第42話 小さな騒動 -Chase a robber- 111番道路を北上し、砂漠の入り口でぶつかる112番道路を西に進むと、フエンタウンがある。 エントツ山の麓に位置しており、登山道はここから始まっている。 エントツ山を登る人ならほとんどが訪れるため、土産物屋や観光客相手のホテルなどが大変繁盛している町である。 規模自体、コトキタウンとほとんど変わらないから、ホテルも実際数が多いわけではない。 よって、多少値段を高く吹っかけても観光客は泊まっていく……とまあ、こんな町に、アカツキはようやっとたどり着いた。 キンセツシティを出発して七日目のことである。 「やっとここまで来たな……」 周囲に山がそびえているところ以外は故郷と大きく違わない町並みを見回しながら、ポツリつぶやいた。 まずはポケモンセンターで休んで、それから登山道へと向かうプランだった。 今は死火山と化しているが、地熱は存在しているため、ポケモンセンターの裏手には温泉が湧いているらしい。 もちろん、トレーナーは無料で温泉に入れる。 そこで今までの疲れを洗い流した後、エントツ山へ向かおう。 そんなことを思いながら、腰のモンスターボールに触れる。 ポケモンが入っているボールは四つ。 五日前に新しくチルットというポケモンが仲間に加わった。 わたどりポケモン・チルット。 キレイ好きなポケモンで、アリゲイツが水遊びで汚れたりすると、綿のような羽根で汚れを拭き取ってくれるのだ。 今ではアリゲイツたちも、昔から知っていたかのように、すっかり仲間として迎え入れている。 アカツキのポケモンはとにかく仲間意識が強い。 それはそれで頼もしいことだ。 綺麗好きで身体を拭いてくれるので、ありがたいと思っているのだろう。 「今ならリザードンだってゲットできるかも……」 いや、きっとできる。 カナズミジム、ムロジム、キンセツジムと、三回もジム戦を経験してきたのだ。 それなりにポケモンバトルの駆け引きも分かってきたし、ポケモンも成長した。 だから、今ならゲットできるはずだ。 そのためにも、今日はゆっくりポケモンセンターで休んで、明日の登山に備えなければならない。 登山道を歩くといっても、そこで見つからなければ、人気のないような場所にも踏み込むことになるだろう。 それなりに準備をしなければ、無謀というものだ。 携帯食糧に、ロープに……必要なものは数限りないが、持っていけるのはリュックに入る分だけ。 「先に部屋を取ってから、フレンドリィショップで買おうかな」 ちょうど見えた看板に『ポケモンセンターまで直進150m』と書かれてあった。 道が弓のように緩やかなカーブを描いているので、ポケモンセンターは見えない。 だが、看板に従って歩くしかなさそうだ。 通りの両脇には何店もの土産物屋が屋台を出していて、観光客相手に商売に励んでいる。 フエンタウン名物のフエン饅頭とか、苦いけど効き目抜群の漢方薬とか。 およそアカツキからすれば縁のないものばかりだが、なかなかどうして、それが意外と売れているようだ。 「みんなに飲ませたら嫌がりそうだなぁ……」 苦い漢方薬。 もっとも、良薬口に苦しという言葉どおり、漢方薬は効能こそ高いものの、例外なく苦いと相場が決まっているのだが。 「でも、意外とカエデは喜びそう……」 苦いポロックが大好きなカエデなら、漢方薬だって平気で飲んでしまうかもしれない。 だが、それを試す気にはならなかった。 というのも、チラリと見たところ、高麗人参を粉末にした薬が、十グラムでモンスターボールが五十個程度買える値段だったからだ。 それ以上安い値札は見当たらなかった。 それからも様々なことが頭をよぎっていく。 