第11話 初めてのダブルバトル -Double battle- 「そうそう、なかなかいい感じになってきたじゃない」 アヤカはそう言うと、満足げに笑みを深めた。 向かい合っている少年――アカツキは胸に手を当てて、ホッとしたような表情を浮かべていた。 今日は早起きして、早々にポケモンセンターを後にした。というのも、アヤカがアカツキに特訓をしてくれると言うのだ。 キノココのゲットを手伝ってくれたお礼だと言っているが、どうやらそれだけではないようだ。 アカツキのことを弟のように見ている節があるのだが、当の本人がそれに気づいていないのが、どうにももどかしい。 まあ、それはともかく…… アヤカは実戦形式で、彼のトレーナーとしての能力と、ポケモンのレベルアップを同時に兼ねる方式を採っていた。 地道に机と向かい合って知識をつけるというやり方も悪くはないが、何よりも実戦形式が一番なのだ。 判断力、技の特性……いろいろなモノを得ることができる。 「これでトレーナー五日目なんて、誰も信じたりしないわ」 額の汗を手の甲で拭いながら、アヤカが一息ついた。 「うん!! ぼくも、なんだか信じられないよ」 アカツキはうれしそうに頷くと、アチャモ、アリゲイツ、ジグザグマに視線を向けた。 旅に出て二日目――要するに四日前か――、初めてのバトルをした頃と比べると、その頃との「違い」というのが自分自身でよく分かる。 アヤカが出しているのはココドラだ。 彼女曰く「カナズミシティの実家に他のポケモンは預けてあるの」とのことだ。 どうしてそんなことをするのか、アカツキには分かるはずもなかった。 仲間は多ければ多いほどいい。そう思っているのだから、至極当然だ。傍にいてくれるだけでも心強い。 だが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろうから、アカツキがとやかく口を挟む問題ではないのかもしれない。 それはともかく、アカツキの三体のポケモンと、アヤカのココドラ。 一体一体それぞれがバトルをするのだが、一巡りしたところで、アチャモとジグザグマはすっかり息を切らしていた。 ワニノコの進化形であるアリゲイツは「まだまだ大丈夫だぜ」と物語るように、ふんふんと激しく鼻息を漏らしている。 一方、アヤカのココドラも、疲れた様子を見せていない。 ココドラはこれから二度進化を控えているポケモンで、実力的には全体的に未完成なのだが、それでも疲れを見せていない。 自分のポケモンとはレベルが違う――格の差を見せ付けられるところだが、だからといって落ち込んでいても始まらない。 進化していなくても、強く育てられているのだから、それは当然だ。 バトルをしてみた感想を言わせてもらうと、 「アヤカさんのポケモン、すっごく強いな……」 その一言に尽きた。 アヤカのココドラは多彩な技を覚えている――三回のバトルでそれがよく分かった。 アチャモに対しては、炎タイプに有効な「穴を掘る」や「泥かけ」。 さらに、ココドラ自身が持つ鋼タイプの技「メタルクロー」。 「メタルクロー」の威力は凄まじく、ジグザグマなど一撃でノックアウト寸前のダメージを受けるほどだ。 しかしながら、それらの技の威力は高い部類に入らない。 他に「アイアンテール」「コメットパンチ」「鋼の翼」などの技がある。 食らったら絶対に痛そうな名前から連想できるように、威力の高い技があるが、アカツキがそんな技を知っているはずもない。 それでもアヤカのココドラが使うと、やたらと威力が高いように思える。 昨日あたりか、あんまり育ててないなんて言っていたが、絶対にウソだと思った。 だが、負けてばかりいられないのも、アカツキのトレーナーとしての正直な気持ちだった。 必死に考えて、技を指示する。 アヤカはアカツキの作戦に応じて柔軟に戦い方を変えてくるが、当然手加減はしている。 失礼だ――などとは言うなかれ。 