第16話 卒業を前に -School life 2- 今日も昨日と同じようなことをしているのは、果たして気のせいか。 ぼやけてきた視界を鮮明なものに戻すべく目を擦りながら、アカツキはそんなことを思った。 ぼんやりと見えた時計が指し示す時刻は十時三十分。 三時間目もようやく後半に差し掛かったところだ。 だが、アカツキは無性に眠たかった。 昨日はいろいろと興奮するようなことがあったから、思うように眠れなかったのだ。 俗に言う寝不足というヤツである。 昨日の放課後、アカツキはユウスケらクラスメートと共にバトルコートに出向いた。 そこで、夕食から消灯時間ギリギリまで、それこそ気が済むまでポケモンバトルを楽しんだ。 その興奮が冷めやらぬうちにベッドに横になったが、心臓が立てるばくんばくんという音が耳障りで眠れなかったのだ。 朝食前、顔を洗ったから大丈夫だろう――などという考えは今、脆くも崩れ去ろうとしている。 確かに、洗顔時は眠気が吹き飛んだ。 だが、それも所詮は悪あがきに過ぎなかったらしいと、今になって自覚する。 シャーペンの先を手の甲に押し当てて眠気を抹殺しようとするものの…… ペンを持つ手を動かすことでさえ、今のアカツキにとっては容易でなかった。 「眠い……寝たくはないんだけど……」 必死になって睡魔と戦う。 教壇ではアヤカが何やら説明しながら黒板に書かれた絵を指し示している。 何を言っているのかさえ分からないほど、アカツキの意識は混濁を極めた。 ほんの少しでも気を緩めれば、そのまま心地よい眠りに墜ちてしまいそうだ。 だが!! ここで眠った日には、後でアヤカからきつくお灸を据えられるのは間違いない。 それだけは何としても避けたかった。 「――というわけで、炎タイプのアチャモとダブルバトルで組ませるもう一体のポケモンのタイプは何が適切でしょうか……」 生徒たちに問いを投げかけてきていることなど、アカツキには分かるはずもない。 睡魔と戦いながら――しかしじわじわと眠りの断崖絶壁へ追い込まれつつあった。 ほどなく舟を漕ぎだしたアカツキにアヤカは目を留め、ニヤリと口の端に笑みを浮かべた。 自分の授業で寝ようという根性は見上げたものだが、もちろん感心するはずもなく、 「アカツキ君。答えてください」 「……はいっ!?」 いきなり指名され、睡魔がウソのように吹き飛ぶ。 声が裏返ったのさえ、気にならなかった。 怒られたものと思って、アカツキは椅子を思い切り蹴って立ち上がった。 クラスメイトの視線が注目する。 それも、彼の眠気を世界の果てに追放するきっかけのひとつとなった。 アヤカが、目を覚ましてくれたと気づいている様子すらないのだから、結構重症なのだろう。 「聞いていませんでしたね」 呆れたようにため息をつくアヤカ。 その頃にはクラスメイトの視線は黒板に移っていた。 アヤカが黒板に書いた絵と文章を素知らぬフリですらすらと書き取っていく。 「もう一度言いますから、ちゃんと答えてください」 「あ、はい」 アカツキは後ろ頭をぽりぽりと掻いた。 危うく眠ってしまうところだった。 不思議なもので、必死になって睡魔と戦っていると、とある瞬間を過ぎたあたりで一気に眠気から解放されるのだ。 もっとも、アカツキの場合はアヤカから指名を受けたから、ビックリして目を覚ました、というところだろう。 「ダブルバトルでは、タッグを組ませるポケモン同士のバランスが非常に重要です」 「はい」 「攻撃面、防御面と両サイドから考える必要があるわけです。 というわけで、炎タイプのアチャモとダブルバトルで組ませるもう一体のポケモンのタイプは何が適切でしょうか?」 「えっと……」 律儀に少し前のことからアヤカは説明してくれた。 これで答えられなかったらマジで懲罰ものである。 アカツキは視線を机に落とした。 広げたノートには、書き殴りと言うのさえ躊躇うような、いわへびポケモン・イワークが通った後のような文字が並んでいる。 