第17話 進化の時 -Graduation examination- ついにこの時がやってきた。 アカツキは高鳴る鼓動を抑えるように、胸に手を当てながら深呼吸した。 心臓の鼓動がいつになく早いのは、卒業試験を前にして緊張しているからだ。 トレーナーズスクールのトレーナー科・上級クラスに編入して三日目――アヤカがアカツキに課した卒業試験の時がやってきた。 バトルフィールドの向こうに、三日間という短期間ながらもこのクラスを率いた教師であるアヤカが立っている。 一直線にアカツキを見つめて。 彼女の表情は真剣そのものだった。 いつもの彼女なら笑みを絶やさないのだろう。 だが、卒業試験なのだ。 アカツキが三日間で学んだことを発揮する……そんな場所に、笑みは似つかわしくなかった。 フィールドを取り巻くのはクラスメイトたち。 ドキドキにワクワク、興奮と好奇心の入り混じった視線が、アカツキとアヤカに注がれる。 静寂に包まれること二分、アカツキとクラスメイトたちが息を呑む中、アヤカが口を開いた。 「アカツキ君。一足先に、君の卒業試験を行います」 「はい。よろしくお願いします」 緊張に今にも震え出しそうな身体を、精神力で必死に抑え込み、アカツキは返事をした。 アヤカがいつになく見せる真剣な表情。鋭い刃のような光を宿す瞳。 彼女が本気でアカツキを試そうとしているのがよく分かる。 「卒業試験は、ポケモンバトル。 君のポケモンのすべてを駆使し、シングルバトルにてわたしのポケモンを倒すこと」 「できるかなぁ……」 アカツキはアヤカの言葉を聞いて、不安になった。 ここに来る前から不安というのは確かにあった。 試験で何が出されるのか分からないから、何をすればいいのか分からない。 その不安が少し拭われたところに、新たなる不安が襲う。 アヤカのポケモンを倒せ――彼女のポケモンはアカツキのポケモンに比べてよく育てられている。 その上、トレーナーとしての実力も彼女の方が上なのだから、同じ条件で戦ったなら、間違いなく勝てない。 始める前からあきらめたりしないというのがアカツキのポリシーだが、それでも彼女に勝てないということだけは分かっている。 「わたしが使うのは、このポケモン一体」 アヤカは腰のモンスターボールをひとつ、手に取った。 スイッチを押して、標準サイズにする。 一体この中にどんなポケモンが入っているのか。 アカツキには分からない。想像ならいくつか思い浮かぶが、それはあくまでも想像であって、現実になりうる可能性はかなり低いだろう。 「ただし、このポケモンに対し、わたしは一切の指示を下さないわ。 ポケモン自身の考えで戦ってもらうの。 トレーナーが命令を下すバトルよりもずっと難しいと考えてもらって構わない。 だけどね、このポケモンに勝てないようでは、ツツジに勝つこともできない。 万が一負けたら、その時はもう三日間、ここにいてもらうことになるから、そのつもりで」 アカツキが疑問を口に出す暇すらなく。 アヤカは早口で一気に捲くし立てると、モンスターボールを軽く投げ放った。 鮮やかな弧を描いて落下したボールは、着弾の直後に口を開き、ポケモンを放出した。 「ノーズ、パース」 フィールドに現れたポケモンは、そんな鳴き声を上げた。 その外見に、アカツキは見覚えがあった。 「ノズパス……」 カラカラに乾いた声で、そのポケモンの名を呼ぶ。 アヤカが繰り出してきたポケモンはノズパスだった。 ただ、ツツジのノズパスとは少し違うところがある。 ツツジのノズパスと比べると二回りほど小さめだし、鳴き声もどこか高めだ。 だからといって、アリゲイツ、アチャモと立て続けにノックアウトさせられたことを忘れられるわけもない。 そういった過去を乗り越えるためにも、ここで勝たなければならないのだ。 「さあ、君のポケモンを出してちょうだい」 アヤカが右手を前に出し、促してくる。 アカツキは迷うことなく―― 「アリゲイツ、行くよ!!」 一番手をアリゲイツに決めた。 モンスターボールをフィールドに投げ入れる!! 着弾の寸前に口を開き、アリゲイツを放出。 「ゲイツ!!」 アリゲイツはやる気を見せ付けるように、大きな声を上げた。 対峙している相手が、三日前自分をコテンパンにノックアウトしたポケモンと同種であることなど、意に介する様子もない。 