もしアヤカが手加減無用でバトルしようものなら、アカツキのポケモン三体など、ものの一分と経たずに戦闘不能にしてしまうだろう。 本気でそんなことをすれば、アカツキは自信をなくしてしまいかねない。 彼があまり気の強くない男の子であることを、アヤカはちゃんと見抜いていたからだ。 実力に開きがあると、手加減ができる。 その分だけ、相手に合わせて柔軟に戦える。 幅広い戦いをしてみせることで、自ずと弱点というのを気づかせる……のだが、今のところ、どうやらそこまでは行っていないらしい。 明日にはカナズミシティに到着できそうだから、それまでに気づかせてやらなければならない。 アヤカの脳内にはこれからの特訓メニューが所狭しと「案」として本棚のごとく乱立していた。 絶えずその順番が入れ替わるが、半ば無限ともいえるメニューを常に最適なものに構築していく。 「ぼくは、カナズミジムのジムリーダーに勝つんだ。こんなところで負けてばっかりいられない!!」 胸の内で自分に喝を入れ、グッと拳を握りしめる。 アヤカはアカツキのポケモンの状態を一通り確認したところで、問いかけた。 「どうする? 一休みする?」 「ううん、続けて、アヤカさん!!」 「そうね……」 アカツキが強い調子で言うと、アヤカは口元に手を当てた。 パッと見た目、一番疲れているのはジグザグマだろう。 アチャモとアリゲイツが、メタルクローを食らっていなかったのが大きかったに違いない。 鋼タイプの技は総じて威力が高めだが、炎、電気、水タイプに対しては効果が薄い。 アチャモは「穴を掘る」や「泥かけ」という威力の低めな技を受けているが、それもぜんぶ受けているというわけではない。 敏感なのか、直前で避けてしまうことも意外と多かった。 アリゲイツは言うに及ばず、タフだった。 ココドラでは正直分が悪いと、アヤカ自身がそう思っているほどだ。 相性も悪いが、アリゲイツの実力はホンモノだ。 トレーナーのために全力で戦おうという気迫においては、アチャモやジグザグマの比ではない。 長い間トレーナーの傍にいると、信頼関係が生まれるということか。 そういったモノを最大限生かす技というのも実は存在するのだが、アカツキとアリゲイツにはまだ早いかもしれない。 「ジグザグマは少し休ませてあげた方がいいわね。ココドラのメタルクローをまともに受けちゃったから。 でも、育つのは早いわよ。 そうね、アチャモとアリゲイツにしましょう」 「うん、どっちから?」 と訊ねられ、アヤカはとあることを思いついた。 カナズミシティにたどり着けば、彼と別れることになるのは言うまでもない。 それまでに、少しでも強いトレーナーに育ててやりたい。 アヤカは本心からそう思っている。 目の前にいる男の子は、将来いいトレーナーになりそうな気がする。 女のカンという、アテにならないモノの代名詞だが、それは意外とよく当たるものだ。 他人のことながらも、将来に対する適切な投資と思えば、一概に悪いことばかりではあるまい。 「シングルバトルはまあまあ形になってきたから、次はダブルバトルを試してみましょうか」 「ダブル……バトル?」 初めて聞く言葉に、アカツキは首を傾げた。 三体のポケモンも揃って首を傾げた。 ポケモンはトレーナーに似るのだが、ジグザグマまで首を傾げるのだから、昨日一晩でそれなりに絆を育めたのだろう…… アヤカはそう思い、ニヤリと笑みを浮かべた。 「聞いたことない? まあ、いいわ。教えたげる。 ダブルバトルっていうのは、ホウエン地方で数年前から正式なポケモンバトルとして採用されているルールなの。 普通のトレーナーはだいたい、今までわたしと君がやってたようなシングルバトルが得意なのよ。 でも、相手によってはダブルバトルを申し込まれることがあるわ。 まあ、名前を聞けば分かると思うけど、ルールはお互い二体のポケモンを出して、計四体でバトルを行う、というところね」 「ええっ!? そんなバトルがあるの?」 