第29話 カイナシティ -Sunshiny beach- 頭上に広がる青い空。 空という大海原を音もなく流れてゆく白い雲。 遥か彼方から燦々と降り注ぐ太陽光。 「ここがカイナシティかぁ……すごいなぁ」 陸へと降り立って、アカツキは素直に感想を漏らした。 ムロタウンから連絡船に乗って二日目の昼過ぎに、ホウエン地方の二大玄関口と言われているカイナシティの港にたどり着いた。 カイナシティの他に、ミナモシティがホウエン地方における海路の玄関口として機能している。 なお、ミシロタウンは最近港ができたばかりなので、先に挙げたふたつの都市と比較するのはあまりに酷というものだ。 カイナシティは海の玄関口として発展すると共に、観光地としても有名になったという過去がある。 観光客誘致のためのビーチを造るために自然の砂浜が切り拓かれ、一時は環境破壊でいろいろと話題になったらしい。 だが、それはもう遠い昔のこと。 今では環境保護を観光客に呼びかけており、ビーチに空き缶が投げ捨てられるということはなくなった。 「いつ来てもすごいって聞いてたけど、本当にすごいな。あんなに人いっぱいいるなんて」 横手に波打ち寄せるビーチを望みながら、街へ続くコンクリートの桟橋を歩いていく。 カイナシティに着いたことだし、まずはポケモンセンターで今晩の宿を確保することにしよう。 それからなら、日が暮れるまで街中を見て回るのもいいだろう。 ムロ島からここまで、およそ一日と半分。 船室で、トレーナーズスクールでもらった実践書を眺めていたり、甲板で潮風に当たりながら海の景色を見つめていたり。 一応、退屈はしなかったが、 「やっぱり、外の空気が一番だよねぇ」 言いながら、背伸びする。 目いっぱい、空気を吸い込んで肺に送りこむ。 連絡船から降りた人はほとんどがカイナシティへと向かっているので、その流れに乗っていけばいい。 暇があればビーチに行くということで、とりあえずはポケモンセンターへ。 街に入ったところで、各方面への道案内が大きな看板という形で出ていた。 「ポケモンセンターは……と」 指で看板の文字を追いかける。 「あった!!」 港からの道は前と左右に分かれており、そのどれもがやがてカイナシティの中心部につながっている。 それまでの経緯が異なるということだけだ。 ポケモンセンターへと続く道は前方。このまままっすぐ行けばいいらしい。 左の道は昔から存在するカイナ市場に、右の道はつい最近できたばかりの海の科学博物館に、それぞれ続いている。 アカツキとしては、どちらにも行きたいと思っている。 今日のうちに見て回ってみようか。 「先に進むのは明日からでもいいや」 次のジムがあるキンセツシティへ向かうのは明日と割り切って、看板に従って歩き始める。 アカツキの目には、今まで見たことのない景色ばかりが飛び込んできた。 コンクリートで舗装された大通りに広がる街並みは近代的でこそあったが、港町という景観を損ねないために、地味な建物ばかりだ。 「ミシロタウンも、いつかこんなのになっちゃうのかな」 都市の佇まいに圧倒されるところはあったものの、しかしアカツキは冷静だった。 活気があって、街並みもきれいで……それは確かにいいことかもしれない。 人がたくさん集まって、いろんなものがあって。 だが、アカツキにとってミシロタウンの都市化というのは喜ぶべきものではなかった。 アカツキだけでなく、ユウキやオダマキ博士、他の住民も同じことだろう。 都市化の名の下に自然が破壊され、静けさが奪われた後に騒音が絶え間なく襲い掛かる。 そんな生活など、ミシロタウンの誰もが望んでいない。 だからこそ、何百年もあのように静かな環境が続いてきたのだ。 とはいえ…… 港ができた時点で、それが終わるのも時間の問題かもしれない。 「静かなままでいられたらいいのに」 都市というのはあまり好きではない。 人がたくさんいて暑苦しいし、喧騒もある。そして、空気が汚れる。 ミシロタウンの新鮮な空気が、アカツキには一番なのだ。 故郷はずっとこのまま静かな町でいて欲しい。それが願いだ。 