第27話 流水のごとくしなやかに -Like a streaming water- 「よし。みんな、行くよ!!」 アカツキは大きな声で言って気持ちを引き締めると、ムロジムへ向かうべくポケモンセンターを発った。 ジムリーダー・トウキとのバトルに勝利して、二つ目のバッジをゲットするためだ。 自動ドアをくぐり、定期船が発着する桟橋とは正反対の、島の南部へ続く道を歩き出した。 その矢先、背後から声をかけられ、アカツキは振り返った。 「アヤカさん……」 ニコニコ笑顔でアカツキの傍まで歩いてきたのは、大き目のバッグを肩から提げたアヤカだった。 昨日一日、熱でダウンしていたとは思えないほど清々しい表情をアカツキに向けている。 完全に元気になったと判断し、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 「よかった。間に合ったわ」 「え、何が?」 アヤカも同じようにホッとしたようだったが、アカツキには何のことだかまるで分からなかった。 疑問に思っているアカツキを余所に、アヤカはさっと切り出した。 「わたし、これからカナズミシティに戻るわ。だから、君とはここでお別れよ」 「え……」 いきなりお別れと言われ、アカツキはビックリした。 「よかった、間に合った」の次に「お別れよ」などと言われるとは思わなかったのだ。 だが、いずれは別れることになると知っていた。 だから、何も言わない。未練がましいだけではないか。 「そうなんだ……」 アカツキは小さくつぶやくと、俯いた。 表情こそ複雑そうにゆがんで見えるが、心の中では整理をつけていた。 アヤカにはアヤカの人生というものがある。 いつまでも傍にいてくれるわけではない。 それが少し早まっただけと思えば、自然と表情が緩んでくる。 顔を上げると、そこにあったのは笑みだった。 取って繕ったものではなく、正真正銘、ホンモノの微笑みだ。 「あら、意外と冷静ね」 アカツキが落ち着いているのを見て、アヤカは笑みを深めた。 目の前にいる十一歳の男の子は、やはり芯が強い。 見込み違いということは、最後の最後までなかった。 ほんの気紛れからとはいえ、手を貸して、少しでも強いトレーナーにして良かったと思える。 「いつかは別れると思ってたし…… アヤカさんが言い出さなくてもね、ぼくはムロジムをクリアしたら切り出すつもりだったよ」 「そうなの……」 これにはアヤカの方が驚いた。 自分から言い出すつもりがあったとは思わなかったのだ。 さすがに、いつまでも自分に甘えようとはしないだろう。 一人立ちしなければ、一人前のトレーナーになどなれない。 「ムロジムに挑戦するのなら、一言、アドバイスさせてもらうけど」 「いいの?」 「もちろん。君へのせめてもの餞別よ。君にはいろいろとお世話になったからね」 「そんな、世話になったのはぼくの方だって」 言い返すも、しかしアヤカは首を横に振った。 「昨日も言ったでしょ?」 子供に言い聞かせるような口調で、続ける。 「君がダイゴさんを連れてきてくれなかったら、わたしはこんなに元気になれなかったわよ。 そのことに対する礼は、まだしてなかったもの」 「でも、アヤカさんが元気な顔見せてくれれば、それだけでいいんだってば」 「いいの。ムロジムのリーダー・トウキはそれだけ強敵だってことよ」 アカツキは丁重に礼を辞退しようとしていたが、アヤカは言葉で強引に叩き伏せる。 そして、これからジム戦へ挑まんとしている若きトレーナにアドバイスをした。 「いい? トウキのポケモンに対して攻撃一辺倒じゃダメよ。 攻撃と防御をちゃんと考えてから攻撃しなさい。 それがわたしから君へのアドバイスよ」 「うん、ありがとう」 普通の人なら「これでアドバイスなのか?」と思えるような内容だったが、アカツキはちゃんとアドバイスとして受け止めた。 攻撃一辺倒じゃダメ。 今まで当たり前のようにやっていた自分の戦い方に釘を刺されたような気がして、なおさらアドバイスと受け止めてしまうのだ。 「とりあえず、頑張ってみなさい。 勝敗はともかくとして、精一杯戦うこと。 それがポケモントレーナーのやるべきことよ」 「うん。もちろん」 アカツキは大きく頷いた。 アヤカは別れの名残惜しさなど感じなかった。 確かに淋しくなるが、今の自分にはやるべきことがある。 それに、アカツキなら…… 「わたしがいなくても、十分にやっていける。それくらいの強さは持ってるはずだから」 瞳を輝かせながら自分を見つめる男の子を信じられるから。 だから、別れの哀しみや切なさなどまったく感じない。 むしろ、清々しい気分さえしているほどだ。これが今生の別れというわけでもない。 空を飛べるポケモンに乗れば、一日と待たずに逢えるのだ。 世界は少しばかり狭くなった。 「それじゃあ、アカツキ君。元気でね」 言いながら差し出された手を、アカツキはまじまじと見つめ―― やがて顔を上げ、彼女の手を握る。 固い握手を交わし、アカツキはぺこりと頭を下げた。 「一体どうしたのかしら?」 アヤカは首を傾げたが―― 「アヤカさん。今までありがとうございました」 「あらあら……」 律儀にも礼などを言ってきたものだから、これには呆れていいのやら…… こみ上げて来る笑いの衝動を噛み殺す。 本気で爆笑したら、それこそ礼儀正しいアカツキに対して失礼だ。 お礼の言葉なら、ちゃんと頂いておかなければ。 別に感謝などしてもらわなくてもいいのだが……なにせ自分が好きで付き合っただけだ。 手をほどいて、アカツキは笑みを浮かべたままで、 「それじゃあ、ぼくは行くね。