第37話 カエデ -Burning princess- 夢に出てきたマッスグマは楽しそうだった。 笑顔を浮かべながら、セイジと寄り添うようにして道を歩いている。 だから、クヨクヨするのは止めにしよう。 楽しそうなマッスグマに申し訳ないし、それに、新しい仲間を得たことを素直に喜びたい。 アカツキはキンセツシティへと110番道路を北上している途中だった。 マップによると、明日には到着できそうだ。 道の先で、今歩いている道とサイクリングロードが交わっているのが見える。 そこが110番道路の終点で、キンセツシティとは目と鼻の先である。 「ちょっと、休んでいこうかな」 麗らかな陽気に、額が汗ばんでいる。 アカツキは手の甲で額の汗を拭い、周囲を見回した。 すぐ近くに適当な木陰があって、そこで休むことにした。 かなり大きな木で、大の字で寝そべってもなお、木陰は余りあるほど広い。 六月に入って、暦の上ではすでに夏である。 最近になって、妙に太陽の熱気が強まったような気がするのも、考えすぎなどではなかった。 とはいえ、ホウエン地方は一年を通じて温暖な気候のため、春と夏の気温差がそれほどあるというわけではない。 元から暖かいのだから、少し暑いなと感じる程度だ。 寒暖の差が大きければ、すっごく暑いと感じるのだろうが。 「ふぅ……ちょっと疲れちゃったな……」 どうしてだろう、少し疲れたような気がする。 垂直に伸びている木の幹に背中を預け、ため息を漏らす。 ゴツゴツしている表皮なのに、あまりそうと感じない自分の感覚を不思議がりながら、モンスターボールを三つ、手に取った。 そのうちのひとつには、『☆』のマークがついている。 「カエデかぁ……どんなポケモンかな」 脳裏に浮かんだのは、ポケモン図鑑で調べたポケモンの姿。 バクフーン、かざんポケモン。 ヒノアラシの最終進化形。ホウエン地方ではほとんど生息していない、結構珍しいポケモン。 昨日、ポケモンブリーダーのセイジとトレードしてゲットしたポケモンだ。 そういえば、今の今まで、顔合わせもしていなかったか。 心なしかドキドキしている。 胸に手を当ててみる。 心臓の鼓動が速いのは、未だ見ぬ仲間の姿に期待を馳せているからか。 逸る気持ちを抑えながら、アカツキはアリゲイツとワカシャモのモンスターボールを軽く頭上に放り投げた。 「出てきて、アリゲイツ、ワカシャモ!!」 トレーナーの呼びかけに応じ、二体のポケモンが彼の傍に飛び出してきた。 「ゲイツ……」 「シャモぉっ!!」 アリゲイツは眠そうに欠伸を欠き。 ワカシャモは相変わらずハイテンション全開。 相変わらずの仲間たちを見つめるアカツキは、笑みを浮かべていた。 しかし、ふたりともアカツキの手にある『☆』マークのモンスターボールに目を向ける。 見たことのないボールに、新しい仲間というのを予感しているのだろう。 どこか緊張したような面持ちを見せている。 「シャモ?」 興味津々の眼差しでボールを見つめるワカシャモは、腫れ物にでも触るように、爪を一本だけ立てて、突いてみた。 乾いた音が響く。 何の変哲もない金属音。 まさか、触ったら爆発するとでも思ってるのかな……アカツキは苦笑した。 慎重という、ワカシャモの意外な一面を見ることができて、それもまたよしと思ったからだ。 対照的に、アリゲイツは長い長い欠伸の最中。 昨日はあまり眠れなかったのか、どうにも表情が景気悪そうだった。 とりあえず任せると、投げやりな、そう言いたげな表情にも見えてくる。 そんな表情に背中を押されたわけではないが、アカツキはモンスターボールを掲げた。 そして、短く告げる。 「カエデ、出ておいで!!」 刹那―― トレーナーの意思に応え、モンスターボールの口が開いた。 閃光がほとばしり、アカツキのすぐ傍に突き刺さり、ポケモンのシルエットを形作る。 閃光が消えた跡には―― 「バクフーンっ!!」 甲高い鳴き声を発する、凛々しいポケモンだけが残された。 ポケモンは、普段はモンスターボールを投げるという行為をトリガーにして飛び出してくる。 しかし、実際はトレーナーの意思に応えて出てくるということも多い。 