「ポケモンセンターの食事だって、苦い味のものはあるだろうし…… カエデにはそっちで我慢してもらおうかな」 ポケモンセンターで出される食事はいくら食べても基本的に無料なので、大食漢のポケモンでも安心だ。 とはいえ、ひとつ気がかりなことがある。 カエデのことである。 女の子ということもあってか、どこか小食気味なのだ。 しおらしいと言えば聞こえはいいが、立派な体格を維持するのに、アリゲイツと同じくらいの量で足りるのかと思うことがあった。 本音は直球でぶつけてくるタイプだから、やせ我慢することは万に一つもないのだろうが…… 「本当に足りるのかな、あれで……?」 見た目にも分かるほどの小食だ。 今のところは何事もないようなので、とやかく口を出すようなことはしない。 それに、カエデは食後、満足げな表情を浮かべているので、それなりにお腹をいっぱいにしているだろう。 「大丈夫だと思うんだけど……」 と、そこでポケモンセンターにたどり着いた。 自動ドアが開き―― 「うわっ!!」 その瞬間を見計らっていたかのように人が飛び出してきた!! 慌てて飛び退いて、体当たりを食らうことはなかったが…… 我ながら、よく避けられたものだと、思わず自分自身を誉めたくなってくる。 「何なんだ、今の……?」 人が走っていた方向に目をやる。 背丈からして男のようだが、赤い頭巾を被っていたから、本当なのか分からない。 ただ…… 「でも、あの服装、どこかで見たような……」 腰までの短いマント、赤い上着、赤い頭巾。 見覚えはあるのだが、いつ、どこで……? 思い出せない。 呆然と小さくなっていく男(?)の背中を見つめていると―― 「待てやゴラぁっ!!」 怒声を発しながら、今度は女性が飛び出してきた。 憤怒で塗り固めた顔をして、猛烈な勢いで男を追いかけていく。 よく見てみれば、十代の少女だ。 アカツキよりは何歳か年上だし、背も少女にしてはそれなりに高い。 丈の短い黒い半袖シャツとジーパンという、今時のファッションに身を包んでいる。 ヘソが少し露出しているのも、今時らしい。 赤とピンクを混ぜたような色の髪は翼のように広がっている。 クセなのかパーマなのかは分からないが、かなり特異な髪型であることに違いない。 腰にモンスターボールを差しているところを見ると、ポケモントレーナーなのだろう。 勇ましい声を上げ、猛然とした勢いはしかし、すぐに途切れてしまった。 ごきっ。べしゃっ。 ポケモンセンターの自動ドアを出て三メートルほどのところにある階段ですっ転んで、無様にも地面に這いつくばってしまった。 「…………」 これにはどう反応すればいいものか分からず、アカツキは硬直した。 こんな時はこうしろというマニュアルはない。 あるとすれば、助けるということになるのだろうが…… いかにもマンガ風のポーズで見事に倒れた少女のもとに、恐る恐る近づいて―― 「あの……大丈夫ですか?」 身を屈め、声をかける。 まさか、こんな程度で意識不明になったりはしないと思うが……しばらく少女は起き上がってこなかった。 がばっ、と突然身を起こした少女は、前方に視線を移して―― アカツキも彼女の視線を追ったが、先ほど飛び出してきた男の姿はなかった。 「うあ〜っ、逃がしても〜たぁっ!!」 「わっ!!」 脈絡なく大声を出され、アカツキはビックリして飛び退いた。 それからしばらく、少女は叫んでいるのか泣いているのか分からないような声を上げ続けていた。 よくそこまで息が続くなあと思いながら、声が止むのを待つ。 途中で声をかけるのも気が引けた。 「最悪やわ……まったくぅ。 あたいとしたことが、どぉしてこんなとこで逃がしたんやろう…… うあ本気(マジ)最悪だっちゅ〜の!!」 少女は頭を抱えて唸ってしまった。 一体どうして叫んでいるのか分からない。 