「まあ、ぼくだけが住んでるわけじゃないし……」 世の中どうにかなることと、どうにもならないことの二つがある。 ミシロタウンはどちらだろう。そんなことを思いながら、カイナシティの大通りを歩く。 カナズミシティのような高層ビル群は見当たらず、代わりに二、三階建ての建物がほとんどを占めている。 ここまで発展する以前に住んでいた人たちは、このようになるのを望んでいたのだろうかと、ふと、そんなことを思った。 人がたくさんいるのが好きという人なら、望んでいたかもしれない。 活気に満ちあふれた港町に。 だが、そんな考えを抱いている人がすべてではあるまい。 いろいろと議論があって、紛糾があって、紆余曲折があって。 最後の最後まで議論を重ねて決まったことなら、受け入れるかもしれない。 ミシロタウンもそうだったら、ある程度は納得できる。 何も納得できないまま発展したのでは、それこそ何のために住んでいたのか分からなくなるだろう。 およそ十一歳の男の子とは思えないようなことばかりを考えながら歩くうち、ポケモンセンターが見えてきた。 港町というのを意識してか、どこか海を連想させるような色遣い。 全面ガラス張りで開放感をかもし出しているように見える。 三階建てで、その分幅広に見えるが、それは仕方がない。 なにせ港町である。訪れるトレーナーは、ミシロタウンやトウカシティなどとは比べ物になるまい。 この分だと泊まれるかな…… 心配しながらも、ポケモンセンターのロビーに足を踏み入れる。 かなり広いが、どこのセンターにも共通して、正面にジョーイのいるカウンターがある。 「いらっしゃいませ」 カウンターの正面に行くと、ジョーイがニコッといつもの笑みを浮かべながら話しかけてきた。 「あの、泊まりたいんですけど」 「かしこまりました。 部屋の鍵は……225号室になります。そこの階段から上がっていけばすぐですよ」 「はい、ありがとうございます」 部屋の鍵を受け取り、アカツキはぺこりと頭を下げた。 「ポケモンの回復は大丈夫ですか?」 「あ、はい。大丈夫です」 回復も何も、ムロ島を出てから今まで、バトルなど一度もさせていなければ、ボールの外にも出していないのだ。 この状態で回復などしてもらっても仕方がない。 今晩の宿は確保できたし、これから街中を歩き回ろう。 アカツキは決めて、休むことなくポケモンセンターを後にした。 こういうところは実に活発的な男の子なのだ。 まあ、疲れていないのだから、それもいい。 ムロ島で再会したユウキが言っていた。 カイナ市場や海の科学博物館に一度足を運んでみるといい……と。 ユウキが言うのだから、さぞ面白い場所に違いない。 いろんなものが見られるはずだ。 一種の社会勉強と思えば、いい経験かもしれないし。 ポケモンセンターを出たところにある標識を見て、まずは市場に行こうと思った。 標識の通り左の道を歩いていく。 噴水広場では開放的なスタイルに身を包んだカップルが噴水をバックにイチャついてたり、アイスクリームを売る露店があったり。 それこそミシロタウンでは考えられないような光景ばかりが目に飛び込んでくるのだ。 「やっぱり、ミシロタウンとは違うんだなぁ」 当たり前のことだが、カイナシティとミシロタウンでは、大都市と田舎というだけの差があるのだ。 閑静な佇まいが好きでミシロタウンに引っ越してくる人もいる。 都会に憧れている若い人は、静かなミシロタウンを捨ててカナズミシティやカイナシティへ出て行くこともある。 「ぼくはミシロタウンの方がいいな。静かだし、空気はおいしいし」 都会は利便性に富んでいるし、何でもあると言ってもいい。 だが、その代わりに、田舎の長閑さや静けさがない。 どちらを取るかはそれぞれだが、アカツキは田舎の静けさを選ぶ。 「しっかし、本当に店が多いなぁ」 市場へと続く道ということで、歩いていくうちに通りの両脇に様々な店が立ち並んでいることに気づいた。 水着を売っていたり、コーヒーショップだったり。 とにかく様々なものを売っている。 「でも、何を見ればいいんだろう」 と、今さらながら気づいた。 市場に行くと決めたのはいいが、市場に行って何を見るかまでは決めていなかったのだ。 