別の相手だとどこかで感じ取っているのかもしれなかったが、アカツキがそんなことを理解できるはずもない。 「なるほど、アリゲイツね……相性は抜群。 でも、君が学んだことをすべてここで出し切ってほしいわね」 アヤカはそう言って、ジャッジを務めるリンにチラリと視線を送る。 彼女の視線を受けて、リンは頷いた。 「これよりアカツキ君の卒業試験を行います。 ルールは先ほどアヤカ先生がお話になった通りなんで以下省略。 んじゃ、バトルスタートっす!!」 その言葉で戦いの火蓋が切って落とされた!! 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 先制攻撃はアカツキ。 ノズパスはアヤカの指示を受けず、独自の判断でバトルを行うため、攻撃のモーションを示すまで、何をしてくるか分からない。 そういった意味で、トレーナーがついているバトルとは大幅に違うのだ。 半ば野生のポケモンとバトルしていると言ってもいいのだろうが、実際はそれとも違う。 形式はそれにしても、そのポケモンがアヤカによって育てられているのだから、より難易度が高くなる。 アリゲイツは口を大きく開き、猛烈な水流を吹き出した!! 一直線にノズパスに向かって突き進んでいく水流の威力は、三日前のモノとは明らかに違っていた。 具体的な数字で表すとするなら、三割以上の威力アップということになるだろう。 スクールでの授業や放課後バトルでの経験が、アカツキのポケモンの実力を底上げしているのだ。 アリゲイツの水鉄砲を前にしても、ノズパスは動じていなかった。 元々無表情だから、動じるも何もないのかもしれないが…… ともあれ、ノズパスが始動する。 「ノーズぱぁぁぁぁぁすっ!!」 ノズパスが低い声をあげると、赤い鼻の先端に輝きが灯る。 ――電磁砲が来る!! アカツキは全身が総毛立つのを感じた。 電磁砲は、三日前アリゲイツをノックアウトした、強烈な電気技だ。 あの時アリゲイツは『岩石封じ』によって動きを封じられていたから避けようがなかった。 だが、今は違う。 何ら動きに制約はなく、相手の攻撃自体を不発に終わらせることだって可能なはずだ。 ぶしゅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!! ノズパスに水鉄砲がクリーンヒット!! 吹き付ける水流に、ノズパスが思わず後ずさった。 ダメージにはなっているようだが、電磁砲のチャージは止まらない。 ダメージを受けながらも、ノズパスが生み出した輝きは大きさを増すばかりだ。 弱点の水鉄砲を食らっても、妨害することさえできない!! 「水鉄砲、最大パワーだ!!」 ビシッとノズパスを指差し、アカツキが指示を飛ばした。 アリゲイツは目を大きく見開いて、水鉄砲のパワーを上げる!! 水量とスピードを増した水鉄砲がノズパスに突き刺さった!! 「へえ、やるなぁ……」 ノズパスに水鉄砲が直撃するのを横から見て、ユウスケが眉を上下させた。 アリゲイツの水鉄砲の威力は二日前にバトルした時よりもアップしている。 これだからポケモンバトルって楽しいんだよな……そんなことを思い、ニヤリと笑みを浮かべた。 アヤカは驚きを表面に出さないようにするのに精一杯だった。 ジーザス、実に信じられないことだ。 三日前――ツツジとのジム戦の時と比べて、一段と成長したのが、水鉄砲の一撃でよく分かる。 元の威力がそれほど高くない技だからこそ、そのポケモンの実力が前面に出てくる。 言い換えれば、水タイプのポケモンにとって水鉄砲というのは、自らの実力の指標でもあるのだ。 とはいえ、アリゲイツと戦っているノズパスは、ツツジのと比べてやや弱めだ。 ノズパスはカナズミジムの秘密兵器であるから、アヤカが『普通に』育てたのと比べると、目の前にいるノズパスとは断然強さに差がある。 とはいえ、段違いと言うほどの差はないと思っているだけに、水鉄砲で大ダメージを受けているのを見て、驚きを禁じ得なかったのだ。 「この方が、わたしとしても面白いんだろうけどね……さて、あとひとつ。 それであの子がツツジに勝てる。 見つけるまで、ノズパスには頑張ってもらうしかないんだけどね」 自分で指示を下さないから、その分は不確定要素として残ってしまうが、それは仕方がない。 すべてが確定要素だとするなら、完全に思い描いた通りに進んでくれなければ意味がなくなってしまう。 