第33話 それぞれの戦い 〜エンジン防衛戦〜 -Defending combat- 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 アカツキの指示に、アリゲイツは口を大きく口を開くと、水鉄砲を発射した!! 「おとなしく受けるとでも? グラエナ、回避しなさい」 マグマ団三幹部がひとり……カガリの指示に、グラエナは身軽な動きで水鉄砲をあっさりと回避した。 さすがに簡単には勝たせてもらえそうにない。 アカツキは額を流れ落ちる汗を拭う余裕さえなかった。 一瞬でも気を抜けば、たちまち押し切られてしまうだろう。 そうなると、彼が守っているクスノキ館長のエンジンを奪われてしまう。 守ると決めた以上、何があってもここを通すわけにはいかないのだ。 今だから分かる。 彼女はトウカの森で戦った時も、本気を出してなどいなかった。もちろん、今も。 「本気になる前に何とか勝たなくちゃ……」 アカツキのことを子供と侮ってくれている今がチャンスだ。 グラエナを倒して、カガリにも退場してもらうまでのタイムリミットが設定された。 かなり短いのは間違いない。 「今の水鉄砲……あの時とは比べ物にならない威力ね。 良かったわ、バクーダを出さなくて」 カガリは口元に笑みを浮かべた。 見た目はそれなりに美人なのに、今しがた浮かべた笑みで、印象ががらりと変わる。 これ以上私を怒らせないで……と言っているように見える。 「でも、だからといって引き下がる理由にもならないのだけどね…… グラエナ、突進!!」 「ぐるるる……ばぅっ!!」 グラエナは前傾姿勢を取り、一気に駆け出した!! 目指すはもちろんアリゲイツ。 カガリの計画で一番の障害となるのが、エンジンの前に立ちふさがっている男の子のポケモンだ。 それさえ排除してしまえれば、あとはどうにでもなる。 「アリゲイツ、もう一度、水鉄砲!!」 アカツキは再び水鉄砲を指示した。 今の自分の目的は、このバトルに勝つことではない。 まして、負けることでもない。 ハルカが警察を連れて戻ってくるまでの時間を稼ぐことだ。 それさえできれば、劣勢であろうと構わない。 カガリのポケモンを懐にさえ入れなければ、何とかなる。 そのために、立て続けに技を繰り出して近づけさせないようにするのが一番だ。 何もアリゲイツ一体でなくてもいい。 ワカシャモやジグザグマとも時々交替しながら、時間を稼ぐ。 「見え見え!! あれからどれくらい成長したかと思ったけど、技に幅がないわね!!」 カガリの嘲笑と共に、アリゲイツの水鉄砲を軽々と避わしてみせるグラエナ。 さらに距離を詰めて―― 「頭突き!!」 「こっちも頭突き!!」 グラエナもアリゲイツもジャンプ!! がちんっ!! 両者の石頭がぶつかり、大きな音が立った。 思わず耳を塞ぎそうになるのを我慢して、立て続けに指示を下す。 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 「メロメロにしちゃいなさい!!」 「?」 意味の分からないカガリの指示に、アカツキは訝しげに眉をひそめた。 メロメロにしちゃいなさい? 一体何のことやら…… アリゲイツは着地し、同じく着地したグラエナ目がけて三度、水鉄砲を発射!! グラエナは水鉄砲を避けることすらなく、まともに食らう!! 「よし……」 確かなダメージを与えられた。 いくらグラエナでも、アリゲイツの水鉄砲を受ければ、かなりのダメージになるはずだ。 ここを端緒にして、自分の有利なように押しひろげていきたいところ。 だが、幹部という肩書きは伊達じゃない。 