それに、傷薬やモンスターボールの類は揃っている。 「あっ!!」 旅に必要と思われる品を脳裏に並び立てるうち、はたと気づく。 リュックを外して中身を漁る。 「あったあった」 アカツキが取り出したのは、薬を入れるような小さな箱だった。 手の平サイズで、蓋を開ければ中身を六等分するように仕切りがある。 たくさんのポケモンが蓋に、側面に、底面に、いたるところにプリントされている箱は、ポロックケースの一種だ。 ポロックケースとはその名の通り、ポロックを入れておくための箱である。 ポケモンが好んで食べるお菓子――ポロックはその色、味に様々な種類がある。 自分のポケモンに合ったポロックを探し出すという要素がウケて、今や数兆円産業と言われているほどに庶民的。 アカツキも旅に出る前はアリゲイツにポロックをあげたりしていた。 甘い味から辛い味まで、丸い形から四角い形まで様々あって、いろいろと試していた。 時には口に入れた瞬間真っ赤になって吐き出したり、至福にいるような表情で美味しそうに食べていたり。 そんなことがあったものだから、アリゲイツの好みは分かるが、ワカシャモとジグザグマの好みが分からない。 みんなの分のポロック、買ってみようかな…… これも何かの縁だし、アカツキはポロックを買うことにした。 市場なら、たくさんあるだろう。 とりあえずたくさんの種類を少しずつ買って、一度食べさせる。 好みの味が見つかったら、その味のポロックを買い込めばいい。 ポロックについて考えながら歩くうち、視界の隅に『ポロック大安売り』とデカい看板が出ているのに気づいた。 「あ!!」 アカツキは気づいていなかったが、もうすでにカイナ市場に入っていたのだ。 店がちらほら点在する辺りから、すでに市場。 すかさずポロックを売っていると思しき店へと駆け込む。 それほど広くない店内は、アカツキと同じようにポロックを買い求める客でいっぱいだった。 「うわ、人多いな」 港町の活気と言うのは常にこういうものだ、とさえ思うことなく、アカツキはただただ唖然とするばかりだった。 だが、人が多いと言う理由で今さら立ち去る気にはならない。 ポロックを買うと決めた以上、何があっても買う!! アカツキは背伸びしたり飛び跳ねたりして、まずはアリゲイツの好みである辛いポロックを探した。 いろいろと探して、店の奥まったところに辛いポロックを見つけた。 アリゲイツの好みは辛くて丸い形の、飴玉のようなポロックだ。 色はそれほど気にしないらしい。 売り場のあちこちにある袋にアリゲイツ用のポロックを詰め込む。 ポロックは袋単位で売られている。 味、形、色選び放題ということがツボをくすぐって、その人気に拍車をかけているのである。 「よし、アリゲイツの分はこれでよしと……」 袋の半分ほどまでアリゲイツのポロックで埋めると、次に様々な味と形のポロックを少量ずつ袋に入れていった。 下手にこれだ、と一種類に固めるのは、初心者が陥りやすい罠である。 ワカシャモかジグザグマがそのポロックが好きであればいいが、嫌いだった場合には、単なるお金の無駄遣いとなってしまう。 それだけはアカツキとしても困るところだ。 酸っぱい味、甘い味、渋い味、苦い味。 丸い形。四角い形。三角の形。星形。 とりあえず一通りの味と形のポロックを袋に詰めて、レジにて精算を済ませると、すぐに店を後にする。 長い間人の多いところにいると、気がおかしくなってしまいそうだ。 クーラーが効いているといっても、人の熱気でムンムンしているし、お姉さん方のコロンやら香水やらが、とにかく鼻についてたまらない。 彼女らにとって芳しい香りでも、アカツキにとっては鼻がひん曲がるほどの悪臭だったりするのだ。 店を出て、アカツキはポロックの袋を掲げた。 とりあえず、ポロックケースに入れるのは後にしよう。 落ち着ける場所でちゃんと分別すればいい。 「あー、疲れた……」 たった一軒見ただけでこれである。 これでは女の子とのデートなど無理だろう。 ショッピングというのも、デートの一種だから。 