アヤカさんもお元気で」 アヤカに背を向けて、歩き出す。 その背中に自信に満ちた何かがにじんでいるのを感じ取り、アヤカは目を細めた。 自分が思っているよりも、大きくなったような気がする。 たったの十日……そんなにもないかもしれない。 そんな短い間でも、人間変わろうと思えば変われるのだ。 それを見せ付けられたような気がして、俄然やる気が沸いてきた。 何のやる気かは、彼女でなければ分からないが。 アカツキは時々振り返ると、アヤカに手を振ってみせた。 アヤカはニコニコ笑顔で手を振り返した。 やがて彼の姿が道の先に消えると―― 「いいわねぇ、若いって」 なんてことを独りごちる。 まだ二十代も序盤もいいところだというのに、トレーナーになりたての頃を思い出してしまったのだ。 自分にもあんな頃があったなと。 一途で純粋で……今からではとてもとても想像できない初々しさ。 「ま、わたしもまだまだこれからなんだけどね……」 そういうのも、いいかも……アヤカは空を振り仰いでそんなことを思うと、ゆっくりと歩き出した。 アカツキとは反対側の道へ。 アヤカと別れたアカツキは、ムロジムへと向かって歩いていた。 燦々と降り注ぐ陽光。心地よい潮風の匂い。 いろいろと世話を焼いてくれた年上の女性との別れの辛さは、確かにあった。 だが、これから始まるであろうバトルに心弾ませているアカツキは、そんなものを空の彼方へと追放していた。 ムロジムは思いのほかポケモンセンターの近くにあるらしく、標識が正しければもうすぐ着くはずだ。 距離にしておよそ五百メートル。 「よし、絶対勝つぞ!!」 アカツキはギュッと拳を握りしめた。 アドバイスをくれたアヤカのためにも、自分自身のためにも、絶対に負けるわけにはいかない。 もっとも、勝敗は別として、精一杯戦うだけのことだ。 心に熱く燃える炎を灯しながら歩くうち、ムロジムへとたどり着いた。 見た目は普通の体育館だったが、看板にはちゃんと『ムロジム』と書かれている。 どこにでも売っているような木の板に、黒いペンキで殴り書きされていたものの、なんだか力強い感じがした。 ごくりと唾を飲み下し、ジムの扉を叩く。 木製の扉が奏でた音は枯れ木を思わせるようなものだったが、返事はすぐにやってきた。 がちゃっ。 扉が開かれ、青年が姿を現した。 好き勝手に跳ねたブルーの髪に、半袖短パンとラフな格好。 スラリと背が高く、それなりに整った顔立ちをしているので、異性が放っておかないタイプだ。 腰にモンスターボールを差しているところからして、ポケモントレーナーであることは疑いようがない。 アカツキよりも頭ひとつ分以上は違う。 青年は扉の向こうに佇む少年に興味深げな表情を向けて、問いかけた。 「お、チャレンジャーかい?」 「はい。挑戦しに来ました」 間をおかずにアカツキが頷くと、青年は口の端を吊り上げて、 「フィールドに案内するぜ。ついてきな」 「お邪魔します」 ぺこりと頭を下げ、アカツキは青年の後についてジムへと入っていった。 カナズミジムは入り口の向こうがすぐにバトルフィールドになっていたが、ムロジムは違った。 競技場のように、スタジアムに出るまでの廊下と同じものがあった。 ドキドキと心臓の鼓動が早まる。 「そういや、自己紹介がまだだったな。 俺はトウキ。ムロジムのジムリーダーだ。 もうちょいでバトルすることになるけど、よろしくな」 「あ、よろしくお願いします!!」 バトルフィールドへ向かう途中で、ジムリーダーであることを明かされ、今度こそアカツキは心臓が飛び出すような思いがした。 まさかジムリーダー本人が出迎えに来てくれるとは予想もしていなかった。 ……と、驚いている間もなく、バトルフィールドにたどり着く。 天井からたくさんぶら下がったライトに照らされたフィールドは、さながらサーカスのステージを思わせる。 陸上競技場のように、特殊なアスファルトでコーティングされたフィールドに足を踏み入れる。 アカツキとトウキは左右に分かれ、トレーナーのポジションについて向き合った。 フィールドの周囲には観客席があるものの、言うまでもなくギャラリーはゼロ。 ジム戦に観客は不要とでも考えているのだろうか。 気が散って邪魔だからという理由かもしれないが、余計な人間がいないのはアカツキにとってもうれしいことだった。 周囲に誰もいないから、誰かに集中力を乱されることもない。 アカツキが安心していると、トウキは腕組みなどしながら朗々と問いかけてきた。 「さて、チャレンジャー君。君の名前を聞こう」 言葉をかけられて、反射的に振り向く。 トウキは口元に笑みを浮かべてはいるものの、目だけは本気で笑っていない。 心を射抜くような視線を、アカツキに向けている。 ほんの少しでも気を緩めれば怯んでしまいそうになるのを気合いで何とかカバー。 爪が食い込むほどギュッと拳を握りしめ、大きな声で言った。 「ぼくはミシロタウンから来ました、アカツキです!!」 「アカツキくんか。オッケー」 アカツキの声の大きさに満足でもしたのか、トウキは笑みを深め、親指を立てた。 「それじゃ、バトルと行くか。ルールは単純だ。 二対二の勝ち抜きバトル。 俺か君のポケモンがすべて戦闘不能になるか降参したら負け。時間は無制限。 質問は?」 アカツキは首を横に振った。 実にシンプルなルールで、質問などあるはずがない。 カナズミジムとまるっきり同じだから、二度は要らない。 「久々のチャレンジャーだ。 なにせポケモンバトルは久しぶりだからな…… 腕が鈍っちまってるかもしんねえけど、やれるだけやらせてもらうぜ。 