第34話 しばしの別れ -Parting a short time- アカツキはリュックを背負うと、腰にモンスターボールを三つ差したのを確認し、泊まっていた部屋を後にした。 廊下に出たところで、タイミングを計ったように、旅支度を済ませたハルカと鉢合わせした。 偶然で片付けるには不自然な要素が多いものの、アカツキはやはり偶然と思った。 「ハルカも今日出発するんだね」 「ええ」 ふたりは横に並んで、ロビーへと向かった。 その途中で、いろんな話をした。 これほど話したことは他になかっただろうと、後になって思い出すほど。 まずは、昨日のことから。 マグマ団三幹部のひとり、カガリが部下たちを引き連れて、海の科学博物館を襲撃してきたことだ。 クスノキ館長のエンジンを守るべく、アカツキは勇敢にも館長室でひとり、カガリにポケモンバトルを挑んだ。 あのまま戦っていたら負けていたかもしれない……今になって、そう思えるようになった。 思わず、背筋が震えてしまいそうだ。 キャリアが違いすぎると一言で斬って捨てることもできるだろう。 それくらい、アカツキとカガリの力量は違いすぎた。 一方、警察に事情を説明すべく博物館を脱出しようとしていたハルカにも、マグマ団の魔手が迫った。 ポケモンは戦い疲れ、これ以上は無理。 大ピンチのところに、謎の女性が現れ、すんでのところで助けられた。 結局はその女性の出現によって、事態は終息へと向かった。 マグマ団はカガリの指示のもと、撤退したのである。 一体何がどうなっているのか分からなかったが、いなくなったに越したことはない。 それから警察の事情聴取やら何やらに付き合わされたが、クスノキ館長の口添えにより、すぐに自由の身になれた。 それが彼なりの感謝の印なのだろう。 アカツキもハルカも礼を言って、ポケモンセンターに戻ってきた。 それが昨日の夕方。 ハルカはどうしていたか分からないが、アカツキは夕飯を平らげて風呂を済ませると、そのまま眠りについた。 いろいろとあって疲れが出ていたからだろう、今朝まで死んだように眠っていた。 今になって思えば―― 「ずいぶんと謎の多かった事件だなぁ……」 頬を掻きながら、胸中でつぶやく。 カガリたちが、深海探査の目的で製造された潜水艦のエンジンを狙ってきたことは分かる。 あれほど大がかりに襲撃をかけてきたということは、彼らもそれなりに必死だったであろうことも、また分かる。 だが、その経緯が分からないのだ。 エンジンを狙ってきたということは、彼らもクスノキ館長と同じことをしようとしていた……と、簡単に推測することはできる。 ただ、それが本当なのかどうかは、当のカガリ本人でないと分からないだろう。 つまり、詮索するだけ無駄なのだが…… 気になって仕方がない。 昨晩はそんなこと気にならないくらい疲れていたから、今になって疑問が尽きることなく沸きあがっては、狭い胸を埋め尽くさんばかりだ。 「それに、謎の女性って……」 ポケモンセンターに戻ってくる途中で、ハルカが言っていた。 ピンチのところを謎の女性に助けられたと。 アカツキには明かさなかったが、彼女はハルカの顔なじみだった。 とはいえ、親しい仲というわけでもない。 知り合いだということは、彼女の頼みを聞き届けてアカツキには話さなかった。 もっとも、ハルカ自身、信じられないという気持ちは確かにあったのだが…… 「信じらんないわ。 研究一辺倒とばかり思ってたけど、やっぱり人は見た目によらないのね」 胸中で漏らす言葉がさり気ないヒント。 もちろん、アカツキには秘密だ。誰にも言わないでと口止めされたのだ。 「アカツキのジグザグマ、マッスグマに進化したんでしょ?」 「うん。ぼくも驚いたよ。でも、うれしいな。進化してくれて」 アカツキがここまで喜びを露にしているのは、それが『無理な』進化でなかったからだ。 