第47話 ひとりぼっちじゃない -Am I alone?- 憧れの存在。 『黒いリザードン』が空を優雅に翔けるのをこの目で見ることができた。 会えた…… そう思ったら、もうどうでもよくなってきた。 ゲットできなくても、会うことができたらそれでよかったんだと気がついた。 でも、人間って言うのは欲張りだから、ゲットしたいとその後になって強く思い始めた。 『黒いリザードン』の背に乗って、ホウエン地方の空を飛びまわるのだ。 風を感じて、眼下に広がる故郷の景色を目に焼き付けて……やりたいことはいくらだってある。 でも、もうできそうにない。 だって…… 「ぼく、助からないんだもん……」 地獄の底まで続くかのような、暗く深い穴。 どこへ通じているとしても、待ち受けているのは面白くもない結末。 くだらないと言えばくだらないのかもしれない。 「呆気ない幕切れだったなあ……あんな風に死んじゃうなんて……」 どうせ死ぬと分かっていた。 だから、安らかな気持ちになれた。 『黒いリザードン』に会えたから、それでいい。 一番の夢は果たした。 だから…… 「もう、いいんだ」 ひとりぼっち。 最後の最後にひとりぼっちになってしまった。 アリゲイツも、ワカシャモも、カエデも、チルットも。 誰も助けてはくれなかった。 助けられなかったのかもしれない。 どっちにしても構わない。 ひとりぼっちということに変わりはなかったから。 どくんっ。 不意に鼓動が耳に入った。 「?」 規則正しく音を刻む鼓動はどこから聞こえてくるのだろう。 音の出所を探って―― 「もう、いい?」 エコーのかかった声に、目を開けてみる。 真っ暗な闇。 一点の光さえ差さない暗黒の中に、横たわっている自分。 人形のように動かない身体に何の意味があるのだろうと思いながら――気づく。 どうしてそんなことが分かったのか。 それは簡単だった。 自分自身の身体を見下ろしていたから。 安らかな表情で目をつぶっている自分。 十一歳で死んでしまった自分の身体。 幸い、ぐちゃぐちゃにはなっていなかった。傷ひとつついていない。 腕がへし折れていたり、首が曲がっていたりということも。 「ぼく……? アカツキ……なの?」 本当に死んでしまったんだという自覚が宿る。 宿る? 何に? 疑問が尽きることなく沸きあがる。 「ぼくはなんでそんなことを考えてるの? 死んじゃったら、それで終わりじゃないの?」 揺らぐアイデンティティ。 自分が死んでいないのだとしたら、生きている? じゃあ、足元で横たわっている自分の身体は何? 作り物? まさか。 じゃあ…… 「物事を考えているぼくの心は…… さっき、もういいっていうのを否定したのはぼく自身…… だったら、ぼくは……死んでなんかいない!!」 聞こえるはずもない叫びを上げた。 何の前触れもなく目が開いた。 横たわっている身体の目が自分を見つめている。 虚ろで、死んだ魚を連想させるような、活気のまるでない瞳。 レンズが映しているのは…… 「そうだよ。キミはまだ死んではいない。だって、そうだろ?」 「うん……死んでたら、何も考えられない。 まだやりたいことがあるなんて、考えられるわけない」 「そう、それでいいんだよ。 キミを待ってる人がいるんだから、こんなところでノンビリしてちゃダメだ。 逢いたい人が――いるのなら……絶対死んじゃダメだよ」 そして。 暗黒の空間がひび割れ、光が満ちあふれた。 目を開けると、白い天井が目に入った。 ようやっと気づく。長い悪夢から覚めたということに。 「ぼく、生きてる……?」 アカツキは白い天井を自分の目で見ていることに気づいて――思わず涙を流した。 どこまで続いているかも分からない穴に落ちても、まだ生きている。 それがとてもうれしかった。 まだ、夢は終わっていない。 『黒いリザードン』をゲットするという夢は、まだ。 「誰か、助けてくれたんだ……」 身を起こし、ベッドに寝かされていることに気づく。 