どこぞの国の工作員が使っている暗号とか、太平洋に沈んだ××大陸で用いられたらしい、古代文字にしか見えない文章が綴られている。 これでは何が何だか分からないが、考えなければならない。 アヤカが自分に分からない問題など出すはずがないのだ。 胸中で、彼女の言葉を反芻する。 炎タイプのアチャモとダブルバトルで組ませるもう一体のポケモンのタイプは何が適切でしょうか? 「ダブルバトルは…… えっと、確か同じタイプが弱点となるようなポケモンの組み合わせだけはしちゃいけなかったんだよな」 当たり前である。 そんな組み方をした日には、相手がこちらに対して有利なタイプを揃えてきた場合にドツボにはまってボロ負けする可能性が極めて高い。 「なるべくなら弱点を補い合える組み合わせがよかったような……違ったっけ?」 違わない。その通りである。 弱点を補い合うことで、一方的な負けを防止することができるのだ。 そんなことも分からないようではダブルバトルなどしない方がいい。 「どうしました? 分からないようなら分からないとちゃんと言ってください」 と、考え込むうちにアヤカから返答を催促された。 だから、アカツキは余計に焦った。 答えられなければ後々困ったことになりそうな気がしてならないのだ。 悪い予感ほどよく当たるものだから、さらに焦りが募っていく。 「えっと、炎タイプの弱点は?」 水タイプ、地面タイプ、岩タイプ。以上。 自問自答しながら答えを探るも、その速度はコンピューターと比べるのも哀しくなるほどのものだった。 「五秒以内に答えてください。待つのに飽きました」 と、強制的に時間制限まで設けられてしまう始末。 「5」 カウントが始まる。 アカツキの頭脳はフル回転しながらも、答えを導くスピードは感動的に遅い。 もしかすると、亀が砂浜を這い回るのより遅いかも。 「4」 あきらめた方がいいかもしれない。 だが、やる前からあきらめるのが嫌いというのがポリシーであるアカツキはそんなことを絶対的に受け入れない。 「3」 ――やだ、絶対答えてみせるもん。 時にはあきらめも肝心ということを知らないため、二択の片方が無残にもコンクリ詰めの箱に押し入れられて海の底に沈められる。 「2」 炎タイプ……水タイプ、地面……岩ぁ? 何がなんだか……頭が混乱してきた。 二十近いタイプをひとつひとつ思い浮かべる度に、脳内のあちこちで戦争が勃発する。 「1」 えーい、こうなったらヤケクソだ!! アカツキはあきらめる以外の選択肢として、カンに頼るというのを選んだ。 「草タイプです!!」 「大正解」 「……へっ?」 アヤカをはじめ、クラス中から拍手が巻き起こった。 一体何がどうなっているのか、事態についていけず、アカツキは間抜けな声を上げるだけだった。 ほとんど口から出任せ……だったのだが、実はそれが大正解だったのだ。 カンというのも、意外と当たるものである。 「そう、アカツキ君が答えてくれた通り、アチャモと組ませるポケモンは草タイプが一番でしょう」 呆然と黒板を見つめているアカツキを尻目に、授業は進んでいく。 少なくとも遅れることだけはなくなったのだから、そういう自覚を持ってもらいたいものだが…… アカツキは椅子を元に戻すと、席についてホッと一息ついた。 何はともあれ正解を導き出せたのだ、経緯は不問としよう。 その方がいいに決まっている。 「炎タイプのアチャモは、水、岩、地面の三タイプを弱点としています。 ダブルバトルの鉄則は…… @同じタイプが弱点となる組み合わせを避ける。 Aお互いの弱点を補い合えるような、タイプのバランスを整える。 ……の二点です。 というわけで、これに当てはめてみましょう」 アヤカが黒板にチョークをすらすらと走らせる。 チョークが黒板と言うステージで軽やかに踊っているように見えるが、その軌跡は説明に沿う文章を描いていく。 