第38話 予期せぬ再会 -Unexpected reunion- 「やっぱりすごい街だなぁ……」 キンセツシティの大通りを歩きながら、アカツキは感嘆のつぶやきを漏らしていた。 キョロキョロと辺りを忙しく見回すなど、田舎者丸出しだったが、それも当然のことと言えた。 カイナシティを出発すること六日目。 アカツキはやっとキンセツシティにたどり着いた。その道のりの中で、別れと出逢いがあった。 三日と経っていないのに、懐かしく感じられるほどに。 ともあれ、今いるのは、カナズミシティに匹敵する大都市である。 片田舎で十一年間暮らしていたアカツキにとって、大都市というのは憧れであり、しかし住むのを躊躇わせるシロモノだった。 多少は不便であっても、喧騒がない方がいいに決まっている。 とりあえず、ポケモンセンターへと向かう。 今日はポケモンセンターで休むつもりなので、部屋を確保しておきたいのだ。 ジムに挑戦するかどうかは、それから決めればいい。 慌てなくても、ジムは逃げないから。 「ミシロタウンがいくつ入るんだろう」 故郷とのあまりの格差に、そんなことまで考えてしまう始末。 実際、ミシロタウンの数倍もの面積を誇るキンセツシティは、縦横無尽に道路が走り、標識やら看板で通りがあふれかえっている。 観光客が迷わないようにとの配慮かどうかは分からないが、いろいろと混在してあると、かえって迷ってしまう。 通りには数メートルおきに、モダンな街灯が等間隔に建っている。 夜になると、一斉に点灯して通りを明るく照らし出すのだろう。 中心部には歓楽街があり、カジノや高級ホテルなどが軒を連ねている。 残念ながらアカツキが通っているのはそこからかなり離れた通りだった。 仮に近かったとしても、突き出たビルなどで覆われて見えなくなっている。 どちらにせよ、行く気がない以上は大差なかった。 「やっぱり、ミシロタウンの方がいいや」 カナズミシティ、カイナシティ、キンセツシティ…… 今までに三つの都市を見てきたが、やはり故郷が一番だと思った。 静かで自然が豊かで……環境がいいから。 歩いていくうち、『ポケモンセンターまで300m』と書かれた標識が見えた。 「もうすぐポケモンセンターだ。もう少し、我慢しててね」 アカツキは腰のモンスターボール三つをゆっくりと撫で回した。 街中でいきなりポケモンを出すわけにもいかないし、仮に出してよかったとしても、迷子になる可能性がある。 そうなったら目にも当てられない。 それに、ポケモンセンターなら、ポケモンを出してもお咎めなしだ。 「こんなに人が多いと、目眩がしそう……」 カナズミシティやカイナシティでもそうだったが、アカツキは人込みと言うのが苦手だった。 それくらいミシロタウンの人口は少なく、幅こそ狭くても通りが広く感じられたのだ。 しかし、大都市と言うのは通りを埋め尽くすほどの人で、広い道も狭く感じてしまう。 その上、人が集まると熱も集まるらしく、太陽が雲に隠れているのに、汗ばむくらいの熱気が通りをすっぽり覆ってしまっている。 早くポケモンセンターに行きたい一心で、アカツキはひたすらに足を速めた。 そんな努力が功を奏したのか、意外と早くポケモンセンターにたどり着くことができた。 自動ドアを抜け、空気の新鮮さをより感じる。 センターの中はマイナスイオンをふんだんに含んだ空気で満ちていて、爽やかな涼しさをもれなく与えてくれる。 入るなり、アカツキは深呼吸などしてしまった。 それくらい、大都市の通りというのは性に合わなかったのだ。 アカツキは思う存分空気を肺に溜め込むと、辺りを見回した。 大都市のポケモンセンターらしく、規模はミシロタウンのそれの五倍以上はあるだろうか。 ドーム状の建物で、一階はロビーだけで占領されていた。 二階から五階までが宿泊室になっているようだ。 ロビーは吹き抜けで、天窓から惜しげもなく太陽光が降り注いでいる。 夜は満天の星空を眺められるなど、ロマンチストやカップルにウケがよさそうだ。 床も壁も薄いクリーム色で統一されており、その優しい色彩で気持ちを落ち着けることができる。 