第22話 ダイゴ -Stronger!!- 石の洞窟はムロ島の北部に位置しており、町からはかなり離れた場所にある。 ぽっかりと大きく口を開けたその向こうに広がるのは深い闇。 「ここが石の洞窟だな……」 ポケモンセンターを出てから、何人もの人に聞いてきたから、ここで間違いない。 アカツキは肩で息をしながら、目の前に広がる洞窟を見つめた。 走り続けることおよそ三十分。スポーツに秀でているわけでもない十一歳の男の子には辛いだろう。 だが、それでもアヤカのことを思うと休むわけにはいかない。 本当に苦しいのは自分ではなく、彼女なのだから。 とはいえ……洞窟には松明のような灯りがまるで見当たらない。 自然の洞窟なのだから、そんな親切などあるはずもないのだが。 「真っ暗だなぁ。何か灯りがあればいいんだけど……」 ポツリつぶやいてみるも、リュックはポケモンセンターの自室に置いてある。 小型の懐中電灯なら持ってきていたが、よくよく考えてみれば、それではやや心許ない。 すべてを押しつぶさんとする、圧倒的な闇の質量。 それをほんのわずか押し返す程度の懐中電灯というのも、アカツキからすれば不安材料にしかならなかった。 それなら、もっと大きめの灯りにすればいいのだが…… 今自分にあるのは、三つのモンスターボールにダイゴへの手紙。 手紙を燃やして灯りにしようか……アカツキは一瞬本気でそう考えたが、それはさすがにできそうにない。 そんなことをすれば、ここに来た意味そのものがなくなってしまうのだ。 「何か燃えるものでもあればいいんだけど」 燃えるものがあれば、ワカシャモの火の粉で灯りを作ることができる。 そう思って辺りを見回したら、少し離れたところに、ちょうどいいモノがあった。 「これならいけるかも」 アカツキはそれを拾い上げると、満足げに頷いた。 それは木の枝だった。太さは三センチほどで、長さも二十センチほどはある。 風か何かで折られて落ちたのだろう。 アカツキはそれを半分に折って、手の中で束ねた。 それからワカシャモのモンスターボールを手に取って、 「ワカシャモ、お願い!!」 軽く上に放り投げる。 重力に逆らって上昇するボール。 徐々にスピードが落ちていき、位置的には頂点――そこで口が開いて、ワカシャモが飛び出してきた。 「シャモ――――――っ!!」 ワカシャモは飛び出してくるなり、空を仰いでけたたましい鳴き声を上げた。 その声は洞窟の内外で何度も反響して、ようやく消えた。 その間中、アカツキは耳を塞いでいた。 ワカシャモの鳴き声はやたらとうるさいのだ。 まともに聞いた日には鼓膜が破れて難聴になってしまうかも。 ワカシャモには悪い気もするが、それでも自分の健康が第一だ。 「ワカシャモ。ここに火の粉。できる?」 アカツキは二つに折った木の枝の端を指差すと、ワカシャモに指示した。 顔に火の粉を吹っかけられないように、手にした枝を顔から離す。 「シャモ!!」 ワカシャモは大きく頷くと、視線を木の枝に向けた。 大きく息を吸い込んで、火の粉を吐き出す。 アチャモの時とは比べ物にならないほど巨大な火の粉は、そのひとつが木の枝を掠めただけで点火するに事足りた。 「すごい……」 これにはアカツキも脱帽だ。 なにせワカシャモに進化すると、格闘タイプが付加されるので、どちらかというとそちらの方に頼ってしまう。 現に、ツツジとアヤカのノズパス相手に、効果の薄い炎タイプの技など使わなかった。 効果抜群な格闘タイプばかり指示していたような…… まあ、それはそれとしておこう。 パチパチと大きな音を立てながら、木の枝の先端が燃え出した。 灯りにするには頼りない気もしないわけではないが、今はこうして立ち止まっていても始まらない。 「そうだ……」 灯りだけで心許ないなら、みんなと一緒に行けばいいだけだ。 アカツキは残る二つのモンスターボールを投げ放つと、飛び出してきたのはアリゲイツとジグザグマだ。 「さ、みんな。行こう」 「ゲイツ!!」 「ぐぐーっ!!」 アカツキはみんなをまとめると、洞窟へと足を踏み入れた。 歩き出してしばらくは外からの光が差し込んでいるから、灯りなど要らないのだが……それが一転、とある地点からは光が届かなくなった。 瞬く間に、光源はアカツキが掲げる即席の超小型松明だけになってしまった。 押し寄せる闇の質量は圧倒的で、すぐに息苦しくなった。 