第21話 思いがけない再会 -Happening- 連絡船に乗って二日目の夕方。 アカツキとアヤカはムロ島にたどり着いた。 自然が色濃く残る島で、南国でもないのにところどころにヤシの木が生えていたりする。 船を下りて、ムロ島に足をつけたところで深呼吸。 自然の香り……としか言いようのない新鮮な空気を思い切り吸い込んで、アカツキは表情を緩めていた。 「いいトコでしょ」 「うん。とっても」 寝泊りに選んだムロタウンのポケモンセンターを目指す途中で、ふたりは他愛のない会話を交わした。 夕暮れ時――オレンジ色に染まる空という背景。 太陽が海の彼方に沈んでいくのを横目で見つめながら、アカツキは想いを馳せた。 ムロタウンにはムロジムがあり、ジムリーダーがいる。 明日にでも挑戦しようと思っているので、今夜はどうにも寝られそうにない。 どのポケモンで挑戦するか、日付が変わるくらいまで散々悩み続けること請け合いだ。 じゃりっ。 道を踏みしめる靴の音は、そんな感じだった。 定期船が接岸する桟橋からムロタウンまでは少々離れており、桟橋と町をつなぐ道路は土を敷き詰めてローラーで固めた道だった。 自然が色濃く残っているのをウリにしているムロ島には、アスファルトの道路は似合わない。 自然豊かな島のジムリーダーは、どんなタイプのポケモンを出してくるのだろうか……? 想いをめぐらせていると、アヤカがアカツキの顔を横から覗き込み、笑み混じりに言った。 「明日にでもジムリーダーに挑戦するって顔ね」 「え、分かる?」 「そりゃもちろん。君の考えそうなことならお見通し」 アッサリ言われ、アカツキは頭の後ろで手を組んだ。 「でも、ダイゴさんに手紙渡すのが先よ。 どうせポケモンセンターにいるでしょうから、すぐにでも渡せるわ。 どっちにしたって君の予定を妨げるようなことにはならないと思うから、安心していいわよ」 「うん」 そういえば……と、アカツキはその名前を聞いて思い出した。 今の今まで、ムロジムでのジム戦ばかり考えて、この島を訪れた本来の目的を忘れていた。 ジム戦はもちろん、ジム戦をやろうと思うキッカケになったのが、ダイゴに手紙を渡すということだった。 彼はデボンコーポレーションの社長、ツワブキの息子。 アヤカ曰く、凄腕のトレーナーで、自分は彼の足元に及ばないとか。 人格的にも整った人らしく、アカツキは彼に会うのを何気に楽しみにしていた。 「アヤカさん。 ダイゴさんに会えば、強くなれる方法を教えてもらえるのかな?」 「さあ。それは君次第ね」 「ぼく次第……」 「そう」 アヤカは即答した。 いかな偉人と出会おうと、どんなに立派で正しい説法を受けようと。 結局のところ、強くなれるかなれないかはそう願う本人にかかっている。 誰かがその努力を肩代わりできるわけではないのだ。 だから、強くなれるかどうかは、その本人だけが決める。他の誰も口を出せない。 ただ、方法に関してなら、ある程度はアドバイスという形でもたらすことができるかもしれない。 「叔父様も仰ってたでしょ。ダイゴさんに会うことは君にとってプラスになるって」 「うん」 「わたしも叔父様と同じ意見。ダイゴさんと話してみれば、きっと分かるわ」 「頑張ってみるよ」 「いい答えね」 アカツキは自信たっぷりの様子だった。 自分にとってプラスになる。その意味を再確認したらしい。 それから他愛ない話を交えながら十数分歩くと、ムロタウンに入った。 ミシロタウンに似て建物は疎らで、閑静な町並みが広がっている。 家と家の間や車道と歩道の間など、隙間があればそこら中に樹を植えているような感があり、そのせいか緑豊かな景色が広がっている。 海岸線に面しているだけあって、高波には神経質なのだろう。 自然豊かな町には不似合いなコンクリートの防波堤が設けられているが、機能性を重視した結果かもしれない。 その他にはとりわけ特徴は見当たらない。 夕暮れの時間帯だけに、波打ち際の砂浜にも人は疎らで、海の家とかももう店じまいしているようだ。 「ミシロタウンと同じくらい静かだな……」 車道こそあるものの、車の往来はほとんどない。 どうだか知らないが、環境美化のためだとすれば、それは大したものだろう。 次第に灯り始める街灯が、通りを照らす。 光のように感じられるところもまた、風情があっていい。 自然豊かな景色を楽しむうち、ポケモンセンターにたどり着いた。 カナズミシティのポケモンセンターと比較するのは酷と思えるほど小型だ。 二階建てで、大きさもカナズミジムと同じくらい。 自然が色濃く残る島、というのを意識したのだろう。 敷地内には緑があふれており、さながら植物園の様相を呈していた。 辺りの緑に目をやりながら、ポケモンセンターの自動ドアを潜る。 ロビーの奥にあるカウンターで、ジョーイと話している人物の後ろ姿に見覚えがあって、アカツキは短く漏らした。 「あ……」 後ろにゆるくウェーブのかかった、白みがかった髪。大きめのバンドを額に巻いている。 その後ろ姿を見紛うはずもなかった。 「ユウキ!!」 アカツキは喜びに満ちた声を上げると、手を振ってその人物の元へと駆け寄った。 「うん?」 彼――ユウキは振り返ってその視界にアカツキの姿を認めると、パッと表情を輝かせた。 駆け出す暇もなく、アカツキがすぐ傍までやってきた。 「アカツキじゃん。久しぶりだなぁ、元気してたか?」 「うん。ユウキこそ元気そうでよかったよ」 「まあな」 ユウキは口の端に笑みを浮かべた。 『オレが簡単にくたばるとでも思ってたのか?』とでも言いたそうだが、そんな大人びたところもまた愛嬌だった。 