加減を忘れちまうかもしれないが、まあ、そん時は許してくれ」 「ぼくは全力で戦いますから、遠慮なんて要りません!!」 「そう言ってもらえると助かるな」 トウキはますます笑みを深めた。 だが、その笑みの裏に底知れない何かが隠されているような気がして、アカツキは背筋が震えた。 ――腕が鈍っている? ――加減を忘れちまうかも? それを謙虚と受け取る人もいるだろう。 だが、それは『逆』だ。 アカツキには何となく分かった。 謙虚な姿勢だとしても、その裏には自分のポケモンに対する揺るぎない自信がある。 アカツキはそれをひしひしと感じ取っていたのだ。 チャレンジャーが何を考えているのかなどどうでもいいと言わんばかりに、トウキはモンスターボールをフィールドに投げ入れた。 放物線を描いてフィールドに投げ込まれたボールは着弾寸前に口を開き、ポケモンを放出した!! 「ワンリキー……」 アカツキは飛び出してきたポケモンに見覚えがあった。 一応、ポケモン図鑑のセンサーを向けておく。 お約束だが、こうしておかないと出会ったことが記録されない。 それに、カリン女史の説明を聞いておいた方が、いろいろとためになるような気がした。 「ワンリキー。かいりきポケモン。 どんなに運動しても痛くならない筋肉を持つ。 一説では大人を100人一気に投げ放つパワーを秘めていると言われている。 どちらかというと好戦的な性格をしている」 一通り説明を聞き終えてから、液晶のポケモンとホンモノを見比べる。 アカツキの腰くらいの身長で、全身が灰色だ。 頭に三本、トサカだか何だか区別のつかないものを生やしている。 腕があり、足があり、人型のポケモンだ。 ポケモン雑誌でポケモンの名前の由来というコーナーがあって、そこでワンリキーのことをやっていたのを思い出す。 腕力と漢字で書いて、それをひらがなに直すと『わんりき』となる(ウソと思いたくなるような安直さだったが)。 それをちょっとアレンジして名前にしてしまったらしい。 しかし、ワンリキーの進化系であるゴーリキーなど強力(ごうりき)だし、カイリキーに至ってはそのまま怪力(かいりき)だ。 意外と安直なネーミングだが、そのおかげでタイプが分かるということもある。 「格闘タイプだ……このジムは」 およそポケモンジムというのは、何かしらのタイプで固まっている場合が多い。 カナズミジムなら岩タイプ、ムロジムなら格闘タイプという具合に、それぞれのタイプを専門としている。 ゆえに、ジムの得意とするタイプと同じタイプのポケモンで相手をするのはかなり厳しいと言っていい。 やはりセオリー通り、弱点を突くのがベストとなる。 「さあ、君のポケモンを見せてもらおうか」 「ぼくのポケモンは……」 トウキに促され、アカツキは腰のモンスターボールに触れた。 みんなバトルに出たいと思っているのがなんとなく分かったが、相性論からジグザグマを出すことはできない。 ノーマルタイプは可もなく不可もないのが特徴だが、格闘タイプの技が弱点だ。 だから、ジグザグマを出すということは、それだけで自殺行為となる。 「よし、君で行くよ」 ひとつモンスターボールを手に取って、投げ放つ!! ぽんっ。 ボールの口が開いて、飛び出してきたのは―― 「シャモぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」 「ほう、ワカシャモか」 ワカシャモの猛々しい鳴き声に耳を塞ぎながら、トウキはポツリとつぶやいた。 同じ格闘タイプのポケモンで挑んでくるとは、なかなか面白いことをしてくれる。 だが、それとバトルは話が別だ。 相手が何を出してこようと、全力で戦うのみ。それがトレーナーの務めだ。 「ジャッジは要らないな。 よし、はじめよう。君に先手を取らせてあげよう。どこからでも掛かってきたまえ」 手で『こっちに来い』というジェスチャーをするトウキ。 それは単なる挑発なではなかった。 先制攻撃をさせてくれるのは、アカツキを馬鹿にしているためではない。 それがトウキの戦い方なのだ。 ワンリキーが構えを取る。 罠か……? 何の考えもなく先手を譲るはずもない。 とはいえ、罠だとしても……アカツキは少し考えて―― 「ワカシャモ、二度蹴り!!」 ワンリキーを指差して指示を下す!! 「シャモぉぉぉぉっ!!」 これもまたお約束だが、ワカシャモは何をするにもけたたましい鳴き声を上げるのだ。 種族的な特徴らしく、こればかりは性格的におとなしいワカシャモでなければどうにもならない。 まあ、バシャーモに進化してしまえば、おとなしくなるのだが…… ワンリキーめがけてダッシュするワカシャモ。 対するトウキは、真剣な表情を浮かべたまま、何も指示をしない。 みるみるうちにワカシャモとワンリキーの距離が詰まっていく。 いったい何を考えているのか……アカツキはいきなり不安になってきた。 トウキが何を考えているのか、分からないのだ。 このままではワンリキーがまともに二度蹴りを受けてしまうだろう。 自慢ではないが、ワカシャモの二度蹴りはかなり強力。 二発とも食らってしまうと、並のポケモンならノックアウトできるほどだ。 いくらジムリーダーのポケモンでも、進化前である以上、そのダメージは馬鹿にならないはず。 ワカシャモはワンリキーに迫り、鋭い蹴りを繰り出す!! がっ、がっ!! 見事に二発ともヒットし、ワンリキーは悲鳴を上げることすら許されずに吹っ飛んで、地面を吹き掃除する。 「よし!!」 アカツキはギュッと拳を握りしめた。 トウキが何を考えているのかは知らないが、今の一撃は大きなダメージになったはず。 