考えられるとすれば、先ほどの男を取り逃がしてしまったことしかないのだが、本人に直接確かめてみないと分からない。 「あの……」 「ん?」 ここでようやくアカツキの存在に気づいたらしく、少女は顔を向けてきた。 愛嬌のある顔立ちも、すっかり台無しだ。 哀しそうな表情で、瞳を微かに潤ませている。 「どうしたんですか? いきなり転んでいきなり起きていきなり叫んだりして……」 「あんた、トレーナーなんか?」 「そうですけど……」 念を押すように問いかけてくる少女に、アカツキは頷いた。 トレーナーかと聞かれれば、そりゃ首を縦に振るしかない。本当のことだから。 その瞬間、少女の瞳が輝いた。 がばっ!! またまた脈絡なくアカツキの腕を取る。 「え……」 いきなりのことに、驚くしかない。 その驚きをよそに、少女が話しかけてくる。 「お願いや、あたいに力貸して〜な!!」 「え?」 「一生に一度のお願いなんや!! あたしの頼みを聞いてほしいんや!! お礼なら何だって、まあ、できることなら何だってしたるから、助けて欲しいんや!!」 「あ、あの、落ち着いて……」 「だ〜っ!! 落ち着けへんからこうして頼んでんねん!!」 捲くし立てるような口調に、言葉を返す気を失ってしまう。 だが、少女はかなり困っている様子だ。 それこそ、こんな時こうしろというマニュアルがあるわけではない。 でも…… 「困ってるなら、見捨てておけないよね……」 優しい男の子だった。 「ぼくで良かったら力になりますけど……あの、何があったのか教えてくれませんか? そうじゃないと、助けるにも助けられないし……」 「そっか……堪忍な。 あたい、どうかしとったわ。こんなに取り乱すやなんて、あたいも、まだまだやね……」 テンションが高かったのを恥ずかしいと思う少女。頬に赤みが差した。 暗に落ち着けと言われていることに気づいたのだろう。 先ほどまでの慌てようとは打って変わって、すぐに落ち着き払ったようで……流暢な関西弁を口にした。 どうやら、それが地のようだ。 「まずは自己紹介からやね。あたいはアスナ。あんたは?」 「ぼく、アカツキっていいます」 「アカツキか。いい名前やな」 「そうですか?」 「うんうん。ま、それはともかくや」 少女――アスナは立ち上がり、埃を払うように、ジーパンを何度も叩いた。 「さっき飛び出した男いたやろ?」 アカツキは首を縦に振った。 刹那、アスナの指がぼきりと鳴った。ギュッと握りしめた拳の中で、関節が鳴ったのだ。 「その男がや、こともあろうにあたいのコータスを持ち逃げしおったんや!!」 「コータス?」 「あたいのパートナーや。せきたんポケモンのコータス。 大きさはあたいの腰くらいなんやけどな、ホンマ可愛いポケモンで、あたいの自慢のポケモンなんや。 それを!! あいつは盗んでいきおった!! 絶対許せへんのや!! てなわけで追いかけてったんやけど、あとはあんたの知っとる通りや。 あたいはこんなとこで無様にも転んでもうて、あの男を逃がしてしもうたんや」 「そうなんですか……」 アスナは怒りに頬を染めていた。 頬に差した朱も、今は怒りの色にしか見えなかった。 彼女が怒るのも当然のことだ。 大切に育ててきたポケモンを奪われてしまったのだから。 それを取り返そうと意気込んで犯人を追いかけるのも、自然な行動と言える。 ……が、取り逃がしたのはさすがに堪えたらしい。 「そういうわけなんや。あんたの力貸してもらうで。ええか?」 「はい」 「ええ返事や。ほな、行くで!!」 アカツキが頷くと、アスナは転んだことなどなかったかのように、地を蹴って走り出した。 「元気な人だなあ……」 変なところで感心してから、彼女の後を追いかけた。 コータスとかいうポケモンを取り戻すと決めたから、ポケモンセンターで部屋を取るのは後回しだ。 