グラエナは水鉄砲を受けながらも、その場に踏ん張ったのだ。 並みのポケモンなら、かなりの重量があってもたまらず吹き飛ぶというのに。 「ぐるぅぅぅぅぅぅ……」 水鉄砲を堪えきって、グラエナはアリゲイツを意味ありげな視線で見つめた。 思わず見つめ返すアリゲイツ。 『異性』からのアプローチは初めてだったというのが理由ではないが、すっかりカガリの術中にはまってしまっていた。 「アリゲイツ、も一回水鉄砲!!」 びしっ、とグラエナを指差しながら、アカツキは四度目の水鉄砲を指示した。 対するカガリは―― 口元に笑みを浮かべ、しかし何も指示を下さなかった。 だが、 「アリゲイツ? どうしたの?」 水鉄砲はいつになっても発射されない。 アリゲイツは惚けた顔でグラエナを見つめているばかり。 「ふふ、どうしたの? さっきまでの威勢は……あれはやっぱり強がりだったのかな? 来ないなら、こちらから行かせてもらうわよ。 グラエナ、噛み砕く攻撃!!」 「アリゲイツ、水鉄砲だ!! ぼーっとしてないで!! まだバトルの最中なんだよ!!」 グラエナは悠然とした足取りで、徐々にスピードを増しながらアリゲイツに迫る!! それでもアリゲイツはグラエナを見つめているだけで、何の行動も起こそうとしない。 「どうして?」 アカツキには分からなかった。 アリゲイツはバトルを途中で投げ出すような腑抜けた根性など持ち合わせていないはずだ。 トレーナーの意志を汲み、最後の最後まであきらめない強靭な精神力さえ備えているはずなのだ。 それなのに…… バトルの途中だというのに、戦意を失ったように、ただ相手を見つめているばかり。 「ぐるぅぁっ!!」 獰猛な唸り声を上げながら、グラエナがアリゲイツに飛びかかる。 口を大きく開き、鈍く光る牙を剥き出しにして。 「アリゲイツ、何してるの!? 水鉄砲だってば!!」 再三にわたるアカツキの指示にも、アリゲイツはやはり何の行動も起こさない。 そして、グラエナの牙がアリゲイツの肌に食い込んだ!! そこで初めてアリゲイツは行動を起こした。 頭をそのままぱくりと噛みつかれ、ばたばたと手足で足掻いている。だが、そんなことでグラエナが離れるはずがない。 振り回されても、離すものかと牙を突き立てている。 「まずい、この状況じゃ水鉄砲使えない!!」 アカツキは驚愕した。 今の一撃でかなりのダメージを受けたのは間違いない。 その上、噛みつかれたままでは水鉄砲など、使えるはずがない。 以前にも似たような状況があったが、あの時はたまたま反撃できた。 でも、今はどう考えても反撃できない。 その上、下手に足掻けば足掻くほど牙が深く食い込んでダメージを受けてしまう。 「戻って、アリゲイツ!!」 アカツキはモンスターボールを掲げ、アリゲイツを戻した。 これ以上戦わせたところで、勝ち目があるとは思えない。 なら、いっそ別のポケモンにチェンジした方が確実だ。 「賢明な判断ね。 でも、ぐずぐずしてると、そのエンジンもらっちゃうわよ」 笑みを深めながら、カガリは一歩前に踏み出した。 対するアカツキとクスノキは一歩下がる。彼女の笑みが放つ殺気のような何かに気圧されるようにして。 「ほら、さっさと次のポケモン出しなさい。 ちゃっちゃと片付けてあげるから」 カガリの言葉に、アカツキは恐怖を抱いた。 とてつもなく恐ろしい何かを相手にしているような気がして、冷静さが瞬く間に底を尽いた。 「ま、まずいわ……」 ハルカは周囲を見渡しながら、胸中で焦りを噛みしめていた。 というのも―― 「観念するんだな!!」 五人の男が彼女をぐるりと取り囲んでいるのだ。 背丈や体格はばらばらだが、彼らが身にまとう衣装は赤で統一されていた。 