第45話 混乱の中で…… -In the confusion- アカツキとアスナは何かから逃れるように、ひたすら走り続けていた。 つづら折りの道を、時折背後を気にしながら、あらん限りの力を足に込めて、駆け下りていく。 全力で走っていたので、すぐに息が上がってしまう。 だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。 リクヤたちマグマ団がいつ追いかけてくるかも分からないのだ。 安全圏に逃れるまでは、一瞬たりとも油断できない。 「アカツキ、だいじょぶか?」 「なんとか……」 伴走しながら心配そうな表情で顔を覗き込んでくるアスナに、アカツキは小声で答えた。 少しでも大きな声を出すということが、体力の余計な消耗を意味すると知っているからだ。 自分のせいでアスナに迷惑をかけたくない。それだけだった。 「でも、これで少しは助かったのかな……?」 「油断は禁物やで。 フエンタウンまで行ければ大丈夫や。そこまで頑張れるか?」 「うん!!」 「なら、ええんや」 アスナは口の端に笑みを浮かべた。 傍を走っている男の子は年齢よりもずっとしっかりした芯の持ち主だ。 正直、聞き分けがいいところにはホッとしている。 「しかし、なんや面白う(おもしろう)ない状態やな?」 「え?」 「マグマ団にアクア団。 最近になって台頭してきた組織や聞いとる。なんや、よう分からん組織なんやけどな」 ウンザリした口調で吐き捨てるアスナ。 正直、よく分からないのだ。 先ほどのやり取り――カガリとイズミのやり取りである――を見た分だと、人類の救済とか何とかで対立しているらしい。 「ま、火山爆発させて陸(おか)広げて人類救うなんて、あたいにはよう分からへんけどな」 「ぼくも。そんなことする必要なんてないと思うもん」 「同感や」 いつか訪れる危機と、カガリは言っていた。 だが、それはいつなのだろう? すぐにでもやって来る明日? それとも数百年も先のこと? 曖昧だから、素直に信じることができない。 もっとも、アカツキからすればカイナシティの海の科学博物館でのカガリの言動を見てきたから、絶対に信じたりはしない。 「ま、ハッキリしたんは、ロクでもない連中っつーこっちゃ。 フエンタウンに着いたらまずは警察やで? あたいは携帯なんてモンは持っとらんさかいな。 ジュンサーさんに直に話すのが一番や」 「うん」 アカツキは真剣な表情で頷いた。 これは個人でどうにかできるような話ではない。 明らかな目的を持った『組織』が相手である以上、個人でできることなど高が知れている。 焼け石に水にもならないだろう。 だから、警察に任せるしかない。 どの国でも警察組織と言うのはドククラゲの触手のごときネットワークを有している。 だからこそ、組織に対抗するには組織なのである。 「そこまで話したらこの話は……終わらへんな」 アスナは走りながらため息を漏らした。 身体から何かが抜けていくような気がしたが、気づいてみれば何もなかった。 つまり、気のせい。 「あたいはコータスを助けられへんかった」 「アスナさん……」 一転、沈痛な面持ちを浮かべるアスナ。 結局、何もできなかった。 意気込んでやって来た割には、大切な相棒であるコータスを助け出すことはおろか、カガリのグラエナを倒すことさえできなかった。 あまつさえ、こうして逃げ出している始末だ。 情けないったら、ありゃしない。 結局―― コータスを見捨てて自己保身に走ったも同然ではないか。 無力感と自分への失望が胸を静かに侵食していく。 だが、あきらめたわけではない。 チャンスはまだ残されているはずだ。 ――それさえも、自分を正当化する理由にしかならないと思いながら、あきらめるつもりにだけはならなかった。 アカツキにはアスナが何を考えているのか、痛いほどよく分かった。 筒抜けと言ってもいい。 この顔を見て、この状況で、見て分からないとすればよほどの馬鹿だけだ。 コータスを奪還するチャンスをつぶさないためには、マグマ団などに捕まるわけにはいかなかった。 アスナ自身でなければコータスは救えない――それくらいの自負は持ち合わせていた。 「大丈夫だよ。まだチャンスはあるから」 アカツキはその一言が言えなかった。 悲嘆にくれる彼女を励ましてやりたいという気持ちはある。 