第44話 冷徹な眼 -Frozen eyes- 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 アカツキの指示に、アリゲイツが口を大きく開き、すさまじい水の奔流を吹き出した!! 狙いはもちろん、リクヤの眼前に立ち塞がっている、ドリルポケモン・サイドン。 岩タイプと地面タイプを持ち、水タイプの技をとても苦手としているだけに、ヒットすればかなりのダメージが期待できる。 背後ではアスナとカガリのバトルが始まっていて、激しい技の応酬が繰り広げられている。 水鉄砲がサイドンめがけて一直線に突き進んでいるが、リクヤは冷たい視線をアカツキとアリゲイツに向けているばかり。 口は真一文字に結んだまま、何も指示しようとしない。 「受ければ大ダメージなのに、どうして?」 アカツキは当然疑問に思った。 まさか、自分たちに目を奪われているわけでもあるまいし。 ばしぃっ!! 水鉄砲がサイドンを真正面から直撃した!! 「効いた!?」 アリゲイツの水鉄砲の威力は折り紙つき。 さすがにハイドロポンプには及ばないが、水鉄砲の中では群を抜いていると言ってもいいだろう。 それなりに自信があるのだ。 水の奔流が残らずサイドンを打ち据えた後―― 「ほう……なかなかの威力だな。だが、致命傷には程遠い」 「!?」 嘲るような、お世辞にも文面どおり誉めているとは思えないような口調で言うリクヤ。 サイドンは、何事もなかったかのように、水鉄砲を食らう前と同じ体勢だった。 倒れるどころか、仰け反ることさえしない。 ずぶ濡れにこそなっているが、まるで闘志は衰えていない。 むしろ『痛いじゃないかこのヤロー』と、怒っているようにも見える。 「う、うそ……」 アカツキは唖然とした。 サイドンにはまるで効いている様子が見られないのだ。 さすがに無傷とは行かないようだが、どれほど効いているのかが分からない。 やせ我慢するポケモンというのも実際にはいるらしい。 ただ、見た目以上に効いているという可能性も捨てがたいのだが、それはなさそうだった。 落ち着き払ったリクヤの態度がそれを証明している。 「効いてない? そんな……」 予期せぬ事態に、いきなり気勢を削がれてしまった。 トレーナーの動揺はポケモンにも伝わる。 ということもあってか、アリゲイツも水鉄砲があまり効いていないことに驚いている様子だ。 「分かりやすい反応だな……」 リクヤはため息を漏らした。 見たところ、アリゲイツを繰り出した男の子はトレーナーになりたて……といったところだろう。 その割にはなかなかの威力だ。 だが、その程度ではサイドンには勝てない。 もう少し骨があると思っていたが……所詮は子供、この程度が関の山か。 そう思いながら―― 「この際だから教えてやる。 弱点だからという理由で致命傷を与えられるほど、ポケモンバトルは簡単なものではない。 おまえが考えているほど、生温いものでもない。 現実を――見せてやる」 唖然としているアカツキを見つめる目を細め、リクヤはサイドンに指示を出した。 生憎と、のんびりバトルの教授をしていられる時間はない。 余計な手間隙をかければ、総帥からの評価を下げる結果にしかならない。 ――いや、それならまだいい。 問題は他のところにある。 それを排除するには、今、目の前にある障害を取り除けばいい。 迅速に。最適な手段で。 どんどんどんっ!! 地響きを立てながら駆け出したサイドン。 アカツキはその音に顔を上げた。 バトルの最中だと言うのに、どうしてこんなにぼーっとしていたのだろう。 後悔なら後でいくらでもできる。今できるのは、しなければならないのは…… 「アリゲイツ、水鉄砲!! 全力でぶちかまして!!」 「ゲイツ!!」 アリゲイツが口を開き、大きく息を吸い込む。 その反動で、先ほどにも増して太い水鉄砲を吹き出した!! 「ほう?」 リクヤが感嘆のつぶやきを漏らす。前言撤回だ……子供にしてはなかなか戦る方だ。 「サイドン、見せてやれ――現実を」 水鉄砲が矢のように飛来する!! サイドンはアリゲイツめがけて走りながら、顎を引いた。 自然と、額の角が前に突き出た形になる。 それから、信じられないことが起きた。 ぎゅいーんっ!! 甲高い音が耳障りなまでの音量で響き渡る!! そして。 