「あるわよ」 本気で知らなかったのね…… アヤカは驚きを通り越し、さらには呆れさえ通り越して、仕方ないという結論に至った。 というのも、実際ダブルバトルを行っているトレーナーが圧倒的少数だからである。 二体のポケモンを操るということは、思っている以上に大変なことなのだ。 一体だけでも気を遣わなければならないというのに、単純計算で二倍も気を遣わなければならないということになる。 わざわざ疲れるバトルをする必要もない……賢明というか逃げ上手というか、一般的にはシングルバトルがよく行われている。 だから、アカツキがダブルバトルの存在を知らないのも、決して恥などではないのだ。むしろ、知らなくても当然だ。 正式なルールとして取り入れられて数年……それも一部のトレーナーたちだけがやっているのだから、流行らないのも無理はない。 だが、ダブルバトルはトレーナーとしての判断をシングルバトルよりもリアルに、そして正確に求められる。 そういった意味ではトレーナーのレベルアップに一役買うのだ。 「実際、ダブルバトルを行うジムというのもあるから。 もしそういったところに行った時のことも考えると、少しは経験しておいた方がいいと思うのよ」 「そういうことなら……」 生まれてこの方十一年、ダブルバトルなる言葉を聞いたのは初めてだった。 だが、ジムをめぐることに決めたアカツキにとって、今のアヤカの言葉が意識をダブルバトルへと向けさせたのは間違いない。 「君のポケモンはアチャモとアリゲイツ。わたしはココドラとキノココを出すわ」 言葉が終わるが早いか、アヤカは腰のモンスターボールをつかみ、軽く放り投げた。 空中でボールは口を開き、閃光と共にキノココを放出した。 「キノッコーっ」 キノココは飛び出してくるなりかわいい鳴き声を上げた。 アヤカはこのポケモンを妹のためにゲットしたと言っていたが……それなのにこんなところでバトルなどさせて大丈夫なのか。 アカツキの抱く心配を余所に、アヤカは軽快に言葉を紡ぎだした。 「ダブルバトルでは二体のポケモンのバランスがとっても重要になるわ。 今の君とわたしのように、異なるタイプのポケモンを出すのは基本中の基本。 でも、同じタイプが弱点になるような組み合わせだけは絶対に避けること。 下手をすれば一気に押し切られて負けるわよ」 「うん、分かった」 「アチャモの苦手な岩、地面タイプを得意とするアリゲイツに、アリゲイツの苦手な草タイプを得意とするアチャモ。 こういう風にお互いの弱点を補い合える組み合わせというのが一番理想的よ。 相手が先にポケモンを出してきて、万が一、先ほどわたしが言った『絶対避ける組み合わせ』だった場合は別ね。 向こうのタイプに対して有利なポケモンがいれば、そのタイプで固めてしまうのもひとつの手よ」 アカツキは頷いた。 いろいろと難しいことを言われているような気はするが、なんとなく分かる。 ダブルバトルではバトルをする二体のポケモンのタイプ――それも、特にバランスが重要だ。 アヤカの長ったらしい説明を一言に要約すると、こんな感じになる。 「あとはバトルをしている中で見えてくるでしょ。 ルールはお互いのポケモンをすべて倒せば勝ちよ。さあ、始めるわよ!!」 アヤカはこれ以上の説明を端折ると、いきなりバトル開始の宣言をした。 呆気に取られたアカツキは言葉を失い―― 当然、先制攻撃を仕掛けてきたのはアヤカの方だった。 「キノココ、痺れ粉!! ココドラ、穴を掘るのよ!!」 「えっと……アチャモ、キノココに火の粉!! アリゲイツは……ココドラに水鉄砲!!」 バトルに慣れているアヤカが自信満々に指示を下しているのに対し、アカツキの方はいかんせん声が小さく、どこか躊躇いがちに聞こえる。 もっとも、初めてのダブルバトルなのだから、緊張して当然だ。 誰だってはじめから上手くいくはずがない。アヤカもそうだった。 キノココは身体を震わせると、頭からキラキラ光る粉を巻き上げた。 同時に、ココドラがせっせと穴を掘る動作を見せる。 