入り口からジョーイのいるカウンターまでは一直線で、さえぎるものが何もない。 カウンターの両脇に整然と椅子が数百個(見たところ、それくらいはありそう)も並んでいる。 とはいえ、今は人もまばらで、半分も埋まっていないが。 「やっぱりポケモンセンターも豪勢なんだなぁ……まあ、外よりはマシだけど」 外の騒々しさから比べれば、天と地ほどの差はあるだろう。 そう思いながら、アカツキはカウンターまで歩いていった。 「いらっしゃいませ」 いつもの笑顔が出迎えてくれた。 職業病とも呼べる、同じ笑みを貼り付けた、同じ顔。 どこのポケモンセンターでも同じ顔を見受けられる。 それがジョーイという人間だった。 それぞれにも名前があるらしいのだが、見た目が見た目なので、呼び名としてはジョーイで統一されているらしい。 「ジョーイさん。今晩泊まりたいんですけど」 「かしこまりました。部屋は……」 アカツキの申し出に快諾すると、ジョーイは傍のパソコンをいじり始めた。 客室管理を行っている、ホストコンピューターのようだ。 どこの部屋が空いていて、どこの部屋がすでに使用されているかといった状況は言うまでもなく、室内温度まで把握しているのだ。 ある意味で監視でもあるのだが、それを気に留める人間はいない。 そのまま監視カメラとかをつけられているわけではないからだ。 「302号室になりますね。 これがルームキーです。紛失しないように注意してくださいね」 「あ、はい」 アカツキはカードキーを受け取り、表裏を眺めた。 経費節減でもしているのか知らないが、印刷は簡素なものだった。 差し込む向きと、部屋の番号、それだけが白地にプリントされている。 「ポケモンの回復はご入用ですか?」 「いえ、大丈夫です」 「そうですか。分かりました。ではどうぞごゆっくり」 アカツキはジョーイに一礼すると、ロビーの脇にある椅子へと足を向けた。 倒れこむように椅子に腰掛けて、モンスターボールを手に取った。 三つのボールを掲げ、 「出てきて、みんな」 つぶやくように言うと、ポケモンが一気に飛び出してきた。 アカツキの目の前――左からアリゲイツ、ワカシャモ、カエデ。 「バクフーンっ」 カエデはニコニコと笑みを浮かべながら、甘えるようにアカツキに頬擦りをしてきた。 元来の甘えん坊ということで、アリゲイツもワカシャモもその程度のことなら許すようになったらしい。 それに、背丈が高く、実力も確かなのだろう…… 女の子の機嫌を損ねると後が怖いということを知っているかのようだった。 まあ、それはともかく…… 「そういえば、みんなの毛を梳いたことなかったよね。 いい機会だから、毛を梳いてあげるよ」 笑顔でそう言って、アカツキはリュックから櫛を取り出した。 ポケモンの毛を梳くのに適した、やや大きめの櫛だ。 「アリゲイツからね」 アリゲイツはアカツキの膝に乗ると、満面の笑みを浮かべた。 やはりトレーナーと触れていると気分がいい。 ワカシャモやらカエデやらに株を奪われっぱなしだが、ここで晴れて面目躍如。 一番付き合いが古いということを前面に押し出すように、笑みを湛えた。 アカツキは慣れた手つきでアリゲイツの毛を梳いた。 今までに何度もやっているので、実にフィットしている。 ワニに似ているだけあって、あまり毛は濃くない。 下手に力を入れると地肌に傷をつけてしまうので、力加減が大切だ。 一分ほどでアリゲイツの毛繕いは終わり、次はワカシャモの番。 ワカシャモも、アリゲイツに負けるかと言わんばかりに、アカツキの膝に乗った。 「シャモ〜♪」 櫛が入れられると、ワカシャモは喜悦の笑みを浮かべ、気持ちよさそうな鳴き声を上げた。 ワカシャモがずり落ちないように、片手でその身体を抱きしめる。 「あったかいね、ワカシャモは」 アカツキは心まで暖かくなるのを感じた。 アチャモの頃からそうだが、体内に炎を燃やす場所があるので、抱きしめるとほのかに暖かいのだ。 その暖かさに包まれながら、ゆっくりと毛を梳いていく。 オレンジ色の体毛は意外と濃いらしく、アリゲイツの時には感じられなかった抵抗が手に伝わってくる。 