胸元には炎らしきものがプリントされている、薄地の服。 彼らの傍には、それぞれのポケモン。見たところ、炎タイプのポケモンで固められているようだが…… 「いくらなんでも、これってシャレになってないってば〜っ!!」 ハルカは自分のポケモンのコンディションを確かめるべく、視線を落とした。 キルリアにヌマクロー。 現時点で戦えるポケモンはこの二体だけ。 海の科学博物館から出てくるのに、他の男女と戦って、多大なダメージを受けてしまい、これ以上の戦いをさせられなくなったからだ。 中ではアカツキが変な女を相手にしているが、博物館の中にはまだ女の味方となる連中がゴロゴロとたむろしているのだ。 そうそう長く戦い抜けるはずがない。 一刻も早く警察に駆け込んで、事情を説明しなければ。 変な男女が館長室に侵入して、海底探査のために必要な最新鋭のエンジンを盗み出そうとしている。 なのに、博物館の敷地の半ばに来たところで、男五人に囲まれてしまっている。 こんなことをしている場合じゃないのに!! とはいえ、この囲みを突破するのは不可能――とまでは言わないが、かなり苦しいのは事実だ。それくらいはわきまえているつもり。 「アカツキ、ひとりで戦ってるのよ? って、あたしもひとりだけど……なんとかしなくちゃ……」 他の客は、男たちの到来によってクモの子を散らすように逃げ出してしまった。 だから、戦えるのはアカツキとハルカの二人のみ。 もちろん、多勢に無勢なのは言うまでもない。 「キルリア、ヌマクロー……まずいよぉ」 キルリアもヌマクローも、それなりにダメージを受け、疲労が溜まっている。 これ以上バトルさせたところで、どうになるというものでもない。 この囲みを突破できるかさえ疑わしいのだ。 「ここから少しでも動けたら何とかなるかもしれないかな……?」 科学博物館の敷地から一歩でも街中に出られれば、人込みに紛れてどこへでも行けるはずだ。 現時点での最善の方法がそれのはず。 「観念する気になったかい、嬢ちゃん?」 「冗談言わないでよ」 男の言葉を、ハルカは鼻で笑い飛ばした。 冗談でも観念する気になどなれない。 中では親友がたったひとりで戦っているのだ。その親友を見捨てられるはずがない。 「あたしはアカツキの代わりに頑張んなきゃいけないの!! こんなところでむさくるしいおっさんになんて負けちゃいられないの!!」 「……なっ……!?」 ハルカの言葉に、男は額に青筋を立てた。 表情は引きつり、モンスターボールを握っている手が小刻みに震えている。 「あ……」 怒らせちゃった、と気づくが、もはや後の祭り。 負けたくないという一心で、強がって見せたのに。 まさか、そんな言葉を使ってしまったなんて……後悔先に立たず、というやつである。 「言ったな、この小娘(ガキ)っ!! 舐めやがって、おい、やっちまえ〜っ!!」 「お〜っ!!」 どうやら、腹を立ててしまったのは、ハルカと話していた男だけではなかったらしい。 全員が、男にとっては著しい殺傷能力を有する言葉によって名誉とかチープな自尊心とかををズタズタに引き裂かれてしまったようだ。 男たちの意に応え、それぞれのポケモンがハルカに飛び掛かる!! 「きゃーっ!!」 ハルカは思わず叫んだ。 万事休す。 ヌマクローとキルリアだけでどうにかなるはずがない。 「負けたくなんてないのに……どうすりゃいいのよ!?」 二体のポケモンで、五体のポケモンをどうにかできるはずがない。 天と地ほどの実力差があれば、相手をなぎ倒すこともできるだろう。 だが、ハルカはトレーナーになってまだ半月程度の、新米なのだ。 どんな相手だろうと、そこまでの実力差はない。 