いざとなれば野宿をしたって構わない。今までにも何度か野宿してきたから、もう慣れた。 十歩ほど開いていた距離も、すぐにゼロになった。 どうやら、追いつくまでゆっくり走ってくれていたらしい。 通りを横に並んで走りながら、アカツキはアスナに訊ねた。 「ずいぶん距離が開いちゃってるみたいですけど……宛てはあるんですか?」 「まあ、だいたいの見当はついとるんや。 あの格好、テレビで見たことあるさかい……マグマ団っちゅー連中なんや」 「マグマ団!?」 「あんたも知っとんのか?」 「え、まあ……」 アカツキは歯切れの悪い返事をした。 道理で、男の後ろ姿に見覚えがあるわけだ。 マグマ団とは二度ほど遭遇している。 トウカの森、カイナシティの海の科学博物館。 そして、ついさっき三度目の遭遇を果たした。 今までの経験から、ロクでもない連中だということくらいは分かっている。 カイナシティでは三幹部のひとりカガリとポケモンバトルなどするハメになった。 結局、彼女らは何らかの理由で撤退して行ったので、事無きを得たのだが……正直、助かったと思っている。 悔しいが、今のアカツキではとても勝てそうにない。 「あの人はぼくなんかと経験が違うんだ……当分は勝てそうにない」 アスナからコータスを奪ったのがカガリの仲間だとすれば、下手をすれば彼女とバトルすることになりかねない。 そうなったら…… 「アスナさんはどれくらい『できる』んだろう?」 走りながら、ちらりと彼女の横顔を覗き込む。 歯を噛みしめ、必死の形相で走っている。 何としてもコータスを助け出すんだ、という強い意気込みが現れているように思える。 その表情から、バトルがかなり『できる』と思った。 アカツキの視線に気づいてか、ふっと息を吐いて、アスナが言ってきた。 「心配要らへんで。あたいはこれでもバトルは得意なんや」 「そうなんですか」 「ま、大丈夫やで。あんたとふたりでタッグ組みゃ、勝てない相手なんておらんのやからな!!」 高らかに断言までしてくる。 よほどの自信家かと思いきや、どうやらそうでもないようだ。 彼女の瞳はどこか冷めた雰囲気を漂わせている。 大切なポケモンを奪われたのに、冷静さを失ってはいない。 「どこに行ったのかって、分かるんですか?」 「だいたい察しはついとるわ。 最近エントツ山に変な男女が出没するようになったって話聞きよる。 たぶん、そいつらだと思うわ」 「本当に?」 「女の勘を信じ〜や。 ま、それは冗談でな、あたいのじ〜ちゃんの話なんやで」 「おじいさん?」 「そや。 あたいにポケモンバトルを仕込んでくれた、まあ、先生ってヤツやな」 「はあ……」 耄碌した人じゃないかと思ったが、それは違ったようだ。 ポケモンバトルを教える人がそんなことになっているはずがない。 まあ、かなりの高齢であるのは間違いなさそうだが。 「エントツ山に行くんですか?」 「そや。 やつはきっとそこに居る(おる)。 あたいは炎ポケモンが大好きでな、炎ポケモンゆーたらエントツ山しかおらへん!!」 そういえば…… アカツキはつい先ほど脇を通り過ぎた看板に書かれた文字を思い出した。 真っ直ぐ行くとエントツ山、みたいなことが書かれていたような気がする。 「エントツ山……!! もしかして、『黒いリザードン』は……!!」 頭の中で恐ろしい想像が膨らんでいく。 花を咲かせる直前のつぼみのように、ゆっくりと、でも確実に。 「そんなことあるはずないよ。リザードンは誇り高くて強いんだから!!」 脈絡のない想像の飛び方に気づいて、掻き消す。 だが、その余韻はしばらく頭の中に留まりそうだ。 アカツキが不安そうに顔をしかめているのを不審に思ったのだろう、アスナは瞳を細めた。 