第43話 理解不能な理念 -Principle- 「逃がさへんで、ポケモン泥棒!!」 怒声がエントツ山に響き渡った。 声の主は、もちろんアスナである。 アカツキと彼女は、カエデの背に乗って颯爽と『つづらおり』の山道を登っていた。 ひとつ上の道には、アスナからコータスというポケモンを盗んだ男が必死の形相で駆け上がっていくのが見える。 だが、カエデとのスピードは如何ともし難いほどの差なので、追いつくのは時間の問題だ。 山頂まではあと少し。 普通に歩いていれば今頃まだ中腹にも到達していなかっただろうが、何しろカエデの足が速いのだ。 「カエデ、少しくらいならスピード落としてもいいよ。十分に追いつけるから。ね?」 カエデはトレーナーの言葉に頷いたが、スピードを少しも落とさなかった。 アカツキとしては、カエデに無理をしてもらいたくなかったのだ。 最悪、マグマ団とバトルすることもあり得る。 その時のために、少しでも力を温存しておいてほしいのだ。 なにせカエデはアカツキのチームの主砲的存在である。 男は時折こちらに振り向きながら、かわいそうになるくらい必死な形相で山道を走っていく。 その表情には疲労と驚愕が色濃く浮かんでいた。 捕まったら何をされるか分からない――アスナが放つ強烈な迫力というか殺気に、すっかり怯えてしまっているのだ。 文字通り、脱兎のごとく逃げている状況。 「しっかし、なんやしぶといやっちゃな……まだ走れるだけの体力残しとるんやから」 アスナは肩をすくめながら、呆れているのか感心しているのか分からないような、ウンザリした口調でポツリと漏らした。 両方かも……アカツキはそう思った。 殺気すらモロに放っている女性に追い立てられて、冷静でいられる男は存在しない。 女性が異常なほどに強くなっている時代なのだ。 おかげで男は時々足を縺れさせながらも、懸命に逃げている。 「こらぁ、往生際悪いでぇ!! 男なら男らしゅう、観念せえやっ!!」 当然と言えば当然だが、男は立ち止まったりなどしなかった。 追いつかれたらヒドイ目に遭うに決まっているからだ。 足の痛みをこらえて、ひたすらに逃げる、逃げる!! 「なんだか、かわいそうだな……」 なみだくましいほど必死な様子に、アカツキは男に哀れみすら抱いてしまうほど。 「追いついたら絶対ボコったるからな、首洗って待ってなや!!」 ストレスを発散するように、アスナが感情に任せて叫ぶ。 ギュッと拳を強く握りしめている。 マニキュアを塗った爪が皮膚に食い込んで痛むが、要するに、それくらい強い怒りを抱いているのだ。 縦しんばおとなしくコータスを返したとしても、タダでお帰り願うわけにはいかない。 気が済むまでひたすら殴る。 死なない程度にボコッてから、簀巻きにして警察に突き出す。 それや、それしかあらへん!! アスナは胸中で野望の炎を強く燃え上がらせた。 瞳すら燃えているように見えるのは、気のせいだろう。 男との距離は徐々に縮まっていく。 やはり、どうあっても人間がポケモンの脚力に勝つことはできないと。 次の折り返し地点を行けば山頂というところにまでやってきたところで、やっと男に追いついた!! 男が麓から休みもせずここまで走破したことは賞賛に値するのだろう。 しかし、やったことを考えれば、とても誉められるべきものではない。 「やっと追いついたで!! コータス返せえや!!」 「ちっ……!!」 男は追いつかれる直前に、手に持ったモンスターボールを山頂へと投げた!! 垂直にそそり立つ崖は高さおよそ五メートル。それを超えれば山頂だ。 「誰か受け取ってくれ。炎ポケモンだ!!」 男が叫んだ瞬間。 ばんっ!! 手加減無用のカエデの体当たりが、男を吹き飛ばした。 ボールのように何度も跳ね、地面を転がっていく。 「おまえの働きはムダにせん!!」 山頂から声が聞こえ、カエデの背から降りたアカツキとアスナは振り仰いだ。 崖の上に、モンスターボールを右手に掲げた男がいた。 炎を思わせるペイントの服に、一体となっている赤頭巾。 頭巾には角のような飾りがついている。 間違いない、倒れた男の仲間……マグマ団の一員だ。 