ぶしゃあぁぁぁっ!! サイドンの顔面にヒットした水鉄砲が、左右に吹き散らされた!! 「……なっ!?」 これにはアカツキも驚きを隠しきれなかった。 何があったというのか……水流を左右に切り裂く正体は―― 「ドリル!?」 「そう。角ドリル。 相手を一撃で倒す技だが、こういう使い方もできる」 アカツキが漏らした叫びを聞きつけ、呼応するリクヤ。 何とかと鋏は使いよう……というわけではない。 技の使い方はひとつなどではない。ポケモンの数だけ、トレーナーの数だけ、使い方はあるのだ。 攻撃の技を防御に変えたり、防御の技を相手の邪魔に使ったり……それ相応の使い方があることを、アカツキは知らなかった。 そこまで高度な使い方を覚えるにはまだ早い。 「こんな使い方があるなんて……」 知らなかった。 サイドンを駆るトレーナーは、自分とは明らかに違う。キャリアが違いすぎる。 だが―― 「アスナさんが戦ってるのに、ぼくがへこたれてる場合なんかじゃない!!」 あきらめるのが大嫌いなアカツキに諦めの二文字はなかった。 あったとしても、瞬殺するのみ。 ぐっと握り拳に力を込める。 サイドンは角をドリルのように回転させながら、こちらに向かってくる。 角ドリルは、当たれば大ダメージの技である。 運が悪ければ体力が全快であっても一撃で戦闘不能に陥る、一撃必殺の技。 技の特性を理解したうえで、リクヤは防御として使っているのだ。 ドリルのように高速回転させることで、水流を受け流していたのだ。 だから―― 「だから効いてないんだ……」 弱点の技でも、受けなければ痛くも痒くもない。 弱点の技を受けないこと――それこそが、ポケモンバトルにおける防御の真髄。 「アリゲイツ、避けて水鉄砲!!」 「動きが単調だな。まあ、それも致し方あるまい」 三度水鉄砲を指示するアカツキを扱き下ろすように、肩を竦めながら言うリクヤ。 彼のようにキャリアが豊富だと、そうでない相手を目の前にしてこのように本音がポロリこぼれてしまうことがままある。 もっとも、同じ技を三度も立て続けに指示するというトレーナーを見たことがなかったから、なおさらだった。 アリゲイツはギリギリまでサイドンを引きつけてから身を翻した。 ぶんっ!! 脇をサイドンが通り過ぎていく。風の唸りが大きかったのは、サイドンの体格が並外れたものだったためだ。 風圧にバランスを崩しかけるが、そこは気力でカバーする。 足に力を込めて踏ん張り、身体の向きを変えた。背中を向けたサイドンめがけて水鉄砲を発射!! 「ん?」 リクヤの眉が微動する。 これを狙っていたのか――分かりきっていたとはいえ、少しは感情の起伏と言うものがある。 それだけのことだ。 サイドンは勢いよく振り返るが、角ドリルを発動する時間はない。 飛来してきた水鉄砲が、サイドンの胸板に突き刺さり、盛大な飛沫を上げる!! 「ギャオースッ!!」 さすがにこれは効いたらしく、身をよじるサイドン!! 「よし、これは効いてる!!」 アカツキは胸中に光明が差したのを感じた。 いくら『受けなければ怖くない』といっても、受ければ痛いのだ。 そして、それはいつでも都合よく防げるわけではないことを証明できた。 「この程度で図に乗ってもらっては困る。 サイドン、大地を揺るがせ!!」 サイドンは水鉄砲を受けながらも、気合と共に目を見開き、足を振り上げた!! 「アリゲイツ、そのままずっと水鉄砲!!」 アカツキには、水鉄砲以外にサイドンに大ダメージを与えられる技は見当たらなかった。 岩のような肌に噛みつく攻撃や引っかく攻撃など効果はないに等しいだろう。 なら、一番効果的な技を連続で放ち続けるしかない。 単調と謗られても、それでいい。 サイドンが足を振り下ろす!! 刹那―― ごぅんっ!! 大地が揺れる!! 「ゲ、ゲ、ゲイツ!?」 地面を駆け抜ける揺れに耐えかね、アリゲイツはバランスを崩して転倒してしまった!! もちろん、水鉄砲など発射し続けている場合ではない。 「うわっ!!」 アカツキもアスナも、いきなりの揺れに困惑しきっていた。 「甘いわよ、そこっ!!」 勝ち誇ったようなカガリの声。 どんっ!! 何かがぶつかるような音。 まだ戦いは続いているのだ。 アカツキは肩幅に足を開いて、必死に踏ん張った。 