「草タイプはアチャモの弱点と重なることがありませんので、一点目はクリアしています。 では、二点目はどうでしょうか。 草タイプは炎タイプの弱点である水、岩、地面の三タイプに有効です。 さらに、炎タイプは草タイプの弱点である虫、氷タイプに有効なので、お互いに弱点を補い合うことができます。 よって、アチャモと組ませるには、草タイプのポケモンが一番ということです。 アカツキ君、よく分かりましたね。 結構難しい問題を出したつもりなのですが……さすがです」 さすがとまで言われ、アカツキは顔を赤くした。 カンで難しい問題をクリアするというのも十分にすごいものだが…… 誉めるところを間違っているような気さえ、言われている本人が抱いているのだから、まったくもって不思議だ。 「ですから、アカツキ君は次に草タイプのポケモンをゲットしておくといいですよ」 「はい」 とりあえず、頷く。 確かにダブルバトルでアチャモを出す場合を考えれば、アヤカの言う通り、草タイプのポケモンをゲットしておくべきだろう。 とはいえ、トウカの森にわざわざ三日もかけて行って、キノココをゲットするというのも、何だか面倒くさい。 明日が終わって――そうすれば、もう一度カナズミジムに挑戦するのだ。 そして、次こそはツツジに勝つ!! 気が早いかもしれないが、それがアカツキの抱くプランだ。 不安がないとは言わない。前と同じようになってしまうかもしれない。 だが、何もしないよりは遥かにマシなはずだ。 それから授業は滞りなく進んだ。 眠気が完全に覚めたアカツキは一層マジメに授業に打ち込んだ。 何かに夢中になると、時間が経つのがとても早く感じられるもので。 瞬く間に午前中の授業は終わり、大して時間を意識することもないまま、午後も同じように瞬く間に過ぎていった。 午後はダブルバトルについてを、実戦形式で勉強した。 今日はマイクとダブルバトルをしたのだが、彼もユウスケと肩を並べるくらい強かった。 ユウスケはどちらかというとパワーで相手をなぎ倒す、力でゴリ押し派なのだが、マイクはそうもいかなかった。 知的な外見通り、頭脳的な作戦でもって、アカツキを苦境に陥れたのだ。 アカツキが使ったポケモンはアチャモとジグザグマ。 アリゲイツと比べて育ちのあまり良くない二体を重点的に鍛えることに決めたのだが、その分、バトルは不利だった。 マイクはキモリと、水、草のタイプを併せ持つハスボーというポケモンを出してきたが、大変だった。 相性的には有利なアチャモも、キモリの素早い攻撃とハスボーの水鉄砲に悩まされ続けた。 二体とも一生懸命戦ってくれたが、結果は引き分けだった。 1バトル10分という時間制限の前に、スクールでの初勝利を挙げることはできなかった。 だが、アカツキはそれでも満足していた。 というのも、この二日間、スクールで十数回ほどバトルを経験した。 その中で、自分のトレーナーとしての実力と、ポケモンのレベルがめきめき上がっているのがよく分かるからである。 たくさんのバトルを経て、自分の弱点というのも、少しは見えてきたような気がする。 アカツキは今、寮の屋上で星空を背景にして物思いに耽っていた。 無数の星が瞬く、闇の深淵に囲まれていても、彼に恐怖や不安というものはない。 なぜなら、共に歩んでいける仲間がすぐ傍にいるから。 「明日……アヤカさんは卒業試験するって言ってたけど……」 ぶるっ、と身体が震えた。 吹き付ける夜風は思ったよりもずっと冷たいらしい。 アカツキは鳥肌の立った腕をさすりながら、明日のことを脳裏に思い浮かべた。 気が早いと言ってしまえばそれまでだが、気になって仕方がないのだ。 アヤカは放課後、彼を呼びつけて、耳元でこう囁いた。 「明日、君には一足早い卒業試験を受けてもらうわ。 合格したら、そこでスクールの授業はおしまい。 でも、不合格なら合格できるまでいくらでもここにいてもらうから。 校長先生もね、それでいいって言ってくれてるから、学費とかの心配は要らないわよ。 