「マグマ団のポケモンは炎タイプと悪タイプが中心や。 あんた、水タイプのポケモンと格闘タイプのポケモンは持ってっか?」 「え、はい、一応……」 「おし、それならオッケーや!!」 ばんっ!! 勢いよく肩を叩く。 ビックリして、弾かれたように顔を上げるアカツキ。 その目に映ったのは、ニコニコ笑顔のアスナだった。 「あの、アスナさん」 「なんや?」 「マグマ団って、炎ポケモンを探してるんですか?」 「そやな……あたいにゃ分からんけど、あたいのポケモンはそれなりに強いモンやから、盗んでいきおったんやないかと」 「そうですか……ぼくも炎ポケモン持ってるから、心配になっちゃって」 「そっか。そやな……でも大丈夫やさかい。 そんなこと、あたいが絶対許さへん!!」 「アスナさん……」 励まされたような気がして、心なしか足取りも軽くなったように思える。 もしかしたら、マグマ団は『黒いリザードン』を狙っているのかもしれない…… 先ほど思い浮かべた想像とは、それだったのだ。 リザードンは強いポケモンである。 炎タイプの中ではトップクラスと言っても差し支えない。 そんな実力を持ったポケモンを、炎タイプを中軸に据えている組織が放置しておくだろうか? たとえ黒くなくても、リザードンは単体でもかなりの戦力になる。 うまく操れれば、並の水ポケモンなど相手にならないだろう。 だから―― 「これは『黒いリザードン』を守ることにもなるんだ……」 『アスナのコータスを助ける』=『マグマ団を追い出す』=『黒いリザードンの安全を確保する』 そういう方程式がアカツキの頭の中でできていた。 だから、それでいい。自分のやっていることは完全な正解だと確信する。 「エントツ山って一口に言うても、実際はとにかく広いんや。 どこから探すかっていうのが一番の問題やな」 「そうですね」 「登山道は一本道やさかい、逃げ道はあらへん。 ……とすると、考えられるのは山頂だけや」 「どうしてですか?」 脈絡のない話の飛び方に、アカツキは首を傾げてしまった。 道の先に、登山道が見えてきたあたりだ。 「あそこはな、炎ポケモンにとってはええ感じのとこなんやで」 「ええ感じのとこ……ですか?」 「そや」 エセ関西弁の彼女の言葉は、まあなんとなくだけど分かる。 テレビのお笑い番組とかでそういうのを見てきたから、日常会話程度なら分からないこともない。 「普通にしゃべってくれれば一番なんだけど……クセなんだろうなぁ……」 どうやら、その願いは聞き届けられそうにない。 アカツキは胸中でため息を漏らした。 「下っ端連中やったらあたいひとりでもどうにかなるんやろうけど…… ちょい上くらいの連中が出てきたら、さすがにあたいひとりじゃどうにもならへん。 だから、あんたに頼んだってわけや」 「ジョーイさんには話さなかったんですか? だって、ポケモンセンターの中だったし……」 「回復が終わって帰るところにやられたんや。 せやから、ジョーイはんに言う暇なんか、あらせ〜へん」 「はあ……」 一応筋が通っているので、アカツキはため息と共に納得した。 「さて、問題はここからや。 あたいは慣れとるから平気なんやけど、あんたはそうもいかへんわな」 と、アスナは立ち止まった。 「えーっ、何これ!?」 アカツキも立ち止まって、目の前に広がる登山道を見つめた。 それなりに整備されているとばかり思っていたのだが……残念ながら、それは甘かった。 登山道であるはずの山道は、どういうわけかそこら中モグラの大群に穿り返されたかのようにぐちゃぐちゃになっていた。 とにかくデコボコしていて、それが延々と道の先まで続いているのである。 まともに歩けるものではない。 それを、アスナは「あたいは慣れとる」と言ってのけたのだ。 