「アリゲイツ、しっかり!!」 転んでいる場合ではない。 アリゲイツに活を入れ、サイドンを見やる。 サイドンは身体を打ち据える水の奔流から解放され、やる気に満ちた双眸を、立ち上がりかけたアリゲイツに向けた。 「ふふ……なかなかやるな」 リクヤは口の端を吊り上げた。 なかなかどうして、目の前で足掻いている少年トレーナーには見所が多いように思える。 これは感情で割り切れるような、理論的な思考ではない。 もっと深く、根幹に根ざした何かが訴えかけてくる心の声。 「不思議なものだ……俺がそのようなものを感じるとは」 リクヤ自分で分かるほど不似合いなことを思いながら――しかしバトルを捨てることだけはなかった。 「サイドン、砂嵐」 事も無げに発された指示に、サイドンは地団太を踏んだ!! これだけでも十分に地震を思わせる揺れだったが、驚くべきはこれからだった。 サイドンの角が再びドリルのように高速回転を始める!! 舞い上がった砂煙が、ドリルの回転によって起こされた風に乗って吹き荒れた!! 「砂嵐って、これが!?」 あまりに破天荒な――型破りな技の出し方に、アカツキは驚愕するしかなかった。 砂嵐ひとつをとっても、出し方はいくらでもある。 結果は同じでも、プロセスはひとつではない。そういうことである。 瞬く間に砂嵐が辺りを取り囲む!! リクヤとサイドンも、砂煙のカーテンに隠れ、見えなくなってしまった。 「視界を塞がれた……!!」 どこから来るか。 アカツキは視線をめぐらせた。 前も、左も右も砂嵐で視界が極めて悪くなっている。 その上、轟々と鳴り響く音によって、耳で相手の位置を突き止める方法すらつぶされてしまっているのだ。 目と耳、それと鼻も使えないのでは、どうやって相手の位置を突き止めろというのか? ハッキリ言って、そんなものはなかった。 「前? 右? それとも……」 アリゲイツに指示を出すことができない。 迂闊な指示は、バトルの情勢を一気に傾けさせてしまう恐れがある。 とはいえ、このまま何もしないわけにもいかない。 どっちもどっちという言葉がよく似合うと、胸中で皮肉めいたアナウンスが流れるのを聞き流しながら、方策を探る。 「どっちにしたって同じなら、攻撃するしかない!!」 このまま行っても、攻撃を受けるのは確実だ。 それも、最大威力のものか、あるいは確実に命中できるものか。 「ううん、『どっちも』だ」 リクヤほどのトレーナーなら、両方を同時に卒なくこなすだろう。 それをさせてはならない。 攻撃されたら、アリゲイツもピンチだ!! 「でも、砂嵐に紛れてどこに行ったかも分からない。あまり当てずっぽうな攻撃はできない」 下手な攻撃はピンチを招くだけである。 だが―― 万策尽きた状況と言うわけでもない。 「アリゲイツ、水鉄砲で砂嵐を破るんだ!! 同じところばかりじゃなくて、満遍なく!!」 アカツキはヤケクソ気味に叫んだ。 何もしないよりはマシなはずだ……それだけは間違いないと思いながら。 アリゲイツはアカツキを信じて、水鉄砲を砂の壁に叩きつけた!! ばすっ!! 意外と大きな音を立てて、砂の壁を貫く水鉄砲。 そのまま身体の向きを変えて、薙ぐようにして水鉄砲を振るう!! 上下に分断されて、砂の壁がサラサラと乾いた音を立てて崩壊していく!! 前半分の砂嵐を破った後には―― 「さあ、どこへ消えたかな?」 冷笑を浮かべるリクヤの顔が真っ先に目に入った。 サイドンは影も形もなくなっていた。 あの巨体が空を駆けるとは思えないし――かといって、地面に潜ったとも…… 「いない……でも、どこに!?」 アカツキはキョロキョロと忙しなく周囲を見回した。 サイドンの姿が見当たらない。 見失ってしまったのだ、砂嵐で視界が塞がれた間に!! まさか、戻したわけも……いや、それはない。 リクヤはそんな中途半端なトレーナーではない。 自分などよりも優れたトレーナーだ。 判断力、経験、度量……そのどれをとっても、悔しいが敵わない。 唯一勝てると思っているのは、どんな時でもあきらめないという気持ちだ。 その気持ちだけを武器に、バトルを続行させているも同然だった。 「見つけられるか、今のおまえに?」 リクヤは目を細めた。 無理な問いかけをしているという自覚はある。 だからこそ、それが表に出てくるのだ。