このまま一気に攻め立てていけば勝てるはずだ。 ワンリキーはむくっと立ち上がると、闘志の衰えない瞳をワカシャモに向けてきた。 「一気に行くよ!! ワカシャモ、もう一度二度蹴り!!」 アカツキの指示に、ワカシャモは再びワンリキーめがけてダッシュ!! ワンリキーは動かない。 バトルにおいて、ポケモンは基本的にトレーナーの指示があるまでは動かない。 育て上げられたポケモンなら、トレーナーの意思を汲んで、自分で考えて戦うことがあるらしい。 しかし、それはあくまでも育て上げられたポケモンに限った話である。 「ワンリキー、水のごとくしなやかに行くぜ」 と、そこで初めてトウキが静かな声音でワンリキーに指示を下した。 ワンリキーが小さく頷くが早いか、ワカシャモが鋭い声と共に再び蹴りを繰り出す。 しかし、紙一重のところで、ワンリキーは蹴りを避わした。 一度目だけでなく、二度目の蹴りも避わす。 「え?」 アカツキは訝しげに眉をひそめた。一体何がどうなっているのか? だが、迷っている時間はない。 「ワカシャモ、何度も二度蹴り!!」 三度、二度蹴りを放つワカシャモ。 だが、結果は同じだった。ワンリキーはすんでのところで二度蹴りを避わしてしまう。 「どうして?」 アカツキは乾いた声を漏らした。 ワカシャモの二度蹴りは、命中精度という点ではかなり高いと言ってもいい。 それなのに、二度も続けて避わされるとは……信じられない気持ちが強い。 その後もワカシャモは二度蹴りを繰り出すが、ことごとく避けられ続けている。 攻撃されたわけでもないのに、ワカシャモに疲れが見え始めた。 攻撃を出しすぎて、疲れが出てきたのだ。 「まずい……」 ワカシャモの背中を見つめ、アカツキは焦りを募らせた。 主導権を握っているのは自分のはずだ。 トウキは攻撃できないのか、攻撃してこないだけのか。 分からないが、どちらにせよ攻め続けていればいずれはダメージを与えられる。 そうなれば、流れは確実に自分に向くはずだ。 なのに、どうして焦るのだろう。 ワカシャモが疲れているから? ダメージを受けているわけでもないのに。 疲れが出てきたということは、当然命中率も下がってくる。 先ほどは紙一重で避けられた二度蹴りも、今では楽に避けられてしまう。 その上、避けたところに余裕さえ窺えるではないか。 だが、攻撃の手を休めるわけにはいかない。 アカツキはワカシャモが二度蹴りをヒットさせるのを願いながら、ひたすら見守るしかなかった。他の手段を思いつかなかったのだ。 かれこれ十回近く二度蹴りを放ったところで、ワカシャモはがくりと膝を突いた。 肩で荒い息を繰り返している。 攻撃し続けたために、スタミナを使い果たす寸前なのだ。 『そのこと』に気づいた時には遅かった。 「ワンリキー、今だ、攻撃!! 空手チョップ!!」 「りきーっ!!」 膝を突いたワカシャモめがけて突撃するワンリキー!! そこでようやく、アカツキはトウキの作戦を知った。 ワンリキーは必要最小限の動きで相手の攻撃を避わし続け、相手が疲れを見せたところで攻撃に転じる。 スタミナの差さえそれで覆してしまうのだ。 どんなポケモンでも、疲れていれば倒しやすくなる。 まるで、流れる水のごとく攻撃を避わして、反撃に転じる…… 「水のごとくって、そういう意味だったんだ……」 アカツキは奥歯をぎりっ、と強く噛みしめた。 まんまとトウキの術中にはまってしまったのだ。 何の指示も下していないから、何かたくらんでいるにしてもそれが危険なものだとは思わなかった。 そこを見事に突かれた。 明らかに自分のミスだ。だからといって、負けを認めるつもりはない。 ここからだって、挽回できるはずだ。 「ワカシャモ、頑張って!!」 しかし、アカツキの声援も虚しく。 ワカシャモは立ち上がるのも辛そうだった。 二度蹴りは大振りな動作が多いため、その分スタミナの消耗も激しい。 アチャモから進化したとはいえ、スタミナはそれほど強化されたわけではないのだ。 バシャーモになれば、スタミナも十二分に強化されるのだが……ここで仮定の話をしたところで何の意味も為さなかった。 がすっ!! ワンリキーの空手チョップがワカシャモに炸裂!! 「ワカシャモ!!」 今度こそ悲鳴すら上げられずに吹き飛ばされたのは、ワカシャモの方だった。 激しく地面に叩きつけられ、ワンバウンド。 さらに地面を数メートル吹き掃除して、やっと止まった。 今の一撃がかなりのダメージを与えたらしく、身を起こすワカシャモも、どこか辛そうだ。 動作もぎこちない。 「よし、このまま畳み掛けるぞ、クロスチョップ!!」 「クロスチョップ……!? そんなの決められたら!!」 アカツキは背筋が震えた。 クロスチョップ……その技の名に聞き覚えがあった。 格闘タイプにおける最強の技で、チョップを交差(クロス)させることでダメージを倍増するという凶悪な技だ。 そんなのを今のワカシャモが受ければ、ひとたまりもない。 一気に戦闘不能に追い込まれるのは間違いない。 それだけは何とか避けなくては―― 「ワカシャモ、頑張れ!! 火炎放射!!」 格闘タイプの技が流れるような動きで避けられるのなら、炎タイプの技なら? そんなことを考えるほどの余裕さえアカツキはなくしていたが、ワカシャモに頑張って欲しいという気持ちはホンモノだった。 アカツキの気持ちが伝わったのか、ワカシャモは瞳を大きく見開いて、一気に立ち上がる!! だが、その時にはすでにワンリキーがすぐ傍まで迫り―― シャモぉぉぉぉぉ!! ワカシャモは口を開いて紅蓮の炎を噴き出した!! 「なにっ!?」 