深く深い闇がもたらす、精神的な圧迫感だろう。 圧倒的な闇をほんのわずかに押し戻す松明の赤い炎。 だが、ポケモンたちは人間よりも夜目が利くらしい。 キョロキョロと辺りを見回すこともなく、アカツキから離れないようにゆっくりと歩いている。 こんなところではぐれたら、探し出すのに時間がかかってしまうだろう。 だから、離れないように一丸となって進んでいるのだ。 「ダイゴさん、こんなところにいるのかな……」 急に不安になってきた。 それはきっと、暗闇がもたらす不安に他ならない……アカツキはそう思い、気を強く持った。 アヤカは今も高熱と戦っているのだ。 こんな時に傍にいてやれないのは心苦しいが、彼女にとって一番の救いはダイゴがこの島に滞在していると言う事実。 なら、その救い主であるダイゴを彼女の前に連れて行けば、きっとすぐに良くなるだろう。 手紙を届けるというのと、彼をアヤカの前に連れて行く。 そして強くなれる方法を聞く。 まさに一石三鳥だ。 だから、こんなところであきらめるわけにはいかない。 「でも、どんな人だろう……」 ホウエン地方に名だたる大企業であるデボンコーポレーション。 その社長であるツワブキの一人息子だという。 この国の悪しき風習である世襲制がデボンでも用いられるのであれば、彼は次期社長となる。 ツワブキ社長がダイゴの放浪(?)を許しているのは、それを用いる気がサラサラないということを表しているのではなかろうか? いい歳してるってアヤカさんも言ってたし…… アカツキはダイゴの人物像を勝手に脳内で構築していた。 すごいトレーナーで、カッコよさそうだ。 アヤカが憧れているのなら、ルックスも抜群なのだろう。 自然と、テレビで見かけたことのある外国人の顔のパーツを組み込んでいくが、そのどれもが真実とは程遠いだろう。 まあ、想像するだけなら勝手か。 「そんな人に会ったら、ぼくにも何か分かるのかもしれない」 強くなる方法だったり……その他でも。 そもそもは、彼に会うためにアヤカに同行したと言ってもいいのだ。 まだ見ぬダイゴに期待を抱きながら、一歩一歩、足元を確かめながら歩く。 一寸先は何とやら……という言葉がある通り、松明しか光源がない以上、無理に急ぐのは禁物だ。 もっとも、何か危険があれば、傍を歩くアリゲイツが警告を発してくれるのだろうが。 普通に進んでいたら落とし穴に落ちました。 なんてことになったら、本気でこっちがピンチだ。 ダイゴに会うどころの騒ぎではなくなるだろう。 いろんなことに思いを馳せながら歩いていくと、ぽたぽたと水が滴り落ちる音が聴こえてきた。 どうやら、相当深くまで進んだらしい。 「あれ、もう終わりそう……」 明かりが小さくなってきたことに気がついて、アカツキは立ち止まり、松明を見やった。 かなり短くなっており、これ以上は松明としての役割を期待できそうにない。 持ち続けていればヤケドを負うだろう。 「仕方ない……」 アカツキは断腸の想いで、松明を手放すことにした。 それは圧倒的な闇に完全に包まれることを意味するが、他に手段がないのだ。 こうなったら一か八か……賭けるのも、悪くはない。 それに…… 「ジグザグマ。人のにおいって、するかい?」 「ぐぐー?」 アカツキはジグザグマに訊ねた。 ジグザグマは鼻を鳴らしてトレーナーを見上げた。 弱々しくなってきた松明の明かりに照らされたアカツキの顔は、どことなく不安そうに見えた。 ポケモンというのは人の言葉をある程度理解できるらしい。 もちろん、ジグザグマも深い意味までは理解できなかったが、彼の言わんとしていることは理解できた。 アカツキがポケモン図鑑で調べた限りでは、ジグザグマという種のポケモンは一般的に嗅覚に優れているそうだ。 犬に匹敵するとまで言われているらしいが…… 誇張しすぎなのは否めないとしても、明かりがない以上、ジグザグマの嗅覚に頼るしかないのも事実だった。 ジグザグマは前方に身体ごと振り向くと、ふんふんと鼻を鳴らした。 洞窟特有の湿っぽい空気は、どこかコケ臭いというか、カビ臭いというか…… アカツキはそういった臭いを嗅ぎ取ってはいなかったが、ジグザグマは違った。 嗅覚が人間の数千倍も優れているだけに、違う臭いをちゃ〜んと感じ取っていた。 奥から漂ってくる空気に混じった、自然のものとは微妙に違った臭いだ。 