無駄に感情を殺すようなマネはしない。 「裏目に出るというのが、そういうことだと俺は知っているのだから」 繕えば繕えるほど、ボロが出る。 綻びは予期もしない場所から、抉るようにして致命傷をもたらす。 それを知っているから。 「もっとも、探すにしては材料が少なすぎるかな? まあ、それもいいだろう。 今はバトル。相手が誰であろうと倒すのみ。それがたとえ子供であろうとも」 戸惑いながらサイドンの姿を探している男の子でさえ、今のリクヤには目的を遂行するにあたっては障害でしかない。 排除すべき存在。同じ理想を語り、肩を並べる存在(同志)にはなり得ない。 ならば―― 「サイドン、アリゲイツを叩きのめせ。二度と刃向かえなくなるまでな」 その言葉を合図にするかのように、地面が激しく揺れる。 どん、どんっ!! 下から突き上げるような衝撃が、足元から頭まで、身体を縦に貫いていく。 「……下から突き上げる?」 もしや、と思う。 その可能性が頭に浮かんだ瞬間だった。 ごごんっ!! 地面に亀裂が走り、アリゲイツの真下からサイドンが姿を現した!! 「真下!? そんな、ウソ……!!」 アカツキは驚愕に目を見開いた。 身体が言いようのない『何か』を感じて震えだすのを知りながら、それを止めることさえできなかった。 「ゲーイツ!!」 突き上げられ、成す術なく宙に投げ出されるアリゲイツ。 今の一撃でかなりのダメージを受けたのか、顔は苦痛にゆがんでいた。 「アリゲイツ!!」 その表情が、皮肉にもアカツキに我を取り戻させた。 サイドンは砂嵐で視界が閉ざされたのを利用して、地面に潜っていたのだ。 ありえないと思っていたことを目の前で実行され、気持ちが揺らぐ。 「サイドン、破壊光線。狙い撃ちにしてやれ」 「アリゲイツ、水鉄砲!!」 何としても破壊光線だけは撃たせてはならない。 すさまじい威力を誇る一撃を食らったら、戦闘不能では済まないかもしれない。 それ以上の大怪我に発展する可能性だってあるのだ。 アリゲイツは宙に投げ出されながらも、口を開いて水鉄砲を発射した!! 「ほう、なかなかに器用だな」 リクヤはポツリと感嘆のつぶやきを漏らしたが、それだけだった。 それ以上の感動をもたらさなかったということだろう。 アリゲイツの放った水鉄砲は、サイドンの顔面に見事ヒットした!! 角ドリルを使って吹き散らさなかったのは、破壊光線の予備動作に入ったためだった。 口を開くと、オレンジ色の光がその中に宿る。 サイドンが内に秘めたパワーを集約し、光線として放つ。その威力は折り紙つきである。 だから、それだけは阻止しなければならない!! アリゲイツは水鉄砲をサイドンにヒットさせたまま、体勢を立て直し、着地に成功した。 そして、体勢が安定したことで、水鉄砲の勢いを強める!! 「破壊光線、発射!!」 サイドンの口の中に灯る輝きが次第に大きさを増し、ついに発射した!! オレンジ色の光線――ノーマルタイプ最強の技、破壊光線!! 圧倒的なパワーで水鉄砲を瞬時に蒸発させながら、アリゲイツめがけて突き進む!! 「アリゲイツ、逃げ――!!」 ――て!! 最後の一言が口から出た瞬間。 どごぉぉぉぉぉんっ!! 破壊光線がアリゲイツを直撃した!! 爆音と爆風が生まれる!! 「うわあっ!!」 すさまじい風圧に、アカツキは一瞬も堪えることができず、吹き飛ばされた!! 「アカツキ!!」 「他人の心配なんてしてる余裕、あなたにあるの?」 「くっ……」 アスナはカガリに釘付けにされていた。 明後日の方角に吹き飛ばされたアカツキを助けに行くこともできない!! 今までのバトルを見る分に、カガリとの技量は互角――ならば、それはできない。 「だったら、あんたをさくさく吹っ飛ばして助けに行ったるわ!!」 「そう、その意気よ。わたしをもっと楽しませてちょうだい!!」 アスナとカガリのバトルが再開される。 「う、う……」 破壊光線が生み出した爆風で吹き飛ばされ、アカツキは地面に叩きつけられた。 それでも止まらず、何回転かして、ようやく止まった。 身体が痛い。 ズキズキした鈍い痛みが全身を駆け巡る。 できるなら悲鳴を上げて、泣き叫びたい。 だが、そんなことよりも、やるべきことがあるはずだ。 「アリ……ゲイツ……?」 呻くようにつぶやいて、身を起こす。 