第52話 心は晴れやかな空のように -Always be fine- 「エアームド、お疲れさま。ゆっくり休んでて」 アカツキは地面に降り立つと、エアームドに労いの言葉をかけてモンスターボールに戻した。 それから、周囲を見回す。 色鮮やかな緑と、新鮮な空気に満たされている町、シダケタウン。 エアームドに乗って飛んできたので、エントツ山を飛び立ってからそれほど時間は経っていない。 まだ太陽が空高い位置にある。 「ごめんね、アカツキ。わざわざこんなところで降ろしてもらって」 「ううん、いいよ」 ミツルが申し訳なさそうに言ってくるが、アカツキはその言葉を笑い飛ばした。 彼の言葉を聞き届けると決めたのは自分自身だ。 だから、気にする必要なんてない。 「これ以上、キミの足を引っ張るわけにもいかないからさ」 「そんな……別に足を引っ張られてるなんて思ってるわけじゃ……」 「僕自身が分かってるんだ。 ニューキンセツでもそうだったし……誰かがいてくれても、旅に出るのはまだ早かったんだって。 だから、しばらくはここで身体を丈夫にしていくことにするよ」 ミツル自身が、自分の身体の弱さを知っているからこそ、これ以上アカツキの旅の邪魔をするわけにもいかないと痛感していた。 だが、アカツキは言ったとおり、そんな意識はなかった。 ミツルと旅をした数日間は、短かったが有意義だった。 いろんなことを知ったような気がしていた。 決して無収穫でなかっただけに、彼がそんなことを言ったのが衝撃的だった。 「そっか……じゃあ、しょうがないね」 アカツキは言い終えると、ため息を漏らした。 ミツルの意志は固いらしい。彼の瞳には強い意志が宿っている。 身体は虚弱でも、心はとても強いということがよく分かった。 「キミが丈夫な身体になったら、その時はまた一緒に旅をしよう? ぼく、楽しみにしてるから」 「うん。約束する。絶対、丈夫な身体にしてみせるよ」 ミツルの力強い言葉に、アカツキは大きく頷いてみせた。 きっとできる。 そう信じられるから。 「そういえばさ、アカツキはこれからどこへ行くの? ホウエンリーグに出るのと『黒いリザードン』をゲットするっていう目標があるわけでしょ? ジムのある町っていったら、この辺りじゃカナズミシティかキンセツシティくらいだけど……」 「うん。トウカジムに行こうと思ってるんだ」 「トウカジム……」 ミツルは感慨深げに反芻した。 トウカジムのある町――トウカシティは、他ならぬミツルの故郷なのである。 あまり身体が丈夫でない彼は、環境のいいシダケタウンに住んでいる従姉妹家族に預けられた。 俗に言う環境療法である。 ミツル自身がそれを望んでいたわけではないが、仕方のないことだった。 トウカシティにいたままでは、いつになっても療養などできないからだ。 それなりにシダケタウンでの生活に慣れ始め、少しは身体が丈夫になったと思ったところで、旅に同行することになったのだが…… 結局、少しは少しでしかなかったらしい。 まだ不完全だったのだ。 そう簡単に病弱な身体が丈夫になるはずがない。 食事療法、運動療法など、方法は多々あるが、そのどれもに近道は存在しない。 地道な療法をただ続けていくしかない。果ては見えない。 「トウカジムのジムリーダー・センリさんはぼくに言ったんだ。 挑戦するのなら、四つのバッジをゲットしてからだって。 どうせ戦うのなら、強くなったぼくと戦いたいって」 「そうなんだ……僕は新しいジムリーダーに会ったことはないけど、いろいろとお父さんやお母さんから聞いてるよ。 ストイックで、正々堂々とした立派なジムリーダーだって」 「うん。ぼくもそう思うよ」 ミツルの言葉と、自分が接したセンリがピッタリ合っていたことがうれしかったのか、アカツキは笑みを浮かべた。 旅立って何日目だったか…… ついさっきまで、黒いリザードンをゲットできるだけの実力を身につけるために、ジム戦に挑むことにしていた。 