そこのところは、博士の息子らしい振る舞いかもしれない。 「しっかし、おまえどうしてこんなとこに?」 「ユウキこそどうして?」 「あら、お友達?」 お互いに質問をぶつけ合っているところに、アヤカがやってきた。 「うん。ぼくの親友なんだ」 「へえ……」 アヤカはニコッと微笑んでユウキを見つめた。 彼はイマイチ要領を得ていないようで――初対面だったから、それも無理のないことだった。 「アカツキ。この人は?」 ユウキは不思議そうな顔でアヤカの顔を見上げた。 「自己紹介も兼ねて、食堂に場所を移さない? ここだといろいろとジャマになりそうだしね」 アヤカの言葉が鶴の一声となって、三人は場所を変えることになった。 ロビーであれこれ騒いでは、ジョーイや他の宿泊者に迷惑をかけるだろう。 そこで、ジョーイに今晩泊まる旨を告げてアカツキとアヤカは別々の部屋の鍵をもらい、それから場所を食堂に移した。 セルフバイキングとなっており、各自が好きなものを好きなだけよそってくるのだ。 とりあえず好みのものをチョイス。 食べられるであろう分量だけよそって、席につく。 アカツキとユウキは隣り合わせに座り、ふたりと向かい合う形で、アヤカがテーブルを挟んだ向かいの席に腰を下ろした。 アカツキは席につくなり、チラリとユウキの横顔を見やった。 旅に出る前と大して変わっていない。どこか悪巧みをしているように見える笑みも、意志の強そうな瞳も。 あの頃とまるで変わっていなかった。 むしろ、アカツキの方が変わりすぎたのかもしれないが…… そこには触れることなく、アヤカが早速口を開いた。 「わたしはアヤカ。ユウキ君……って言ったかしら? 会うのは初めてね。よろしく」 「あ、こっちこそよろしく」 お互いに礼儀正しく頭を下げたものの、ユウキはどこか余所余所しかった。 こういうシチュエーションが苦手、ということもあるのだろうが、大人の女性に接する機会がなかったというのはアカツキと大差なかった。 「ところでアカツキ。どこでこんな美人ゲットしてきたんだ?」 「は?」 「いやだわ、美人なんて。ユウキ君ったら冗談が上手いんだから〜」 ユウキが肘でアカツキの脇腹を突いたが、アカツキは意味が分からないと言った風に、困った顔で首を傾げた。 アヤカは初対面の相手からいきなり美人と言われて、まんざらでもないのだろう。 ほほほほほ、と笑いながら手を振った。 本当に美人と言ってくれたと思いたい。 反面、お世辞かもと冷静に分析する一面……といったところか。 ユウキは人知れず、アヤカの表情からそう読み取った。 博士の息子だけあり、人やポケモンに対する観察眼は確かだ。 父親のフィールドワークと、母親のインドアワークに付き合っていると、観察眼が自然と身につくものなのだろう。 「ま、いいや。しかしアカツキ。おまえさ、なんかどっか変わったな〜」 「え、変わったって?」 フォークでポテトを突き刺しながら、アカツキは訊ねた。 一体自分の何が変わったというのか。 ユウキの目から見て変わったようなところがあるとでもいうのか。 「内面なら分かるけど……」 たかだか十日やそこらで見た目が急激に変わることなどない。 事故とかに遭ってケガすれば話は別だが。 あいにくとアカツキは五体満足だ。 まあ、いろいろとあったが、無事に旅を続けている。 「雰囲気とかさ。あん時はどうも頼りなくて危なっかしかったんだけどな…… 今じゃちょっと違う気もするな」 「へえ、見た目あるのね。驚いちゃったわ」 サラダのレタスをパリパリ頬張りながら、アヤカが目を細めた。 どことなく知的な雰囲気を漂わせているが、気のせいではないのだろう。 彼女がそう思ったのに合わせるようにして、アカツキがユウキのことを紹介した。 「アヤカさんには言ってなかったけど……ユウキはオダマキ博士の子供なんだよ」 「オダマキ博士の息子なんだ〜。 なるほど、道理でそんな『目』をしていると思ったら」 「目?」 「なるほど……」 アカツキが首を傾げる傍で、ユウキは笑みを深めた。 アヤカの言わんとすることが分かったからだ。 煮ても焼いても食えないとはこのことだ――と、ただそれだけでも十分すぎた。 だからこそ、疑問が生じる。 「アヤカさん……だっけ。あんたはどうしてアカツキと出会うことになったんだ?」 出会い。それこそが疑問だった。 面と向かって言えないが、アヤカの落ち着いた物腰に、何か深いところまで探りを入れているかのような眼差し。 どう考えてもただ者ではない。 実にいいカンをしている。 彼女はカナズミジムの元ジムリーダーなのだ。当然、ただ者ではない。 「わたしたちはトウカの森で出会ったの」 「トウカの森……」 トウカシティとカナズミシティを結ぶ104番道路。 その中に横たわる大きな森。 様々なポケモンが棲んでおり、ユウキもオダマキ博士と何度かフィールドワークで入ったことがある。 「キノココをゲットするのを手伝ってもらったのよ。 それからの付き合い。ま、一週間もないんだけどね」 あっけらかんと笑うアヤカ。 「ふーん」 スイカを頬張るユウキ。 「…………」 アカツキは、なんだか取り残されているような気がした。 そう感じてしまうのは、ふたりが人を見る目に長けているからだったのだが、それに気づかないまま、アカツキは声を上げた。 「それからいろいろとアヤカさんに世話になったんだよ」 「へえ。聞かせてもらいたいな。オレも今までのことを話してやっからさ」 「うん」 ユウキの今までのことも聞けるとあって、アカツキは張り切って話し始めた。 