それほど広くない部屋の端に置かれているベッドの上で、眠っていたのだろう。 どれくらい眠っていたのかは分からない。 一日かもしれないし、一週間かもしれない。目覚めたばかりで、時間間隔が完全に麻痺っている。 それに、深い穴に落ちたアカツキを助けてくれた人がいる。 誰であっても、感謝している。 たとえ、悪魔であったとしても。 死なせずにいてくれた、それだけでいい。 腕を動かしてみる。 痛みはなかった。 身体を殴打するようなことはなかったらしい。 穴の底にぶち当たりでもしていたら、殴打どころか、糸の切れた操り人形のように、腕が変な方向に曲がってしまっている。 まあ、助かったのだから、何も言わないことにしよう。 「アスナさんは……?」 赤い髪を翼のように広げた少女の姿を探して、アカツキは周囲を見回した。 だが、部屋にいたのはアカツキだけだった。 窓際には、太陽の光を燦々と浴びている花。 机の上にはアカツキがいつも着ている服と帽子が丁寧にたたまれてある。 その傍にはリュックもある。 と、そこで―― 「この格好って……」 赤いパジャマを着せられているらしかった。 今になって気づくとはオマヌケもいいところだが、仕方がない。 何しろ、感覚がイマイチ鋭さを取り戻せていないのだ。 「まさかと思うけど、アカツキだからって赤いパジャマなんてことはないんだよね」 変なところで鋭かった。 それはともかくとして…… 「一体、ここはどこなんだろう……?」 気になるのはそこだった。 誰かが助けてくれたのはいい。それより、ここはどこだ? 「ぼくはひとりなのかな……アスナさんもいないし……」 アカツキはベッドを降りた。 自分の足で地面を踏みしめていることに言いようのない感謝をしながら、窓辺へと歩いていく。 足取りが頼りないのは、本気で情けないことだが仕方がない。 窓は開け放たれていて、外から爽やかな風が吹き込んでくる。 「わあ……」 窓の向こうに広がっていたのは、緑の多い町並みだった。 規模としてはそれほど大きくないのだろう。 風になびく草に囲まれているような印象を抱いた。 アカツキが今いる家は他の家とは離れた場所にあるらしい。 町並みの向こうには緑の山がある。 まるで別世界に来たようだ。 「ここは……? ホウエン地方じゃないの?」 アカツキは漠然とした不安を抱いた。 その不安を紛らわせるために、気がつけばリュックの傍まで歩いてきていた。 着慣れた服に、被り慣れた帽子。それだけでも心が安らぐが、本当の平安には程遠い。 リュックの中身に異常は見られなかった。 傷薬に、その他旅するのに必要なものは揃っている。 ズボンに入れていたとばかり思っていたポケモン図鑑も、リュックに入っていた。 助けてくれた人が、入れてくれたのだろう。 そして、モンスターボールがひとつ。 「え……」 違うと、心が訴えている。 胸を鷲づかみにされたような気がした。 「ウソでしょ?」 アカツキはリュックをひっくり返した。 中身がボロボロ落ちるのなどお構いなしだ。 ただ探していた。 傷薬、タウンマップ。ポケモン図鑑。ロープに寝袋……携帯用のカンテラに…… 「なんで、なんでないの!?」 声を荒げ、リュックを上下に揺さぶる。 だが、それ以上何も出てこなかった。 モンスターボールがひとつだけしかない。 残酷な事実がアカツキの目の前に突きつけられた。 「どうして……ウソだ、こんなの……」 両手を机に突いて、辛うじて衝撃に耐える。 少しでも力を抜けば、倒れてしまいそうだ。 「ウソだぁっ!!」 アカツキは叫んだ。 モンスターボールが三つ足りない。 目の前にあるのはチルットのモンスターボール。 アリゲイツと、ワカシャモと、カエデ。 三つのモンスターボールはどこにもなかった。 「どうして、どうして!!」 机に拳を何度も叩きつけながら叫ぶ。 どうしようもない現実に、ただ嘆くしかできなかった。 何度目になるだろう。 拳が痛み出した時だった。 