一方、そんなことはさせないと言わんばかりに、 「チャモーっ!!」 アチャモがキノココめがけて火の粉を吐き出し、 「ゲイツ!!」 アリゲイツがココドラめがけて水鉄砲を発射した!! ダブルバトルの醍醐味は、シングルバトルではとても考えられないような戦略さえ立てられる。 それと、思いもよらない攻撃方法を編み出せるということだ。 一体を集中攻撃するもよし、互いに相手を決めてそのポケモンに対してのみ攻撃を行うもよし。 また、パートナーを援護しながら戦うという方法もいい。 まあ、選択の幅が広がる分、トレーナーが広がった分の選択肢を考慮に入れてバトルに臨まなければならないということなのだが。 どちらにしろ、今のアカツキにそんなところまで考える余裕はなかった。 アリゲイツの水鉄砲が、アチャモの火の粉よりも早く目標に到達した!! が―― 間一髪のところで、ココドラは地面の下に姿を消した。 その頭上を水鉄砲が虚しく通り過ぎる。 アチャモの火の粉は、ゆっくりとしたスピードで向かい来る痺れ粉を半分ほど焼きながらキノココに突き進む!! こちらは見事命中!! 「キノッコーっ!!」 弱点の炎技を受け、大ダメージのキノココ!! ココドラは地面の下に姿を消したままだ。 アリゲイツがもう一段階進化すると――実際には最終進化形ということになる――、オーダイルとなる。 オーダイルは「地震」という技を使うことができる。 「地震」は、地面に潜った相手に対して恐ろしいほどの大ダメージを与えられる技だ。 威力、攻撃範囲共に広く、この技を覚えられるポケモンを重宝しているトレーナーも多い。 とはいえ、ないモノねだりをしても仕方がない。 本人がそういった自覚さえ持っていないのだから、教えるだけ無駄だろう。 キラキラ光る粉が、徐々にアチャモとアリゲイツに迫ってくる。 「アチャモ、アリゲイツ、下がって。 アチャモ、もう一回火の粉を発射して、粉を焼いて!!」 「チャモーっ!!」 さっと後退し、アチャモが再び口を開いて火の粉を発射しようとした――その刹那。 「それを待ってたわ。ココドラ、穴を掘る攻撃!!」 アヤカがアチャモを指差しながら指示を下す。 ぼんぼんぼんっ!! アチャモが火の粉を発射した瞬間。狙いすましたように、ココドラが真下から強襲を仕掛けてきた!! 「アチャモ!!」 真下から加えられた衝撃に、アチャモはボールのように宙に投げ出された!! 今の一撃はクリーンヒットだった。 弱点の上に、急所に当たっている可能性もある。 ポケモンバトルでは、たまに攻撃が急所にヒットすることがある。 弱点の箇所、という意味ではなく、あくまでも『言葉の文』だ。 俗に言うクリティカルヒットみたいなもので、同じ技でも急所に当たればダメージが大きくなる。 姿を現したココドラを見て、アカツキはハッとした。 アチャモが投げ出されるところばかり見ていて、ココドラの姿が今の今まで目に入らなかったのだが、姿さえ見えれば攻撃できる。 「チャンスだ!! アリゲイツ、ココドラに水鉄砲!!」 すかさず指示を下す。 「いいわよ、その調子」 アヤカは今がバトルであることを忘れているかのように、アカツキのナイスな指示を褒め称えた。 このバトルの勝敗は大して重要ではない。 あくまでも、ダブルバトルに少しでも慣れてくれることが重要なのだ。 これは練習だから、負けたところでアヤカのプライドに傷がつくということもありえない。 仲間を攻撃された怒りを抱いているのか、アリゲイツが発射した水鉄砲は先ほどよりも協力だった。 空を駆ける水流は狙い違わずココドラを直撃した!! 「ココーッ!!」 水流の勢いに圧され、ココドラはまるで鞠のように地面を転がった。 だが、そう簡単にアヤカがアカツキの攻勢を許すはずもなく―― 「キノココ。宿り木のタネ!!」 火の粉に打たれてぽてっと倒れていたとばかり思っていたキノココがむくっと立ち上がる。 むっとした表情で、頭から今度は茶色いタネをいくつか打ち出した!! 