第13話 ジム戦の厳しさ -Not be enough- こんなにも心が弾むのはどうしてなんだろう? カナズミシティのメインストリート――通称『レンガ通り』を歩きながら、アカツキはそんなことを考えた。 通りを行く人の群れはそれぞれが異なる色彩の服を身にまとっている。 まるで色とりどりの花が一面に咲き乱れる花畑の中にいるかのような錯覚さえ覚える。 この通りの向こうに、目指す場所――カナズミジムがある。 ジムリーダーとポケモンバトルをして、バッジをゲットするためだ。 とはいえ、本当の目的はバッジをゲットすることではなく、ジムリーダーとバトルをすることでどれくらい強くなったかを確かめるためだった。 『黒いリザードン』をゲットするに相応しいだけの実力を身につけたかどうか、しっかりと自分自身の目で確かめる必要がある。 ジムリーダーとは、チャレンジャーの力量を測る、凄腕のトレーナーだ。 そんなトレーナーを相手にするのだから、生半可な覚悟と実力ではとても勝つことはできないだろう。 勝てるかどうか分からない――そんな不安は確かにアカツキの胸の中に存在している。 不安になるな、という方が無理に決まっている。 ポケモントレーナーとして旅に出ること六日目。 それまでポケモンバトルなどしたこともなく、旅立って六日目でジムリーダーを相手にしなければならないのは、不安でもあった。 きっと、苦しい戦いになるのだろう。 不安を拭おうとしても、決して拭いきれるようなものではない。 だけど、不安にだけ刈られ、ポジティブな気持ちを持たなければ、結果が上向くこともない。 だから、前向きに考えることで、不安を意識しないようにするのだ。 ジムリーダーの実力が分からない。どんなポケモンを使ってくるかも分からない。 そんな不安を、期待に変えてやればいい。 「ぼくはすごいトレーナーと戦えるんだ。 それに、見たことのないポケモンも見られるだろうなぁ」 こんな具合に、不安を表裏一体にある期待に変えることで、アカツキは今にも押しつぶされそうな心を不安の魔手から辛うじて守っているのだ。 ポジティブ・シンキングがポリシーのひとつである彼からすれば、それくらいのことは造作もないこと。 やる前からあきらめるのが大嫌いなのだから、自然と前向きな発想が浮かんでくる。 ある意味で彼の得意分野と言えるのかもしれない。 通りを百メートルほど北へ歩いたところで、先ほどの考えに答えが導かれた。 「強い人と戦えば、きっとぼくも強くなれるから。 ぼくが強くなれば、リザードンに近づけるから。うん、きっとそうだよ」 結局のところ、五十歩百歩だったりするわけで…… ジム戦でさえ、リザードンをゲットするのに必要な実力を身につけるための通過点にしか過ぎなかったのだ、アカツキにとっては。 だから、通過点なんかでいちいち躓いてはいられない。 「絶対、勝つぞぉっ!」 ギュッと拳を握り、さらに北へと歩を進める。 途中でレンガ通りは枝分かれしており、分岐点には看板があった。 「えーっと……」 アカツキは立ち止まり、看板を凝視した。 「←デボンコーポレーション・本社ビル、中心街。 カナズミジム、高速道路入り口→」 という具合に書かれてあったので、アカツキは看板に従って、右方へ歩き出した。 ここからでは他のビルに隠れてしまい、デボンコーポレーション・本社ビルが見えない。 街に入る前に見た、優雅でいて壮麗な佇まいは、今はお預けだ。 後でゆっくり見に行けばいい。 今できることは――やるべきことはただひとつ。 カナズミジムのジムリーダーとバトルをして、勝つ。それだけだ。 見えないが、次第に遠ざかっていく本社ビルを背後に感じ、アカツキは握り拳にこもる力を増した。 分岐点を右に行くと、先ほどまでと比べて人通りが少なくなった。 それでも、ミシロタウンでは到底考えられないほどたくさんの人間が往来していたが。 人の少なくなった通りを歩くこと十分少々。 通り沿いに、他の建物と明らかに異なるものを見つけた。 隆々とした岩を模したような建物は、二階建てくらいだろうか。 すぐ傍にあるマンションと比較すると、それくらいの大きさに思える。 岩を刳り貫いて建造されたようにも見えるその建物こそ、カナズミジムだった。 「一目見ればわかるわよ」 先ほど別れたアヤカにそう言われたのを思い出す。 「確かに、あれって一目見れば普通の建物と違うって分かるよな」 マンションやらスーパーやらはレンガ通りにマッチした色を壁に施しているが、岩のような建物は、それだけが浮いているように見えてしまう。 周囲と一体になったレンガ通りのモダンな雰囲気を一瞬でぶち壊しているというか……相当のギャップは感じられた。 やがて、その建物の前で、アカツキの足が止まった。 近くで改めて見てみると、ここだけが外界から切り離されているような感じがする。 無機質な岩に見えて、実はどっしりと鎮座している。確固たる存在感――雰囲気があふれだしているかのようだ。 「ここが……」 自分でも分かるほど、やっとの思いで絞り出した声はカラカラに乾いていた。ごっくんと唾を飲み下し、喉を潤す。 建物の正面には、 『こちらカナズミジム。ジムリーダー、岩にときめく優等生・ツツジ。挑戦者の方々、お出でませ』と書かれた看板。 その下に、見た目からしてやたら重そうな扉が据えつけられている。 が、その傍にはインターホンがあった。 人間の力で普通に開けるのが無理だと証明しているも同然だったが、アカツキがそれに気づいているかどうか…… 当たり前だが、気づいているはずもない。そんな余裕はない。 「どうして、こんなに緊張するんだろう……」 先ほどまで胸が弾んでいたのが、まるでウソだったかのように、緊張で握り拳が小刻みに震え出した。 ジムから放たれる雰囲気に飲み込まれてしまったかのような……そんな感じさえしている。 「ここが、ジムだから?」 トウカジムの時も同じだった。 だが、あの時とは比べ物にならない。 緊張という一種の不安も相まって、息苦しささえ覚えるほどだ。 でも…… 「でも、立ち止まってなんかいられないよ」 爪が食い込むほどに拳に力を込め、ジムの敷地内へ足を踏み入れた。 