コンコン。 部屋の扉を叩く音に、アカツキは我を取り戻した。 ズキズキと拳を駆け上がっていく痛みが、皮肉にも『鎮痛剤』となった。 これ以上興奮していたら、身体中のアドレナリンが沸騰してどうにもならなくなっていたかもしれない。 「アカツキ、入るよ?」 「この声は……」 扉越しに聞こえた声に、アカツキは聞き覚えがあった。 だが、誰か思い出せない。どうにも記憶が曖昧だった。 答えはすぐ目の前に現れた。 扉が開かれ、見覚えのある男の子が姿を現した。 「ミツル……?」 「よかった。目が覚めたんだね」 淡い緑の髪が印象的な細面の男の子――ミツルはアカツキの顔を見つめ、ニコッと笑った。 「どうしてミツルが?」 ミツルはアカツキの目の前まで歩いてきて、言った。 「ここは僕の従姉妹の家なんだよ」 「そうなんだ……」 アカツキが現実味のない声で返すと、ミツルは苦笑しながらも語気を強めた。 「そうなんだ、じゃないよ? だって君は川を流れてきたんだから。 釣りをしに出かけてみたらさ、人が流れてくるんだもん。 ビックリしたけど一応助けてみようってことになって……近くの人にも協力してもらって引き上げたら、キミだったんだから」 「ありがとう、ミツル。 おかげで助かったよ……って、川を流れてきた?」 「うん」 アカツキは唖然とした。 道理で身体が痛まないと思ったら……川の流れに乗っていたのだ。 深く暗い穴は、どうやら地下水脈につながっていたらしい。 幸運にも、そのおかげで死なずに済んだ。 硬い地面なら、バラバラになっていたかもしれなかった。 「でも、一体どうしたの? 川を流れてくるなんてさ……遭難でもしたの?」 「うん、実は……」 アカツキはミツルに簡単に事情を説明した。 エントツ山でマグマ団のリクヤとカガリと戦ったこと。 アクア団に追いかけられて山頂に逃げたものの、いきなり地面に空いた穴に飲み込まれたこと。 気がついたのがついさっきだったということ。 「そうなんだ……大変だったんだね。 でも、よかったじゃない? キミは助かったんだから。四日ばかり眠ってたけど」 「そうかもしれないけど……」 ミツルが軽い気持ちで紡いだ言葉にアカツキは頷いて――そのまま俯いてしまった。 表情に翳りが見え、ミツルは何も言わなかった。 傷つけてしまったかな……そう思った。 さて、マグマ団とアクア団といえば、つい最近になって表舞台に姿を現した組織である。 ニュースでチラッとやっていたのを少し見た程度なので、名前しか知らない。 「ねえ、ミツル。 ぼくのモンスターボールは……このひとつだけだった?」 「うん。僕が見つけたのはひとつだけだったよ。リュックにも入っていなかったし……」 「そっか……」 アカツキは肩を落とした。 「あ、あのさ、アカツキ……」 明らかに見た目で落ち込んでいると分かるだけに、声をかけづらかった。 何と言って励ませばいいのか分からない。 アカツキは共に旅する仲間を失ってしまったのだ。その落ち込みようは半端じゃないだろう。 「ありがとう、ミツル。ぼくを助けてくれて」 今にも枯れそうなか細い声で、アカツキはミツルに感謝の言葉を述べた。 だが―― 「ぼくにはチルットしかいない…… アリゲイツも、ワカシャモも、カエデも……はぐれちゃったんだ」 「…………」 ミツルまで沈痛な面持ちになってしまった。 ポケモンを失うというのがどういうことか。 大切な仲間であるほど、我が身を切り裂かれたような痛みを覚えるものなのだ。 今のアカツキはそんな状態だろう。半身が消え去った寂しさ、自分の身体を切り裂かれた痛み。 そういった負の感情に支配されても、アカツキの瞳には一点の光が宿っていた。 「ねえ、アカツキ。 このまま何もしないなんていけないと思うよ」 「分かってるんだ。 ぼくだって、分かってる。 みんなを探さなくちゃいけないって。でも……チルットだけで大丈夫かな? 今まで離れたことなかったから……」 「うん……そうだろうね」 ミツルは頷いた。 