狙いは、地面に向かって落下中のアチャモだ!! 「アチャモ、火の粉!!」 アカツキはとっさに指示を下した。 宿り木のタネ……なにかこの言葉に不吉なものを感じたような気がしたのだ。嫌な予感というのは、本気で嫌なほどよく当たる。 アチャモは火の粉を吐き出すものの、不安定な態勢で放っているためか、狙いが定まらない。 当然キノココに当たるはずもなく―― 副作用だけはきっちりもたらした。 こともあろうに、アリゲイツの方に火の粉が降ってくるではないか!! 「ゲイツ!?」 アリゲイツは慌てて火の粉から逃げ出すが、キラキラ漂う粉の真っ只中に迷い込んでしまった。 途端に、アリゲイツはがくりと膝をついた。痺れ粉は、まだ空中を漂っていたのだ。 一吸いしただけで、あるいは皮膚に少量付着するだけで、皮膚や呼吸器官から血管に取り込まれ、その成分は全身に鈍い痺れを引き起こす。 アリゲイツにはその症状が現われていた。 ぶるぶると小刻みに震えているのは、寒さのためではない。 全身を駆け巡るのは鈍い痺れ。痛みとはまた違う感覚。 「アリゲイツ……!!」 悪いことはまだまだ続いた。 宙を舞うタネを一発も打ち落とせなかったアチャモに、斜め上から回り込んだタネが一粒触れた。 その瞬間、アカツキは信じがたい光景を目の当たりにした。 タネから芽が出たかと思うと、瞬く間に蔓を伸ばし、アチャモに巻きついたではないか。 「アチャモ!! これって一体……」 アカツキは不安そうな顔を、アチャモからアヤカへと向けた。 一体何がどうなっているのか。 宿り木のタネという通な技を知らないアカツキからすれば、不安がるのも当然のことと言えた。 アチャモに巻きついた蔓から、赤い光が迸る!! 「チャモーーーーーーーーーッ!!」 赤い光は電撃のようにアチャモの全身を駆け巡る!! 宿り木のタネ――草タイプの技で、タネが触れた相手は、瞬時にタネから出た蔓に巻きつかれ、体力をじわりじわりと削られていく。 実に恐ろしい技だ。 地面に叩きつけられるも、アチャモは蔓から逃れようと必死にもがいた。 しかし、それでどうにかなるはずもない。 「アチャモ……戻って!!」 これ以上アチャモを苦しめるわけにはいかない。 トレーナーとして当然の判断だが、アカツキはアチャモをモンスターボールに戻した。 モンスターボールの中では一部のステータス異常が回復する。 氷漬けの状態や、今のような宿り木のタネによる効果など。毒や麻痺は残念ながら時間が経たなければ回復できない。 その頃には、アリゲイツの水鉄砲で吹き飛ばされたココドラも起き上がり、闘志を燃え滾らせた視線をアリゲイツに向けていた。 水鉄砲に対する怒りのように見えるのは、果たして…… 「ここまでにしましょう」 「え、でもまだ決着……」 「とりあえず、ダブルバトルがどんなものか分かってもらえればそれでいいわ。 必要以上にポケモンを苦しめるのは、トレーナーとしてしちゃいけないことよ」 窘めるように言って、アヤカはココドラとキノココをモンスターボールに戻した。 ふたりともダメージをかなり受けている様子だが、満身創痍というほどではない。 ボールの中でゆっくり休めば回復するだろう。 「うん、分かった……」 アカツキは納得しきれない部分を抱えながらも、モンスターボールを掲げた。 「アリゲイツ。戻すよ?」 アリゲイツは必死の形相で首を向けてくると、こくんと頷いた。 ちゃんと了承も得たので、モンスターボールに戻す。 「ジグザグマも戻ってる? 疲れたでしょ?」 「ぐぐぅ……」 ジグザグマは、しかし首を縦には振らなかった。これにはアカツキも驚きを隠しきれなかった。 ジグザグマの茶色い瞳がアカツキに向けられた。 こげ茶の円らな瞳は、まずかわいいという印象を抱かせる。 が、今はそんな印象を抱かせない。まだまだ大丈夫――必死になって訴えかけてくるような…… 「そっか。分かった。じゃあ、おいで」 ジグザグマの意志を尊重することにしたアカツキは、屈みこんで腕を広げた。 