無理やり進化したのなら、それを喜ぶはずがない。 ハルカもキルリア、ヌマクローと進化形のポケモンを持っているから分かるが、やはり進化というのは感慨にたえないものなのだ。 結果的に、アカツキのポケモンで進化前というのはいなくなった。 二段階目の進化を控えているのはワカシャモとアリゲイツだが、今のままでも十分に強いから、別に進化しなくてもいいと思っている。 クスノキ館長が聞けば激怒するだろうが、アカツキは昨日の騒ぎがあって、むしろよかったと思っている。 ジグザグマが進化してくれたし、また新しいバトルのやり方というのを学べたような気がするからだ。 ジグザグマがマッスグマに進化して、戦力も大幅に増強されたと言える。 進化というのは、劣勢のバトル――その戦況をもひっくり返してしまうほどの可能性を秘めているのだ。 新たな技を覚えることもあるから、相手の計算を突き崩せる。 「でも、残ってくれたのがアカツキでよかったよ」 「え?」 唐突な言葉に、アカツキは唖然とした。 一体ハルカは何を言っているのか。分からずに、隣を歩く彼女の横顔に視線を向ける。 そんなアカツキの視線が気になったのか、笑顔を返して、 「あたしだったら、あそこまで頑張れなかったもん。 な〜んとなくだけどね、あたし、自分の限界ってのを知った気がするの。 ここから先は絶対にダメ、行けない、無理だ――ってね、あたしの心の中にある何かが訴えかけてくるの」 「そうなんだ……」 アカツキにとってはどうにも理解しがたい話ではあった。 要するに、限界ギリギリのところで自分をコントロールする術を身につけたということなのだが……アカツキには無縁の話らしい。 平気で限界突破して我を失うことも多いから。 そんな彼をたしなめるように、控えめな声で言う。 「でもね、無理しちゃダメだよ。いつか、壊れちゃうから」 「うん……」 アカツキの顔から笑みが消えた。 無理しちゃダメだと、心配してくれていることがよく分かるから。 心配をかけてしまっていると、分かったから。 確かに、少しは無理をしたかもしれないという自覚はある。 だが、まだ大丈夫と心の中でそう思っていたのかもしれない。 自分を誤魔化せても、親友の目は誤魔化せなかった。 近くにありすぎて見えなかったという、在り来たりのパターン。 「ま、昨日のことは忘れましょ。それより、これからのこと。 あたしにはあたしの、キミにはキミの夢があるんだから。 それ目指してまっしぐら、レッツゴーだもん。ね!?」 「うん!!」 夢へ向かってレッツゴー。 ということで、アカツキも表情が明るくなった。 そうだ、終わったことなどに気をとられていては、夢が遠くなる。 見失わないように、ちゃんと前を見なきゃ。 「あたしはムロ島へ向かうわ。 そこで四つ目のバッジをゲットしたら、早速お父さんに挑戦状叩き付けなきゃね♪」 「すぐに行くの?」 「もちろん。お父さんだって、あたしとのバトル楽しみにしてるみたいだもん」 「そっか」 ハルカらしいと思った。 元気いっぱいで、まるで太陽のような輝きを放っている。 そんな彼女に励まされていると分かって、笑みがこぼれた。 それも、悪くはないかもしれないと思って。 ハルカにはホウエンリーグに出るという目的がある。 もちろん、アカツキには黒いリザードンをゲットするという目的がある。 言うまでもなく、他人(ひと)に引けをとらぬような立派な夢だと思っている。 「アカツキは黒いリザードンをゲットしたいんでしょ?」 「うん。そのためにも、強いトレーナーにならなきゃ。 リザードンをゲットできるくらい、強いトレーナーに」 「そうだね。アカツキなら大丈夫。きっとできるよ」 「ありがとう、ハルカ」 熱烈なエールを受け、アカツキは頬を赤らめながら笑みを深めた。 