敷地内には何本か木が植えられている程度で、それさえなければ、本気で砂漠にぽつんと佇む一軒の建物にしか見えない。 まあ、ここが街の中だから、それは極端な考え方かもしれない。 重厚な扉の前で足を止める。 「落ち着かなきゃ。ぼくが、落ち着かなきゃいけないんだもん」 息を大きく吸い込む。 ――落ち着け、アカツキ。 心の中でそう言い聞かせ、インターホンに手をかけた。 ピーンポーン。 ボタンを押すと、チャイムの音がインターホン内のスピーカーから何度も反響して聞こえてきた。 ボタンから指を離し、返事が来るのを待つ。 一瞬一瞬が、とても長く感じられた。 一秒……二秒……たかが秒単位だというのに、数ヶ月を過ごしているかのような気がしてしまうほどだ。 『はーい。今行きま〜す。待っててねぇ』 妙に間延びした女性の声が返ってきた。 「ん?」 どっかで聞いたことがあるような……アカツキは声に聞き覚えがあった。だが、それが誰かすぐには思い出せなかった。 コッコッコッコ…… 扉の向こうから、軽やかな足音が聞こえてきたが、次第に足音は大きくなり、突如ピタリと止まった。 刹那―― ゴゴゴゴゴゴ…… 重たそうな音を立て、重厚な扉が左右に押し開かれていく。 自動ドアの一種で、実際はスライドしているのだが、あまりの重さに石臼を引くような音と共に頭の上から砂がパラパラとこぼれ落ちてきた。 そんなのがまったく気にならないくらい、開け放たれた扉の向こうにいた女性の姿が、アカツキにとっては衝撃的だった。 「やっほ〜。意外に早かったわね」 「あ……」 あまりに予想外な展開に、アカツキは言葉を詰まらせてしまった。 茶髪を肩口で切り揃えた、美人と呼んでも差し支えない女性が、目の前でニコッと微笑んでいる。 もちろん、見覚えはあった。 ……というか、さっきまで一緒にいたし。 「アヤカさん……ど、どうして……?」 「どうしてって……決まってるでしょ。ここ、わたしの家だもん」 「ここって……カナズミジムなんだけど」 「だから、そうなんだってば。ここがわたしの家なの」 「……ええっ!?」 驚愕の叫びをあげ、大げさに身を引くアカツキ。 何をそんなに驚いてるんだか……それに、驚くんだったらもっと早く驚いてよ……アヤカは人知れず嘆息した。 「でも、無理もないかもしんないな……」 しかしながら、納得できる面もあるのだ。 まさかジムに自分がいるとは夢にも思うまい。 アカツキにそういった予想がついたかどうかと訊ねられると、アヤカとしてもノーと答えざるを得ない。 しかし―― 「君はジム戦しに来たんでしょ?」 そう切り出して、アカツキを現実に強制的に引き戻す。 アヤカの言葉に、アカツキは真剣な顔で「はい」と答えた。 「じゃあ、入って。ジムリーダーも、チャレンジャーを待っているわ」 頷き、アカツキはアヤカの後について歩き出した。 玄関をくぐると、ひんやりとした空気が肌を刺した。冷たいのはもちろんだが、雰囲気まで外とは明らかに異なっている。 ドアの向こうがすぐバトルフィールドになっているのが、ジムの特徴のひとつである。 チャレンジャーの手を煩わせないために、という心遣いだ。 体育館を思わせる広間は、幅はおよそ十数メートル、奥行きに至っては数十メートルはあるだろうか。 外からは分からなかったが、中はこんなに広かったのだ。 天井には数十個ものライトがぶら下がっており、空間を余すことなく照らし出している。 「ここが……」 アカツキは広間のほとんどを占めるフィールドを見て、声を上げた。 彼の目の前に広がっているのは、土と岩のフィールドだった。 端の方だけがタイル張りになっており、それ以外は岩が乱立、あるいはごろごろ転がっているフィールド。 まるで、洞窟の中を思わせる佇まいだ。 これこそが、ジムのバトルフィールドだ。それぞれのジムリーダーが得意とするタイプに合わせて、ジムの内装に手を加えることができる。 そして、白線で囲まれたコートの向こう側に、少女が立っていた。 まっすぐに、アカツキを見つめている。 視線が合った。 アヤカと同じ茶髪だが、背中にかかるほど長いのでリボンつきのヘアピンでちゃんと留めている。 どこかの学校の制服を思わせるブルーグレーの衣装に身を包み、可愛さと同時に凛々しさが漂ってくる。 見た目から上品さがうかがえるし、意志の強そうな瞳が印象的だ。 「この人が……」 「ええ。カナズミジムのジムリーダー・ツツジ。君の相手となる人よ」 アカツキのつぶやきに、アヤカはちゃんと答えてくれた。 それ以上は言ってこなかったが、アカツキには分かった。 コートの向こうに立っている少女が、キノココが欲しいと言っていたアヤカの妹に違いないと。 見た目もそれなりに似ているし、何よりも雰囲気が酷似しているではないか。 バトルを楽しみにしているのか、ツツジは笑みなど浮かべていた。 名前通り、躑躅の花を思わせるような笑顔だ。バトルを楽しみにしているだけでは、そこまでの笑顔は見せられないだろう。 本気で、心の底から楽しめるような人でなければ、無理だ。 「ようこそ、カナズミジムへ」 ツツジは恭しく礼などしながら、アカツキに言った。 「私(わたくし)がジムリーダーをさせていただいております、ツツジと申します。 ジム戦に入る前に、あなたのお名前を伺っておきたいのですが、教えて頂けます?」 「あ、アカツキって言います」 いきなり礼儀正しくされたものだから、アカツキは戸惑いを隠しきれなかった。 ジムリーダーって言うから、 『はーっはっはっはっは、よく来たなチャレンジャー!! 我こそはジムリーダーの〇〇〇〇だ!! さあポケモンを出せ、いざ尋常に勝負だ!!』 なんて、アニメの悪役よろしく言ってくると思っていたのだが……どうやらそれは思いこみに過ぎなかったらしい。 まあ、そういうジムリーダーが実際にいたなら、それはそれで面白いと言えるのだろうが。 「そうですか……アカツキ君。姉がお世話になりました。ありがとうございます」 「あ……ぼくの方こそお世話になっちゃって……(やっぱりアヤカさん、お姉さんだったんだ)」 どんどんバトルから遠ざかっているような気がした。 