無論、バッジをゲットすることでホウエンリーグに出ようなどと考えていたわけではない。 トウカジムで出会ったジムリーダー――センリは一頻り話をした後、アカツキにこう言った。 「どうせいつか戦う時が来るなら、その時は強くなった君たちと戦いたい。 その方が、いい戦いができそうな気がする」 確かにその通りかもしれない。 今だからそう思える。 彼の娘は、アカツキ、ユウキと同じ日に、同じ町から旅立ったハルカである。 娘の友達と、リーグバッジを賭けて戦うのに、トレーナーになりたての状態で戦っても、面白くはないだろう。 とはいえ…… 「確かにぼくも少しは強くなったと思うけど。 四つのバッジのうちふたつくらいはお情けでもらったようなものだしなぁ……」 イマイチ自信を持ちきれない。 現に、ムロジムのジムリーダー・トウキからは、バトルの雌雄が決していないというのにバッジをくれた。 それに、アスナからも、協力してくれてありがとうと、礼代わりにバッジをもらった。 ミもフタもない言い方をしてしまえば、それこそお情けということになるわけで…… 本当の意味で実力によってゲットできたのは、ストーンバッジとダイナモバッジだけとなる。 だからこそ、決定的な自信を持ちきれずにいるのだ。 確たるプロセスを経た後に手にした栄光なら、磐石の自信を抱くこともできるだろう。 「だからといって、負けるつもりなんて、小指の先ほどもないけどさ」 そう。 たとえ自信を持ちきれなくとも、負けるつもりだけはない。 勝てると信じていなければ、勝つことなんてできないのだ。 「だからこそ、ぼくは勝ちたい。 簡単に勝てるなんて思っちゃいないけど、それでも全力でぶつかっていきたい」 「そうだね。キミにならできるよ」 アカツキの力強い言葉に勇気をもらったのはミツルの方だった。 今の自分に何ができるのかは分からない。 実際、小さなこともできないかもしれない。 だが、やることをやらなければ、殻を破って成長することなどできない。 それを教わったような気がする。 自然と浮かぶ笑みは、そのせいかもしれない。 「それじゃあ、ぼくは行くよ」 「うん。頑張ってね、アカツキ」 お互いに笑顔を見せながら、別れた。 アカツキがシダケタウンの西へと向かうのを、手を振って見送るミツル。 希望の光を満面に湛えた瞳を、アカツキの姿が見えなくなるまでずっとずっと向けていた。 笑って別れられたのは、いつかどこかで会えると分かっているから。 鳥ポケモンを手に入れた今、世界は今までよりも劇的に狭くなった。 「ぼくにはぼくの目標があって、ミツルにはミツルの目標があるんだから。 これでいいんだよ」 ふたりの目指すものが違う以上、いつかどこかで道を分かつことになる。 それは分かりきっていることだ。 だが、それでいいのではないだろうか。 進む道は違っていても、出会い、友達になったという事実は、事実ゆえに変えようがないから。 シダケタウンの静かな通りを行きながら、アカツキは深呼吸した。 高原から降りてくる爽やかな風が、本当に気持ちいい。 本当ならばミツルの従姉妹――ミチルの家に立ち寄って、礼を言うべきところなのだろうが、生憎とアカツキにはそんな暇すら惜しい。 ホウエンリーグが開催されるのは十二月一日。半年も猶予がないのだ。 一秒でも、一瞬でも。 無駄に費やすわけにはいかない。 ふたつの夢を同時に追いかけるという贅沢を望んでいる以上、時は何よりも貴重なものなのだ。 ミチルには悪いが、そこのところはミツルが説明しておいてくれるだろう。 「次に会う時は、ミツルと一緒に、本当に旅ができたらいいな……」 少しでも身体を丈夫にして、ホウエン地方を飛び回れるように旅をできればいい。 もっとも、その時までには―― 「ぼくも、トレーナーとして頑張らなくちゃいけないんだけどね」 『黒いリザードン』をゲットするという夢と、ホウエンリーグという舞台で兄ハヅキと戦う夢。 