「アヤカさんがキノココをゲットしてから、いろんなことを教えてもらったんだ。 ダブルバトルとか、その他にもいろんなことをね。 それから、カナズミシティで、ぼくはポケモントレーナーズスクールに三日間だけだけど体験入学させてもらったんだよ」 「へえ……」 ユウキは眉を動かした。 アカツキがここまで張り切っているのを見るのは、実に久しい。 ミシロタウンにいた頃も、そこまで元気にハキハキと話してくれたことは数えるほどしかない。 そのいずれもうれしい報告だったから、今回もいい経験をしたのだろう。 「アヤカさんがいろいろなことを教えてくれたから、ぼくはカナズミジムのツツジさんに勝てたんだ」 「マジ!? ジムリーダーに勝ったのか? へえ、そりゃすげーじゃねえか!!」 ツツジに勝ったという言葉を聞いて、さすがにユウキも興奮した。 アカツキがジムリーダーに勝てるほど、十日間で強くなったなんて。 信じられない気持ちでいっぱいながらも、自分のことのようにうれしかった。 親友というのはそういうものだ。 喜びは二倍に、哀しみは半分にできる。 「とはいえ、一回は負けちゃったんだけどね」 アカツキは舌を出して、照れくさそうに後ろ頭をポリポリと掻いた。 「だけど、それは彼の努力あってこそなの。わたしは彼の背中を押したに過ぎないわ」 「そうだろうな」 ユウキは頷いた。 いかに物事を教えようと、それを吸収するかしないかは教えられた本人次第。アカツキが相当に努力したからこそ、ツツジに勝てたのだ。 「でも、ホントにすげえよ。ジムリーダーに勝っちまうんだもんな。 あー、オレもウカウカしてらんねえや」 ユウキは声を上げて笑った。 この子、できるわね……アヤカは笑ってみせるユウキに鋭い視線を向けながら、そう思った。 余裕が見て取れるわけではない。 だが、ユウキはできる。恐らくはアカツキよりもポケモンバトルの腕が立つだろう。 博士の息子、という看板でそれを感じたわけではない。 「それからね、デボンコーポレーションの社長さんに頼まれて、社長さんの息子さんを訪ねてこの島にやってきたんだ」 「デボンの社長さん……つーと、ツワブキ社長か」 「あら、ご存知なのね」 「ああ。親父と一緒に、たった一度だけど会ったことがあるんだ。 ずいぶんと物腰穏やかで、社員からもよく慕われてるタイプだと思ったよ」 「さすがね」 アヤカは口元に笑みを浮かべた。 一度会っただけで、ツワブキ社長の人物像をピタリと言い当てた。 どうやら、人を見る目は本当に『ホンモノ』らしい。 「ダイゴさんに手紙を渡しに来たのよ。 いろいろとお忙しいみたいだからさ、社長自らが来るわけにもいかないのよねぇ」 「まあ、そうだろうな。 あの人は各地からいろんな講義の誘いが来てたり商業的な会議に参加したりと、毎日が戦場を駆けずり回るみたいだから」 「ええ。社長の息子さん――ダイゴさんはこの島にいるらしいんだけど、知らないかしら?」 「うーん……」 ユウキは笑みを崩し、胸元で腕を組んで唸った。 視線を左上に向けて、考え込んだが、返ってきた答えはノーだった。 「オレはここ三日間くらいポケモンセンターを根城にしてっけど、そんな大層な人は見かけなかったな。 ポケモンセンターにはいるかもしんないけど、たまたまオレが見かけなかっただけってこともあるかもしれない」 「なるほど。ごめんね、つまらないこと聞いちゃって」 「いや、気にしないでいいよ」 ユウキはパタパタと手を振りながら、胸中では『面白くなってきた』と笑みを浮かべていた。 人望厚きツワブキ社長の息子がこの島にいる……ユウキも彼に会ってみたいと思ったが、口には出さなかった。 それはアカツキとアヤカの役目だ。 自分が割って入るのも気が引ける。 このふたりなら同行を申し出たとしても断ったりはしないのだろうが。 まあ、ユウキはユウキでやりたいことがあるから、そっちを優先させるつもりだ。 「そういやさ、アカツキ」 「なに?」 「ハルカは見かけなかったか?」 「ううん、見てない。あれから会ってないよ」 「そっか……」 ユウキも旅に出て二日目――コトキタウンでハルカと別れてから、彼女とは今まで会っていない。 まあ、元気いっぱいの女の子のことだ、今頃は意気揚々と旅を続けているに違いない。 「そういえば会ってないなぁ……」 カナズミシティまで、アカツキはハルカの後を追うように旅をしてきた。 一日程度の差だったが、結局それは今の今まで埋められずじまい。 トウカジムで、ハルカの父でジムリーダーのセンリから聞いたのを最後に、彼女の足取りはつかめなくなっている。 今頃、どこで何をしているのか。 友達として、同じポケモントレーナーとして、彼女の動向が気になるものの、今のアカツキにそれを確かめる手段はなかった。 「ハルカ……って、その子もミシロタウンの出身なの?」 口元に手を当て、アヤカが訊ねた。 どことなく真剣な表情を浮かべていたが、アカツキもユウキも気づくことはなかった。 「いや、ジョウト地方のワカバタウンが出身なんだって。ミシロタウンに引っ越してきたんだよ」 「ふーん、そうなんだ……友達?」 「うん。友達だよ」 元気いっぱいに頷くアカツキの顔を見て、アヤカは真剣な表情を崩し、笑みを浮かべた。 気のせいだったと言わんばかりの表情の変化だ。 「そういや知ってたか、アカツキ?」 「え、なに?」 「ハルカがジムリーダーの娘だってことだよ」 「うん。ハルカのお父さんから聞いたよ」 「そっか。知ってたか」 つい最近仕入れた情報を披露するつもりが、その必要もなさそうだった。 