そういうわけだから、頑張ってちょうだいね」 などと、こちらの弱みに付け込むようなことを言ってくるものだから、アカツキはその時、ものすごく青ざめていた。 その衝撃が多少は和らいだとは言え、この分だと昨日と同じで眠れそうにない。 そうなると、卒業試験において不利なのは間違いないのだが…… 理屈よりも、胸のムカムカの方が勝っているような気がして仕方がない。 だが、卒業試験とは一体何をするのだろう? ペーパーテストなのか、それともポケモンバトルなのか。あるいはその両方か。 アカツキにはその三択しか考えられなかったが、どれにしても大変なのは間違いない。 「でも、頑張らなくちゃ」 ふっと息を吐き、その場で仰向けになる。 じわりと冷たいコンクリートの感触が背中から全身に伝わっていく。 一面の星空が視界に入った。 何億年も昔に放たれた光が、今目に届いている。 輝いても、今その星は燃え尽きて、なくなっているかもしれない。 未来は誰にも分からない……というのを最も端的に表しているのが星空なんだよ――いつか兄ハヅキがそう言っていたのを思い出す。 「そうだよね、分からないよね……勝つか、負けるかも」 一寸先は闇という言葉だってある。 明日の卒業試験は、何としても突破したい。もちろん、合格という形でもって。 でも、何をすればいいのかも分からないのだ。 出してくる問題を教えてくれるほど、アヤカは優しい先生ではなかった。 それでも何もしないまま卒業試験を迎えるほど愚かなことはない。 少なくとも、何かできることがひとつくらいはあるはずなのだ。 「勉強する……だけしかないのかなぁ……?」 もう消灯ギリギリの時刻である。あと二十分もすれば、見回りの教師がやって来ることだろう。 猶予は、ハッキリ言ってないようなものである。 「何かしなくちゃ……!!」 でも、何をすれば……? およそ試験というものに縁のなかったアカツキが戸惑うのも無理はなかった。 ネット・スクールは時間制限がないに等しかったが、今回は違う。 猶予は一刻だってない!! 焦っちゃいけない――必死になって心を落ち着けようとする。 だが、ダメだ……理屈では分かっているのに、気持ちがそれを許してくれない。 「大変そうじゃん」 声と共に、視界に見知った顔が飛び込んできた。 口元に笑みを浮かべ、傍に立っているのはユウスケだった。 「ユウスケ……どうしたの、こんなとこに来るなんて」 「そりゃこっちのセリフだっつーの」 アカツキが身を起こすと、ユウスケは彼の隣に腰を下ろした。 風呂を済ませているので、パジャマ姿だ。 これが授業中の服装なら、少しはカッコよかったのかもしれないが……まあ、それはどうでもいい。 「部屋の扉をノックしたんだけどさ、いなかったんだな。それでもしかしたらと思って来てみたんだが……ビンゴ、だ」 「そっか。ごめん」 「いや、会えたからいいって」 謝るも、ユウスケは手をぱたぱた振って、聞き入れなかった。 「おまえさ、明日一足早く卒業試験受けるんだってな」 「え、誰から聞いたの?」 アカツキは驚くしかなかった。 ユウスケが知っているということは、マイクやユキヒロも知っているのだろう。 彼らは大の仲良しだ、ひとりが情報を得れば、残りのふたりに伝わるのにそれほど時間を要さないだろう。 「リンだよ」 「リンちゃんから……」 どうしてだろうと思った。 アカツキはリンの情報網の広さを知らないから、分かるはずもない。 彼女が方々に手を回してそういった情報を仕入れていたことなど。 「あいつ、金持ちんトコの娘だから、いろんなとこに顔が利くんだよ。そういうこった」 「そうなんだ、すごいね」 「ああ、本気ですげーよ」 まあ、その情報網の広さでユウスケもいろいろと美味しい汁を吸ったことがあるから、一概にそれを否定することはできない。 メリットとデメリットを比べると、メリットの方がわずかに大きかった。 