このまま世間話でバトルをはぐらかされてしまうような……そんな気はしないでもないが、話をしにここに来たわけではない。 それはツツジにも分かっているようで、 「ですが、それとこれとは話が別ですわね。 バトルでは手加減など一切致しませんので、そのつもりでお願いしますね」 アカツキはその言葉に首を縦に振った。 そうしてくれたらありがたいと思う反面、ジムリーダーとしての職務を全うするぞ、という意気込みのツツジを純粋に尊敬できる。 公私混同はしない。 まあ、義理人情がないと言われればミもフタもないが、ポケモンバトルという辞書に手加減などという言葉は存在しない、ということだ。 「では、ルールを説明させて頂きます。 お互いにニ体のポケモンを使ったシングルバトルを行い、先に相手のポケモンをすべて戦闘不能にした方が勝ちになります。 なお、このジムではチャレンジャーに限り、バトルで使用するニ体のみ、入れ換えが行えるので、よろしければ利用してください。 以上ですが、何かご質問はありますか?」 「いえ、ないです」 「それでは、バトルを始めましょう」 ニコッと笑いながら、ツツジはモンスターボールを手に取った。 スイッチを押して、標準サイズにする。 「じゃあ、ジャッジはわたしがするから。君はコートの端に立って。そこがチャレンジャーの位置になるからよく覚えておいてね」 そう言うと、アヤカは赤と緑の旗を持って、フィールドの外周に沿って歩き出した。 アカツキは今にも心臓が飛び出しそうなほど緊張していた。 ちょっとでも力を抜けば、足が震え出してしまいそうだ。 笑ってはいるものの、ツツジからは想像以上のプレッシャーが放たれているような気がしてたまらない。 普段とバトルの時では鬼神と女神くらい違うのかもしれないと思った。 いろいろなことを考えるうち、アヤカがコートの中央線の延長線上で止まった。 ここがジャッジの定位置(ポジション)だ。左右にジムリーダーとチャレンジャーを望めるこの位置が一番いい。 「ではこれより、カナズミジムのジムリーダー・ツツジ対チャレンジャー・アカツキによる、ストーンバッジを賭けたジム戦を開始します。 お互いニ体のポケモンを使い、相手のポケモンを先に戦闘不能にした方が勝ちになります。 それでは、ポケモンを出してください」 荘厳な雰囲気をその身にまとい、アヤカは粛々と述べた。 旅をしていた時からはまるで想像できない姿がそこにあった。 「カナズミジムは岩タイプのポケモンを専門とします。 では、私から参ります。イシツブテ、出ていらっしゃい!!」 そう言うと、ツツジはモンスターボールをフィールドに放り投げた。 放物線を描き落下するボールの口が開き、ポケモンが飛び出してきた!! 土と岩のフィールドに現れたポケモンはイシツブテだった。 「えっと……」 すかさず図鑑を取り出し、センサーをイシツブテに向ける。 人間の顔より少し大きいくらいの岩に左右の腕(もちろんこれも岩)がついているようなポケモンだ。 眼光鋭く、チャレンジャーであるアカツキを睨みつけている。 「イシツブテ。がんせきポケモン――」 カリン女史のアナウンスと共に、フィールドに現れたのと同じ姿が液晶に映し出された。 「――攻撃力、防御力共に優れたポケモンだが、素早さは遅い。 年季の入ったイシツブテほど身体に丸みを帯びてくるが、気持ちはいつまでも尖ったままという、とても意志の強いポケモン」 一通り説明を終えると、図鑑をズボンのポケットに滑らせる。 「岩タイプみたいだな……それじゃあ……」 アヤカに言われて相性の勉強をしておいたのが、役に立ちそうだ。 アカツキもモンスターボールを手に取った。 「アリゲイツ、頼んだよ!!」 力いっぱい、フィールドにボールを投げこむ!! 放物線を描いて落下。着弾と同時に口を開くと、アリゲイツが飛び出してきた。 「ゲイツ!!」 やる気満々というのを見せ付けるように、ツツジの方を向いて大きく口を開いた。 「なるほど……」 ツツジの瞳が細くなった。 「アリゲイツですか。相性としては、正攻法ということですね」 彼女の言う通りだった。 岩タイプは水タイプが弱点だ。 他に草や格闘、鋼などの弱点もあるが、対峙しているアカツキのポケモン――アリゲイツは水タイプのポケモンだ。 相性としてはチャレンジャーに有利な状態と言えるが、ポケモンバトルは相性がすべてではない。 テクニック、実力など、様々な要素が綿密に絡み合って勝敗を別つのだ。 「イシツブテ対アリゲイツ。バトルスタート!!」 アヤカがジム戦の開始を朗々と告げた!! 「お手並み拝見といたしましょう。どうぞ、打って出てくださいな」 「それなら……」 コートの向こう側にいるツツジは余裕綽々といった様子だった。相性が不利でも、それだけでは決まりませんよ――強気なその表情が物語っている。 アカツキはギュッと拳を握りしめ、 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 指示と共にアリゲイツが水鉄砲を発射した!! 凄まじい水流が虚空を切り裂いてイシツブテに向かう!! 「イシツブテ、避けるのです」 ツツジの指示が飛ぶ。 イシツブテはアリゲイツが発射した水鉄砲を難なく避けてみせた。 距離があったため、避けようと思えば簡単に避けられる。 最初の一発を避けられるとは思っていなかったアカツキは驚きを隠しきれなかった。 なるべく顔に出さないように努めたものの、ツツジが見逃すはずがなかった。 バトルに不慣れな少年が浮かべた、わずかに強張った表情を。 「なかなかの水鉄砲ですね。先手は確かにお譲りいたしました。イシツブテ、岩落とし!!」 ツツジが攻撃技を指示すると、イシツブテの腕が動いた!! 思いきり地面を殴りつけると、周囲に亀裂が走り、広げた手のひらほどはあろうかという岩が舞い上がり、アリゲイツめがけて降り注いでくるではないか!! 「岩落とし……アリゲイツ、避けて!!」 あんなものをまともに食らったらそれこそダメージが計り知れない。 