だが、その一言で傷つけてしまうかもしれないと考えると、どうしても言えない。 結果的にはその方が良かったのかもしれない。 彼女が自分で立ち直ることができたのだから。 「ジュンサーさんなら何とかしてくれるやろ……それまでコータスが無事やと思うしかあらへん。 あたいたちがコータスだけやのうて、他のポケモンも助けなあかんのや」 「うん!!」 アカツキは大きく頷いた。 カガリたちの話によると、炎ポケモンを集めて、その力を使うことで死火山を噴火にまで導くの目的らしい。 となると、たかだか一体、二体のポケモンだけでできることではない。 つまり―― 他のポケモンも捕まっているということになる。 正直、アカツキとアスナだけでは、マグマ団を相手にするには力不足だ。 だから、ジュンサーたちの力を借りるしかない。 アカツキもアスナも無力感を噛みしめていたが、それを口には出さなかった。 改めてそう認識するのが嫌だったから。 「アカツキ、悪いなぁ。 あんたをここまで巻き込むことになるなんて、あたいの読みが甘かったわ」 「ううん、アスナさんは悪くないよ」 今さらと思いながら詫びたが、アカツキは首を横に振った。 これにはアスナも呆気に取られたような表情をしていた。 アカツキにとってこれは他人事などではないのである。 炎ポケモンを二体持っている時点で、アスナと同じような立場なのだ。 一歩間違えれば、ワカシャモとカエデがコータスと同じ目に遭っていたかもしれない。 だから、他人事とは思えないのだ。 それに、ここまで首を突っ込んでおいて、今さら「はいそうですか。それじゃあさよなら」なんて手を引くわけにもいかない。 アスナのコータスを助けると決めた以上、それを果たすまでシッポを巻いて逃げ出すわけにはいかない。 「ぼくも炎ポケモン持ってるから……他人事とは思えないんだ」 「ありがとな。あたい、うれしいわ」 アスナは思わず感涙をこぼしそうになった。 つづらおりの道は間もなく終わり――道の先にロープウェイ乗り場が見えてきた。 「ん? あれは?」 アカツキはロープウェイ乗り場から続々と出てくる人に目をやった。 一様に同じ服装に統一された人たちが続々と出てくるではないか。 観光客にしては、同じ服装と言うのはおかしいし、それに…… 「あれ、イズミとかいう女と同じ格好やないか?」 「あ、言われてみれば……」 アスナに言われ、気がついた。 白と青のストライブのシャツに、青いバンダナ。 男と女に服装の差はなかった。 ロープウェイ乗り場を出てきた男女――アクア団ご一行様は、学校の朝礼のように整列を始めた。 「一体なんだろう? もしかして、もうすぐ後続の部隊が来るって……」 「間違いあらへん」 カガリたちマグマ団と敵対している(と思われる)イズミは、後続の部隊が来ると言っていた。 おそらくは彼らがそうなのだろう。 全員がきちんと整列し、気をつけの姿勢をしているところに、ひとりの男がロープウェイ乗り場から姿を現した。 隆々とした筋肉の男で、上半身は裸だった。 ワイルドな胸毛が印象的だ。 下半身や頭の上は他の面々と同じだが、その男だけが別格に思える。 「ま、ええわ。 あたいらはこいつらを無視してさっさとフエンタウン行かなあかん」 「うん」 アカツキもアスナも彼らを無視することにした。 これ以上余計なことに構ってはいられない。 「諸君!!」 筋肉男が声を張り上げると、ロープウェイ乗り場前の広場の空気が張り詰めた。 アクア団の面々が背筋を伸ばし、緊張の面持ちで筋肉男を見つめている。 「いよいよこの時がやってきた!! 我らが理想を阻まんとするマグマ団に、正義の鉄槌を下す時である!!」 天を仰ぎ、叫ぶ。 何を大げさな、と思うのが普通のところだが、男と同じ理念を抱いている一同は真剣な眼差しを筋肉男に向けていた。 「人間も、ポケモンも!! すべては母なる海より生まれた!! だからこそ、我々は海を広げなければならない!! それこそが、我々にできる、母なる海への恩返し!!」 男が朗々と演説している脇を、アカツキとアスナが通り過ぎようとした――その時だった。 「って、貴様らは何者だ!!」 男がビシッとふたりを指差した!! その場にいた全員の視線が一斉に向けられる。 「……!?」 いきなり振り向かれ、アカツキもアスナもその場に足を止めてしまった。 