「やだーっ、卑怯者ぉっ!!」 か弱い女の子ひとりに大の男が何人もまとめてかかってくるなんて、卑怯にも程がある。 だが、ここでわめき散らしたところで、一人だけ、ということにはならないだろう。 「やっぱり、こんな時アニメとかだったら…… ばびゅ〜ん!!とかって空からビームが降り注いで、悪者がみんな吹き飛ぶってシーンがあるんだよねぇ…… なんて、そんなことにならないかなぁ」 なんて期待してみるものの―― ラッキースターが降り注ぐ確率など、ゼロより上でありながらも、天文学的に低い場合が圧倒的に多い。 でも…… ばぼーんっ!! 「ぎゃーっ!!」 すぐ傍で爆音が轟き、ハルカを取り囲んでいた男たちと、彼らのポケモンが一人残らず宙を舞った。 「へ?」 ハルカは唖然とした。 まさか、アニメのようなシーンが現実になるなんて。 信じられない気持ちでいっぱいだったが、それも仕方のない話。 宙を舞った男たちと彼らのポケモンは地面に叩きつけられると、目を回して気を失った。もちろん、例外なく。 彼らの傍には、小さなクレーターがいくつも穿たれていた。 「一体なんなの、これは?」 突然すぎる出来事に、ハルカは辺りを見回した。 倒れている男たちとポケモンの他に、目だったものは―― 「あ……」 いつの間に現れたのか、倒れた男のうち、ひとりの傍に、見覚えのある女性が笑みを浮かべて立っていた。 「早く行きなさい。 アカツキ君、まだ中で戦ってるわよ。 あなたにできることは、まだ残されてるはずでしょ。だったら、精一杯がんばりなさい。 それが、お父様のような立派な人になる近道よ」 彼女は笑みを深めた。 「でも……」 「いいの。私はこれでもね、少しは腕に覚えがあるつもりだから」 ハルカが躊躇っていると、彼女は傍らにたたずむ黒いポケモンの頭を撫でながら、 「ポケモンバトルには慣れているの。 ほら、さっさと行かないと、追っ手が来ちゃうわよ。 そうだ、あと、私の事は秘密ね。夫には材料の買出しってことでここまで来てるから」 「あ、はい!!」 ハルカは小さく頭を下げ、ポケモンたちを連れて駆け出した。 その背中が雑踏の向こうへと消えるまで、彼女はずっと見ていた。 そして。 科学博物館本体に目を向けると、先ほどの爆発を聞きつけたと思しき男たちが続々と彼女の元へ集まってきた。 「少しくらいは身体動かさないといけないわね。 久しぶりだけど、大丈夫?」 「ブラッキーっ!!」 傍らにたたずむポケモン――ブラッキーは大きく返事をした。 その返事に満足し、彼女は悠然と男たちの方へと歩き出した。 身にまとった白衣を、風になびかせながら。 一方―― 「あらあら、もう終わり?」 館長室では未だに戦いが続いていた。 カガリのグラエナ一体でさえ、アカツキは倒せずにいた。 アリゲイツ、ワカシャモと立て続けにノックアウトされ、残ったのはジグザグマだ。 彼女とのキャリアの差を思い知らされてはいるが、無論、あきらめるつもりなどない。 ワカシャモの二度蹴りがスマッシュヒットして、グラエナにはかなりのダメージが行っている。 ジグザグマでも、まだ勝機は残されている。 「まだまだ……」 「そう、それならいいんだけど」 カガリはつまらなそうに、肩をすくめてみせた。 トレーナー歴十数年の彼女と、たかだか半月のアカツキでは実力にかなりの開きがあるが、それは本気で仕方ない。 小手先の努力は所詮付け焼刃でしかない。キャリアの差を簡単に埋めることはできない。 でも…… 「まだ、やれるよ」 ハルカが戻ってくるまでは、何としても持ち堪えなければならない。 すぐ傍で顔面蒼白になっているクスノキは何の頼りにもならないから、結局はひとりでなんとかしなければならないのだ。 