「こらそこのオヤジ!! あたいのコータス返さんかい!!」 「ふ、悪いがそういうわけにはいかん!! これは我々にとって大切なものだからな、何があっても返すわけにはいかんのだ!! 返して欲しくば、ここまで来るがいい!! わはははははははっ!!」 嘲るような表情で高笑いを浮かべ、男は引っ込んでいった。 「うがーっ、むっちゃ腹立つ!! 絶対後悔させてやるぅっ!! 待っとれよ、このヤロー!!」 アスナは男の余裕振りを見て、頭をむちゃくちゃに掻きむしり、激昂した。 あからさまに馬鹿にされて我慢できるほど我が強いというわけではないのだ。 年頃の女の子は、些細な言葉にも敏感に反応するということか。 「アカツキ、あの余裕かましとった男を追いかけるで!!」 「え、あ、うん!!」 アカツキはカエデが吹っ飛ばした男に視線をやりながらも、アスナの言葉に頷いた。 その男はコータスのモンスターボールを持っていないのだ。 構うだけムダ。 一刻も早く、余裕をかましていた男を追いかけなければ。 追いついたと思ったら、別の仲間にバトンタッチするとは…… 男からすれば最善策だったのだろうが、アスナにとっては最悪と言うほかない。 頭に完全に血が昇っているらしく、アスナはカエデに乗ることなく、自分の足で地面を蹴って駆け出した!! 「カエデ、行くよ!!」 「バクフーン!!」 アカツキとカエデも倒れた男など放っておいて、アスナの後を追った。 それからほどなく、ふたりと一体は山頂にたどり着いた。 どこの山でも同じことだが、裾野が一番広く、山頂が一番狭い。 もちろん、エントツ山も例外ではなかったが、その割にはかなり広く感じられた。 登山者のコースに含まれていないだけあって、ゴツゴツした岩場が広がっている。 と、山頂には先客がいた。 カエデの体当たりで吹っ飛んだ男と似た風貌の男女数十人が、出来の悪い卒業写真のようにずらりと一列に並んでいる。 その中に、先ほどコータスのモンスターボールを受け取った男も含まれていた。 やっと追いついたか……そう言いたげに口の端をゆがめてこちらを見ていた。 そして、彼らの前に、スラリと背の高い銀髪の男が立っている。 服装こそ背後の連中と似ているものの、雰囲気はまるで違った。 「こいつは……」 アスナは熱が一気に冷めていくのを感じた。 男の冷たい視線が、氷のように突き刺さる。 アカツキも、男が放つプレッシャーに似たものを肌で感じ取り、視線には射竦められてしまった。 細身の体格で、見た目こそ迫力も何もなさそうな男だ。 それなのに、どういうわけかその雰囲気は棘が生えたように、全てを拒絶するように尖っていた。 「ようこそ、山頂へ」 銀髪の男が事も無げに言ってくる。 本来は労いの言葉なのだろうが、全然そうは聞こえない。 というのも―― 「どうやらあたいたち、招かれざる客ってやつみたいやね?」 「まあ、そういうことになるな」 アスナが漏らすと、男は腕を組み頷いた。 「あんたら、マグマ団やろ?」 「そうだ。しかし、部下の一人がヘマをしてな。おまえに追いかけられる羽目になってしまった」 「ありがたいことさね。おかげでここまで来れたんやからな」 「ふふ……」 男は不敵な笑みを浮かべた。 「この人……」 アカツキは全身が粟立つのを感じた。 末恐ろしい何かが、身体の中に入り込んでくる。 艶のある銀髪。整った顔立ち。 ここまで来れば立派に美青年と呼べるところだろうが、残念ながら少々歳を取ってしまっているように見える。 二十代後半から三十代前半だろうか。 大概の女性は、そんなハンサムな彼に微笑みかけられればメロメロなのだろうが…… しかし。 「なんで、こんなに……」 どこかで会ったことがあるような気がする。 もちろん、顔に見覚えはないし、その雰囲気は知人のものでは到底ありえなかった。 「あれ、おかしいな……どうしてこの人のこと、こんなに気になるの?」 疑念に心の耳を傾けていると、男の視線がアカツキに移った。 胸が詰まるような気がした。 息苦しさではない。 ただ……得体の知れないものが目の前にいるような、そんな感じだった。 