第24話 意味深な二人 -Encouraging- アカツキはポケモンセンターの自動ドアをくぐると、すぐさまワカシャモをジョーイに預けた。 ハイドロポンプを受けて戦闘不能になったが、一発でノックアウトされたのだ。大きなダメージを受けたに違いないと思ったからだ。 それから、ダイゴと共にアヤカの部屋へと向かった。 「アヤカの容態は?」 「苦しそうだったけど、たぶん大丈夫」 「そうか」 自信なさげなアカツキの言葉に、ダイゴはただ小さく頷くばかり。 心のどこかで、彼女なら大丈夫と思っているからだ。 たかだか熱でくたばるようなヤワではないはずだ、自分の知っているアヤカという女性は。 そんなことを考えながら歩くうち、彼女のいる部屋に通された。 「アカツキ、意外と遅かったな」 口元に笑みを浮かべ、彼らを出迎えたのはユウキだった。 アカツキがちゃんと戻ってきてくれたことに安心したらしい。 石の洞窟と言えば、人の手が加わっていない場所だ。 天然の迷路という言い方もできるから、迷ってしまったらどうしようと心配していたのだ。 ダイゴはユウキに見覚えがあるような気がしながらも、視線はベッドの上で眠っている女性に注がれていた。 「アヤカ……」 彼女は安らかと呼べるほどの表情でなかったものの、苦痛に苛まれているような顔はしていなかった。 無表情で、寝息だけは安らかだった。 布団の上に出ている腕につながっているチューブと、その先にある黄色い液体が詰まったパック。言うまでもなく点滴である。 ダイゴは彼女の傍に歩み寄ると、ちょうどベッドの脇にあった椅子に腰を下ろした。 「よかった。そんなに深刻そうじゃなかったな」 彼女は落ち着いているように見えた。 もし落ち着いていなければ、今頃、ホンモノの『人間用の病院』に搬送されているはずだ。 少なくとも、峠は越えたということか。 後は時間が解決してくれるはずだ。 彼女が下手に無茶をしなければ、一日……多く見積もっても三日あれば回復できるだろう。 それまで彼女に無茶なことをさせないのが僕の役目かな……ダイゴはふっと息を吐きながらそのようなことを思った。 「この人がダイゴさんか……」 ユウキは胸中でつぶやいて、アヤカに優しげな瞳を向けているダイゴの背中を見つめた。 挨拶もなしに好きな女性の許へと一目散に行くのだから、自分がどうこう言えた義理でないのは間違いないが…… だが、ユウキも一目ダイゴのことを見ただけで『すごい人』だと分かった。 研究者として培った観察眼は確かなもので、その物腰にはまるで『隙』が見られない。 しなやかで無駄のない動き。絶えず辺りに配っている程よい緊張感と警戒感。 ベッドで眠っているアヤカもただ者でなかったが、もしかするとダイゴはそれ以上の『クセモノ』かもしれないと思った。 アカツキはダイゴの反対側から、アヤカの寝顔を見つめた。 ダイゴと違って、彼の表情はどこか心配そうなものだった。 眠ってるけど、大丈夫なのかな…… もしかして、とても苦しいんじゃないのかな…… 人間、表面で分かれば苦労しないのである。 だから、アカツキが抱いている心配は無駄なものなどではない。 ダイゴよりもむしろアカツキの方が心配そうにしているのを見て、ユウキは呆れたように言った。 「ジョーイさんが言ってた。 しばらく安静にしてれば大丈夫なんだとさ」 「そうか。それはよかった……」 ユウキの言葉を聞いて、ダイゴは安堵の息を漏らした。 それから、くるりと彼の方に向き直ると、 「紹介が遅れたね。僕はダイゴ。アヤカの友達といったところかな。君は?」 「オレ? オレ、ユウキっていいます。こいつの友達っす」 「なるほど……」 ダイゴは何度も何度も頷いてみせた。 一方のユウキは…… 「なんでオレ、こんなに緊張してんだ?」 さっぱり理解できなかった。 ダイゴが自己紹介始めたあたりで、突然心臓の鼓動が早くなったのを感じて、それから今までの数秒間、記憶が飛んでいる。 頭の中が真っ白だ。 どんな自己紹介の仕方をしたのかさえ覚えていなかった。 だが、それはユウキにとって今まで感じたことのない喪失感であり、緊張感だった。 ダイゴが漂わせるオーラのようなものに根負けしているのは、認めなければならなそうだ。 「絶対タダモンじゃねえな……」 後でアカツキからいろいろ聞き出すか……ユウキは密かに考えをめぐらせた。 