虚ろな視点を定めて、アリゲイツの姿を探した。 アスナとカガリが激しいバトルを繰り広げているのが見えた。 アスナは岩を背負ったカタツムリのようなポケモンを、カガリは以前にも使っていたグラエナを、それぞれ戦わせている。 続いてリクヤと、彼の傍に寄り添っているサイドン。 最後にアリゲイツの姿が目に入った。 「アリゲイツ……」 破壊光線をまともに食らって、倒れている。 ピクリとも動かず、仰向けに倒れたまま目を回している。 一撃で戦闘不能に陥ってしまったのだ。 「戻って」 アカツキは思うように動かない腕を必死に動かして、アリゲイツをモンスターボールに戻した。 「う……痛っ……」 動かす度に痛む身体をおして、ようやっと立ち上がる。 「おまえの負けだ」 リクヤは冷たく言い放つと、サイドンを連れてアカツキの前までやってきた。 言い知れぬ威圧感に気圧され、後ろに下がる。 だが、二歩以上は下がれなかった。 運悪く、背中が岩に突き当たってしまったのだ。 水鉄砲をまともに受けながら、しかしサイドンには大ダメージにならなかったらしい…… 満身創痍には程遠い。 「あきらめろ。アスナはカガリの相手で手一杯だそうだ。 俺がカガリに加勢すれば、アスナを一瞬で負かすこともできるだろう。 そうしないのはなぜか。分かるな?」 念を押すように言うリクヤ。 だが、それは脅迫以外の何者でもなかった。 アスナを助けたければ自分の言うことを聞け――暗にそう言っているのだ。 それくらいのことはアカツキにも分かる。 お世辞にも、ありがたい状況などではない。 「おまえの持つ炎ポケモンをすべて渡せ。 そうすれば見逃してやろう。今までのことは水に流してやる」 「…………」 アカツキは視線を尖らせてリクヤを見つめた。 目と目が合う。 リクヤの視線は冷めたままだった。 何の温もりも宿っていない。 弱者を甚振ることを至上の喜びとしているような人間とは違った、冷たい輝き。 そう、たとえるなら、目的の遂行のためなら、味方すらも犠牲にして成し遂げようとする……非情の意志が感じ取れる。 背筋が震えるのを感じながら、しかしアカツキは拳を握りしめ、気を強く持った。 そうしなければ、本当に彼の言うとおりにしてしまいそうだったから。 「俺としても、無益な戦いは好まん。 おまえも、これ以上ポケモンを傷つけさせたくはなかろう? なに、悪いようにはしない。我々に協力してもらえば、後で返そう」 アカツキは黙ったまま、リクヤを睨みつけた。 そうすることしかできない。 ポケモンを出したところで、サイドンに返り討ちにされてしまうだろう。 ワカシャモもカエデも、地面タイプと岩タイプを持つサイドンとは相性が悪い。 だからといって、二体の炎ポケモンをリクヤに渡す気などサラサラない。 「どうやら、おとなしく渡す気はないらしいな。 なら、仕方あるまい。力づくでも奪い取るまでだ」 アカツキの表情から、炎ポケモンを渡すつもりがないと悟ったが、 「そんなこと、絶対にさせない……」 「うん?」 「そんなこと、絶対にさせない!! ぼくが絶対に――!!」 「今のおまえに何ができる?」 強がりのベールを一枚ずつ剥ぎ取るように、リクヤは言葉の刃を突き刺していった。 「サイドン、手を出すなよ」 サイドンに待機を指示し、アカツキの眼前まで歩いていく。 「…………」 アカツキは無言で、後ろ手にモンスターボールをかばいながら、リクヤを睨みつけた。 殴りかかることも、逃げることもできなかった。 どちらにしても、逆に返り討ちにされたり、追いつかれるに決まっているからだ。 「ぼくは逃げない……逃げたら、アスナさんが……」 アスナは今でも戦っているのだ。 視界の隅で、カガリのグラエナと必死の形相で戦っている。 だから、そんな彼女を置いてはいけない。 リクヤの言うとおり、彼がカガリに加勢すれば、あっという間に負けてしまうだろう。 「どうしてそこまでして刃向かう? 子供は大人に勝てない。それは分かりきっているはずだ」 だんっ。 リクヤは問いを投げかけながら、アカツキの顔のすぐ傍の岩に右手をかけた。 「…………」 冷や汗が額を流れ落ちていく。 体温が一気に下がるのを、指先から這い上がる悪寒から感じ取る。 「分かりきっているのに、どうして刃向かう? 我々に降伏すれば、悪いようにはしない。 