「ひとりではなかったのだな」 「そっちを期待してたんか?」 「いや、どちらでも構わない」 言葉が終わるか終わらないかというところで、ピピピピピ、と電子音が鳴った。 「ん?」 男の眉が微かに動く。 右手をズボンのポケットに滑り込ませ、小さな塊を取り出した。 電子音に合わせるようにランプが点滅する。携帯電話だった。 「俺だ」 男が携帯電話に出ると、後ろに控えていた男女がさっと彼の前に躍り出た。 携帯にかまけている間にアスナが変なことをしないようにと展開したのだ。 「ちぇ……」 それを狙っていたアスナは舌打ちするしかなかった。 ポケモンバトルの腕には自信があるのだが、いくらなんでも多勢に無勢だ。 お世辞にも有利と呼べる状況ではない。 「なに、些細な阻害だ。 これから排除する……おまえもここに来い。ひとりでは骨が折れそうなのでな。 ああ、分かった。 連中はそちらに送ろう。その方が捗るだろう? ああ、ではまた後ほど」 男が携帯をポケットに戻した。 一体何を話していたのか、小声でほとんど聞こえなかった。 聞こえないように意識して、声を潜めていたのは間違いない。 とはいえ、話が終わるまでアスナもアカツキも何もできなかった。 「おまえたちは総帥(リーダー)のもとへ行け。 ここは俺が引き受ける。後でカガリも合流してくるから心配するな」 男が冷たく言い放つと、数十人の男女は一糸乱れぬ動きで男の背後へ走り去っていく。 もちろん、コータスのモンスターボールを持った男も一緒に。 「あ、こら、逃げんのか!!」 アスナが声を荒げた。 「アスナさん、ダメだよ!!」 アカツキは今にも走り出しそうなアスナの腕をつかんで止めた。 いくらなんでも多勢に無勢。 あきらめるのが嫌いな性分であるアカツキも、これが愉快でない状況であることくらいは理解できる。 「カガリ……!?」 アカツキはポツリと漏らした。 カイナシティの海の科学博物館で図らずもポケモンバトルを繰り広げた相手である。 確か、マグマ団三幹部のひとりと言っていたか。 よくよく思い返してみれば、銀髪男の傍に控えていた男女は、カガリの部下と同じ服装をしていた。 赤い頭巾で細かな表情までは読み取れない。 つまり―― 「その人たちの仲間!?」 そうとしか考えられなかった。 それに…… 「あんた、何者や?」 渇いた声で問いかけるアスナ。 目つきを尖らせて男を睨みながら、モンスターボールを手に取る。 いつでも戦えるように。 「おまえの想像通り、我々はマグマ団だ。 後学のために教えておいてやろう、物好きな少年と少女よ」 男はやたらと居丈高な態度で――その瞳は氷のように冷たく、アカツキとアスナを見下している。 「さっきカガリって言った……?」 「言った。 ふむ、なるほど。おまえがそうか。 カガリから報告を受けていたが……物好きだな。 このようなところにまでやってくるとは……勇気と無謀を履き違えるのは、若さゆえの過ちではあるのだがな」 男は口元を緩めた。 本人は他愛なく笑っているつもりなのだろうが、氷のような冷たさを増幅するだけの結果にしかならなかった。 アカツキは一歩も動けなかった。 男が放つ強烈な雰囲気に、射竦められてしまったのだ。 もっとも、それはアスナも同じことだった。 モンスターボールを手にしながら、それを投げることさえでいない。 男は腰にこそモンスターボールを差しているが、手には持っていない。 それが『ただの男』と呼ぶのを躊躇わせる。 「確か、おまえとはトウカの森で会っているな」 「え……?」 アカツキは耳を疑った。 いきなり何を言い出すかと思ったら、よりによってトウカの森でのことだと? 確かあの時は、タイムオーバーでマグマ団の男女を追い払うことができたのだが…… もう少し時間がかかっていたら、間違いなく負けていた。 いや、すでに負けていたのかもしれないが、あれは後味の悪い結果だった。 そして―― 「まさか、あの時のもうひとりが……」 フードを目深に被り、顔を確認できなかった男。 それが今、目の前にいる。 冗談だと笑いたかったが、それはできなかった。 男の妙な迫力が、それが本当であることを如実に物語っている。 