「ぐぐーっ!!」 待ってましたと言わんばかりに。 腕を広げ終えるのと同時に胸に飛び込んできた。 ずしりとした重みがのしかかるも、しっかりと腕で抱きしめてやる。ジグザグマの標準体重はおよそ十八キロ。 しかし、そんな体重があろうものなら、アカツキの腕力では持ち上げることも難しいだろう。 重いけど持てないほどではないから、実際の体重は十キロもないのだろう。 「わっ……甘えん坊なんだなぁ、君って」 ジグザグマはアチャモのような頬擦りはしてこなかったが、もぞもぞと腕の中で動いたり、身体を服に擦りつけてきたり…… 後者は野生の習性と言ってもいい。 樹木などに身体を擦りつけることで匂いをつけ、「ここが自分の縄張りだ」ということを主張するのだ。 いわゆるマーキングというもので、トレーナーに身体を擦るという行為は、「ここが自分の居場所だ」と主張しているに他ならない。 もっとも、アカツキにはそれが甘えに見えていたが。 おかげで服が土で茶色く汚れてしまったが、気にする必要もないだろう。 ちゃんと洗って、その間はパジャマでも着ていればいい。 その時も同じことをされたら……という心配は抱かなかった。 というよりも、それが心配などというものではなかったのだ。 「ふふ、ホント、君っていいトレーナーになりそう」 「え……?」 ジグザグマをしっかりと抱いて立ち上がると、アカツキは鳩が豆鉄砲食らったような顔をアヤカに向けた。 何が楽しいのか、彼女は口元に手を当ててクスクスと小さく笑っていた。 「ジグザグマをつかまえたのはまだ昨日のことだっていうのに、ほら、こんなに懐いてる。 わたしの知る限りね、ゲットして二日目でここまでポケモンを懐かせたトレーナーなんていなかったわ」 「そんな、それはジグザグマが……」 「ううん。わたしには分かるの」 なぜか俯いて否定するアカツキに視線を据え、アヤカは言い聞かせるように優しく言葉をかけた。 「君はそう感じていないだけだけど、ポケモンに対してすごく愛情を注いでるの。 昨日、わたしに言ってくれたよね? ポケモンは自分の力でゲットするものだって。 君って、ポケモンに好き嫌いとかってないように見えるもの。それって、本当は大切なことよ。 本来、トレーナーにポケモンの好き嫌いなんてあっちゃいけないわ。 わたしのように、草と虫タイプが嫌いってのは……まあ、多少は仕方ないと思えるような部分があってもね」 「アヤカさん……」 「ま、まあ……」 自分で言ったことに照れているのか、アヤカの顔は火照っていた。 自分でも分かるくらい、やたらとクサいセリフを吐いていたらしい。 「うん、ありがとう。ぼく、がんばってみるよ」 が、アカツキは素直だった。 アヤカの言葉をちゃんと、そのままの形で受け止められた。 「さて……」 アヤカはココドラとキノココのモンスターボールを手に取ると、くるりとアカツキに背を向けた。 赤くなった顔を見られたくない一心での行動だった。 「みんな疲れてるから、ポケモンセンターに戻るわよ。回復したらすぐに出発するわ」 「うん」 アカツキはニコッと笑って、歩き出したアヤカの後を追った。 「ぐぐっ?」 ジグザグマはアカツキの腕に抱かれて、アヤカの背中を見つめて首を傾げた。 ポケモンはどうやら、人間などよりもずっと敏感にできているらしい(笑)。 「ん、どうしたの、ジグザグマ?」 「ぐぐーっ」 優しい声音で尋ねられ、ジグザグマはトレーナーの顔を見上げた。 笑顔はそのままに、優しい瞳が向けられている。 しばらく見つめ合っていたが、アカツキの方が先に目をそらした。 「あら、アヤカさん。どうなされたんです?」 ポケモンセンターに入るなり声をかけてきたのは、ニコニコ笑顔のジョーイだった。 「ちょっとバトルして、それでポケモンも疲れたんで、回復してもらいに来たんです」 「あら、そうなんですか。分かりました。お預かりしますよ」 「はい、お願いします」 アカツキとアヤカは、それぞれふたつずつ、モンスターボールをジョーイに手渡した。 