どうしてだろう……? どうして、身体が熱くなったのか。 子供過ぎて分からなかった。かわいそうだけど。 照れ隠しというわけではないが、アカツキは言葉を紡いだ。 「ぼくはキンセツシティに行くことにするよ。 エントツ山に行くのに、どうしても立ち寄ることになりそうだし……それに、ジムもあるからね」 「ジム戦が一番だもんね。強くなるんだったら。 それに、アカツキなら勝てるかもよ、キンセツジムのテッセンさんに」 「そっか。ハルカはもう勝ったんだよね」 「うん」 ハルカはすでに三つのバッジをゲットしている。 カナズミジムのストーンバッジはアカツキもゲットしたが、残りのふたつはまだだった。 キンセツジムのダイナモバッジに、フエンジムのヒートバッジ。 いつかはゲットしに行くのかもしれない。 どんなジムリーダーだろうと、考えるだけでワクワクしてくる。 カイナシティからエントツ山の距離はかなりあり、時間的にもそれなりにかかってしまう。 キンセツシティに立ち寄って、いろいろと山登りの準備を整えてから、北上する。 途中、砂漠地帯に差し掛かったところで進路を西に変更して、しばらく進むとエントツ山に差し掛かる。 ホウエン地方で一番の標高を誇るエントツ山は、ハイキングコースこそ整っているが、決して狭い山ではない。 裾野まで考えると、数日歩き回った程度では制覇できないくらいだ。 いくら大型とはいえ、リザードンが身を隠す場所など、それこそいくらだってある。 見つけるには根気と体力と忍耐強さが求められるだろう。 だから、今までのように無理をしていると、途中で身体を壊すことにもなりかねない。 それでは、いくらなんでも本末転倒だ。 「アカツキはさ、ホウエンリーグ出ないの?」 何度目かになる問い。 だが、今までとは違う意味合いで、ハルカは訊ねた。 まったく同じ問いでも、時と場合によっては正反対の意味(ニュアンス)を含むことだってあるのだ。 「リザードンをゲットできたら、出てもいいかなって思ってる」 「そっか……」 あいまいなアカツキの答えにも、しかしハルカは笑みを深めた。 今までと比べると、少しは前向きな回答を引き出せたような気がするからだ。 「せっかくバッジを集めてることだし……できれば、無駄にしたくないかな、なんて思ってさ」 「そうなんだ。いいんじゃない?」 もしかしたら―― もしかしたら、ホウエンリーグという大舞台でアカツキともう一度バトルできるかもしれないのだ。 そう考えると、今から心が弾む。気が早すぎるのは、言うまでもないが。 「ユウキは出ないって頑なに言い張ってたし……」 ホウエン地方に来てできたもうひとりの親友の顔を思い浮かべ、表情とは裏腹に胸中でため息を漏らす。 オダマキ博士とカリン女史の息子で、将来両親のような博士を目指している、いわば博士のサラブレッドだ。 バトルにはあまり興味を持っていないということが、今までの会話からも分かる。 ポケモンに関する知識は言うに及ばず、バトルの腕も、アカツキの話によるとかなりのものらしい。 豊富な知識をふんだんに使用したバトルは、確かにすごそうだ。 ムロ島に行けば、彼に会えるのだろうか。 会って、バトルできるかもしれない。 「ま、あたしが出てくれって頼むのも、変だし…… それに、人の夢を邪魔するってのも、ヤな女みたいで、あんましたくないのよね」 残念だが、本人がそれを望んでいないのであれば、無理強いするわけにもいかない。 それくらいは知っている。もちろん、引き際も。 ……と、そこでロビーにたどり着いた。 ふたり揃って寝泊りした部屋の鍵をジョーイに返した。 ニコニコ笑顔――職業病スマイルに見送られ、ポケモンセンターを後にしたアカツキとハルカは顔を見合わせた。 どちらとも笑みが浮かんでいる。 しばしの別れなど、気にしませんと言わんばかりに。