アカツキは極力驚きを噛み殺し、アリゲイツに避けるように指示を出した。 岩落としとは文字通り岩を落とす技で、もちろん岩タイプの攻撃技。 威力こそ高めではないものの、連発が効くことからから、ポケモンに覚えさせているトレーナーが多い。 コートの向こうで腕を組んでいるツツジなんかがそうだろう。 がすっ、がすっ、がすっ!! アリゲイツがさっと飛び退くと、先ほどまでいた場所にイシツブテが放った岩が直撃した!! よほど勢いが強かったのだろう、岩は地面にぶつかるなり、バラバラに砕けた。 「イシツブテ、転がる攻撃です」 アリゲイツが降ってくる岩に悪戦苦闘している間に、ツツジが次なる指示を下す。 イシツブテは思いきりジャンプすると、体を丸めて着地。次の瞬間にはものすごい勢いで転がり始めた!! 標的はもちろんアリゲイツだ。 「アリゲイツ、気をつけて、イシツブテが転がって来てるよ!!」 注意を飛ばすが、アリゲイツに届いているかも分からない。 辛うじてすべての岩から身を避わしたアリゲイツに、猛スピードで転がってくるイシツブテ!! 「ゲイツ!?」 いつの間にやら距離が縮まっていたのでアリゲイツは驚いていたが、間一髪のところでイシツブテの攻撃を避わした。 アリゲイツの脇を行き過ぎたイシツブテはその先にあった、人の大きさほどはあろうかという岩を易々と打ち砕くと、Uターンしてきた!! 「ええっ!?」 これにはさすがにアカツキも驚愕の叫びを上げてしまう。 あれだけのスピードをほとんど殺さずにUターンなどしてきたのだ。 岩をあっさりと打ち砕いてきたところからして、威力も折り紙つきに間違いない。 それに…… 「スピードが上がってる!?」 気のせいかと思ったが、本当だった。 イシツブテの転がるスピードが上がっている!! 転がるという技は、ポケモン自身の身体を用いた攻撃だが、意外にも岩タイプに分類されている。 名前通り、転がって相手を攻撃するのだが、転がり出すとどんどんスピードが上がっていく。 避わせば避わすほど首を絞める結果になりかねない、実に恐ろしい技なのだ。 名前はオーソドックスにしても。 「アリゲイツ、もう一度水鉄砲!!」 アカツキは再びアリゲイツに水鉄砲を指示した。 転がる攻撃で一直線に向かってきている以上、この攻撃は避わせない――と踏んでの指示だった。 アリゲイツが口を大きく開き、水流を発射する!! アカツキの読み通り、イシツブテはアリゲイツめがけて一直線に向かってきているため、水鉄砲から逃げられない!! が―― 最後までは読みきれなかった。 ブシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!! 確かに水鉄砲はイシツブテを直撃した。 だが―― 「そんな、効いてない!?」 イシツブテは水鉄砲の直撃を受けながらも、水流を真っ二つに裂きながらアリゲイツの方へ転がってくるではないか!! 一体何がどうなっているのか、アカツキには想像もつかなかった。 しかし、アヤカやツツジには分かっていた。 「転がっている以上、水鉄砲の直撃を受けても、大部分を弾くことができる……だから、ダメージはほとんど受けない。 弱点でも、完全な形で直撃しなければ深手にはならないのよ」 ポツリと胸中でつぶやくアヤカ。 数日とはいえ、ポケモンバトルのいろはを教えただけあり、アカツキのバトルも少しは形になってきた。 しかしながら、足りない部分も実に数多い。そうでない方を探す方がかえって難しいほどだが、それは仕方ない。 新米トレーナーというのはだいたいがそういうものだから、アカツキだけが劣っていると言うわけではない。 トレーナーになって数日でジム戦挑んでくるのを、勇気と呼ぶか、無謀と呼ぶか、の違いにしか過ぎないのだろうが。 ――絶対に効いている!! アリゲイツはそう思い、水鉄砲のパワーを上げたが、イシツブテの方が力は上だった。 水流を引き裂きながら向かい来るイシツブテの攻撃を、アリゲイツはまともに食らってしまった!! 「アリゲイツ!!」 アカツキが叫ぶ。 アリゲイツは思いきり吹き飛んで、運悪く岩に叩きつけられた!! このダメージはかなりのものだ。下手をすれば戦闘不能に陥っても不思議ではないが…… 「ゲイツ……」 よくもやってくれたな……そう言わんばかりのキツイ眼差しを、転がる攻撃を終えたイシツブテに向ける。 「なかなかタフなアリゲイツですね。 並のポケモンでは一撃で戦闘不能になる威力はあるというのに……」 ツツジは声に出さず、アリゲイツを賞賛した。 ジムリーダーのポケモンは総じて鍛え上げられたものが多い。 いわばバトルに特化(シフト)した相手の強烈な一撃を食らってもなお、戦えるポケモンの方が珍しいくらいなのだ。 「よかった……」 まだ戦えるようで、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 確かにダメージはかなりのものだが、戦闘不能になるには程遠いものだったし、アリゲイツの闘志の炎を掻き消すにはあまりに物足りない。 「へえ……イシツブテの転がる攻撃に耐えるなんて、なかなかイイ根性してんじゃない」 アヤカもアヤカでアリゲイツを賞賛していた。 一段階進化したことを差し引いても、体力はある方だと言えるだろう。 今までツツジとのバトルで、一撃で倒されてきたポケモンを多く見てきたが、そうでない方が数は圧倒的に少ない。 アカツキのアリゲイツは圧倒的少数に入るほど強いポケモンだと言えた。 物体が何かに衝突する際のエネルギーは、次式で計算できる。 『発生するエネルギー(威力)=物体の質量×速度×速度』 イシツブテの重量はかなりのもので、見た目通り(あるいは裏切って?)数十キロは軽くある。 その上徐々にスピードアップする攻撃なのだから、時間が経てば経つほどエネルギー――つまり威力も倍加される。 アリゲイツが一撃を堪えられたのは、イシツブテの最高速度にまで達していなかったからだ。 先ほど食らった時の倍近いスピードはあるから、単純に言えば四倍近い威力となるだろう。 食らうのなら、威力が小さいうちに食らうが吉。