「ここは一般人立ち入り禁止のはずだぞ!! どうしてここにいる? さあ、答えよ!!」 「あたいのコータスがさらわれたんや!! だけどな、あたいらじゃどうにもならへんかった!! だから、今からフエンタウンに行ってジュンサーさんに頼んでくるんや!! コータスたちを助けてくれってな!!」 「なに、警察だと!?」 男の顔色が変わった。 アスナとしては、事情をありのままに説明して、さっさと見逃してもらおうと考えていたのだが……それがいけなかった。 マグマ団もアクア団も似たもの同士。 どちらも『警察沙汰』というのを嫌っている。 アスナもアカツキもそのことを知らなかったのだが、それがいけなかった。 「だから、あたいらはあんたらに構ってられる暇はあらへん!! んじゃな、行くでアカツキ!!」 「そうは行かぬ!!」 アカツキの返事の代わりに――アクア団が二人の行く手を阻んだではないか!! 「な、なんのつもりや!!」 うろたえるアスナ。 これくらい説明すれば見逃してもらえると思っていたのだ。 マグマ団とアクア団は敵同士。 なら、その敵から逃れるために山を降りてきた自分たちを見逃してくれると踏んでいたのだが……甘かった。 「警察と言ったな!! それだけは何としても許さん!! そもそも、このタイミングに山を降りてくるのが怪しい!! はっ!! さては貴様ら、一般人に扮したマグマ団の秘密工作員だな!?」 『はぁ!?』 ハッキリ言えば言いがかり。 アカツキとアスナは唖然とするしかなかった。 そんなふたりの事情など素知らぬ顔で、筋肉男が続けた。 アクア団の一同が、殺気すらにじませた視線を向け、モンスターボールまで手に取っているではないか!! お世辞にも楽観視できない状況ではない。 アカツキもアスナもそれくらいは理解していたが…… 「そうだ、そうに決まっている!! なら、ここから逃がすわけにはいかん!! このウシオがアクア団の同志たちに命じる!! このふたりを捕らえよ!! 徹底的に身元を調べ上げるのだ!!」 『おおっ!!』 「なんでやねん!!」 こんな時にでも関西弁全開のアスナ。 これが地なのだから、仕方がないと仕方がない。 と、そんなことを論議している暇はない!! 「おとなしく捕まれ〜っ!!」 「お縄にかけるのよ〜っ!!」 口々に叫びながら、数えるのも馬鹿らしくなるほどの男女が雪崩のようにアカツキとアスナに殺到した!! 「うわっ!!」 「逃げるんや、アカツキ!!」 いきなりの展開に驚くアカツキの腕を引っつかみ、半ば引きずるようにしてアスナは駆け出した!! その後を追いかけるアクア団。 もちろん、彼らに命令を下していたウシオとかいう筋肉男も最後尾から、突き出た腹を左右に揺らしながら追いかけてきた。 それは喜劇にも似たユーモラスさだったが、それを指摘するような状況ではなかった。 「あ、アスナさん!?」 アカツキは足がもつれそうになるのをなんとか堪えて、アスナに尋ねた。 「どういうことなの!?」 「『敵の敵は味方』やないんや!!」 「え……」 「あいつらもあたいらからすれば敵っちゅ〜こっちゃ!!」 物分りの悪いアカツキに、思わず叫んでしまう。 完全に冷静さがなくなった。 そりゃ、モンスターボールを手にした大勢の男女に追いかけられていれば、嫌でも慌てふためいてしまう。 多勢に無勢。とてもではないが勝てるわけがない。 ロープウェイ乗り場前の広場は完全にアクア団に占拠されていた。 麓にあるフエンタウンに降りるためには、彼らの中を突っ切って登山道を行かなければならない。 ならば、行く方向はひとつに限定される。 すなわち―― 「山頂に!? そんな、わざわざ捕まりに戻るようなものなんじゃ……」 「なら、ここから飛び降りるか? 空を飛べるポケモン、あたいは持っとらへんけど!!」 「う……」 アカツキは押し黙ってしまった。 ロープウェイ乗り場から山頂へと続くつづらおりの道は、一本道だった。 途中に脇道は……なかった。 麓へ続く唯一の道から追いかけてくるアクア団から逃れるには、嫌でも山頂へ向かわなければならない。 しかし、山頂にはマグマ団が…… アカツキもアスナも、どっちに捕まるのも嫌だったし、そんな気はなかった。 「でも、アスナさん。なんとかなるの!?」 「『なんとかなる』んやない。