アカツキが何もしないままこんなところで腐ってしまうようなトレーナーじゃないと分かっただけでも、収穫はあったように思う。 セイジがベタ褒めしていただけのことはある。 「正直、自信ないよ。 どこを探したらいいか分からないし……」 もっと下流まで流されたのか。 あるいは上流で誰かがボールを手に取ったのか。 それさえ分からないのだ。 どこを探せばいいのかなど、それに輪をかけて分からなくなる。 「確かにね…… アカツキ。よかったら僕も付き合うよ。少し旅をしてみたいと思っていたし」 「え?」 突然の申し出に、アカツキは鳩が豆鉄砲食らったような表情をしていた。 まさかそんなことを言われるなんて……雄弁と物語っている顔だった。 ミツルは苦笑しながら―― 「僕さ、セイジと旅を始める少し前に、トウカシティから引っ越してきたんだ。 ほら、僕はあんまり身体が丈夫じゃないから。 少しでも環境のいい、このシダケタウンに引っ越してきたんだよ」 「そうなんだ……じゃあ、ここはシダケタウンなんだね?」 「うん、そうだよ」 アカツキはホッと胸を撫で下ろした。 ここはシダケタウン――ホウエン地方だったのだ。 キンセツシティの西に位置しており、静かな町として知られている。 「ミツルは身体があんまり丈夫じゃないんでしょ? だったら、なおさら付き合ってもらうなんてできないよ。 何かあったら、大変じゃないか」 「うん。でも、ひとりじゃなきゃ大丈夫。 キミだっているし、僕のポケモンも、いざとなったら頼りになるんだから」 「そりゃそうなんだけど」 上手にはぐらかされた気がして、アカツキは渋面になった。 だが、ミツルのポケモンは確かに頼もしい。 プラスルとマイナン――お互いが傍にいる時、二体は劇的にパワーアップする。 実際にそのパワーアップを見てきたからよく分かる。 しかし…… 「でも……本当に大丈夫なの? 従姉妹の許可とか取らなくて……」 「じゃあ、許可してくれたら一緒に行っていい?」 「あ、うん……」 目をキラキラ輝かせながら詰め寄られ、アカツキは首を縦に振ってしまった。 振った後に、なんて軽率なこと言ったんだろうと後悔したが、男に二言はない。 言ってしまったからには、撤回は許されそうにない。 「わーい!!」 ミツルは子供のように――事実アカツキと同い年の子供だったが――騒いでいる。 水を差すようなマネは……アカツキにはそうするだけの度胸がなかった。 それに…… 「ひとりじゃすごく心細かったんだ、正直言うと……」 胸中でミツルに感謝する。 ひとりぼっちじゃ……傍にいてくれるのがチルットだけじゃ、心もとないのが正直なところだったからだ。 何かあった時に、チルットだけで切り抜けていけるのか…… 答えはノーだった。 いくらなんでも、チルットだけじゃ無理だ……悔しいが、アカツキはそう思っていた。 「いつ行く!?」 すっかりやる気になってしまったミツルに急かされ、アカツキは「う〜ん」ともっともらしく腕を組みながら呻き声を上げた。 「行くなら早い方がいいよね。だから、今から行く」 「え、今から!? 大丈夫なの、身体!?」 「大丈夫だよ」 急かしてくる割には、今から行くと言われてビックリするミツル。 せめて今日はゆっくり休んでから、明日出かけるものだと思っていたのだ。 アカツキはついさっき目を覚ましたばかりだから、本調子でないかもしれない。 いや、そうに決まっている。 だから、今から行くと言われて驚いたわけで……まあ、本人がそれを熱烈に希望していれば、止める理由はない。 「ミツル。ぼく、これから着替えるからさ。その間にでも従姉妹に許可をもらってきてよ」 「うん、分かった」 ミツルはあっさりと部屋を出て行った。 ドアを閉めるのを忘れていたせいか、足音が響いてくる。 気分がウキウキしているのだろう、スキップしているのがよく分かる。 「連れて行かないほうが良かったかも……」 なんて思ったが、それはそれ。 