「ぐぐぅ……」 その臭いに釣られるように、ジグザグマは歩いていった。 「あ、ジグザグマ!!」 いきなり歩き出したジグザグマの後を追って、アカツキは小走りに駆け出した。 ジグザグマのペースはどういうわけかかなり早く、一秒で進む距離でさえ、離れたらその姿が闇に溶け込んでしまう。 多少は闇に目が慣れてきたから、実は完全な暗闇に覆われていないことが分かる。 とはいえ、松明があった時と視界の広さを比べるのは詮無いことだ。 「何かあったのかな……」 「ゲイツ?」 アカツキとアリゲイツは揃って首を傾げた。 ジグザグマが歩き出したということは、きっと何かを嗅ぎ取ったからだろう。 それが何であるか、アカツキにはよく分からなかった。 煙臭いわけでもないし、特にカビ臭いわけでもないのだ。 だが、ジグザグマを信じなければ先に進めないような気がして仕方がない。 「ぐぐぅ……」 ジグザグマは迷うことなく進んでいた。 まるで、何かに導かれているようだった。 言葉が話せたのなら、アカツキにもジグザグマが嗅ぎ取った臭いの分かるのかもしれない。 しかし、それは今のところ無理な相談だった。 どれくらい歩いただろう…… 突然、視界の先に一筋の光が差した。 「光だ……洞窟を抜けるのかな?」 訝しげに目を細める。 闇に慣れてきたせいか、光の眩しさに目をやられてしまいそうだ。 光が徐々に大きくなっていく。 どうやら、ジグザグマは外の空気に混じる潮風を嗅ぎ取ったのだろう……アカツキはそう思った。 とりあえず、それは半分ほど当たっていた。 「外から光が差し込んでるんだな……」 光が降り注いでいたのは、天井がポッカリ抜けていたからだった。 穴のように大きく開いた天井の向こうには、青空が広がっており、太陽が顔を覗かせていた。 光に照らし出された広間といった場所か……アカツキは辺りを見渡した。 適当な高さの岩が壁際にある辺り、小規模なコンサートならできそうな気もしないわけではない。 陽光降り注ぐ幻想的なステージ…… だが、そういった神秘的な感情も、洞窟がさらに先に続いていることが分かると、一気に冷めてしまった。 「奥に続いてる……?」 「ゲイツ?」 「アリゲイツ、どうしたの?」 アカツキは少し離れた場所で壁をしげしげと見つめているアリゲイツの元へ歩いていった。 微妙な声のイントネーション。 感情や状況によって異なるのだが、アカツキはアリゲイツの声のイントネーションの微妙な違いも見逃さなかった。 四年も家族として暮らしていると、そういうことが分かってくるのだ。 「アリゲイツ、何か見つけたの?」 「ゲイツ!!」 アリゲイツは壁を指差した。 そこに視線を向けると―― 岩肌の壁――アリゲイツの目線の辺りが窪んでいた。 その奥に、赤い輝きが見て取れる。茶色の岩肌とは明らかに違う輝き。 きっと何かある。 アカツキはしゃがみ込んで、窪みの奥を見つめた。 握り拳ほどの大きさの窪みの中に、周囲の岩壁とは明らかに色彩の違う部分があった。 赤とオレンジを混ぜたような色だが、陽光に照らし出されているためか、ずいぶんと鮮やかに見えた。 「石……?」 よく見てみると、それはどうやら石のようだった。 「シャモーっ!!」 鳴き声がいつもいつでも大きいのは仕方ないとして。 ワカシャモとジグザグマがアカツキの傍までやってきた。 「見てみる?」 「ぐぐぅ」 アカツキは窪みの前から退いた。 すかさずワカシャモとジグザグマが窪みの奥を覗き込んだ。 石なら、一体どんなものだろう…… アカツキは適当に想像を膨らませてみた。 「ルビーにしては赤みが薄いような気もするよなぁ……」 ナオミが持っている結婚指輪は、それはもう意識が吸い込まれてしまいそうな強い赤色を呈したルビーだ。 見た感じ、ルビーではないのだろう。 「一体なんだろうね?」 再び窪みの奥を覗き込む。 それで答えが導き出されるわけでもないのだが――どうも、そうせずにはいられない。 何度も見てみなければ分からないような気がしたからだ。 だが、それは気のせいに過ぎなかったらしい。 何回見てみても分からない。 想像の産物とは大きくかけ離れたものだということだけは理解できるのだが…… ざっ。 「?」 突然、思考にヒビを入れるように、音が聞こえてきた。 ざっ。ざっ。ざっ。 規則的に、しかし音は次第に近づいてくる。 「ぐぐーっ!!」 