カナズミシティに行くのなら、トウカシティに必ず立ち寄ることになる。 なら、ジムに挑戦するつもりで赴いたところに知らされたといったところか。 「ジムリーダーの娘さんなんだ……」 「ああ。母さんから聞いた時にゃ驚いたぜ」 頬をポリポリと掻いて、ユウキはトマトジュースを一気に飲み干した。 ユウキはオダマキ博士やカリン女史からほぼ毎日様々な情報を仕入れている。 ポケモンの動向やら研究結果など。 その他に「こういうの研究してもらえない?」と依頼されることもある。 オダマキ博士がフィールドワークを得意としていると言っても、毎日毎日外に出かけているわけではない。 それに、遠方ともなると、そう易々と行けるものではない。 だからこそ、旅に出ているユウキに代わりに頼んでいるのだ。 「ま、ハルカのことだから、結構元気でやってるんじゃないか?」 「トウカシティで別れたんでしょ?」 「ああ。あいつは西へ向かったぜ。 オレは北上して、それから東に進んでカイナシティに行ったんだ。 あそこの『海の科学博物館』とか『カイナ市場』にゃ一回行ってみたかったんだよ」 「で、どうだったの?」 アカツキが興味津々な眼差しで聞いてくるので、ユウキとしても思わず笑みが漏れた。 実際、あまり変わっていないのかもしれないと思った。 目の前にいる男の子は相変わらず何にでも興味を示している。彼のパートナーと同じように。 「結構面白かったぜ。おまえもカイナシティに行くんだったら一回は見とけよ」 「そうするよ」 「んじゃ、そろそろ食べるとすっか。冷めるとあんま美味しくないからさ」 「うん」 ということで、三人はそれからあまり言葉を交わさず、ひたすら料理をぱく付き続けた。 せっかくの夕食ということで、ゆっくりと味わう。 アカツキは海の幸がふんだんに盛られたパエリアを食べていた。 エビやらイカやらタコやら……見慣れているはずの食材も、装いが違うと、まるで別のものに見えてくる。 ほどよくスパイスの効いたエスニックな味付けも、アカツキにとっては美味しかった。 他にサラダやコーンスープなどもあったが、すべて残らず平らげて、話を早々に切り上げると、それぞれの部屋へ向かった。 三人の部屋は連番だったのだが、偶然にしてはよくできていると思わずにはいられない。 「もしかして、ぼくはここでユウキと再会するって運命だったのかもね」 アカツキがそういった冗談を飛ばすと、ユウキは苦笑しながらこう言った。 「確率論じゃゼロじゃないからな。 運命なんて言葉はあんま信じない主義なんだが、ま、そういうのも悪くないかもな」 何も科学がすべてではないのだ。 頭では分かっているつもりだが、気がつくとそっち方面で物事を考えてしまう。これは、研究者である両親から受けた悪い影響かもしれない。 「それじゃ、また明日。おやすみ」 「うん、おやすみ」 一番近いアヤカが部屋に入っていくと、アカツキとユウキは少し部屋から離れて、 「ユウキ。後で屋上に来てくれないかな。いろいろと話とかしたいし」 「ああ、いいぜ」 屋上で話をする約束を取り付けて、別れた。 アカツキは部屋に入るとリュックを机の上に置いて、ベッドに倒れ込んだ。 少し休んでから屋上へ行こう。 最近はどうにもいろんなことがありすぎた。 以前もそんなことを思ったが、それくらいいろんなことがあったということか。 でも、まさかここでユウキと会えるとは思わなかった。 いつかどこかで会えるだろうと気長に構えていただけに、言葉にできないほどうれしい。 どうせユウキのことだから、いろんなポケモンを手当たり次第にゲットしまくっているのは間違いない。 ポケモン図鑑も結構埋まってきているのかもしれない。 まあ、そこのところは赤外線通信でお互いのデータを共有すれば、アカツキが出会ったことのないポケモンでも図鑑で見ることができる。 問題があるとすれば、ユウキがどれほどのポケモンをゲットしたかということか。 見かけただけでも図鑑には登録されるので、ゲットした数よりも多いのは確実だ。 「そういえば、ハルカはどうしてるかな……」 結局、カナズミシティでも会えなかった。 彼女が落ち込んでいたりする姿など想像できないが、どうにも気になって仕方がない。友達だから、余計に気になるのかもしれない。 「まあ、ぼくはぼくなりのペースで旅を続けていくけど」 誰が相手でも関係ない。 アカツキの旅はアカツキだけのものだ。他の誰のものでもない。 だから、自分なりのペースで続けていくことこそ価値がある。 「でも、本当にユウキと会えてうれしいな」 ミシロタウンにいた頃は、傍にいるのが当然だと思っていた。 友達はいつでもどこでも傍にいてくれる。 だが、旅を始めてそれが間違いということに気づかされた。 共に旅をするポケモンという仲間はいても、いつも傍にいてくれた親友はいない。 遠く離れた場所で、自分と同じように旅をしている。 淋しいと思った。 でも、だからっていじけてばかりいられない。 自分には自分の夢がある。それを叶えるために日々邁進していかなければならないのだ。 「そう、だからぼくは立ち止まっちゃいられないんだ」 そろそろ頃合か。 アカツキはベッドから下りると、リュックを背負わず、そのまま部屋を後にした。 誰もいない廊下。 明かりが点いている分だけ、ぞーっとする感じはないのだが、どうにも虚しくなってくる。 アヤカの部屋の前を通り過ぎ、角を曲がったところにある階段を昇る。 屋内と外を隔てるドアをくぐると、満天の星空がまず目に飛び込んできた。 都市のように空が汚れた場所ではとても見られない、素晴らしい光景。 