だから――ある意味で、不確定要素が残っていることの方が、アヤカにとっては望ましいことだったりするのだ。 予想外の何かで事態が好転するような気がしてならないから。 「だけど、岩石封じを封じなければツツジには勝てない。 その方法は見つかったかしら? この子は、岩石封じを使えないけど……考えてるのかしらね」 などと思ったりするものの、バトルの進展に影響を及ぼすことはない。 猛烈な水流に打たれながらも、ノズパスは電磁砲のチャージを続けた。 並外れた根性の持ち主だが、それも体力があってこそ為せるワザなのだ。 ある程度のダメージと引き換えに、攻撃手段を得る。 正攻法とはかけ離れているものの、立派な戦術(タクティクス)のひとつである。 「そういえば……」 アカツキは不意に脳裏に浮かんだ事柄に頭を悩ませていた。 こんな時にあるまじき行為だとは思ったが、これはとても大切なことだった。 「ツツジさんのノズパスが使ってきた岩石封じ……あれはどうやって防げばいいんだろう?」 三日間考えに考えたが、見つからなかった。 いくらアリゲイツでも、一瞬にして四方八方を岩で囲まれ、押しつぶされるのだ。 水鉄砲を放ったとしても、とても脱け出せるとは思えない。 アリゲイツですら無理なのに、アチャモやジグザグマが岩石封じを攻略するというのは論外だ。 その考えが頭を埋めていく。 卒業試験をパスしたら、すぐにでもツツジにリターンマッチを申し込むつもりだから、ポケモンを育てるなどする猶予は皆無に等しい。 それまでに、少なくとも『防ぐ』か『閉じ込められても脱け出せる』だけの方法を見つけ出さなければ。 焦るな、アカツキ……!! 言い聞かせるが、押し寄せる焦りはほんの一瞬しか抑え切れなかった。 次の瞬間には、言葉がなかったかのように押し寄せてくる。 そこに、隙ができてしまった。 ノズパスが電磁砲を放つ!! ロボットアニメに登場する機械が放つレーザー砲を思わせる光の帯が、アリゲイツに押し寄せる!! パワーアップした水鉄砲すら吹き散らすほどの威力だ!! 「まずい……!!」 水鉄砲以上の指示を下せなかった。 これは明らかにぼくの失態だ!! ――後悔先に立たずという言葉が、今この瞬間のアカツキにはよく似合った。 「アリゲイツ、避けて!!」 そう叫ぶしかない。 自分がアリゲイツの代わりに電磁砲を受けることなど論外だ。 アリゲイツが何とか電磁砲を避けてくれるのを祈るのみ。 「ゲーイツっ!!」 アリゲイツは水鉄砲を吐くのを止めると、迫り来る巨大な光の帯から逃れるべく、慌てて横に飛び退いた。 紙一重の差で、アリゲイツがいた場所を電磁砲が通り過ぎる!! 危なかった……アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 あれが直撃したらどうなっていたことか。 だが―― 「安心するのはまだ早いわ」 アヤカは心の中でアカツキに釘を刺した。 ノズパスの攻撃は、電磁砲一発で終わったわけではないのだ。 「ノズパスは……」 アカツキはノズパスの姿を探した。 先ほど電磁砲を放った場所にいないのだ。 アリゲイツが電磁砲を避けた時間で地面に逃れたのかと思ったが、それはどうも違うらしい。 穴を掘った痕跡が見当たらないのだ。 なにしろあの巨体である、何の痕跡も残さずに地面の下に消えるなどできるはずがない。 だとすれば、一体どこに……? と、その時。 フィールドに影が差した。 その影は徐々にアリゲイツに近づきつつあった。 「影……まさか!?」 アカツキは空を振り仰いだ。 ノズパスが……いた。 一直線に、アリゲイツ目がけて落下してくるではないか!! 「アリゲイツ、上だ!!」 どうやったらあの巨体が宙に浮かぶと言うのか…… アカツキは分からなかったのも無理はない。 ノズパスが地磁気と自分の身体に蓄えられた磁力とを反発させ、瞬間的に膨大な反発力を生み出し、それを利用して宙に浮かんだということなど。 ノズパスはその巨体ゆえに、隕石を思わせるような凄まじいスピードで落ちてくる。 大気の抵抗を加速度で殺しながら落ちてくる。 アリゲイツが空を振り仰いで―― 「ゲイツゲイツゲイツ!!」 ギョッとした。 驚愕に目を大きく見開いて―― べしゃっ。 予想を遥かに上回るスピードでノズパスが落ちてきて、アリゲイツはぺしゃんこに。 