でも、毛並みがよろしいようで、少し梳くだけで抵抗が激減した。 水を梳いているように、ほとんど抵抗がない。 「ふんふんふ〜ん♪」 アカツキはすっかり上機嫌だった。 ワカシャモの温もりに包まれているのはもちろんだが、こういったポケモンのコンディションを整えるのも意外と楽しい。 鼻歌のリズムに乗って櫛を動かす。 「はい、ワカシャモもおしまい」 「シャモ〜」 ワカシャモは残念そうな顔でアカツキを見つめた。 もう終わり? そう言いたそうだった。 でも―― 「ごめんね、カエデが待ってるから」 アカツキの言葉には正直に従った。 膝から降りて、カエデに譲る。 カエデがアカツキの目の前に歩いてきたところで、不意に疑問がよぎる。 「カエデは膝に乗れないよね」 どう考えても無理そうだった。 アカツキは今か今かと待ちわびているカエデの身体を下から上まで、品定めでもするようにゆっくりと見つめた。 身体が大きい分、体重もそれなりにあるだろう。 だから、膝に乗せた日には本気で骨が折れる。 止む無く、アリゲイツとワカシャモとは異なる方法を選んだ。 「カエデ、悪いんだけど、しゃがんでぼくにもたれかかってくれる?」 「バクフーンっ」 カエデはアカツキの言葉に納得した。 自分の身体がアカツキよりも大きいことは分かっていたからだ。 言葉どおり、アカツキの足に、寝転がるようにもたれかかる。 背中の方に毛が濃いのは、見ただけでも分かった。 「じゃあ、やるからね」 アカツキはそう言って、カエデの毛を梳き始めた。 意外と弾力があって、今までで一番力が必要になったが、すぐに慣れた。 適度な力加減を導き出して、カエデの毛を滑らかに梳いていく。 「バクフーン♪」 よほど気持ちがいいのか、カエデはうっとりした表情で、喜悦のつぶやきを漏らしていた。 あまりに気持ちよくて、眠ってしまいそうだ。 深緑色の毛がなびく様は、風が吹き抜けていく草原を思わせる。 「やっぱり女の子なんだね、滑らかになったよ」 クセのない、滑らかな毛。 セイジが手入れを怠らなかったのがすぐに分かった。 毛の艶も抜群で、スポットライトを浴びればキラキラと輝きだしそうだ。 いっそのことポケモンコンテストに出てみようか――などと考えたが、慌てて首を振る。 そして、それを否定する。 ポケモンコンテストに出て何になると言うのだろう。 そんなことにうつつを抜かしているくらいなら、一回でも多くバトルの経験を積むべきだ。 『黒いリザードン』をゲットできるだけの実力を身につけた方がよほど自分のためになる。 ポケモンコーディネーターを目指す人からすれば、聞き捨てならないような考えだろう。 しかし、トレーナーであるアカツキにとってそれこそ正論だった。 「でも、本当にキレイだな……」 見事な艶に、ウットリしてしまう。 アカツキは知らなかったが、バクフーンというポケモンは、バトルにもコンテストにも向いているのだ。 どちらにも通用するだけの実力と美しさがある。 あまりにキレイな毛並みだから、アカツキは時間を惜しまずにカエデの毛を梳いてやった。 もっとキレイになるかもしれない……そう思うと、期待に胸が弾んでしまう。 どれくらいキレイになるだろうと、限界を求めるようなものだった。 カエデの毛を梳き始めてから三十分ほど経っただろうか。 そろそろ同じ光景に飽きて、アカツキの隣の椅子とその隣で、アリゲイツとワカシャモが眠りこけている。 チラリと横目で見ながら、そろそろ終わらせようと思い立った時だ。 櫛を動かす手を止め、不意にカウンターの方へ視線を送る。 誰がそうしろと言ったわけではない。 どういうわけか、向いてしまった――そんな感覚だった。 ジョーイと何やら和気藹々といった雰囲気で話している白衣の女性。 白みがかった髪を背中にまで伸ばしている。 「あ……」 アカツキの口からかすかに声が漏れた。 見覚えがあるような気がしたのだ。 しかし、それが確信に変わるのにそれほど時間はかからなかった。 女性がジョーイから何かを受け取ると、それを腰に差した。 白衣に隠れて見えなかったが、それがモンスターボールであろうことは容易に想像できる。 