ミシロタウンでも、なかなかお目にかかれない夜空だろう。 雲ひとつなく、無数の瞬く星たちが夜空を彩っている。 「お、来たか」 屋上の端にある手すりに、ユウキは身体を預けていた。 近づいてくる足音に気がついて、身体をそちらに向ける。 「ユウキ。もう来てたんだ。遅くなってごめん」 「いや、いいんだ。オレも今来たようなモンさ」 アカツキが小さく詫びると、ユウキは手を左右に振ってそれを辞退した。 待たされたとは思っていない。 部屋に入ってから今まで十分と経っていないし、満天の星空を見ているだけでも十分に退屈を紛らわせる。 ユウキの傍まで歩いていくと、アカツキも手すりにもたれかかった。 「しかし、驚いたよ。おまえがここまで来るなんてな、想像もしてなかった」 「ぼくも同じ。ユウキのことだから、いろんなとこ駆けずり回ってると思ってたけど。 ここにいるなんて思わなかった」 「ま、そりゃそうなんだけどさ。 ムロ島は自然があふれててさ。ポケモンもそれなりにたくさん棲んでるんだ。 そういうとこでしばらくポケモンのこと見てるのも、楽しいモンだぜ」 「ふーん……そうなんだ」 ユウキらしいな。 アカツキはそう思って、ふっと笑みを浮かべた。 やっぱりユウキはユウキだ。 そう簡単に変わるほど、彼は主体性のない人生を送っているわけでもないだろう。 「ところでよ、ポケモン図鑑はどうだ? 結構ポケモン見つけたか?」 「うん……でも、ユウキと比べたらまだまだだと思うけど」 「まあ、そうかもな。んじゃ、赤外線通信でデータを共有しとこうぜ」 「え、してくれるの?」 ユウキは白い歯を覗かせながらズボンのポケットからポケモン図鑑を取り出してみせた。 これにはアカツキの方が驚いた。 だが、ユウキの方からデータ共有してくれると言ってくれたのだから、彼の好意を無駄にするわけにもいかない。 それに、アカツキとしても助かる。いろいろなポケモンを知ることができるから。 「うん、分かったよ」 アカツキも図鑑を取り出した。 図鑑の先端についている黒い端子を突き合わせ、図鑑のボタンを押す。 端子の中に赤外線の通信機能の部品が入っているのだ。 端子を突き合わせたまま、ユウキがボタンをいくつか操作すると、電子音がして、互いのデータを送受信した。 「これで成功だ。見てみな」 「うん!!」 アカツキは図鑑を開き、登録されているポケモンのリストを出した。 液晶に出てきたリストを見て、ため息が漏れる。 ハッキリ言って十日間でここまでやってのけたユウキの頑張りがとにかくすごかった。 というのも、ふたり合わせた数が百を超えているのだ。 アカツキが会ったのはせいぜい十数種類だったので、単純計算で、ユウキはたった十日間で百種近いポケモンと出会ったことになる。 ゲットしたのが仮にその一割だとしても、すごいとしか言いようがない。 「ゆ、ユウキ。すごいね……」 「まあな。オレはあんまバッジとかゲットするのに興味ねえし。 ポケモンのことを知るのには、まず出会うのが一番なんだよな」 と、白い歯を見せて笑ってみせた。 彼も液晶に目をやって、ポケモンのリストを参照する。 ジグザグマやキノココは、その気になればいつでも出会えるだろうから、あえてそれらのポケモンが出現しないような場所を巡ってきたのだ。 もっとも、そのおかげで普通に旅したのでは出会えないようなポケモンまで図鑑に記録できた。 レアなポケモンも何体かゲットして研究所に送った。 カリン女史が研究したくてたまらないとゴネてきたからだ。 まあ、旅をするのにそういったポケモンが不可欠というほどでもない。 実際、移動手段を確保さえできれば、無理に連れ回す必要もないのだ。 「ノズパスか……」 「うん。カナズミジムでツツジさんが使ってたんだ。すごく強かったんだよ」 「ま、そうだろうな」 ユウキが見つめる先――図鑑の液晶にはノズパスの姿が映し出されている。 岩タイプのポケモンだが、自分の持つタイプ以外の技も使いこなせる。 彼が知っているだけでも、電気タイプやノーマルタイプの技を使えるとか。 それに、カナズミジムは岩タイプポケモンを扱うジム。 それなら、ノズパスを使うのも頷ける。いろいろな技でチャレンジャーを苦しめられるから。 その他にも気になるポケモンの名前がリストにあったが、それはまた後々にすればいい。 ユウキはポケモン図鑑をズボンのポケットにしまいこむと、アカツキを見つめて、 「でもさ、ミシロタウンにいた頃はこんなのまるで想像できなかったよな」 「こんなの……って?」 不思議そうな顔でアカツキが見つめ返してくる。 話をするのにポケモン図鑑は要らないということか。 ポケットに滑り込ませると、手すりにつかまった。 「こうやってさ、ミシロタウンから遠く離れた場所で、星空を見上げるってことさ。 それも、おまえとふたりで」 「そうだね。ぼくも」 それはアカツキも同じだった。 ミシロタウンにいた頃と比べると、何もかもが新鮮なことばかり。出会ったことのないものばかりだ。 そんな生活も悪くない――むしろ楽しいとふたり揃って思っていた。 世界は知らないものであふれていて、それらと触れ合うことが楽しい。 アカツキは不意に思い立ち、ユウキに言葉をかけた。 「そうだ、ユウキ」 「うん?」 「明日ぼくとポケモンバトルしてほしいんだ」 「どうしたんだ、急に?」 「うーん。一度ユウキとポケモンバトルしてみたいと思って」 「そっか」 ユウキの返事はどこか素っ気なかった。 「あまりバトルしたくないのかな、ぼくと……」 アカツキは不安に思って彼の顔を覗き込んだが……彼の表情は晴れやかだった。 