『なんとかする』んや」 「うん!!」 アカツキは、アスナの前向きな言葉に励まされている自分に気がついた。 マグマ団もアクア団も――今となってはアカツキたちの敵だ。 敵の敵は味方というのが通用しなくなった以上、どうしようもない…… そう思いかけた気持ちを、アスナの一言が打ち砕いてくれた。 なんとかなる、ではない。なんとかするのだ。 それをするのは自分自身であって、第三者やら運命などではない。 この窮地を脱するための『何か』ができるのは、アカツキとアスナだけなのだ。 「このまま山頂まであいつらをおびき寄せて、マグマ団の連中とぶつけるんや!! そしたら、確実に逃げられるやろ!!」 「そっか。あの人たち、マグマ団とは敵同士だから……」 「そういうことや。 お互い敵同士なら、あたいらのことにまでは気が回らへんやろ? 今のあたいらにできることはそれだけや。アカツキ、それまで頑張れるか?」 「うん、頑張る!!」 「よし、それならええ!!」 アスナの作戦に勇気付けられて、アカツキは足の痛みを忘れてしまった。 山頂から全力で駆け下り、さらに今度は逆の道筋をたどるのだ。 身体が完成していない十一歳の男の子には辛いことだが、それでもやらなければならないのである。 今がその時だ!! ここで動けなくなったりしたら男じゃない…… アカツキは静かに燃える炎を胸中に宿し、少しずつ襲い掛かってくる足の痛みと戦いながら走っていた。 アスナとしても、アカツキに無理をさせるのは嫌だったが、この際、そうも言っていられない。 アクア団にしろ、マグマ団にしろ、捕まったらロクな目に遭うわけがない。 揃いも揃って人類救済を謳っている連中だが、やっていることは大差ない。 それなら善意も悪意もないボランティアの方がよっぽどマシというものだ。 「アカツキ、頑張るんやで!! コータスたちをどうにかできるんは、あたいたちだけなんやからな!!」 「はいっ!!」 アカツキは足に力を込め、アスナと共に山頂を目指した。 一方、山頂では―― とんでもないことになっていた。 「バ、バカな……」 イズミが驚愕の声を上げた。 表情は言い知れぬ恐怖に引きつり、瞳は気持ちと共に揺らいでしまっている。 彼女の足元には、戦う力を失くした六体のポケモン。 いずれも水タイプであるそれらのポケモンは、イズミのポケモンであった。 「その程度で終わりか? アクア団の幹部も大したことがないな……」 弄るような口調で、リクヤが言ってくる。 彼の前には、いつくしみポケモン・ミロカロスがその美しい身体を見せつけるように、悠然とたたずんでいる。 存在だけでこの場の雰囲気が変わる、とでも言えばいいだろうか。 特別な存在を思わせるような雰囲気を漂わせている。 「同じ水タイプのポケモン一体に、わたしのポケモンたちが倒されるなんて、そんなことが……」 これは悪い夢? だが、いくら目を擦っても、頬をつねっても、夢からは覚めない。 覚められるわけがない。決して揺らぐことのない、現実なのだから。 イズミ自慢の水ポケモンたちは、リクヤのミロカロス一体にことごとく倒されてしまった。 リクヤのトレーナーとしてのレベルが、異常なまでに高いということが証明されたわけだ。 「すごい……まさか、リクヤがここまでやるなんて……」 驚愕していたのは、敵であるイズミだけではなかった。 味方のカガリでさえ、同じだった。 水タイプのポケモンを華麗に駆使して、イズミのポケモンたちを地に這わせた。 それも、ミロカロスはまったくの無傷なのだから、その戦略は肌のようにきめ細かく、それでいて狡猾だった。 これがリクヤの『本気』なのだ。 アカツキを相手にしていたのはほんの戯れ程度。 自分よりポケモンバトルが強いと言うことは知っていたが、まさかここまでとは思わなかった。 「わたしだけじゃない……ホムラも絶対に勝てない。まして、マツブサ総帥でさえ……」 カガリは戦慄に背筋を震わせた。 同じく三幹部であるホムラと、彼らが盟主(リーダー)と仰ぐ総帥マツブサの実力は、当然知っている。 だが、リクヤの実力は彼らを凌ぐほどのものだったのだ。 「これほどの力がありながら、どうしてわたしたちに……ありがたいと言えばありがたいけど……」 カガリは疑念を浮かべていた。 身の危険が迫っているわけではない。 