ジグザグマは音のした方に身体を向けると、全身の毛を逆立てた。 警戒している証だ。 「洞窟の先から?」 アカツキも徐々に大きくなっていく音に警戒感を覚えた。 闇の向こうから何がやってくるというのか。 今さらながら気づいたのだが、やってきたのと正反対の方向…… つまり、これから進もうとしていた方向から音が聞こえてくるのだ。 「これって、もしかして……」 もしかしたら、足音のように聞こえる音の主は、自分が探している人かもしれない。 警戒感が微かに薄れ、代わりに期待が膨らんだ。 「シャモーっ!!」 ワカシャモが声を上げて、アカツキの前に踊り出る!! その声は、闇の奥からやってくる何者かに対する威嚇のようにも聞こえた。 「ワカシャモ、よして」 アカツキはやる気満々(?)のワカシャモの前に手を差し出した。 誰が姿を現しても、問答無用で攻撃を仕掛けそうな雰囲気だ。 まるで、いきなり目の前に現れる方が悪いと言わんばかり。 アチャモの時とは対照的に、攻撃的な性格になってしまったから、そっちの方が心配なのだ。 「アリゲイツも。みんないきなり攻撃なんてしちゃダメだからね」 念のために釘を刺しておく。 アリゲイツも、少しでも危険を感じれば勢いに任せて水鉄砲など吹き出しそうだ。 たとえ現れたのが招かれざる客であっても、いきなり攻撃していい理由にはならない。 万が一人間だったりしたら、傷害罪が適用されていろいろと面倒なことになるだろう。 音はいよいよ大きくなっていき、それが足音であることを確信した。 そして次の瞬間、闇の向こうから姿を現したのは、人間だった。 長身の青年で、歳は二十代半ばといったところで、薄い灰色の髪を短く切り揃えている。 整った顔立ちに穏やかそうな雰囲気をまとっているが、その物腰には隙がない。 スラリと引き締まった体型にフィットするような服装で、左右に紫の縞模様が入った黒いスーツに、肘の上辺りに銀色の腕輪をはめている。 ただ、首元のスカーフが、あまり合っていないような気がする。 ……と、そこで初めて視線が顔に移り、目が合った。 なにせ服装の方が目立ちまくって、顔の印象が薄いというのが本音だ。 アカツキに限らず、誰もが同じに違いない。 彼は立ち止まり、じーっとアカツキに視線を注いでいるばかり。 アカツキは彼から目を逸らすことができなかった。 強迫観念というか、どういうわけか逸らせないのだ。 まあ、それはいい。 彼は腰にモンスターボールを差し、リュックらしきものを背負っている。 何かやることがあってこの洞窟にやってきたのは間違いなさそうだ。 「あ……」 アカツキはその一言を漏らすのがやっとだったのだが、 「ここまで人がやってくるなんてね、驚いたよ」 彼は人懐っこさそうな笑みを浮かべると、アカツキの方に歩いてきた。 初対面だというのに親しげな様子。 それに面食らったか、ワカシャモもアリゲイツもジグザグマも。 もちろんアカツキも、口をポカンと開け放ったままだ。 「君はトレーナーだろう?」 「あ、はい」 彼はアカツキのポケモンに視線を留めて、笑みを深めた。 一体一体、観察するように見つめる。 一通り見た後で、最後にトレーナーであるアカツキに視線を移した。 「あれ、どこかで会ったような……」 初対面だというのに、気のせいか、誰かに似ているような気がする。 誰かすぐに思い出せない。 思い出す暇を彼が与えてくれなかったのかもしれない。 「いいね。愛情を注いでいるのが見ても分かるよ。それくらい、輝いているね」 「はあ……そういうんでしょうか」 どうもワケが分からない。 一体目の前にいる男は何者だ? でも、人がいるのなら、聞いてみるのもいいかもしれない。 アカツキはチラリと手に持った手紙に視線を落とし、すぐに彼の顔を見やった。 「あの……この洞窟にダイゴさんって人がいると思うんですけど。 見てたりなんかしませんか?」 ダイゴという名前を聞いてか、彼の眉が微かに動いた。 だが、アカツキはもっともらしい想像を働かせていなかった。 「ダイゴは僕だけど」 「え?」 突拍子もなく言われ、驚いてしまう。 目の前にいるのが、手にした手紙を渡すべき相手。 それでいて、病床に伏したアヤカを元気付けられるただひとりの人間と言われても…… アカツキが口をポカンと開け放って驚いているのを見て、青年――ダイゴは苦笑した。 