どこかうれしそうにも見える。 表情と素っ気ない返事。 どちらが本当なのか、アカツキには図りかねた。 だから、ユウキが言い出すのを待つことにしたのだが、思ったよりも早く返事があった。 「いいぜ。ただし、おまえの用事が終わったらだ。 ダイゴさん……だっけ? その人に手紙を渡し終えたら、その時にバトルする。 それでいいだろ?」 「もちろん!!」 道筋まで立てて話してくれたものだから、アカツキとしては、それはもううれしかった。 「ありがとう、ユウキ!!」 「ま、おまえがどんだけ強くなったか見てみたいしさ。 オレも少しはトレーナーとしてバトルもしてきたつもりだからな。 オレ自身の実力測るのにも、ちょうどいいって判断したんだよ」 「抜け目ないね」 「はは、誉め言葉だぜ」 ユウキからすれば一石二鳥、どころか一石三鳥だ。 ポケモン図鑑を見てみて、どこか解せないところがあったから、それを確かめるのにもちょうどいい機会。 まあ、アカツキの用事が済むまでお預け、と焦らしておくのも一興か。 その分楽しみが増えて、いいバトルができそうだ。 「ユウキの方がトレーナーとしては先輩だもんね」 「まーな。それでもどう転ぶかは分かんないとこだぜ? なにせおまえはジムリーダーに勝ったんだからな」 「うん。頑張ってみるよ」 「よし。んじゃ、そろそろ戻るか。明日は早い方がいいだろ?」 「うん!!」 とまあ簡単に完結し、ふたりはそれぞれの部屋に戻った。 部屋に入りベッドに潜るまで、アカツキの心は期待に弾んだままだった。 「ユウキとバトルできる……一回やってみたいと思ってたんだ」 親友だからこそ。 いつかはハルカともバトルをしてみたい。 ポケモンをもらって旅に出るまでは、仮に手持ちのポケモンがいたとしても、バトルすることは許されていない。 だから、とても楽しみだった。 アカツキはこれでもかとばかりに興奮していたが、よほど疲れていたのだろう。 目を閉じて数秒もしないうちに、眠りについた。 翌日。 アカツキは目を覚ますと、すぐさま食堂へ向かった。 寝ぼすけだという自覚もあったし、もしかしたらアヤカが起きているかもしれないと思ったからだ。 だが、食堂にあったのはアヤカではなくユウキの姿だった。 「よう」 「おはよう。ユウキって早起きなんだね」 「あはは、当たり前じゃん。早朝に行動するポケモンだっているんだぜ? そりゃいつでも起きられるようにしとかなきゃ見れないだろ」 「まあ、そうだけど」 朝食が載ったお盆をユウキのいるテーブルに置いて、アカツキは彼の向かい側に腰を下ろした。 「しかし……珍しいな。おまえって結構寝ぼすけさんだって思ってたんだけどな」 「まあ、そうだけど……」 アカツキは否定しなかった。 ユウキと朝早くから遊ぶ約束をしていたのに、約束の時間を過ぎてもベッドの中ということも何度かあったのだから、嫌でも否定できないではないか。 「ユウキと少しでも早くバトルしたいからさ」 「へえ、うれしいこと言ってくれるじゃんか」 ユウキは味噌汁をすすりながら、目元に笑みを浮かべた。 ふたりともメニューは和食だった。 できたてホヤホヤの白いご飯に、ワカメやダイコンが入った味噌汁。 臭いは気になるけど、何気に美味しい納豆。 トッピングとして海苔も加えて、完全な和食的メニュー。 パンやスクランブルエッグも悪くはないが、やっぱり和食に限る。 「でも、アヤカさん、まだ来てないよなぁ……」 半分ほど食したところで、改めて食堂を見渡す。 何人か増えていたが、アヤカの姿はなかった。 後ろ姿でも十分に分かる。見落としということはないはずだ。 アカツキが落ち着かない様子なのを見て、ユウキは声をかけた。 「彼女、一体なんなんだ?」 「え、なんなんだって?」 弾かれたように振り返ると、さらに言葉を突きつける。 「何者なのかってことさ。あの物腰、どう見てもただ者じゃないだろ」 「ああ、まあ、そうだねぇ」 鋭いな、とアカツキは思った。 さすがはユウキ……人を見る目は確かだ。 ポケモンに通じる者は人間にも通ずるという格言があるが、不意にそれを思い出してしまった。 隠すほどのことでもないだろうし、話したとしても、アヤカなら嫌に思ったりはしないだろう。 「アヤカさんは元カナズミジムのジムリーダーなんだよ」 「へえ……」 ユウキは感嘆の声をあげた。 ただ者ではないと思っていたが、まさかジムリーダーだったとは……どっちにしても、読みは当たったわけだ。 「ボスゴドラとかフライゴンとか使って……ぼくじゃまるで歯が立たなかったけどね」 アカツキは頬をポリポリ掻きながら、照れくさそうに言った。 カナズミシティとムロ島を結ぶ連絡船で催されたポケモンバトル。 そこで奇しくもアヤカとバトルすることになった。 アカツキはアリゲイツで善戦したものの、ボスゴドラの圧倒的な攻撃力に押し切られ、負けてしまった。 やっぱりアヤカさんは強いなぁ……と思うだけで、それほど落ち込んだりはしなかったが。 「ボスゴドラに……フライゴンか」 ユウキは口元に手を当てて、ポツリとつぶやいた。 名前を聞いただけで、そのポケモンの情報が瞬時に脳のビジョンに文字として映し出される。 二体はどう考えてもトップクラスの実力を持っているポケモンではないか。 そんなのを平気で使うトレーナーなど、そうそういるものではない。 ホウエンリーグの四天王とかチャンピオンとか…… そこまで行った次元なら分からないことはないが、どっちみち、並のトレーナーが扱いきれるポケモンでは断じてない。 ジムリーダーとて、そんなポケモンを扱っているかどうか。 