声が小さいせいで、あまり聞こえないが、その声にも聞き覚えがある。 おもむろに女性が振り返り――アカツキと視線が合った。 一瞬が果てしなく引き伸ばされる。 アカツキにはなぜか永遠のように感じられたが、一瞬はあくまでも一瞬に過ぎなかった。 女性は笑みを浮かべた。 彼女の顔を見て、アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 彼女はこちらへと迷うことなく歩いてきた。 見知った顔だった。 「あら、アカツキ君。久しぶりね……」 笑みを深め、女性――カリンが話しかけてきた。 「カリンおばさん、どうしてここに……?」 アカツキの声に反応したのか、アリゲイツとワカシャモがむくっ、と身を起こした。 見慣れた顔に、すぐに眠気が吹き飛んだらしい。目はぱっちりと見開かれている。 一方、カエデは不思議そうな顔でカリンを見上げていた。 初対面なのだから、それも当然のことだった。 旅に出る前と何ら変わっていない。 銀糸と見紛うほど艶のある白みがかった髪を背中にまで伸ばし、研究者らしく白衣に身を包んでいる。 その下は黒一色のシャツに、ジーパン。 白衣がなければ研究者には見えない出で立ちである。 「あの人に頼まれてね、研究に必要な材料を買いに来たのよ。 カイナシティにも行ったんだけどね、品切れでなかったの。 もしかしたらここならあるんじゃないかって思って、わざわざ足を運んでみたのよ」 「そうなんだ……」 研究に必要な材料ということで、アカツキは納得した。 彼女がここまで遠出するなど、滅多にないからだ。 せいぜいコトキタウンまでしか出かけないとユウキから聞いている。 「君の方も、ずいぶんと遠くまでやってきたのね」 「え、まあ……」 アカツキは頬を掻きながら、彼女から視線を逸らした。 何だか恥ずかしい。 理由は分からないけど、恥ずかしさがこみ上げて来る。 どうしてだろう……考えてはみるけど、答えは出てこない。 「たった半月しか経っていないのに、ずいぶんと成長したみたいね…… ハルカちゃんもそうだったけど、君の方はそれ以上のようだから……」 カリンは胸中で漏らした。 目の前にいる男の子は、見た目こそ半月前と大して変わっていない。 だが、周囲のポケモンや、身にまとう雰囲気はかなり変わっている。 黒い瞳も少し、輝きを増したように思える。 研究者という職業柄、そういった変化を察知するのには長けているから、間違ってはいないはずと確信を持てるのだ。 「君はいい仲間を持ったわね」 カリンは身を屈めて、カエデと向き合った。 カエデに警戒心はなかった。 同姓ということで、いろいろと通じるものがあるのだろうか。 カリンから見たカエデは、よく育てられたポケモンだった。 トレーナーになりたてのアカツキがここまで育てたとは思えない。 そういったことまで、ちゃんと分かった。 「このバクフーン、とても毛並みがいいわ。君が一生懸命梳いていたからね」 優しい手つきでカエデの毛を撫でる。 サラサラした感覚が、とても気持ちよい。 艶もあるし、ほんの少し手を加えれば、ポケモンコンテストでも上位入賞を狙えるだろう。 研究者としての勘はそう告げていたが、それを口にするのは止めておいた。 決めるのはアカツキであって、自分ではない。 「それに、パートナーに選んだアチャモも進化したのね。 こんなにカッコよくなっちゃって」 頭を撫でられ、ワカシャモは気をよくしたらしく、ニコニコと笑みを浮かべた。 ワカシャモにとって彼女は恩人なのだ。 旅立つまで、いろいろと世話になった。 進化しても記憶が消えてしまうわけではないから、ちゃんと覚えている。 忘れられるわけがない。広い庭で、ミズゴロウ、キモリ、三体でいろいろと遊んだものだ。 バトルの相性云々といったものはどこかに捨てたらしく、うらやむほど仲が良かった。 もちろん、今も仲がいいと思っている。 ムロ島ではユウキのジュプトルと、カイナシティではハルカのヌマクローとバトルをしたが、その後は前と同じようにじゃれ合っていた。 