「なんか、信じられないって顔してるね。 まあ、初対面だから当然だと思うんだけど。一応、僕がダイゴだよ」 アカツキが素直に信じていないのを察してか、優しい口調で言ってきた。 「あ、あなたがダイゴさんだったんですか……ごめんなさい」 「いや、いいんだよ。 初対面だからね、そう簡単に信じてくれなくても仕方がない」 アカツキは素直に詫びた。知らなかったとは言え、素直に信じなかったのはいけないことだ。 本人が仕方ないと言ってくれても、やはり悪い気がする。 だが、道理でどこかで会ったことがあるような気がしたわけだ。 デボンコーポレーションのツワブキ社長にどことなく似ている。 目元というか、全体的な輪郭というか……まあ、どこか似ている。 「ところで、僕の名前を知っている君は何者だい? 名前くらいは聞かせてもらえると助かるのだけど」 「あ、紹介が遅れてごめんなさい。ぼく、アカツキっていいます」 「アカツキ君か……で、僕に何の用だい?」 「実は、これを預かってきたんです」 アカツキはそう言って、封筒を手渡した。 ダイゴは訝しげな表情で手紙を取り出すと、黙読した。 その途中で、彼の顔に笑みが浮かぶ。 目元も笑っている。どうやら、吉報でも書かれてあったようだ。 もっとも、アカツキにその内容を訊ねる気などサラサラなかったが。 「ありがとう。僕も久しぶりに親父の手紙を読んで、安心したよ。 元気にしていたかい?」 「はい。元気そうでしたよ」 手紙を封筒に戻すと、ダイゴは笑みをアカツキに向けてきた。 彼に釣られるように、アカツキも笑みを浮かべた。 無意識のうちに、ダイゴに惹かれていた。 彼の人柄は、この場に降り注ぐ光のように明るく輝いていたのだ。 アヤカがすごいトレーナーというのも、頷ける気がする。 もっとも、その実力を見せてもらっていない以上、どうとも言えないが。 アヤカ……さん? ――あ、そうだ!! アカツキは彼女のことを思い浮かべ、 「ダイゴさん、アヤカさんってご存知ですよね?」 「ああ……彼女は僕の大切な友達だけど。 君がどうして彼女のことを知っているんだい?」 「アヤカさんが大変なんです!! 熱出しちゃって、ポケモンセンターで苦しそうに……!!」 「なんだって?」 アカツキの切羽詰った口調に気づいてか、ダイゴの顔から笑みが消え失せた。 アヤカが苦しそう……そう言われたからだった。 「君はアヤカと一緒にこの島に来たのか?」 「そうです。今朝になって起きてこないから、様子を見に行ったら……ひどい熱で……」 アカツキは俯いた。 今頃はジョーイが適切な治療を施してくれているだろう。 心配は要らないと思うのだが、それでも湧き上がってくる不安な気持ち……それこそが「心配」だった。 「そうか。アヤカがね……分かった。すぐに戻ろう。 彼女は僕にとって大切な存在だからね」 「はい!!」 と、アカツキが返事をするよりも早く。 ダイゴが目つきを尖らせ、闇の奥へと視線を巡らせた。 アカツキがやってきた方向だ。 ダイゴが放つ、殺気にも似た刺々しい雰囲気に、アカツキは言葉を失った。 何か、とてつもなく恐ろしく感じたのだ。 笑顔の裏に、こんな一面を秘めている人間など、そう多くないだろう。 そう思わせるほど。 「と言いたいところだけど……その前に一働きする必要がありそうだよ」 「え?」 アカツキは、ダイゴが何を言っているのか分かっていなかった。 一働き……? 一体何を指して一働きなどというのか。分からなくて当然だった。 「ぐぐーっ!!」 突然、ジグザグマが大きく嘶いた。 「シャモーっ!!」 「ゲイツ!!」 ワカシャモもアリゲイツも警戒感たっぷりに声を上げた。 「ポケモンは敏感だな……この静寂を、文字通り、嵐の前の静けさと感じられる」 「嵐の前の静けさ……」 ダイゴのつぶやきを、アカツキは何度も反芻した。 嵐が来る前は何の音もしないほど静かなんだよ、という意味で、今この状況は……何にも聞こえない。 「でも、一体何が……?」 アカツキひとりだけがピンと来なかった。 ダイゴがこういった場面に『慣れて』いるからこそ、置いていかれたのだ。 そこがアカツキとダイゴの決定的な違いだった。 経験の差――言葉で語るのは簡単なことだが、実際になってみると、それこそどうにもならない。 「彼らもね、僕と同じ理由……いや、向いているのは正反対かもしれないね。 