今この場でというのも悪くないのだが、病人を目の前にしてはどうも気が失せる。 本人に直接聞いても答えてくれるかどうかは五分五分と見ているので、それよりはアカツキに聞いた方がいいに決まっている。 彼なら確実に答えてくれるだろう。 ユウキの望む通りの答えを。 意地悪な考えかもしれないが、博士の息子らしく『論より証拠』という言葉を何よりも最初に覚えてしまったらしい。 「ま、母さんがもっと『頭丸めなさい』なんて言うのも分かるんだけどな……」 カリン女史と二日前にテレビ電話で話した時のことだ。 いろいろとポケモンの行動に対する考察を語っていると、突然画面の向こうでカリン女史が笑い出した。 「何がおかしいんだよ」 と頬を膨らませるユウキに対して、彼女は『頭を丸めなさい』と言ったのだ。 はじめは『バリカンで髪刈って坊主になれって意味か!!』などと口走ってしまったものだからさらに笑われた。 何とも言えない後味の悪さを味わったのだが、今ならそれが分かる。 「まったく、意地悪なこと言うんだからな……」 身近なところに目を向けて意味を理解できたのだから、カリン女史の『指摘』とやらは的外れではなかったらしい。 「それに……なんか楽しそうなこともあったみたいだし」 チラリとアカツキを見つめる。 とりあえず、聞きたいことがまたひとつ増えたことらしいことだけは分かった。 あながち、無収穫というわけでもないか。 「おい、アカツキ」 「なんだい、ユウキ?」 手招きに応じて、アカツキはユウキの傍まで歩いていった。 「後のことはダイゴさんに任せて、オレらはちょいと出かけようぜ」 「え、どうして?」 「あのなぁ……」 平然と聞き返してくるアカツキに、ユウキはどういったものかと思案した。 やはりアカツキの子供っぽさは変わっていない。 というよりも、ユウキ自身が大人だ、という意識が欠けているようだ。 まあ、十一歳の男の子だ。 自分は大人びていると思わなくても、何ら不思議ではない。 周りがどう見ていようがお構いなしだ。 とりあえず適当な言葉を捜して、そのうちいくつかをピックアップする。 「アヤカさん、ダイゴさんに会いたがってたんだろ? だったら、オレたちは退散してようぜ。オレたちがいたって、しょうがねぇだろうが」 「うん、そうかもしれないけど……」 自分の姿が見えないことの方が、かえってアヤカに心配を抱かせるのではないか。 アカツキはそう考えていたが、ユウキとしてもそこは分かっていたようで―― 「なに、ダイゴさんが何とかしてくれるだろ。 それによ、オレはおまえとバトルできるの、楽しみにしてんだから。 おまえだってオレとバトルしたいんだろ?」 「うん!!」 「だったら、決まりだな」 ユウキはニコッと笑みを浮かべた。 アカツキの輝いた瞳が痛く思えるが、まあ、これは前々からだから慣れっこか。 「ダイゴさん、ぼくたち、ちょっと出かけてきます」 「ああ。すまないな、余計な気を遣わせてしまったみたいで」 「いえ、お構いなく」 ダイゴにその旨を伝え、ふたりは足早に部屋を後にした。 アカツキは、ユウキとバトルができるということで頭がいっぱいだった。 「やれやれ……」 ふたりの男の子が部屋を後にし、扉が音を立てて閉められると、ダイゴは人知れずため息を漏らした。 どうも、余計な気遣いをさせてしまったらしい。 アヤカは自分に会いたがっている。 だから、ふたりはジャマにならないように部屋を出て行ったのだ。 もっとも、ユウキの方は何か企んでいそうだったが。 「二人っきりと言うのは、苦手なんだけどな……」 ベッドの傍にある棚の上に置かれているバスケットに視線を移し、ふっと笑みを浮かべる。 病室に男女が二人っきりと言うシチュエーションは確かにありがたいのだが…… どうも自分には似合っていないような気がする。 フルーツの盛り合わせが入ったバスケットは、ジョーイが差し入れとして置いていったものだ。 ダイゴはリンゴを手に取ると、懐からバタフライナイフを取り出し、皮を剥き始めた。 バタフライナイフというと、どうにも銃刀法違反のように思えるが、彼のように外での生活が長いと、生活必需品なのである。 それに、今まで警察のお世話になったことはない。 トレーナーが皮剥き用のナイフを持っていたところで、咎められるような時代ではないのだ。 