「ホント、君がポケモンを大切にしているってのが分かって、私としてもうれしい限りだわ」 兄ハヅキと同じく、アカツキも優しい心の持ち主なのだ。 「おばさん、ユウキには会ったの?」 「ううん、会ってないの。会いたいとは思うんだけどね」 アカツキの問いに、カリンは首を横に振った。 ふっ、とため息を漏らす。 おばさんと言われたことに愕然としたわけではない。 旅に出る前からそう呼ばれてきたので、違和感はない。 まあ、知らない子供に指を差されておばさんと呼ばれれば、当然鉄拳制裁を加えるところだが、アカツキやハルカが相手なら、それもない。 今ではもう、ハルカの母親ともすっかり親友になっているからだ。 主婦という共通項は言うに及ばず、意外と趣味とかも合ったので、話題に事欠くことがない。 いろいろと話すうち、他人から親友へとグレード・アップしたのである。 「でも、連絡を取ったりはしているわ。 そういう意味じゃ、会っていると言うべきなんでしょうけど……」 「そうなんだ……」 「君の方は元気そうね。 口では強がっていたけど、ナオミもいろいろと心配していたわよ」 母親の名前を出され、アカツキは言葉を失った。 そういえば…… どうして今までそのことに触れなかったのだろう。 母親のことはいつだって頭にあった。 ――元気にしているかな? ――ひとりで淋しくないかな? でも、それを口に出したりはしてこなかった。 どうしてだろうと、今さら思ってしまう。 アカツキは笑みを崩した。 深刻な悩みを抱えているような表情に早変わり。 トレーナーの心情を肌で感じ取ったのか、心配そうな視線を向ける三体。 「たまにはテレビ電話で、その元気な顔、見せてあげなくちゃね。 ハヅキ君もいなくなって、ナオミは今ひとりなんだから。 お母さんは、大切にしなくちゃいけない。そうでしょ?」 「う、うん……」 「まあ、今すぐにってワケじゃないの。 一週間に一回くらいでも顔を見せてあげたら、きっと喜ぶわよ」 アカツキはただ頷いた。 お母さんは大切にしなくちゃいけない。 そうだ、その通りだ。 父親とは幼い頃に生き別れて、家族はナオミとハヅキだけ。 ハヅキも自分も旅に出て、あの家に残っているのはナオミただひとり。 「ぼく、お母さんなら大丈夫だって、どこかで思ってたのかもしれない……」 独白めいたように、アカツキはポツリとつぶやいた。 これは独り言だ――胸の内で自分にそう言い聞かせる。 カリンが目を細め、アカツキを見つめる。 そんな視線が目に入らないくらい、アカツキはすっかり感情をナオミに移してしまっていた。 頭に思い浮かべた彼女の顔に、自然と感情が移っていく。 何があっても弱みを見せなかった。 時に優しく、そして厳しく。息子たちの成長を見守ってきた母親だ。 アカツキにとって一番大切な人。 弱みを見せない母親だから、何があっても大丈夫だって、そう思っていた。 そんなはずはないと頭のどこかでは分かっていながらも、それを否定していたのは、強い母親だと信じていたからだ。 皮肉なことに、信じる気持ちが、その弱さを否定していたのだ。 「どんなに強がっていてもね、人って弱いものなのよ。 膝を擦り剥けば痛みだって感じるしね……それを感じない人なんていないの。 だから、表面で強がっていても、心の中じゃすごく辛いことだってあるわ。 私だって、ナオミにはそうなってもらいたくないと思っているの。 だからね、少しでもいいから、顔を見せてあげて。きっと喜ぶわ」 「うん」 アカツキは顔を上げた。 落ち込んでいたような表情も、すっかり取れていた。 思ったより深刻じゃなかったわね…… カリンは目の前にいる男の子にもナオミと同じような雰囲気を感じなかったことに安堵した。 やはり、男の子と言うのは元気でなければ。 「そういえば、君は『黒いリザードン』をゲットしたいのよね?」 「うん」 アカツキが頷いたのに満足してか、カリンは笑みを浮かべて椅子に腰を下ろした。 アカツキは見つめられていることに気づいて、顔を向ける。 彼女はニコニコと笑っていた。 見慣れた笑顔だが、どこか新鮮に感じられる。 きっと、見たことのない笑顔なんだ……アカツキは漠然とそう思った。 