約束を違えるのは俺としても好まないのだが……」 「アリゲイツは、みんなは…… ぼくの仲間だ。だから、誰にも渡さない。親友であっても!!」 「そうか……なら、止むを得まい」 やはり分かってもらえなかったか……あまり実力行使は好まないが、この際、仕方がないか。 リクヤは最後通告を跳ね除けられたことを嫌でも痛感した。 だから―― 「うあっ!!」 強情な男の子の手首をひねり上げる。 アカツキは苦痛に顔をゆがめた。 「さあ、渡せ」 「いやだ……」 「なぜそこまでして拒む? ポケモンを守るのがトレーナーの役目だからか?」 「……ぞくだから……」 「ん?」 痛みを堪え、アカツキは目を大きく見開いてハッキリと言った。 「ぼくにとってポケモンは家族だから……だから、離れたくないんだ……!!」 「家族……」 リクヤはその単語をつぶやいた。 刹那―― アカツキの手を捻り上げていた力がわずかに緩んだ。 「今だ!!」 渾身の力を込めて、身体をねじる!! 「……!?」 さすがに不意を突かれ、リクヤはアカツキの手を離した。 アカツキはリクヤから逃れるべく、一目散に駆け出した!! 「なぜ……なぜ、拒む……?」 理解を超えたアカツキの言動に、リクヤは混乱してしまった。 背を向け駆けていくアカツキを追いかけることさえしない。 まだ年端も行かぬ子供なのに。 大人の言いなりになって当然の子供なのに。 それなのに、どうして自分の言うことを拒む? 彼に家族はいない。 だからこそ、アカツキの言葉が胸に痛い。 サイドンが非難めいた視線を向けていることさえ気づかないほど、リクヤはただひとつのことを考えていた。 「アスナさん!!」 「おぉ、ナイスやで、アカツキ!!」 サイドンが止めなかったこともあって、アカツキはアスナと合流することができた。 それを見たカガリはギョッとした。 「リクヤ!! どういうつもり!? あなたらしくもないわよ、躊躇うなんて!!」 「躊躇う……? 違う、それは違う、カガリ」 「どこが違うっていうの!? あなたはあの子を手離した。 それが何を意味するか、分からないわけでもないでしょう!?」 「分かっている……」 声を荒げるカガリを見つめ、リクヤは頭を振った。 その瞳はどこか哀しみを湛えているように見えた。 「今からでも遅くないわ。この子達を逃がさない!!」 カガリが腰からモンスターボールを手に取った。 すべてのポケモンを動員してまで、アカツキとアスナをここから逃がさないつもりらしい。 先ほどまでの余裕はどこへやら、すっかり鬼気迫る表情へと変貌した。 「本性現しおったな、目じりに小じわの年増女」 「お黙り!! こうなったら何があってもあなたたちは逃がさないわ!! 覚悟なさい!!」 腹の底から搾り出すような声を上げ、カガリがモンスターボールを投げ放とうとした――その時だった。 横手から声がかかった。 「そう慌てないで頂きたいものですわね、マグマ団三幹部のカガリさん」 「!?」 その声に動作が止まる。 アカツキ、アスナ、カガリ、リクヤの視線が声の主へと向けられる。 白と青のストライブ模様が印象的な半袖シャツと、鮮やかな青を呈したジーパン。 頭に水玉模様のバンダナを巻いた女性が笑みを浮かべ、立っていた。 茶色の髪は空気をふんだんに含んだように広がっている。パーマでも決めているのだろうか。 アカツキは、美女といっても差し支えないその女性に見覚えはなかったが、その服装には見覚えがあった。 「あらあら……よりにもよってこんなタイミングで姿を現すなんてね、イズミ!!」 「ふふふ……とある人から情報を仕入れましてね。 貴女方がここでエントツ山の噴火を目論んでいると」 「間者がいたとはな、驚きだ」 「ふふ。そういうわけで、貴方たちを止めさせてもらいます。 人類を救うのは貴方たちではなく、わたしたちの役目なんですよ。このアクア団が、母なる海を押し広げ、人類を救うのです」 余裕の笑みを崩さぬまま、イズミと呼ばれた女性が両手を広げ、演説ぶった口調で話す。 「?」 アスナは首を傾げてしまった。 一体この女は何者だ? カガリといいイズミといい、よく分からない女が世の中にはいるものだ。 一方、アカツキはイズミの服装に見覚えがあったため、正体にすぐ気づけた。 アクア団……少し前に遭遇した組織だ。 