「すげーじゃん。両方ともトップクラスのポケモンなんだぜ。 そこいらのトレーナーが簡単に扱えるポケモンじゃねえんだけどな」 「うん、ぼくもそう思うよ」 アカツキは正直、アヤカの強さに憧れさえ抱いていた。 ポケモンバトルの実力でも、その他でも、彼女を尊敬する部分は実に数多い。 「でも、いつかは乗り越えなくちゃなって思ってるんだ」 「そっか。なら頑張んな。おまえならきっとできるぜ」 「うん、ありがとう」 そこで話は途切れた。 朝食をキレイさっぱり平らげて、食器をカウンターに戻してもなお、アヤカは食堂に来ていなかった。 彼女が寝坊するはずなどない。スクールの教師として迎えられたのだ。 アカツキのように寝ぼすけなら、そんなことはありえないだろう。 「結構早く起きちゃうのよねぇ」 と、以前に彼女が言っていたのを思い出す。 「どうかしたのかな……?」 部屋に戻る途中、アカツキはアヤカの部屋に寄っていこうと思った。 「気になるんなら寄ってけばいいじゃん。 オレはあんまり興味ないから、別にいいけど」 「うん、そうする」 ユウキに背中を押されるようにして決めたところで、彼女の部屋の前にたどり着いた。 「んじゃ、オレは自分の部屋に戻るから。用事が済んだら部屋に来てくれよ。 準備しとくからな」 「うん」 ユウキが自室に姿を消すのを見送ってから、アカツキはアヤカの部屋の扉を叩いた。 「アヤカさん。起きてる? アカツキだけど〜」 しかし、待てども待てども返事はなかった。 「アヤカさ〜ん。起きてますか〜?」 確認の意味で、さっきよりも強く扉を叩いたが、それでも返事はない。 「どっか行ったのかな……」 先にダイゴに手紙を渡しに行ったとか……いや、それは考えられない。 彼女はアカツキを連れて行くことを前提としていたのだ。 約束を違えるような人間ではない。 「うーん、いないのかな……」 三分ほど待っても、声も聞こえてこなかった。 「アカツキ。どうしたんだ、まだそこにいたのか?」 「あ、ユウキ」 トイレに行こうとしていたユウキが部屋から出てきて、未だにアヤカの部屋の前で立ち尽くしているアカツキを怪訝な目で見つめた。 「うん。アヤカさん、出てこないんだ」 「そりゃおかしいな。どれ……」 トイレに行く気もなぜか失せ、ユウキもアヤカの部屋の前に立った。 扉に耳をピッタリつけて、中の音を探る。 「静かだな。留守……ってわけでもなさそうだけど」 「じゃあ、いるの?」 「そうだな。入ってみりゃ分かる」 「そりゃそうだけど、でもそれって……!!」 事も無げに言ってくるユウキに、しかしアカツキは顔を真っ赤にして、大慌てで反論した。 「じょ、女性の部屋に無断で立ち入りなんて、そんなこと……」 「事態が差し迫ってたら?」 「え?」 「たとえば、彼女が腹痛でのた打ち回ってたりしたら? おまえは女性の部屋だからって理由で入らずに、苦しむ彼女を放っておくか?」 「え……それは……」 アカツキは俯いた。 ユウキの言うことは確かに正しい。 結果論では確かに正しいが、プロセスとしてはどこか違っているような気も……そこのところは、純真な少年らしい反応だっただろう。 「ま、いいや。入るぜ」 ドアノブに手を掛けるユウキ。 「うん」 こうなったら……アカツキも腹を括った。 というのも、叱られるのはひとりじゃないから。 ユウキがいれば百人力というか、叱られるのも半分で済むだろうという拙い考えがあった。 「アヤカさん。入るぜ」 一応大声で断ってから、ドアを開ける。鍵はかかっていなかった。 開けたところで、アカツキが先に入った。 別にそんなのはどうでもいいのだが、事態が差し迫っていたら……ユウキの言葉が脳裏を過ぎる。 「アヤカさん」 躊躇いは隠せなかったが、寝室に踏み込む。 アヤカはベッドで寝ていた。 「どうしたの? 眠いの?」 ゆっくりと歩いていきながら話しかけるが、彼女はアカツキの声が聞こえているわけでもなく、彼に背を向けているままだった。 「どうした?」 「うん。それが……」 「おかしいな……」 ユウキがアヤカの傍まで歩いていく。 ベッドの向こう側に回りこんで、彼女の顔を覗き込む。 すると、ユウキの顔色が変わった。 「アカツキ。ジョーイさん呼べ」 「え?」 「いいから、早く呼べ!!」 「うん、分かった!!」 何が何だか分からないが、ユウキの大声に差し迫った何かを感じ取り、アカツキは電話の受話器を手に取ると、ナースセンターにつないだ。 「アカツキ。アヤカさんは熱出してる。解熱剤と点滴を用意するように伝えてくれ」 「え、うん!!」 ユウキはアヤカの身体を動かして、彼女を仰向けにした。 チラリと目を向けると、視線の先には苦しそうな表情をしたアヤカ。 額にはびっしりと汗が浮かんでおり、はあはあと荒い息を繰り返している。 「ジョーイです。お呼びですか?」 「あ、ジョーイさん!! アヤカさんが熱出しちゃって……解熱剤と点滴をお願いしたいんです!!」 「分かりました。すぐに行くから待っていてください」 と、そこで電話が切れた。 乱暴に受話器を戻すと、アカツキはアヤカの傍に駆け寄った。 「アヤカさん……」 声が震えているのさえ自覚できる。 「うーん……うーん……」 苦しそうに呻き声をあげるアヤカ。何か悪い夢に魘されているのだろうか…… ユウキはそんな彼女の額に手を当てて、眉を動かした。 「こりゃかなりの熱だな。風に当たってたわけでもないだろうに……変なモノでも食ったか?」 「ど、どれくらい……?」 「かなりの熱。結構大変だな」 「そんな……どうして……」 アカツキは呆然とした。 