思うしか、新鮮と納得できる方法がなかったから。 「それはできそうかしら?」 「今は、まだ……」 頭を振ると、カリンから視線を逸らし、傍にいる三体のポケモンに目を向ける。 彼女と同じように、ニコニコと笑みを浮かべている。 「まだ、リザードンをゲットできるだけの実力がないから。 だから、今はジムを回ってるんだ」 「そう……この街にもジムがあるわね。挑戦するつもりなの?」 「もちろん」 アカツキは大きく頷いた。 彼が『黒いリザードン』を見たエントツ山へ行くには、嫌でもこの街を通ることになる。 ならば、挑戦しておいて損はないはずだ。 新しく仲間に加わったカエデのデビュー戦も含めて。 「ユウキはジム戦とかに興味がないみたいだけど……君は違うみたいね。 ポケモンバトルの実力を身につけて、リザードンをゲットしたいんだから」 「うん。ユウキはおばさんやおじさんのような立派な博士になりたいって言ってた」 「そうね」 カリンは笑みを深めた。 知っている。 息子が何を目標にして頑張っているのかくらいは、当然。 もちろんうれしいのだが、自分たちと同じ道を『歩かせている』ような気がして、どこかいたたまれなくなることだって時にはある。 もっとも、ユウキがその道を選んだのだから、否定するつもりはないし、妨げるつもりだってない。 「この街のジムリーダーは、元気なおじいさんよ」 「おじいさん?」 アカツキはきょとんとした。 ジムリーダーがおじいさん……今まで出会った『ジムリーダー』が若者ばかりだったので、驚くのも無理はなかった。 そんな彼を見つめ、カリン女史は苦笑した。 ジムリーダーだって千差万別。美青年がいれば年端もいかない子供だっているし、天寿を全うする寸前というご老人もいたりする。 まあ、ホウエン地方のジムリーダーで最高齢というのが、キンセツジムのジムリーダーなのだが。 「ワカシャモとバクフーンが活躍してくれると思うわ。 まあ、何タイプが出てくるのか、これで分かったと思うけど……」 さり気ないアドバイスをアカツキに贈る。それが彼女なりの応援だった。 おかげで、アカツキとしてもジムリーダーのポケモンのタイプが数種類に絞られた。 つまり、炎タイプの技に弱いタイプのポケモンだ。 「おばさんは、どうするの?」 「私?」 「うん。ポケモンセンターに来たってことは、ポケモンを休ませたりしに来たんでしょ?」 「そうね。私もポケモンは持っているからね」 頷き、彼女は腰に差してあるモンスターボールを手に取った。 左右に三個ずつで、計六個。 トレーナーが一度に持てる限界ギリギリの数だ。 「私は後で買出しがあるのよ。 それが終わったらミシロタウンに戻るつもり。 あの人を長々と待たせるわけにもいかないからね…… ま、『材料』なんてなくてもあの人は大して困らないでしょうけど、私の研究にも使うものだから、なきゃ困るのよ」 「ふーん」 その材料が何であるか、気にはなったが、敢えて聞かなかった。 聞いたところで、分からないに決まっているからだ。 そんなものよりも、カリンの持つモンスターボールにどんなポケモンが入っているのか。それが気になった。 「おばさんのポケモンってどんななの?」 「この子? うふふ、秘密よ」 しかし、カリン女史はボールを腰に戻した。 見せるつもりがないらしい。 不気味とも思える笑みが、そう物語っている。 「でも、いつかは見せてあげるわ。きっとその時は来るでしょうから」 予言めいた言葉。 アカツキはそれを信じることにした。 彼女が嘘をつかなければならない理由など見当たらないし、それに、彼女が嘘をついたことなど一度もない。 少なくとも、自分の前では。 「ジムにはすぐに挑戦するの?」 「ううん、明日にするよ」 アカツキは即答した。 決めたのだ、今日はゆっくりすると。 人波の中をここまで歩いてきた疲れが、今になって沸いて出てきた。 だから、今日はゆっくり休みたい。 それに…… 「ジムに挑戦する前に、やらなくちゃいけないことを見つけたから」 アカツキは輝かんばかりの笑顔で、そう言った。 その言葉の意味を理解して、カリンも笑みを浮かべた。 第39話へと続く……