普通の人なら足を取られてまともに歩けない……と言うよりは歩かないだろう。 もちろん、アカツキも歩いていくつもりにはなれなかった。 「あの、これって?」 自然現象ではないと思いつつ、アスナに訊ねた。 ふん。 彼女は荒い鼻息を漏らすと、心底ウンザリしているように言った。 「決まっとる。 あたいが追いかけてくることを見越して、罠張っとったんや。 まったく、おかげさんで『わいはここに逃げましたで〜』って宣言しとるようなモンや」 ニヤリと笑みを浮かべるアスナ。 犬歯が覗き、横から見るとかなり怖く見える。 無論、本人はそんなことを小指の先ほども考えていないのだろうが。 「でも、その逆って可能性……」 アカツキが漏らした心配のつぶやきをかき消したのは、もちろんアスナだった。 「こんな手の込んだことをしといて別の場所に逃げるやなんて、そんなことあらへん!!」 「え……」 拳を握りしめ、絶叫に近い音量で言う。 「誘っとるんや、あたいたちを!! んなあからさまに挑発されとる以上、あたいとしては逃げるわけにいかへん。 あんたも、それくらいは分かっとるやろ?」 「まあ……」 アカツキは頬を掻きながら、とりあえずといった感じで頷いてみせた。 「でも、本当にそうだといいんだけど……」 「あたいはサバイバルゲームで慣れとるからええんやけど、あんたはポケモンの背中に乗るなりして渡った方がええで?」 「じゃあ……」 背中に乗って、ということで思い浮かんだのは、このポケモンだけだった。 「カエデ、出てきて!!」 モンスターボールを腰に差したまま、カエデに出てくるように告げる。 すると、本当に出てきた。 トレーナーの声は、モンスターボールの中にいても聞こえるのだろうか。 言葉が通じれば、そこのところも解明されるかもしれない。 ユウキがこの場にいれば、そんなことを言っていたかもしれない。 モンスターボールから飛び出してきたカエデは、飛び出してくるなりアカツキに頬擦りをした。 彼女なりの愛情表現らしく、顔は恍惚の笑みで彩られていた。 「ほう、バクフーンやないか。 めっちゃ毛並みええやん。珍しいな〜、女の子やで」 アスナはカエデを四方から眺めた。 時には背中を撫でるように触りながら。 カエデは別に怒ったりはしなかった。 女の子だから別によしとでも思っているのだろうか。 「カエデ、ぼくを背中に乗せてここを進んでいける?」 デコボコの地面を向こうまでなぞるように指差しながら問うと、カエデは大きく頷いた。 「よかった。大丈夫みたい」 「オッケーやな。 ほな、時間あらへんで、さくさく行こうや」 アカツキがカエデを選んだのは、身体の大きさだった。 デリケートな女の子にそんなことを面と向かって言おうものなら、間違いなく平手打ちの連打が待っていることだろう。 だが、その分頼りにしているのだから、一概に悪いことばかりではないのだろうが…… 受け取る側の気持ちひとつで変わるかもしれない。 カエデが身体を屈める。 地面に四本の足をつけて、アカツキが背中に乗れるようにしたのだ。 「カエデ、ごめんね。少しの間だから、我慢してね」 「バクフーン」 カエデは「気にするな」と言った。 「ありがとう」 アカツキはぺこりと頭を下げて、カエデの背中に乗った。 ふわふわした体毛の感触は絶品で、高級なソファに腰掛けているような気分にさせる。 もちろん、今はそんな気分に浸っている場合などではない。 「ほな、行くで」 「はい!!」 アカツキが頷くが早いか、アスナはデコボコした道へと踏み出した。 少し遅れて、アカツキを乗せたカエデも駆け出した。 ポケモンであるカエデはともかく、いくらアスナでもこればかりは時間がかかるかも…… そう思っていたが、これも甘かった。 