地面が揺れ、アカツキは思わずよろめいた。 アカツキが落下速度を読み違えたのは、加速度というものを失念していたからだ。 まあ、学校でそんなものは習わないのだから、分からなくて当然だったりするのだが…… 「アリゲイツ!!」 ノズパスが落下した衝撃で、フィールドは大きく形を変えていた。 ノズパスの周囲が陥没し、擂り鉢のようになっている。 どれ程の衝撃が加えられたというのか……アカツキは身震いした。 おもむろにノズパスが飛び退く。 先ほどと同じように、自分と地面の磁気を反発させることで力を生み、ジャンプしたのだ。 ノズパスが飛び退いた場所を、ジャッジのリンが身を乗り出して確認する。 目を回してうつ伏せに倒れているアリゲイツ。 「こりゃ戦えそうにないわね」 とりあえずそう判断して、アヤカ側の旗を振り上げた。 「アリゲイツ、戦闘不能。アカツキ君は次のポケモンを出してください」 「そんな……」 アカツキは言葉を失った。 アリゲイツが戦闘不能になった……それは、ノズパスに対して有利なタイプのポケモンがいなくなってしまったことを意味する。 そして、またひとつ不利な要素が増えることになる。 ギュッと拳を握る。 勝てる可能性が低くなり、反対に負ける可能性が高くなる。 しかし勝てる可能性はゼロにはならない。 「戦いは最後まであきらめちゃいけないんだ」 どうせ負けるにしても、その時はその時だ。最後の最後まで足掻いてやるだけ。 「アリゲイツ、戻って」 アリゲイツをモンスターボールに戻し、アカツキは唇を噛みしめた。 残りは二体……アチャモとジグザグマ。どちらもノズパスに対して有利な相性とは言えない。 攻撃面でも、防御面でも明らかに不利だが、どちらかを出さなければならない。 トレーナーとして苦渋の選択を強いられる場面だ。 「さあ、次はどちらかしら?」 アヤカは状況が有利になっているにもかかわらず、真剣な表情を崩さなかった。 自分が指示していれば、今頃アカツキのポケモンを三体とも戦闘不能にできただろうが、それではフェアじゃないし、卒業試験の意味がない。 合格、不合格という結果ももちろんだが、バトルの中身で見つけてもらいたいものがあるのだ。 そんなことなど露知らず、アカツキは悩んだ。 どちらを出せばいい? アチャモ? それともジグザグマ……? どちらを出しても、大差ないような気がする。 でも―― 「賭けてみるよ、君に!! 行けアチャモ!!」 アカツキはアチャモに決めた。 モンスターボールをフィールドに投げ込む。 ボールが放物線の頂点で口を開き、アチャモを出現させる!! 「チャモチャモ〜っ!!」 フィールドに出てくるなり、アチャモは身体を震わせた。 水を振り払うような仕草だ。 「アチャモ……どちらにしても不利だけどな……ま、進化すりゃ話は別か」 ユウスケはポツリとつぶやいた。 アチャモの進化は二段階。 アチャモ→ワカシャモ→バシャーモとなる。 進化すると全体的に強くなるから、進化できる時にしておいた方がいいのだが…… アカツキのアチャモは未だその時を迎えられないらしい。 「バトルスタート!!」 アチャモの登場も程々に、リンがバトル開始を告げた。 ノズパスが動く。 のっそのっそと、身体の割には小さい足をコミカルに動かしながらアチャモに向かってくる。 アチャモごとき、地磁気を利用したジャンプ攻撃など要らないと言わんばかりだ。 「アチャモ、火の粉だ!!」 「チャモ〜っ!!」 アカツキの指示に、アチャモが口を大きく開いて火の粉を発射!! ノズパスはそれを避けようともせず、一直線にアチャモを目指す。 次々と火の粉が直撃するが、まるで効いている様子がない。 元々無表情だから、ダメージが行っているのが分かりにくいと言う一面もあるが…… 何度当てても、ノズパスは怯まない。 ゆっくりと、しかし確かにアチャモに近づきつつある。 「効いてないのか……」 アカツキの焦りがますます大きくなっていく。 やはり、もう一体水か草タイプのポケモンをゲットしておくべきだったのか。 だが、今はこのバトルに集中しよう。 結果はどうあれ、今やるべきことは、このバトルだ!! アチャモとの距離がおよそ五メートルになったところで、ノズパスが攻撃を仕掛けてきた!! ほんの一瞬だけ磁気を反発させることで小さくジャンプ。 