昨日も同じようなことをしたような気がする。 「でも、それは君だったけど」 アカツキは言葉に出さず、ジグザグマの頭を優しく撫でた。 ジグザグに色を変じて生えているのは、頭以外の体毛だ。 頭だけは薄い茶色一色。柔らかい手触りが気持ちよくて、何度も何度も撫でてしまう。 普通なら嫌がるところだが、アカツキのジグザグマは違った。 能天気というか鈍感というか、まるで苦にしていないのだ。 それどころか、気持ちよさそうな顔をして、パチパチと瞬きを繰り返している。 昨日と同じ長椅子に腰を下ろし、ポケモンが回復して戻ってくるのをじっと待つ。 その間、アカツキは考えごとをしていた。 アヤカはロビーの反対側にあるテレビ電話の方へ歩いていった。キノココを渡したい相手――彼女の妹にでも電話をするのだろう。 「ユウキはどうしてるかな……?」 ふと気になった。 五日前、同じ町から旅立った親友は、今どこでどんなポケモンをゲットして、どんな冒険を楽しんでいるだろう……? 親友でありライバルでもある彼のことが気にならないはずがなかった。 ユウキは自分よりもしっかりしてるし、ポケモンバトルの腕も立つ。 それに加えてポケモンの知識も大人顔負けに豊富なのだから、きっとうまくやっているのだろう。 「たくさんのポケモンをゲットしてるのかな……?」 ――気に入ったポケモンがいたら、すかさずゲットしてやるのさ。 いつかユウキがそう言っていたのを思い出す。 彼もポケモンの好き嫌いはなさそうだから、下手をすると数百種類のポケモンをゲットしてしまうのかもしれない。 まあ、旅に出て五日目でそこまでするとは思えないが、もしかしたら……してしまうのかもしれない。 「でも、そうなったら見せてもらおうかな。友達になれるもん」 友達のポケモンは、きっと友達だと、そう思っている。 敵の敵は味方なんて言葉があるが、そんな戯言とは大違いだ。 人間同士なら通用するような方程式でさえ、ポケモンが絡んでくるとそうもいかない。 限りなくいい方向に持っていけるのだ。 他人のことなのに、どうしてこんなに心が弾むんだろう……? アカツキは高鳴る鼓動を確かめるように、胸に手を当てた。 楽しいことを考えているからだろうか、いつもより胸の鼓動は早かった。 「ぐーっ」 かすかに漏れた声に視線を落とすと、 「眠っちゃったかな……」 ジグザグマが目を閉じて、すうすうと気持ちよさそうに眠っている。 きっと寝言だったんだろうと、アカツキは思った。 「さっきのバトルで疲れたんだね。いいよ、ゆっくり休んでて」 腰のモンスターボールを手にとって、ジグザグマを戻した。 ボールの中でゆっくり休んでいてくれればいい。さっきのバトルで一番疲れていたのは(前半)、ジグザグマだった。 後の方はアチャモとアリゲイツがバトルをしていたが、ものの数分で疲れが取れるほど、タフでもないだろうから。 ジグザグマの重みが膝の上から消えたのを感じて、ため息をひとつ。 「あ〜ら、どうしたの? ため息なんかついちゃって」 「あ……」 顔を上げると、ニコニコ笑顔のアヤカがすぐ目の前にいた。 いつの間にやってきたのか。足音さえ聞こえなかった。 「うん。いろんなこと、考えてたんだ」 「ふぅん」 彼女はあまり深く突っ込まないで、隣に腰を下ろした。 「誰に電話してたの?」 「うん、わたしの妹。キノココを楽しみに待ってるって」 「そうなんだ……」 アヤカがゲットしたキノココは、彼女の妹にあげてしまうらしい。 アヤカが育てた方がいいとアカツキは思っていたが、彼女には彼女なりの考えがあるのだろう……結局はそう納得した。 他人の問題に頭を突っ込みたがるわけではないが、気になるものは気になる。 とはいえ……疑問を正直に口に出したところで、アヤカは考えを変えたりはしないだろう。 彼女の瞳の輝きは、意志の強さを如実に表している。 「そういえば、君には兄弟とかはいるの?」 