アカツキは肌でその存在を感じ取った。 あの時の男だと!! 「あれから一月も経っていないが、なかなかいい面構えになっているな。 トレーナーとしての経験を積んだことがよく分かる」 「何が言いたいんや? 時間稼ぎやったら、許さへんで!!」 「そのつもりはない。 だが、そのつもりがあったとしても、必要はない」 「そういうことよ」 男に同調する声は、背後から聞こえた。 慌てて振り返ると、赤いマントを羽織った黒髪の女が笑みを浮かべて立っていた。 マグマ団三幹部がひとり、カガリだ。 「どういうつもりか知らないけれど、わたしたちの邪魔をするというのなら、容赦はしないわ。 今のことを忘れ、すぐに立ち去るというのなら、見逃してもいいわよ。 これは警告。いいわね?」 「冗談言うなや!! あたいのコータスを返してもらうまで、絶対に許さへん!!」 「やれやれ……」 大声で反論するアスナに視線をやり、肩をすくめるカガリ。 どんなことを言ったところで、彼女がいきり立つことは分かっていただろう。 言ってもムダだったかしら……深まった笑みと、覗いた犬歯がそう物語っていた。 嫌でも分かってしまう。 「だいたい、なんであたいのコータス盗ったん? あたいはそこんところがよう分からんのや」 「そういえば……」 言われてみて気がついた。 どうしてマグマ団はアスナのコータスを盗んだのだろう? 事実だけが状況の矢面に立っていて、その向こう側を見ようとはしなかった。 その理由は、前後から挟み撃ちにしているふたりがそれを握っている。 どうにかして聞き出したいのだが、そうそう上手くいくかどうか……そう考えた時だ。 アカツキの心情を見透かしたかのように、カガリが口を開いた。 「炎ポケモンは我々にとって必要な存在だからよ」 「カガリ。余計なことは言わなくてもよかろう」 「まあまあ、そう言わないの。 せっかくの客人なんだから、何のもてなしもせずに帰すというわけにもいかないでしょう?」 「余計なことまで吹き込む必要はあるまい」 「まったく、頭が固いんだから……」 いつの間にか世間話に変わっていた。 余裕を見せていられるのは、彼らがトレーナーとして優れた技量を持ち合わせているからだった。 余裕綽々と見せつけられたような気がして、アスナの頭に血が昇る。 だが、自分を律するだけの理性はまだ残っていた。 コータスを助けなければならないという使命感が、オーバーヒートを辛うじて防いでいるのだ。 「まあ、よかろう。 どのみち、ここまで来た以上、しばらくは窮屈な思いをしてもらうことになるからな」 「なんだ、分かっているじゃないの、リクヤ」 「おまえに乗せられた気もしないわけではないが、仕方あるまい」 銀髪の男――リクヤはふっと息を吐き、腰のモンスターボールを引っつかんだ。 「そういうわけだ。 おまえたちにはしばらく捕虜になってもらう」 「捕虜? それって……」 「抵抗できないようにモンスターボールを取り上げた上で、暗い部屋でじっとしててもらうってことよ」 カガリが不敵な笑みを浮かべる。 アカツキはその笑みを見て、身体が強張っていくのを感じた。 とてつもないことをサラリと言われたような気がした。 「その前に、や。 あたいのコータスを盗んだ理由、聴かせてもらうで。 もちろん、あたいたちは負ける気なんてサラサラあらせえへん。 あんたらぶちのめしてフエンタウンに帰るんや」 「まあ、いいでしょう。 どうせあなたたちに勝ち目はないんだから、話してあげるわ。 まあ、同情とかじゃないわよ。それくらいならいいっていう打算ね」 「カガリ……余計な題目は要らん。肝心なところだけを話せ」 「はいはい」 もはや夫婦漫才。 それを突っ込む気が起こらないのは、窮地に置かれているからだ。 アスナがトレーナーとしてどこまで『できるか』はともかく、相手はマグマ団の幹部なのだ。それも、ふたり。 カガリが幹部であることは、以前のバトルで証明済み。時間を稼ぐことが精一杯だった。 まともに戦っていては、まず勝てなかった。運が良かっただけとしか言いようがない。 リクヤも恐らくはカガリと同等かそれ以上の実力の持ち主と見て間違いない。 