「ふふふん……♪」 鼻歌など交えながら、リズミカルに皮を剥いていく。 厚みは均一に、それでいて剥き残しはまったくない。 男性にしておくのがもったいないほどの手際の良さ。 とても社長の息子とは思えない。 普通、社長の息子というとドラ息子というかボンクラというか…… あまりまともな人格を持ち合わせていなかったりする場合が多いのだが、ダイゴの場合はまったく違ったようだ。 トレーナーとして旅をしている以上、そういった部分は抜け落ちてしまうのだろう。 皮を剥き終え、芯を取り除くと、ティッシュを重ねて作った即席の皿に、均等な大きさに切り揃えて盛り付けた。 バタフライナイフの刃をティッシュで軽く拭いて、懐にしまう。 凶器だけに、あまり人に見せびらかすようなシロモノではないのだ。 リンゴを一切れつまんで、口に入れる。 「うん、新鮮なリンゴはいつ食べてもいいね」 もぐもぐと頬張りながら、暢気な感想を述べていたり。 先ほどの戦いの時とはまるで違うあたり、不思議なのだが…… 「熱は下がったのかな……?」 リンゴを食べ終え、アヤカの額に手を置く。 じんじんと熱が伝わってくる。すぐに手を退けて自らの額に当ててみる。 「まだ高いな。一晩は必要になるってことか」 自分の額より熱が高いのが、熱の移動によってよく分かった。 と、その時。 額に触れた手のぬくもり感じたのだろうか、アヤカがうっすらと目を開けた。 焦点の定まっていない虚ろな目をまっすぐ天井に向けて、何度か瞬き。 それから、顔ごとダイゴの方に向いてきた。 視界に見慣れた青年の姿を捉え、アヤカは口元に笑みを浮かべた。 「ダイゴさん、来てくれたんだ……うれしいなあ」 「気がついてよかったよ。ああ、そうそう。無理はしないでくれ」 「分かってるわ……」 ダイゴがニッコリ微笑むと、アヤカは頷いた。 ともかく、アカツキはちゃんとダイゴを連れてきてくれた。 もっとも、約束を違えるような薄情な男の子ではないと思っていたから、すごくうれしかった。 ダイゴが傍にいてくれるだけで、心が安らぐ。 「あれ、ダイゴさんだけ?」 「ああ。ユウキ君……だったっけ? 用事があって、彼と部屋を出て行ったよ」 「そう……」 アヤカも、余計な気を遣わせちゃったなと思い、ため息を漏らした。 ふたりきりの場を作ってくれたのは、心苦しいような気もするが、やはりうれしい。 恋に恋する女の子だから。 「アカツキ君からおおよその事情は聞いた。 しかし、どうして熱を出したりしたのかな?」 「さあ。わたしにも分からないの……無理はしてないつもりなんだけど」 「君らしいよ」 ダイゴは笑った。 一見無理をしていると思えるようなことでも、ベッドの上からまっすぐに自分を見つめている女性は無理をしていないと言い張るのだ。 数ヶ月も会っていないが、そこのところはやはり変わっていない。 そう簡単に変わられても困るが、こういう部分だけは変わって欲しいと思っていた。 彼がそう思っているとは露知らず、アヤカは会いたいと思っていた人が傍にいてくれる安心感に、口元の笑みを深めた。 「ダイゴさん、元気にしてた?」 「ああ。君こそ元気……ってワケでもないかな。 昨日までは元気にしていたみたいだけど」 「ええ、まあ……」 「ツツジも元気そうだな。アカツキ君から聞いたよ」 「うん。あの子が落ち込む姿なんて想像できる?」 「できそうにないね」 確かに……とダイゴは思った。 アヤカとツツジ。 この姉妹は――アヤカはともかく、ツツジは慎ましい少女に見えて、実はかなり活発な性格をしているのだ。 そうでなければ、ジムリーダーなど務めたりしないだろう。 ツツジとは一年以上会っていないが、まあ、彼女は忙しいだろうから、会えなくても淋しいと感じていないに違いない。 「親父も、元気そうだな」 「心配してたよ。ダイゴさんのこと」 「頭痛の種は尽きないみたいだけどな」 ダイゴは脳裏に父親の顔を思い浮かべた。 デボンコーポレーションの社長。 一代で会社をマンモス企業と呼ばれるまでに大きく成長させた父親を持ったが、父親が社長ということが重荷になったことはなかった。 「親父ったら心配性なんだから……もう少し僕のことを信用してくれてもいいのに。 親不孝ってことは分かってるけどさ」 そう思うと、笑いが込み上げてくる。 今まで親孝行らしいことはあまりしてあげられなかった。 