とにかく、嵐がやって来るってことさ」 「あの、どういうことですか?」 アカツキはこの期に及んで察しが悪かった。 「こういうことだよ」 振り向くこともせず、ダイゴは腰からモンスターボールを取ると、声を大きくして言った。 「そこにいるのは分かっている。出てこないとこちらから攻撃させてもらうぞ」 「察しがいいな。さすがはデボンの社長の一人息子だ」 ダイゴの挑発に乗ったのか――それは否だった――、低い声がして、闇の向こうからひとりの男が姿を現した。 青いバンダナを頭に巻いた中年の男で、胸元の開いた黒いスーツを着込んでいる。 小指を除いた左右の八本の指には、色とりどりの指輪が自らの輝きを主張するかのごとく犇めいている。 それは悪趣味とさえ思えた。 首から下げたネックレスは船の錨を象ったもの。 髭もじゃ――の割には『手入れ』されている様子だった。 音もなく、男の傍に何人もの男女が姿を現した。 「いつの間に……」 アカツキは面食らった。 足音などしなかったではないか。 アカツキの驚きなど知らぬ存ぜぬと言いたそうに、男を取り囲むように展開する彼らの瞳に浮かんでいるのは警戒と敵対心。 彼らは一様に揃って頭にバンダナを巻いており、色は男と同じで青だ。 白と青、交互に縞が入った半袖シャツを着込み、海のような青いズボン。ペアルックにしては奇妙な集団と言わざるを得なかった。 それに―― 「ダイゴさんのこと、知ってるみたいだし……」 髭もじゃの男はダイゴのことを知っているような口振りだった。 デボンの社長の一人息子――それだけで分かるほどだ。 「あいにく、社長の息子だからって何にもありゃしないよ。つまらない肩書きだ」 「まあ、人っつーモンは簡単に変わっちまう。 おまえさんの言葉もいつ裏返るか、分からねぇぜ」 「ふふ……」 髭もじゃの男は笑っているのに、ダイゴは笑っていない。 背中を向けられているにもかかわらず、アカツキは無意識のうちに察した。 ダイゴから放たれている雰囲気は、少なくとも『オトモダチ』に向けるような優しいものではない。 「久しぶりだな、ダイゴ。元気そうで安心したぜ」 「アオギリ。まだ懲りていないとはね……そのしぶとさには感服するよ」 「感服なんぞしてくれるんなら、その勢いで我々に手を貸してくれると助かるんだが」 「あいにくとそのつもりはないよ。マツブサにも同じことを言ったが」 「まあ、そうだろうな」 傍目から見れば、世間話でもしているような感じだろう。 だが、何かが違う。 まだ懲りていないという言葉が出てくる辺り、付き合いは古いのだろう。 だが、どういった付き合いなのか、アカツキには想像さえつかなかった。 「おまえさんがそうやって中立の立場を取ってるからこそ、俺たちもおまえさんを引き抜こうとしてるわけだが…… 理解できないか? 我々の崇高な目的を」 「残念ながら」 「そうか。残念だ。今回も交渉は決裂みたいだな。 だからといって、俺はあきらめるつもりなどない」 「その執念深さを違った方向に使えたら、君は英雄になれるのに」 「ほざいていろ」 男――アオギリの顔から笑みが消えた。 形相が変わり、裏の社会に生きる男の顔になった。 彼の表情に、アカツキは不安しか感じなかった。 先ほどまでの、人のいいおじさんは、もう死んだのだ。 ヤクザやら暴力団やら……そういった顔つきになった。 「一戦交える前に、君たちがここに来た目的を当ててあげようか」 「ほう……」 アオギリは腰からモンスターボールを手に取ると、小馬鹿にするように口元を緩ませた。 アカツキは正直、底知れない恐怖を覚えた。 なんか、とんでもない場面に出くわしているような気がしてならない。 アカツキの都合などお構いなしに、事態は着実に進んでいく。戦いという方向に。 「この洞窟にあると言われている進化の石……君たちなら水の石かな? 採りに来たんだろう? その上で、マグマ団が求めそうな炎の石まで持ち去れば、状況は有利になる…… そんなところだろうね」 「さすがだな。その洞察力の深さ、我がアクア団も求めているのだがな」 「アクア団……マグマ団?」 アカツキは呆然とつぶやいた。 小さなつぶやきでも、アオギリは聞き逃していなかった。 どこか上の空のアカツキの方に視線を向ける。 アオギリの視線などまるで感じていないのか、アカツキはその単語を思い出そうとしていた。 