アスナはまるでダンサーのような華麗な足取りで、自身が言うとおり「さくさく」と道を進んでいく。 カエデは当然苦もなく進んでいるのだが…… 「すごい……サバイバルゲームってこんなことするんだ」 アカツキは変なところで感心していた。 彼女の脚力やバランスは確かなものだが、それさえ置き去りにしてしまう。 膝をバネのように巧みに使って、抜群のバランスで次から次へとデコボコな地面に飛び移っていく。 半ば人間離れした、ダンスでも見ているかのような華麗なステップに、アカツキでなくても見惚れるだろう。 「しっかし、大胆なことしてくれるもんやな。 後々直すの大変や」 「そうですね……あ、もうすぐ終わるみたいだ」 「そやな。そこからは全力ダッシュや。カエデゆーたな、あたいも背中に乗せてもらえへん?」 「バクフーン!!」 カエデは駆けながら頷いた。 おてんば盛りの女の子という共通項が、親近感を抱かせているのかもしれない。 初対面の相手でも気兼ねなく背中に乗せるという豪胆さ。 さすがと思わずにはいられない。 走り出して一分と経たずに、ふたりと一体はデコボコした地面を走破した。 普通の人間なら十分はかかるであろう道のりを、実にあっさりと乗り切ってしまったのだ。 これには、この罠を張った張本人も唖然としていることだろう。 まあ、それはともかく―― 「カエデ、アスナさんを乗せてあげて。大丈夫?」 「バクフーン!!」 ひとりもふたりも変わらない。 そう言いたげに、応えるカエデの声は大きく力強かった。 「ほな、世話になるで」 アスナはアカツキの後ろに乗った。 カエデは四つんばいの状態で、アスナを乗せると駆け出した。向かうべき場所は、分かっているのかもしれない。 「さあ、カエデ。ゴー!!」 道の先を指差して号令を下すと、カエデは勢いよく駆け出した!! 「わっ!!」 あまりの勢いに、その場に取り残されるような、後ろ髪を引かれるような感覚に襲われる。 危うく落とされそうになるのを、アスナが後ろから支えてくれた。 チラリと視線を走らせると、彼女は得意げな表情を浮かべていた。 「これくらいでへこたれてどうするんや、男やろ!?」 そう言いたそうな眼差しは、本気で笑っていた。 まあ、それは些細なことだ。 確かに取り乱したのは自分自身。彼女からそのようなリアクションを受けるのも、仕方がないと言えば仕方がない。 「しっかし、あんたバクフーンなんか持ってたなんてな……さすがのあたいもドキッとしたで?」 「まあ……トレードしたポケモンなんです」 「トレードかぁ……ホント、あんさんええ商売してはるわ。 カエデゆ〜たか、このバクフーンな、毛並みは最高に美しいで。 これは滅多にお目にかかれへん。あたいが見てきたバクフーンの中では最高にええで」 「ありがとう、アスナさん」 エセ関西弁で分かりにくい表現も多々あったが、素直に誉めてくれていることくらいは分かった。 アカツキとしても、自分のポケモンが誉められるのだから、うれしいに決まっている。 確かに、カエデはアカツキのポケモンでは最強の戦力と言ってもいいだろう。 正直、これからは当分の間、彼女に頼ることになるのだろう。 アリゲイツとワカシャモの影が薄くなるのは言うまでもないが、それは仕方のないことだ。 彼らの努力で、存在感を濃くできればいいのだが。 ふたりと一体は、平らになった山道をこれ以上ないほどのスピードで突き進んでいた。 どうやら罠はあれだけだったらしい。 これだけやれば大丈夫と高をくくっていたのなら、彼らを甘く見すぎていたということに他ならない。 まあ、アスナだけがここにやって来たとしても、それは同じだったのだろう。 猛スピードで突き進むカエデの前に、思わぬ障害が立ちふさがった。 ものの十分ほどで中腹までやってきたところで、登山道が終わってしまったのである。 