むしろ遠のいているのだ。それくらいの余裕は十二分にある。 「何か、企んでいるの?」 正直、リクヤへの信頼が揺らいでいる。 こんなことがホムラやマツブサに知られては、彼女の首も飛びかねない。 だが、それを抱かせるには十分な実力を、リクヤは有しているのだ。 ホムラ、マツブサと三人で組んでも『勝ててしまう』ような実力を!! 「余計な詮索はしない方がいいって、分かってはいるけれど……でも……」 驚愕の表情を浮かべていられるのは、この場に部下たちがいないからだ。 それが救いね……胸中で皮肉めいたアナウンスが流れていることには取り合わず―― 「貴方、マグマ団なのでしょう? それなのに、どうして水タイプのポケモンなど……」 イズミは信じられないと言わんばかりにつぶやいた。 マグマ団のトレーナーは、総じて炎と悪タイプのポケモンの使い手なのである。 対するアクア団は水タイプと悪タイプ。 相性的には圧倒的にアクア団が有利のはず。 だが、目の前に立っている男――リクヤのミロカロスはそれを粉々に打ち砕いてみせた。 「水タイプ対策は用意しているということだ。 そもそも、マグマ団の規律に水タイプのポケモンを扱ってはならないというものはない」 「なら、草タイプや電気タイプであるべきなのでは?」 「さあな。俺のことは俺が決める。たとえ誰であってもそれに口を挟ませたりはしない」 「そうですか……」 イズミはふっと息を吐いた。 そうすることで、抑えようのない動揺を少しでも抑え込むように。 今は冷静にならなければならない。 手塩にかけて育て、今までの任務で大活躍してくれた愛しいポケモンたちは戦闘不能。 それは認めよう。 それを認めた上で今自分に何ができるか。 考えなければならないのだ。ウシオ率いる後続の部隊がここに到着するまでの時間稼ぎを、ひとりでしなければ。 彼らが到着すれば、状況は逆転する。 動揺するのは彼らだ。 「わたしがここであきらめるわけにはいかない。 母なる海を押し広げ、すべてが帰依するために……わたしがここであきらめては……」 イズミの心情を掌握しているように、リクヤが言葉を紡いできた。 刃物のように鋭く尖った言葉を。 「時間稼ぎにもならなかったな、イズミ。 これなら、先ほど戦ったアカツキという男の子の方が、よほど骨があった」 「…………」 見え透いた侮辱も甘んじて受けよう、必要なら……そして、それは今必要なものだ。 プライドをいくらか犠牲にしてでも成果を出せれば、それが純粋に地位となって跳ね返ってくる。 それがイズミの知るアクア団という組織だ。 彼女はヒラの団員から、そうしてのし上がってきた。 だから、それが当然のことだと知っている。 「だが、我々としてもおまえたちに哀れみを感じている暇もないのだよ。 おまえの話だと、そろそろ後続の部隊が到着するとの事だな?」 「ええ……」 「そしておまえは、その部隊がやってくれば、この俺のミロカロスを倒せると思っている。 そうだな?」 「ええ」 「まあ、それは正論だな。 多勢に無勢では、さすがに勝てそうにないか。 だが、おまえたちは最終的に負ける。それだけは忘れないでもらいたい」 「それは苦言? それとも忠告ですか?」 「両方だ」 リクヤは口の端に笑みを浮かべた。 完全に舐められている……だが、イズミはここで怒りに任せるわけにいかなかった。 そんなことをすれば、それこそリクヤの思う壺だ。 「わたしをどうにかします? 後続の部隊に対する人質にでも」 「いや。しても同じだろう。ウシオという男は誰にも増して狡猾と聞いている。 無駄なことはしない主義なのでな」 「そうですか……それなら、後悔することになりますよ」 「?」 イズミは懐から細長い筒を取り出した。 黒光りするそれは―― 「それで脅しているつもりか?」 「さあ……どうでしょう」 笑みを浮かべたのは、イズミだった。 彼女の手に握られているのは、短銃だった。 だが、それでも人間ひとりの命を奪うには十分なほどの威力はあるだろう。 その筒の先端が、リクヤに向けられていた。 イズミがトリガーにかけた人差し指を曲げるだけで、ひとつの命がムダに費えてしまうのだ。 「今一度言う。 無駄なことは止めろ。おまえたちに勝ち目はない」 「余裕ぶっていられる状況ですか、今は?」 「そうだと言ったら?」 