そこのところの仕組みは分かっていないが、意思疎通という一言で片付けられるのだろう。 それはともかく。 出てきたポケモンは、アカツキの予想を超えていた。 ポケモン図鑑で見たまんまの姿。それはいいのだが、背の高さが尋常じゃない。 アカツキよりも背丈は上だった。 まさかこんな立派なポケモンだとは思わず、アカツキは呆然とバクフーンを見上げていた。 アリゲイツもワカシャモも、マッスグマの代わりにこんなポケモンが仲間に加わるとは思わなかったらしい。 トレーナーと同じように、口をポカンと開け放ったまま固まっていた。 「……キミがカエデ?」 「バクフーンっ!!」 アカツキが問いかけると、バクフーン――カエデは元気に頷いてみせた。 キラキラ輝く赤い瞳。背中で燃える炎と共に、やる気満々といった雰囲気を漂わせているが、事実その通りかもしれない。 ただ…… アカツキもアリゲイツもワカシャモも。 ただ一点に視線が集まっている。 カエデの……頭だ。 「これ、リボン?」 どう見てもリボンだった。 突き出るように立った両耳の間に、ピンクの水玉模様で彩られたリボンをつけているのだ。 「もしかして、女の子?」 「バクフーンっ!!」 カエデが大きく頷いたので、アカツキは唖然とした。 ポケモンというのは人間と違い、見た目ではおよそオスかメスか区別がつかないのだが…… しかし、身につけているもので区別すると言うのも、どこか確実性を欠きそうな気がする。 どちらにしても、本人が首を縦に振っているのだから、それを信じないわけにはいかない。 「アリゲイツもワカシャモも、男の子だもんな」 アカツキは自分のポケモンに目をやった。 ふたりとも、新しい仲間に視線を釘付けにされているようだった。 どこか上の空に見える表情が、なんとも不思議。 アリゲイツは男の子。ずっと一緒にいるから当然のように知っている。 ワカシャモも男の子。いつだったかポケモンセンターで調べてもらった。 ……で、カエデは女の子。 年齢が分からないから、子供なのか大人なのかまでは分からないけど。 「初めての女の子だね。見惚れちゃったのかな」 アカツキは苦笑した。 しかし、自分自身もカエデに不思議な感情を抱いているのを知って、笑みもすぐに消えていく。 そんな感情を振り切るように立ち上がり、カエデの方に向き直る。 「カエデ。ぼくがキミの新しいトレーナーだよ。 名前ね、アカツキっていうんだ。よろしくね」 笑顔で自己紹介。 差し出した手を、カエデはギュッと握り返してくれた。もちろん、笑顔で。 「バクフーンっ!!」 それだけで、気持ちが通じ合ったと確信を持てる。 初対面で、ちょっと心配に思ったが……どうやら、徒労に過ぎなかったらしい。 「ぼくの仲間を紹介するね。 アリゲイツに、ワカシャモ。ふたりは男の子だけど、いい仲間だよ。 アリゲイツ、ワカシャモ。仲良くしてあげてね」 「ゲイツ!!」 「シャモ!!」 ぱあっ、とアリゲイツとワカシャモの表情が輝く。 「バクフーンっ」 カエデは進んで、ふたりと握手を交わした。親愛の情というものらしい。 図体が大きいとはいえ、相手は女の子。 何か擽られたのか、アリゲイツもワカシャモも浮かれモード突入といった雰囲気だ。 「よかった、これならすぐに仲良くなれるね」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 カエデは新しい環境に何一つ不安を見せることもない。すぐに馴染めるのは間違いないだろう。 そういった意味では、実に心強い。 それでいてポケモンバトルの実力も伴っていれば、言うことなしだ。 セイジがとびっきりと自慢するだけのことはある。 「そうだ、カエデ。キミ、ポロック食べたことある?」 「フーン?」 カエデは首を縦には振らなかった。 不思議そうな顔でアカツキを見つめている。 ポロックって何? その表情が物語っている問いに答えるべく、アカツキはリュックからポロックケースを取り出した。 「これがポロックだよ。ポケモンのお菓子みたいなものだね」 蓋を開け、中身を見せる。 