今からでも、何かひとつくらいはしてやらなければならないのだろう。 「ダイゴさん、テーブルの上にモンスターボールがあるんだけど…… その中にボスゴドラが入ってるの。そろそろ返そうと思って持ってきたんだよ」 「そうか。ボスゴドラが……」 ダイゴは彼女の言う通り、テーブルに置かれた六つのモンスターボールから、ひとつを選んで手に取った。 特別な目印がしてあるわけではないが、そのボールにボスゴドラが入っている、ということが分かる。 存在感というか、そんなものがボールという壁を越えて伝わってくるのだ。 そのボスゴドラは、カナズミシティとムロタウンを結ぶ定期船で催されたバトル大会で、アカツキのアリゲイツと戦ったポケモンだった。 ダイゴから預かっていただけだったのだが、好きに使っていいと言われたので、ここぞという場面で投入したのだ。 「でも、やっぱりわたしの言うこと、あまり聞いてくれなかったのよね……」 アヤカは苦笑混じりに、その時のエピソードを語り始めた。 そこに病人としての表情はなかった。 どこか誇らしげで、清々した表情から、その時のことがよほど楽しかったのだろうと、ダイゴは思った。 アヤカはダイゴから預かったボスゴドラを使って、アカツキのアリゲイツとバトルをした。 勝利するのは分かりきっていたことだが、思いのほかダメージを受けてしまった。 それは自らの実力不足だと説明した。 実力不足を象徴するように、ボスゴドラはアヤカの言うことをあまり聞いていなかったのである。 船上の戦いでは、運良く聞いてくれたが……その時以外はほとんど聞いてくれなかった。 ボスゴドラのみならず、プライドが高く実力もあるポケモンはトレーナー以外の人間の言うことを聞かないことがあるのだ。 そのせいか、アカツキとのバトルでは、実力の半分も出していない。 「まあ、相当な跳ねっ返りだからな……僕もゲットしたての頃は苦労したよ」 ダイゴは苦笑した。 彼がボスゴドラをゲットしたのは十年以上も前になる。 アヤカがトレーナーになるよりも前だろう。 ゲットした時はココドラだった。ゲットしたての頃は、あまり言うことを聞いてくれなかった。 それでもあきらめずに、ありのまま接して、少しずつ心を開いていったのだ。 あの頃は苦労したが、その苦労が今ではいい経験のように思える。 その分、大人になったということなのだろう。 「具合はどうだい?」 「大丈夫。さっきよりは大分楽になったわ」 「そうか、それはよかったよ。 君がいつまでも寝込んでいる姿なんて、僕には想像もつかないからね」 「ふふ……」 ダイゴがおどけてみせると、アヤカは口元に手を当てて笑った。 早く元気になって欲しいという彼の気持ちが、痛いほどに伝わってくる。 胸を抉り取るくらいに。 「ダイゴさん。やっぱり、進化の石を集めてるの?」 「そうだね。今は死ぬほど忙しいわけじゃないから、仕事はプリムに任せてあるよ。 彼女は喜んでやってくれるみたいだけど、悪い気がしてね。数日中には戻るつもりだよ、サイユウシティに」 「そうですか……」 ダイゴが多忙であることを知っているアヤカは、笑みを潜めた。 彼の言うプリムとは、同僚のような存在だ。 彼女がダイゴのことをどう思っているか、分かっているだけに、胸が痛む。 痛みの正体を知っているから、余計に。 「炎の石を見つけられてね。これで、あとは太陽の石と月の石だけになったんだ」 「よかったね」 石の洞窟に何日も潜り込んで手にした成果を語るダイゴは、壮大な夢を語る少年のような表情と、輝かしい瞳をしていた。 アヤカはそんな彼が好きだった。 純粋に夢を追いかけているその姿が、何よりも好きだった。 「君もそろそろ、夢を叶えてもいい年頃じゃないのかな。君にだってあるだろう?」 「そりゃそうなんだけどね……当分先になりそう」 「まあ、無理に叶えろというわけじゃないけどね」 ダイゴにはアヤカの夢が分からなかった。 分かったところで、叶えてやることなどできないのだろうが。 「でも、うれしい。 あなたが来てくれて。アカツキ君には、後でお礼を言っておかなきゃいけないよね」 「そうだな。彼が来なければ、君がここにいることが分からなかっただろうから」 ダイゴは微笑んだ。 アヤカの目に映るダイゴの顔は、太陽よりもまぶしく見えた。 第25話へと続く……