落ち着き払った物腰、心まで貫くような冷たい瞳。 幹部にタメ口利けるのは、同等あるいはそれ以上の地位の者だけだ。 「あなたたちに教えてあげるわ。マグマ団の理念を……究極の目的をね」 「理念?」 「そうよ。我々マグマ団は、陸地を広げるために活動をしているわ」 「陸地を広げるやて? どういうことや?」 「最後まで聞きなさい。質問はその後」 教官ぶった語り口で、カガリはアスナの質問を避わした。 これ以上の客人が来ないと言う前提があるからこそ、本来は秘密であるべきことを話せるのだ。 「陸地が広がれば、人やポケモンの住む場所が増えるわ。 その一環として、今回はこのエントツ山に目をつけた……どうしてだか分かる?」 「分からへん。 人のポケモンを盗んでいきおる男を抱えとる組織の理念なんてあたいの知ったこっちゃないんや。 どうせ、ロクでもないことに決まっとる」 「あらあら、手厳しいわね」 敵意むき出しのアスナの言葉に、カガリは苦笑した。 アカツキは―― 話こそ聞こえていたが、上の空だった。 先ほどからずっと自分を見つめているリクヤから目を反らせないのだ。 心を奪われたように、何をする気も起こらない。 そんな間にも、ちゃんと話は進んでいた。 「エントツ山はかつて火山だった……それは知っているわね? 今は死火山で、噴火なんてしないわけだけど。 各地から炎ポケモンを集め、炎のエネルギーを集めることで、再びこの山を活火山に戻す。 そして、噴火すれば溶岩があふれ、海に達したなら冷え固まり、陸地が広がる…… 新たな人間とポケモンの理想郷を作るために!!」 「……なっ!!」 それにはさすがにアカツキもアスナも言葉を失った。 リクヤは当然驚きもしない。 ただ、眉を微かに上下させるだけだった。 カガリが語る理念のために動いているのだから、当然といえば当然だ。 「噴火させるっちゅ〜のがどういう意味か、あんた分かっとるんか!? 溶岩流はポケモンや人の住む場所を容赦なく奪っていくんや!! そんなことまでしてどうして陸地を広げる必要が、どこにあるというんや!!」 アスナは猛り狂ったように叫んだ。 炎ポケモンがどういうものかを知っているだけに、熱がこもる。 「あんたらにそんな権利なんてありゃせえへん!!」 「なら、おまえにならあるのか?」 「……あるわけないやろ。んなの、誰にもありゃせえへん!!」 「ふむ、いい答えだ。 おまえのコータスも、我々のために働くことになる。 この火山を噴火にまで導いた後は、さり気なく持ち主に返すつもりなのだがな……」 「そんなことさせへん!! な、アカツキ!! あ、アカツキ、どうしたん?」 「え……」 アカツキはアスナの顔を見つめた。 鬼気迫る表情で、悲壮な決意すらにじませた彼女の表情は、あまりに痛々しく見えた。 「アカツキ……?」 リクヤが怪訝そうに眉をひそめる。 アカツキもアスナもそんな彼の様子を見てはいなかったが…… 「あんただって許せへんやろ!? 陸地広げるなんて、んなせえへんでもええことのために、炎ポケモンが使われとるんや!! さっき逃げて行き居った連中が恐らくはそのポケモンを持っとる。 あんただって炎ポケモンの一体は持っとるやろ!?」 「あ、うん」 「だったら分かるはずや。自分のポケモンがそんなことに加担することの意味を!!」 「あ……」 火山を噴火させることに加担する。 今ではとても考えられないが、昔は火山が活発に活動していて、ほんの気まぐれから噴火を起こした。 溶岩流が麓を流れ落ち、触れたものすべてをことごとく飲み尽くした。 地獄絵図とはそのことを言うのだ。 アカツキも絵本やらドキュメンタリー番組などで、そういったものを見てきた。 だから…… 「そんなことさせちゃいけない」 きっぱりと言った。 リクヤの目を真っ直ぐに見据えて。 「誰かのためだからって、他の人を傷つけたりしていいなんて理由にはならないよ」 「なるほど……だが、子供の美徳が大人の理念と同じであるとは思わないことだ」 ありったけの気持ちをぶつけるようなアカツキの言葉を、しかしリクヤは一笑に伏した。 子供と大人の違いを教えるような言葉で。 