「ジグザグマ、頭突き!!」 「それならこちらも頭突きよ」 ジグザグマとグラエナが駆け出し、ジャンプ!! ごんっ!! お互いの石頭をぶつけ合う!! ――が、 「ぐぐーっ!!」 ジグザグマは勢いよく弾き飛ばされ、毬のように地面を転がった。 「ジグザグマ!!」 転がってきたジグザグマを、アカツキは受け止めた。 パワーが違いすぎる…… ぎりっ、と奥歯を噛みしめた。 グラエナとジグザグマでは、パワーが違いすぎるのだ。 ポチエナから進化したグラエナは、全体的な能力が底上げされる。 もっとも、進化によっては能力がダウンしてしまう場合もあるが、全般的には能力が底上げされる。 だから、進化をしていないジグザグマでは、同じ頭突きという技を使っても、威力が違う。 「おとなしくあきらめた方がいいんじゃない? 意地張ったって、どうにもならないこともあるの」 「ぼくはまだ負けてない!! ジグザグマ、もう一回頭突き!!」 アカツキの手を離れ、ジグザグマが再び駆け出した!! 「実力の差、思い知らせてあげなさい。 グラエナ、アイアンテール!!」 カガリの指示に、四本の脚を広げ、ジグザグマを迎え撃つグラエナ。 距離が詰まり―― 「ぐぐぅぅっ!!」 ジグザグマがジャンプ!! 必殺の頭突きを食らわさんとグラエナに飛びかかる!! 対するグラエナは、身体を翻し、いつの間にか光を帯びた尻尾を振り回す!! アイアンテール。 一時的に鋼鉄の硬度を得た尻尾で相手をなぎ払うという、荒々しい技だ。 そのアイアンテールが、ジグザグマの横っ腹にヒットした!! 「……ぐぅっ!!」 ジグザグマは錐揉み状に回転しながら激しく地面に叩きつけられた!! 「ジグザグマ!!」 叫び、アカツキはジグザグマの傍に駆け寄った。 綺麗に整えられた毛が、ところどころくしゃくしゃになっている。バトルで乱れてしまったのだ。 「ぐぐぅ」 アカツキに抱かれたジグザグマは、力ない声を上げた。 もう戦えそうにない。ジグザグマは半眼で、今にも瞼を閉じてしまいそうだ。 「ジグザグマ……いいよ、無理しなくて」 「観念しなさい。私も鬼じゃないわ。白旗揚げた相手を徹底的につぶすようなマネはしない。 おとなしく降参しなさい」 カガリは最後通告を送った。 これが受理されたら、これ以上のバトルはしないつもりだ。 弱いものいじめはあまり好きじゃない。 受理されなかったら……その時は徹底的にやらせてもらう。 それだからこそ、『最後通告』なのだ。 「君はよくやった方よ、私を相手にね。 でも、もうこれ以上は無益。 おとなしく、そのエンジンを渡しなさい。そうすれば、おとなしく立ち去るわ」 「……嫌だ」 「ん?」 アカツキが小さくもらしたつぶやきを、しかしカガリは聞き取れなかった。 ジグザグマを抱えたまま立ち上がり、カガリを睨みつける。 「嫌だ、そんなの絶対……!!」 「そう、それなら仕方ないわね」 カガリは頭を振った。 以前戦った時と、何一つ変わっていない。 あきらめの悪さは、馬鹿にしたものではないが、尊敬できるものでもない。 「邪魔するなら、排除するまで……」 カガリは目の前に立っている男の子に失望の念を抱きながら、手を挙げた。 「グラエナ、突進であの子もろともジグザグマをノックアウトしなさい」 そう指示しようとした矢先―― 「カガリ様!!」 背後から聞こえてきた声に、しかしカガリは振り向くことさえしない。 今はまだ戦いの最中。 敵に背を向けるなどという愚行、できるはずがない。 マグマ団の幹部ということで、それなりにプライドが高いのだ。 「何事なの?」 うんざりした口調で、部下を迎える。 