アチャモを踏み潰そうと連続で攻撃を仕掛けてきたのだ!! アチャモは必死になって避け続ける。 合間に火の粉を吐きながら逃げ回る。 「これじゃ攻撃できない……!!」 ノズパスのスピードは、アチャモにとってかなり酷なものだった。素早く磁気を反発させて、連続攻撃。明らかにアヤカによって育てられた証だ。 「アチャモ、頑張って火の粉を吐き続けて!!」 そう指示するしかない。 攻撃せず逃げ回っていても、バトルには勝てない。 なら、逃げ回りながらでも攻撃し、チャンスをつかみたい。 アチャモはアカツキに言われた通り、ノズパスの攻撃を紙一重のところで避わしながら、火の粉を吐き続ける。 パチパチと音を立ててノズパスに火の粉が当たるも、ダメージらしいダメージにはならない。 塵も積もればなんとやら――という言葉があるが、そのなんとやらにたどりつくまで、一体どれほどの火の粉をぶつければいいのか。 だが、あきらめるわけにはいかない。 どすん、どすんとノズパスが着地する度に地面が揺れる。 そして、ノズパスの攻撃精度は上がっていた。 紙一重というのが何度続いただろう、徐々に追いつめられていくのが分かる。 「何とかしなくちゃ……」 この状況を逆転させる策はないかと、必死に頭を回転させる。 今まで学んできたことをフルに活用し、状況を打破する術を探る。 ジャンプ攻撃が何十回も続いた時。 バトルが『動いた』。 「チャモ!!」 ぐきり。 アチャモがノズパスの攻撃から逃れるべく駆け出したところで――転んだ。 疲れが極限に達したのだ。 アチャモという種のポケモンは体力に優れているわけではない。 進化前だから、能力はそれほど高くないのだ。 ノズパスの巨体が頭上に迫る!! 「アチャモーっ!!」 アカツキは声を大にして叫んだ。 あの一撃を食らえば、アチャモではひとたまりもないだろう。 アリゲイツでさえ耐えられなかったのだ。 何とかして逃げてほしかったが、現実とはなんとも無情なもので。 どーんっ!! アチャモの身体に、ノズパスがのしかかった!! 「チャモ――――――っ!!」 「あ……アチャモ……」 アチャモは今までに聞いたこともないような大きな声で鳴いた。 あまりの痛みに、声を上げて鳴いたのだ。 アカツキは何もかも失った気持ちだった。 ツツジのノズパスが繰り出した岩石封じを食らったことが脳裏を過ぎる。 ノズパスが素早く飛び退く。 反撃を恐れてのことだろうが、アチャモにそのような力は残されていないようだった。 「チャ……チャモ……」 アチャモは弱々しい声で鳴くと、ぐったりとした。 今の一撃で体力をごっそりと持っていかれたのだ。 「アチャモ……もう……」 ――いいの、それで? あきらめようと、モンスターボールを手にした時だ。 アカツキは悩んだ。 自分の心の声と、今自分がやろうとしていること。 それが同じではないから、悩んだ。 あきらめたくない気持ち。これ以上アチャモを傷つけたくないという気持ち。 それが激しく火花を散らす。 「ぼくは……ぼくは……」 モンスターボールを持つ手が小刻みに震えている。 アチャモは戦えそうにない。 でも、戦うことを『棄ててはいない』。 必死に、痛みをこらえて立ち上がろうとしているのが、アカツキには分かった。 結局のところ、これ以上傷付かずに済む代わりにアチャモの気持ちを無駄にするか。 それとも、これ以上痛い想いをしてでもアチャモの気持ちに正直に従うか。 どちらか……だ。 どちらかしかない。 辛い決断だが、トレーナーとして選ばなければならない。 「アチャモ……」 アチャモはよろよろと立ち上がる。 立っているのも辛いだろう、小刻みに脚が震えているのが分かる。 「アカツキ君。これ以上戦うか、あきらめるか。それは君が決めるの。 でも、戦うと決めたなら、わたしのノズパスは容赦しない……」 アヤカが言った。 皮肉にも、その一言がアカツキの背中を押すことになった。 「ぼくは戦います!! アチャモを信じて最後まで戦う!! そう決めました!!」 「いい答え……それが聴きたかったのよ」 アカツキが張り裂けんばかりの声で答えると、アヤカはニコッと笑った。 戦いの最中で浮かべる笑み。それに何の意味があるのかは分からない。 ただ―― 「ノズパス、相手は戦うみたい。容赦しなくていいから」 「ノーズパース」 ノズパスがアチャモに向かってくる。 