ロクでもないことをしているとダイゴから聞かされたが…… よもや、こんなところで出会うことになろうとは思わなかった。 「残念ながら、アオギリ総帥(リーダー)は貴方たちの総帥のもとへ向かいました。 よって、貴方たちの目論みはここで費えるのです。 おとなしく降参して、貴方たちの研究成果をわたしたちに渡してもらいましょうか」 「やはり、間者がいるようね……まあ、いいわ。 ここであなたを倒して、ウシオもろともアオギリを倒す。 そうすれば、アクア団も壊滅同然。 ピンチはチャンスに変える。それがわたしのモットーなのよ、アクア団幹部のイズミさん」 「幹部!?」 アカツキは素っ頓狂な声を上げた。 と、そこでようやくアカツキとアスナの存在に気づいたらしく、イズミは目を細めふたりを見つめた。 「貴方たちはマグマ団とは関係ないようですね。おとなしく帰りなさい。 ここは一般人の立ち入りが禁止されています」 「その前に、あんたは何者(なにもん)や?」 「そうでした。自己紹介が遅れましたね」 イズミはニコッと笑った。 リクヤはともかく、カガリが殺気すらこもった視線を向けていることすら意に介さない。 それだけの余裕があるのは、つまりはそういうことなのだろう。 「わたしはアクア団の幹部をさせていただいております、イズミと申します。 以後お見知りおきを」 「はあ……」 「マグマ団という無秩序な輩と違い、わたしたちは母なる海を崇拝しております。 すべての生命の源である海を讃え、敬い……そして、わたしたちは志し高きアオギリ総帥のもとへ結集しました。 海を広げ、人類を救済するという使命を帯びたのです」 「そういうもんか? あたいには分からへんけど」 自分に酔いしれるように雄弁に語るイズミを半眼で見つめ、アスナは頬を掻いた。 母なる海だの、人類を救済するだの、難しい言葉が飛び出してくるが……本当に何が何だか分からない。 「でも、アクア団ってムロ島で何かやったんでしょ? ぼく、その場にいたんだ!!」 無秩序な輩とは違う……アカツキはその言葉がウソだと思ったから、声を上げた。 聞き捨てならないと思ったのか、イズミの視線がアカツキに移った。 笑みこそ浮かべているが、目は本当に笑っていない。 「そうですか。 アオギリ総帥からあの島での出来事は聞かせていただきましたが…… 貴方があの場に立ち会っていたとは知りませんでしたね……なら、分かるはずです。 わたしたちが本気であるということを。 そのためなら、多少の荒事も起こします。それも、すべては人類救済のためです」 「口だけなら何とでも言えよう。 我々の戦い、その結果こそが世界の選択ではないのか?」 「そうですね、リクヤ殿。 マグマ団とアクア団はその主張が平行線をたどってきました。 なら、いくら論じてもムダでしょう。 始めましょうか。 もっとも、貴方たちの炎ポケモンでわたしの水ポケモンを倒せるとは思えませんが」 「ひとりなのに……か?」 見え透いた挑発だ…… イズミはリクヤの言葉に笑みを深めた。 その程度の挑発に引っかかるほど、ヤワではないし、自惚れてはいない。 水のごとく流れにその身を任せ、くだらない言葉などに惑わされたりはしない。 「わたしの手持ちポケモンを総動員すれば、時間稼ぎくらいはできるでしょう。 それに、もうすぐ後続の部隊が到着する頃です。 そうなればどうなるか……お分かりですね?」 「なるほど……そこまで考えていたとはな。 その間者とやらも、ずいぶんと頭の切れる男のようだな」 「想像にお任せいたしますよ。 出てきなさい、わたしの水ポケモンたち!!」 イズミが手で虚空を薙ぐと、それを合図にして腰のモンスターボールからポケモンが次々に飛び出してきた!! 彼女をぐるりと取り囲んで護衛するような六体のポケモンはすべてが水タイプだった。 「なるほど、手持ちをすべて水タイプに統一しているとはね……確かに分が悪いのは認めるわ。 でも、その対策もあるのよ。 リクヤ!!」 「人遣いが荒いな……まあ、いい。 イズミ、おまえたちの思い通りにいかないことを思い知ってもらおう」 「うふふ、多勢に無勢ですわね。どんなポケモンを出そうとも」 「何もしないよりはマシ。違うか?」 「そうですね」 張り詰めた空気が流れているというのに、リクヤとイズミは笑みさえ浮かべている。 