この分だと、もう少し大人になってから、ということらしい。 「どこか落ち着けるところはないのかなぁ」 歩きながらあちらこちら視線をめぐらせてみるが、どうにも落ち着ける場所は見当たらない。 ひたすら店がひしめいてばかりいて、公園はおろかベンチも見当たらない。 それに、いつの間にやら通りを行く人の数が増しており、その流れに飲まれるようにして港とビーチのある南へと向かっているのだ。 この状態では、市場を抜けるまで落ち着ける場所はないと見て間違いないだろう。 あきらめるのが大嫌いなアカツキにしては珍しく、ここはおとなしく流れに身を任せることにしておいた。 無理に流れに逆らっても何にもならない。無意味に疲れるだけだ。 ポロックの袋とケースをリュックにしまいこんで、流れに乗って南へ歩いていく。 食料から衣服、書籍、モンスターボールに至るまで、ほぼすべてのジャンルの店が、カイナ市場には揃っていた。 それらの店には目もくれず、ただ南へ。 「ミシロタウンがこうなっちゃうのは嫌だな」 万が一、故郷がこのような姿に成り果ててしまったなら、とてもではないが住んでいく自信がない。 もっと静かな街へ引っ越すかもしれない。 無意味に都会に憧れるような若人より、アカツキの方がまだまともな考えを抱いているのは、紛れもない事実だった。 南へ進んでいくにしたがって、徐々に人の数が減っていった。 少しは押し競饅頭から開放されたこともあって、自然とため息が漏れる。 なるべく人込みには近寄らないようにしよう……揉まれるの、イヤだから。 アカツキはため息を漏らしながらそう思った。 市場を抜けると、砂浜が広がっていた。 石段を降りれば、すぐにでも泳げる。 太陽の光が海のうねりに反射されて、キラキラと輝いている。 水平線の彼方に広がる青い空と白い雲。 名も知らない鳥が空を泳ぐその光景は、さながら絵に描いた天国のようだ。 「あ、そうだ。あそこなら、大丈夫かも」 アカツキは砂浜の一角に木陰を見つけ、そこに狙いを定めた。 あちこちにパラソルが立っていたり、仰向けに寝転がれるような椅子の上で日焼けを楽しんでいる人がいる。 取られないうちにゲットしちゃえ!! ということで、アカツキは砂浜を猛ダッシュで木陰へと駆けていった。 こんな時、ポケモンが彼に追従していれば、それなりに絵になったのだろうが……まあ、それはどうでもいいことだ。 幸い誰にも奪われることなく、木陰はアカツキがゲットできた。 木陰には緑が鮮やかな草が生えており、その上に腰を下ろした。 足をだらりと伸ばして、リュックをその上に置く。 「さて、分けてみよう!!」 ポロックケースの蓋を開いて、続いて先ほど買ったばかりのポロックを仕切りごとに分けていく。 「ふん、ふん、ふん♪」 鼻歌交じりなのは、それが楽しいからだ。 ワカシャモやジグザグマにも、好みのポロックを食べてもらおう。 いろいろと試行錯誤してみて、その味が好みと分かると、とてもうれしいものだ。 一通り分けたところで、モンスターボールを三つ手にとって、 「みんな、出ておいで!!」 その言葉に応えるように、手の中にあるモンスターボールが口を開いて、ポケモンが飛び出した!! 「ゲイツ!!」 「シャモぉっ!!」 「ぐぐーっ」 飛び出してきた三体のポケモンは、とても元気そうだった。 「ゲイツ、ゲイツ!!」 だが、アリゲイツはワカシャモとジグザグマよりも賑やかだった。 久々にポロックを見つめ、思いっきりはしゃいでいる。 丸いポロック。微かなにおいから、好みの味だと分かる。 旅に出てからというもの、ポロックを食べていないのだ。 食べたいとは思ったが、それをトレーナーにねだっても仕方がないし、アカツキを困らせたくなかったので、今まで我慢していたが…… 願ったり叶ったりだ。 一方、控えめなのはワカシャモとジグザグマだった。 見たことのないポロックに、興味深そうな目を向けている。 「ワカシャモとジグザグマは初めてだよね。 これ、ポロックって言うんだよ。ポケモンのお菓子みたいなものなんだ」 アカツキは一応説明した。 これで理解してくれたかは微妙なところだが、とりあえず、こういう場合には実際食べてもらった方が早い。 