獅子はウサギを狩るにも全力を尽くすなどという格言がある通り、再び磁気を反発させてジャンプ!! 体重を最大限に生かしたジャンプ攻撃でアチャモにトドメを刺そうとしている。 アチャモは飛び上がったノズパスを見据えた。 「アチャモ……ぼく、あきらめないよ。 だから、アチャモもあきらめないで。ぼくを信じて」 アカツキは語りかけるように言った。 一言一句、アチャモに対する気持ちを込めて。ゆっくりと。 ポケモンバトルで、トレーナーは直接ポケモンの攻撃にさらされることがない。つまり、身体的な痛みは感じない。 でも、心を抉られるような痛みは感じているつもりだ。 痛みを共有するというのが戯言で、子供の絵空事だとしても、アカツキはポケモンと『共に』戦うことを選ぶしかなかった。 それ以外の道を自分で閉ざした。 ノズパスのジャンプ攻撃を生身の人間が受けたらどうなるか、それは分からないが、少なくとも平穏無事というわけにはいかないだろう。 骨折はもちろんするだろうし、最悪の場合は……でも、バトルで死ぬことだけはない。制約がある。 「しかし、ずいぶんと根性のあるポケモンね。 トレーナーの『いい部分』をちゃんと理解してる。信じてくれているとちゃんと理解している」 アヤカの笑みが深まった。 ノズパスの攻撃は決して弱いものではない。 それどころか、並のポケモンでは戦闘不能に陥って当然の一撃だった。 それを食らっても、アチャモは立ち上がった。 あまり鍛えられていないアチャモが……と信じられない部分もあるが、納得はできる。 「アチャモ、火の粉だ!!」 アカツキは放物線を描きながら落下してくるノズパスを指差して、アチャモに指示を下した。 もう一度あれを食らったら、間違いなく戦闘不能になるだろう。 でも―― 「そんなこと、絶対させない」 アカツキは自分にそう言い聞かせた。 最後の手段として、自分がノズパスの攻撃を受ける。 ポケモンを守るために。必要以上の苦痛を与えないために。 もっとも、その前にモンスターボールに戻してしまえばいいのだが…… バトルで興奮しきっているアカツキにその選択肢を思い浮かべるだけの冷静さはなかった。 アチャモは視界を埋め尽くさんばかりに落下してくるノズパスに向けて、口を大きく開いた。 火の粉……炎タイプの技としては初歩的なもので、レベルの高い相手や相性的に苦手な相手にははっきり言って効果が薄い。 だが、アチャモにはその技しかない。 引っかく攻撃も、つつく攻撃も、岩の堅さを持つノズパスにはほとんどダメージを与えられないだろう。 だから、自らの持つタイプである炎……火の粉で対抗するしかないのだ。相性が悪いとしても。 それに、バトルは相性ですべてが決まるわけではない。 ある程度の要素としてしか取り入れられない。 「チャモ――――――――――――っ!!」 あらん限りの声を上げ、口から火の粉を発射しようとした――まさにその時。 アチャモの身体が光った!! 「え……?」 興奮は一瞬にして吹き飛んだ。 一体何が起こるというのか。アカツキには予想さえつかなかった。 フィールドの向こう側に陣取っているアヤカが、微笑ましいものでも見ているような眼差しをアチャモに注いでいることも気にならなかった。 そうしている間にも、ノズパスが恐ろしい加速度をつけて、隕石のように降ってくる。 劇的なまでに距離を詰めてくる。 その中で、それは始まった。 「一体何が起こってるんだ……?」 この三日間、アチャモの身に起こっている事象については勉強していなかった。 だから、知らなくてもある意味当然だったりする。 しかし、知るべきだった。これから起こることを。 光に包まれたアチャモの身体が徐々に大きくなる。 捻れば折れてしまいそうなほどか細い脚が太く大きくなり、身体もボリュームを増していく。 全体的に縦長な印象をもたらしたところで、光は消えた。 「……アチャモ……?」 そこにいたのはアチャモではなかった。 それにさえ気づけないほど、アカツキは落ち着いていなかった。 猛禽を思わせるような眼差し、頭上のトサカはさながら炎のように見える。 人の形に近くなったせいか、身体の大きさの割にやや長めの腕には、鋭い爪が三本並んでいる。 アチャモの時の面影はすっかりなくなっていた。 もっとも、そのポケモンはアチャモでなくなってしまったのだが。 「アチャモじゃない?」 アカツキは図鑑を開いた。 