両方を叶えるには、並大抵の努力では足りないだろう。 だが、それでも萎えるわけにはいかない。 「これからトウカジムに行くのに、どういった道順で行けばいいのかな?」 歩きながら、リュックからタウンマップを取り出す。 通りは『大通り』の名を冠しているだけあって幅が広く、多少は前を見ないで歩いても大丈夫なくらいだ。 折りたたみ式なので、両手で広げる。 現在地はシダケタウン。 ホウエン地方中西部に位置しており、西、北、南の三方を緑の山々が取り囲んでいる。 唯一道が拓けているのは東で、その道はキンセツシティへと続いている。 だが、東しか出入り口がないのでは交通の便が悪い。 そこで、西の山にトンネルを掘ってカナズミシティと結ぶことで、ふたつの大都市を結ぶ中継地という役目を請け負ったのだが…… その割には、あまり人通りもない。 ポケモントレーナーにとって、ふたつの町を結ぶトンネルはあまり利用価値のないものだったのだ。 空を飛べばトンネルなど歩かなくてもいいし、静かで環境のいいシダケタウンはあまり立ち寄る必要もないから。 アカツキはその静けさがとてもうらやましく思った。 こんな町も、いつかは喧騒の波に飲まれていくのだろうか。そう思うと胸が痛む。 「でも、いつかは変わるんだ。 変わらないものなんてない。ぼくだって、旅に出てから少しは変わったんだから」 それはある意味で無情という他ない。 が、だからこそ可能性は無限に拡がる。 タウンマップには、カナズミシティとシダケタウンを結ぶトンネルが書かれていた。 トンネルを抜けた先にカナズミシティがある。 トウカシティへ向かうには、カナズミシティから南下すれば良い。 いつか来た道を逆にたどる形だ。 「カナズミシティは通るんだな……だったら、アヤカさんに会って行こうかな?」 ふと、そんなことを思った。 ホウエンリーグが始まるまで半年を切った以上、余裕と言えるほどの余裕はない。 だが、アカツキはアヤカにとても世話になったのだ。 もう一度会って、今の自分を見て欲しい。 少しは強くなって、大きくなった自分。 いろいろなことを教えてくれた彼女にできる、唯一の恩返しだ。 「うん。今日中にはたどり着けそうだし……ポケモンセンターに寄る前に顔を出しておこうか」 どうせカナズミシティのポケモンセンターで一泊することになるのなら、その前に会っておくのも悪くない。 どちらかというと、効率的な時間の使い方と言える。 「エアームドに乗ってもいいけど、できるならぼく自身の足で歩いていきたいし」 時間の無駄遣いを避けるというのであれば、エアームドに乗って空を翔けて行くのが一番なのだが、それは止めておいた。 ポケモントレーナーとして、自分の足で歩いて、自分の目でちゃんと見たものを大切にしていきたいと思っているからだ。 「ここからだと、トウカシティまではだいたい四日くらいかかるのかな。 トウカジムにチャレンジした後は……」 トウカジムで五つ目のバッジをゲットした後―― 残り三つのバッジをゲットすべく、ホウエン地方東部へと足を踏み入れることになる。 「どんな場所だって、どんなものが待ってたって、きっと大丈夫」 自分自身さえ見失わなければ、どうにでもやっていける。 やがて、カナシダトンネルの入り口が見えてきた。 山の麓にポッカリ空いた穴の奥は照明で満たされていた。 人工物ということで、ポケモンが棲んでいるわけではないのだ。 昼夜を問わず内部を照らし出し、通行人に安心をもたらしている。 そんなことは、今のアカツキにはどうでもいいことだった。 先行きが、トンネルから出た時に全身に浴びる強い光のように、輝いているなら、それでいいと思った。 「ぼくの道はぼくが作る。それだけで十分なんだから」 つぶやいた言葉は風に溶けて。 空を見上げれば、太陽は燦々と暖かな光を降りそそいでいた。 第53話へと続く……