地割れのように、埋めようとしても埋めきれない隔たりを感じ、何も言い返せなかった。 大人の都合で動いている世界。 そこでは子供の都合など圧殺されてしまう。 何を言っても聞き入れてもらえない、心にまで届かない。 それに似たものが今、ここにある。 「いつか誰かがやらなければならないことだ。 世界的に陸地は不足している。 これからの人口増加に加え、食糧危機なども実しやかにささやかれている。 それらを恒久的に解決するには、陸地を広げることが一番だ。 陸地が広がれば、農地も増える。農地が増えれば作物も多く採れ、食糧危機は回避される。 食糧が不足しなくなれば、人類が救われる」 「…………そこまで考えとったんか、あんたら?」 アスナは感心するよりもむしろ、呆れてしまった。 それが実行されるのがいつになるかも分からない、ある意味で気の遠くなるような話。 まるで神話のような、現実感を欠いた話を事も無げに、サラリと口にするのだ。 「だったらわざわざ炎ポケモンを誘拐してくることなんてなかったんじゃ……」 「そうね。でも、政府がそれを許すとでも思っているの? 身勝手なことをされたら、後々余計な火種を残すことになりかねないから…… だから、わたしたちがやっている。それだけのことよ」 躊躇いがちにアカツキが言うと、カガリは頭を振った。 「アカツキ、もうええわ。 延々話しとったって、平行線のままや。 言葉でどうにもならへんのなら、実力で証明せなあかん!!」 「もともとそうするつもりだったようね。 まあ、わたしたちも同じことだけど」 「そうだな。あちらはホムラに任せてあるから大丈夫だろう。 我々はここで『余計な客』のお相手をして差し上げよう。 元々、そのために俺はここにいたのだからな」 リクヤはモンスターボールを手に取った。 口元に笑みが浮かぶ。自分たちの優勢を確信している証拠だった。 数の上では彼らの方が有利なのだ。 「さて、手加減なんて要らないわね。フルバトルと行きますか?」 「そこまでしなくてもよかろう。 おまえのポケモンを間違って攻撃しないとも言い切れん。混戦は苦手でね」 「そうだったわね。それじゃ、普通に、シンプルに行きましょうか」 「分かった。カガリ、アスナは任せよう。俺はこの子の相手をしよう……」 「あら、あなたにしては珍しい考えね」 「ふ……アスナより、こちらの方が手ごわいかもしれんからな。 一応、おまえの報告を信じないわけではないが」 「分かったわ。 というわけで、あなたの相手はわたしがすることになったわ。 同じ炎ポケモン使い……親近感が沸くわね」 「はん、短い付き合いになると思うで? 後悔しても知らへんからな」 アスナとカガリが向かい合い、睨み合う。 見えない火花がスパークして散っていくのを、雰囲気から感じ取れた。 そして、アカツキも…… 「アカツキといったな。 おまえの相手は俺がする。 間違ってもアスナを助けようなどとは思わないことだ。おまえに余裕はない」 「…………」 アカツキもモンスターボールを手に取った。 カガリと同レベルか、それ以上のポケモンの使い手。 なら、彼の言うとおり、余裕などあるはずがない。 相手がひとりなら、アスナと協力して倒すこともできるだろう。 だが、アスナはカガリが抑えてしまっている。 マンツーマンがこれほど呪わしいこととは思わなかった。 「俺のポケモンを見せてやろう。来い、サイドン」 アスナと背中を突き合わせる。 お互い、相手に背を向けないようにするには、それが一番だと分かったからだ。 リクヤがモンスターボールを軽く放り投げた。 空中でボールの口が開き、閃光に包まれたポケモンが出現した。 リクヤの前に立ち塞がるように飛び出してきたのは、岩肌のポケモンだった。 「サイドン……?」 お約束どおり、見たことのないポケモンには図鑑のセンサーを向ける。 「ん、あれは……」 リクヤはアカツキが手にしたポケモン図鑑を見て、目を細めた。 そんなことなど露知らず、アカツキは液晶に映し出された姿と、リクヤの前にいるポケモンを交互に見つめた。 「サイドン。ドリルポケモン。サイホーンの進化形。 