ゆえに、八十本の触手を持っているドククラゲのごときリンの情報網にどうしても頼ってしまう。 「で……どうすんだ? 明日、卒業試験なんだろ?」 「うん。でも、何やるのか全然分からなくて……はは、手も足も出ないかも」 「ずいぶん弱気だな」 「そう言わないでよ。ぼくだって、試験なんて初めてなんだから」 アカツキは苦笑した。 たかが二日だというのに、もうすっかり親友気取りだ。ユウキといる時のような気分になれるから、それも悪くはない。 「そうだな、アヤカ先生のことだからさ」 ユウスケも星空を見上げた。 輝く星が、キレイに見えた。 「おまえにできないような問題は出さない。俺はそう思うな」 「できないような問題は……出さない?」 「ああ。アヤカ先生は、解答のない問題は決して出さないんだ。 だから、何らかの方法で解決できるような問題しか出さない。 俺たちが先生を慕っているのは、そういったところがあるからなんだ」 「ふーん……」 要するに―― 「普段のおまえでもできるような問題さ。 試験だからって下手に緊張しなけりゃいい。 俺が言ったってどうになるとは思ってねえけど……でもさ、肩の力抜けよ。 そうじゃなきゃ、試験の前にまいっちまうぞ」 「うん」 ユウスケの言葉は、妙に説得力があった。 どこか屁理屈っぽく聞こえるものの、心を打たれた。 確かに―― 試験だからって気張っていたのは、その通りだ。 「俺さ、これでも、おまえに感謝してるつもりなんだよ」 「え、ぼくに感謝……なんでまた?」 「いろんなとこが見えてきたから……かな?」 「?」 アカツキは首を傾げた。 どうしてユウスケが、たかだか二日しか付き合っていない自分に感謝などしているのか。 彼の口調や表情からそれを読み取ることはできなかった。 「正直な、昨日のバトルなんて、楽勝だって思ってたくらいさ。 でもさ、戦ってみりゃ、互角だったもんな」 「ぼくも、必死だったから。負けたくないって――もう、誰にも」 「そういや、おまえツツジさんに負けたんだってな」 「それもリンちゃんから?」 「ああ。悪いとは思ったが」 「いいよ。別に」 負けを認めないくらい頑固でも、子供でもないつもりだ。 事実だから、消すにも消せない。なら、認めた方が心も楽になれる。 だが、負けたままで終わらせるつもりなど、アカツキにはなかった。 卒業試験をパスしたら、その足でカナズミジムにリターンマッチしに行ってもいいくらいだ。 「スクールでもツツジさんに勝てるのはアヤカ先生か校長先生くらいなモンだからな…… 言っちゃ悪いけど、おまえが負けるのも頷けるんだよな」 「うん」 ツツジの強さはハンパなものではない。 だが、その強さは鉄壁とはまた違う。 鉄壁だと言うなら、一番手のイシツブテを戦闘不能にまでさせるはずがない。 問題は――ノズパスだけだ。 「ぼくが負けたのはノズパスなんだ。ノズパスさえ倒せれば――きっと勝てると思う」 「そうだな。 ノズパスって……アヤカ先生も言ってたけど、カナズミジムの秘密兵器だからな」 「秘密兵器……」 「ああ。苦手な水タイプを返り討ちにするのに電気技を覚えさせてるあたり、そうだろ」 ユウスケの言葉を聞いて、アカツキは苦々しい想いを噛みしめた。 アリゲイツが、ツツジのノズパスが放った電磁砲を受けた場面を思い出してしまったからだ。 岩石封じごとアリゲイツをノックアウトしてしまった。 あの威力では、体力が満タンでも耐えられるかどうか分からない。 「でもさ、おまえのポジティブ・シンキングに教えられることって多いんだよ。 昨日のバトルも、そうだった」 昨日のバトルは、時間切れということで引き分けになった。 ユウスケが繰り出したグラエナの破壊光線をアリゲイツがまともに食らってしまったが、戦闘不能には至らなかった。 それはアカツキが必死になって叫んでいたからだと――アリゲイツに負けて欲しくないと思っていたからだろうとユウスケは考えている。 