火炎放射などという強力な技を覚えているとは思っていなかったらしく、トウキは初めて驚愕の表情を見せた。 「!?」 いきなり迫ってきた炎に、ワンリキーは一瞬動きを止め――そこを火炎放射が飲みこんだ!! 「ワンリキー!!」 いくら何でもこの距離では避けられない!! 炎に飲み込まれたワンリキーにかなりのダメージが与えられたのは言うまでもない。 だが、炎だけなら……耐えられる自信がある。 炎がワンリキーの視界からワカシャモの姿を覆い隠した。 「これだ!!」 アカツキは頭の中に生まれた閃きに賭けた。 炎を突破されれば、ワカシャモでは勝てない。 なら、多少のリスクを冒してでも、可能性に賭けるしかない!! 「ワカシャモ!!二度蹴り!!」 「何度も同じ手が通用するとでも思っているのかい!?」 「頼む、ワカシャモ……!!」 ワカシャモが炎の中に飛び込む!! 自分で吐いた炎で火傷することはない。 それが炎タイプのポケモンである。 そんなのでいちいち火傷などしていたら、とても炎など吐けないのだ。 トウキは炎の壁の向こうにいるワカシャモが攻撃を仕掛けてくることに警戒感を抱いた。 ワンリキーを炎の壁が取り囲んでいるのだ。 どこから攻撃されるか、まるで予想がつかない。 だが、ワンリキーなら、スタミナを使い果たす寸前で動きの鈍ったワカシャモの攻撃を避けることができるはずだ。 一秒、二秒と時が経ち。 ぶんっ!! 風の唸りが聞こえる。 ワカシャモが蹴りを繰り出したのだ。 しかし、その方向にトウキは驚愕した。 「前!? バカな!!」 驚愕に反応するかのように、ワカシャモの二度蹴りが、二度ともワンリキーに突き刺さる!! 強烈な蹴りをまともに受け、ワンリキーはフィールドを転がった!! 炎が爆ぜ割れる。 フィールドを転がり続けるワンリキーは、トウキの手前でようやく止まった。 「ワンリキー……」 とても戦える状態でないことは、容易に見て取れた。 「戻っていてくれ。よくやったぞ」 労いの言葉をかけ、モンスターボールに戻す。 しかし、フィールドの向こうに陣取っている男の子も、なかなかやってくれる。 ワカシャモはスタミナが底を尽く寸前でありながら、起死回生の一手を打ってみせた。 それでこそチャレンジャーだ。 「なるほど、真ん前から攻撃してくるとはね…… こればっかりはさすがに予想できなかったよ」 普通、攻撃を受けてもすぐに反応できない位置である背後や横最も警戒する。 だが、真ん前とは……一番警戒の薄い部分を突いて来るとは。 真ん前はある意味で一番警戒が強いと言ってもいい。 すぐに反応できるからだ。 すぐ反応できるから、警戒する必要はない……その過信を見事に突かれた。 「やった、ワンリキーを倒した」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 一時はどうなるかと思ったが、なんとかワンリキーを倒すことができた。 二体ずつのポケモンを使うポケモンバトルゆえ、これでトウキは後がなくなった。 とはいえ、ワカシャモも戦闘不能寸前だ。 条件としては彼と同じと言ってもいいだろう。 「なかなかやるね。ここまで燃えてくるのは、久しぶりだよ。 アカツキくん。俺が手塩にかけて育て上げたこのポケモン、見てみるといいよ」 口の端に笑みを浮かべ、トウキは最後のポケモンが入ったモンスターボールを投げた!! 「行くぞ、マクノシタ!!」 マクノシタ…… 聞き覚えのない名前のポケモンだ。 トウキのモンスターボールはフィールドに入ると、途端に口を開いて中からポケモンを放出!! 「ノシターっ!!」 飛び出してきたポケモンは、結構かわいげがあった。 「これがマクノシタ?」 イメージと何か違うな……そう思いながらも、ポケモン図鑑を開き、センサーを向ける。 「マクノシタ。こんじょうポケモン。 何回倒れてもあきらめずに立ち上がる。 何があっても絶対にあきらめない根性を持ち、立ち上がる度に進化のために必要なエネルギーを体に蓄えると言われている」 「ふーん……」 アカツキは液晶と現物を見比べた。 当然見た目に大差はなく――説明を聞き終えたところで、図鑑をポケットにしまった。 丸々としたクリーム色のボディ。 身長はワカシャモよりも少し低いくらいだが、丸々と太ったような感じがする外見は、お相撲さんを思わせる。 というのも、首元には「回し」のようなものがついているし、なにせ体格が……とはいえ、見た目はまるで人畜無害。 だが、ジムリーダーが使う以上は、そんなことはないだろう。 「きっと、強敵だよね」 胸中でつぶやいて、戦闘不能直前のワカシャモを見やる。 立つのがやっとという状態なのを示すように、足元は小刻みに震えている。 ワカシャモ自身が戦う意志を捨てていないと、その背中からにじみ出る闘志をアカツキは感じ取り、敢えてボールには戻さなかった。 ポケモントレーナーはポケモンの意志を尊重しなければならない。 無論『ケース・バイ・ケース』はあるが、アカツキにとってそのハードルはかなり高い位置にあった。 だから、まだ戦わせるつもりだ。 ここで戻してアリゲイツを出すにしても、少しでもマクノシタにダメージを与えておきたい。 「それじゃ、今回はこちらから行かせてもらおうかな。マクノシタ、体当たり!!」 先制攻撃はトウキ。 彼の指示を受けたマクノシタが、ワカシャモめがけて駆け出した!! 小さなお相撲さんという見た目を裏切って、その動きはかなり俊敏だった。 ジムリーダーが使うポケモンだけあり、能力はかなり高めだ。 ハリテヤマへの進化を控えているとしても。 「ワカシャモ、大丈夫!?」 「シャモぉぉっ!!」 