ドリルにもなる角で岩石を粉砕する。 たまに間違えて溶岩を噴出させてしまうこともあるが、鎧のような硬い皮膚は、熱さをまるで感じない」 「防御に優れたポケモンってわけでもなさそうだな……攻撃も、できるってこと?」 真っ赤な双眸で睨みつけてくるサイドンを睨み返し、アカツキはどうすべきかを考えた。 誰を出すのが一番か。 サイドンは灰色の怪獣を思わせる風貌の持ち主だった。 丸太ほどはあろうかという手足に、鞭を束ねたような太い尻尾。 岩の質感を思わせる色彩の皮膚は、ナイフや包丁などでは傷ひとつつかないだろう。 一番の特徴は立派な角で、それだけで並大抵の石は粉々にできそうだ。 それがドリルになるというのだから、こと破壊力に関しては恐ろしいものになる。 「誰が出たって、あの角の攻撃を何とか受けないようにしないと……」 そんなことを思案しながら、誰を出すか考える。 図鑑でサイドンのタイプを調べてみる。 「岩と地面タイプ……ってことは、水タイプに弱いんだ。ってことは……」 自分の勘が正しかったことに、少しだけ安心した。 「キミに決めたよ!!」 そして、手に持ったモンスターボールを投げる!! 飛び出してきたのは―― 「ゲイツっ!!」 言うまでもなく、アリゲイツだった。 岩と地面タイプを持つサイドンには、アリゲイツの水鉄砲が恐ろしいほどよく効く。 どんなに防御力が優れていても、タイプと言う十字架を背負っている以上、その呪縛から逃れることはできない。 確実に防御できる技は存在するが、それはリスクが大きい。 だから、多少の実力差なら相性で埋められるはずだ――アカツキはそう考えていた。 「なるほど、アリゲイツか。 相性を見れば正攻法と呼べるだろうな。 だが、相性だけでポケモンバトルは決まるものではない」 「知ってるよ……」 アカツキはポツリつぶやいた。 相性だけでポケモンバトルは決まらない。 大切なのは、トレーナーがポケモンにどういった指示を出すかだ。 ポケモンの実力は言うに及ばず、トレーナーの判断こそが一番のターニングポイントなのだ。 「でも、ぼくは負けない!! ぼくだって、炎ポケモンを持ってる。 だから、あなたたちみたいな人には渡さない……みんなはぼくが守るんだ!!」 鼓舞するように叫ぶ。 自分の中の不安を払拭する。強い気持ちでいることが大切だ。 「そうか……なら、おまえが負けた時は、おまえのポケモンを頂いていくことになるな。 まあ、役に立つか立たないかは、ポケモンしだいだがな……」 と、リクヤが独白めいたようにつぶやきを発した時だった。 「マグカルゴ、火炎放射や!!」 「グラエナ、シャドーボール!!」 どうやら、アスナとカガリのバトルは始まったらしい。 いつの間にやらお互いにポケモンを出している。 だが、アカツキに振り返って、一瞬でもその様子を見るだけの余裕はなかった。 「では、始めようか」 静かに戦いの幕開けを告げるリクヤ。 氷のような瞳は、こんな時にでも、微かに熱されることさえなかった。 「この人、場慣れしてる……いまのぼくで勝てるかな……?」 先ほど払拭したはずの不安が、寄せては返す波のように、心を揺さぶる。 だが―― 「ゲイツ!!」 アリゲイツの声に、はっとする。 任せておけ――そう言っているのだ。 「うん、わかった。キミを信じるよ」 アカツキは頷いた。 トレーナーがポケモンを信じてやらなくてどうするというのか。 真の実力は、トレーナーとの揺ぎ無い信頼関係があってこそ、発揮されるべきものだ。 「相性が有利なら、先制攻撃で一気に終わらせる。 時間がかかれば、不利になるのはぼくの方だ……」 場慣れしているからこそ、こういう時こうすればいいというマニュアルが頭の中にあるのだろう。 ケースバイケースで、どんな指示を下すかというのが分かっているに違いない。 ならば、それが如何なく発揮される前に終わらせるしか手はない。 アカツキはサイドンを指差して叫んだ。 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 こうして、戦いの火蓋は切って落とされた。 第44話へと続く……