気持ちを切り替えて―― アカツキは着替えを始めた。 助けてくれたことへの感謝の印と言わんばかりに、ちゃんとパジャマをたたんで、きちんと敷きなおした布団の上に置く。 ナオミが洗濯物をたたんでいるのを見よう見まねでやってみたのだが、なかなかどうして様になっていたりする。 着慣れた服に袖を通すと、気分がよくなった。 「やっぱりこの服がいいな。着慣れてるってのもあるけど…… 旅してるって気分になれるもん」 赤い服に、黄色と黒の半ズボン。 それと、椅子の下に整然と揃った自分の靴を履いて、チルットのモンスターボールを腰に差す。 ひとつしかないから寂しいのだが、残りの三つを取り戻すために、これから旅に出るのだ。 「何があったって、絶対に取り戻すんだから」 大切な仲間たち。 家族と同様の絆で結ばれた、大切な仲間たちだ。 だから、どんな困難があったとしても必ず取り戻してみせる。 それがトレーナーとしての責任だと、アカツキは思っている。 リュックを背負い、最後に帽子を前後逆にかぶって準備完了である。 どうして前後逆なのかは、言うまでもない。 似合っていると思っているからである。 ただ、たまには普通のかぶり方もしてもらいたいものだ……ナオミが時々そんなことを思っているなど、当然知る由もない。 「よし、行くぞ、アカツキ」 頬を軽く叩いて、気持ちを引き締める。 鏡で今自分の顔を見てみれば、きっと清々しい表情をしているのだろうと思った。 仲間を失ったのにどうしてだろうという疑念も同時に浮かんでくるが、今のアカツキはそれに答えられる。 「絶対会えるって信じてるからさ!!」 信じることからすべては始まる。 そう思っているから。 ミツルが来るまで、もうしばらく時間があるだろう。 それまで、外から吹き込んでくる爽やかな風を心行くまで楽しむとしよう。 アカツキは窓辺に立って、目を閉じて思いっきり深呼吸をした。 爽やかな風が、帽子の縁から飛び出した一房の髪を撫でていく。 吹き込んでくる涼風が、熱くなった心を冷やす。 「ダメかな……?」 別室で、ミツルはアカツキに同行したいと従姉妹に打ち明けた。 始終無表情を貫いている従姉妹――ミチルとまともに視線を合わせられなかった。 彼女が何を考えているのか、まるで分からなかったのだ。 ダメかもしれない……好意的に見えない様子から、ミツルはいきなりあきらめかけていた。 「あなたの言いたいことは分かったわ」 ミチルはため息を漏らした。 歳は確か二十歳だったとミツルは記憶している。 端正な容姿の持ち主で、去年はミス・シダケタウンに選ばれた。 今年はまだ開催の時期ではないので、二連覇は先になりそうであるが、今年も出場する予定らしい。 そんな彼女は、ミツルがあまり身体が丈夫でないことを知っているからこそ、素直に首を縦に振ることはできなかった。 トウカシティからこの町にやってきたのは、静養のためなのである。 それなのに、何週間か前にセイジという友達と、トレーナーとして旅に出てしまった。 その時はたまたま発作だとか身体の不調に襲われることがなかったが、今回も幸運に恵まれるとは限らない。 「ミチル姉さん。僕はアカツキのこと放っておけないんだ。 一緒に旅してたポケモン、アカツキにとっては家族なんだよ。 家族を失うってどんなことか、姉さんは知ってるでしょ?」 「まあね……」 ミチルははにかんだような笑みを浮かべた。 彼女は五年前に父親を失った。その時の哀しみは、言葉で言い表せるようなものではなかった。 だから、ミツルの言いたいことは分かる。 四日前に助けた男の子は家族同然のポケモンを三体も失ってしまったのだ。 彼女の哀しみには届かなくとも、それ相応に落ち込んでいることだろう。 だが、それとこれとは話が別である。 ミツルの身体がもう少し頑丈にできていれば、諸手を挙げて賛成できるのだが…… いや、ミツルが悪いと言っているわけではない。こればかりは仕方がないのである。 