念のために確認を取るが、ワカシャモはやはり戦うつもりらしい。 途中で逃げたら男が廃ると言わんばかり。 「なら……二度蹴り!!」 ワカシャモの戦う意志を受け、アカツキはマクノシタを指差して指示を下した!! さっと駆け出すワカシャモ。 戦闘不能寸前のダメージを受けたとは思えない動きは、アカツキのみならずトウキをもビックリさせた。 「おいおい、もうちょいで戦闘不能なんじゃねえのかよ」 驚きながらも、なかなかの根性だと賞賛する気持ちさえ抱いているが、それとバトルとは話が別だ。 手加減する理由にもならない。 二者の距離が詰まり、ワカシャモが鋭い蹴りを繰り出そうとしたその瞬間。 トウキが指示を出す。 「当て身投げ!!」 「!?」 その指示の中身を理解する暇もなく、ワカシャモの二度蹴りがマクノシタに突き刺さる。 二発とも、まともに入った。 だが、ただ攻撃を受けただけで終わらせてくれるほど、トウキは甘くなかった。 マクノシタは二度蹴りを受けて怯んだ……かと思いきや、おもむろにワカシャモの脚をつかんだではないか。 「シャモ!?」 これにはワカシャモの方が驚いた。 もちろん、アカツキも驚いたが、ワカシャモの比ではない。 「ノシターっ!!」 大きな声を出し、マクノシタがワカシャモを投げ飛ばしたのだ!! どんっ!! 勢いよく地面に叩きつけられるワカシャモ。 着地さえできないほど、体力をすり減らしていたということだろう。 「ワカシャモ!!」 アカツキは叫び、モンスターボールを手に取った。 これ以上の戦いは無理だ!! 胸の中で誰かが叫んでいる。 それは、もしかしたら自分自身かもしれない。 そう思いながら、必死に立ち上がろうと足掻くワカシャモをモンスターボールに戻した。 「いい判断だ」 トウキはポツリとつぶやいた。 ワカシャモはまだ戦うつもりだったようだが、これ以上戦わせたところで、百害あっても一利なし。 マクノシタにダメージを与えることはできないだろう。 これで条件はフェアだ。 後はどういう風にバトルを運んでいくか。 アカツキはワカシャモをモンスターボールに戻すと、 「ワカシャモ、ありがとう。でも、もういいよ。 ゆっくり休んでて。ぼくは絶対に勝つから。 キミの頑張り、絶対無駄にはしないから」 ボールの中にいるワカシャモへ向けて発した言葉を、そのまま自分自身にも言い聞かせる。 ワカシャモがあんなに必死に頑張ってくれたのだ、その努力を無駄にしていい理由がない。 無駄にしないためには、絶対に勝たなければならない。 万が一負けたとしても、ワカシャモはアカツキのことを責めないだろう。 だが、責めるのは自分自身。自分自身にだけは負けたくない。 勝つと決めた以上は、絶対に。 「次は……アリゲイツ、キミだよ!!」 アカツキはアリゲイツのモンスターボールを投げ放った!! フィールドに突入した瞬間―― 待ってましたと言わんばかりにボールの口が開き、アリゲイツが飛び出してきた!! 「ゲイツっ!!」 ワカシャモの代わりに任せておけと、大きな声を出すアリゲイツ。 「アリゲイツか……水タイプの技は厄介だな。 それさえ封じれば勝ち目は十二分にあるか」 トウキは打算を働かせた。 マクノシタはワカシャモの二度蹴りでダメージを受けてしまっている。 お互い、最後のポケモンである以上、コンディションでは分が悪い。 第三者的に見れば、不利なのはこちらだが、打つ手さえ間違えなければ十分に勝ち目はある。 勝利の女神が微笑みながらキスをする相手は自分になる。 トウヤが打算を働かせている間に、アカツキが攻撃に打って出た。 「トウキさん、こっちから行かせてもらいます!! アリゲイツ、水鉄砲!!」 堂々と宣言し、マクノシタを指差しながら指示を出す。 「ちっ、やはりそう来たか……」 アリゲイツが水鉄砲を発射してきたのを見て、トウキは舌打ちした。 どうやら、アカツキも同じことを考えていたようである。 ワカシャモの時に分かったのは、相手が『直接攻撃を受けたこと』をトリガーにして当て身投げを発動させる。 わざと相手を懐に入れてから強烈な反撃に打って出てくるのだ。 ワカシャモの時は、スタミナを使い尽くす寸前ということもあって、一撃でやられてしまったが…… だからこそ、当て身投げの一撃がどれだけ強力なのか分からない。 もしかしたら、アリゲイツでも一撃でやられるかもしれない。 そういった高すぎるリスクを冒してまで直接攻撃――引っ掻くや噛みつく攻撃をしようとは思わない。 アリゲイツの最大の武器である水タイプの技で一気に決める。 それがアカツキの思い描くプランだ。 アリゲイツの水鉄砲が一直線にマクノシタへと突き進んでいく!! そのスピード、威力ともに申し分ない。 「申し分ないということか。それが一番の武器……ならば」 無論、強烈な威力を持つ水鉄砲を受けるつもりなどさらさらない。 「守る!!」 「ノシタ!!」 トウキの指示に、マクノシタが両腕を前で交差させる。 何かの構え? 攻撃の前触れかと思ったが、そうではなかった。 水鉄砲がマクノシタを直撃―― 「してない!!」 アカツキは思わず叫んでしまったのは、言葉どおり、水鉄砲がマクノシタを直撃しなかったからだ。 見えない壁に阻まれるようにして、水流は左右に引き裂かれた。 そしてすぐに推進力を失って、ただの水と化したのだ。 「守る……」 目の当たりにしたからこそ、分かる。 マクノシタが使ったのは守るという技。 相手の攻撃を確実に受けない代わりに、何度も続けて使えない防御タイプの技だ。 「なら、続けて見切れないはず……」 水鉄砲を防ぎきったマクノシタは隙だらけだ。 