カエデは興味津々と言った様子で中を覗き込んでいる。 「カエデはどんな味が好きなのかなぁ……」 アカツキは口に手を当てて考えた。 とりあえず一通り味わってもらうというのが一番早いのだが、運が悪いと、ワカシャモの時のように炎を吹きかけられる可能性が…… 危うく黒コゲにされそうになった恐怖が蘇ってきたのか、口元が引きつっている。 「で、でもカエデだけ好みが分からないなんて、それはまずいよね」 トレーナーとして、それぞれのポケモンと平等に接するのが大事なことだと理解しているから、投げ出すわけにはいかない。 そう、何事もチャレンジ精神というのが大切なのだ。 「カエデ、これ食べてみて」 アカツキは苦い味のポロックを差し出した。 ワカシャモに食べさせて、炎を吹かせた、曰くつきの味である。 カエデはアカツキの手に載っている青いポロックに鼻を近づけて、匂いを嗅ぎ始めた。 食べられるものかどうかを、とりあえず嗅覚で判断しているようだ。 それから、舌を伸ばしてポロックを食べた。 もぐもぐと噛み砕いてみせる。 「大丈夫かな……」 一抹の不安と共に、冷や汗が頬を流れ落ちる。 ワカシャモの時でさえあんなに危なかったのだ。 最終進化形であるカエデが万が一炎など吹き出したりしようものなら…… 次は本気で死ぬかも。 心配な気持ちを抱きながら、しかしそれをあざ笑うかのごとく時は過ぎ―― ごっくん。 カエデが苦い味のポロックを飲み込んだ。 炎は…… 吐かなかった。 数秒のことなのに、一分以上にも引き延ばされて感じられたのは気のせいだろうか。 「バクフーンっ」 うれしそうな顔をするカエデ。 「この味、気に入った?」 「バクフーンっ!!」 アカツキの問いに頷き、うれしそうな顔のまま、彼に飛びかかる!! 「わーっ!!」 あまりに突然のことに、対応できずアカツキは押し倒された!! 「ゲイツ!!」 「シャモぉっ!!」 何をするんだ!! というニュアンスの鳴き声を上げるアリゲイツとワカシャモ。 いきなりトレーナーを押し倒したのだ、何しやがるという気持ちが芽生えても何ら不思議ではない。 むしろ、絆が深い分、余計にそう思ってしまう。 だが、カエデは別にアカツキに危害を加えようと飛びかかったわけではないのだ。 ただ……じゃれついているつもりなのだ。 慌てふためいているアカツキにのしかかって、遊んでいる。 親睦を深めましょうと言わんばかり。 「か、カエデ……あはは、くすぐったいってば!!」 慌てていたのは最初だけだった。 カエデが頬擦りしたり身体をぐねぐね動かすので、アカツキはもうくすぐったくて仕方がない。 笑いながら悲鳴を上げている。 その様子に、アリゲイツとワカシャモの警戒は一気に解けた。 雰囲気が白けて、唖然とする。 楽しそうだから、ま、いっか。 自然とそんな気持ちを抱いた。 トレーナーが楽しそうにしているのを見て、止めるというのも、気が引けた。 「カエデって甘えん坊んだね」 身体の大きさなど関係ないのかもしれない。 カエデは思い切りアカツキに甘えている。 新しいトレーナーと認めている証でもある。 「だ〜いすきっ♪」 カエデはアカツキをそんな風に思っていた。 初対面の人間。 でも、好感を持てる。 それがいつの間にやらレベルアップして、いきなりロマンスモード突入寸前。 行動が雰囲気を伴って、誰が見ても分かるくらい。 恋(?)に純粋な女の子なのである。 「バクフーンっ」 誰の目も気にせず、ひたすらアカツキにじゃれつくカエデ。 最初の方はそれを許していたアリゲイツとワカシャモにも、そろそろ苛立ちの表情が見え始めてきた。 「独占は許さん……」 カエデと同じことをしたいというのはふたりとも同じだったからだ。 新参者だし、それなりに仲間に馴染まなければならないということくらいは分かっている。 だが、限度を超えそうだ。 カエデにそういった意識はなさそうで……飽きもせずじゃれつくばかり。 アカツキもアカツキで、カエデの成すがままにされている。 「ゲイツ!!」 「シャモぉぉぉっ!!」 ……と、ついに限度を超えた。 