と、その時ノズパスが落下した!! どっしーんっ!! 大音響と共に地面を揺らすが、アチャモだったそのポケモンは、その一撃を難なく避わしてみせた。 くだらない攻撃だと言わんばかりに、鼻を鳴らす。 センサーを向けると―― 「ワカシャモ。わかどりポケモン。アチャモの進化形――」 「ワカシャモ? アチャモの、進化形……」 アカツキは液晶に映し出されたそのポケモンと、ノズパスの攻撃を避わしたポケモンを交互に見つめた。 面影はないが、アチャモに似ていないこともない。 身体の色は同じだし、頭上のトサカも、どこか見覚えがある。 「ワカシャモか……イイ顔してんじゃん」 アチャモと比べて凛々しいワカシャモの顔を見つめ、ユウスケがにやりと笑みを浮かべた。 本当に、バトルとは何が起こるか分からない。 このバトル……アカツキの負けかな、と思いかけたところに、いきなり進化が始まったのだ。 これは面白くならないはずがない。 ワカシャモなら、ノズパス相手に互角以上に戦えるだろう、アリゲイツと同様に。 「――勇猛果敢な性格で、野山を駆け回っては足腰を鍛えている。 一秒間に十発近いキックを放つことができる。 なお、鳴き声がうるさいので、トレーナーは周囲の環境に配慮しなければならない」 アカツキは図鑑でワカシャモの項を見て、気づいた。 アチャモは純粋な炎タイプだったが、ワカシャモに進化すると格闘タイプを兼ね備えるのだ。 そして、トレーナーズスクールで学んだことがより一層発揮される。 こと相性については徹底的に頭に叩き込んでおいたのだ。 「格闘タイプなら、岩タイプに有利だ!!」 まだまだ望みが断ち切られていないことに気がついて、アカツキは俄然やる気が沸いてきた。 「ノーズパァァァァス!!」 ノズパスが再びジャンプ攻撃!! アチャモと違って、ワカシャモを油断ならない相手と判断したのだろう。 アリゲイツの時と同じくらいの高みにまで跳び上がると、一直線にワカシャモめがけて落下を開始した!! いくら進化したとはいえ、体力が回復するわけではない。 能力が幾分か底上げされても、痛いものは痛いのだ。 だから、決着は早期――長引けば長引くほど不利になる。 だから―― 「早く終わらせる」 ギュッと拳を握り、アカツキはワカシャモに指示を下した。 「ワカシャモ、二度蹴り!!」 「シャモーっ!!」 ワカシャモが甲高い声を上げると、空へ跳び上がったノズパスを見据え、膝を曲げ、ジャンプ!! 「うっわー、すごい!!」 アカツキはワカシャモのジャンプ力に驚嘆した。 アカツキだけでなく、他のクラスメイト達も同じだった。 ワカシャモは瞬く間にノズパスと同じ高みに達すると、器用に脚を動かして、蹴りを叩き込んだ!! ワカシャモの脚力は、日頃から野山を駆け回っているために、十数メートル程度をジャンプするのなら難ないほどだ。 そんな脚力から放たれる蹴りの威力たるや、凄まじい。 「ノズパぁス!!」 強烈な蹴りを受け、ノズパスが悲鳴を上げる。 だが、これ以上の悲鳴を許さないと言わんばかりに、ワカシャモがノズパスと同じで落下しながら次々と蹴りを叩き込んでいく!! さっき、強烈なのしかかり攻撃を食らったことに対する仕返し、と言わんばかり。 二度蹴りどころか、連続蹴りだ。 次々と、弱点である格闘タイプの攻撃を決められ、ノズパスは反撃どころではない。 落下中ということも手伝って、ワカシャモに手も足も出ない!! 地面が近づく。 ワカシャモはノズパスの頭に乗っかった。 いくらジャンプ力があっても、着地する時の衝撃は、その小さな身体で受け止めるにはあまりに大きいだろう。 体長およそ90センチ。 アカツキのお腹と肩の間くらいの身長で、体重はおよそ20キロ。 アチャモの時と比べると、格段に成長したと言えるだろう。 「へえ……これはなかなか……」 アヤカはノズパスがやられているというのに笑みを崩さなかった。 それほどに、アカツキの――彼らの成長した姿を卒業試験という晴れ舞台で見ることができて、うれしいのだ。 地面に激突する寸前、ワカシャモが跳び上がる!! 猛烈な落下スピードのため、実際はそれほど高くジャンプしたわけでなかったが、ワカシャモにとっては十分すぎるほどの高さだった。 どごーんっ!! ノズパスが地面に激突した!! 「もしかして、今ならできるかも!!」 