それこそが転がる攻撃を制する方法の一つだ。 「でも……あんなのを何発も食らうわけにはいかない」 アカツキは何とか対抗策を見出そうと、イシツブテを凝視した。 転がっている間はどういうわけか水鉄砲も効いていなかった。 もう一度試す気にはならなかったが、どうにかして見つけ出したい。イシツブテに勝つ方法を。 イシツブテを倒してもあと一体残っているが、それでも相手の頭数を減らすだけ有利になる。 転がっている間は手出しのしようがない。 なら…… 「転がる前に何とかするしかない……?」 アカツキが必死に考えを回らせている間にも、ツツジの攻撃は緩まない。 「余所見をしていては、バトルになりませんよ? イシツブテ、岩落とし!!」 イシツブテが再び地面に拳を叩きつけると、岩が舞い上がった!! さっきと同じく、岩はアリゲイツめがけて降り注ぐ!! 「さっきと同じ……?」 ここでもしアリゲイツに避けるように指示を出したら――さっきと同じ結果になるのは目に見えている。 転がり出したら、いくら弱点でも手出しができない。 転がり出す前に何とかするしかない。 「なら……水鉄砲だ!!」 ぴくりっ。 アヤカの眉がわずかに動いたが、バトルに集中しているふたりがそれを見ることはなかった。 「ゲーイツ!!」 アリゲイツが三度水鉄砲を発射する!! 一直線に突き進む水流を見つめ、ツツジが言った。 「同じ手は二度も通用しませんよ。イシツブテ、転がる攻撃です」 どちらにせよ、がる攻撃にするつもりだったらしい。 ツツジの指示を受け、イシツブテがジャンプ!! ぶしゅーっ!! アリゲイツの水鉄砲は虚しくイシツブテの真下に突き刺さった!! 水鉄砲を避けたイシツブテが身体を丸め、地面に着地する際―― ぴちゃっ。 確かにそんな音が聞こえた。 見てみれば、イシツブテが着地した時、泥水が跳ねている。 「泥……? もしかして……!!」 アカツキは脳裏にひらめくものを感じ、ギュッと拳を握りしめた。 土と水が混ざり合い、泥水となっているのだ。 「これなら、もしかしたら行けるかもしれない」 地面に着地したイシツブテは再び猛烈な勢いで転がってきた!! 「アリゲイツ、避けながら水鉄砲!!」 アカツキは水鉄砲を指示した。 ――何をするつもりでしょう……? ツツジは訝しげに眉をひそめた。 まあ、いい。 何をするつもりかは知らないが、転がっている間はダメージを最小限に抑えることができる。 たとえ弱点であっても、十数発は食らわないと致命傷にならないほどだ。 本気で危なくなったら、その時はその時で奥の手を使えばいいだけのこと。 あくまでもツツジは冷静に構えていた。 アリゲイツはイシツブテめがけて水鉄砲を放つが、先ほどと同じで効果はなさそうだった。 だが、アカツキにとってはそれでよかった。むしろ、その方が都合がいい。 水鉄砲を放っている間に一気に距離を詰められ、アリゲイツはさっと飛び退いた。 そのすぐ傍を剛速球のような勢いでイシツブテが通り過ぎていく!! 通りすぎたイシツブテはUターンして再びアリゲイツを狙う!! スピードが明らかに上がっている。 これも確認しておきたかったので、別段慌てるほどのことではない。 「アリゲイツ、辺りの地面に水鉄砲を連打するんだ!!」 アリゲイツは何度も何度も水鉄砲を発射した!! しかしそれらはイシツブテを狙ったものではなかった。 すべてがイシツブテから大きく外れた地面に直撃し、浅い泥溜まりを作り出す。 水鉄砲を連射する間にも、イシツブテはスピードを上げてアリゲイツのすぐ脇を掠めて行く。 どんどんスピードが上がるものだから、アリゲイツも避けるのに精一杯だ。 イシツブテが脇を通りすぎるまでに放てる水鉄砲も三回、二回と数を減らしていった。それに伴って、フィールドには十数個もの泥溜まりができていた。 「何をするつもりかは存じませんが、まるで当たっていませんよ。 どこを狙っているのです?」 小ばかにするように聞こえるツツジの言葉も、アカツキにとっては誉め言葉だった。 イシツブテのスピードは確実に上がってきていた。先ほど転がる攻撃を食らった時のスピードは優に越えている。 「よーし、もうそろそろ……」 考えが正しければ、そろそろイシツブテは…… びゅんっ!! 弾丸のようなスピードでアリゲイツの脇を通りすぎるイシツブテ。 その先には先ほど水鉄砲で作り出した浅い泥溜まり。 その泥溜まりでUターンしようとしたイシツブテは泥水を撒き散らして…… キキッ!! 甲高い音がしたかと思うと、バランスを失って、丸まった身体が元に戻った!! それでも惰性で地面を拭き掃除しながら、前方にある岩へと突き進んで行く!! 「なんですって!?」 ツツジの笑みが崩れた。 どーんっ!! イシツブテは為す術なく岩に叩きつけられた!! いくら石頭でも、同じくらいの固さの岩に叩きつけられてはダメージを受けるだろう。 これこそ、アカツキが狙っていたものだった。 すかさず指示を下す。 「今だアリゲイツ、水鉄砲!!」 岩に叩きつけられて仰向けに倒れているイシツブテめがけて、凄まじい水流が襲いかかる!! 今のダメージがかなり大きかったのか、立ち上がるのも辛そうだ。 「イシツブテ、避けてください!!」 ツツジの指示が飛ぶが、遅かった。 ばしゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! アリゲイツの水鉄砲がイシツブテにクリーンヒット!! 「戻りなさいイシツブテ」 弱点をまともに食らったことでこれ以上の戦闘は続行不可能と判断したのだろう、ツツジはイシツブテをモンスターボールに戻した。 「イシツブテ、戦闘不能!! アリゲイツの勝ち!!」 アヤカはジャッジとして宣言しながら、アカツキの作戦の中身を知った。 「あんなこと考えるなんてね。 わたしなら穴を掘って落とすとかするんだけど……スリップを狙うなんて、わたしじゃ考え付かないわ」 アカツキが狙っていたのは、スピードを出しすぎたイシツブテが泥溜まりでUターンする時にスリップすることだったのだ。 だから、わざと地面に向けて水鉄砲を撃つようにアリゲイツに指示した。 