元気なはずの――そう、アカツキは元気なアヤカしか見たことがなかった。 落ち込んでいるところとか、健康を害したところとか、見たことがなかったのだ。 だから、余計に信じられない。アヤカが高熱を出して魘されているなど。 「アヤカさん……どうしてこんなことに?」 「そりゃ彼女に聞いてくれ」 ユウキは冷めた視線をアヤカに向けた。 どうして自分でナースセンターに連絡しなかったのか……強靭な体力を備えたアヤカなら可能なはずだ……そう思っていたのだ。 まあ、アヤカに健気さというか女性らしい清楚さなど求めても無駄なのは否定しないが。 と、そこへジョーイがラッキーを伴って部屋に入ってきた。 「ジョーイです。病人はこちらですか?」 「あ、そうです」 ラッキーの手には解熱剤(?)が入っていると思しき薬瓶と、黄色い液体が詰まったパック。点滴だった。 ジョーイのために場所を空けるアカツキ。 隣にいるユウキが、無言で彼の肩に手を置く。 「大丈夫だ。後はジョーイさんに任せれば大丈夫だろう」 そう慰めていてくれるようにさえ感じられた。 「うん……」 アカツキは何も言わず、ジョーイに任せることにした。 何もできないのは悔しいが、仕方がない。 十一歳の男の子に医療の知識がないのは当然のことだ。 ユウキが解熱剤とか点滴とか知っていたのは、ポケモンの薬学の一部が人間のそれにも当てはまるからという理由だった。 「ラッキー。パックを」 「ラッキー」 看護婦のような白衣をまとったポケモン――ラッキーが、手にしていた点滴のパックをジョーイに手渡した。 非常事態だけに、アカツキもユウキもポケモン図鑑でラッキーのことを調べようとはしなかった。 ピンクの卵のような丸っこいポケモンだが、優しいことでよく知られている。 ポケモンセンターなどで、ジョーイのアシスタントとして働いていることが多い。 ジョーイはパックを壁に掛けると、アヤカの腕を取り、血管の位置を探った。 手首でなく、二の腕にある血管を探り当てると、そこにチューブの先端についている針を差した。 「あたっ……」 チクリと来る痛みに、アヤカはうっすらと目を開けた。 だが、焦点の定まっていない目は、何を映しているのかもよく分からなかった。 ピントが合うまでにはまだまだ時間がかかりそうである。 「アヤカさん……」 心配そうな顔でアヤカを覗き込むアカツキ。 無論、視界がほやけている彼女に、覗き込んでいるアカツキの表情が分かったわけではないが、声で誰がいるのかくらいは判断できる。 熱でイカレた頭では、かなり処理速度が落ちてしまうのは否めないが。 「アカツキ君……?」 「アヤカさん。しっかり」 「心配かけちゃったね……」 普段の彼女からは想像できないほど、弱々しい声。 口元を緩めて笑みを繕って見せるも、単なる強がりにしか見えなかった。 「無理しなくていいよ」 「うん……ありがとう。そうだ、アカツキ君……」 「なに?」 ようやくピントが合ってきた。 今にも泣き出してしまいそうな顔で見つめてくるアカツキ。 「ああ、迷惑かけてる……」 アヤカは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。 謝りたいが、それでは余計に心配をかけるだけだろう。 アカツキの傍には、冷静な顔をしたユウキ。 どこか冷めて見えるのは、アカツキほどパニックに陥っていない証だった。 「彼がいてくれれば、大丈夫みたいね」 ユウキはアカツキの親友だ。自分がいなくても大丈夫。 十分アカツキはやっていけるだろう。 「テーブルの上に……リュック、あるでしょ?」 「あ、うん」 横目でテーブルを見てみると、確かにリュックが置かれてあった。 「その中にダイゴさんに渡す、手紙があるから……わたしの代わりに、渡してきてくれない……? 情けないことだけど、こんな身体じゃ、渡せそうにないの……」 「うん!!」 アカツキはすかさずリュックの紐を解いて、中から封筒を取り出した。 見覚えのある封筒……間違いない、ダイゴ宛ての手紙が入っている封筒だ。 「でも、ダイゴさんはどこにいるんだろう……」 ムロ島は、ひとりで歩き回るにはとにかく広い。 天然洞窟も結構な数あるから、一日ではとても回りきれない。 アテがない以上、どこから探せばいいのか……アカツキは途方に暮れかけたが、 「ダイゴさんと仰いました?」 「ええ、そうです」 点滴をセットし終えたジョーイが、解熱剤と水の入ったコップを手にして、アカツキに訊ねてきた。 「知っているんですか?」 「数日前にポケモンセンターに来ましたよ。 『石の洞窟』にしばらく行っていると言って、引き払いましたけど」 「石の洞窟? 分かりました。ありがとう、ジョーイさん!!」 アカツキは取るものも取りあえず、大切な仲間だけを連れて、ダイゴへの手紙を手にアヤカの部屋を後にした。 「ダイゴさんにこのこと、知らせなきゃ……」 手紙を渡すだけではいけない。 大慌てでポケモンセンターを後にしたアカツキは、そう思った。 今のアヤカには支えが必要だ。 それはきっと、ぼくなんかじゃない……悔しいが、ダイゴには敵いそうにない。 アヤカはダイゴに会うのをとても楽しみにしている様子だった。 だから、彼ならアヤカが元気になるまで傍にいてくれるだろう。 「アヤカさん、待ってて。ダイゴさんを連れてくるから!!」 ポケモンセンターを出ると、たまたま近くを通りかかった人に『石の洞窟』なる場所の位置を聞いて、全速力で駆け出した。 アカツキは使命感のようなものに燃えていた。 第22話へと続く……