自分のパートナーを信じていなければ、あそこまで必死にはなれないだろう。 「俺じゃ、あそこまで必死になれるかどうかな……分かんないしな」 状況を的確に見極めるからこそ、おとなしく負けを認める場合もある。 だが、アカツキにはそれがない。 代わりに、負けを認めないから、最後の最後までパートナーを信じて共に戦えるのだ。 彼のポジティブ・シンキングは、少なからずクラスメイトに何らかの影響を与えている。 その信じる強さが、思わぬ奇跡さえ起こす。 破壊光線を受けても立ち上がるといったような、半ば奇跡としか呼べないようなことさえ。 だから―― 「ガンバりゃ勝てるさ。おまえならきっとできる」 「うん、ありがとう。がんばるよ」 アカツキになら、できるような気がする。 破壊光線を受けても立ち上がるようなアリゲイツがパートナーなのだ。 ちょっとやそっとのことじゃ負けたりしないだろう。 トレーナーになりたての、年下の男の子にいろいろと教えられる自分が、なんだかちっぽけな存在に見えた。 アカツキだって負けるつもりなどこれっぽっちもない。 『負けたままで終わらせない』というポリシーがあるのだ。 勝つまでは絶対にあきらめたりはしない。 「俺さ、おまえが来てから、おまえとバトルしてさ、こんなにバトルが楽しいものだと思ったことはなかったよ」 「え?」 「あそこまで熱中できたのは、リンとバトルして以来のことだからな」 「リンちゃんと……?」 「ああ。細かい経緯は端折るよ。あんま言いたくない」 言い終えると、ユウスケは深く深いため息を漏らした。 よほど嫌な思い出でもあったのだろうか……心配そうな顔をアカツキは彼に向けた。 「でも、ホントに楽しかった。おまえのアリゲイツ、よく育てられてるし」 「育てたって言うのかな……あれで」 よく育てられると言われ、アカツキは困惑した。 正直なところ、アリゲイツを『育てた』という意識はないのだ。 家族として四年間――ワニノコの時からずっと、傍に寄り添ってきた。 兄ハヅキがいなくなったことで生じた寂しさも、アリゲイツがいたから、紛らわすことさえできた。 友達よりも、親友よりも大きな存在。 アカツキにとってアリゲイツはかけがえのない家族だ。 それ以上でもそれ以下でもない、家族という存在だ。 だから、育てるという表現は根本的に間違っている。 共に歩き、共に生きてきた存在だから――そんな存在を『育てる』など、断じて言うことはできないのだ。 「そう。あのレベルなら、すぐにでもオーダイルに進化したっておかしくないはずだぜ」 「オーダイルに……進化か」 アカツキは右手でアリゲイツのモンスターボールに触れながら、左手でポケモン図鑑を取り出した。 どんな時にでも手放さないのは、図鑑が身分証明書の役割を果たしているからである。 図鑑には固有のIDが設定されており、それはポケモンセンターなどで照合すれば一発で誰か分かるようになっているのだ。 図鑑を開き、ボタンを操作する。 アリゲイツのページを出すと、食い入るようにユウスケが液晶を覗き込んできた。 アリゲイツの姿が映し出されている状態で、さらにボタンを操作すると、進化形態のページになる。 『ワニノコ→アリゲイツ→オーダイル』となっている下の部分に、それぞれのポケモンが描き出されている。 ワニノコは可愛さを色濃く残しているが、アリゲイツになるとそれが影を潜め、その代わりに力強さが滲み出す。 そしてオーダイルになると、可愛さが完全になくなって、力強さとカッコよさだけが残る……およそそんな外見だ。 「これがオーダイル……」 アリゲイツより数段ボリュームアップしたオーダイルを見つめ、アカツキは感慨深げにつぶやいた。 「最終進化形だかんな……パワーはハンパなモンじゃない」 「へえ……」 アリゲイツが進化したら、こんな風になるのか。 進化してくれたら、それはそれで強くなるのだろう。バトルだって有利に進められるのは間違いない。 