「躊躇いもなくトリガーを引きますよ」 トリガーによって落下したハンマーが薬莢を叩き、その衝撃によって薬莢内部の火薬が炸裂して、弾が飛び出す。 それでも、リクヤは無表情だった。 何の感情も宿していない瞳で、余裕の態度を取るイズミを見つめている。 「残念ですね。 私としても、そこまではしたくありませんでしたが……この際、仕方ありませんね。 大いなる理想を現実にするためには、多少の犠牲も必要と言うことでしょうか」 「同感だ。だが、それは我々ではない。おまえたちだ」 「強がりを……なら、望みどおりにして差し上げますよ」 リクヤはやはり慌てたりしなかった。惨めだと思ったからか、それとも…… イズミがトリガーにかかった人差し指に力を込めて―― 刹那。 「冗談やあらへんわ!!」 背後から聞こえてきた声に、イズミは身体を震わせた。 自分に向けられた言葉だと思っていたのだ。 だが―― 「最後に気を抜くとこうなる。教えてやるよ」 危うく背後に振り返りそうになったところに、リクヤの冷たい声が響く。 イズミはリクヤに照準を定め、トリガーを引こうとして―― ばんっ!! 彼のポケモン――ミロカロスが目にも留まらぬ動きで、イズミの手から短銃を叩き落した!! 「なっ……きゃあっ!!」 短銃を叩き落とされた衝撃はかなりのものだったらしく、イズミはそのまま地面を転がった。 偶然か、彼女の短銃は宙を舞い、リクヤの手に収まった。 今度は彼が銃口を向ける番だった。 やっとの思いで立ち上がったイズミの目に飛び込んできたのは、先ほどまで敵に向けていた銃口だった。 「……やりますね」 ポツリとつぶやいて、ため息を漏らす。 形勢逆転…… イズミは素直に両手を挙げた。 降参するというポーズだ。 「しかし、今の声は……」 両手を挙げたまま振り返ると、つづらおりの道から男の子と少女がこちらへと走ってくるのが見えた。 「あの子達は……」 先ほど逃げ出したはずのふたりが、戻ってきたのだ。 それも、鬼気迫る表情で――特に男の子の方は今にも倒れそうなほど必死な形相で。 「ん?」 リクヤは銃口をイズミに向けたまま、視線をやった。 何を思ったか、戻ってきたアカツキとアスナに。 「な、なんや、これは!!」 立ち止まり、アスナは声を上げた。 追われている立場だと言うことも忘れてしまったようだ。 それほどに、目の前に広がっている光景が衝撃的だったということだ。 イズミの周りに倒れている六体のポケモン。 いずれも水タイプ。 そして、リクヤの傍に寄り添うように、サイドンと、美しい蛇のようなポケモン――ミロカロス。 一見しただけでは何が何だか分からないだろう。 だが―― 「あれは……」 アカツキは肩で荒い息を繰り返しながら、リクヤを見つめた。 彼の手に握られている短銃を。 もっとも、銃の種類など分からぬアカツキにとっては、銃は銃でしかなかったが。 「何が、どうなってるの?」 まるでワケが分からない。 戻ってくる前は――イズミという女性が、優位に立っていたはずだ。 それが今ではすっかり逆転している。 「イズミ様!!」 そこへ、アクア団の一行がやってきた。 「しまった!!」 立ち止まっている間に追いつかれてしまったのだ。 迂闊だったと呪いながらも、そんなことをしている暇すら惜しかった。 アスナはアカツキの腕を取って駆け出そうとして―― 「イズミ様をお助けするのだ!!」 アカツキとアスナには目もくれず。 アクア団の一行はイズミの周囲に展開した。 それぞれモンスターボールを手に取り、一様にリクヤを睨みつけている。 敵かどうかも分からない者を追いかけるよりも、味方を助けることを選んだということなのだろう。 だが、だからといってここから逃げ出すことはできなかった。 「今はまずい……」 アカツキにもアスナにも分かっている。 下手に動けば、かえって狙われかねない。 状況は緊迫の度を増し、風が少しでも吹けば、それで一気に進んでしまいそうな……予断を許さぬ状況だ。 リクヤはアクア団がやってくるのを知っていたので、動揺などしていなかった。 反面、カガリは思いっきり慌てていた。 最後尾から、見覚えのある筋肉男がやってきたためだ。 「ウシオ……まずいわ。いくらリクヤでも、これじゃあ多勢に無勢、どうする?」 幹部としての考え方をしなければならない。無論、判断を伴って。 