「ほら、アリゲイツ。ポロックだよ〜」 丸いポロックをつまむと、アリゲイツは口を大きく開いた。早く投げ込んで、食べさせてとねだっているのが丸分かりだ。 アカツキは微笑みながら、アリゲイツの口の中にポロックを入れた。 ちゃんと手を抜いたのを確かめてから、アリゲイツはぱくっと口を閉める。 途端に―― 「ゲイツぅ……」 幸せそうな顔を見せ、うねうねと身体を捩じらせる。 辛味であるにも関わらず、しかしその辛味がアリゲイツには天国の美味なのだろう。 (なるほど……) アリゲイツの幸せそうな顔を見て、ワカシャモもジグザグマも納得した。 ポロックというのは、美味しいものなのだと。 だが、実際彼らの好みがどのような味か、分からなければそれも無理な話で…… 救いは、ポロックの味ごとににおいがつけられていることだ。 そのにおいにつられて口にしたポロックが、大体好みになる場合が多い。 ということで―― 「これと、これと……そ、あとこれだね」 一通りの味を手の平にそろえて、ジグザグマに差し出した。 「ぐぐぅ?」 ジグザグマは手の平の上にあるポロックを物珍しそうに見つめた後、アカツキの顔を見上げた。 「この中にキミの好きな味があるかもしれないよ、ジグザグマ。ほら、食べてごらん」 「ぐぐぅ……」 ジグザグマはポロックのにおいを嗅ぎ始めた。 心地よいと思えるにおいを放っていたのは、真ん中のポロックだった。 ぱくっ。 そのポロックを食べてみる。 すると…… 「ぐぐーっ、ぐぐーっ!!」 とにかくうれしそうにはしゃぎ回るではないか。 どうやら、好きな味に行き着いたらしい。 「甘いポロックが好きなんだね」 アカツキは笑みを深めた。 ジグザグマが選んだのは、甘い味のポロックだったのだ。 続いては―― 「ワカシャモ。キミはどうかな?」 ケースから甘い味のポロックを補充して、ワカシャモに見せる。 「シャモ……」 ワカシャモにしては珍しく、おとなしい声だった。 まあ、百発百中でうるさい声を出すわけではないのである。 ワカシャモは一通りにおいを嗅いだ後、手で一番端っこのポロックを手に取った。 青くて四角いポロック。 興味深そうに見つめて、それを口に放り込む。 すると、ワカシャモの顔色が変わった。 「おいしい?」 その意味を理解し損ねたアカツキはそんなことを言ったが―― 「シャモーっ!!」 ワカシャモはアカツキの方に顔を向けて、口を大きく開いた。 その中に紅い輝きが灯り―― 「って、もしかしてこれ……わーっ!!」 ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! 言い終わらぬうちにワカシャモが炎を噴き出した!! アカツキは慌てて身を低くしたおかげで何とか避けられたが……まともに食らっていれば黒こげだ。 炎が収まったのを見計らって、顔を上げる。 「わ、ワカシャモ……大丈夫!?」 ワカシャモは顔面蒼白だった。 アカツキが顔を覗き込むが、そんなことなど意に介さぬと言わんばかりに、ワカシャモはひたすら荒い息を繰り返していた。 「あ……」 ワカシャモの傍に青くて四角いポロックが落ちているのを見つけた。 確かこれは苦味の強いポロック…… 好みかと思って食べたのだが、どうも口には合わなかったらしい。 「大丈夫。ポロックには毒なんて入ってないから」 単なる好みの相違に過ぎない。 アカツキはワカシャモの肩を叩いて慰めた。誰にだってミスはある。 とはいえ―― いきなり顔面に炎を噴きかけられるとは思っていなかったが。 幾度荒い息を繰り返したか、ワカシャモはようやっと元に戻った。顔色も幾分か良くなっている。 「ぐぐー?」 ジグザグマが心配そうにワカシャモを見上げた。 つぶらな瞳が潤んでいるから、余計そう見えて仕方ないのだろう。ワカシャモはジグザグマの目を見ると、 「シャモ!!」 手を腰に当てて踏ん反り返った。 心配しなくてもいいと言わんばかりのポーズに、ジグザグマは安心したようだった。 「でも、苦い味は好きじゃないんだね。 じゃあ、これなんてどうかな?」 