バトルを邪魔されたような気がして、途端に不機嫌になる。 目じりに浮かんだ小じわが深まる。 一見隙だらけだが、アカツキはジグザグマに攻撃を指示しなかった。 仮に攻撃に打って出ても、グラエナが黙ってはいないはずだ。 強いポケモンというのは、トレーナーとの絆が強いということでもある。 少しでも時間を稼いで、ジグザグマの体力を少しでも取り戻してから。 それからであれば、まだバトルもできるだろう。 部下の言葉を耳に挟んだカガリの顔色が変わった。 「なんですって……」 「それが、悪タイプのポケモンを駆使する、やたらと強い女が敷地に乗り込んできて…… すでに半数以上が戦闘不能に……!!」 恐怖を振りまくように、部下の男が声を大にして叫ぶ。 「え……?」 アカツキは眉をひそめた。 一体何が起こっているのだろう…… 「そう……悪タイプを駆使する強い女ね……だいたい、察しはつくわ。 まさかこんな時に彼女が出てくるなんてね……彼女相手じゃ分が悪すぎるわね。 ……分かったわ」 奥歯を強く噛みしめ、カガリは平静さを取り戻した。 強がっているようには見えないが、それは指揮官としての顔があるからだろう。 生まれ出でた動揺を必死に押し殺している。 指揮官が焦りを顔に出せば、士気が大幅に低下するのは避けられない。 戦いにおいて士気の低下は、思わぬ致命傷を呼び込むことになりかねない。 「撤退よ。これ以上、傷が広がらないうちに早く逃げましょう」 「か、かしこまりました!!」 カガリの指示に、男は館長室を脱兎のごとく出て行った。 「ふう……」 幹部らしからぬ、ため息を漏らすカガリ。 これくらいなら、許されるかもしれない。他に誰もいなくなったこの場所でなら。 「予期せぬ邪魔が入ってね、今回はこれで退くわ」 その言葉を聞いたアカツキは、声を荒げた。 どことなく馬鹿にされたような気がしたためだ。 「逃げるの!?」 「人聞きが悪いわね。 戦略的撤退と言ってもらいたいわ。 君には分からないかもしれないけどね、大人にはいろいろとあるの」 表情を緩めながら、カガリはグラエナをモンスターボールに戻した。 「これ以上傷が広がっちゃうとね、困るのよ。 どう罵ってくれても構わないわ。 でも、私たちは必ず、理想を実現する。ふふ、その時はまもなく訪れるでしょう。首を洗って待っていなさい。 君だって、私たちのすばらしさを、身をもって思い知ることになるわ」 意気込むアカツキとは対照的に、淡々と述べるカガリ。 懐から筒を取り出すと、それを地面に向かって投げ落とす!! かっ!! 地面に叩きつけられた筒はまばゆいばかりの光を撒き散らした!! 「うわ……!!」 アカツキは目を閉じ、腕で視界を覆った。 そうでもしなければ目を灼かれてしまうような、強い光だった。 カガリが投げ落としたのは炸裂弾(フラッシュ・ボム)。 衝撃によって筒の中身が化学反応を起こして、強い光を生み出すシロモノだ。 実際、その光で失明にまで至ることはないそうだが…… どれくらい経っただろうか。 アカツキはうっすらと目を開けた。 どうやら光は消えたようだが、目が慣れるまでに時間がかかった。 「逃げたのかな……」 アカツキは周囲を見回した。 腕の中にいるジグザグマはただうずくまっているばかり。 カガリがいなくなった他に、変化はなかった。 巨大なエンジンも無事だし、館長室の窓が破られていたりするということもない。 「どうやら、難は去ったようだな」 クスノキは顔色を取り戻し、ホッと一息ついた。 マグマ団三幹部のひとりカガリが目の前にいると知った時には、どうなるかと思ったが…… ナンダカンダ言って、一応は何とかなった。 