どこかで聞いたことがあるような言葉だった。 だが、それがいつ、どこだったのかをすぐに思い出せない。 旅に出てから今まで、いろんなことがあったからだ。 「こんな坊主にまでその名が知られているとはな、こりゃいい。 んじゃ、始めるとしようぜ。マグマ団までやってくると、厄介になりかねない」 「その意見には賛成だが……」 チラリとダイゴは振り返り―― 「この子を巻き込むな。何の関係もない」 「それはおまえ次第だと言っておくぜ」 アオギリが片手を挙げると、彼の周囲に展開する男女がモンスターボールを手に取った。 「ポケモンバトルね……一向に構わないけど、数が多すぎないかい? 僕ひとりを相手にするにはさ」 ダイゴは軽口さえ叩いてみせる余裕を見せていた。 もしかすると、アカツキのポケモンにも助太刀願おうと考えていたのかもしれない。 「それくらい脅威だってことじゃねえか。 もっとも、後ろにいる坊主を庇いながら戦えるかな?」 「アカツキ君。洞窟の奥へ逃げろ。ここにいれば巻き込まれる」 「え……?」 事態を飲み込めていないアカツキは、間抜けな声をあげて佇むばかり。 巻き込みたくないというダイゴの気持ちとは裏腹に、足が一歩も動かない。 「遅いぜっ!!」 アオギリがモンスターボールを投げ放つ!! ダイゴの――アカツキの頭上さえ飛び越えて着弾したボールから、ポケモンが飛び出してきた!! 「シャークッ!!」 「うわっ!!」 背後にポケモンがいきなり出現し、アカツキは驚愕した。 敵意を露骨に向けられて、怯む。 アカツキと同じくらいの背の高さのポケモンは、青と白できっちり色分けがされていた。 サメの頭部を思わせる外見と、口を大きく開いて鋭い牙を見せ付ける様は、文字通りギャングに相応しい。 「サメハダーか……ここで出してくるとは」 「おまえの相手はこいつらだ」 と、その時にはすでに、ダイゴは複数の水タイプポケモンに囲まれていた。 シャワーズ、マリルリ、ペリッパー……種類も数も実に豊富だ。 ひとりでこれほどたくさんのポケモンを相手にするのは、アカツキではとてもできないことだ。 だが、ダイゴはそれをやろうとしている。 「せいぜい遊んでな……」 アオギリは部下達にダイゴの相手を任せると、ひとり壁際を移動して、サメハダーの傍までやってきた。 アカツキとダイゴは挟み撃ちにされたようなものだった。 「さて。どういう経緯があるかは知らねぇが、ここにいたってのはまんざら偶然ってわけでもなさそうだしな。 ちょいと窮屈な思いしてもらうことになるから、覚悟しとけよ」 「えっと……あの、どういうことですか?」 ワケの分からない展開に、アカツキは首をかしげた。 ダイゴと出会えたのはいいが、戻る前に一働きする必要があるとかないとか。 で、いきなり現れた変な集団に囲まれて、窮屈な思いをしてもらうと。 どう考えても、脈絡がなさ過ぎだった。 「サメハダーには、ワカシャモの格闘タイプが有効だ!! 戦って切り抜けろ!! 僕もすぐ追いかける!!」 アカツキはダイゴに背を向けていたから、彼がどんな表情をしているか分からない。 だが―― 「おっと、そうはいかねえな……」 男の目が剣呑な雰囲気を帯び、アカツキは今さらになって事態を飲み込めた。 このままだと、あまり面白い展開は望めそうにない。 目の前にいるサメハダーというポケモンを何とかして、ダイゴの言う通り洞窟の奥に逃げるしかなさそうだ。 ダイゴもポケモンを出していた。 メタグロスというポケモンで、彼のお気に入りであり、最高のパートナーだ。 青い岩を思わせる硬質のボディに、やたら重そうな足が前後左右に四本ついている。 大きさは、ダイゴがボディに乗って空を飛べちゃいそうなほどだ。 メタグロスというポケモンは強力なので、そのことを知っている男女は迂闊に手を出せなかった。 「ワカシャモ、二度蹴――」 「ハイドロポンプ!!」 アカツキが指示を出し終えるより早く、アオギリの指示を受けたサメハダーが口を大きく開き、超圧縮された水塊を吐き出した!! 「ワカシャモ、避けて!!」 だが、間に合うはずがない。 豪速球すら超えたスピードで突き進んできた水塊を、ワカシャモが避けるヒマなどなかった。 あっさり直撃し、すさまじい水圧を撒き散らす!! 「――――っ!!」 ワカシャモは悲鳴を上げることすらできず、一瞬にして戦闘不能に陥った。 「そ、そんな、ワカシャモ!!」 