登山道の終点は見晴台とロープウェイ乗り場になっている。 「いない……」 「もっと上に行ったようやな。あそこ、立ち入り禁止の看板見えるやろ?」 「あ、はい」 ロープウェイ乗り場の近くに、確かに立ち入り禁止と大きく書かれた看板がある。 それだけでなく、厳重に鉄鎖を巻きつけた支柱が左右にそびえており、人の力でどうにかして向こう側へ行くのは不可能だろう。 だが―― 「あれ? 切れてる?」 「そや、切れとるで」 しっかりつながっていると思っていた鉄鎖は、真ん中で切れていた。 だが、それを隠すために、無理やりくっつけたような感じだった。 「ってわけで、あたいのコータス盗んでったヤツはあの向こう、山頂におるわ。 レッツ・ゴーや!!」 「はい。カエデ、行くよ」 「バクフーン!!」 決まってからは早かった。 カエデは立ち入り禁止の看板めがけて駆け出した。 できるだけスピードを上げて、看板の前で大きくジャンプ!! ふわりとした躍動感が身体を包み込む。 「空を飛んでる!!」 短い間だが、アカツキは空中旅行を楽しんだ。 カエデは支柱の間をあっさりと飛び越えて、『つづらおり』の道へと着地した。 『つづらおり』……それは、山折り谷折りをくり返した折り紙のように、左右両端で手前と奥につながっているような形状を言う。 ともあれ、幾重にも層を成すその道は、徐々に山頂へと延びている。 着地して、カエデは再び駆け出した。 立ち入り禁止だけあって、道は先ほどほどではないがデコボコしていた。 大小さまざまな大きさの石がゴロゴロしていて、お世辞にも歩きやすいとは言えない。 そんなのをものともせず、カエデはアカツキとアスナを乗せたまま、ひたすら走っていくばかり。 折り返し地点ではちゃんとスピードを曲がり、絶妙なコーナリングを見せる。 レーサー顔負けのコーナリングに、アスナは口笛を吹いた。 『つづらおり』とはいえ、ひとつ上の道へとジャンプすればいいと考える人は甘い。 実際、十数メートルほどの高低差があるので、面倒でも道なりに行かなければならない。 クライミングに自信があって、さらに走ったよりも登った方が早いという前提がなければ。 「あ、いた!!」 「えっ!?」 アカツキがふたつ上の道を指差して叫んだ。 アスナは彼の指の先を追って―― 見つけた。 一生懸命になって走っていく男の姿だ。 アカツキの声に気づいたか、男はチラリと視線をこちらに向けて――ギョッとした。 「もう追いついてきたのか!! しかも、やたらと足の速いポケモンに乗ってやがる!!」 一瞬だけ向けてきた視線は、アカツキにもアスナにもそう解釈できた。 アスナは口元を緩めた。 やっと追いついた。 「こらぁ、ポケモン泥棒!! 今からそっち行くから覚悟せえや!! こら、逃げんなや!!」 当たり前だが、彼女が口上を述べている間、男は立ち止まったりしなかった。 カエデが問答無用で追いかけているからだ。 傍目に見ても分かるほど、速度の差は明らかだった。 人間がポケモンと徒競走したところで勝てるはずがない。 よほど足の遅いポケモンになら勝てるだろうが、生憎とカエデはスピードに優れている。 陸上の世界記録保持者(レコードホルダー)でも勝つことはできないだろう。 「絶対叩きのめしたる!! あたいの可愛いコータスを盗んだってことを、あっさり死んだ方が楽ってくらい、死ヌルほど後悔させたるわ、覚悟せえっ!!」 アスナは拳を硬く握りしめ、叫んだ。 彼女の額には、幾筋かの血管が青く浮き出ていた。 「すごく熱い人だな……」 アカツキはアスナが放出する気迫を背中にひしひしと感じながら、道の先を見つめた。 そろそろ、ふたつ目の折り返し地点に差し掛かろうとしていた。 第43話へと続く……