「アリゲイツ、もう一度水鉄砲!!」 「甘い!!」 同じ手が二度も通用するものか。 トウキは水鉄砲を再び発射したアリゲイツを睨みつけ、マクノシタに指示を下した。 「目覚めるパワー!!」 「!?」 アヤカのボスゴドラのみならず、マクノシタまで使えるとは。 アカツキは驚きでいっぱいだったが、驚いてばかりもいられない。 マクノシタの身体がきらりと光り、光の球が打ち出される!! アヤカのボスゴドラが使う『目覚めるパワー』は光の波動だった。 しかし、技の特性上、ポケモンによってそのタイプと威力、そして『形』までも違うらしい。 こればかりは相殺するか、あるいは―― どんなタイプであるか分からない以上、どうにもならないのが実情だ。 水鉄砲と光の球は正面から衝突した!! どぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉんっ!! 耳を劈く爆音と共に、フィールドに大量の水蒸気が発生する!! どうやら、炎タイプのようである。 水と、炎の力を秘めた光の球が衝突すれば、水蒸気が発生するのは道理。 瞬く間にフィールドを覆い隠す!! 「な、何も見えない!!」 水蒸気はフィールドの隅々まで広がった。 ジメジメした、湿度百パーセントの空気に包まれて、アカツキは身体が重くなったような気がした。 湿り気を服が吸い取ってしまったせいだが、こんなことにかまけている暇がないのも事実だった。 アリゲイツもトウキもマクノシタも、水蒸気に隠れて見えなくなってしまった。 「このままじゃまずいかも」 アリゲイツに水鉄砲を指示したのは、マクノシタとの距離を詰めたくなかったからだ。 距離を詰めれば、格闘タイプの独壇場となる。 だが、それはトウキもお見通しだったらしい。 そこで目覚めるパワーを使って、エネルギー同士がぶつかることによって生まれる『何か』を目くらましに用いることにしたのだ。 そして、その目論見はまんまと成功したことになる。 「やっぱり、手ごわいな……」 アカツキは、相手が手ごわいからといって、物怖じするような男の子ではなかった。 あきらめるのが何よりも嫌いな少年は、相手が手ごわければ手ごわいほど、熱く燃える性分だったりするのだ、実は。 だから―― 「余計に負けらんない!!」 ギュッと拳を握る。 「アリゲイツ、耳を澄ませて!!」 「おっと、そうは問屋が卸さない。マクノシタ、突っ張り!!」 漂う水蒸気のせいか、どこかくぐもった感じのするトウキの声が聞こえた、その刹那―― びしっ!! 木の板で肩を叩くような、高い音が響いた。 「ゲ〜イツ!!」 続いてアリゲイツの悲鳴。 水蒸気に紛れてマクノシタが攻撃を仕掛けてきたのを、アリゲイツは避けきれなかったのだ。 驚いている間に、まんまと距離を詰められてしまったのだ!! 状況が目に見えないのでは、どんな指示を下せばいいのかさえ分からない。 アカツキは危機感を募らせた。 どうやら、マクノシタは索敵能力に優れているらしい。 しかし、それならアリゲイツだって負けてはいないはずだ。 「アリゲイツ、水鉄砲!! 最大出力でやっちゃえぇっ!!」 直接攻撃では当て身投げを食らう恐れがある。 ならば、何としても水鉄砲でダメージを与えつつ、距離を稼ぐしかない。 距離の分、攻撃の命中率と引き換えに、安全度が高まる。 ここはアリゲイツに何としても頑張ってもらって、再び距離を開くようにしないと。 せめて、水蒸気が消えるまでの間でいい。 消えたなら、あとは何とかなる。 立て続けに大きな音が響き渡る。 何が起きているのか――アカツキにもトウキにも分からない。 徐々に水蒸気が晴れていく。霧のように立ち込めた水蒸気が、薄く引き延ばされて―― 『あっ!!』 ふたりは同時に声を上げた。 信じられない光景を目の当たりにして。 アリゲイツとマクノシタが、なんと、組み合っているではないか!! アリゲイツの前脚と、マクノシタの腕。 互いに必死の形相で鍔迫り合いを繰り広げている。 パワーは互角らしく、一歩も譲らない。 「なかなかやるな。マクノシタのパワーと互角とは……」 トウキは口の端に笑みを浮かべた。 マクノシタは進化前であるにも関わらず、パワーに関して言えば、進化後のポケモンと互角に渡り合えるほどだ。 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 トウキの思考を切り裂くかのように、凛としたアカツキの声が響いた。 マクノシタと組み合ったまま、アリゲイツが口を開く。 「マクノシタ、瓦割り!!」 アリゲイツがマクノシタの腕を放す。 水鉄砲が発射される、まさにその直前、マクノシタはわずかなタイムラグを利用して、攻撃を繰り出してきた!! グローブをはめているような、黒く丸い腕が光を帯び―― がすっ!! 袈裟懸けにアリゲイツを薙いだ!! だが、アリゲイツも負けてはいない。 瓦割りという格闘タイプの技を受けながらも、水鉄砲を発射!! どんっ!! 至近距離で発射された水鉄砲は、狙い違わずマクノシタを直撃!! 大きく吹き飛ばされ、トウキの目の前で地面に叩きつけられる!! しかし、ほぼ同時に、アリゲイツも膝を突いた。 「アリゲイツ!!」 今の一撃がかなり重くヒットしたらしい。 「瓦割り……」 アカツキはポツリとつぶやき、その技の名前を思い出した。 瓦割り……格闘タイプの技で、威力は中堅クラスといったところか。 名前と威力だけ見てみれば、イマイチパッとこない技だが、実はとんでもない効果を秘めている。 