アカツキは酸っぱい味のポロックをワカシャモの目の前に差し出したのだが……ワカシャモは受け取らない。 さっきと同じようになってしまうのではないかと、そう思っているのが分かる。 しかし、だからといってあきらめるわけにはいかない。 好きな味のポロックは、一度食べると病み付きになる。 アリゲイツもジグザグマも好きな味に行き着いたのだ。 だから、ワカシャモにも好きな味に行き着いてもらって、三体揃っていい気分を味わって欲しい。 「大丈夫。ほら、ワカシャモ」 粘り強くワカシャモにポロックを勧めるアカツキ。 彼の熱意に根負けする形で、ワカシャモはポロックを受け取った。 そのまま口元に運んだところで、手が止まった。 どうにも、一抹の不安を拭いきれていない様子だ。 こういう時は…… ふとテレビで見たことのある場面を思い出した。 アカツキはワカシャモが持っているのと同じポロックを手にとって、 「ほら、ワカシャモ」 口の中に放り込む!! 舌に触れた途端に、レモンよりもずっと酸っぱい味が口の中全体に広がっていく!! 「げ、酸っぱ……」 一瞬表情が強ばりかけるが、気力でそれを阻止した。 「ほらね。美味しいよ」 無理に強がって見せる。 少しでも気を緩めれば、強烈な酸味に負けてしまう。 だが、そうなればワカシャモは今度こそポロックを食べてくれなくなるだろう。 ポロックは単なるお菓子という域を超えたもので、ポケモンのコンディションアップに関係してくるのである。 だから、好みのポロックを食べさせるということは、ポケモンバトルやコンテストにプラスの影響を及ぼすのだ。 アカツキが強がっているのは、ワカシャモにも分かった。 だから―― 彼の気持ちを無駄にするわけにはいかない。 覚悟を決め、ワカシャモはポロックを口の中に入れた。 すると…… 「今度は大丈夫かな……」 少しは酸味が収まってきて、表情が緩む。 ワカシャモは―― 「シャモぉぉぉぉぉっ!!」 諸手を挙げて大喜び!! どうやら、酸っぱい味のポロックが好みのようだ。 「よかった……ワカシャモ、酸っぱいのが好きなんだね」 ホッと胸を撫で下ろす。 酸味が徐々に収まっていく中で、ワカシャモとジグザグマが好きな味のポロックを、ケースの中で仕分ける。 両者とも色や形には執着がなさそうなので、ケースの中には色とりどりのポロックがひしめいていた。 「何があるかと思ったけど、良かったよ。好みが見つかって。ね?」 「ぐぐーっ!!」 アカツキに頭を撫でられて、ジグザグマはうれしそうだった。 アリゲイツやワカシャモと比べて身体が小さく、バトルでもあまり活躍できない身ではある。 それでも、トレーナーから等しく愛情を注がれているのが分かる。だからこそうれしいのだ。 「これでよし……と」 一通り仕分けた後で、ケースと袋をリュックにしまう。 「そうだ、ビーチを散歩しようか」 「ゲイツ!!」 「ぐぐーっ!!」 立ち上がりながら提案すると、みんな喜んだ。 アカツキと散歩できるのがうれしいのか、それともみんなと一緒にいるのがうれしいのか。 どちらかは分からないが、アカツキにとってはどちらでもよかった。 仲間と触れ合う機会を増やせれば、それだけでよかったのだ。 リュックを背負って、ポケモンたちを連れて歩き出した。 太陽の日差しがまぶしくて、でも暖かかった。 アカツキの傍を歩く三体のポケモンは、とてもうれしそうだった。 海で泳ぐ人、サーフボードで波乗りを楽しむ人、こんがりと小麦色に焼けるのを夢見て寝転がっている人までいる。 十分くらい歩いただろうか。 ビーチも端に差し掛かった辺りで、アカツキはとある人物に目を留めた。 カラフルなビキニに身を包んで、サングラスなどかけて椅子の上で寝転がっている少女。 パラソルが近くに見当たらない辺り、どうも日焼けを楽しんでいるようなのだが…… 「あれ、どこかで見たような……そうだ、みんな戻って」 ポケモンが騒いで起こしてしまうといけない。そういった配慮から、アカツキはポケモンをモンスターボールに戻した。 再び少女に視線を戻す。 親と一緒に海水浴に来て、日焼けを楽しんでいるのだろうか。 