アカツキの狙いがストレートに伝わっていたのか、アリゲイツはイシツブテがUターンしそうな箇所をピックアップして水鉄砲をぶつけた。 その結果、泥溜まりが十数個も生まれた。 その一つでUターンしようとしていたイシツブテがスリップしてバランスを崩し、岩に激突した、というわけである。 「なるほど、考えましたね」 ツツジは再び笑みを浮かべた。しかしそれは素直にアカツキの作戦を称えるものだった。 「雨の日の状況を再現した、というわけですね。 私はどうやら、あなたのことを多少、甘く見ていたのかもしれません」 そう言って、フッと息を吐く。 イシツブテが戦闘不能になっても、まだ彼女には一体、ポケモンが残されている。 そう、イシツブテとは比べ物にならないパワーを秘めた、切り札と呼ぶに相応しいポケモンが。 イシツブテのモンスターボールを腰に戻すと、代わりにもうひとつ、モンスターボールを手にする。 アヤカはそのモンスターボールに目をやった。 「いよいよ出てくるのね…… イシツブテなんて、前菜もいいところだわ。 『あのポケモン』こそ、カナズミジムが誇る秘密兵器……水タイプのポケモンでさえ、返り討ちにできる」 アカツキの健闘は称えるべきものだが、これから先はどうか。 今の調子が続くようなら勝てるかもしれないが、ツツジとてそう甘くはない。あのポケモンを使うツツジは、本気の本気、超本気を出したということになる。 「ですが、次のポケモンはそう簡単には攻略できませんよ。 出てきなさい、ノズパス!!」 いよいよ出てくる……ニ体目のポケモンが。 イシツブテよりもそっちの方が手ごわい相手になるであろうことをアカツキは知っていた。 普通、切り札は最後の最後まで取っておく。それが人の心理というものだ。 もちろん、ツツジの言うノズパスというポケモンは彼女にとって切り札であり、秘密兵器でもある。 ツツジが投げ放ったモンスターボールは放物線の頂点で口を開き、巨大なポケモンを放出した!! 高さにして二メートルはあるだろうか。 青みがかった灰色の身体で、丸っこい二本の脚がついている。 イシツブテは腕だったが、今回は脚だ。大きな頭に脚がついているだけのポケモンだ。 目(……に見える?)は閉じており、真っ赤な鼻はどこぞの歌に出てくるトナカイのようだった。 アリゲイツは突然現れた、自分の三倍以上はあるポケモンを驚きながら見上げていた。 アカツキもそのポケモンを見るのが初めてだった。 だから、というわけではないが、図鑑でチェックする。 バトルスタートしていない以上、調べるだけならいくらでもオーケーだ。 素早く図鑑を取り出し、センサーを新たに出現したポケモンに向ける。 「ノズパス。コンパスポケモン。 赤い鼻は磁力を帯びており、常に北を差していると言われている。 ノズパス同士では磁力が反発するので、間近で顔を合わせることができない。 また、名前の由来については定かではないが、鼻をあらわすノーズと、コンパスのパスを取ってつけられたという説が有力である」 「ノズパス……」 液晶に映ったポケモンと、目の前にいるポケモンはうりふたつだ。 身体も大きいし、目を閉じているように見える辺りが、とてつもない何かをうかがわせている。 見た目と実力が必ずしも一致するとは限らないのだ。 「ノズパス対アリゲイツ、バトルスタート!!」 「一気に叩きつぶさせていただきます。ノズパス、踏みつける攻撃!!」 先制攻撃はツツジだった。 ノズパスは彼女の指示を受けて、その巨体でアリゲイツを踏みつぶさんとジャンプする。 「アリゲイツ、避けるんだ!!」 指示されなくてもそのつもりだったようで、さっと身を翻すアリゲイツ。 あんな巨体に踏みつぶされたら、それだけで戦闘不能になりかねない。 ノズパスが地面に落ちると、フィールドが激しく揺れた。 アリゲイツはたたらを踏んだが、すぐにバランスを取り戻し、 「水鉄砲!!」 ノズパスめがけて水鉄砲を発射!! 狙いは正確だった。 水鉄砲がノズパスにヒット!! かなりのダメージを与えたようだったが、致命傷には程遠い。 「なかなかやりますね。ですが、これで終わりにして差し上げましょう」 すっと、右腕を上げるツツジ。 何か大きな攻撃が来る――アカツキはそう思ったが、何が来るのかまでは当然予想できなかった。 「来る……!? 必殺の……」 アヤカが思うのとほぼ同時に―― 「岩石封じ!!」 指示を飛ばし、腕を振り下ろす!! ノズパスは指示を受けて、再びジャンプ。 だが、真上にジャンプしたので、アリゲイツは別段回避行動を取らなかった。 しかし――それが致命的だった。 どすーんっ!! ぐごごごごご…… 着地した瞬間、見えない糸で操られているように、アリゲイツの周囲の地面が盛り上がった!! 「え……これって……」 何がなんだか、アカツキには分からなかった。 盛り上がった地面は岩の柱となり、さながらアリゲイツを閉じ込める檻のようだった。 「岩石封じ……これが出ちゃったら、アリゲイツでもどうしようもないわね」 アヤカの思う通りだった。 アリゲイツの動きを封じるようにして、四方八方に岩の柱が突き出しているのだ。 これでは動けない。 柱の隙間から脱出を試みるが、残念ながら通れるほどの幅はなかった。それに、飛び越えるにしても、自由は果てなく遠い。 だが、岩石封じという技はここからが本番だった。 ぐっ…… 低い音と共に、岩の柱がアリゲイツを押しつぶさんと、アリゲイツに迫ってきた!! 「岩石封じは、単に相手の動きを封じるだけじゃなく、その後にダメージを与えてくる強力な技」 「ゲーイーツー……」 アリゲイツは狭まった岩檻の中で必死にもがいているが、どうにもならない。水鉄砲を吐こうにも、スペースがなければ無意味だ。 徐々に締めつける力が強くなってきた。 「アリゲイツ!!」 アカツキはモンスターボールを手に取った。 苦しそうなアリゲイツの顔が、柱の間から覗く。あるいは見せ付けられているかのようだ。 だが、ツツジはここで攻撃を終わらせるつもりはないらしい。 「ノズパス、電磁砲!!」 