数十人という単位ではない。下手をすれば数百人だ。 いくらリクヤでも、その人数を相手にしては押し切られるだろう。 総帥マツブサのもとに戦力をほとんど送ってしまったことが、今になって悔やまれる。 とはいえ、今から呼び寄せたとしても、間に合わない公算の方が高い。 ならば…… 「イズミ、すまん、遅れた!!」 「まったくですわ、ウシオさん。ですが、これで逆転です!!」 ウシオはイズミと合流した。 アクア団の幹部は揃い、戦力も一気に増強された。 一転、不利に立たされたのはリクヤとカガリだ。 いくらポケモンバトルの腕が優れていても、これだけの数の差があれば、それも如何としがたいものとなるだろう。 「リクヤ!! ここは撤退を……」 「その必要はない」 カガリの提案を、リクヤはあっさりと突っぱねてしまった。 「リクヤ!!」 「所詮数だけの雑魚だ。数が集まればそれで勝てると思い込んでいる。 だが……このままでは作戦にも支障が出るだろう」 「余裕だな、リクヤ」 「そういうわけでもない」 ウシオが笑み混じりに紡いだ言葉に、リクヤは首を横に振った。 この状況、余裕と言うほどの余裕があるわけではないのだ。 だが、表情は何の感情も宿っていない。 何を考えているか、パッと見た目では分からない。 「俺に作戦がある。カガリ、ここは任せてくれないか?」 「……分かったわ」 「ありがたい」 リクヤは口の端に笑みを浮かべた。 カガリの了承さえもらえれば、後はこちらのものだ。好き放題やらせてもらおう。 「あ、アスナさん。どうするの?」 「事態が動いたら、逃げるで。それまではじっとするしかあらへん」 「うん、わかった」 アカツキはアスナの言葉に素直に従った。 身体はすっかりボロボロだ。 胸はひっきりなしに痛むし、足もパンパンに張っている。 正直、このまま走り続けたら、すぐにでも倒れてしまいそうだ。 今はじっとしていることで身体を休めよう。 「さて、ウシオ。少し話をしないか?」 「ん?」 唐突な言葉に、ウシオは眉を上下させた。 いきなり何を言い出すかと思えば……話をしないか、だと? 「一体何を考えている? 不利な状態に立たされている時にこのような事を言い出すからには、何か策があるのだろう」 ウシオはそう思った。 「時間稼ぎの類か……」 戦力が整うまでの時間稼ぎと判断した。 それくらいしか考えられないのだ。 筋肉男であっても、幹部は幹部である。 見た目はマッチョだが、頭の中にはそれなりに脳みそが詰まっているのだ。 「なら、付き合う必要もあるまい」 時間稼ぎをされると、こちらも困るのだ。 情報によると、マグマ団は炎ポケモンを各地からさらい、火山を噴火させようとしている。そうして陸を広げるのだ。 海を広げることをモットーとしているアクア団からすれば、それは見逃すことのできない所業である。 ゆえに、総帥アオギリからマグマ団征伐の命を受けた。 些細な作戦であっても、完膚なきまでに叩き潰さなければならない。 アクア団とマグマ団の理念は永遠の平行線をたどるものである。 だから、何があっても叩き潰さなければならないのだ。 入団時の研修で徹底的にその考え方を叩き込まれる。 「リクヤ。貴様の企みは分かっている。 残念ながら話などしている余裕はない。時間稼ぎは無理と思え」 「やっぱり……」 カガリは肩を落とした。 一応了承はしてみたものの、どうせ時間稼ぎだろうと思っていた。 そして、それが無理であることも分かっていた。 あっさり見破られているあたり、文字通り破れかぶれの作戦だったのだ。 成功する見込みのない、まったくの無意味な。 だが―― 「リクヤの行動には必ず『意味』があった……まさかと思うけど、今回にも?」 カガリはリクヤのこれまでの功績を思い浮かべた。 なぜそのようなことを思い浮かべたのか、自分でも分からないくらい。 気がついたら不思議と思うくらい。 彼は意味のない行動をしなかった。 どんなに些細なことであっても、それは必ず意味を――成果の『成分』を宿していた。 ならば、今回も……そう考えたのだ。 「おまえたちは水タイプのポケモンを主として扱いながら、『水』の恐ろしさが分かっていない」 「何を言うかと思えば……」 リクヤの言葉に、ウシオを筆頭としたアクア団の一同から失笑が漏れた。 何を言い出すかと思ったら、水の恐ろしさが分かっていない? 