アリゲイツとワカシャモは、まるでタイミングを計ったように一斉にカエデに飛びかかった!! アカツキから引き離すためだ。 これ以上じゃれられては、立場がなくなってしまう。それに、同じことをしたい!! 特別扱いなんて絶っっっっ対許さない!! そんな気持ちを敏感に察知して、カエデはアカツキとじゃれつくのをやめた。 さっと飛び退いて、ふたりに譲る。 が―― 「うっわーっ!!」 陽の光を照り受けて、輝く爪が迫る!! アカツキは今度こそ、悲鳴しか上げられなかった。 カエデが飛び退いたかと思ったら、今度はアリゲイツとワカシャモが!! しかも、敵意むき出しに!! カエデとしては先輩に譲るつもりでいたのだが、その心遣いが裏目に出てしまったらしい。 がしゅっ!! 「ぎゃーっ!!」 アリゲイツとワカシャモの引っかく攻撃がアカツキの額に炸裂した!! 「う……ん?」 気がついたのは、それから三十分ほどしてからのことだった。 どういうわけか、額が痛む。 目を開けるよりも早く、手で触れてみる。 チクリとした痛みが身体を駆け抜けていく。 その痛みに、自分の身に起こったことを思い出した。 「確か、アリゲイツとワカシャモにいきなり……」 ……引っかかれた!! 憤怒の形相で、問答無用で額に一撃をくれたのだ。 と、そこまでを思い出してから、うっすらと目を開ける。 風に揺れる木の葉の音が心地よい。 ところどころに隙間を空けた緑の絨毯をバックに。 アリゲイツにワカシャモ、そしてカエデが心配そうな表情でアカツキの顔を覗き込んでいる。 アカツキが目を覚ましたので、その表情も笑みに変わった。 「ずっと見ててくれたのかい?」 身を起こし、一言。 しかし、それはアリゲイツとワカシャモを叱るためのものではなかった。 意外に思ったのか、アカツキの額を引っかいたふたりは面食らったような表情を向けてきた。 「アリゲイツ、ワカシャモ。 そんなに気にしなくていいよ。 あんまり痛くもないし、傷は浅そうだから。すぐに見えなくなるよ」 「シャモ……」 優しい言葉に、ワカシャモは素直に反省した。 もちろん、アリゲイツも同じだが、ワカシャモの方が見て分かりやすかった。 いつもの勢いはどこへやら、すっかり縮こまってしまっている。 素直な反省を見せているワカシャモとアリゲイツを叱るつもりなど、アカツキにはこれっぽっちもなかった。 悪いことをすれば普通は怒る。でも、ふたりに悪気があったとは思えない。 たぶん、何かの間違いだったんだと、アカツキはそう思っている。 「そうでなきゃ、あんな顔しないもん」 バトルの時にも見せないような、徹底的な憤怒の表情。 でも、もう忘れたい。 考える度に、額の傷が疼いてしまう。 「ねえ、何があったかは知らないけど、いきなり他人を引っかくのって、いけないことだよ。 これからはそういうこと、しないようにね」 優しく諭す。 怒ったところで、怒る側のアカツキも、怒られる側のアリゲイツとワカシャモ、どちらも嫌な思いをするだけだ。 それなら、最初から怒らない方がいい。 アリゲイツとワカシャモなら、きっと分かってくれると信じているからだ。 「ゲイツ」 「シャモ」 ふたりは揃って頷いた。 これからは問答無用に引っかく攻撃をするのは止めよう……固く心に誓う。 「バクフーンっ!!」 何の後遺症もないということに、カエデが安堵の笑みを浮かべながらアカツキをギュッと抱きしめた。 「ゲイツ!!」 「シャモ!!」 カエデの独占は阻止する!! ある意味で反目しながら、しかし共通した目的のために協調し、アリゲイツとワカシャモも負けじとアカツキに抱きついた!! 「うわ、わわーっ!!」 三体のポケモンに押し競饅頭されて、アカツキは笑いながら悲鳴を上げた。 そりゃぎゅうぎゅうされているのにいい気分はしないが、それでも笑いたい気分だった。 仲間に囲まれて、悪い気はしなかったから。 カエデもアリゲイツもワカシャモも。 ニコニコ笑っている。 トレーナーと触れ合えるのに喜びを感じているのだろうか。 アカツキとしては一刻も早くキンセツシティへ向けて出発したいところなのだが……どうやら、それはもう少し先になりそうである。 第38話へと続く……