アカツキは思い切って、ワカシャモに指示を下した。 もしかしたら、ワカシャモもそうするつもりだったのかもしれない。 技の名前を知っているかどうかは別としても。 「ワカシャモ、メガトンキック!!」 五メートルの高さから一直線に落下するワカシャモ。 鋭い爪のついた脚から放たれる強烈な蹴り――メガトンキック。 蹴り系の技の中では最強クラスの威力を誇る。重さとスピードがモノを言う技だ。 ワカシャモのメガトンキックが、よろよろと起き上がってきたノズパスの脳天に炸裂する!! ごぅんっ!! 大気を震わせる轟音。大気を伝わる衝撃が、アカツキの身体にまで届いた。 ピリピリとした、針でちょいと突かれるような感触。 「す、すごい……進化したら、ここまですごくなるなんて……」 ワカシャモの進化に、アカツキは驚きしか感じなかった。 アチャモの時には考えられないパワーと格闘タイプの技。 凄まじいジャンプ力。どれを取ってもアチャモの上を行く。 ワカシャモは軽やかに着地し、ノズパスに背を向けた。 もう戦いは終わりだ……と物語るかのように目を閉じる。 ノズパスは、ワカシャモのメガトンキックを受け、沈黙している。 まだ立ち上がれるのか……アカツキは息を呑んでその挙動を見守った。 しかし、三分経ってもノズパスは立ち上がることがなかった。 「ノズパス、戦闘不能。なので、このバトルはアカツキ君の勝ちっす!!」 リンが名前どおり凛とした声で告げ、アカツキ側の旗を上げた!! その瞬間、歓声が沸き起こった。 「すげーぜアカツキ!!」 フィールドに駆け込んできて、アカツキの手を取ったのはユウスケだ。 「え……」 アカツキは勝利したという実感があまりなかった。 当事者がこれでは困るのだが……まあ、下手にひけらかしたりするよりはマシだろう。 「おまえの勝ちなんだよ!! 卒業試験、合格なんだよ!!」 「あ、うん……」 ユウスケがアカツキの手を激しく上下させるが、彼は彼でワカシャモに視線を移した。 ワカシャモは口の端に笑みを浮かべ、ゆっくりとアカツキの方へと歩いてきた。 「負けたわね。 わたしが指示出してたら確実に勝てたけど……ま、言い訳はやめとくわ。 惨めになっちゃうもんね」 アヤカは素直に負けを認めた。 アカツキのワカシャモ……進化した途端にノズパスを圧倒し始めた。 進化というのは相性をひっくり返すだけの可能性を秘めているのだ。 「戻って、ノズパス」 目を回して倒れているノズパスをモンスターボールに戻すと、労いの言葉をかけてボールを腰に据えつける。 「ワカシャモ!!」 アカツキはユウスケの手を振り払い、ワカシャモ目がけて駆け出した。 両腕を広げ、同じように駆けて来たワカシャモを全身で受け止める。 ずしりとした重みが伝わってきたのは、進化したからだろうか……なんてことを考えてみた。 ワカシャモはあまり変わっていなかった。 姿形は違っても、中身はまるで変わっちゃいない。 甘えん坊で、陽気で、それで……ワカシャモはアカツキのぬくもりを感じるように、頬擦りしていた。 「すごいよ、ワカシャモ!! やっぱり君ってすごい!!」 「シャモーっ!!」 ワカシャモが甲高い声で嘶いた。 耳元で大きな声を出されたものの、アカツキはそれを咎める気にはならなかった。 耳は痛いが、我慢できないほどでもない。 それに―― それがワカシャモという種のポケモンの特性であるから、それを無理に否定するのはトレーナーとしてやってはならない行為。 「おめでとう。卒業試験、君は見事合格よ!!」 アヤカがやってきて、アカツキの肩に手を置いてウインクひとつ。 「ありがとうございます、アヤカ先生」 喜びの場面もほどほどに、アカツキはアヤカの目をまっすぐに見つめた。 「三日間って短い間だけど、君は大きく成長したわね。 ここで学んだことを、ツツジと戦う時もちゃんと発揮できるといいわね」 「はい、頑張ります」 喜びで胸を満たしながら、アカツキはそう遠くないうちに迎えるツツジとの再戦の時のことを考え出した。 次は負けない……だって、アリゲイツやジグザグマ、ワカシャモもいてくれるから。 それに、岩石封じを『突破』する方法も見つけられた。 ワカシャモの凄まじい脚力がヒントになったのだ。 アカツキのトレーナーズスクールでの三日間は、喜びと歓声のうちに幕を閉じた。 そして、新しい戦いの幕が開ける。 第18話へと続く……