何を馬鹿なことを…… アクア団にとって母なる海は――それらを構成している水は神聖なものだ。 『畏れて』はいるが、『恐れて』などいない。 つまり――リクヤの言葉は完全に筋違いだ。 「教えてやる。水の恐ろしさを」 その言葉が終わるか終わらないか。 どちらが早かっただろう。 ごごごご…… 大地が揺れた。 「ん、なんだ?」 揺れは徐々に大きくなっていくが、立っていられないほど強くはない。 「な、なに?」 「動いたらあかん。じっとしてるんや」 忙しなく周囲を見回しているアカツキを制止するアスナ。 何があっても下手に動いて彼らを刺激してはならない。 ふたり以外の全員が敵だ。 「これは、まさか……」 足の裏に伝わる不快な振動に、アスナは不吉なものを感じた。 数回に一回ほどの割合で、突き上げるような振動が襲ってくる。 「何が起こってるの?」 アカツキは不安に満ちた表情で、周囲を見回した。 アスナから『慌てるな』と言われても、不安が消えるはずもない。 何かが起ころうとしている。それは間違いないのだ。 でも…… 「一体何が起ころうとしてるの……?」 言い知れない不安が胸を静かに満たしていく。 「な、何事だ……?」 アクア団はすっかり混乱していた。 突如襲い掛かってきた正体不明の揺れに戸惑っているのだ。 いくらウシオとイズミのカリスマがあったとしても、蔓延していく士気の低下は避けられそうにない。 揺れの意味を知っているリクヤ以外の全員が、慌てていた。 そして、その時はやってきた。 どがぁぁぁぁっ!! 一際強い揺れに、アカツキはバランスを崩し転倒してしまった!! 立ち上がる暇もなく、地面に穴が開いた!! 「アカツキ!!」 アスナはとっさに飛び退いたが、遅かった。 アカツキは突如穿たれた穴になす術なく落下していった!! 「うわぁぁぁぁぁっ!!」 アスナが差し出した手をつかもうとして腕を伸ばすが、とても届かない。 瞬く間に距離が開いていく!! 穴は半径十メートルにも及び、アカツキだけでなく、アクア団も何十人か穴に飲み込まれていく!! 「バカな、そんなことが!!」 ウシオは知らなかった。 リクヤとイズミが戦っていた時……何度水タイプの技を出したのだろう。 地面がぬかるんだところに、サイドンが人知れず地震を起こせばどうなるか……答えは、地盤の崩壊だ!! 「そうか、そういうことだったのね……」 局地的な地盤の崩壊という作戦を理解し――カガリは笑みを浮かべた。 やはり、リクヤは意味のある行動しかしない。 アクア団は完全に浮き足立っていた。 仲間が何十人も、突然穿たれた穴に飲み込まれてしまったのだ。 そして、アカツキも。 「アカツキぃぃぃぃっ!!」 アスナの悲痛な叫びが響く。 急激な落下。 瞬く間に周囲を暗闇が包み込み、暗闇を切り取るように、穴の淵から空が覗いている。 その空が徐々に小さくなっていく中、空を優雅に翔ける黒い影が、目に飛び込んできた。 「……あれは……!!」 豆粒ほどの大きさの影――目にゴミが入ったのではないかと思ったが…… 「まさか『黒いリザードン』!?」 アカツキははっとした。 どんな時だって、見間違えるはずがない、憧れの存在を!! 「リザー……ドン……」 どこに向かって落ちているのか分からないのに、アカツキは不思議なことに心が落ち着いていた。 何があっても構わないと思っていたのかもしれない。 心は小波ひとつ立たず、完全に無の境地だった。 会えたと分かったからだろうか。 どこまで落ちていくかも分からない中、アカツキの心に不安はなかった。 「そんな……アホなことあるか……」 アスナは穴の淵で悲嘆に暮れていた。 どこへ通じているかも分からない穴に、アカツキが落ちてしまったのだ。恐らく……もう、助けられないほどの深さまで。 落ちた先にもよるが、運が悪ければ…… 「最悪や……」 もう、アスナにはどうすることもできなかった。 空を飛べるポケモンを持っていないことが、この時ばかりはどうにも恨めしかった。 ただできたのは、アカツキが無事であるようにと祈ることだけだった。 そして、信じられない光景を目にした。 「ミロカロス、あいつを死なせるな!!」 もっとも美しいポケモンと言われるミロカロスが、リクヤの言葉に応えて穴へと飛び込んで行ったのだ。 第46話へと続く……