今回のバトルではその効果は発揮されなかったが、リフレクターや光の壁といった防御系の技を壊して攻撃できる、攻撃と同時に相手の防御を壊してしまうのが瓦割りという技だ。 もっとも、アリゲイツもワカシャモもそういった防御系の技は使えないから、使われたとしてもその効果を受けることはない。 「マクノシタ……」 トウキはポツリとつぶやいた。 目の前で必死に起き上がろうとするマクノシタを見つめながら。 先ほど水蒸気に包まれた時に、それなりに激しい攻防があったらしい…… マクノシタもアリゲイツもかなりのダメージを受けている。 アリゲイツの水鉄砲一発でここまでのダメージを受けるとは思えないから、間違いない。 「無理はしなくていい」 負けたくはないが、下手に無理をさせたくない。 勝敗も重要な要素。 だが、それ以上に重要なのは、必要以上にポケモンに痛みを与えないこと。 スタミナで言えば、アリゲイツの方が上であるのは否めない。 瓦割りと突っ張りという、マクノシタの十八番とも言える技を受けながらも、まだ戦える。 「アリゲイツ……」 アカツキは手に汗握りながら、アリゲイツを見つめ続けた。 肩で荒い息をしているアリゲイツは、ゆっくりと立ち上がった。 先ほどのワカシャモみたいに、戦闘不能寸前とまではいかないものの、ダメージは大きい。 見ただけでもそれくらいは分かる。 「がんばって」 そうとしか言えない。他にどんな言葉が見つかるだろう。 マクノシタも、かなりのダメージを受けながらも立ち上がろうと必死だ。 お互いのポケモンが放つ『負けたくない』という気持ちがビンビンと伝わってくる。 状況だけ見れば、どちらが勝ってもおかしくない。 だが、確実に勝つ。アカツキの胸にあるのは、勝利という二文字だけだ。 「マクノシタ……無理はするな。もう、いいな?」 ポツリと、トウキが小声でつぶやく。 口が動いているのは分かるが、何を言っているのかまでは分からない。 まさか、何かの指示では? アカツキは心配に思ったが、それは徒労に終わった。 マクノシタが、微かに頷いたように見えた。 「戻れ、マクノシタ」 トウキは、自らマクノシタをモンスターボールに戻したではないか。 「え?」 アカツキは驚いた。 まだバトルは終わっていない。 どちらかのポケモンが戦闘不能になったわけではないし……だが、事実だった。 マクノシタはモンスターボールに戻った。 納得できなければ、再び飛び出してくることだろう。 ポケモンの意志は、モンスターボールで縛られるほど脆弱ではないのだ。 「トウキさん、どうして?」 「これ以上マクノシタを傷つけたくない。それだけだ」 トウキは腕を組んで答えた。 「ポケモンバトルというのは、何も相手のポケモンをすべて倒せばいいというわけではないんだよ」 言いながら、歩いてくる。 彼の顔に笑みが浮かんでいるのを見て、アカツキは言葉を失った。 ジムリーダーが自ら勝負を下りるとは、とても信じられなかったのだ。 「君のトレーナーとしての実力はなかなかのものだ。 マクノシタがここまでのダメージを受けたことがそれを証明しているように思う」 「でも……」 戦いは終わっていない。雌雄を決していない。 なのに、どうして勝負を降りたりするのか。 リングには、まだ戦うべき相手が残っている。 「今の君には納得できないだろうな。 だが……いずれ分かる時が来るよ、アカツキくん」 躊躇いがちな表情を浮かべるアカツキの目前まで歩いてくると、トウキはズボンのポケットから何かを取り出した。 視界の隅にそれを認め、アカツキはトウキに目をやった。 彼の手の平には、握り拳を模った銀色のバッジが、天井から降り注ぐライトを照り受けて鈍く輝いている。 「あの、これ……」 アカツキは本気で驚きを隠しきれなかった。 どうしてここでバッジを取り出すのか。分かってはいるが……だからこそ驚いた。 「そう、ナックルバッジ。このムロジムを制した証だ。受け取ってもらいたい」 「そんな、できません」 アカツキは首を縦に振らなかった。 ジムリーダーに勝ったわけではないのに……受け取る資格などあるはずがない。 そう思っていた。 「ぼくはまだトウキさんに勝ってない。だから、受け取れません」 「そう言うとは思っていたよ」 ふっと息を吐く。 アカツキは実に単純な思考の持ち主だった。 納得いかないから、それを受け入れない。ただそれだけのことだ。 潔さは見上げたものと思うが…… 「俺は負けを認めたんだ。 つまり、君の勝ち。 だから、君には受け取る権利と、そして義務がある」 そう言って、トウキはバッジをアカツキに握らせた。半ば強引と言ってもいい。 「トウキさん……」 アカツキはトウキと、自分の手の平で燦々と輝くバッジを交互に見比べた。 ジムを制した証が、まだ制していないと思っている自分の手の平にある。 それが不思議でたまらない。 それに、彼に反発しようという気持ちが生まれないのも。 「じゃあ、今だけ。今だけ、ありがたくいただきます。 でも、後で……いつか決着つけましょう。 勝ち負けがはっきりしないなんて、ぼく、そんなの納得できないから」 「ああ、それでいい」 トウキは笑みを深めて頷いた。 と、その時。 アカツキは脳裏に、とある可能性を思い描いた。 「もしかしたらトウキさんは、そのことを言わせたかったのかな?」 勝ち負けがはっきりしないまま終わらせたくないということ。 もっと強くなった自分と戦うということ。 そう思っていると―― 「君はきっといいトレーナーになれるよ」 トウキが突然そんなことを言い出した。 アカツキは意味が分からず、眉をひそめた。 手の平にあるバッジは、ただ静かに光を放っていた。 第28話へと続く……