アカツキは愕然とした。 ハイドロポンプは水タイプ最強の技。 それをまともに食らって戦闘不能になったのは、相性の問題で仕方がないと言える。 だが、一度も攻撃することさえなく、いきなり戦闘不能に陥ってしまうなんて…… サメハダーを操っているアオギリの、トレーナーとしてのレベルは自分のそれなどより圧倒的に高かった。 仰向けに倒れ、目をつぶっているワカシャモ。表情に苦痛は見られなかった。 「ワカシャモ、しっかりして!!」 アカツキはワカシャモの傍で膝を折ると、その身体を抱き上げた。 ぐったりと彼の腕に身体を預けるワカシャモの姿は、あまりに痛々しかった。 鳴き声がうるさい、元気な時の姿など、まるで見られない。 「無駄な足掻きはやめときな。弱いものイジメをする気はねえよ」 アオギリはゆっくりとアカツキの傍へと歩いてきた。 弱いものイジメ……そう言われ、アカツキは拳をギュッと握りしめた。 「ぼく、そんなに弱いの……?」 と、そう思った時だった。 「ゲイツ!!」 アリゲイツの声に、弾かれるようにして顔をあげたアカツキの目の前に、アオギリが野太い笑みを浮かべて立っていた。 「ちょいと眠っててもらうぜ」 その言葉が終わるより早く、アオギリの拳がアカツキの鳩尾に深く突き刺さった!! 「……っ!!」 アカツキは腹部に激しい痛みを覚え、前のめりに倒れ伏す前に気を失った。 その直後、アリゲイツの水鉄砲がアオギリに炸裂し、彼は大きく吹き飛ばされた!! 「ちっ……アジな真似を……」 アオギリは舌打ちして立ち上がった。 彼が視線を注いでいるのは、今しがた気を失ったアカツキの前に立ち塞がっているポケモン二体。 アオギリからすれば、簡単に屠れる程度のレベルだ。 だが、アリゲイツの怒りの視線が、信じられないことに彼を釘付けにしている。 「なら、望みどおり徹底的にやらせてもらおうか!!」 「そうはいかない」 アリゲイツの視線を振り払うように、声を絞り出すアオギリ。 だが、鈴の音のような声が響き―― 「君の相手はこの僕だと言っただろう?」 静かな中に怒気を含む声。それはダイゴのものだった。 「な、なにぃ……」 アオギリは言葉を失った。 アカツキの傍に立っているダイゴは、口元に笑みを浮かべながらも、内心に怒りを溜め込んでいるのが分かるのだ。 アオギリの部下は壁際ですっかりお寝んねしている。それぞれのポケモンに寄り添って。 がきんっ、がきんっ。 ダイゴの脇に、彼のポケモン――メタグロスが到着した。 信じられないことに、ダイゴはメタグロス一体で、十数体の水ポケモンを圧倒してみせたのだ。 もっとも、それくらいの強さがあるのは分かっていたが、『それ』への対処法も部下に教え込んだつもりだった。 それすらも、ダイゴには通用しなかった。 迂闊だった……それだけは認めなければならない。 「何の関係もないこの子を巻き込んでくれたお礼はたっぷりさせてもらうよ、アオギリ。 これが君たちのすることか? 君たちの理想の下でなら、このようなことが許されるのか?」 「ぐっ……」 アオギリは一歩後ずさった。 ダイゴの生み出す妙な迫力に圧されている自分自身に気がついて、アオギリは拳を握りしめた。 「何の関係もない子供にまで拳を振り下ろすその様のどこに、人類のためなどという大義名分が見られると言うんだ? 答えろ、アオギリ!!」 ダイゴはうろたえているアオギリにメタグロスを差し向けた。 がしゃんっ、がしゃんっ。 大きな音を立ててメタグロスが一歩一歩前に移動する。 体重五百キロ近いだけに、その姿は圧巻だ。 心理的に相当なプレッシャーを相手に与えるに違いない。 ダイゴはアカツキを抱き起こしたが、気を失っている。 「大丈夫。後でちゃんとポケモンセンターまで送り届ける」 ダイゴは胸中でつぶやいた。 先ほど出会ったばかりの男の子だが、結構ホネがあるかもしれないと思った。 いきなり逃げ出さなかっただけでも、意外と根性が据わっているのは間違いない。 アヤカが連れてくるだけのことはあると思わずにはいられない。 「さあ、始めようか」 ダイゴは言った。内面に静かなる怒りを湛えながら。無表情で。 「僕がたっぷり教えてあげるよ。君たちがやっていることの愚かさを。 たっぷりと、嫌になるくらいにね」 それは警告などという生温いものではなかった。 『宣告』だった。 第23話へと続く……