サングラスで顔の上半分を隠しているせいで、顔立ちはよく分からないが、年の頃はアカツキと大して変わらないだろう。 それよりも気になるのが、波打ち際で彼女のポケモン(と思われる)が泥遊びをして楽しんでいることだ。 「あれは……?」 見覚えのないポケモンの姿に、アカツキはポケモン図鑑を取り出すとセンサーを向けた。 「ヌマクロー。ぬまうおポケモン。 ミズゴロウの進化形。陸上でも生活できるように、体の表面を薄い粘膜が覆っている。 潮の引いた海岸で泥遊びをするのが大好き」 「確かに……」 アカツキは目の前にある光景がまさにその通りだと思って頷いた。 説明はさらに続く。 「足腰が発達しており、二本足で歩くことができる」 「ヌマクローか……」 一通り説明を聞き終えたところで、図鑑をしまう。 説明の通り、ポケモン――ヌマクローは泥を掬っては頭上に撒き散らして遊んでいる。 泥まみれになっているのなどお構いなしだ。 淡いブルーの身体に、四本脚。 頭上と尻に灰色のヒレがあり、左右の頬とおなかはオレンジ色を呈している。 黒い瞳孔が刻まれたオレンジの瞳と、どこか憎めない顔がとても愛嬌があって、見ていると心が和んでくる。 「マクロぉ?」 アカツキの存在に気づいたのか、ヌマクローは泥遊びをやめて、彼の方を向いた。 と、目と目が合った。 アカツキはふと思い出した。 「ヌマクローって、ミズゴロウの進化形なんだっけ……そういえば、ハルカはミズゴロウを持ってたっけ」 同じ日に旅立った少女のことが頭に浮かぶ。 二日しか一緒にいられなかったが、彼女がとにかく元気溌剌な少女だと言うことは良く分かった。 だが、今はどこを旅しているのかも分からない。 トウカシティあたりで彼女の消息が途絶えたようなものだ(笑)。 しかし、まさかこんなところでのんびり昼寝など楽しんでいないだろう。 彼女には父親のようなすごいトレーナーになるという目標があるのだ。 こんなところで呑気にしていられる暇などない。 「マクロ?」 ヌマクローはおもむろにかわいい声を上げながらアカツキの元へと、後ろ脚だけで歩いてきた。 「うん、どうしたの? ぼくの顔に何かついてる?」 アカツキは屈んだ。 ヌマクローの背丈はアカツキの腰くらいしかない。 ワカシャモよりも少し小さいから、屈んだくらいで、ちょうど視線の高さが合う。 どうしてヌマクローが歩いてきたのかは分からない。 だが、ヌマクローが何でも興味を示す、活発な性格のポケモンであることは分かった。 と、そこで―― 「シャモ?」 ワカシャモがヌマクローの横に寄り添った。 「マクロ?」 いきなり寄り添ってきたワカシャモが気になるのか、ヌマクローもワカシャモに目を向ける。 「…………?」 どうしたんだろう……? 知らない者同士が出会って、気になるところでもあるのだろうか。 アカツキは怪訝そうに眉根を寄せ、そんなことを考えていたが、 「ヌマクローぉっ!!」 「シャモ!? シャモーっ!!」 一頻り鳴き声を上げた後で、がっちりと手に手を取り合う。 「え?」 一体何がどうなっているのやら…… アカツキは呆然とした。 ワカシャモとヌマクローがいきなり意気投合!? タイプだって水と炎なわけで、お世辞にも仲良くできる相手ではないのだが……それも、初対面のはずだし。 「ワカシャモ、知り合い?」 一応訊ねてみると、ワカシャモはヌマクローの前脚を握ったまま、振り返って首を縦に振った。 「おい……」 知り合いにしたって、そもそもワカシャモ――アチャモはオダマキ博士の研究所でもらったポケモンだ。 その前に何があったかは知らないが、そうそう知り合いと再会できるはずなど…… 「いや、まさか……」 ふと思いついた可能性に、冷や汗が額を流れ落ちていくのを感じて―― 「どうしたの、ヌマクロー?」 眠っていたとばかり思っていた少女が声を上げ、むくっと身を起こした。 ヌマクローの視線が彼女に向く。 つられるようにしてアカツキとワカシャモもそちらに目をやり―― おもむろに、少女がサングラスを取った。 「ええええええええええっ!?」 彼女の顔を見つめ、なぜかアカツキは驚愕の叫びを上げてしまった。 第30話へと続く……