ただ、進化することで失うモノも、少なからずあるはずなのだ。 進化すると、その前には戻れない。 それが進化のリスクであり、その頃の思い出も、モノクロやらセピアになってしまうのだ。 パワーを取るか、それとも思い出を取るかで進化を思い悩むトレーナーも数多いが、実際は進化を選ぶことが圧倒的に多い。 そして、アカツキは―― 「ぼくは……」 図鑑をポケットに滑り込ませ、その代わりにアリゲイツのボールを手に取った。 月明かりを照り受けたボールは、どことなく淋しさを湛えているようにさえ見えた。 「無理には進化させたくないな……」 「ん?」 ユウスケは意外なモノを見たような顔をアカツキに向けた。 アカツキはアリゲイツのボールをまじまじと見つめたまま、 「アリゲイツが進化を望まないんだったら、ぼくはそのままでいいと思ってるよ。 無理に進化したって……辛いだけだから」 「まあ、そうかもしんないな」 ユウスケはグラエナのことを不意に思った。 ポチエナから進化したのは数ヶ月前だ。 強いトレーナーになりたいと願うユウスケは、そのためにポケモンを進化させようと考えていた。 結果として進化したから、強いトレーナーに一歩近づいたのは間違いない。 だが、アカツキの言葉を聞いて、ポチエナとして在った頃のことを、少し忘れていたような……そんな気がしている。 「グラエナは無理に進化したんじゃない。俺はそう思ってる」 ポチエナで在った頃と、グラエナとして在る今と、違いはそれほど感じていない。 身体が大きくなって、じゃれてるつもりで胸に飛び込まれると、その勢いで押し倒されて背中を強打する…… なんてことがなければ、パワーもスピードも格段にアップしたから、悪いことは何一つとしてない。 「そっか、進化するって、そういうことなんだな……」 むしろ、今になってそういうことを思い返すのだから、目の前にいる男の子は、意外とすごいトレーナーなのかもしれない。 そういうことを思い返させてくれた。 進化というのがどういうことか、改めて考える機会を与えてくれた。 「アリゲイツだって、アリゲイツのままでいたいって思ってるかもね」 アカツキは笑った。 屈託のない笑顔につられるように、ユウスケも口の端を上げた。 「そうかもな」 それからしばらく、会話はなかった。 途切れたという言い方もできるが、実際はそういうわけでもなかった。 いろいろなことをお互いに考えていたからだ。 「ま、強いトレーナーってのはポケモンを無理に進化させてきたようなヤツのことを言うモンじゃないからな」 ポケモンのことを思いやらないで、実力だけあるようなのは真に強いトレーナーと呼べない。 少なくとも、ユウスケはそう思っている。 「そろそろ時間か……俺はそろそろ部屋に戻るぜ」 「うん」 「ありがとな、いろいろと考えさせてくれて」 ユウスケは立ち上がり、アカツキに背を向けた。 顔さえ向けなかったのは、火照った頬を見られたくなかったからだ。 「え……」 言われた本人は、まるで意識していなかった。 まあ、その方がいいかもしれない思い、ユウスケは歩き出した。 屋上の入り口のドアを開けて、再び歩き出す寸前に、顔だけ向けてきて、 「頑張れよな、明日の試験」 「うん!!」 「その意気だ。んじゃな」 ほどなく、ドアがバタンと閉まる。 ひとり屋上に取り残されたアカツキは、消灯のアナウンスが聞こえてくるまで、その場から動かなかった。 アリゲイツ、アチャモ、ジグザグマが入ったモンスターボールをギュッと握って、目を閉じる。 「明日……ぼく、できるだけ頑張るよ」 合格にしても、不合格にしても。 そんなことをやる前から考える行為自体、ある意味で間違いなのだ。 どちらに転んでも、精一杯頑張るということに変わりはない。 結果を気にしていては、思う存分実力を発揮できないから。 だから、アカツキはどちらにしても精一杯頑張ろうと、夜空に輝く星に誓った。 第17話へと続く……