カガリは鬼気迫る表情を崩さなかった。 状況的に余裕がないことを肌で感じ取ったのだろう。 「シャワーズ、ジュゴン、サメハダー、全員一気にハイドロポンプ!! 軟弱なポケモンたちを一気に蹴散らしてしまうのです!!」 対照的に、イズミは笑みを崩さぬまま、大きさも色もまちまちのポケモンたちに指示を下した。 彼女のポケモンたちは一斉に口を開いて、すさまじい勢いで突き進む水塊を発射した!! 「グラエナ、守る!!」 「ぐるるるぅ……」 グラエナが身体を低くして唸り声を上げると、前方に淡い光の壁が出現した!! 「急場凌ぎもええとこやわ……」 アスナは戦いを見て、ポツリとつぶやいた。 いくらなんでも多勢に無勢。 悪タイプのグラエナなら、水タイプの技で致命傷を被ることはないが、炎タイプだったら今の一撃だけでやられている。 それくらいの威力を、イズミのポケモンたちが放つハイドロポンプは有していた。 「あ、アスナさん、どうするの?」 「逃げるで。この状態ならきっと逃げられる」 「うん……」 アスナは戦いに出していたポケモンをボールに戻した。 マグマ団とアクア団の戦いに首を突っ込む義理などはなはだありはしない。 だから、今のうちに逃げるしかない。 カガリたちはアカツキたちを拘束しておきたいところなのだろうが、イズミたちはそうでもない。 マグマ団を叩き潰すことが最優先。 となれば、今のうちに逃げるしかない!! ごんっ!! イズミのポケモンたちが放ったハイドロポンプが、ほぼ同時にグラエナが生み出した壁に突き刺さった!! 攻撃タイミングを合わせることで威力を倍加したのだが、守るという技の特性によって、威力が無効になる。 だが、守るは連続で使えない。 次の攻撃はどうにかして避けるかしなければならないのだ。 「ペリッパー、スターミー、シードラ、ハイドロポンプ、第二波!!」 イズミが残る半分のポケモンに指示を下す!! 時間差攻撃で防御する暇さえ与えないつもりだ。 「くっ!!」 三体のポケモンが口を開いたのを見て、カガリは自分でも分かるほど表情を引きつらせた。 グラエナは『守る』を使ったことで著しく消耗している。 避けることができたとしても、次の一撃は避けられない!! イズミの大胆にして狡猾な攻撃に、なす術もない!! 「逃げるで!!」 「うん!!」 カガリとリクヤの注意が完全にそれたのを確認し、アカツキとアスナと彼女はその場から一目散に逃げ出した!! 少しでも遠くに。 フエンタウンまで逃げられれば、追ってくることもないだろう。 「ん?」 残念ながら、リクヤの注意は完全にそれていなかった。 だが、イズミを無視するだけの余裕は彼にもなかった。 「アクア団ごときが……俺の邪魔をすることができると本気で思っているのか?」 どんっ!! つぶやきかけた時、三発のハイドロポンプをまともに受けたグラエナが彼の足元まで転がってきた。 「残ったポケモンはすべて炎タイプ……」 カガリは焦りを隠しきれなかった。 グラエナが倒されては、勝率がさらに低くなってしまう。 だが、現実を否定するわけにもいかない。 「一体、どうすれば……」 と、その時。 リクヤが彼女の前に立った。 「リクヤ……?」 「カガリ、俺に任せておけ。 この程度の連中、俺一人で十分だ」 「でも、あなた……」 「任せておけ」 「おやおや、臆病風に吹かれましたか?」 リクヤの背に隠れるように後退するカガリを見つめ、笑みを深めるイズミ。 「勘違いするな。 おまえの相手は俺がする。それだけのことだ」 「そうでしたわね。 では、貴方のポケモンを見せてもらいましょう。 もっとも、どんなポケモンであれ、連続ハイドロポンプに耐えられるとは思えませんが」 「さあ、それはどうかな?」 リクヤは口の端に笑みを浮かべた。 その笑みが単なる強がりと思い、イズミは鼻を鳴らした。 だが―― 「ミロカロス。俺の邪魔をする愚か者どもを叩き潰せ」 リクヤがモンスターボールを投げる!! 放物線を描いて宙を舞ったボールは頂点で口を開き、ポケモンを放出した!! 「るぉぉぉぉぉぉぉんっ!!」 蛇を思わせる美しいポケモンが、リクヤの前に出現した!! 慈しみポケモン・ミロカロス。 最も美しいと言われているポケモンが、イズミの前に立ち塞がった!! 第45話へと続く……