「ノーズ……」 低く唸ると、ノズパスの赤い鼻の先端に黄色く光り輝く球が生まれた。 電磁砲……威力だけで言えば、最強クラスの電気技だ。 「パ――――――スっ!!」 雄叫びと共に輝く球が弾け、幅が一メートル以上はあろうかという巨大な光の帯がアリゲイツめがけて降り注いだ!! 「アリゲイツ、戻って!!」 言葉と共に捕獲光線が閉じ込められているアリゲイツに迸る。 ……が、わずかに早くノズパスの放った光の帯が岩の柱を粉砕し、閉じ込められていたアリゲイツの姿を飲み込んだ!! 響く轟音と共に土煙が立ち込める!! 「岩石封じに電磁砲……水タイプのポケモンを返り討ちにする必殺コンボね。 わたしもちょいと前まではそうやってミズゴロウやらマリルやら返り討ちにしまくってたっけ……」 土煙にフィールドが覆われる中で、アヤカはそんなことを思った。 ツツジがジムリーダーに就任したのはほんの数ヶ月前のことで、それ以前はアヤカがジムリーダーを務めていた。 フィールドにいるノズパスは、彼女が使っていたポケモンでもある。 今はデパートの福引で当たった特賞の世界一周旅行を夫婦水入らずで楽しんでいる父から譲り受けたものだ。 カナズミジムのシンボルであり、バッジゲットのための最終関門にして秘密兵器。 このジムにとっては特別な意味を持つポケモン。それがノズパスだ。 「アリゲイツ……」 アカツキは今にも泣き出しそうな声でアリゲイツの名を呼んだ。 岩の柱に閉じ込められ、ついには強烈な電磁砲なる技まで食らった。 あれで無事であるとはとても思えない。捕獲光線も電磁砲に邪魔されて、届いた様子もなかった。 届いていればアリゲイツが閃光になって戻ってくるのが分かるからだ。 土煙が徐々に晴れていく。 まず目に入ったのはノズパスの姿だった。土煙がフィールドを覆い尽くす以前と変わらぬ位置で、目を開くことなく佇んでいる。 次いで、ツツジの真剣な表情。バトルの行方を最後まで見守りたい、という意志の現れのように思えた。 そして、最後に―― 「アリゲイツ!!」 粉々に砕け散った岩の柱と、それらに囲まれるようにして仰向けに倒れているアリゲイツ。 ピクリとも動かない。目を回していて、四本の脚を適当な方角に曲げて倒れている。 今の一撃がクリーンヒットして、戦闘不能になったのは間違いなさそうだ。 「戻って!!」 モンスターボールを掲げ、捕獲光線を発射。 光線はアリゲイツに照射されると、その姿を閃光に変えてモンスターボールに戻っていく。 ポケモンを戻す時だけ、ボールは口を開かない仕組みになっているのだ。 「アリゲイツ……ありがとう。ゆっくり休んでて」 労いの言葉をかけて、アカツキはアリゲイツの入ったボールを腰に差した。 「アリゲイツ、戦闘不能!! ノズパスの勝ち!!」 アヤカの言葉が、アカツキの胸に重くのしかかる。 もう後がない……それについてはツツジも同じはずだが、アカツキにはノズパスの弱点を突けるタイプのポケモンがいない。 それに、アリゲイツがアカツキのポケモンのエースであり、パーティの大黒柱だったのだ。 そのアリゲイツが戦闘不能に陥った以上、勝つのは絶望的なまでに難しいと言える。 「でも……ぼくはあきらめたりなんかしない」 最後の最後まであきらめたくはなかった。 勝ちが揺らぎ、蜃気楼のように消えてしまいそうでも、あきらめることだけはしたくなかった。 「さあ、次のポケモンを出してください」 急かすようにツツジが言う。 次にどんなポケモンを出してくるのか……警戒しているのだろう、真剣な表情はそのままだった。 だが、アカツキにはアリゲイツ以上のポケモンは残されていない。 アチャモか、ジグザグマか。 どちらかしか残っていないのだ。どちらかを出さなくてはならないが、アカツキはひたすら悩んでいた。 どっちを出せばいいのか分からない。 アチャモもジグザグマもあまりレベルアップしていないのだ。どっちもどっち、という感があった。 それについてはアヤカも同じことを考えていた。 「アチャモとジグザグマじゃ、どっち出しても結果は同じ……岩石封じを攻略しない限り、彼に勝ち目はないわ」 だからといって、ここで負けを認めてしまうような軟弱者ではないだろう、三日間だが共に旅をしてきたアカツキという男の子は。 「次の、ポケモンは……」 アカツキはアチャモのモンスターボールを手に取った。 もう後がないと分かっているからだろう、ボールを持つ手に力がこもる。 「アチャモ、君に決めたよ!!」 「アチャモ……?」 アヤカもツツジも揃って眉をひそめた。さすがは姉妹だけのことはあって、タイミングが見事に一致していた。 アカツキが投げたボールは放物線を描いてフィールドに着弾する寸前に口を開き、アチャモを放出した。 「チャモーっ!!」 モンスターボールから出られたのがうれしいのか、声を上げてはしゃぐアチャモ。 だが、フィールドに鎮座するノズパスの姿を見るなり、おとなしくなった。 ただの相手でないことを察したようだった。 「アチャモ……どうして岩タイプに炎タイプなんてぶつけるのかしら……まあ、どっちにしたって弱点は期待できないでしょうけど……」 「アチャモですか…… 岩タイプに炎タイプをぶつけてくるとは、それほど自信がおありなのですね?」 と、バカにするようなセリフを吐くものの、ツツジにも分かっていたのだ。 アカツキが、ノズパスの弱点となるタイプのポケモンを持っていないということが。あるいは弱点を突ける技を持っていないと。 「最後まで、あきらめたくないんです。それだけです」 「なるほど。分かりました」 アカツキの真剣な眼差しを受けて、ツツジは少し言いすぎたかしら……と反省した。 弱点を突けないにせよ、戦う意志を捨てていない相手なら、徹底的につぶしておかなければならない。 それがポケモンバトルの冷酷なところだが、だからこそバトルという名を冠しているのだ。 「いいでしょう。お相手いたします」 「ノズパス対アチャモ。バトルスタート!!」 「アチャモ、火の粉!!」 これが精一杯の技だった。 アチャモが使える技はそれほど多くない。 