「うん、兄ちゃんがいるよ」 「トレーナーやってるの?」 「うん」 アカツキの返事を聞いて、アヤカは口の端を釣り上げた。 何が楽しいのか、まるで想像もつかない。 「優しくて強いトレーナーなんだ。ぼく、お兄ちゃんのようなトレーナーになりたいな」 「へえ、いいじゃない。そういうの」 アカツキが兄ハヅキに対して抱く感情は、兄弟愛などというものではない。 純粋な尊敬だ。 兄として、トレーナーとして、ひとりの人間として。 ハヅキはナオミと並んで、アカツキが一番尊敬している人物だ。 一年以上会っていないが、その尊敬が揺らぐことは一度としてなかった。 むしろ、離れているからこそ、余計に尊敬できてしまう。 故郷は遠くに在りて思うもの――などという言葉があるが、それと同じような感覚だ。 「無理して疲れたりしない程度に頑張りなさいよ」 ニコッと笑って、アヤカはモンスターボールを受け取りに行った。 アカツキも席を立って、彼女の後を追った。 ふたりがカウンターの傍までやってくると、ジョーイは笑みを浮かべたまま、モンスターボールを渡してくれた。 「回復は終わりましたよ。はい、どうぞ」 「ありがとう、ジョーイさん」 丁寧に礼を言うと、アカツキはアチャモとアリゲイツのボールを腰に戻した。 ずっしりと重くなったような感覚を覚えたのは、ふたりの存在がすぐ傍に戻ってきたからだった。 「さ、行きましょっか。早く出ないと、明日カナズミシティに着けなくなっちゃうわ」 「うん!!」 アカツキと同じく、戻ってきたモンスターボールを腰につけるアヤカ。 ふたりはポケモンセンターを後にして、104番道路を北へ向かって歩き始めた。 「ねえ」 しばらく歩いたところで、アヤカが声をかけてきた。 「え、なに?」 「今の君なら……もしかしたらカナズミジムのジムリーダーといい勝負、できるかもしれないわね」 突然の言葉。 確か昨日はもうちょっと仲間を集めろとか何とか言っていたような気がする。 それなのに、どうして今になって『いい勝負ができるかもしれないわね』なんて言い出すのか。アカツキには分からなかった。 「不思議に思ってるでしょ?」 アヤカは笑みを浮かべた。 アカツキの顔が困惑気味に固まる。 「そうね。 昨日はちょっと否定的な意見言ってたような気がするもの。 でも、君は一日で変わったわ。ううん、変われたの」 「そうかなぁ……あんまり変わったような気はしないけど……」 アカツキは後ろ頭をぽりぽりと掻きながら、ポツリと漏らした。 背が一日に何ミリ伸びようが、見た目でそれが分かるはずもない。 それと同じで、一日で変わったと言われても、今のアカツキには『昨日の自分』と『今日の自分の差』は分からなかった。 もう少し大人になったら、分かるかもしれないけどね……アヤカは胸中でつぶやいた。 「自分で分かるほど変われるってのも、あんまりないけどね」 胸中のつぶやきを押し殺すように、声に出してそう言うと、アカツキの頭を撫でた。 「え……」 アカツキはアヤカの突然の行動に、ビックリしてしまった。一体どうして頭など撫でてきたのか。まるで意味不明だ。 アヤカが自分のことを弟のように見ていることに気づいていなかったから、その理由も分からなかった。 歳の差があるから、弟とは見てもらえないと考えていたのだ。 「君が感じていないところで、きっと君は変わってるの。お兄ちゃんのようになりたいって、思ってるんでしょ?」 「もちろんだよ!!」 「だったら、小さなことの積み重ねっていうのを、大切にしていかなくちゃいけないよ。 塵も積もれば山になるって言葉、あるでしょ?」 付け足して、アヤカは駆け出した。 「ほら、さっさと行くわよ!!」 「あ、待ってよ!!」 いきなり駆け出したので、アカツキは呆気に取られながらも彼女に追いつくべく走った。 風を切る感触がとても気持ちいい。 森の澄んだ空気も相まって、アカツキはさっきのバトルでの疲れを一気に忘れ去ったのだった。 第12話へと続く……