「助かった、礼を言うよ」 アカツキの方に向き直り、クスノキは頭を下げた。 「でも、ぼくは何もしてないですし……」 「いや……」 恥ずかしそうに目を逸らすアカツキに、しかしクスノキは頭を振って、 「君は何の関係もないこのエンジンを守るために戦ってくれた。 それだけでもうれしいんだよ。礼を言わせて欲しい」 「はあ……」 アカツキはため息を漏らし―― もぞもぞと腕の中でジグザグマが動いたのを感じた。 「ジグザグマ? 大丈夫? 今すぐモンスターボールに戻すから。ね?」 「ぐぐーっ」 ジグザグマは強引にアカツキの腕の中から地面に降り立った。 危うくバランスを崩しそうになったが、何とか着地には成功した。 頭突きとアイアンテールのダメージがかなりのものらしく、立っているのもやっとといった様子だ。 早くモンスターボールに戻さなきゃ。 アカツキはそう思ってモンスターボールを手にし、ジグザグマの方へと向けた。 すると、ジグザグマの身体が光に包まれた!! 「え?」 モンスターボールから捕獲光線を発射しようと手に力を込める寸前のことだった。 「おや、進化が始まるんだね」 「進化……」 クスノキの言葉に、アカツキは息を呑んだ。 その言葉の意味を噛み砕いている間に、変化が起きた。 光に包まれたジグザグマの姿が、少しずつ膨らんでいく。 全体的に細長くなったような印象を受けたところで、変化は終わった。 「ジグザグマが進化するんだ……」 カナズミジムをクリアするまで、ロクにバトルに出していなかったジグザグマ。 クリアしてからはそのことを意識して、積極的にジグザグマをバトルに参加させてきたが…… どうやら、それがここで実を結んだようだ。 進化後のポケモンに期待を抱くアカツキの目の前で、弾けるように光が消え去り――残されたのは…… 「ぐぐぅっ!!」 ジグザグマの時よりも、少し低い声で鳴くポケモンだった。 「このポケモンは……」 アカツキはすかさずポケモン図鑑を取り出し、センサーを向けた。 「マッスグマ。とっしんポケモン。 ジグザグマの進化形。 名前どおりまっすぐ突っ走り、障害物も直角に折れ曲がって回避する。 時速100キロ近いスピードを出すことがあるせいか、遠心力の強く働くカーブがとても苦手」 「マッスグマ……」 アカツキはしゃがみこみ、改めてマッスグマの姿を見つめた。 トレーナーの視線を感じてか、マッスグマは少しきつくなった目つきで、見つめ返してくる。 ジグザグマと比べると、身体が細長くなった印象を受ける。 背丈は実際それほど変わっていないものの、目つきが鋭くなった。 それに、四本の脚に生えた爪が鋭く尖り、ジグザグだった体毛が梳かれたようにまっすぐだ。 「ありがと、進化してくれたんだね」 アカツキは微笑みかけ、手を広げた。 すると、マッスグマは躊躇うことなくトレーナーの胸の中に飛び込んでいった。 距離はゼロに近かったが、カリン女史の説明どおりスピードがあったので、受け止めきれず、その場に仰向けに倒れこんでしまう。 痛かったが、そんなものがまるで気にならないほど、ジグザグマの進化がアカツキにとってはうれしかった。 「あはは、マッスグマ、くすぐったいって!!」 「ぐぐぅっ!! ぐぐぅっ!!」 アカツキの胸中を知ってか知らずか、マッスグマは彼の胸の中でじゃれついた。 これにはもう、呆れを通り越して笑うしかない。 微笑ましい光景を見つめるクスノキの顔は笑っていた。 こういうのを見るのはずいぶんと久しぶりのような気がする。 時を忘れたかのようにはしゃいでいるアカツキとマッスグマ。 ――ハルカが警察を連れて戻ってきたのは、それからしばらく経ってのことだった。 第34話へと続く……