火の粉、引っ掻く、つつく、鳴き声……そのどれもが、今現在ノズパスに対して効果が薄いものばかりだ。 でも、今シッポを巻いて逃げ出すこともしたくない。 なら、結論はひとつしかない。 ――最後まで戦う。 そんな意志をトレーナーから感じ取ったのか、アチャモが口から吐き出した火の粉は通常のそれよりも強力だった。 それでも、炎タイプの技は岩タイプのポケモンに対して効果が薄い。 「ノズパス、相手がどんなに小さなポケモンでも容赦する必要はありません。岩石封じ!!」 ノズパスが鼻を上に向ける。 そこへアチャモの火の粉が連続ヒットするも、それほど効いている様子がない。 「アチャモ、あきらめるな!!」 それほど効いていなくても――塵も積もれば山となるという言葉だってあるように、数が重なれば大きな効果を生み出せるはず。 アカツキはそう思っていたが、それだけの時間をツツジが与えてくれるはずもなかった。 ノズパスがジャンプした。 あんなに大きいのに身軽にジャンプしているように見えてしまうのは気のせいか。 だが、そんなことを気にする余裕など、あるはずもない。 ノズパスの巨体が鉄鎚のように地面に落下する!! 大きな揺れがフィールドに生まれ、アチャモはバランスを崩して転倒してしまった!! 「アチャモ!!」 アカツキの声も、フィールドが揺れる音で掻き消された。 次の瞬間、アリゲイツを閉じ込めた岩の柱が、再び現れた!! ぐるりとアチャモを取り囲み、逃がさない。 柱と柱の間は、アチャモでさえ通りぬけられないほど小さかった。 パチンッ。 ツツジの指が鳴る。 刹那―― ごごごごご…… 悪夢が再現された。 幅を狭めた岩の柱が、アチャモを押しつぶし始めたのだ!! 「チャモ―――っ……」 アチャモが苦しそうに喚きながら身を捩る。 「……っ!!」 アカツキはもう見たくなかった。 ギュッと固く目を閉じる。 気がつけばモンスターボールを掲げ、アチャモを戻していた。アチャモを戻したことを確かめると、目を開く。 押しつぶすべき相手を失った岩の柱が目の前にあった。 「いいの? 他に戦えるポケモンがいない状態で戻すっていうのは、戦闘不能と見なすけど……」 恐る恐るといった感じでポツリと言うアヤカに、アカツキは首を縦に振った。 今ならまだ取り消せるから、戦う気があるならアチャモをもう一度出しなさい…… 彼女の言葉は暗にそう物語っていたのだが、アカツキに戦意は残っていなかった。 「そう、分かったわ……アチャモ、戦闘不能。よって、このバトルはジムリーダー・ツツジの勝ちです」 アカツキは呆然と、アチャモの入ったモンスターボールを見つめていた。 あきらめの悪さがこんなことになってしまったのかもしれない……彼の中に後悔が生まれた。 アリゲイツが戦闘不能になった時点でバトルを放棄していれば、アチャモが苦しむことはなかったのかもしれない。 岩の柱に押しつぶされていた時のアチャモの苦悶にゆがんだ顔が、脳裏に焼き付いて離れない。 「ぼくが……もっと、しっかりしてたら……」 嗚咽が漏れる。言葉は声にならなかった。 自分自身の不甲斐なさに打ちひしがれているアカツキに、ツツジがコートの向こうから話しかけてきた。 「もう少し強くなれたなら、私に勝てるかもしれません。あきらめずに、またお出で下さい。 私は、いつでもお相手して差し上げますので。 アカツキ君。ポケモンセンターに向かわれた方がよろしいのではないですか? アリゲイツとアチャモの回復は早い方がいいですよ」 彼女の鈴のような声音は、今のアカツキにとって残酷なものに聞こえた。 絶望と死を告げる死神のような……というと語弊があるが、少なくとも聞いていて気持ちいいものではない。 「…………っ!!」 アカツキは身を翻すと、ツツジとアヤカに背を向けて駆け出した。 ジムの入り口のドアを抜けると、涙があふれ出てきた。 負けたのはもちろん悔しかった。だが、それ以上に許せなかった。 トレーナーとしてあまりに弱すぎる自分自身が無性に許せなかった。 カナズミシティのメインストリート――『レンガ通り』に、彼の涙が儚く散っていく。 チャレンジャーがいなくなったジムのバトルフィールドは、恐ろしいほど静かだった。 「ノズパス、お疲れ様でした。戻ってください」 静寂を打ち破ったのはツツジ。モンスターボールを掲げ、アリゲイツとアチャモを難なく戦闘不能にしたノズパスを戻す。 「物足りなさそうね」 ポツリと、アヤカが声をかけてきた。 「そうでもありませんでした」 しかしツツジは首を横に振って、言葉を足した、 「トレーナーになって六日目にしては、いいスジをしていると、そう思えましたから」 先ほどまでチャレンジャーを相手にしていたから、言葉も自然と敬語になってしまう。 アヤカも、この時ばかりはそんなことを気にしていなかった。 「岩石封じは強力すぎる技だからね……やりすぎかなって思うけど」 「いいえ。どんなに新米のトレーナーであろうと、手加減するのは失礼に当たります。やるなら全力でお相手して差し上げなければ」 「まあ、それはそうだけどね……だからってそれで相手が自信無くしちゃったら、それこそ本末転倒なんだけど」 旗を持つ手をぶらりと垂らす。 ジムリーダーが手加減したバトルで勝利して、バッジをゲットしても、チャレンジャー――特にアカツキは素直に喜んだりしないだろう。 そういう性格の男の子だ。 「もう少し強くなれば私に勝てるって……それ、本気で言ったの?」 「もちろん。私、嘘は好みません」 「ま、そうよね」 アヤカは髪を掻き上げた。茶色いスジが虚空に揺らめく。 「確かに、彼には足りないものがあるわね。一番に、知識がなさすぎるわ。 バトルの腕についてはまあまあなんだけどね、知識がない。 ノズパスのことも、まるで勉強してないようだったわ。ジョーイさんに訊けば、少しは教えてくれるんだけど……」 「では、スクールを勧めますか?」 「それも、悪くないわね。そうしようと思ってる」 アヤカは頷いて、アカツキが出て行った入り口を見つめた。逆光で、ドアの向こうは光っているようにしか見えない。 ただ……ツツジから見た姉は、どこか寂しそうだった。 第14話へと続く……