をたたえて、カナズミシティに着くまでの間でよければ、わたしからプレゼントをあげようかな」 「プレゼント?」 「そう。君のやる気はホンモノみたいだもん。そんな君にはプレゼント、あげなきゃいけないよね」 「はあ……」 アヤカが何を言っているのか分からず、アカツキは口元に手を当てた。 彼女が人のいいお姉さんであることは分かるのだが……その続きまではさすがに予想できない。 そう、彼女が何者であるか、などということも。 「君が望むんなら、わたしが君のポケモンと特訓してもいいよ」 「え、本当?」 「うん。キノココのゲット、手伝ってくれたもの。そのお礼に、わたしもお手伝いしたいと思うのよ」 「ありがとう、アヤカさん」 アカツキはキラキラと瞳を輝かせた。 アヤカがカナズミシティに到着するまでの間、特訓してくれると言ってくれたのだ。これは貴重な特訓に違いない。 先ほどのココドラを見ていると、アヤカは自分などよりよっぽどキャリアが上であることが分かる。 そんな彼女のご教授を受けられるのだから、これほどありがたいこともない。 情けは人のためならずってこういうこと言うんだなぁ……アカツキはアカツキでなぜかシミジミしていたり。 「善は急げって言うから、早く行きましょ」 「え、もう?」 「当然じゃない。君だって早くジム戦したいんでしょ? それに、わたしもあの子にキノココを渡してあげなきゃいけないからね」 「そりゃそうだけど……うん、分かった」 釈然としないところはあったが、アカツキは頷いた。 瞳のキラキラは影を潜め、真剣な眼差しがアヤカに注がれている。 「へえ、これなら結構イイ線行ってるかもね」 アヤカは胸中でニコリと微笑みながら、ポツリとつぶやいた。 アカツキのことを結構骨のありそうなトレーナーと見たのだろう。 「アヤカさん、短い間ですけど、よろしくお願いします!!」 「ええ、こちらこそよろしく」 礼儀正しく姿勢を正して礼をされ、アヤカは苦笑した。 何もそこまでしなくてもいいのに…… クスクス笑いがそんなことを物語っていたが、アカツキがそういったことを知っているはずもない。 だが、アカツキとしては、特訓をしてくれるのだから、これくらいは当然だと思っているだけだった。 第10話へと続く……