これからに期待している、ホンモノの笑顔。 「それじゃあ、ここでお別れだね」 「ええ」 ハルカは頷いた。 アカツキは淋しがっていない。 それどころか、晴れ晴れしているように見えるのは、大きな夢を追いかけているからだ。 夢へ続くロードを再び歩み始めるからだ。もちろん、それはハルカとて同じこと。 「次は勝つから」 「あたしだって」 さり気ない宣戦布告を、ハルカは笑顔で受け流す。 ちゃんと、受けるだけ受けておいた。 もちろん、ハルカだって、次こそ勝つつもりでいる。 引き分けのまま終わらせるというのは、どうも後味が悪い。 強くなったアカツキのポケモンこそ、倒し甲斐があるというものだし、親友だからこそ負けられない。負けたくない。 「あたしも、頑張らなきゃいけないってことだもんね」 夢への道のりは果てしなく遠い。 半月経っても、まだ第一歩に過ぎないと思っている。 「お互い頑張ろうね。それじゃあ……」 「うん」 手を振って、アカツキはハルカに背を向け歩き出した。 ハルカも、少しだけ彼の背中を見送ってから歩き出した。 お互いの進行方向が、一本の糸で結ばれる。つまり、正反対。 歩き出し、アカツキは一度も振り返らなかった。 後ろ髪を引かれる想いがあったわけではない。 確かに親友とのしばしの別れは淋しいが、くじけてしまうほどのものではない。 またいつか会えると分かっているから、笑顔で歩き出せる。 「今度会う時までには、もっともっと強くならなきゃいけないからね」 胸中でつぶやきながら、腰に差したモンスターボールに手を触れた。 昨日、進化を果たしたマッスグマを含めた、三人の大切な仲間たち。 彼らが一緒なら、どんな困難も乗り越えられそうな気がした。 「ふーん……いい感じね」 アカツキの背中を、物陰から見つめている一人の女性。 もちろん、彼はその存在に気づいているはずもない。 「半月だけど、結構イイ感じになってきたじゃない? 先行投資ってことで、今のうちにゲットしちゃおっかな?」 なんて苦笑混じりにつぶやいていると、不意に身体に振動が走った。 まるで、彼女の気持ちを察知し、警告を送っているかのような振動の正体は―― 「あらあら……」 彼女はポケットから携帯電話を取り出した。 着信音で人の気を引くのもどうかということで、マナーモードにしておいたのだ。 液晶に映し出された相手の名前に、彼女は苦笑した。 「私の気持ち、遠距離でも分かってるってことなのかしらね?」 なんて冗談めいたことを思いながら、電話に出る。 「はいはい。今カイナシティよ。 あなたの言っていた材料ね、残念ながら品切れみたいだから。また別の町に買いに行くとするわ。 ちょっと時間かかっちゃうけど、大丈夫?」 事実を説明すると、相手から了承を得た。 「ありがとう。なるべく早く済ませるから。 それじゃあ……私の分まで頑張ってね」 手短な会話を済ませ、電話を切った。 表向きには用事の話だったが、実際はどうだったのやら。 彼女の考えていることをテレパシーのように遠距離で感じ取って、揺さぶりをかけてきたのかもしれない。 あながち、それも的外れでないような気もするが…… 「ま、いいけどね。私としても、経歴に傷をつける気はないし」 楽しみもできた。 『こうする』のも悪くはない。 「たまには羽を伸ばすってのも、いいかもしれないわね。 室内ばかりで、身体も心も鈍っちゃってるかもしれないし……自分の足で歩いてみるのも、悪くはないわね」 アカツキが人込みに紛れて見えなくなると、彼女は物陰から出た。 空を振り仰ぐ。 燦々と降り注ぐ太陽の光が、一点の曇り――憂いさえかき消してしまいそうだ。 だが、この青空の下、新たな出逢いと別れが手招きしているということなど、アカツキも彼女も知る由はなかった。 第35話へと続く……