だが、ミツルはその『仕方がない』であきらめるような軟弱な気持ちの持ち主などでは決してなかった。 「ミツル。あなたはいい友達に恵まれたのね」 「え……それじゃあ……」 ミチルの言葉に、ミツルは顔を上げた。 その表情は喜びを帯びていた。 「行きなさい。アカツキ君は、あなたにとっていい友達なんでしょう? だったら、助けてあげなくちゃね。 悔しいけど、私なんかより、ポケモンの方があなたを元気にしてくれるもの。 ポケモンと触れている時のあなたはとても生き生きしているわ。 病気のことなんて気にならないくらい。 だから、行ってらっしゃい」 ミチルは暖かい言葉を贈った。 どうせ、止めたところでムダだろうと思ったから。 それに―― 「あなたを元気にしてくれるのはポケモンなの。 だから、気が済むまで旅を続けなさい。 でも、身体には気をつけて。あなたはあまり丈夫じゃないんだから、あの子と違って」 「分かってる。 ありがとう、ミチル姉さん」 ミツルは喜びながら、部屋を出て行った。 その様子を見つめながら、ミチルは独りごちた。 「かわいそうな子……病気なんてものがなかったら、あなたも人並みに、トレーナーとして自由に旅をできるのにね……」 「やったよアカツキ!! ミチル姉さんが一緒に行ってもいいって!!」 「よかったじゃない、ミツル。 それじゃ、行こうか」 「うん!!」 喜び勇んだミツルを連れて、アカツキはミチルに礼を言うと、彼女の家を後にした。 緑あふれるシダケタウンの景色は美しいの一言だった。 「シダケタウンって、すごくキレイな町だね」 「うん。僕はこの町が好きなんだ」 アカツキが感嘆混じりにつぶやいた言葉に、ミツルは頷いた。 目にも身体にも優しい町と言える。 エントツ山の火山灰が風向きの関係で降り積もらないおかげで、空気もキレイなのだ。 火山灰が積もっているのはエントツ山の北から北東に当たる。 今では火山灰を加工してガラス細工にすることができるので、一概に厄介者扱いされているわけではない。 アカツキは東へ延びる道を歩きながら、エントツ山のある方角を見つめた。 だが、エントツ山の前にもうひとつ山が立ち塞がっていたため、その姿を見ることはできなかった。 その山が風向きを作って、火山灰がシダケタウンに積もらないようにしていることなど、さすがのミツルも知らないようだったが。 「ミシロタウンよりも景色だけならいいかもしれない……」 そう思った。 美しい山並みに囲まれた町は、自然と一体になったかのような錯覚を引き起こしてくれる。 広がる景色を見つめるだけで、心が安らぐ。 どんな不安も、少しだけ見えなくなるような気がする。 「アカツキ。どこを探すの?」 「エントツ山に行きたいんだ」 「エントツ山に?」 「うん」 アカツキは頷いた。 すべての始まりはエントツ山にある。 ならば、結末へのか細い糸も、そこから伸びているはずだ。 すべてはつながっているように思える。 だから、まずはエントツ山へ向かおうと決めていた。 都合よくエントツ山で見つかるとは限らないが、それでも、宛もなしに歩き回るよりはずっとマシなはずである。 「まずキンセツシティに行って、そこから北に向かえばエントツ山に行けるね」 「うん。ここからキンセツシティまではどれくらいかかるの?」 「二日くらいだよ」 「じゃあ、エントツ山までは十日くらいかかるんだ……」 空を飛べるポケモンがいれば、一日で行けるのだろうが、持っていない以上はどうしようもない。 アカツキはミツルに聞いて、ノーと返事をもらって肩を落とした。 つまり、慌てるだけムダということだろう。 アリゲイツたちはきっと無事に違いない。 今頃、アカツキが迎えに来てくれるのをワカシャモとカエデと三人で待っているはず。 「絶対迎えに行くよ」 決意を新たに、アカツキはシダケタウンを後にした。 道の先に――うっすらとキンセツシティの街並みが見えていた。 第48話へと続く……